280・ラライナ様は猫が⋯⋯
セルニア様が! トマト様の! 家庭菜園を始めた!
⋯⋯それが嬉しすぎてつい農業指導に熱が入ってしまったわけだが、この現場をピルクード公爵&ライゼー様達に見られ⋯⋯もとい、聞かれてしまったらしい。
不可抗力である。だって⋯⋯だって、トマト様が、これからここで実りたいって⋯⋯!(あざといポーズ)
ライゼー様やアイシャさんからは「冷や汗をかいた⋯⋯」「こっちの会話、ちゃんと盗聴してなかったんですか⋯⋯」などと微妙に呆れられてしまったが、しかしよく考えて欲しい。
御年八歳前後の、前世でいえば小学校低学年くらいのお子様が、「パパの健康のために、栄養満点で健康にも良いトマト様を栽培したい!」という高邁な目標を掲げ、己が昼寝時間を削ってまで栄光のトマト様道を歩み始めたのだ⋯⋯!
不肖の先達として、これを応援せぬ道理はない。
「所詮はお貴族様の暇潰し」などと嗤う輩は我が爪のサビにしてくれよう。はじめはみんな素人である。むしろ俺自身もまだ素人に毛が生えた程度である。キジトラ柄の体毛のことではない。
⋯⋯あとだいたい予測できていたことであるが、セルニア様にも『亜神の加護』がついちゃったので⋯⋯公爵閣下にバレるのも時間の問題ではあった。ここは「RTAに成功した」という前向きな解釈をしておきたい。アイシャさんには容赦なくほっぺをむにむにされた。
その話が一段落したところで、ベルガリウスさんが俺の毛皮を撫でながら笑った。
「しかし、これで公爵閣下にも『ルーク様は害のない存在だ』ってことが十二分に伝わったと思いますよ。その点はむしろ収穫じゃないですかね?」
ベルガリウスさんは良いことを言う! 撫で方も意外に丁寧!
今、我々は猫カフェで今後の作戦会議をしている。
参加者は猫、ライゼー様、アイシャさん、ベルガリウスさん。そしてライゼー様の奥方のウェルテル様と、そのクッション役のピタちゃん(睡眠中)もいる。
ヨルダ様は外(※八番通りホテル)で、警備&来客時の時間稼ぎ対応をしてくれているので不在だ。
面子にお子様がいないので、珍しく平均年齢が高め⋯⋯いや、そもそもピタちゃん(343歳)が一匹で大きく平均を引き上げているわけだが、要するに大人率が高いので、おやつも甘さ控えめで大人っぽいものをチョイスした。
ウィスキーボンボン、ダークチョコレート、黒胡椒の利いたチーズチップスやプレッツェル、チーズ帆立、アーモンドなどのナッツ類、えびせん、にぼし⋯⋯
ウェルテル様は「にぼし」に興味しんしんである。このラインナップの中であえてそこにいくのか⋯⋯
「まぁ。これ、小魚を干したもの? 苦みと、塩気と、不思議な風味⋯⋯何かしら?」
「特殊な調味料は使っていないので、単純に魚の旨味ですね。煮た後で日干しにしているので、旨味が凝縮されて独特の風味が出るのです!」
イノシン酸とかグルタミン酸とかそういうやつである。
なお、リーデルハイン領は水資源が豊富だが、大海や湖に接しているわけではないので小魚はとれない。
⋯⋯いや、とろうと思えば稚魚はとれるのだろうが、効率が悪すぎてそれを食べる習慣がない。稚魚は放置して、大きくなってから釣って食う。
そして俺がこちらの世界のお魚に興味を示したため、うちでは料理人のヘイゼルさんが、知り合いが釣った魚などをたまに買い取ってきてくれる。
猫がマイ箸を使って焼き魚の小骨を器用に取っていく様子は、お屋敷でもなかなか人気のコンテンツだ。
この時ばかりは皆が俺の手元を凝視し、「すごい器用⋯⋯」「どうやってるんだそれ⋯⋯」「肉球かわいい⋯⋯」と絶賛してくれる。
前世由来の常識や技術でチヤホヤされるのは異世界転生の醍醐味だが、「魚の小骨とり」という分野でここまで感心される猫は珍しいはず。どやぁ。
あ、クラリス様とリルフィ様には美味しいところを小皿に取り分けてさしあげましょうね。(親猫的挙動)
そんなありし日のディナーの光景はさておき、今はみんなでにぼし(と、その他のおやつ)をポリポリしながら相談を進める。
「去年と同様、トリウ伯爵の到着は少し遅れて数日後になる。しかし去年と違って、今年は『内乱の危機』や『レッドワンドからの侵攻の危険性』がないから、諸侯の空気はだいぶ緩いはずだ」
要するに去年がおかしかっただけである。あんな状況が毎年あってたまるか。
それはそれとして、ライゼー様の顔色が冴えない。
「⋯⋯で、危機感が薄い分、安心して目の前の利益に集中できるだろうから⋯⋯トリウ伯爵からも警戒するよう言われた。今年の夜会では、リーデルハイン家に取り入ろうとする者、圧力をかけようとする者、謀略を仕掛けてくる者、なんらかの言質をとろうとする者などが、そこそこ現れるだろうと⋯⋯」
はい。(真顔)
アイシャさんやペットの猫が懸念していた通りの流れなので、覚悟の上ではある。そうなると見越したからこそ、クロード様も去年のうちにサーシャさんとの婚約を結んでおいた。
現在フリーのクラリス様も一緒に留学中なので、「向こうで相手を見つけてくるかもしれませんし」みたいな言い訳をすれば、ひとまず婚姻関係の圧力はスマートに回避できる。
あとはライゼー様に第二夫人とか側室を娶らせる系の策略もありえそうだが、こんなのはライゼー様ご自身が普通に突っぱねるだけなので問題ない。今春はウェルテル様も一緒にいらしているので、よもや正妻の前でこんな話を切り出せるはずもない。
もしもウェルテル様の肺火症が治っていなければ、そういう可能性もありえたのかもしれぬが⋯⋯このルートは抗生物質さんが封じてくれた。
⋯⋯こうして見ると、王都の貴族達にとっては、意外とライゼー様に取り入る手段が少ないな?
狙われそうな隙を積極的に潰しておいたからこそだが、『どうやったらリーデルハイン家に近づけるか?』というのは、他人事ながら難題のような気がする。
去年のスターリット男爵(トマティ商会王都本店の名ばかり店長)みたいに、真っ向から「トマト様の事業を手伝わせて!」と飛び込んでくるのが、ほぼ唯一にして王道の正解か。
⋯⋯つまり、有効なのはトマト様関連のお誘い。ここに気づく貴族が、果たしてどれだけいるか怪しいが⋯⋯
中には友好的かつ効果的な提案もあるはずなので、そういうのは邪険にできぬ。具体的にいうと「うちの領地にもトマティ商会の支店を出しませんか?」とか「うちでもトマト様の生産をさせて!」みたいな。
ちなみにトマト様の生産は別にリーデルハイン領の専売特許ではないので、自由にして良いことになっている。むしろ覇道のため積極的に国内へ広めたい。
ただ、育て方のコツや連作障害への対応など、学ぶべきことがいくつかあるため⋯⋯うちと魔導研究所の双方で試験栽培を進めている最中であり、セルニア様にプレゼントした栽培マニュアルも、まだ暫定的なものなのだ。
特に「連作障害」関係は、現在の実りの多くが俺の加護とごっちゃになってしまっている可能性があって検証が難しく、できればもう少し内容を詰めてから一気に広めたい。穴がある状態で世間に広めてしまうと、その誤解を解くのに余計な労力がかかってしまう。
猫がトマト様の覇道に思いを巡らせている間にも、ライゼー様の作戦会議は続く。
「出なければならない夜会は、まず軍閥の長たるアルドノール・クラッツ侯爵のものが最優先。これは絶対だ。それから午前中にお約束した、ピルクード・ペルーラ公爵の夜会。たいへんありがたいことに、これに参加するだけで、同派閥の他貴族からの誘いを断る口実ができる。『公爵家の夜会でお会いできるのを楽しみにしています』という具合にな。正直言って⋯⋯かなり助かった」
助言してくれたルーシャンさま、ありがとう⋯⋯なんか俺の案内でメテオラ温泉に入ってみたいらしいので、近いうちにご招待しよう。冬場はヒートショックが心配で誘いにくかったが、これから暖かい季節になるのでちょうど良い。夢と違って野生のニワトリが乱入してくることもあるまい。フラグではない。あの山にコーカトリー種は生息していない。
「他にも連夜、呼ばれているが、時間帯がかぶっているものはどうしても断らざるを得ない。派閥を考慮しつつ、その派閥内のパワーバランスにも影響しないよう、これから取捨選択をしなければならないんだが⋯⋯」
ここで俺は「しゅばっ」と肉球を掲げた。
「ライゼー様! 提案がございます。『断りにくいけど出席が難しい夜会』に関しては、ベルガリウスさんを代役として送り込むのはいかがでしょう? 『メテオラの冒険者ギルド・新支部長』として、ライゼー様とすでに懇意であることを示す絶好の機会にもなります!」
ベルガリウスさんも大きく頷いた。これはすでに合意済みのお話である。
「自分もそのつもりで、メテオラへの移動予定を遅らせました。代役となるとおこがましいんですが、たとえばライゼー様を通じて『冒険者ギルドの動き』を知りたがっている貴族などに対しては、むしろ自分が出向いたほうが風よけになるでしょう。しかも『ライゼー様の口利きで』ということにすれば、こちらとしても箔がつきますし⋯⋯」
「それは助かる! ぜひよろしく頼む」
ライゼー様、素で「助かった!」って顔してる⋯⋯そんなに大変なことになっていたとはおいたわしい⋯⋯(だいたい猫のせい)
ライゼー様はなまじ有能なものだから個人でいろいろ対処できてしまうのだが、それゆえに負担が集まりやすい。
これがクロード様あたりだと「たすけてルークえもん!」とすぐに泣きついてきてくれるだろうが、ライゼー様はギリギリまで踏ん張ってしまうタイプなので、こちらから積極的に介入して猫の手をお貸しする必要がある。
「それから、貴族ではない商人系の会合に関しては、ナナセさんとブラジオスさんのスケジュールを押さえておきました! 必要に応じて、本社へ戻る前にもう一仕事やってもらおうかと思います」
「ル、ルーク⋯⋯! おお⋯⋯すまん、感謝する!」
感極まったライゼー様が俺を抱え込み、全身をわしゃわしゃしてくれた。ここまで喜んでいただければペット冥利に尽きるというものである! しかしライゼー様もだいぶ猫力上がってきたな⋯⋯
「おかげで、なんとかなりそうな目処がついた⋯⋯ああ、それからな。我々が公爵邸へ行っている間に、宿のほうへお茶会の招待状も届いていた。ラライナ様からだ」
先日、アイシャさんが言っていたアレか。これは出ないといけないやつだが、昼間なので夜会とはスケジュールがかぶらない。
「第一候補は明日の午後、ラライナ様主催の⋯⋯というか、ご実家のレナード公爵家主催の茶会だ。もしこれが難しいようなら、明後日のクラッツ侯爵家の茶会、三日後のアーマーン侯爵家の茶会、四日後のペルーラ公爵家の茶会などもあり、ラライナ様はこれら全てに出席されるとのことだが、うちはどれか一つに顔を出し、そこでラライナ様にご挨拶すれば良い」
ほほう。去年は「私的な茶会」ということで、ほぼ完全に密談の様相だったが⋯⋯大きい茶会はちゃんとスケジュールがかぶらないよう、各家で調整しているらしい。
この手の大規模なお茶会は、基本的には「当主」よりも「奥方と子女達」が参加するもの、という位置づけ。
主催者の派閥に属する者がメインで集まるが、呼ばれれば他派閥の貴族も普通に参加できるし、「参加したい」と言えばだいたい通る。そのあたりは緩い。
「ライゼー様はそういうの、あんまり参加されていませんよね?」
ライゼー様は苦笑い。
「やはり『王都の貴族』の交流会という印象が強くてな。僻地の子爵家くらいだと肩身が狭い。呼ばれた時は出ていたんだが、出席者は家族連れがほとんどだし――」
ウェルテル様も申し訳なげに微笑む。
「ほら、うちは、私がそもそも貴族の出自じゃないから⋯⋯特にね? そういうお茶会って、子供の頃から親しかった方々の集まりみたいな面もあるから、どうしても平民は馴染みにくいの」
そうか⋯⋯ウェルテル様はクラリス様同様、容姿が高貴だから忘れがちなのだが、商家のご出身である。旧友や幼馴染も平民ばかりだろうし⋯⋯他校の同窓会に紛れ込むような違和感があるのだろう。地獄か。
「しかし、伯爵家になるとそうも言っていられん。子爵家くらいなら欠席者のほうがむしろ多いから気にもされないが、伯爵家クラスだと『出席しない』ことで隔意を疑われたりもする。まぁ⋯⋯私の代はどうとでもなるが、クロードは大変だろうから⋯⋯ルーク、すまないが、これからも力になってやってくれ」
「もちろんです!」
クロード様は我が飼い主の兄君。決して粗略にはせぬ。そもそも転生仲間でもあるし、ガンガン支援して、ゆくゆくはトマト様の下僕仲間に⋯⋯
猫が悪い顔に転じているというのに、何事もなかったかのように話は進む。ちょっと信用されすぎだな? 悪巧みしてるんですけど? やはりクラリス様がいないとツッコミが足りぬ。
「で、とりあえず明日の、ラライナ様のお茶会に参加する方向で調整している。もちろんウェルテルも連れて行くが⋯⋯アイシャ殿はどうします?」
アイシャさんは少し考え込んだ。
「悩ましいところですね。魔導閥の私が過度に干渉すると悪目立ちする可能性もありますが、一方で多少は盾役もこなせますので⋯⋯メリットもデメリットも、両方あるかと思います。特にライゼー様は、現在の宮廷内のささいな機微にまではお詳しくないでしょうから、そのあたりの判断ではお役に立てるかと」
俺はぐにっと首をかしげる。
「具体的には?」
「害悪が寄ってきたら追っ払います」
頼れるぅー。アイシャさんのこういうとこすきー。
「ま、まぁ、そのあたりはお手柔らかに⋯⋯しかし、たいへん心強い。アイシャ殿、明日の茶会ではご一緒願えますか?」
「承りました。私も一応、トマティ商会の後援者ですから、帯同しても違和感はないでしょう。何か聞かれたら『商会の御縁で』とでも言います」
そんなこんなで、ベルガリウスさんを代役として派遣する夜会、ナナセさんとブラジオスさんを派遣する商人系の会合などの割り振りを決め、ライゼー様の王都滞在中の予定が概ね定まった。
それでもなかなかの過密スケジュールだが、ベルガリウスさんとナナセさん達のおかげで明らかに軽減された⋯⋯もし彼らがいなかったらと思うとぞっとする。
「リーデルハイン家もこれから伯爵家になる以上、人材の拡充を考えるべきかもしれませんね⋯⋯とりあえず、ライゼー様と執事のノルドさんに負担が大きすぎますので、いずれ事務系人材を見つけたいところです」
「⋯⋯とうとうルークに働き過ぎを心配される状況になったか⋯⋯」
いえ、これは割と最初の頃から言ってますけど⋯⋯しかしライゼー様的にも、「これから先、いよいよ手が回らなくなる」という実感、予感を得つつあるのだろう。
商家のご出身で会計にも強いウェルテル様の復帰により、だいぶ助かっているようだが⋯⋯せめてこの社交シーズンは俺もしっかりお手伝いしたい。そう、「モフられ要員」として。
ライゼー様は今夜からどこぞの夜会に出席するとのことで、おやつの後、ウェルテル様とヨルダ様を伴い、いそいそとお出かけになった。
ベルガリウスさんも冒険者ギルドに戻った後、別の夜会に顔を出す。
残ったのはアイシャさん。明日のラライナ様の茶会には帯同するが、今日の夜会にはついていかない。ライゼー様にとっては顔見知りばかりで難易度の低い集まりらしいので、今夜のところは猫もこっそり見守るだけで大丈夫だろう。
「アイシャさんは、今夜は何もないんです?」
「そうですね。定時になったらルーク様と一緒に、ラズール学園側へ戻ります。ただ、その前に⋯⋯ちょっとお耳にいれたいことが」
ふむ? 聞こう。
「ラライナ様の件です。実は今回、社交の季節にあわせて王都へ呼び戻すにあたり、リオレット陛下からラライナ様へ親書を送ったんですよ」
ほう、陛下からの親書。初耳だが、別に不自然なことではない。
「その内容なんですが⋯⋯簡単に言うと、『王になって過去の帳簿を再チェックしたら、母の浪費の痕跡に目眩がした』『前王を悪く言いたくはないが、父の行状もいろいろダメだと思う』『ラライナ様はよく諌めてくれた』『そちらにばかり苦労をおかけして申し訳なかった』と、そんな感じでして」
なるほど、そうきたか。
いや、ラライナ様側も汚職系の貴族を抱えていたり、いろいろやらかしてはいたはずなのだが⋯⋯しかし、亡き前王と第二妃のやらかしはそれを上回るレベルだったのも事実。
あと配下の貴族はともかく、「ラライナ様個人」は不正蓄財とか変な浪費とかをしていないし、帳簿の上では質素な生活ぶりだったらしい。
実のところ、ラライナ様はいわゆる「下々の者に優しくない」タイプの「普通の貴族」だ。
メイドの失敗を過度に咎めたり、愚民は貴族に仕えるのが当然と思っていたり、政敵たるリオレット殿下(当時)に毒を盛ろうとしたり、あまりに行状の酷い第二妃を暗殺したり、そういう悪い意味での貴族ムーブはやらかしているが⋯⋯
同時に『政治に対する責任感』みたいなものも持ち合わせており、よくいえば清濁併せのむ、悪くいえば目的のために手段を選ばない人だと認識している。
一方、亡くなった前王のハルフール陛下は、身分違いのメイドを第二妃に取り立てるほど平民に優しく、貴族に対してもおおらかで、ついでに自分の散財に対しても非常におおらか⋯⋯第二妃のわがままにも甘々で女癖が悪く酒好き、金銭感覚がなく国の経済を破綻寸前に追い込みながら、好き勝手におもしろおかしく生きていた。
評判を聞く限り、「偏った魅力と変な愛嬌のあるクズ男」という、割と扱いに困る人物像が浮かんでくる。「国のトップ」「為政者」としては本当に向いてない人だったのだろう。
ネルク王国が肥沃な農業国だったから飢饉こそ起きなかったものの、こんなイージーモードの国を破綻寸前に追い込むというのは相当ヤバい。
正妃側のやらかしが『贈収賄』とか『政敵への圧力』『隠蔽や脅迫』系だとするなら、ハルフール陛下&第二妃のやらかしは『偽物の宝飾品に大金を投じる』(代金はレッドワンドの密偵が詐取)とか『無駄な公共事業で国家予算を溶かす』(経済的に疲弊させられた地方貴族が王家に敵意を持つ)とか『悪法で経済の構造そのものを歪める』(塩や醤油の流通に高額な税をかけようとしたが、正妃達が気づいて制止)とか、そんな感じだったらしいので⋯⋯被害の桁が違う。
なんでこんな人達からリオレット陛下やロレンス殿下が生まれたのか、生命の神秘に驚愕したこともあるが⋯⋯しかしよくよく考えると、第二妃も「レッドワンドから見ればめちゃくちゃ優秀なスパイ」だったわけだし、ロレンス様にいたっては「両親の良いところだけを受け継いだ」感もある。
正妃ラライナ様からは、政治的な感覚と冷静な思考力、学習能力、責任感などを。
前王ハルフール陛下からは、平民への優しさや性格の穏やかさ、人当たりの良さを。
その上で悪いところを受け継がずに済んだのは、ロレンス様を導いた書庫の賢人、カルディス男爵の功績であろうか。この人は俺が生まれる前に亡くなってしまった方なので、お会いする機会はついぞなかったが⋯⋯その孫娘のマリーシアさんは、今も騎士としてロレンス様の警護役を務めている。
そんな猫の思案はさておき。
アイシャさんはやや困惑した様子で話し続けた。
「どうもそうした親書のやりとりで、ラライナ様の憑き物がすっと落ちちゃったみたいなんですよ。割り切れない部分もあるはずですが、ラライナ様も内政の舵取りで長く苦労されてきたのは事実ですし、あの方も理解者が欲しかったのかな、と――」
⋯⋯リオレット陛下はアーデリア様との交流を経て、「素直に心情を吐露する」ことの重要性とか、繊細な女性心理への理解などが進んだのかもしれぬ。そもそもスパダリ気質ではあったが、遂に人誑しの才が目覚めたか?
⋯⋯⋯⋯⋯⋯いや、単純に王になってみて改めて「前王と実母のやらかしのヤバさ」をしみじみ実感できただけという説もある。ロレンス様でさえこの話題になるとそっと視線を逸らす。
「つまり⋯⋯ラライナ様とリオレット陛下は和解できそう、というお話ですか?」
いずれロレンス様を国政に復帰させる以上、ラライナ様との和解も既定路線というか、将来に向けた課題ではあった。それが一年目にして叶うとしたら、リオレット陛下も安心であろう。
「そう期待しているところです。つい昨日、お師匠様も城内でラライナ様とすれ違って、軽く挨拶をしたらしいんですが⋯⋯『雰囲気が変わられた』と、驚いていました。明日、ルーク様もお会いしてみて、何か気付いたことがあったら教えてくださいね」
「わかりました!」
でもあの人、「猫力5」なんだよなぁ⋯⋯つまり「猫嫌い」である。
俺がご一緒するのは微妙かもしれぬが、しかし茶会の茶菓子には興味があるので、アイシャさんにも頼んでこっそりくすねておきたい。
⋯⋯そんなこんなで翌日。
俺はアイシャさんに抱っこされ、ライゼー様、ウェルテル様とともに、ラライナ様のご実家(レナード公爵邸)でのお茶会に参加したわけなのだが――
「一年ぶりですね、ライゼー子爵。昨年はたいへんお世話になりました。それから⋯⋯はじめまして、ウェルテル様。来てくださって嬉しく思いますわ」
ラライナ様は楚々とした上品な微笑とともに、我々一行を出迎えてくれた。
ドレスは薄緑色でやや地味め。派手なデザインのものを控えたのは、「自分の立場をわきまえている」と意思表示するための意図的な判断だろう。宝飾品の類も『ホスト』として恥ずかしくない程度の最低限で、威圧感などはまるでない。
去年は、気弱げで優しそうな雰囲気を「作って」いたが⋯⋯
今年のラライナ様は、何か違う。
顔立ちからして気弱げではあるし、雰囲気も優しそうなままなのだが、妙な違和感がある。
(⋯⋯なんだ? この感じ⋯⋯!?)
混乱した俺は、思わずアイシャさんの腕の中で身震いした。
ラライナ様はアイシャさんにも歩み寄り、軽く会釈⋯⋯
「アイシャ様も、来てくださってありがとう。ふふっ、猫ちゃんも一緒なのですね⋯⋯? あら、でも、この子⋯⋯もしかして去年も見かけた、リーデルハイン家の子でしょうか?」
ラライナ様がにこやかに俺を見つめる。そこに「演技」の色が見えない。
⋯⋯おかしい。やっぱり変だ。俺の知るラライナ様と「何か」が違う⋯⋯!
そうとは気づかぬライゼー様が、恐縮したように頷いた。
「はい。今年も連れてきてしまったのですが、すっかりアイシャ殿に懐いてしまい⋯⋯」
「まぁ、うらやましい。もしよろしかったら、のちほど、私にも撫でさせてくださいますか?」
そんなことを言って、彼女はわざわざ「俺」に優しく微笑みかけた。
ここに至って、アイシャさんも異常事態に気づく。
(ル、ルーク様? あの、ラライナ様の様子が、少し⋯⋯)
(わ、わかっています、アイシャさん⋯⋯!)
俺は焦って『じんぶつずかん』をめくる。
嫌い、あるいは苦手なはずの「猫」に対して、この自然かつしっとりとした対応⋯⋯
偽者か? すり替わりか? まさか魔族⋯⋯いや、もっと別の⋯⋯!
じんぶつずかんを確認した俺は、驚愕に猫の目を見開いた。
(⋯⋯なん⋯⋯だと⋯⋯!?)
⋯⋯⋯⋯ラライナ様は、間違いなく本人だった。偽者ではない。
体力や知力、精神は少し伸びているが、ここはおそらく誤差の範囲。しかし一つだけ、飛び抜けた変動を示すステータスが⋯⋯!
『 猫力 73 』
⋯⋯はぁ!? うそやろ!?
あまりに想定外のミステリーに直面した猫は、戦慄と恐怖と混乱に震えながら、余人には見えない『じんぶつずかん』の頁をそっとめくるのであった⋯⋯




