29・そうだ、王都、行こう
数日後。
俺は馬車に乗っていた。
クラリス様のお膝の上である。
なんと隣にはリルフィ様までいる。
正直、お外に出すのは不安なので、引きこもり生活を徹底していただきたかったのだが、「……ルークさんがお出かけになるなら……私も……」と、泣きそうな顔で言われてしまった。
猫依存症になってない? だいじょうぶ?
座席正面にはライゼー様も同乗されている。
馬車の外にはヨルダ様と召使いのサーシャさんが、それぞれ騎馬で周辺を警戒しつつ付き従っている。
もちろん騎士団の皆さんも前後についており、総勢二十余名。
さらにこの警護をあてにして同行してきた複数の隊商も連なっており、こちらは道中で別ルートに進むのだろうが、一見するとなかなかの大所帯となっていた。
そう。
これは王都へ向かう馬車である。
俺の提言を受け入れて、わざわざ馬車を出してくれた……わけではもちろんない。
「社交の季節だから王都に向かう。正直、面倒だとは思うが……これも領主の務めだから仕方ない」
というわけで、折良く王都に向かう用事があったライゼー様にお願いし、俺もこうして馬車に乗せていただいた。
社交のシーズンは春と秋の二回。
その季節になると、各地の領主や跡継ぎ、その親族などが王都を訪れる。
王都近隣の貴族ならば春秋の二回とも参加し、遠隔地の貴族ならば春と秋のどちらか一回に参加するのが慣例らしい。
ただし、他国との国境に接する領地の貴族はこの限りではない。長期の不在はそのまま防衛の穴になってしまうため、「家族の代理派遣」とか「近況を知らせる書状」などで対応する。
僻地の子爵たるライゼー様は基本的に春の一回のみ参加だ。
王都までは片道六日から八日の行程。日数のズレは天候や馬の調子、途中の宿泊地の事情等に左右される。
王都での滞在予定は十日ほどなので、往復だと約一ヶ月の浪費――なるほど、ライゼー様が面倒がるのも道理だった。滞在予定も、状況次第では更に一週間くらい伸びる可能性があるらしい。
しかし貴族同士の人脈を保つ上では無視もできず、また寄親である伯爵家の体面にも影響するとあって、よほどの理由がないと欠席はできない。
……奥方様用のお薬はまとめて用意してあるので大丈夫だろうが、じんぶつずかんで経過を観察しておいて、いざとなったらウィンドキャットで俺だけ戻るとしよう。
馬車で一週間以上の道のりも、ウィンドキャットさんならおそらく一時間かからない。下手したらものの数分である。あの子たぶん、本気出したら音速超えられる。
本当はライゼー様達の移動にもこの手段を提案してみようかとも思ったのだが、たとえば途中で急にウィンドキャットさんが消えちゃったりしたら大惨事だし、不測の事態に対応できる自信がない。
王都滞在中の護衛要員たる騎士団の方々も同行するわけだし、やはり大人数なら陸路のほうが良かろう。あと俺も、こっちの世界での「旅」とはいかなるものなのか、ちょっと興味があった。
なお今回、クラリス様は俺の飼い主としてついてきてくださっている。
「お父様はお仕事があるし、ルークとリル姉様だけで王都見物は無理だろうし……私が行けば護衛としてサーシャも来てくれるから、四人なら大丈夫だよね」
完全に保護者である。
「保護者気取り」とかではない、正真正銘の保護者である。なにせリルフィ様は超人見知りだし、俺は人前で不用意に喋るわけにはいかないため、今回はクラリス様が唯一の希望だ。なんて頼りになる飼い主!
「あと、王都の士官学校にはお兄様もいるから。ルークを紹介しないとね」
まだ見ぬご長男のクロード様。リーデルハイン家の次期当主である。俺も頑張って媚びを売ろう!
「……ところで、みんなで来ちゃいましたけど……領地のほうは大丈夫なんですか?」
俺がそんな話を振ると、それまで憂鬱そうだったライゼー様は少し不思議そうな顔に転じた。
「ん? 基本的なことは執事が対応するし……町には町長や騎士団の主力も残っている。国境と接した領地ではないから、奇襲を受けるような危険もほとんどない。まぁ……後を託せる親族の少なさを不安に思うこともあるがね。うちに限らず、十数年前のペトラ熱にやられた土地の貴族はだいたい似たような問題を抱えている。そのまま断絶してしまった他家の無念を思えば、身内が少ない程度で弱音は言えんよ」
ペトラ熱ってそこまでの猛威だったのか……ペストとか天然痘クラスかなー、これは。
さて、リーデルハイン子爵領を出立してから二日後。
ライゼー様の寄親である、トリウ・ラドラ伯爵の領地へ入った。ここは王都までの道程の中継地点にあたる。
寄親、寄子とゆーのは、まぁ……私的に設定した、契約のない上下関係、同盟関係みたいなものである。
先輩後輩の関係とゆーか、要するに家格の違う者同士が徒党を組んで協力し合うための慣例で、ライゼー様はこのトリウ伯爵の派閥に属しているわけだ。
(じんぶつずかん更新のために)一目見ておきたいなー、と思っていたところ、
「トリウ伯爵もまだご出立前だろうから、この機会にクラリスを紹介しておきたい」
とのことで、俺も飼い猫としてお屋敷に泊まれることになった。
はい、もちろんおとなしくしてます。
ライゼー様からの事前情報では、トリウ伯爵という方は64歳。
こちらの世界ではもう「お爺ちゃん」と言って良いお年だが、若い頃には魔導師としても名を馳せた傑物だったらしい。
ただでさえ「魔導師」は珍しいというのに「伯爵家の長子で魔導師」というのはなかなか珍しい存在であり、その意味でも目立っていたとのこと。
その影響か、年の近い宮廷魔導師のルーシャン様(未登場)とも懇意で、領内にもわざわざ「魔導部隊」を設置しているとか。
「それって珍しいものなんです?」
こっそりリルフィ様に問う俺。
「……魔導師はただでさえ人数が少なく……戦闘に向く能力を持つ方は更に少数です……そうした人材を複数、常時雇用するというのは、伯爵家でもなかなかできることではありません……」
ふーむ。
こちらの世界の戦場では、火球とか雷撃とかがばんばん飛び交う光景を想像していたのだが、認識を改める必要がありそうだ……
ここにライゼー様が補足を加えてくださる。
「とはいえ、その魔導部隊も平時は研究職と兼務だ。うちにはリルフィがいてくれるが、子爵家程度だと魔導師が一人もいない家も珍しくない。町にはいても、これを雇用するには別の問題があってな」
「別の問題?」
「魔導師は原則的に魔導師ギルドによって保護されている。仕官する場合の最低賃金やその他の条件が定められていて、例えば自領の人材を脅して安くこき使おうとした場合、ギルドから制裁を受ける。魔導師ギルドは宮廷魔導師ルーシャン様が管轄する国営ギルドであり、これに逆らうのは王威に逆らうのとほぼ同じ意味だ。うちのリルフィは家族だから、給金の制限は受けないが……もしもリルフィが他所の家への仕官を志した場合、これを止める権限は領主たる私にもない」
わぁお。
なるほど、魔導師が貴重だからこそ、「リルフィ様を他家へ嫁に出す」とか、貴族的には悩みどころなわけか。つまり婿取りが前提なのだろうが、「本人が嫌がることはしない」というのが最優先になるっぽい。魔導師すげーな。特権階級やん。
「となると……王都の職人街から魔道具職人を引き抜くのも、やっぱり大変そうですよね……?」
庭師のダラッカさんからも何となく聞いてはいたが、ここはライゼー様の見解も聞きたい。
「相手によるが、難しいだろうな。今言った通り、魔道具職人も含めてほぼすべての魔導師は、魔導師ギルドの庇護下にある。王都の職人街にいる者達は貴族の配下でないから、引き抜きやすいのは事実だが……もっとも重視されるのは“本人の意志”だ。だから、うちみたいな田舎の領地にわざわざ来てくれる物好きがいるかどうか……規定の最低賃金だけでは無理だろう。優秀な者なら普通に独立して工房でも構えたほうがいいし、仕官するならもっと好条件の職場を選べる。伯爵領や侯爵領のほうが、研究の環境も整っているわけだしな」
ダラッカさんとほぼ同じよーな認識……
……これはアレか。いよいよ「異世界のケーキで人材を釣ろう大作戦!」を検討すべきかもしれない……スイーツは戦略物資である!
俺がそんな悪巧みをしている間に、馬車は領都の中を進み、トリウ・ラドラ伯爵邸まで到達した。
事前に連絡をしておいたらしく、やたらスムーズに中へ入れていただく。
さすが伯爵領、馬車の窓から見えた領都の町並みは、レンガ造りの2階建て、3階建てが多く、大通りには商店もいっぱいだったが、邸宅はさらに立派だった。
ライゼー様のお屋敷もそれなりには大きかったが、こちらはなんというか……前世でいったらシェーンブルン宮殿?の半分くらいの規模感がある。や、実物なんか見たことないけど。ぐーぐるさんで写真見た程度だけど。
そんな感じで外観はとても大きな伯爵邸なのだが、内装はシンプルで、決して華美ではなかった。
ただし掃除は行き届いており、なんだか前世の「寺社」を思い出す……とゆーか、ほんとにどことなく寺っぽい。
そもそも外観はレンガ作りの建物なのだが、廊下や室内の床がよく磨かれた飴色の木材製で、壁も白塗りで妙に飾り気がないのだ。
リーデルハイン子爵邸がいかにも「西洋建築!」という感じだったのに対し、こちらは和風かと錯覚する佇まい。窓なんかガラスの内側は障子張りの格子である。しかも各部屋はほとんど引き戸。眼を疑った。
ライゼー様達は履物まで脱ぎ、スリッパに履き替えている。俺は猫だから関係ない。にゃーん。
そしてクラリス様、リルフィ様、召使い兼警護のサーシャさんが同室となったため、俺はこっそりライゼー様達の男部屋へ移動しようとしたら普通に捕まった。あれ?
まぁ、部屋はお隣同士である。
「……リーデルハイン邸とは、建築様式が違うように見えますね?」
クラリス様達がお部屋で旅装を解いている最中、俺はそっとリルフィ様に問いかけてみた。
室内は、さすがに畳や布団ではなく板敷き+ベッドだった。椅子とテーブル、化粧台などもある。
が、いずれもやけに直線的なフォルムであり、飾り金具などの使い方、その意匠も、やはり和風としか思えない。
「内装はシンザキ様式ですね……200年くらい前に流行して、その後も軍閥の貴族を中心に定着したデザインです。室内で履物を脱ぐので、その――水虫の予防に効果があるとか……?」
……軍靴は蒸れるからね。仕方ないね。
そして名称からして明らかに日本人の仕業。ここにも俺の先達の足跡が……! しかし猫ではなさそーだ。
和洋折衷、鹿鳴館……よりはもうちょっと和寄りかな? 西洋建築のベースに和風の内装というのは、なんとも不可思議な印象である。
「暖炉はないけれど、地下で火を焚いて温風を各部屋に送り込む仕組みなの。だから火事になりにくいんだって」
と、クラリス様のご説明。
「地下で……? え? それって煙とか大丈夫なんですか?」
「本当に火を使うわけではありません……熱源となるのは“火竜石”という、魔力に反応して高熱を発する石です……これに魔力を注ぐと、3日ほどは熱を発し続けるのですが……火属性の魔力でないと反応が悪いため、優秀な魔導師が手元にいないと成立しない暖房です……また、風を送る魔道具も必要になるため、維持費がそれなりにかかります……」
伯爵家くらいの貴族様でないと維持できないセントラルヒーティングかー。
……あれ? その仕組みだともしかして……
「それって地下に氷の塊をおけば、夏場の冷房も?」
「一応は可能です……が、排水設備が必要になりますし、このあたりでは、冷房が必要なほど暑くなる日はめったにないので……使う機会がないとまでは言いませんが、夜などは逆に冷えすぎてしまうので、あまり現実的ではないと思います……南方国家の貴族などは、そういった方法を活用しているようですね……」
リルフィ様はやっぱり物知りである。しかもかわいい。お胸もすごい。神か? 神だな。邪念に満ちたどこぞのキジトラなんぞより、よっぽど神様に近い存在だ。
その女神様は、サーシャさんが荷物から取り出したドレスに何故か困惑顔。
「さあ、リルフィ様もお召し替えを」
「あの……私もドレスを着ないといけませんか……? 魔導師の正装のローブなら……持ってきていますが……」
「ライゼー様の姪というお立場で夕食の席に出られるのですから、こちらのドレスでお願いいたします。着付けは私がいたしますので、ご心配なく」
「で、でも、私、魔導師なので……」
「魔導師としてのご自覚にあわせて、貴族としてのご自覚もぜひお持ちください。はい、ばんざーい」
「え、えええっ!?」
……悲報。女神リルフィ様、お洋服を一人で着られない。
いやまぁ、「貴族のドレスならしゃーない」と擁護したいのは山々なのだが、世の中には「一人で着脱が可能な、軽くて動きやすい簡易ドレス」と「侍女に着せてもらう前提の、凝った本格的なドレス」の二通りがあり、大掛かりな儀礼式典などでは後者を着るものの、飲食や会話を前提とした場では前者が基本となる。
そして今回、リルフィ様に用意されたのは前者の「簡易なドレス」であり、着慣れないお洋服ではあるものの、まぁなんちゅーかゲフンゲフン。
お二方の髪のセットもしないとだし、これは時間かかりそーだなー……