277・メテオラ温泉で裸のお付き合い
さっそくベルガリウスさんを連れて、宅配魔法でメテオラへ!
⋯⋯という、いかにも猫さんらしい突発的なムーブをかましたが、こういうのは勢いが大事である。
「こちらがメテオラです! 雪も溶けて行楽日和、もうすっかり春ですねぇ」
「春ですねぇ」
「春ですわっ!」
腰に手(※前足)を添えて遥かなる蒼天を見上げ、猫が目を細めれば、左右でソレッタちゃんとセルニア様も同じポーズで空を見上げた。かわいい。こういうの、ミラーリング効果っていうんでしたっけ?
テオ君は道端のたんぽぽを威嚇している。(挨拶)
⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯「一人増えたな?」とお気づきの貴方は注意力が鋭い。
さっき「メテオラの様子を見に行きましょう!」とベルガリウスさんに提案したところ、ソレッタちゃんがこんなことを言い出した。
「この間のルークさまの生誕祭で、約束したので⋯⋯セルニアさまもおさそいしたいです!」
聞けば先日の因習村・猫祭で、年の近い幼女勢はそれぞれ仲良くなり、「次は昼間に来て村を案内する!」とか「露天風呂にも入りたい!」とか、なんかそんな感じの約束をしたらしい。
というわけで移動前にセルニア様をお誘いし、お昼寝するふりをしてお屋敷を脱出、ベッドには代役の猫さんをおいてきた。誰かが起こしに来たら入れ替わる準備はできている。現時点で熟睡しているのは御愛嬌である。俺の代わりに寝ておいてくれて助かる。(やさぐれた目)
で、セルニア様と入れ替わりに、ナナセさんは王都へ残り、本店のサポート業務に戻った。「まだ勤務時間ですので⋯⋯」とのことである。
社長的には、貴重なツッコミ役が傍にいてくれないのは少し不安なのだが⋯⋯しかし開店直後の王都本店もやべぇ忙しさになっているので、交代要員がいないと休憩時間すらとれぬ有り様。ここは仕方あるまい。
そんなわけで、新参のベルガリウスさんとセルニア様を、俺とアイシャさん、ソレッタちゃんの三人で案内する流れとなった。
⋯⋯なお、そのベルガリウスさんはさっきから白目を剥いている。(比喩的表現)
「あ、あの、アイシャ様⋯⋯これ、ペルーラ公爵家のご令嬢を、誘拐した感じなのでは⋯⋯?」
「⋯⋯ルーク様は、子供相手にはひたすら甘いので⋯⋯特に子供時代の楽しい思い出作りとか、最優先にしちゃうので⋯⋯すみません」
アイシャさんがベルガリウスさんにそっと渡しているポーション的な小瓶は⋯⋯あ、胃薬か。俺もコピーキャット用に一回だけ飲んだことがあるが、割と効くらしい。わざわざ用意してきたということは、「たぶん必要になるな⋯⋯」と予見していたのだろう。かしこい。
ソレッタちゃんはセルニア様と手を繋いだ。セルニア様は公爵家の令嬢であるが、ソレッタちゃんも猫神信仰の巫女さんである。不敬にはあたるまい。なんならソレッタちゃんのほうには神聖みすらある⋯⋯信仰対象の神様(俺)より神聖みある⋯⋯
セルニア様もメテオラ見学には興味があるとのことなので、ウィンドキャットさんにまたがり、みんなで一巡することになった。
幼女様二人と俺で一匹に乗り、アイシャさんとベルガリウスさんにもそれぞれ一匹ずつあてがう。
計三匹で、低空を滑るようにのんびり飛んでいく。目線の高さは自転車ぐらい、速度もそんな感じ。
日差しはうららかでぽかぽか。風はそよ風。空にはまばらに白い雲が見え、まるで田園風景を描いた一枚の絵画のよう⋯⋯
我々が前を通ると、道祖神代わりの猫地蔵様がぺこりと一礼して見送ってくれた。
「⋯⋯あ、あのっ! 今っ⋯⋯!?」
「え? なんかありました?」
特に珍しいものはなかったと思うが⋯⋯? 都会から田舎に来ると、なんでもないものが新鮮に見えるというアレであろう。
困惑するベルガリウスさんをよそに、まずは冒険者ギルド・メテオラ支部の予定地へ!
こぢんまりした一軒家である。受付窓口は二つあるが、たぶん常時稼働するのは片方だろうな⋯⋯あとは磁石つきの掲示板や、待機用の椅子やテーブルもある。
酒場併設タイプではなく、二階は職員居住用のスペースになっている。
すぐ隣にちゃんとした宿屋もあるので、飲食はそっちでやってもらう前提だ。
「おお⋯⋯えっ、支部用に新築してくださったんですか!? これ、元からあった家の流用じゃなくて、設計段階からの新築ですよね?」
「設計はブルトさんがやってくれました! 冒険者ギルドの仕様とか、必要な設備などに詳しいとのことでしたので⋯⋯裏側には備蓄用の倉庫や書類の保管庫が、地下には貴重品を保管するためのスペースもあります。ベルガリウスさんが住む感じでしたら、ご要望に応じて改築も可能ですので、お気軽に提案していただけると!」
「い、いや、支部用の物件は確保済みと報告書には書いてありましたけど、ここまでのものができているとは想定していなくて⋯⋯突貫工事で体裁を整えるつもりだったんですが、仕事が一つ減りました。ありがたいです」
「良かったです! 迷宮の直上には石造りの小さな砦もありまして、そちらにも窓口と、数人が泊まれる程度の設備があります。冬には雪も降るので、琥珀を使用した温水式床暖房のシステムも導入していまして⋯⋯あちらには井戸がないので、たまにこっちから水を運んで補給しないといけませんが、なかなか快適なはずと自負しております!」
「ああ、そっちのほうは報告書にも詳しい見取り図が載っていました。いやぁ、新規発見の迷宮に、そんな管理に都合がいい砦がついているとは驚きで⋯⋯かなりの年代物だそうですが、そっちも改修の必要はない感じですかね?」
⋯⋯あっ。
うむ。捏造した情報のせいで少し認識に齟齬が発生している。
放置しても良いのだが⋯⋯今後、口裏をあわせる必要もあるし、なによりどんなタイミングで「妙だな⋯⋯?」と気づかれるかわからぬ。今のうちに情報開示してしまおう。
「えー⋯⋯国への報告書には、公には『私』の存在を隠すために、実はいくつか虚偽情報を混ぜていまして⋯⋯まず、このメテオラは去年の夏まで、ただの森深い山地でした」
「⋯⋯⋯⋯ん? いや⋯⋯どういうことです?」
困惑しきりのベルガリウスさんに、猫は手短に事情を説明する。
去年、こちらで迷宮を発見したこと。瘴気対策のため継続的に攻略する必要があり、そのための拠点作りを始めたこと。落星熊さん達を(リンゴで)味方にしたこと。有翼人さん達に移住してもらったこと⋯⋯
「つまりですね。実は移住時の条件にも『冒険者達の迷宮攻略支援』が含まれていまして⋯⋯ただ、そんな事実を広めても冒険者や貴族がつけあがるだけ、という哀しい現実もありまして、いろいろ伏せているのです。有翼人さん達が我々に友好的なのはそういう事情なのですが、それを逆手にとって横暴かます系の人材に来られてしまうと厄介なので⋯⋯今回の支部長人事は、我々にとっても重要でした」
ベルガリウスさんは頷きながらも何度か唸った。
「⋯⋯あー。はい。いろいろ、その⋯⋯理解できたというか、腑に落ちたといいますか⋯⋯このこと、うちの上司も知ってたりしますか?」
「いえ。そちらのギルド長さん達は知らないはずです。ただリオレット陛下から、『現地の人々とうまくやっていけそうな、人格面で問題のない人材』を必ず選定するようにと指示が出ていたっぽいですね。そこで選ばれたのがベルガリウスさんという流れです!」
「恐縮です。確かに自分の場合、『現地住民との融和』が大前提でしたから⋯⋯その意味では、迷宮や琥珀に目がくらんだ他の候補者とは方向性が違いましたね」
うむ。ありがたい⋯⋯
ギルド支部はOKをもらえたので、冒険者用の簡易宿泊所(無料)と宿屋(有料)も見てもらった。
無料のほうでも寝具は有料レンタルだが、持ち込みの寝袋とか使えばガチ無料になる。
「無料はありがたいですが⋯⋯居座る奴が出てきそうですな」
「そのあたりも冒険者ギルド側で管理して欲しいのです。つまり『メテオラでの滞在期間』を事前に設定しておいて、その期間内のみ、この施設を使えるようにするとか⋯⋯なにせ山間部ですから、集落の外での野宿には無理があります。麓の町にもギルドの窓口をおいて、そっちで入山管理をしつつ、期間を絞った宿泊所の使用許可を出してもらえればと」
「なるほど⋯⋯あ、もしかして麓の町にももう支部の予定地が?」
「借家は確保して改装済みです。運用上は、どちらかを支部にしてどちらかを出張所にする感じですかね?」
「ふむ⋯⋯正式な支部はメテオラにおきましょう。俺もこっちに滞在したほうがいいはずです。麓には、いざとなればライゼー子爵や衛兵達もいますからね」
このあたりはベルガリウスさんの裁量に任せて良い。呼び方の問題だけである。
基本的には「迷宮を攻略したい冒険者」だけをメテオラに移し、彼らが休暇をとりたい時には麓の町へ下ろす、みたいな運用になるだろう。
できれば町側でも冒険者向けの依頼を用意したい。農作業とか工場での軽作業とか、あるいは輸送隊の護衛とか⋯⋯
「ところでベルガリウスさんは、ライゼー様とはもう面識が?」
「いえ、お姿を拝見したことはありますが、話したことはないです。王都ではギブルスネーク退治の英雄として有名ですし、御子息のクロード様も去年、ギブルスネークを弓で仕留めるなんていう神業を見せつけましたんで⋯⋯あっ!? もしかしてあれも、ルーク様が何か⋯⋯?」
猫は真顔で首を横に振る。
「いえ、全然。ライゼー様の時は、まだリーデルハイン家に飼われてすらいなかったですし、クロード様の時も私はびっくりして鳴いてただけで⋯⋯ガチで何もしてないですね。あのお二人はちょっとおかしいので⋯⋯特にクロード様の弓の腕は、明らかに人外の領域に踏み込んでいるので⋯⋯」
猫の言葉に、アイシャさんもしんみりと頷いておられる。クロード様本人は「でも威力がない」などと言っているが、あの命中精度はヤバすぎる。心を持たぬ機械の身体なみである。
ベルガリウスさんも「あっ⋯⋯」と察したようで、苦笑いで流してくれた。
去年は新聞沙汰になりましたからね、クロード様⋯⋯
「武門の誉れってやつですか。リーデルハイン家は軍閥でもかなりの実戦派って言われてますからねぇ」
そうらしいっすね⋯⋯ライゼー様は確かにお強いが、人柄は温厚だし別に喧嘩っぱやいわけでもない。御本人もこの手の評価には「えぇ⋯⋯?」と戸惑っている感がある。
「リーデルハイン子爵家の武名って、王都でもそんなに有名なんですか? あ、ギブルスネーク退治の影響なのはもちろん理解してますが⋯⋯」
「ええ。軍閥の内部では以前から評価が高かったんですが、それに加えて、なにせ去年はいろいろありましたんで⋯⋯他の派閥からも名前があがるようになってきましたね。正妃やロレンス様の助命にも一役買ったってことで貴族社会で目立ちましたし、そこに加えて迷宮発見の報告まで来たんで、いまや一気に時の人です」
やはりか⋯⋯折しも「春の祝祭」の時期であり、今年もライゼー様は王都へ向かわれる。
去年の秋はまだ「ダンジョン発見!」の報が、ごく一部にしか伝わっていなかったが⋯⋯公式発表こそまだなものの、今はもうある程度まで「噂」レベルで知られている。
前世由来のちょっといい胃薬とか、差し入れしておくべきかもしれぬ⋯⋯
ともあれ設備の確認は順調に終わり、今日の目的は達した。
「施設関係はこんなところですね。ダンジョン直上の砦と、リーデルハイン領側の支部予定地は見なくても大丈夫だと思います。前者は報告書通り、後者もブルトさんのチェックを通ってますし、機能面もこちらと大差ありません」
「ああ、はい、大丈夫です。だいたいわかりました⋯⋯というか、自分の仕事の九割方が、すでに終わっていたことを察しました⋯⋯」
ベルガリウスさん、脱力気味である。
聞けば「ギルド支部の設立」にあたっては、現地住民への説明、交渉、物件の確保、改築のための人手、資材の調達、その他諸々の手順があり⋯⋯さらに今回は山奥の僻地ということで、冒険者達の宿泊施設についても再整備する必要があると考えていたらしい。
それら諸々が完全に「はい、どうぞ♪」と上げ膳据え膳の如くに差し出されたわけで⋯⋯まぁ、そういうことである。ケーナインズが冒険者目線からしっかり助言してくれたおかげで、たいへん良い環境を構築できた。
「いや、実は『三日後に王都を出発する』というのも、現地での話し合いや設計、追加工事なんかを見越したスケジュールだったもので⋯⋯ここまで完成しているなら、早々に来ても手持ち無沙汰になりますし、予定を少しずらして、王都側でしばらく別の仕事をしてきてもいいですかね?」
ふむ? もちろん別に急ぐ理由はないので、ベルガリウスさんの予定を優先してもらって問題ないが⋯⋯
「別のお仕事というと、何か副業をされているんですか?」
ベルガリウスさんが慌てて首を横に振った。
「いえ、まさか。ギルド職員としての仕事ですよ。具体的には、まぁ⋯⋯『警告』のばらまきですかね」
「警告?」
「ええ。つまり、メテオラと新規ダンジョンに変な期待をしている貴族の方々に、味方ヅラしつつ忠告をして回ろうかと思います。説明内容についてはアイシャ様とも相談させていただきますが⋯⋯『国王陛下と現地のライゼー子爵が密に協力し監視しているから、何かやらかしたらすぐにバレる』と脅しておく感じですかね」
これを聞いたアイシャさんが、にっこにこで追加をぶっこんだ。
「それはいいですね! あと、『トマティ商会のバックには魔族のオズワルド様もついている可能性が高いから、何かやらかしたら問答無用で潰される』っていうのも効果的だと思います。これは現時点でお師匠様もうっすら広めてまして⋯⋯もちろんオズワルド様からの承認済みです」
この子も横暴・謀略系のお貴族様にはこっそりしっかり噛みつく系の人材だからな⋯⋯
これについては、俺も「まぁ、匂わせる程度なら⋯⋯効果的か」と了承した案である。確定情報となると裏組織感が増してしまうので困るが、オズワルド氏がトマト様を激賞し苗を入手したという公式記録も存在しているし、関係性そのものは決して不自然ではない。むしろ自然な流れである。
現時点でこれを「事実」と確信している人は多くないはずだが、セルニア様のパパ君、ピルクード・ペルーラ公爵のように「国の富を魔族に吸い取られる!」と勘違いしていた例もある。心筋梗塞を起こすほどの心労だったようなので、割と申し訳ねえ⋯⋯
ベルガリウスさんもややヒキ気味だが、「魔族の圧は効果的でしょうねぇ⋯⋯」などと納得していた。
当面の用事が終わったところで、きゃっきゃと世間話をしていたソレッタちゃんとセルニア様が左右から俺を抱え上げた。
「ルークさま。そろそろセルニアさまといっしょに、お風呂に入ってきます!」
「山奥の秘湯、たいへん興味深いですわ!」
昼風呂とは風流である!
ソレッタちゃんも現在はご両親と一緒に麓の本社・社宅で生活しているため、メテオラ側の巨大露天風呂にはなかなか入れる機会がない。
本社のお風呂もかなり広いが、さすがにメテオラ温泉ほどではないし、こちらの開放感はまた格別である。
澄み渡った青空や真っ赤な夕焼け、あるいは満天の星々を見上げてつかる温泉は至上のものなのだ⋯⋯特に一般のご家庭にお風呂が普及していないこの世界では、もはやこの温泉があるだけで移住したくなるレベル。
「お風呂かぁ。ゆっくり温まってきてくださいね!」
俺が笑顔で手を振ると、セルニア様がわずかに首をかしげた。
「あら? ルーク様はご一緒ではありませんの?」
「私はオスなので、入るとしても男湯ですねぇ」
紳士ですからね!
ここでベルガリウスさんがわずかに動揺した。
「⋯⋯⋯⋯えっ。ルーク様、猫ですよね? 猫って、水浴びとか風呂とか嫌いなんじゃ⋯⋯?」
「そういう子が大半なのは事実ですが、一応、個体差もありますし、私はお風呂大好き派です! 特にここのお風呂は設計段階から関わった自信作ですので⋯⋯あ、この機会にぜひ、ベルガリウスさんもいかがです? お背中流しますよ!」
ベルガリウスさんが顔を覆ってしまった。おっさんが猫さんに背中を流される謎の絵面を想像してツボに入ったものと思われる。
「いっ、いえ、さすがに恐れ多⋯⋯じゃなくて、一応、勤務時間内なんで⋯⋯」
アイシャさんが彼の肩をぽんぽんと優しく叩く。
「大事な視察です。冒険者にも時間帯を設定した上で開放予定らしいですから、この機会に体験しておくべきですよ。あと⋯⋯いろいろ斬新というか、設計や心遣いにルーク様の性格や嗜好がにじんでいますので、絶対に把握しておくべきです」
さすがにそこまでのもんではないと思うが⋯⋯前世のスーパー銭湯や保養所、湯治場などを参考に、可能な範囲でほんのちょっぴり魔改造はした。
たとえば座卓と座椅子でくつろげて、飲食もできる大広間。さすがに畳敷きではないが、藁を使った円座やクッション、籐っぽい植物でつくった寝椅子などもあり、快適性はなかなかのものだ。
特に寝椅子は構造が複雑なのだが、ケーナインズのバーニィ君が何故か作り方を知っており、有翼人の皆様に伝授してくれた。冬場の良い手仕事になったようである。
この広間は宴会場としても使えるし、将棋やチェスといったボードゲームの貸出もやっている。特産品のメイプルシロップを使ったメイプルミルクは湯上がりのお子様達にも大好評だ。
さらにド定番の卓球コーナーはもちろんとして、木工のパチンコゲームコーナーもある。射幸心を煽る系統ではなく、玉を一つずつ弾いて打ち出し、その力加減で狙った穴に落とすというミニゲーム。
電子音も光も出ない素朴なゲームなのだが、ついついやってしまう⋯⋯今はまだ景品なども決めていないが、いずれ冒険者が来るようになったら、特産品とかドリンク等をつけても良い。
ちょっとした娯楽とリラクゼーション。
ゆったりとした空気感、日常の中に溶け込むささやかな幸せ――そんなコンセプトの元にメテオラ温泉は開業した。
そんなわけで、ソレッタちゃんとセルニア様の警護⋯⋯というか見守りをアイシャさんに任せ、俺もベルガリウスさんを伴い男湯へ向かう。
有翼人さん達がくつろぐ大広間や子供がたむろするゲームコーナーを見て、ベルガリウスさんは目を丸くしていた。
「⋯⋯もしかして、託児所も兼ねてます?」
「機能としては想定しています。現状、独立した託児所が必要なほどには、子供の数がいませんので⋯⋯学校もあるんですが、そもそも多くの有翼人さんがちゃんとした教育を受けていなかったので、『まずは大人』がいろいろ学んで、彼らが教師役をできるようになってから、子供へシフトしていく流れを作りました」
旧レッドワンドで圧政に苦しんでいた有翼人の皆様は、手先こそ器用なのだが読み書き計算がかなり怪しかった⋯⋯シャムラーグさんのように間諜としての修練を積まされた人は必要十分だったのだが、多数派ではない。
ベルガリウスさんは脱衣所で服を脱ぐ。俺も毛皮を⋯⋯というわけにはいかぬ全裸野郎なので、適当に待つ。
この人、確か片足が義足なんだよな⋯⋯金属棒に木製の足型をつけ、普段はそこに靴を履いているため、ぱっと見ではわからない。
お風呂に入る時は木製の足型部分を外すようで、金属棒が剥き出しになった。
⋯⋯この世界、割とファンタジーなのにポーションがない。もちろんエリクサーなどもない。魔力を回復させる魔法水はあるが、怪我に使えるのは消毒用の「傷薬」とか、あと傷を洗うための清潔な「浄水」ぐらいで、「かけたら傷が元通り♪」みたいな便利薬品はないのだ。
回復魔法は存在するし、本人の体内魔力の影響もあって、前世人類より怪我の治りは早いのだが⋯⋯『冒険者がポーションを持ち歩く』みたいな慣例はなく、重傷時には治癒士が現場にいるかいないかで生存率が大きく変わる。そして治癒士は貴重な人材なので、危険な前線になんかそうそういない⋯⋯リーデルハイン領にキルシュ先生が来た時は町でも大歓迎だった。
シノ・ビの対外交渉役、アズサさんも隻腕である。四肢を一つでも失うと、職業の選択肢がぐっと減るので⋯⋯ベルガリウスさんも、冒険者を辞めてギルド職員になった時には葛藤があったに違いない。メテオラではぜひ充実した日々を送って欲しいものである。
「ベルガリウスさんは、露天風呂は初めてです?」
「そっすね。王都の公衆浴場には、何度か行ったこともありますが⋯⋯人が多いんで、あまり⋯⋯」
「そうですか。私も王都の浴場は行ったことないんですよねぇ」
「⋯⋯まぁ、そうでしょうね?」
行ったら行ったで大騒ぎになる、とでも言いたげである。現地のおじいちゃんあたりと楽しく世間話する程度の会話スキルはあるつもりだが⋯⋯人間仕様の湯船はちょっと水深が深すぎるので俺向きではない。その点、メテオラ温泉には猫専用スペースがあるのでゆっくりとくつろげる。
ストレージキャットさんに手ぬぐいを取り出してもらい、腰に巻いて脱衣所から出ると――
そこに広がったプールサイズの大露天風呂に、ベルガリウスさんは驚いてあんぐりと口を開けてしまった。
前世の高級旅館にしかないような、実に立派な岩風呂⋯⋯一度に百人ぐらい入れそう⋯⋯(※お湯は溢れます)
「でっか!? こんな山奥に、こんな規模の温泉をわざわざ造ったんですか!?」
「自信作です!」
メテオラ露天風呂は現在、三つのスペースに分かれている。
大浴場、小浴場、予約制の家族風呂だ。大浴場はプールサイズ、小浴場でも泳げる程度の広さはあり、家族風呂は四~五人用。
給湯器は大浴場にあるものがメインであり、基本的にはそこから各風呂を水路でつないでいるが⋯⋯冬の間に補助熱源として、各風呂にも小さな給湯器を備えつけた。夏場は使わないが、雪が降った時などにはこれが活躍した。
そして大浴場と小浴場は現在、一日ごとに男湯と女湯を切り替えて運用している。
今日は大浴場が男湯の日であり、セルニア様にこの雄大な光景を見せられぬのは少し残念だが⋯⋯これは次に来る機会を作る口実にもなろう。あと小浴場は小浴場で落ち着いた風情がある。
家族風呂は有料の予約制で、家族でのんびり入りたい人、あるいは貴人来訪時などの貸切を想定している。
いずれはライゼー様やウェルテル様をご招待し、ゆったりくつろいでいただきたいというペット心の産物だ。あとは陛下とアーデリア様とか、扱いに困るラン様とか、そういった方々にもいつか気軽に遊びにきてほしい。
ベルガリウスさんと二人、洗い場で軽く体を洗い、俺も抜け毛をしっかり流してから湯船につかる。
端の方に底が浅い猫用スペースがあり、ここの水深は猫が座った状態で肩までつかれるぐらい。寝転がって使える、もっと浅い箇所もある。決して広くはないが、猫用にカスタマイズされているのでたいへん使い勝手が良い。
⋯⋯まあ、仮に足がつかない深さの部分に入っても、俺はけっこう浮かぶので普通に泳げてしまうのだが⋯⋯脂肪は浮く? 知らない豆知識っすね⋯⋯
ともあれ、丁寧に畳んだ手ぬぐいを猫耳の間に載せ、ちょうどいい高さの岩に背を預け、俺はだらんと四肢を伸ばした。
「ふぃー⋯⋯ごくらくごくらく⋯⋯まだ日の高い時間帯ですが、それでも一日の疲れが溶けていきますねぇ⋯⋯」
目を細める猫の隣で、肩あたりまでしっかり湯に浸かったベルガリウスさんも脱力し呆けていた。
「あーーーー⋯⋯いい湯ですねぇ⋯⋯いやほんとにすっげぇなコレ⋯⋯なんか特別な成分とか入ってます⋯⋯?」
「ただの湧き水を琥珀で温めているだけなので、成分については普通の地下水かと思われます。もちろん飲用も可能です。ただ⋯⋯山奥なので、平地よりも魔力が濃いみたいですね」
「ああ、それで⋯⋯いや、こいつは湯治に最適ですよ。迷宮の攻略目的だけでなく、負傷した冒険者が療養目的で来たくなる環境です⋯⋯噂が広まったら貴族も来たがるでしょうし⋯⋯観光事業とか、立ち上げのご予定は?」
この点は意外と悩みどころ。メテオラの収入に直結するのは良いのだが、この静かで快適な環境が壊されては本末転倒である。
「うーーん⋯⋯今の時点で積極的に推進する気はないです。この静かな環境こそが何よりの宝でもあります。必要以上に人を集めると、ここはきっと住みにくくなってしまうので」
前世でもオーバーツーリズムは現地住民との間に様々な軋轢を生んでいた。
こちらの世界は言語の壁がないし、他国からの客もほとんどいないので、そうそう極端なことにはならないはずだが⋯⋯そもそも「交通の便」が悪すぎて、のんびりと旅なんかできるのはごくごく一部の人間だけなのだが、メテオラのキャパシティ自体が決して大きくない。
これから数十年単位で人口が増えていくようなら、麓へ移住する必要も出てくる。
ベルガリウスさんも、俺の歯切れの悪い反応から察してくれた。
「⋯⋯なるほど、金儲けは二の次、ってことですね。確かに、それがいいでしょうな。これだけの環境、下手をすると、元の住民を追い出して乗っ取ろうとする奴らが出てきてもおかしくありません。無関係な人間の出入りは制限して、冒険者もあくまで、ダンジョンの攻略目的の連中を優先する⋯⋯そうすることで、ここに住んでいる有翼人達の生活も守りたいと⋯⋯俺はそのお手伝いをすればいいってことですか?」
俺は満面の笑みで頷く。
「話が早くて助かります! もしも将来、人の奔流が来るとしたら、それは麓のリーデルハイン領側で受けとめたいのです。あっちには未開拓の土地も余っていますし、労働力も不足気味です。町の開発に関しても、我がトマティ商会が積極的に関わりますので⋯⋯新支部長にも、ぜひご留意いただけると!」
「承りました。この件で俺がお役に立てるタイミングは、王都への報告書関連ぐらいかもしれませんが⋯⋯情報共有はできますし、冒険者達への対応はこちらでしっかりやらせていただきますんで、今後ともどうぞよしなに――あ、お背中流しましょうか」
「恐縮です!」
これはアレである。媚びとかへつらいの類ではなく、むしろ「猫の背中とかちょっと洗ってみたい」という、猫好きならではの欲望の発露だろう。なので俺も素直に受け入れ、洗い場で椅子に座ってちょこんと背を向けた。
そして石鹸の泡でわしゃわしゃと優しく背中を洗われていると、背後のベルガリウスさんがひっそり呟く。
「⋯⋯うーん。猫好きのダチに、この貴重な経験を自慢できないのが残念っすねぇ⋯⋯」
さすがに自慢するほどではないのでは⋯⋯?
範囲が狭いのですぐに洗い終わってしまい、次は俺がベルガリウスさんのお背中を流す番。
本人は「いやいや! 体格差あって大変でしょうから!」などと恐縮していたが、ここは裸の付き合いである。
「にゃーんにゃーにゃーにゃー♪ にゃにゃにゃ♪ にゃーんにゃーにゃーにゃー♪ にゃにゃにゃ♪ こーこーはーメテーオラー♪ トマトさまーの湯♪」
昭和の某有名お風呂ソングを鼻歌で歌いながら、せっせとベルガリウスさんの背中を洗う。
肉球が届かないところはウィンドキャットさんに任せた。ストーンキャットさんだと、ちょっと、その⋯⋯力加減がやべぇかな、って⋯⋯
この光景を見守る他の有翼人さん達も、なにやらやけにほっこりしている。これで「冒険者ギルドの支部長(内定)は猫の新しい味方!」と周知できたかもしれず、その意味でも収穫はあった。
そして俺の鼻歌は女湯側にも響いていたようで、セルニア様とソレッタちゃんも真似をして「にゃーんにゃーにゃーにゃー♪」と、楽しげに歌い出してしまった。ほほえま。
風呂上がりにはみんなで水分補給のメイプルミルク(瓶入りタイプ)をキめ、これにてベルガリウスさんのメテオラ視察業務は終了!
⋯⋯なお、王都へ戻ったベルガリウスさんは「仕事サボって浴場行ってやがったなオメー?」(意訳)と、上司から詰められたそうである。残当。
行数計算をね⋯⋯ちょっと間違えまして⋯⋯いつもより長めに⋯⋯(割とよくある)




