275・新支部長は慎重派
冒険者ギルドの職員、ベルガリウス・オプトは、かつて冒険者をやっていた。
二十代の半ば頃までは古楽の迷宮にもよく潜っていたが、遭難した冒険者の救出作戦中に足を負傷して引退し、ギルド職員として雇用された。
回復魔法のおかげで止血は間に合ったものの⋯⋯潰れた部分の再生まではかなわず、彼の右足は足首から先が義足となっている。今はもう歩く分には支障なく、短時間であれば走ることすら可能だが、当時はだいぶ落ち込んだ。
だからこそ、拾ってくれた冒険者ギルドには感謝している。
ガラの悪さとのらりくらりとした性格を生かして、嫌な相手、問題の多い相手への対外折衝役も買って出た。
いざという時の切り捨てられ役も兼ねるつもりだったが、そんな覚悟の決まり方が逆に重宝されてしまい⋯⋯嫌な相手にも率先して対応してきたせいか、後輩達からも懐かれている。
「先輩は目つきが優しすぎて迫力ないんで、普段は目隠し代わりにこれ使うといいですよ」
と、サングラスをプレゼントされた時にはどうしたものかと戸惑ったが、今ではすっかりトレードマークになってしまった。目線を隠せるのは意外と便利で、交渉時にも顔色を読まれにくい。実はまともな相手とそうでない相手とで濃淡を使い分けているのだが、あまりバレていない気がする。
なんだかんだで、ギルドの職員としても十年目⋯⋯冒険者として暮らした日々と、ほぼ同じ程度の歳月が過ぎた。
今回の『僻地への支部設立』という任務は自身の希望でもあるが、同時に上司からの勧めでもあった。
「新規の支部、それもダンジョンの最寄りとなると、冒険者達に顔が利いて押さえも利く奴がいい。張り切って暴走するほど若くもないし、肉体労働が億劫なほどの年寄りでもない。現地住民がどういう性格でも、お前なら硬軟切り替えて臨機応変に立ち回れるだろうし⋯⋯前向きに検討してくれんか」
⋯⋯立候補者は他にもいたが、彼らはベルガリウスの目から見ても少々問題があった。
たとえば、先ほど対応させられた某伯爵家の縁戚に連なる男爵とか。
あるいは変に上昇志向が高く、ダンジョンから産出される琥珀の利権化⋯⋯どころか、いずれは詐取や違法取引にさえ手を出しそうなお調子者とか。
さもなくば、まだ経験と実務能力が足りず、僻地で少人数の運営をさせるには不安のある新米とか⋯⋯この候補はある商会の親族で、むしろトマティ商会の内情調査を目的にしていた節もある。いずれにしても新支部長としては問題があった。
冒険者ギルドは、そもそも利益を追求する団体ではない。役割はあくまで『迷宮に挑む冒険者のサポート』や『冒険者と依頼を結びつける仲介業者』であり⋯⋯これを『利権化』させると、たちまち制度が歪んでおかしなことになる。
冒険者ギルドは「金にならない組織」でいい⋯⋯これがベルガリウスの持論なのだが、現実として組織を守るには政治的な発言力も必要で、その発言力を担保するにはやはり金が要る。痛し痒しである。
⋯⋯あと職員の給料にも、もうちょっとだけ色をつけて欲しい。商人ギルドや魔導師ギルドと比べてさすがに差がありすぎる。
話が逸れた。
そもそも冒険者ギルドは建前上、「国王直下」の組織で⋯⋯魔導師でもある今の国王が、魔導師ギルドをさしおいて冒険者ギルドによる琥珀の利権化などを認めるはずがない。それでも暴走するバカは、要するに温厚な国王リオレットを舐めているのだろう。怖い物知らずの万能感は、外から見ると本当に怖い。
(ああいう優しそうな権力者が一番やべぇんだって⋯⋯いや、普段はやばくねぇけど、あの王様は怒らせちゃいかんタイプだろ、絶対⋯⋯)
リオレットという人当たりの良い国王陛下は、一見すると理性的で、権力に対しても自制的だが⋯⋯なにやら得体のしれない怖さがある。
これはあまり大っぴらにはできない裏からの情報だが、昨年の春、正妃ラライナの依頼を受けた『正弦教団』が、当時の第二王子リオレットに幾度か暗殺者を差し向けたらしい。彼が即位していることからもわかる通り、結果はもちろん失敗である。
明らかに厄ネタなので、情報提供者には申し訳なかったが、ベルガリウスは聞かなかったフリをして流した。こういう情報は活用するためのものではない。把握だけしておいて、地雷を踏まぬよう立ち回るためのものである。下手に口を滑らせると「どうして知っている⋯⋯?」と突っ込まれる羽目になるので、割と本気で知りたくなかった。
その後に起きた『猫の精霊』騒ぎもいろいろ不可解だったし⋯⋯国王リオレットや宮廷魔導師ルーシャンの周辺には、去年から何かヤバそうな気配が漂っている。
そしてたった今、ギルドに訪れた来客も、まさにその関係者の一人だった。
「ご多忙の中、急に押しかけてしまい申し訳ありません。王立魔導研究所、主任研究員のアイシャ・アクエリアと申します。そして、こちらはトマティ商会の⋯⋯」
「はい。社員のナナセ・シンザキと申します。よろしくお願いいたします」
会議室の大きな机を挟んで向かいに座っているのは、にこにこと愛想の良い二人の見目麗しい若い娘⋯⋯
そこらのおっさんであればたちまち骨抜きにされそうだが、しかし残念ながら、ベルガリウスはアイシャ・アクエリアの本性を噂で聞いている。
魔導閥の最終兵器。お行儀のいい狂犬。王威にすら噛みつく(※よくある宮廷デマ)稀代の天才魔導師にして、水精霊の祝福を受ける次期宮廷魔導師⋯⋯下手を打つと骨抜きどころか複雑骨折、開放骨折に追い込まれかねない。将来的には伯爵位を得る予定の大物である。ふつうにこわい。
⋯⋯が、別に性格が理不尽なわけではないらしいので、その意味では安心して付き合える相手ではある。
少なくとも、先ほどの良からぬことを企むご隠居よりは丁寧に対応したい。アレは下手に味方につけると、巻き込まれて逆に危険なので⋯⋯遠ざける目的もあって、わざとぞんざいに対応した。
「お初にお目にかかります、アイシャ様、ナナセ様。えー⋯⋯勘違いでしたらすみません。もしかして、シンザキ商会のご親族⋯⋯ですかね?」
ナナセがにっこりと頷いた。怖。
「はい。ですが、トマティ商会と私の実家に資本関係などはありませんので、誤解なきように⋯⋯私はあくまでただの新入社員です」
ぜったいうそだ。
いや、資本関係は本当にないのかもしれないが、「ただの新入社員」は明らかに嘘である。本人の佇まいが明らかに「幹部」のそれで、年こそ若いが、アイシャと並んでいても怖さに遜色がない。
「今回、冒険者ギルドから派遣される職員の方々が、当商会の隊商との同道を希望されているとうかがいまして⋯⋯事前の打ち合わせのためにお邪魔しました。お時間をいただき、たいへん恐縮です」
声は涼やかで、若いのに落ち着いている。しかも美人である。これなら競争率の高い魔導師ギルドや商人ギルドの受付にも余裕で採用されるだろう。
冒険者ギルドには、そもそもこんな優秀そうな人材は来ない。来たら来たで、冒険者なんぞを相手に窓口業務などさせるわけにはいかない。あっという間にそこだけ行列ができて業務に支障をきたす。冒険者ギルドの窓口が割といかつめのおっさんばかりなのは、ちゃんと理由があるのだ。
他国には「冒険者ギルドの美人受付嬢」などという概念が存在するらしいと、都市伝説レベルのデマを聞いたこともあるが⋯⋯たぶん冒険者が今際の際に見た幻か何かである。そんなもん実在するわけがない。あのウェスティとかいう狩人、夢見がちにも程がある。
「あー⋯⋯わざわざご足労いただいて、ありがとうございます。同行させていただく自分の側が、うかがうべきだったんですが⋯⋯お恥ずかしい話、人事案がまだ固まってなくてですね。実はメテオラ支部長の候補は自分なんですが、まだ反対している者もいまして⋯⋯最終的な確定までにはもう少々、お時間をいただくことになりそうです」
アイシャが目を細めた。怒りではなく思案の顔である。
「そうでしたか⋯⋯こちらの輸送隊は明日頃に到着し、王都で我々が仕入れておいた品々を積み込み、三日後には出立する予定です。その後も一ヶ月に一、二度のペースで往復する予定ですので、そちらが同行するタイミングを少し延期されますか?」
王都からリーデルハイン領までは、馬車で片道一週間前後の道のりと聞く。
輸送隊のスケジュールがなかなか過酷そうに聞こえるが⋯⋯王都は物価が高い上に春の祝祭が近いので、まともな宿をとりにくい。おそらく道中で休憩をとるのだろう。
「いや、延期には及びません。仮に人事が多少変わろうと、まず自分が単身で先行して、現地の状況を確認する必要がありまして⋯⋯こちらでの人事調整については上司に任せて、自分はまずメテオラに入ります。必要な人員を呼び寄せるのはその後ですね。その上で特に問題がなければ、夏から秋頃に支部の開業を目指しています」
アイシャが「ふむ」と視線を逸らし、茶菓子を口にした。
「⋯⋯確か、トリウ・ラドラ伯爵の配下の騎士、フォーグラス様が、すでに現地を視察されたはずです。それから、冒険者チームのケーナインズからも報告書が上がっていますよね? それらでは情報が足りませんでしたか?」
もちろん把握している。把握は、しているのだが⋯⋯足りない情報もあるし、一部には信じきれない情報もあった。
「はぁ。あれはたいへん有益でしたが⋯⋯たとえば、現地で職員を雇用できるのか、計算や書類をどこまで任せられるのか、人件費の目安はどれぐらいかなど、追加で把握するべき実務的な事柄もありまして。あとドラウダ山地についても、山道の整備状況がちょっと、その⋯⋯報告をそのまま信じると、馬車が楽々往復できることになるんですが、あそこって一応、人跡未踏の地でしたよね⋯⋯?」
そう。報告書の内容があまりに都合良すぎて、「だいぶ盛っているのではないか?」と疑わざるを得なかった。
有翼人の集落は昔からあったようだが、馬車が通れるほど立派な山道があったのに、その集落が今まで認識されていなかったこともおかしい。
報告書には「道は騎士団が追加で整備した」とも記述されていたが、子爵家規模の騎士団に大規模な土木工事は無理だろうし、現場は魔獣が出没する山中である。まともに工事をしたら何年がかりの事業になるかわからない。
アイシャとナナセは揃って視線を逸らし、しばし沈黙が訪れた。
「⋯⋯えー。メテオラの有翼人は、その山道を使ってたまにこっそり麓に降りてたみたいですよ」
「私は普段、麓の本社で働いていて⋯⋯メテオラにも仕事で行きましたが、のどかでいいところですよ。山道は元々、斜面がなだらかだったので、自然の地形をうまく生かしている印象でした」
えらくぼんやりした当たり障りのない応答で流された。何かありそうだが、それこそ現地に行ってみないとわからない。
「⋯⋯あと職員については、何分にも王都から遠いので⋯⋯可能な限り現地雇用を検討しつつ、どうしても手が足りない場合には、そちらにいる『ケーナインズ』にも臨時で手伝ってもらえないかと考えています。彼らは読み書き計算もこなせるはずなんで⋯⋯確か今、トマティ商会さんのお世話になっているんですよね?」
ナナセが驚いた顔をした。
「はい。ケーナインズの皆さんとお知り合いでしたか?」
「ええ。あいつらが初めて王都に来た時、窓口で冒険者登録を担当しました。ケーナインズはその後すぐ、迷宮のあるオルケストへ移動しましたが⋯⋯自分もあっちへの出張はちょくちょくあったんで、顔をあわせる機会は何度かありまして」
冒険者に対する依頼そのものは王都のほうが多い。そのほとんどは「旅の護衛」で、他に地方の集落からの魔獣討伐や採取・調達系の依頼なども届く。ゆえに駆け出しの冒険者は、まず王都でギルドへの登録をする例が多い。
そして仕事に慣れると、ダンジョンのあるオルケストへと向かう。
あちらでは「好きな時に迷宮に潜れる」という利点が大きい。
それが収入につながるかどうかはドロップ品や財宝の有無⋯⋯つまり運に左右される。何も手に入らなければたちまち干上がるため、その場合は王都へ戻って地道に依頼をこなし、当面の生活費を稼ぐこともある。
堅実にコツコツ稼ぎつつ経験を積むなら王都、迷宮で魔物を相手にできる戦力があるならオルケストで活動するのがセオリーだが⋯⋯今後はここに「メテオラ」と「禁樹の迷宮」も選択肢として加わる。
このインパクトは想像しにくいが、受け入れ先のメテオラは山間部の小さな集落であり、大量の冒険者流入にはおそらく対応できない。特殊な土地柄ゆえに、今以上の開発も拡張も難しいらしい。
つまり迷宮への挑戦、メテオラへの滞在は、おそらく許可制にせざるを得ず⋯⋯新支部長は、このあたりの制度設計と運用にも責を負う。おかしな人材を支部長に据えると、特定の貴族の息がかかった冒険者ばかりを優遇されかねない。今回の人事が揉めている理由の一つである。
またケーナインズに関しても、今は「トマティ商会の専属冒険者」になってしまったので⋯⋯ギルドの規約だけでは縛り切れない。
一般の商会が相手ならば冒険者ギルドのほうが立場は強いが、トマティ商会が噂通りの国策商会で、国王リオレットや領主のライゼー子爵と深く結びついているようなら、この力関係も逆転する。
⋯⋯いや、逆転というか、「同じ上司(国王)の下で動く組織」になるので、相応の連携が必要になる。
さっき圧力をかけにきた伯爵家の御隠居あたりは、そのことを知識としては知っていても、感覚的に理解できていない。その虎のしっぽは踏んじゃダメなやつである。
「えー⋯⋯そちらのほうが御存知とは思いますが⋯⋯あのケーナインズは、冒険者としてはかなり真面目で、びっくりするほど素行の良い連中です。冒険者の皆が皆、あんな感じだったら我々の業務も楽なんですが、生憎とそんなことは有り得ないので⋯⋯現地では自分も、彼らに頼らせてもらいたいと思っています。もちろんトマティ商会さんのご都合が優先ですし、連中が同意してくれれば、って話なんですが⋯⋯」
アイシャとナナセが軽く目配せをした。
⋯⋯これは彼女達にとっても、悪くない話のはずなのだ。見方を変えれば、「冒険者ギルド側にケーナインズを潜入させ、動きを見張ることができる」という話でもある。
当然、ベルガリウス側もそのつもりで提案している。「こっちは腹を割るから、協力して欲しい」という意思表示に他ならない。
ナナセが頷いた。
「⋯⋯そうですね。御本人達にも確認しますが、繁忙期や別の仕事がある時以外なら、必要に応じての人員派遣は可能だと思います。社長にもそう進言しておきましょう」
「ありがとうございます。うちも無理は申しませんし、双方にとって良い形で協力していければと⋯⋯あ、ケーナインズは、輸送隊の護衛にも日常的に参加するんですかね?」
予想に反して、ナナセが首を横に振った。
「いえ。基本的には迷宮とメテオラ、リーデルハイン領内で動いてもらうことになっています。輸送隊の護衛は、手が足りない時とか、本人達が王都へ行く用事がある時とか⋯⋯そういう特別な時だけですね」
ナナセの返答に、ベルガリウスは違和感を覚えた。
商会が冒険者を雇うのは基本的に「護衛」のためで、それ以外の役割を求められることはあまりない。
ケーナインズはおもしろい人材ではあったが、前衛職の戦士と剣士、後衛職の魔導師と狩人⋯⋯あとは臨時メンバーとして演奏家志望の神官という構成で、あまり「商会勤務」に適した顔ぶれでもない。
「ケーナインズは、護衛として雇ったわけではないんですか?」
「なんでもできる人達なので、社長がたいへん頼りにしているんです。あ、経理とかはさすがに苦手みたいですが⋯⋯ブルトさんは建築系、バーニィさんは木工系、ウェスティさんは森での採取物や魔物の特性に詳しくて、シィズさんはそもそも魔導師なので、工場を含む職場の魔道具を稼働させるのにも活躍されていて⋯⋯商会としてももう手放せない人材ですね。ギルドへの派遣もパーティー単位ではなく、短期で、なおかつ手の空いている人だけになるかと思います」
ベルガリウスは思わず目をしばたたかせた。
「失礼。トマティ商会は、『トマト様のバロメソース』なる食品を販売する商会と聞いていまして⋯⋯建築までも手掛けておられるのですか?」
「商売として建築をやっているわけではなくて、商会の運営面で必要なので⋯⋯ご存知と思いますが、リーデルハイン領はあまり人口が多くありません。職人の数も少なく、領内に昔からいる人材だけでは対応し切れなかったところへ、ブルトさん達が来てくれたので⋯⋯たいへん助かっていると、社長が言ってました」
ベルガリウスは内心で唸る。トマティ商会の「規模感」がよくわからない。
宮廷魔導師ルーシャンが後援している以上、新規の商会だからといって小規模とは決めつけられない。なにせ僻地を本社にしているため、情報がないのだ。
ケーナインズからの報告書も「メテオラ」「禁樹の迷宮」に関するものがメインで、トマティ商会についてはほとんど触れられていなかった。そもそも調査対象ではないから当たり前なのだが、意図的に伏せた可能性もある。
「そうでしたか。ちなみに⋯⋯そちらの商会の従業員は、何人ほどで?」
ナナセがしばし思案した。
「えーと⋯⋯そうですねぇ⋯⋯」
まるで誰かから助言を受けたかのように間をあけた後、彼女は営業スマイルと共に答えた。
「百人をちょっと超えるぐらい、ですね」
⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯明らかに「新規の商会」などではない。
ベルガリウスは耳を疑い、次いで納得した。
まだ最初の商品を売り出したばかりの商会が、それだけの人件費を賄えるわけがない。商人ギルドから出資を受けているわけでもなさそうだし、こうなるともう資金源は国か宮廷魔導師か⋯⋯それにしてもいきなりこの人数は規模が大きすぎるが、従業員数を聞いただけで「とんでもない裏がある(※ルークの琥珀売却益)」と納得できてしまった。
「といっても、事務職は私を含めた十人未満です。バロメソースの生産工場と農園で八十人ほど働いていまして、それから輸送隊にも二十人前後⋯⋯メテオラと本社を行ったり来たりしている者もいますし、非常勤の方もいますから、社員以外の協力者も含めるともっと増えます。アイシャ様も『社外』取締役というお立場です」
「実は私、お給料はもらってないんですよ。代わりに商品とか特産品とか、そういう現物で金額以上に価値のあるものをいただいています」
アイシャ・アクエリアは王城勤めの魔導師なので、商会の仕事などする暇はないだろう。彼女はあくまで「貴族向けの後ろ盾」と思われる。
そういう相手には寄付なり上納金なり謝礼なりを収めるのが商会の常だが、トマティ商会はそういうわけでもないらしい。いよいよ国営商会じみてきた。
こうなるとやはり気になるのは、「社長」の実像である。
「⋯⋯つかぬことをうかがいますが⋯⋯この先、私がメテオラへ出向いた暁には、社長のルーク・トマティ氏にご挨拶をさせていただくことは可能でしょうか?」
⋯⋯返答までに、また少し、妙な間があいた。
「⋯⋯ええ、仕事で留守にしていない限りは、お会いできるかと思います」
「⋯⋯⋯⋯なんなら今、ここで会ってもいいって本人が言ってますね⋯⋯」
「は?」
妙なことを言いだしたアイシャに、ベルガリウスは戸惑いの視線を向ける。
彼女の隣では、ナナセも苦笑いを浮かべていた。
「あー⋯⋯面接一発合格ですね。社長に何か刺さる要素があった感じですか?」
「ねこぢから⋯⋯だけじゃないですよね、今回は。ベルガリウスさんって、もしかして何か変な特殊能力とか特技とか持ってます?」
冒険者ギルドのしがない一職員が、そんなもん持ち合わせているわけがない。
否定しようとした矢先、テーブルの下から少年のように張りのある声が響いた。
「いえいえ! そーいうのではないです! あ、持ち上げていただけます?」
ナナセが「よいしょ」とテーブルの下に手を伸ばし、一匹の太った猫を膝上に持ち上げた。いつの間にそこにいたのか、まったく気づかなかった。
一瞬、テーブルに載せようかと迷ったようだが⋯⋯彼女はそのまま、自身の膝上に猫を座らせる。
想定と違ったのか、キジトラ柄の猫は「あれ?」とやや戸惑いつつ、それを受け入れて卓上に前足と顎を乗せた。
そのまま掲げるは、つややかな肉球。
「どーもどーも、はじめまして! 私、リーデルハイン子爵家のペットで、トマティ商会の社長を務めております、ルークと申します。失礼ながら、先ほどまでのお話もこっそり聞かせていただいてました!」
ベルガリウスは反応できない。
⋯⋯彼なりに、「トマティ商会社長」の正体について、いろいろ考えてはいたのだ。
偽名なのは前提として、国王リオレット、もしくは王弟ロレンスの意を受けた貴族の誰か⋯⋯あるいはルーシャンの弟子。
またリーデルハイン子爵家の親族、隠し子というラインも有り得た。
先代当主の孫娘が「リルフィ」という魔導師らしいので、彼女がルーシャンの後援を得て事業を始めた可能性もあると見ていた。
こちらはまだ年若い女性なので、たとえば縁談への影響を考えると名を隠すことにもメリットがある。事業が成功すればいざ知らず、失敗した上で名が世に出てしまうのは好ましくない。
そんな具合に、いくつか予想は立てていたのだ。可能性のある人名についても多少は調べ、正体が誰であっても驚かない心構えはしていたつもりだった。
しかしながら⋯⋯「ペットの猫」はさすがに想定していない。しているはずがない。
「ええ⋯⋯いや⋯⋯えぇぇー⋯⋯⋯⋯?」
戸惑い、二の句が継げないベルガリウスに、猫が優しく微笑みかける。
「ベルガリウスさんのお名前は、実はブルトさん達から聞いたことがあります。こちらでも支部長の候補に関して、『冒険者ギルドの知り合いだったら気が楽なんですが⋯⋯』みたいな話をしていまして⋯⋯ギルド側の都合もあるでしょうし、人選にまでは介入しないつもりだったのですが、こういう偶然もあるんですねぇ」
納得したように目を細め、猫は満足げに何度も頷いた。
⋯⋯ケーナインズがオルケストを出て僻地へあっさり移住した理由が、なんとなくわかってしまった。
彼らはきっと、この猫についていったのだろう。猫に先導されたら人類はついていくしかない。そりゃそうである。たとえば地域猫に路地裏を先導されてついていったらその先に子猫がいて餌をたかられるとか、そんなのご褒美以外の何物でもない。
ベルガリウスはしばし天井を仰いだ後、意識を切り替えた。
アイシャとナナセがニコニコしている。つまりこれは既定路線なのだ。彼女らの言う通り、自分は「面接に通った」と⋯⋯そういうことなのだろう。
「えーーー⋯⋯お初にお目にかかります、ルーク社長。お会いできて光栄です⋯⋯冒険者ギルドのメテオラ支部長候補、ベルガリウス・オプトと申します⋯⋯えっと、つまり、トマティ商会の社長さんは、その⋯⋯恐れ多くも『神獣』ということで⋯⋯?」
「神獣ではないんですが、まぁ似たようなものです! 私の存在に関しては一応、他言無用ということで⋯⋯あ、こちらお土産というか、お近づきのしるしにどうぞ!」
ルークの合図で不意に現れた執事スタイルの猫が、どこからともなく⋯⋯本当にどこからともなく、何もない空間から灰色の小袋をいくつか取り出しはじめた。
仲間もいるのか、と理解した矢先、思い至る。
「⋯⋯あの。去年の、『猫の精霊』騒ぎって、もしかして⋯⋯」
「あ。はい。私の仲間達ですね」
何のてらいもなくあっさりと認められ、ベルガリウスはがっくり肩を落とす。
なんのことはない。自分を含む王都の人々が知らなかっただけで、この猫はもう去年の時点で、平然とこの国で暮らしていたのだ。それがいよいよ商売まで始めた、ということらしい。なんで?
「こちらは当商会の主力商品、『トマト様のバロメソース』となります! ぜひ職員の皆さんで召し上がってください! 気に入ったらぜひ、本店でもお買い求めくださいね」
「あ、ども⋯⋯」
愛想の良い営業スマイルと共に試供品をいただき、恐縮して頭を下げる。まだ混乱が続いているのは間違いないのだが⋯⋯なんだかもう、どっと疲れた。
かくして冒険者ギルドのメテオラ支部長(予定)、ベルガリウス・オプトは、猫の毛に絡め取られ⋯⋯以降の人生のほぼ大半を、猫っぽい何かに囲まれて、そこそこ平和に過ごすこととなるのだった。
いつも応援ありがとうございます!
おかげさまでサーガフォレスト版の会報八号、本日発売となりました。
いよいよ登場の荒ぶる落星熊!(イラストつき)
⋯⋯近年のリアルでの熊出没状況がちょっと洒落にならないのですが、ファンタジーじゃないほうの野生動物は基本的に言語が通じないので、皆様もくれぐれもお気をつけください。
その昔、渡瀬名義の別作品でも「学校で一番怖いのは校庭に出た熊!」みたいな台詞を登場人物に言わせた記憶もあるのですが、自分も基本的に「くまこわいくまこわいくまこわい⋯⋯」派です。ちょっと生き物として強すぎる⋯⋯
あとは建築集団・雉虎組も先行登場、久々のフレデリカさんもゲスト出演しています。
ハム先生の高貴なウィンドキャット表紙が目印! 店頭でお見かけの際はぜひよしなにー。
⋯⋯そして記念SSは例によって間に合わなかったもので、また数日後に⋯⋯orz




