表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

273/281

263・トマティ商会のブラジオス


 アロケイルの元文官、ブラジオス・オルディールは、ここしばらく、ただひたすらに困惑し続けていた。


 謎の猫様に連れられて異国の商会に就職してみれば、そこは天界かと疑うほどに快適な別世界だった。

 季節としては冬なのに社屋や宿舎は暖かく、他の社員達はみんな猫好きで優しい。たぶん入社資格に「猫が好きかどうか」という基準があるのだろうと確信できるほど、猫好きばかりが揃っている。


 アロケイルから連れてきた野良猫……もとい飼い猫の「アロエ」(※命名・ルーク)も居心地が良いようで、すっかりリーデルハイン領の環境に慣れてしまった。


 いずれブラジオスは王都の本店で働くことになるので、この猫も連れていくつもりではあるのだが……「こっちのほうがいい」と断られそうな懸念さえある。それはそれで別にいいのだが、ブラジオスとしては大事な相棒のつもりなのでちょっと寂しい。


 トマティ商会におけるブラジオスの研修は、滞りなく進んだ。

 そもそも平民出身ながら若くして男爵位を得たほどのエリート文官であり、数字や書類には強い。帳簿の書式も憶えてしまえばすぐに対応できるし、商人相手の商談も過不足なくこなせる。


 ネルク王国とアロケイル、両国の商習慣や法令の違いはまだ学ばないといけないが、幸いにして教育係のナナセ・シンザキ嬢が年下ながら優秀で、ひっかかりそうな部分を先回りして教えてくれた。


 顔立ちは強面こわもてに見えたグレゴールも、話してみれば腰が低く丁寧で、年もまあまあ近くすぐに意気投合できた。彼には猫のアロエもよく懐いている。(※舎弟二号)


 褐色肌の美女、ジャルガは亜神ルークの信奉者らしく、朝晩とルークの木像(本獣よりでかい)に祈りを捧げている。この行為にはなぜかルーク本獣も、「なむなむ」と不思議な声を発しながら肉球をあわせてたまに便乗している。「その木像は貴方様では……?」とツッコみたかったが、不敬と思って控えた。


 カイロウ、アンナという若い夫妻は、商人としてはまだ新米とのことだったが、真面目で労をいとわない。トマティ商会内部の業務に関しては、どちらも遜色なくこなせる能力をすでに身につけており、ブラジオスもいろいろと助言をもらった。

 なお、一番役立った助言は「社長は喉を撫でると喜ぶ」「社長の仲間の猫さん達もだいたい喜ぶ」というもので……うちの社長は、あんまり威厳を前面に押し出すタイプではないらしい。初対面の時からおおむね察してはいた。


 あとはケーナインズという冒険者チームも社員として雇われているようだが、彼らは現在、山中にある有翼人の里・メテオラで、冒険者の滞在に向けた制度設計や施設の調整を進めている。

 その現地にはカーゼルから逃亡した「シノ・ビ」の集団までいるそうで、これを聞いた時はブラジオスも青ざめたが……味方ならばとても心強い。アロケイル側にとって、隣国の特殊部隊シノ・ビは恐怖の対象である。


 そして滞在数日目にして、「メイプルシロップ」なる甘味料の収穫騒ぎが起きた。これには社員総出であたったため、ブラジオスも同行して色々と手伝い――


 その数日後には、ネルク王国の王都、ネルティーグにいた。


 もう色々とわけがわからない。

 感覚が麻痺しすぎて逆に冷静になっている感すらあるのだが、つい半月ほど前まで、自分はアロケイルで未来に絶望しつつ、馴染みの猫に愚痴を言っていたはずなのだ。


 そんな自分が今、新しい商会の一員として、この国の公爵家やら侯爵家やらへ挨拶に向かわされるという。

 やらせるほうもやらせるほうだが、メインの挨拶役が「ナナセ・シンザキ」というまだ士官学校を卒業したばかりのド新人ということで――亜神ルークから指示を受けた時には、「はは……?」と渇いた笑いすら出てしまった。不敬であるが、どうか察して欲しい。これはさすがに無茶振りだと思う。


 しかしながら、ナナセ・シンザキ嬢の商人としての才覚は本物で――ブラジオスはその補佐役を任された。ルークは口にしなかったが、これはある種の「テスト」なのだろうと判断する。(※勘違い)


 シンザキ商会の邸宅に宿をとり、ナナセは一時的な里帰りをして、ブラジオスは離れの来客用寝室に泊まらせてもらえることになった。

 猫(※神)もいるし、滞在を渋られたら近場のホテルに移動するつもりだったが……ナナセが事前に「それはないと思います」と明言した通り、すんなりと泊まらせてもらえた。


 その代わり、「たぶん世間話の流れでいろいろ聞かれると思いますので、適当に対応していただければ……」とのことで、要するに「謎の新規商会に関する情報源」として見られていることを察した。


 入社したての新人が何を答えたらいいのかさっぱりわからないが、これは「あたりさわりのない内容」であれば良いようで……交渉事でもないし、ルークからも「わかんないことは『わかんない』でだいじょうぶですよ!」と言ってもらえた。


 そして、夜。

 さっそく妙なことになった。


 ナナセの父親……当代の「シンザキ商会・会長」が、わざわざブラジオスのいる離れにやってきて、「良い酒がありまして」と差し向かいで飲む羽目になったのだ。


 どうもナナセのいないところで、「本当のところ」、あるいは「ナナセからは聞きにくいこと」を聞きたいらしい。

 シンザキ会長は、年齢は五十そこそこ、白髪交じりの茶髪、笑顔が温厚で上品な印象ながら、目の底にちょっとした迫力というか、凄みがある。

 服と髪型を変えれば伯爵家あたりの当主にしても違和感なさそうで、応対するブラジオスも気を引き締めた。


 離れの客間で、ローテーブルを挟んでソファに陣取り、おっさん二人……+猫一匹のささやかな飲み会が始まった。つまみはチーズや堅パンなど、軽めのものである。

 大商会の会長ともなれば、下手な貴族以上の影響力を持つ大物と見ていい。深酒はできないし、酔っ払うつもりもないが、しかし飲まないわけにもいかない。

 そして……この手の「会合」に関しては、元文官たるブラジオスも決して素人ではない。


「どうも、恐れ入ります。まさか高名なシンザキ会長と、こうして差し向かいで飲める機会があろうとは……ナナセさんからはあまりご実家の話は聞いていなかったもので、たいへん驚きました」


 会長が目を細める。


「……ほう? 娘はうちの縁者だから採用されたのかと思っておりましたが……」


「私もつい最近、ナナセさんの後に採用された身ですので、採用の基準までは存じ上げませんが……しかしナナセさんの場合、ご実家が云々の前に、御本人がたいへん優秀です。本社で机を並べておりますが、新規商会の立ち上げに何が必要か、どういう障壁が予想されるか、社員の誰よりも深い洞察を持って認識されているように思いました。その上で弁舌も爽やかですし、言葉が理路整然として説得力があります。今回の貴族への挨拶回りを任されたのも、そのあたりを評価されてのことでしょう」


 会長はやや苦笑い気味だった。娘を褒められたことは嬉しいのだろうが、手放しでは喜べない事情もありそうだと察する。

 

「はぁ、お役に立てているなら良いのですが……ブラジオス殿は、やはりどこかの商会から、トマティ商会に転職をされたのですか?」


 さて……一応、「たぶん聞かれるだろうから、その時はこう答えて欲しい」と、事前にナナセとルークから助言は受けている。


「いえ。自分は他国で文官をしていたのですが……ちょっとした御縁で、とある魔族の方に助けられまして――その恩返しに、トマティ商会の立ち上げを手伝って欲しいと依頼されたのです。そんなわけで特に旅もせず、転移魔法で直接、トマティ商会の本社まで送っていただきました」


 ブラジオスが事も無げに話すと、会長が目に見えて固まった。

「魔族」……この要素に触れるのは、一種の劇薬である。

 魔族と関係する商会、などと噂がたてば敬遠されかねない一方で、逆にすり寄ってくる者もいるだろう。「敵対はしたくない」という点では概ね一致する。


 酔うほどまだ酒が入っておらず、また仮に酔っていたところで一気に青ざめるレベルの情報を初手からぶつけられ、会長は引きつった愛想笑いを浮かべた。


「そ、それはそれは……もしやオズワルド様のことですかな……? 確か先の戦場において、リーデルハイン領のトマト様という作物を激賞されたとか……」


 ……この点は曖昧にボカす。ブラジオスを助けてくれたのは「ヘンリエッタ」であり、アロケイル側の某侯爵家では、「戦地採用した文官のブラジオスは、ヘンリエッタに誘拐され……もとい保護された」という認識がもう確定している。


「さて……あまり詳しくお話しするわけにもいかず、申し訳ありません。しかしトマト様という作物が、魔族も一目おくほどの素晴らしい品であることは確かです。私もその可能性に賭けてみたいと思いました」


 会長が視線をわずかにさまよわせる。

 ブラジオスが濁したことで「厄ネタ」と察し、彼はすぐに「魔族」の話題から撤退した。


「……さようでしたか。いや、私も昨年、王立魔導研究所から、バロメソースの試供品をいただきましてね。ナナセもそれを食べたことで、トマティ商会への就職を志したようです。あの品は確かに素晴らしい。大いなる可能性を秘めた商品ですな」


 ローテーブルの端で香箱座りをしたキジトラ猫が、どこか誇らしげに悠々と頷いている。猫がそんな反応をするわけがないので、偶然というか単なる気まぐれの行動だろう……と、会長が思ってくれることを祈りつつ、ブラジオスもあえて気づかぬふりをした。


 シンザキ商会の会長は確かに大物なのだろうが、正直、トマティ商会社長のほうが、世界を牛耳ぎゅうじ……猫耳ネコミミれるレベルの大物なので――こっちのほうが心臓には悪い。ここでシンザキ会長が娘をとられた腹いせにトマト様をディスろうものなら大惨事だった。


「現状、そちらで販売する商品は、そのバロメソースだけなのでしょうか? 他のものも売られるのですか?」


「庶民でも買いやすいバロメソースと、これに黒帽子キノコを加えた富裕層向けの高級品、黒帽子ソースの二種が主な商材です。他にも候補はいろいろとありますが……」


 ルークから脳内にメッセージが届いた。


『宣伝にもなるので、落星熊メテオベアーの木彫りの民芸品のことも話してください! 実物も隣の部屋に出しておきます。ただしメイプルシロップは秘匿で』


 ……これ便利だなぁ、と他人事のように感心しつつ、神からの指示に従う。啓示にしては少々俗っぽい。会長には「少々お待ちを」とことわって、隣室からさっきまでなかったはずの大きなかばんを持ってくる。


「トマト様関連以外では、こちらの品々も早めに販売を開始する予定です。木彫りの像でして……」


「ほう! これは見事な!」


 会長が目を光らせた。

 シンザキ商会は建築・木工系に強いらしい。こうした彫刻の取り扱いもあるのだろう。


 ぶっとい尻尾を支えにして立つ落星熊は、両前足を掲げた勇壮なポーズだが、全体にずんぐりとした丸っこい体型のせいでとても愛らしい。大きさは20センチ前後と手頃である。


 つぶらな瞳も愛嬌があるし、特徴的な顔の模様も、塗料に頼らず彫り方の深浅を用いて上手く表現している。

 素材は木なのに毛並みは柔らかそうで、ニスを塗っただけとは思えぬほど完成度が高い。


「これはまだあまり知られていない話ですが、昨年、リーデルハイン領の近くに、メテオラという有翼人の集落が発見されたのです。その集落では、猫様と落星熊を信仰しており、こうした木彫りの民芸品を世に広められないか、と先方から相談されましてね。集落の現金収入にもなりますし、当商会で委託販売を請け負うことになりました」


「なんと、有翼人の集落……しかも落星熊ですと!? これが、あの……? いや、話に聞くよりもだいぶ可愛らしい姿のような……」


「実物もなかなか可愛いのですが、なにせ見上げるばかりの巨体ですので、迫力はありますよ。力も強く、矢も刃も通じず、人間では絶対に太刀打ちできない聖獣です」


 会長が眉根を寄せた。


「聖獣……? いや、落星熊というのは恐ろしい魔獣だと聞いていますが……」


「現地では聖なる獣として信仰されていますね。こうしたケースはたまにあるのですよ。魔獣も聖獣も本質的には同じ、ただ信仰の有無で分類が決まるものですから……その信仰が有名でないと、現地以外では魔獣扱いされていたりするのです。で、物語などを通じて『聖獣だ』という話が有名になれば、数十年、数百年をかけてその認識が広がっていくという――」


「ははぁ……そういうものですか。言われてみれば……そうかもしれませんな。特にこの木彫りを見ている限りでは、これが『魔獣』だなどとは思えません。実に優しげな顔立ちをしている」


 ブラジオスはもう一つの木彫りを袋から取り出した。


「メテオラでは、落星熊だけでなく猫も信仰しておりまして……むしろ猫こそが上位で、落星熊はそれに従属する立場とされています。そのためか、こちらのほうがより丁寧な作りに見えますね」


 彼が取り出したのは、落星熊と同じく威嚇のポーズをとる十二センチほどの猫である。

 大きさは落星熊の半分ほどと少し小さめだが、キジトラを再現した毛並みの造形は精緻にして繊細、もはや民芸品というより芸術品といっていい。

 落星熊の目がつぶらなのに対して、こちらは爛々と大きく目を見開き、口元からは牙も覗いている。にもかかわらず威圧感はなく、ただただ愛嬌しかない。


 ところでシンザキ会長から見えないローテーブルの下では、社長がてしてしと肉球でブラジオスのスネを叩いている。「それは言わなくていいです!」「あくまで落星熊さんを優先で!」という意図なのだろうが、大きさはともかく出来栄えに明らかな差があるので、見る者が見れば「こちらが本命」とわかってしまう。

 プロの目をごまかせるとは思えず、ブラジオスはあえて情報を開示した。


 会長が改めて唸る。


「……これは……これは、素晴らしい。ただの量産品にはない、それこそ魂と信仰心を込めきったかのような素晴らしい仕上がりです――こんな木工技術を持った集団が、これまで無名だったとは……」


 足元のルークが「そんなに違うモノ!?」と、愕然としてフレーメン反応を見せているが、ブラジオスもシンザキ会長とまったく同意見である。

 たとえ同じ職人が作ったものであっても、「熊」と「猫」とではやはり違うのだ。見る者(※具体的には猫力80以上)が見れば、その違いはわかってしまう。


「シンザキ会長。これは庶民でも買える価格帯の品ですし、将来的に普及すれば希少性もなくなるはずですが……それでももし差し支えなければ、この品を滞在費の代わりとして、お贈りさせていただけませんか?」


「なんと、まことですか!? いや、それはたいへん嬉しい申し出です。孫達に見せびらかすとしましょう」


 機嫌良くそんな冗談まで口にして、会長は木彫りの猫と落星熊のセットを撫で回した。

 ローテーブルの下からひょっこり顔を出したルークが、「マジかコイツ」と言わんばかりにぽかんと口を開けている。かわいい。

 

 そんなルークを見下ろし、会長は相好を崩した。


「そういえばこちらの木像は、こちらの猫にそっくりですな? 毛並みと体型、それに愛嬌のある顔立ちも……リーデルハイン領に住む猫の特徴なのでしょうか」


 猫の顔立ちや毛並み、体型などには地域差がある。

 適者生存と遺伝の影響で、寒冷地なら長毛、熱帯では短毛が多いし、たとえば山に棲む猫などは森や土に紛れやすい濃い色の毛並みであることが多い。


 ……が、亜神ルークはちょっと他の猫とは様子が違うので、「これが普通か」と問われると返答に悩む。


「……そうですな。この子が特に、木像と似ている印象はありますが……個体差もありますし、皆が皆、そうというわけでもありません。猫は皆、個性豊かです」


「ああ、それはそうだ。猫は本当に皆、性格が違いますよね。傾向として似たところはあっても、特に気を許した後はそれぞれ違う顔を見せてくれる――ルーシャン卿が後援している商会だけあって、やはり猫の扱いには気を使っておられるのですね。実は我々も、昨年……」


 聞けば王都の人々は昨年、「猫の精霊」を直に目撃したらしい。

 それ以降、猫を信奉……丁寧に扱う人々が増えているとのことで、シンザキ会長も猫グッズの販売で一儲けしているとのことだった。


 酒を酌み交わしながらそんな話をしていると、足元のルークがてしてしとブラジオスのスネをまた叩き、メッセージを送ってきた。


『もっとトマト様の話をしてください!』


 ……まぁ、わかる。猫トークできるのが楽しくてついつい乗っかってしまった。アロケイルでは殺伐とした日々を過ごしていたので、こんな和やかな会話をする余裕もなかった。

 トマティ商会での猫トークは「社長すごいですよね……」「働き者ですよね……」という方向性に流れてしまい、あんまり猫っぽい感じがしないので……うん。


 しかしトマティ商会の社用で来ている以上、自社商品の宣伝をすべきであろう。


「話は戻りますが……当商会が扱う商品は、今年のうちはバロメソースと黒帽子ソース、それにこれらの木像が中心となります。新製品のアイディアは大量にあるのですが、生産力・輸送力の都合もありますので……いきなり品数を増やすよりは、まず主力商品を世間に浸透させたい、という方針です」


「手堅いところですな。しかし、新製品の案というと……トマト様というのは、パスタソース以外にも使い道があると?」


「もちろんです。ピザにトマト様のソースを使うとたいへん美味ですし、地元ではトマト様そのものを輪切りにして、ピザの具材として焼いて食べたりもします。またトマト様を絞ったジュースは、ややクセがあるものの栄養価が非常に高く、適量であれば睡眠の質を向上させ、肌の調子を整え老化を遅らせるとか――」


 シンザキ会長が首を傾げた。


「確か……昨年見つかったばかりの、新種の作物だったはずですな? そうした効果の実証は、まだなされていないのでは?」


 鋭い――が、言い訳は用意してある。


「この作物は、先程も触れた有翼人の集落、『メテオラ』で常食されていたのです。効果も彼らから聞きました。山の鳥がその種子を麓まで運び、芽が出たことで発見に至ったのでしょう。それと近いタイミングで、集落も発見され――これは領主たるライゼー子爵の功績ですな」


 このタイミングでルークから追加のメッセージが来た。ブラジオスは一瞬、戸惑ったが……しかし神の指示である。「この事実を知らせておくメリットが大きい」と判断したのだろう。


「…………見つかったのは、有翼人の集落ばかりではありません。これは国にも報告済みのことですし、夏頃には公式に、かつ大々的に発表されるはずですが……この集落の近くに、『新規の迷宮』が発見されました」


 シンザキ会長が硬直した。彼ほどの大物でも、まだこの事実は掴んでいな――いや、違う。

 ブラジオスは微妙な空気を感じ取り、ルークの指示が正しかったことに気づく。


「……やはり……やはり、迷宮の件は事実でしたか……」


 シンザキ会長は大きく息を吐いた。

 彼はこの事実を「真偽の怪しい噂」として聞いていたのだろう。そこに娘のナナセがトマティ商会の同僚を連れて一時帰省したため、「噂の真偽を確かめる」目的で、こうして酒を持って接触してきた。


 娘のほうに行かなかったのは、娘の口が堅いと知っているためか、あるいは娘が「機密漏洩」で責められるような事態を避けるためか……いずれにしても、情報を求めて彼はブラジオスに接触してきた。


 そしてルークは「情報を提供すべき」と判断した。これはつまり、「トマティ商会側には、シンザキ商会と強く連携していくつもりがある」という意思表示に他ならない。


 ブラジオスは神の……社長の……猫の意思を着実に汲み取る。


「この事実は、まだ内々に願います。迷宮からの主要な産品は『琥珀』です。おそらく魔道具の製作現場に大きなインパクトをもたらすでしょう。リーデルハイン領に大手の商会は存在しないので、我がトマティ商会はその輸送も請け負います。もちろん引き渡す先は王家で、当面は国の財政を立て直す資金源としての活用が見込まれています」


 シンザキ会長がごくりと唾を飲み込む。ブラジオスがここまですんなりと情報開示した意味を、彼も一人の商人として察したはずだ。


「国の財政建て直しの……資金源……」


「トマティ商会は『国営』の商会ではありませんが……書類上の後援者を見て、シンザキ会長もある程度、察しておられたのでは?」


 明言はせず、曖昧に、嘘もつかず……しかしその上で相手の思考を誘導する――ブラジオスにはそれができる。


 シンザキ会長は深く頷いた。


「……トマト様を主な商材としつつ、その真の役割は琥珀の流通管理……なるほど、僻地に本社を構えるわけです。いろいろと納得いたしました。そういう事情であれば、『貴社との対立は得策ではない』と、国内すべての商会が認識するでしょう」


 たぶん勘違いが発生している。が、それこそがルークの目的なのだろう。足元の猫は「アレ?」と若干首を傾げているが、これはあくまで猫のふりをするための演技である。決して「いや、そんなつもりは……」とか困惑しているわけではない。すべてはルーク様の深謀遠慮の賜物である。


「冒険者が迷宮内で敵を倒すと、低確率でドロップするという代物です。輸送する量としてはそれほど多くないでしょうが、『継続的にとれる』というのは大きい。トマティ商会は、これを冒険者から適正価格で買取り、適正価格で王家に引き渡します。これはもちろん、国家の財政立て直しに協力するためです。そこに大きな儲けは発生しませんし、利益は他の商材で得る必要がある。ゆえに我々は、琥珀に頼らず、あくまで『トマト様の生産・加工・交易会社』としての地位を確立しなければなりません。一社としての利益だけを追求することなく、国全体に良い影響をもたらしていきたい……それが我が社の理念です」


 足元の猫さんが「そうだったんだ……?」みたいに驚いた顔で感心しているが、入社案内の『経営理念』に書いてあったことを少し言い換えただけなので、たぶんまとめたのはこの猫自身である。自分で書いたことを忘れてる感じ? いや、まさかな……


 シンザキ会長とのささやかな……しかし充実した情報交換会はその後も続き、ブラジオスは心地よい疲労感とともに、トマティ商会の社会的意義を再確認したのだった。



ルーク(ナナセさんのパパだしな……琥珀相場の下落とかで大損されても困るし、これくらいの情報開示は……アレ? なんか深読みされてる!? ……………………ま、ええか……)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
#落星熊の目がつぶらなのに対して、こちらは爛々と大きく目を見開き、口元からは牙も覗いている。にもかかわらず威圧感はなく、ただただ愛嬌しかない。 漫画版に無駄に厳しい注文付けやがってとか思ってないよ。
トマト様、押しやられていない? 琥珀、メープルシロップ、木彫りの熊と猫、サツマイモ、あとフルーツも栽培していたよね。 米「次はワイの番やで」
>実物も隣の部屋に出しておきます。 いつから遠隔で亜空間を開けるようになってたんや…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ