261・学園長の抜き打ちチェック(ダイスロール失敗)
宮廷魔導師スイール・スイーズは、その日、新たな職場となった「皇立魔導研究所・ラズール学園支部」にて来客を迎えていた。
「お疲れ様です、マードック学園長。少し痩せ……てはいないですね。絞りました? あと、日焼けもけっこう……」
ラズール学園の学園長、マードック・ホルト・マーズの、皇族というより戦士を思わせるその巨体は、以前より少し精悍さを増していた。初見では心労のせいかと思ったが、むしろ強そうになっている。
「わかるか。最近、朝のジョギングをはじめたんだ。スイール殿は、そういった鍛錬的なものはやっておられるのかね?」
「やだなぁ、学園長。朝は寝る時間ですよ。朝のうちに起きて走るだなんて人の道に反する行為です。正気の沙汰とは思えません」
「君の立場で学生の朝練を全否定するんじゃない。真に受ける奴がいたらどうする」
ケラケラと笑いながら、マードック学園長は茶菓子を口に入れた。ルークの菓子ではなく、街の市販品である。スイール用のお菓子は別のところにちゃんと隠してある。
「それで本日は、どういったご用件で?」
「君からもらった報告書の件だ。純血の魔族、『ヘンリエッタ様』がこちらへいらしたと……いや、驚いた。だいたいの経緯は把握したが、報告書には書かれていない部分もありそうだから、その確認をしにな」
スイールの所へ来る前に皇とも話していたようだし、その目的が『アロケイルから来ている留学生の、帰国の意思確認』だったため、本来は学園長のマードックが対応するべき案件ではあった。
「申し訳ありません。留学生の意思確認を私がやるのは、越権行為でしたね」
「いや、それはない。むしろ『魔族絡み』は宮廷魔導師の領分だ。うまく対応してくれて感謝しているし、君が学園に来ているタイミングで良かったよ。それで――直に会った印象として、ヘンリエッタ様のお人柄などについても聞いておきたいんだが」
「あ、ちょうどいいんで会っていきます? いま遊びに来てますよ」
「……………………ん? ……遊び……に……?」
怪訝そうなマードックを手招きしつつ、スイールはさっさと席を立ち、応接室から廊下へ出た。
「実は内弟子の子が仲良くなりまして。学園長もご存知ですよね? ネルク王国留学組の同行者、魔導師のリルフィです」
「……リルフィ殿? あ、ああ……散歩中にお見かけして、少し話をしたことはあるが……」
「リルフィ、ヘンリエッタ様ー。入るよー」
スイールは二部屋隣に移動し、ノックとほぼ同時に扉を開ける。背後でマードックが宇宙猫になっているが気にしない。
「あ、スイールさま」
真っ先に顔を向けたのは、つい先日、ルーク……もとい『猫の精霊』がアロケイルから連れてきたカティアという子供だった。母親のジャニスは見当たらない。机の上には子供向けの計算問題集とノートがあり、どうやら勉強中だったらしい。
この母娘への対応はスイールに丸投げされ、イグナスと彼女らが合流した翌朝、スイール自らがわざわざ学生寮へと出向いた。
『猫の精霊様から当面の対応を丸投……まかされた』『住む場所と仕事については、魔導研究所の住み込み管理人業務でよければ空いている』『三人組はアルバイトばっかしてないで、学業に専念するように』『学内猫にはお礼言っとけ』といろいろ説明してきた。
母親のジャニスも、この支部の住み込みの管理人におさまった。荷物の受取や発送、施設の清掃や家事、戸締まり等の雑務に加え、朝は野菜の直売所でも働いている。いずれ内職も始めるつもりらしいが、今はまだ生活に慣れるのが先だろう。
そして一緒に来た娘のカティアのほうは、魔導師としての適性を持っていた。魔力の総量が少なく今まで誰も気づいていなかったようだが、ルークいわく『火属性と地属性、神聖系ですね』とのことで……ちょうどいいので魔導研究所内で、基礎を学ばせながら助手というか雑用係をやらせている。
日々に慣れてきたらラズール学園に入学、あるいは編入させるつもりだが、まずはそのための基礎教養が必要なので、今すぐというわけにはいかない。
「ああ、カティアもこっちに来てたんだ? お母さんは?」
「お買い物です。市場へ買い出しに行ってます」
応じた後で、彼女はきちんと起立し、カーテシーと共に深々と一礼した。
「はじめまして、マードック様。王立魔導研究所・住み込み管理人ジャニス・フローベルの娘、カティアと申します。母がお世話になっております」
マードックが目をしばたたかせる。もっと子供っぽい挨拶を想定していたのだろう。妾の子とはいえ、カティアは伯爵家に連なる血筋だけに、最低限の礼法は身につけている。
「……おお、はじめまして、お嬢さん。話は聞いているよ。猫の精霊様から、スイール殿に身柄を預けられたとか――」
学園長たるマードックにスイールから提出した報告書には、ジャニスとカティア母娘のことも正しく記載しておいた。「魔導研究所の住み込み管理人」となると素性の怪しい者は採用しにくいし、母娘の味方を作っておく意味でも報告しておくべきと判断した。
マードックもトゥリーダの公開生放送の際、「猫の精霊」と実際に言葉をかわしている。彼が対峙したのはルークが偽装した「ウィンドキャット」だったが、つまりカティアもマードックも、「猫の精霊(ウィンドキャット)」とは会話したことがあり、その上で「ルークの存在を知らない」という共通項がある。
ルークのことだからいずれ馬脚……猫脚をあらわすだろうとも思っているが、とりあえずこの二人に対しては偽装が成立しており、「猫の精霊」の存在を裏付ける生き証人となっていた。
カティアはお辞儀でわずかに乱れた赤毛を整えつつ、嬉しそうに微笑んだ。
「はい! こちらの国でもつい先日、猫の精霊様が顕現されたとききました。リルフィ様からも、当日の新聞を見せていただいて……いつかまたお会いして、お礼を言いたいです」
まぶしい。純真な笑顔がまぶしい……まあまあスレてしまった自覚を持つスイールとしては、自分にもかつてはこんな頃があったと懐かしく……あったっけ? いや、前世含めてもたぶんなかったな……? あれ? 純真な時期どこ? 記憶喪失?
……まぁ、カティアは神聖な存在(※猫)に救われた直後なので、なんとなく敬虔な心持ちになっているのだろう。信仰心の芽生えと見るべきか。
そして、カティアと同室にいた大人二人のほうは……
ソファに座ったリルフィは、やや困ったような笑顔でぺこりと一礼する。
「……こんにちは、マードック学園長。こんな体勢で、失礼いたします……」
「リルフィ殿……ああ、うん……いや、そのままで。絶対にそのままで」
心なしか、マードックの声が震えた。
リルフィの膝では今、銀髪に白装束、紅袴をつけた娘が……すなわち「純血の魔族」、ヘンリエッタ・レ・ラスタールが、身を丸めてくうくうと寝こけている。膝枕中のリルフィはそのせいで立つに立てないのだ。
「すやぁ……」
「……腹立つな、このすちゃらか魔族。人が仕事中の職場で堂々と寝やがって」
つい不敬どころではない暴言を漏らすと、マードックが青ざめた。本人に聞かれたらホルト皇国滅亡まっしぐら……とでも思ったのだろうが、生憎ともう気心が知れてしまったのでそれはない。ルークという抑止力もいる。
「あ、あのな、スイール殿……おやすみ中なら、また後日に……」
早速ヘタレたマードックに「いえ、いま起こします」と言っておいて、スイールはヘンリエッタの傍に立った。
「ヘンリエッタ様、ちょっと起きてください。起きて。起きろや。なめてんのかコラ」
抑揚をつけずに淡々と呟く。間近のリルフィまであわあわしはじめたが、その膝枕を堪能しているヘンリエッタがこの程度で起きるはずもない。仮に起きていても狸寝入りならぬ狐寝入りを決め込む。こいつはそういうヤツである。スイールも同類なので生態がわかるのだ。
溜息をつき、スイールはリルフィに依頼した。
「リルフィ。ちょっとその子の耳元で『起きてください』って優しく囁いてあげて。たぶんそれで起きるから」
「えっ……は、はい……あの…………ヘンリエッタ様、起きてください……?」
「ハイ」
魔族はぱっちりと即座に目を覚ました。
コイツ最初から起きてた。スイールとマードックが入ってきたのにも気づいていた。なのに寝起き囁きASMRのチャンスと見て、悪辣にも寝たふりを続けていやがったのだ。
すべてを承知でリルフィを頼ったスイールも、内心では割とドン引きしている。いっそ蹴飛ばして起こしても良かったのかもしれないが、純血の魔族相手にそれをやるとたぶんマードックの胃が死ぬ。
「……ありがとね、リルフィ。よく眠れた」
しれっと嘘をつきつつ伸びをしたヘンリエッタは、来客であるマードックをちらりと一瞥した。
「はじめまして、だよね? マードック・ホルト・マーズ……サリール家のヴァネッサからも名前は聞いている。今回はアロケイルからの留学生の件で、いろいろ便宜をはかってくれてありがとう」
「い、いえ。私は、何もしておりません――」
恐縮して跪くマードックに、ヘンリエッタはやたらと澄んだ声で仰々しく告げた。
「スイールの差配に、事後承諾を与えてくれたでしょう? それで十分、貴殿の誠意と善良さは伝わった。今回は『猫の精霊』様も絡んだ話だったから、私もどう動こうか、少し迷ったんだけれど……ほら、スイールってこの通り傍若無人だし、宮廷政治ができる後ろ盾とかちゃんといるのかな、って少し不安だったから。貴方みたいな人が支えてくれるなら、心強い」
「………………いやいやいや。つい流されそうになったけど、なんでヘンリエッタ様が私の保護者目線なの。ガワは子供っぽくてももうじき三十路だよ、私」
「こちとらもうじき三百路だよ。一応、まだあと三十年ぐらい先だけど」
魔族はやっぱり年齢の感覚がおかしい。
さておき、スイールとヘンリエッタの軽口のやりとりに、学園長は「マジかコイツら」と巨体を震わせていた。
「……あ、あの……スイール殿とヘンリエッタ様は、もしや、以前からのお知り合いで……?」
「いや? 先日、留学生の件で話し合った時が初対面。だけどなんか意気投合しちゃってね」
「読んだことのある本の話とかが、一致しまして……それでまぁ、仲良くなりました」
こっちの世界の本ではない。より正確には「漫画とアニメとゲーム」の話なのだが、マードックを混乱させる気はないので「本」とだけ言っておく。
ヘンリエッタが急に姿勢を正した。
「ああ、それと……こっちで使われた『不帰の矢』の件。猫の精霊様のご加護で被害を免れたらしいけど、隠蔽してくれてありがとう。もしまた流出品が見つかったら……そうだね、スイールに知らせてくれると助かる。スイール、処分方法はわかってるよね?」
「基本的には保管して魔族に引き渡し。現場の判断で破壊しても良いが、その場合でも残骸は引き渡すこと。内部構造の解析や分解は禁止、でしょ?」
魔族にとって大切なのは、「不帰の矢の現物」ではない。そこに使われている技術の流出こそが問題であり、ゆえに残骸であっても回収の対象となる。
マードックは「承りました」と応じ、改めて頭を垂れた。皇族がここまで丁重に扱う相手など、純血の魔族ぐらいなものである。
マードックとヘンリエッタの顔合わせが済んだところで、玄関に別の来客があった。
「スイールちゃん、いるー?」
「お母さん……いくら元教え子だからって、もうちょっと、その……」
学園の敷地内にある農業研究所の副所長、メルーサ・ラッカである。たしなめる声は娘のソラネ・ラッカだと思われる。
なお「元教え子」というのはやや怪しいところで――スイールが学生だった当時、授業には出たし単位もとったのだが、個人的な交流はなかった。
ルークが「ラッカ家」のキルシュを通じて自己紹介したのが縁で、スイールも改めて交流を得たのだが――なんと外見が当時から変わっていない。
昔から「学生か?」と見紛う存在感だったが、さすがにちょっとおかしい。自分のことを棚に上げて、スイールは「妙だな……?」とこっそり思っている。
「メルーサ先生。こっちです。今、学園長がいらしてます」
スイールは廊下に顔を出して招き寄せる。
「わぁ、学園長。おひさしぶりですねぇ」
小走りでぱたぱたと近づくメルーサに、マードックがまるで孫を見るような眼差しを向けた。
「おう、久しぶりだ、メルーサ君。研修中のソラネ君とはたまに顔を合わせるんだが、君は研究室に閉じこもりがちだから……」
「学園長も毎日、お忙しいですものね。あれ? ヘンリエッタちゃんも来てたの?」
「うん。お邪魔してる」
純血の魔族を「ちゃん」付けで呼ぶメルーサと、当たり前のようにそれに応じるヘンリエッタ――マードックが胃のあたりを押さえた。
ヘンリエッタ用膝枕の任務から解放されたリルフィが、いつの間にか用意していた薬草茶をマードックへと差し出す。
「……あの、マードック様。こちらを――胃に優しいお茶です……」
「あ、ありがとう……いや、本当にありがとう……たすかる……」
スイールやヘンリエッタはこういう常識的な気遣いが苦手……というより、する必要性をあまり感じないタイプなので、リルフィの振る舞いに「ほえー」となる。人見知りが激しく引っ込み思案とはいえ、女子力はそこそこ高いのだ。
――実はルークを飼い始めたことで、飼い猫の気遣いの細やかさに感化され、リルフィも学びを得たというのが真相なのだが……最近になって知り合ったスイールが、さすがにそこまで知る由はない。ペットは飼い主に似るというが、飼い主もまたペットに似るのである。
「……メルーサ君は、ヘンリエッタ様と知り合いなのかね……?」
「はい! ええと……」
「そのあたりのご説明は私から」
ここで娘のソラネが割り込んだ。メルーサがうっかり「本当のこと」を言わないよう、警戒したのだろう。
「先日、トゥリーダ様から贈られた『トマト様』の件がきっかけです。リルフィ様はその原産地のご出身とのことでしたので、向こうでトマト様がどういう形で活用されているのか、その生産状況や経済作物としての価値などについて、レクチャーを……その流れで魔導研究所に出入りしているうちに、ヘンリエッタ様ともつい先日、御縁を得まして」
とっさにこんなカバーストーリーをでっちあげるあたり、彼女もやはり肝が太い。ソラネは「こういう事態」をも想定し、あらかじめ受け答えの準備をしていたと思われる。ラッカ家は学者の家系だと聞いているが、彼女の臨機応変な対応力はおそらく官僚向きだった。
ヘンリエッタが意味深に微笑む。
「トマト様かぁ……あれ、オズワルドがやたら推してるみたいだから、変な扱いしないように気をつけてね? 普及させる分には問題ないと思うけど、悪口言ったり根拠のないデマを流したりすると暗殺されそう」
野菜のためにそこまで……? とも思うが、オズワルドなら一罰百戒の精神でたぶんやる。
マードックも真顔で頷いた。
「は。留意した上で、関係部署にも通達させていただきます。ところで……メルーサ君は、今日は何の用事でここへ? やはりトマト様絡みかね?」
「えーと……そうですねぇ。そんな感じです」
メルーサはにっこりと微笑んで曖昧に応じたが、スイールはその真意を察している。
彼女はルークへの言伝を頼みに来たのだろう。先日、ルークは「ホルト皇国にトマト様を普及させるにあたって、トマト様の名誉を損なわず、それでいて庶民にも受け入れられる普及策について、経営学、経済学の有識者から助言が欲しい」とメルーサに依頼していた。
その思案がまとまったか、あるいは追加の確認事項が出てきたか――いずれにしてもトマト様絡みだとは思われる。
しかし残念ながら、今日はルークがいない。縄張りの一つで、ちょっとした『想定外』の混乱が起きているらしい。
「じゃあ……リルフィとヘンリエッタ様は、研究室のほうでメルーサ先生とソラネへの対応をお願い。学園長と私は応接室へ戻りましょう。カティアもこっちに、一緒に来てくれる?」
カティアに用があるわけではない。が、彼女はまだルークのことを知らないため、メルーサ達の会話を聞かせるのは支障がある。
いずれ環境に慣れたら、ルーク側から自己紹介することになるのだろうが……今のルークはちょっとどころでなく忙しい。
マードック学園長が不思議そうな顔をした。
「お嬢ちゃんも一緒に? スイール殿、それは――」
「ついでにアロケイルの現状について、現地を知る立場から正確に教えてもらいましょう。カティアは賢い子ですから」
納得顔で頷き、マードックが部屋を出る。
小さく手を振るヘンリエッタに軽く目配せをしておいて、スイールはそっとカティアの手を握り、応接室へと導いたのだった。
§
有翼人の里メテオラは、初めての春が近づき雪解けの季節を迎えていた。
……いや、まだ一面真っ白ではあるのだが、昼間はちょっと暖かい。
本来なら昨日の時点で、麓のリーデルハイン領への「本社従業員達の引っ越し」を済ませるはずだったのだが……
のっぴきならない事情により、これが数日延期となってしまった。
「……ルーク様、容器が足りません! たびたびすみませんが、樽の追加をお願いします……!」
「お、おおぅ……さらに追加ですか……き、雉虎組の皆さん、とりあえず追加で二十個ほどお願いします……」
『にゃーん』
集落と隣接する樹林にて、忙しく働く有翼人さん達を見守りつつ、猫は割とドン引きしていた。
今やっているのは……そう、「メイプルシロップ」の収穫である!
メイプルシロップは、サトウカエデの樹液を煮詰めたもの。雪解けの季節、サトウカエデの木に小さな穴を開け、樹液を導く筒状の器具を打ち込むことによって、これを採集するのだ。
で、ルークさんの感覚としては、「そんなにとれるもんでもなかろう」ということで、サトウカエデの樹林は広めに確保しつつ、そこの管理は有翼人の方々に任せていたのだが――
何がどう影響したのかさっぱりわからんが、雪解けの季節になった途端、植林したサトウカエデの木々が本気を出した。
幹に穴を開けると、ちょっと有り得ない勢いでダバダバと透明な樹液が溢れてきたのだ! 俺が知ってるメイプルシロップの収穫風景となんか違う! 具体的には量が! 勢いが! ちょっとどころでなくおかしい!
メイプルウォーターって、「経路を作って何日かおいておくとタンクに溜まっていく」ぐらいの速度感じゃありませんでしたっけ!?
……ドラウダ山地の土質が良かったのか、世界に満ちる魔力の影響か、有翼人さん達の特殊能力「植生管理」が効いたのか、はたまた亜神の加護的なアレか……
そういえばこのメテオラも俺が開墾したから、カルマレック邸みたいに聖域化されている可能性があるのか……? トマト様は当然として、サツマイモとか栗とか梨とかリンゴも収量すごかったからな……亜神こわ……
とにかくメイプルシロップは想定外の収穫量となってしまい、樹液を貯める樽が足りず、煮詰める作業も追いついていない。もったいないから雉虎組に木樽を製作してもらってこれに樹液を溜めているのだ。
そんな苦労をしなくても、メイプルシロップそのものをコピーキャットで増やしてしまえば楽々なのだが……コピーキャットなしでどれだけの収量を確保できるのか、きちんと検証しておく必要があるし、いつまでも亜神が支援し続けるのはよろしくない。
今後の出荷計画、林の管理計画のためにも、「今の規模でどの程度の生産量を見込めるのか」は把握せねばならぬ。
メイプルシロップ、その樹液の輸送は重労働である。
前世では、産地によっては木々にチューブをセットし、高低差を利用して麓へ樹液を集めるシステムを構築していたりもしたが――そんな長いチューブが気軽に手に入る環境ではない。欲しければ自前で作る必要がある。
今年はとても間に合わなかった……というか、「樹液がちゃんと出るかどうか」すらわからなかったので仕方ないが、来年以降はもっと工夫して効率化したい。
空の樽を木の傍に運ぶ人、満タンになった樽を荷車に積む人、その荷車を引いて倉庫に運ぶ人……
さらに女性陣が中心になって樹液を煮詰める作業も並行して進めており、周囲には甘い香りが満ちている。
香りにつられて落星熊さん達も「おいしそうな匂いがする……」と奥地から出てきてしまい、リンゴとサツマイモで懐柔するありさま。
これ、煮詰めたシロップを入れるガラス容器も足りねえな……? ガラス容器は隣接するトリウ伯爵領から調達する方針で、ナナセさんやジャルガさん達がもう商談をまとめてくれているのだが……どうやら追加の注文が発生しそうである。
俺とテオ君(猫のぬいぐるみ)をセットで抱っこした有翼人のソレッタちゃんも「ふわー」と驚いた様子で、働く大人達を眺めていた。
「ルークさま……すごく甘いにおいがします」
「……今日は洗濯物もぜんぶ、メイプルシロップ風味になりそうだねぇ……」
かくいう俺の体毛もだいぶ……甘ったるい匂いになってしまった。
雉虎組が急遽製作した空き樽もどんどん運ばれていき、あっという間になくなった。
そこへシノ・ビの女の子が駆けてくる。カエデさんの仲間だ。
「ルーク様! すみません、東側区画でも樽が足りず……追加をお願い致します!」
「そ、そっちもですか……! 雉虎組の皆さん、お願いします!」
『ニャーン』
……もういっそ専用プールとか専用タンクを作って保管したほうが良いのでは……? などと猫が思い悩む間にも、メイプルウォーター収集作業は続いていく。
なお、この無茶苦茶な騒ぎは初日だけで終わり、さすがに二日目以降は勢いが減じた。
それでもシーズン中の収量は当初想定の数十倍に及び、メテオラ印のメイプルシロップはめでたく、この地の主要特産物となることが確定したのである。
……その夜、トマト様のライバルを自らの手で作り出してしまったことに気づき、猫はひっそりと悶絶したのだった。
いつも応援ありがとうございます!
本日、ニコニコ漫画のほうで、三國先生のコミック版・猫魔導師、23話が更新されました。
アイシャさんとの会談回です。ルークの野菜泥棒スタイルはどうしてあんなにも似合うのか……
なお、こちらの次の更新は8/10(日)の予定です。
もう十日は空けたくないので可能な限り週一のペースに戻しつつ、でも今週は5日じゃ無理だな!という泣きの一手となります。
……いえ、会報8号の加筆分が7月一杯で終わらず、ちょっとだけ延長戦に入りましてorz