27・純血の魔族
ウィルヘルム・ラ・コルトーナは、魔族・コルトーナ家の第三子である。
魔族は元人間だった――という説がある。
ウィルヘルムを始め、多くの魔族はこの言説が間違いであることを知っていた。
“元”人間ではない。“今もなお”、基本的には人間のままである。
だから人との間に子も生まれるし、長い生に裏打ちされる「知識」はともかくとして、「知能」のレベルは人間とさして大きく変わらない。つまり似たような愚かしさも抱えている。
魔族とその他の人間とを隔てる、もっとも大きな要素――
それは「亜神の核」である。
かつて魔族は、“亜神”を再現しようとする人体実験の過程で生まれた。
実験を行っていた魔導王国は、当時の被験者達の反乱によって滅んだが、研究成果たる“魔族”は今の世にも残り続けている。
亜神の核とは何なのか、年若いウィルヘルムは、その正体までは知らない。
が、特性はある程度までわかっている。
その核を持つ者は“純血の魔族”と呼ばれ、ほぼ不老不死の肉体と強大な魔力を得る。
核は長子にのみ引き継がれ、核を失った親側は、その魔力の大半を失う。そのため、核を持つごく少数の魔族は滅多なことでは子供を作らない。
核の移動は任意で行われるため、性行為そのものは可能だが、核を持つ間は何故か子供ができない。
理由については魔族の間でも見解が分かれているが、ウィルヘルムの親は「核を失って初めて、“肉体”の重さを実感した」とも言っていた。
つまり“亜神の核”を持っている間、その体は生殖が不可能な、精神体に近いものへと変質している可能性が高い。ゆえに不老不死であり、物理攻撃などもほとんど効かない。
実際に純血の魔族から生まれる長子は、一般的な性行為ではなく、「亜神の核を、母胎へ移動させる儀式」を経て生まれてくる。
母親が核の持ち主であった場合は、自らの意思でそのまま自身の胎内へ核を移し、そこへ父親役の魔力を注ぐ。
そして父親が核の持ち主であった場合は、母親となる人物の母胎へ、自らの核を移す。
儀式にはもう少しややこしい要素も絡むが、ともかく“母胎に亜神の核を移す”ことで、はじめて長子が生まれる。
魔力を失った親は、その後、数百年程度の寿命を経てゆっくりと老いていき、やがて死に至る。
この寿命の長さが、強いて言えば“魔族”と“人”との決定的な違いといえるが、魔力はともかく、身体能力は人間とさほど変わらない。
二番目以降の子供は、人間と同様、通常の性行為によって生まれてくるが、核の残滓が多少は影響するのか、そこそこの魔力と少し長めの寿命を持つ例が多い。
第三子たるウィルヘルムの寿命は、推定で二百数十年。
第四子となる妹フレデリカの寿命は、おそらく百五十年前後――
後から生まれる子供ほど加速度的に影響が薄まるため、もし次に第五子が生まれた場合、その子供は身体的にも寿命的にも、ただの人間とおそらく見分けがつかない。
そんな子供でも一応は“魔族”として扱われるが――世間一般の人々が“魔族”に対して抱くイメージとは、かけ離れた存在といっていい。
血縁的に“亜神の核”から遠ざかるにつれて、魔族は“ただの人間”へと戻っていってしまう。
現在、各国にいる魔族の協力者、あるいは友好的関係にある者達の中には、そうした世代の経過を経て、「ただの人間」になってしまった遠い親戚が相当数含まれている。
そして、そうした者達が理不尽に傷つけられた時――
魔族、および魔王軍は牙を剥く。
もっとも、これは正当な怒りとは言い難い。復讐の相手は加害者ばかりでなく、無関係な人々をも多く巻き込む。
それはほとんど“憂さ晴らし”に近い性質のもので、殺される側にしてみればそれこそ「理不尽」であろう。
たとえば、ウィルヘルムの姉。
コルトーナ家の第一子、“アーデリア・ラ・コルトーナ”などは、まさにこの「理不尽」を体現した例だった。
「……姉上達のやり方は、あまりに大雑把すぎます。正直に言って、ついていけません」
ウィルヘルムはかつて、父にそう相談したことがある。
父は昔、“純血の魔族”だった。
冒険者をしていた母と出会い、子を作ることを決意し、儀式を経てアーデリアが生まれた。
この儀式によって、母親も一時的に“亜神の核”を宿したため、人間の身でありながら寿命が数百年と伸びた。
母親は現在、まだ71歳だが、見た目は20代前半のままである。
両親は仲睦まじく、ゆえにその後、ウィルヘルムやフレデリカまで生まれた。
“純血の魔族”が、自らの不老不死を捨ててまで子を作るのには、“伴侶と過ごす時間を増やしたい”という思惑も影響するらしい。
母親側が純血の魔族で、父親側がただの人間であった場合にも、何故か同じ現象が起きる。
これは儀式の最中、“亜神の核”を通じて両者がつながるためとされているが、詳しい仕組みはいまだ解明されていない。
姉のアーデリアには、まだ共に歩む伴侶はいない。
彼女の横暴に思い悩むウィルヘルムの頭を撫でながら、父は穏やかに笑った。
「姉の立ち居振る舞いが横暴に見えてしまうのは……ウィルヘルム、お前自身が、力に溺れた経験がないせいかもしれんな」
少し困ったように、あるいは気恥ずかしげに、父は肩をすくめてみせた。
「“亜神の核”を宿している間の、あの万能感……あればかりは、年若い身にはなかなか制御できるものではない。私も若い頃は、暴れることが楽しくて仕方なかった。しかし、三百歳になった頃……急に全てがつまらなくなってな。魔王に願い出て、しばらく俗世を離れることにした。そして……引っ越した先で十数年が過ぎた頃、あの極寒の地で、遭難したフラロウスと運命的な出会いを果たしたのだ」
以降、父と母ののろけ話が延々と続く。
ウィルヘルムの相談については、何も解決されないままで放置された。相手が実の親でなければ舌打ちを漏らしていたところである。
力があれば使いたくなる、その理屈はわからないでもない。
が、姉のアーデリアは、なんというか、こう……「力に溺れている」などという高尚な状態ではなく、ただ単に「力の加減が下手」なだけではないかと感じることが多々ある。
そして厄介なことに、本人がその下手さに気づいていない。
即ち刃物を振り回す幼児である。
弟から見て、非常に危なっかしい。
そんな姉、アーデリアも齢五十に達し、見た目だけは二十歳前後の見目麗しき淑女になった。
魔族は概ね、五十歳前後で成人する。
“純血の魔族”はそこから年をとらないが、膨大な魔力を利用すれば見た目を変化させることは容易なため、外見にあまり意味はない。生後五歳の時点でも老人に化けられる。
それでも一応、“本来の姿”というものは持っており、アーデリアの場合、赤髪紅眼の快活な美女だった。
見た目だけなら、高貴な魔族として決して恥ずかしくない。
言動も、まぁ……演技ができている間は、どうにか誤魔化しが利く。
精神年齢がヤバい。アホの子である。末っ子のフレデリカのほうがよほど賢い。
かつてウィルヘルムの師は言った。
「弱い者は生き残るために工夫せざるを得ないから、自ずと賢くなる。はじめから強いとその必要がないから、知能は伸びにくい」
納得できないこともない理由ではある。
「しかし、師よ。たとえばデイモス家の御令嬢、リリアルム様などは、まだ年若くともとてもお強い上に、理知的な賢さまで備えておられるように見えますが……」
「何事にも個人差はある」
つまり姉は単純にバカということである。結論は身も蓋もなかった。
妹のフレデリカが“門”を調整中の事故で転移してしまったのも、この姉のうっかりが原因である。
つい先日、姉は「戦いを吹っかける相手」を検討するため、転移の門を適当にいじっていた。
そのまま飽きて、門を開いたまま床で眠ってしまった。
それを見つけたフレデリカが、姉を寝台に運ぼうとして――
二人はそれぞれ、別の場所へ転送された。
フレデリカが飛ばされた先をどうにか絞り込めたのは幸運だったが、つまり行方不明者はもう一人いる。
そう大きく離れてはいないはずだが、この場合の「大きく離れていない」とは、「他の大陸や星の反対側などではない」という程度の意味であり、ネルク王国内にいるとは限らない。近隣国も含めて、捜索範囲は広く考える必要がある。
ウィルヘルムはこれから、一応、仕方なく、嫌々ながら……後で拗ねられると面倒だから、という酷い理由で、自分より遥かに強い姉のアーデリアの行方も探さねばならない。
無事は確信している。
あの姉を倒せるのは、それこそ他の“純血の魔族”か、亜神くらいなものである。
フレデリカと違って自分の力で戻ることも容易なはずだが、この機会に下界見物などと言い出しかねず、つまりウィルヘルムの次の目的は“迷子の保護”ではなく、“わがままな姉の連れ戻し”であった。
この捜索はルークにも頼めない。
フレデリカと違って緊急ではない上、もしも姉がルークを気に入ってしまい、自分のものにしようとした場合――面倒なことになる。
第三子ながら、ウィルヘルムはまがりなりにも長男である。
上に二人の姉がいて、下には可愛いフレデリカがいる。二番目の姉はさっさと嫁に行ってしまったため、今は家にいない。おそらくアーデリアの面倒を見るのに嫌気が差して、さっさと逃げたのだろうと推測している。気持ちはわかる。
ウィルヘルムとしては、長子のアーデリアにはとっとと旦那を見つけてもらい、“亜神の核”を子供に移して欲しいとさえ思っている。
しかし男の気配がない。微塵もない。そもそも本人にその気がまるでない。
頭の痛い話だが、まだしばらくは――今後、おそらく数十年前後は、ウィルヘルムが彼女の諌め役になる必要がありそうだった。
フレデリカから少し遅れて“門”をくぐり、屋敷へと帰還したウィルヘルムは、そこで執事の出迎えを受けた。
「ウィルヘルム様、お帰りなさいませ。ご帰還されたフレデリカ様は、メイド達に命じて沐浴場へお連れいたしました。ウィルヘルム様もおやすみになられますか」
老いた執事、その正体は霊魂を宿した人形である。コルトーナ家には既に二百年ほど仕えており、姿はまったく変わっていないが、時折、古くなった素体を交換している。
「いや、すぐに姉上を探しに行く。フレデリカを一日で見つけられたのは幸運だった。風の精霊様からのご紹介で……ちょっと不思議な方とお会いしたんだ。フレデリカを見つけられたのは彼のおかげだから……もしここに来ることがあったら、丁重にお出迎えしてほしい。門の“鍵”もお渡しした。ルーク様という方だ」
執事がわずかに首を傾げた。
「初対面の方に……鍵を?」
「風の精霊様から祝福を受けておられる。信頼できる方とお見受けした。それと……縁をつないでおいて、いざという時には助力を願う」
ルークと名乗った、あの奇妙な猫――
あの猫が繰り出した不可思議な魔法の数々は、ウィルヘルムの常識を覆すものばかりだった。
ストーンキャット。
外見は「岩でできた巨大な猫」だったが、あれはむしろ超高密度の魔力の塊を岩に擬態させたものであり、岩石などという脆い物質ではない。その一撃はおそらく落星熊をも昏倒させる。
サーチキャット。
魔法によって「自律的に動く存在」を作り出すのは、極めて難しい高度な技とされる。「侵入者を倒せ」といった簡単な命令を実行するゴーレムですら、一流の魔導師が何年も試行錯誤を重ねて、ようやく成功するか否かといった偶然の産物だった。
代替手段として、依代に霊魂を宿らせる暗黒属性の「死霊術」はよく使われるが、この場合、霊魂には元の自我があるため、裏切りや逃亡、サボタージュといったリスクも生まれる。
「魔力」によって生まれた存在へ、周囲を見る「知覚力」、知覚した上で次の行動につなげる「判断力」、さらには与えられた命令を確実にこなす「実行力」を付加することは、「新たな命を創り出す」のにも近い一つの奇跡とされていた。
しかしあの猫は、ウィルヘルムの目の前で、数千、数万の魔力でできた猫を展開し、それらに一瞬で「命令」を付与してみせた。
ほんのわずかな時間で実際にフレデリカを発見できたことから、あの大量の猫達が「知覚力」「判断力」「実行力」を備えていたことは疑いない。
どう考えても、既存の魔法体系からは完全に外れた奇跡の御業である。
そして、最後に見せたウィンドキャット――
ストーンキャットと原理的には近いものなのだろうが、これについてはスピードはもとより、使用したタイミングがまずおかしい。“サーチキャット”のような異常な大魔法を駆使した直後で、彼は何故、魔力の枯渇を起こさなかったのか?
――答えは明白だった。
あの“ルーク”という猫にとって、これらすべての魔法は「大魔法」でもなんでもない、ごくごく普通の魔法だったのだろう。
文字通り、魔導師としての「格の違い」を見せつけられた。
……ついでに、ストーンキャットの上で勧められた、あの白く甘い飲み物。
爽やかな清涼感を伴うあの飲み物は、いったいなんだったのか。
妹の捜索を優先したため詳しく聞けなかったが、あの地方の特産品だろうか。しかしあんなにも美味な飲み物があるならば、王侯貴族がこぞって交易を求めるはずで、寡聞にしてそんな話も聞いていない。
謎が多すぎるが、はっきりしていることもある。
ルークというあの猫は、風の上位精霊から祝福を受けている。この時点で、決して邪悪な存在ではない。
これはウィルヘルムも同様で、“精霊からの祝福”は、身分証などよりもよほど明確な「好人物」の証となる。
そもそも上位精霊には人物の好みがあり、これに適合しなければ祝福は得られない。
地の精霊は「謹厳」「実直」「泰然自若」たる人物を好む。
水の精霊は「清楚」「純粋」「冷静沈着」たる人物を好む。
火の精霊は「明朗」「快活」「天真爛漫」たる人物を好む。
風の精霊は「自由」「自然」「温厚篤実」たる人物を好む。
仮に精霊に嫌われるような行動をとった場合、その祝福は即座に消滅してしまう。
この点において、同じ系統の祝福を受けている者同士は共鳴しやすく、ウィルヘルムも当然のようにルークへの好印象を持った。
ウィルヘルムは再び転移の「門」を通る前に、執事へ言伝をした。
「……今回のことで、ネルク王国のリーデルハイン子爵領に“恩人”ができた。友好者として設定し、他家に対して、リーデルハイン領への手出しは無用と通達して欲しい」
「承りました。対象のお名前や身分、特徴はどのように付記いたしましょう」
ここが悩ましい。「猫の姿」などと付記して興味をもたれると、物見高い他の魔族がわざわざ出向きかねない。
「名前はルーク殿という。子爵家の家臣で魔導師だ」
ひとまずは、当たり障りのない情報のみにとどめる。
手元の魔光鏡で他の魔族への通達事項をまとめながら、執事が首を傾げた。
「ネルク王国……リーデルハイン子爵領……おや? サリール家の侵攻予定地に入っておりますな。侵攻理由は……ああ、ルーレットで決めたようです」
「……すぐに再考をお願いしておいてくれ。近く、僕がご挨拶にうかがって事情を説明する」
危ういところだった。
サリール家はコルトーナ家と同じく、純血の魔族を擁する一族である。
当主は好戦的だが好人物で、コルトーナ家とも懇意にしている。話の通じる相手でもあり、侵攻予定地の変更については受け入れてもらえるはずだった。
代わりに襲われる他の領地に対しては、少しばかり同情する。
転移先を設定し直し、ウィルヘルムは魔法陣へと沈んだ。
その先は行ったことのない土地である。
馬鹿な人間達が、姉のアーデリアを怒らせていないことを祈りつつ……いや、間違えた。
馬鹿なアーデリアが、虚弱な人間達に手出ししていないことを祈りつつ。
ウィルヘルムは深い溜息とともに、再度の転移を開始した。