表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
我輩は猫魔導師である! 〜キジトラ・ルークの快適ネコ生活〜  作者: 猫神信仰研究会


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

269/288

259・白猫の来訪


 その夜、十歳のカティアはなかなか寝付けずに、ベッドの中で猫を数えていた。


 本物の猫ではない。頭の中にいる想像上の猫である。

 猫が一匹、猫が二匹、猫が三匹……数の勉強も兼ねて、数えているうちに眠くなる――という昔ながらのおまじないだが、普通は羊を数えるらしい。でもカティアは猫のほうが好きなので、猫を数えることにしている。


 やがて四十三匹目がのっしのっしと通り過ぎたところで――窓枠をカリカリと引っ掻くような音が聞こえた。


 母のジャニスは隣でもう眠っており、気づいていない。以前は長かった赤毛を最近になって短めに切ったばかりで、「寝やすくなった」と喜んでいた。


 母を起こさぬように用心しつつ、カティアが窓に目を向けると――そこには、真っ白な毛の猫がいた。

 部屋を覗き込みながら、カリカリと窓枠を引っ掻いている。


 部屋は三階である。窓枠の傍に足場などはない。

 まさか屋上から落ちて、かろうじて枠に足を引っ掛けたのか――一瞬焦ったが、白猫は片方の前足を適当に浮かせ、もう片方の前足で窓枠をカリカリしている。特に踏ん張っている様子もなく、まるでそこに浮いているかのようだった。


 不思議に思って、カティアは静かに起き上がり窓へと近づく。


 その猫には白い翼が生えていた。

 月明かりを浴びたその姿はあまりに神々しく、彼女は思わず見惚れてしまう。


 黒目がちな目は優しくカティアを見つめ、穏やかな口元はわずかに微笑み、白い翼は羽ばたくこともないまま、その身を宙に浮かせていた。

 翼はあっても、その飛び方は鳥とは違う。これは話に聞く「精霊」に近い存在なのではないだろうか――?


「……ねこさん……?」


 カティアが夢現ゆめうつつに呟いた直後、白猫の声が脳裏に届いた。少し高めの、少年のような……あるいは愛想のいい商人のような声である。


『はじめまして。私は猫の精霊です。ホルト皇国にいる私の仲間が、貴方の兄君、イグナス君と仲良くなりまして……その御縁で、お二人の様子を見てきて欲しいと頼まれました。もしよろしければ、窓を開けて中にいれていただけますか?』


 カティアは警戒もせず、言われたとおりに窓を開けた。猫が「開けて」と言っている。ならば開けないわけがない。

 多少怪しかろうとも、猫のかわいさの前に人類は無力である。仮に猫以外の存在が「窓開けて」などと言い出したら、もちろん衛兵に通報する。


 背伸びして窓を開けると、白い猫はするりと室内に入ってきて、カティアの眼前で優雅に翼を畳んで香箱をキメた。猫にしてはちょっと大柄で、犬ぐらいのサイズ感がある。長毛でモッフりしていてかわいい。


『どうもどうも。えっと、お母さんはもうお休み中です? すみませんが、割と大事なお話になりますので、起こしていただけると――』


「はい。少々おまちください」


 猫さんが丁寧な口調なので、カティアも丁寧に返す。こんなところに住んでいるが、カティアは『はくしゃくけのせいりゃくけっこん』によってちょっと良い家に嫁ぐ可能性があるので、最低限の礼儀作法の勉強は欠かしていない。


「お母さん、お母さんってば。起きて。お客さんだよ」


「……んぅ……? ……お客様……? うちに……?」


 肩を強めに揺すると、母のジャニスが眠たげに目を開けた。

 ベッドサイドで香箱座りをした神々しい白猫は、おとなしくその様子を見守っている。そこはちょうど月光の差し込む範囲で、体はキラキラと光って見えた。

 ……おそらく本当に、かすかに光っている。魔力の光かもしれない。


「お客さん。お兄ちゃんのお友達……の、お友達だって」


『はい。私の眷属の猫さんが、御子息のイグナス君と親しくしておりまして……はじめまして、猫の精霊です! おやすみ中のところ、急に押しかけてしまって申し訳ありません』


 ぺこりと一礼。

 母のジャニスは目をぱちくりとさせ――

 部屋の中を少し見回した後、眉間を指先で押さえ、「……あの子、向こうで一体何を……」と、やや困惑気味の寝ぼけた声を漏らした。


 白猫が自身の手の甲を舐めながら、念話で説明をはじめる。


『実は、ホルト皇国のラズール学園に留学中のナイブズ様一行が、イグナス君の母君と妹さんのことをとても心配していまして……現在、イグナス君の帰国に向けて旅費を稼いでいるところなのです。ただそれを待っていると、こちらへの到着は一年ぐらい先になってしまうはずなので、「ちょっと助けてあげてほしい」と、私の知り合いの猫さんからご依頼を受けました』


「……猫さんからの依頼……? あの、まだちょっと混乱しているのですが……イグナスのお友達の猫さんが、その……精霊様に、私達のことを相談したと……?」


『より正確には「元気がないので相談にのってあげて」ぐらいのご依頼だったのですが……その原因がお二人にあるとわかりましたので、保護のためにこうしてうかがった次第なのです』


 ずいぶんと丁寧でしっかりした猫さんである。たまに視線が泳いでいるものの、いたずらをすることもなくおとなしい。


「そんなことが……お心遣い、たいへん恐縮です」


 寝起きで乱れた髪を改めて手櫛で整えつつ、母のジャニスはベッドから降り、白猫の前で深々と頭を下げた。


 ……混乱する母に寄り添うか、こっそり白猫を撫でるかの二択を迫られたカティアは、あまり迷わず猫の隣に座り込む。母とはいつも一緒だが、この猫の精霊はたぶんレアである。触るなら今しかない。


 歓迎の意を込めてそっと撫でると、白猫は嬉しそうに目を細め、「にゃーん」と甘えた声を漏らした。言葉遣いは真面目なものの、やはり猫である。


「……ええと、カティア……あのね……?」


 当たり前のように猫を撫で回す娘を、止めるべきか否か……母がそう迷っていることを察しつつ、カティアはあえて白猫をモフり続ける。

 白猫は上機嫌なので、この行動でおそらく正解なのだ。人に触られるのを嫌がる猫も少なくないが、とりあえずこの精霊様は友好的な存在らしい。


 母のジャニスにもそれは伝わったようで、結局、制止の言葉は紡がれなかった。


「それで、あの……私と娘の保護のために来てくださったとのことですが……精霊様はつまり、はるか彼方のホルト皇国から、わざわざそのためにこの地までおいでくださったのですか……?」


『はい! とはいえ私は転移魔法を使えますので、ついさっきまで向こうにいました。それでですね、その転移魔法で、お二人にもホルト皇国へ来てもらおうと思っておりまして……その上でイグナス君達と相談し、今後の対応を決めてもらえれば、と思います。お手数ですが一旦、ホルト皇国までおいでいただけますか?』


 これに対して母が何かを言う前に、カティアはかぶせるように言い放った。


「行く。行きたいです。お兄ちゃんのところ」


「えっ……! カ、カティア……?」


 あまりの即断即決ぶりに、母が動揺した。

 カティアはまだ幼いが……それでも今の状況を、多少は把握している。


 お城がなくなった。王族がいなくなった。そのせいで街が混乱している。

 混乱を嫌がって人が減った。カティアの友達も別の街へ引っ越した。

 王都は近いうちに戦場になるから、なるべく早く離れたほうがいい――大人達もそう噂している。


 父親にあたる伯爵も、城で王族と一緒に亡くなったらしい。訃報を知った夜、母のジャニスは途方に暮れていた。


 カティアは父親のことをよく知らないし、母も悲しくて落ち込んでいたわけではないように思う。

 ただ、家賃や警備費を含むここでの生活費の多くを、伯爵本人からの支援でカバーしていたので……

 その父の死によって、伯爵家からの支援が即座に打ち切られたとカティアが知ったのは、昨年末のことだった。


 また、母は小さな商店で店番と経理の仕事もやっていたが、この店も衛兵の不在に乗じた暴徒の略奪によって破壊され、店主は王都での商売を断念しよその街へ移住していった。


 現在、王都ではまともな仕事を得るのが難しく、母と自分は貯蓄を切り崩して生活している。

 一般の店舗はその多くが略奪に負けて撤退したため、今は略奪者が報復を恐れて襲えないタイプの店舗……早い話が、裏組織の後ろ盾を持つ闇市場ぐらいしかまともに機能していない。

 衛兵達の不在を好機と見て、「そういう状況」をあえて作り出そうと、裏組織の面々が他店舗への略奪を扇動したとの噂もある。


 さらに貨幣価値の下落もあって物価は高騰しているが……それでも実は、「物資そのもの」が不足しているわけではない。

 農作物の収量は平年並みだし、領主が健在の地方都市へ逃げれば衛兵も機能しているため、「ここから逃げればひとまずはなんとかなる」状態ではあるのだ。王都における「物資不足」の正体は、流通の麻痺と商会の撤退につけ込んだ裏社会の仕込みであり、国として物資が本当に足りていないわけではない。


 こうした細かい部分までは、幼いカティアは知らない。しかし、「このままここにいるのは良くない」ということぐらいは理解している。


 貯蓄が尽きるまでによその街へ引っ越すべきなのだが、王都育ちの母にはよそへ移るような伝手つてがなく、母娘二人では移動の安全すら確保できない。もちろん家財などは捨てていくことになるし、まともな店舗がない今は、それらを処分し移動費に換えることすら難しい。


 移動した先でまともに生活できる保証もなく、今はまだ(・・・・)、慣れた環境であるこの地にとどまっているが――遠からずこの生活が破綻することを、カティアも薄々察していたのだった。


 翼の生えた白猫は目を細めてゴロゴロと鳴きつつ、母のジャニスに視線を向けた。


『娘さんもこうおっしゃっています。いきなりのことで不安も懸念もあるでしょうが……今からちょっとだけ、現地に行ってみませんか? その上で実際にイグナス君と話せば、思案もまとまるかと思います』


「今から……えっ!? 今すぐですか!?」


『はい! こんな話を聞いたら、どのみち今夜は気になって寝られないでしょう?』


 ド正論である。澄まし顔の白猫に説得され、母のジャニスも肚を決めた。


「……それでは、恐れ多くもご厚意に甘えさせていただきます」


 この場に現れた者が、もしも「人間」の姿であれば、カティアも母もおそらくもっと警戒した。

 しかし猫である。しかも翼が生えていて神々しく、顔立ちも優しい。

 兄のイグナスも顔に似合わぬ猫好きだったし、怪我をした野良猫が回復するまで面倒を見たり、迷子猫の捜索のために友人達を動員して街中を駆け回ったりと、周囲にいる猫との良好な関係を築いてきた。

 そんな兄を「猫の精霊」が助けてくれるというのは……なんとなく、説得力のある話に思えてしまうのだ。


 適当な外套を羽織り、寝台脇の着替えも持っていく。いつでも逃げられるように、準備だけはしているのだ。


『それでは今から、イグナス君達の宿舎にお送りしますが……今夜と明日一日は、ラズール学園側の様子を見て、判断の材料としてください。明日の夜にでもまたうかがいますので、移住するかこちらへ戻るか、あるいは他の選択をするのか、その時に教えていただければと思います。また移住する際には家具などの配送も承りますので、あとは向こうでご相談を!』


 そう告げて、白猫が笑顔で肉球を掲げた直後――

 カティアの視界が一瞬だけ暗くなり、ふっと体が軽くなった。

 

 まばたき一回。

 たったそれだけの時間で、周囲の景色ががらりと変わる。


 きれいに整備された石畳の道と、煉瓦造の長屋。

 各部屋の窓からはランプの灯りがこぼれ、開いている窓からは楽しげに会話する若者の声が漏れている。

 アロケイルとは建築様式が違うものの、一目で集合住宅だとわかった。


「……まぁ」


 精霊の言葉を疑っていたわけではないのだろうが、母は絶句して建物を見つめる。


 カティアも似たようなものだったが――彼女の足元には一匹の猫が待機しており、「にゃーん」と鳴いてスカートの裾を引っ張った。


 猫には違いないのだが、カーゼル王国風の赤いシノ・ビ装束を着ている。背中には剣のようなものを背負っているのだが、これもカーゼルで使われる「カタナ」という片刃の反った刃物に似ている。もちろん猫が使うようなものではない。

 おそらく彼も『猫の精霊の眷属』なのだろう。しかし言葉は喋れないようで、見た目も「神々しい」というより「かわいらしい」雰囲気である。


 紅い装束を着た不思議な猫に案内され、辿り着いた扉の先から、母娘にとって懐かしい声が響いた。


「いや、本当だって! 幻聴じゃねえよ! 今、頭ん中に変な声が……お袋と妹をこっちに送ったから出迎えろって、誰かが……」


「別に嘘だとは言っていない! 念話の類かもしれんが、そんな魔法を使えて、しかもお前の家族のことを知っている奴に心当たりがない。いや、昼にお会いしたスイール様やリルフィ様なら、該当するかもしれんが……本当に寝ぼけたわけじゃないんだな?」


「おい、イグナスもトラッドリーも声を落としてくれ……隣近所に聞こえる……」


 兄の怒鳴り声と、それに言い返す親友の魔導師、二人を落ち着かせようとする王族の青年……

 ほぼ一年ぶりに聞いた彼らの声は、記憶のなかの響きとまったく同じで、カティアはつい、安堵の涙をその目ににじませたのだった。

先日追加しそこねた後半です、お納めくださいm(_ _)m

次の更新は7/24の予定です。酷暑と豪雨が交互に来るよーな日々ですが、皆様どうかご安全にー。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
カティアちゃん、ペシュク伯爵領へ行けば猫を33匹くらい数えて眠れるよ
カティアちゃんは未知との遭遇だけど普通に受け入れてるし、お兄ちゃんは直接脳内に・・・!?でパニックだしで笑いました さすがネコチャン案件だぜ
カティアちゃん絶対に猫力かなり高いな……(確信) 猫を信じるものは救われるのだ……
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ