256・転生者のお茶会
魔族のヘンリエッタ嬢は、見た目の挙動こそクールなのだが、内面は割と愉快そうな人であった。
……しかしこの子は、アロケイルの王城を壊滅させた「魔王の剣」でもある。戦力的にはアーデリア様以上、オズワルド氏も「火力ではとても及ばん」と認めていた。
まぁ、オズワルド氏の火力は「純血の魔族としては最低ライン」とのことなので……だから火力以外の武器を得ようと、正弦教団の組織力、空間魔法の研究、精密な狙撃技能などを伸ばしてきたわけなのだが、最近はこれに加えて猫撫で技能、スイーツレビュー、国家経営のサポート技能などを身につけつつあり、だいぶQOLが上がってそうな印象である。まいにちたのしそう。
そしてそんな楽しそうなオズワルド氏に、ヘンリエッタ嬢は違和感を持っていたらしい。
「なんか最近、『えらくご機嫌だな』とは思っていた。一昨年までのオズワルドは、顔だけ嗤っていても『人生つまんない』感じがにじみ出ていたから。去年の夏頃から妙に生き生きし始めて、彼女でもできたのかな、と――」
実際はよそのおうちのペットと仲良くなっただけなんですよね……あと和菓子に目覚めたりとか。
クロード様が「へー」と呑気な反応を返す。
「僕とオズワルド様は、こちらへの留学が決まってから話す機会が増えたもので……ルークさんと出会う前のオズワルド様って、あんまりピンときませんね」
「丸くなった……っていうか、生きがいができたのかな。魔族って目的意識を保つのが難しいんだよね。いろいろ飽きるし、たまに仲良くなった人がいても寿命で先に死んでいくし……かといって純血の魔族同士だと、それぞれ我が強かったり家の事情があったり変なプライドや意地があったりで、親しくなりにくいし」
年齢もそれぞれ違うっぽいしな……ヘンリエッタ嬢から見ると、まだ五十歳そこそこのアーデリア様など小娘同然であろう。
「ところでヘンリエッタ様は、各地への調査を通じて私の存在に気づいたとのことですが……一番違和感がでかかったのはレッドトマトへの物資支援だと思われますが、他にも魔族や魔王様に警戒されそうな兆候って、何かありました?」
俺のやらかし反省会である。開き直った行動を察知されるのはもう仕方ないが、気づいていないミスがあるようなら反省材料としたい。
ヘンリエッタ嬢はしばし考え込んだ。
「うーーーーん……正直ね? この世界ってそもそも厄ネタが多いんだよ。魔獣とか神獣とか邪神とか亜神とか精霊とか、もちろん魔族もその一例なんだけど……だから『異常事態』とか『不思議な出来事』そのものに関しては、けっこう感覚が麻痺してるとこあるの。そもそもデマや誤情報も多いし、記録媒体もほら……カメラで撮影した動画とかないじゃん?」
うむ。報道写真(?)も、写実的でめちゃくちゃ精度高いけど版画だしな……魔光鏡を使った写真技術はあるのだが、撮影するのに時間がかかる上、フィルム&印画紙が魔光鏡そのものなのでコストがバカ高い。
先日の「猫さん大活躍!」も版画職人さんの腕の見せ所になっていたので、実際の光景とは多少の乖離があった。
「猫の精霊に関しては、ちょっと興味をひかれた魔族もいるだろうけど、直接関わったオズワルドやアーデリアが『要するに神獣系の精霊っぽい』みたいな報告をしたから……脅威とか危険因子とまでは思われてない感じかな。私は意図や状況が読めなくて警戒してたんだけど、正体が転生者なら『あー』って納得できる部分もあるし……」
その見解にほっとしつつ、俺は揉み手でゴマをする。
「それを聞いて安心しました! いやー、なるべく目立たないように立ち回っていた甲斐があったというものです。あとですね、ヘンリエッタ様からも、魔王様への私に関する報告を控えていただきたいのですが――」
猫さんからの口止め要請に、ヘンリエッタ嬢は「うーーーーーーーーーーん……」と長めに悩みだしてしまった。
「黙っててやるからスイーツをよこせ」とか、そういう交渉の気配もなく……ただただ、純粋に困っている様子である。
「……ルークさんにとって不利な状況にはしない、って約束ならできるんだけど……完全に隠すのはもう無理じゃないかな……? ていうか、オズワルドやアーデリアならともかく、『調査担当』の私が隠すとさすがに不自然だよね。魔王様、嘘発見器みたいな魔法も使えるし、ラスタール家とデイモス家はその魔法を受け入れることで、信任を得ているところもあるから……うん。無理っ!」
拒否られた!? いやしかし、『嘘発見器』となると確かに無理筋な気がする……
ヘンリエッタ嬢は苦笑い気味に、代替案を提示してくれた。
「なんとかいい形で放置してもらえるように、情報操作しよう。そういう形でなら協力できるし、私も魔王様を裏切らないで済むし。あと、裏とりのために魔王様か、その家臣が接触してくる可能性は受け入れて。そうすれば、同盟とまでは言わないけど、相互不干渉ぐらいには持っていけると思う。大丈夫、魔族だってわざわざ亜神を敵に回したくないし、ルークさんが魔族側を敵視しない限り、悪い流れにはならないって」
ありがてぇ……ありがてぇ……!
「そうしていただけると助かります! あの、ちなみに魔王様って猫好きだったりしません?」
「獣人には寛容だけど、特に猫好きってわけではないかな……ていうか生き物全般、そんなに好きじゃなさそう」
……後半の情報にちょっと懸念しかないのだが、えっと、あの、それは……?
言葉が足りなかったと察したのか、ヘンリエッタ嬢は俺の喉元を撫でながら脱力気味に笑った。
「魔王様自身は穏やかっていうか、理由もなしに生き物を殺すタイプじゃないから安心して。理由があれば平気でやっちゃうけど……私の印象なんで間違ってるかもだけど、たぶん『どうせみんな、自分より先に死ぬ』っていう虚無感を抱えてる感じ。たとえば、ペットロスの哀しみが怖くてペットを飼えない、みたいな――友達もどうせ死んじゃうから、親しくなってもしょうがない、的な……」
「………………もしかして魔王様、微妙に鬱状態だったりしません……?」
俺の問いに、ヘンリエッタ嬢はさっと視線を逸らした。
そっちか。そっち系か……!
……いや、わかる。家族友人知人を見送り続けて、自分だけ長生きしても、それは虚しくて寂しいだけというのはわかるのだが……
サラダあられをつまみつつ、ヘンリエッタ嬢は続ける。
「……『人類の兵器開発を抑止しなきゃ』っていう使命感で魔王やってきて、それでも未だにアロケイルみたいな事例がちょくちょく起きるから……虚無感っていうか、無力感もあるとは思う。かといって今更、全部を投げ出せるほど無責任な人でもないし――あと、人を殺すことにはもう麻痺していると思うけど、それでも自責の念みたいなのが淀んで固まってぐっちゃぐちゃになってそうだから、割とおいたわしい……」
ヘンリエッタ嬢は重く嘆息し、気持ちを切り替えるように首をぐるりと回した。
「……ま、だから状況が許す限り、私が出張るようにしているんだけどね。そのせいで父親に続いて、二代目の『魔王の剣』なんて呼ばれるようになっちゃったけど、私はなんか……人殺し自体が平気なわけじゃないんだけど、『侵略戦争を起こそうとしている連中』なんてのは害悪だって本気で思ってるから、自業自得かつ害虫駆除の勢いで割り切ってる。身内を殺されたら過剰な敵討ちだってするし、多少は巻き込んでも気にしない。やっぱり『魔族』って、価値観とか倫理観がちょっと人からはズレてるんだろうね――なのに魔王様は、むしろそのズレが少なくて、開き直れていない感じ」
……そのあたりは『魔族補正』の影響かもしれぬ。
ヘンリエッタ嬢は少し考えて、「……魔王様は、生まれつきの魔族じゃないからかな」とも言った。
魔族の第一世代は、魔導王国による人体実験の被験者達だったと聞く。魔王は代替わりしていないらしいので……つまりそもそもの出自は普通の人間だったのだろう。
それまで無言で話を聞いていたクロード様が、控えめに挙手した。
「……ところで、あの……『人類の兵器開発を抑止する』って、今の文明レベルでそこに危機感を覚えられるのって、それこそ転生者ぐらいじゃないかと思うんですが……魔王様も、もしかして転生組なんですか?」
この点は俺も気になっていた。「将来、どんな兵器が生まれるのか」を知っていなければ、強い危機感などそうそう芽生えないはずである。弓矢が主力の時代に核兵器を想像するのは難しい。
ヘンリエッタ嬢は「いやいや」と首を横に振った。
「魔王様は転生者じゃない。それははっきりしてる。ただ、魔王様の古い友達……っていうか、魔族が生まれるきっかけになった『恩人』が、転生者で亜神だった」
ふむ……? 俺は視線で続きを促した。
「魔族の第一世代は、その亜神からいろんな話を聞いていて……つまり前世の軍事兵器とか戦争の歴史を、『神々の世界の争い』みたいな文脈で理解している。たぶん軍事関係に詳しい転生者だったんだろうね。その亜神の知識をまとめた書物もあって、これは禁書として保管されてる。で、純血の魔族だけは、だいたい百歳ぐらいになるとそれを読まされて……『人類の兵器開発を抑制する理由』を教えられるってわけ。オズワルドも読んだはずだよ。まだ若いアーデリアは読んでないだろうから、魔族の使命とか義務もいまいち把握してないと思う」
そこまで話して、ヘンリエッタ嬢は深々と溜息を吐いた。
「私も百歳になった頃に読んだ。こっちの文字で書かれていたけど……作者は私達と近い世代の日本人だね。旧日本軍の兵站軽視が招いた被害とか、第一次~第二次大戦頃の爆発的な兵器の進化とか、原爆の恐怖とか、改めて読まされるとあの時代ってほぼホラーだな、って……核兵器の『仕組み』については意図的に伏せたっぽいけど、そこから水爆とか中性子爆弾へ発展する危険性とその威力については書かれてた。あとは誘導ミサイルとか大陸間弾道ミサイルとか、ステルス戦闘機とか原潜とかウィルス兵器とか、そういう『未来』の兵器の話」
猫が「ほあー」と間抜けヅラを晒す中、ヘンリエッタ嬢は番茶で一息つき、肩をすくめる。
「私にとっては納得感のある懐かしい情報だったけど……何も知らない状態でアレを読まされたら、まぁトラウマにはなるかな、っていうシロモノ。魔導王国の連中は読んでなかったはずだけど……読んでないのに『不帰の香箱』みたいな大量破壊兵器をしっかり作っていたあたり、『いずれ人類はこういう方向性の兵器を作り出す』っていう説得力もあったんだと思う。あと……この世界って『魔法』があるから、技術のいくつかは魔道具で普通に代用できちゃいそうなんだよね」
魔光鏡とか、集積回路と液晶画面みたいなもんだしな……琥珀だって魔力のバッテリーや熱源・光源として有用である。
スイール様も露骨に嫌そうな顔をした。
「それ、私も『やべぇなー』って思ってた。うちの研究員にも目の付け所がいいのはいるし、ちょっとしたきっかけで爆発的に進歩するよね。今は『変なの作ると魔族に目をつけられる』っていう歯止めがあるけど、それがなかったら……たぶんこの大陸でも魔導王国が覇権をとって、酷いことになってたと思う。下手すりゃ普通に人類滅んでたんじゃないかな」
四百年くらい前に存在した魔導王国というのは、どうもかなりのディストピア推進国家だったようで……しかし『魔導王国』なんて名乗っていただけあって、魔法・魔道具の研究が盛んで、その技術は今よりもずいぶんと高かったらしい。
で、邪神の力を背景にした国力はあったものの、その国力を人体実験とか兵器開発とかに向けた挙げ句、自ら生み出した『魔族』に滅ぼされてしまった。
しかしながら、現代の歴史学者や有識者によると、これは結果的に「運良く被害少なめで済んだ!」という認識のようで……もしこの魔導王国が大陸を制覇した後、亜神が来てその支配状況に激怒したら、それこそ「大陸ごとなくなっていた」可能性を否定できぬらしい。亜神こわ……関わらんとこ……
恐ろしいことに前例もあり、この星の上にあったはずの大陸や島が、大洪水を境に無くなってしまった記録もあるとか……それこそ神代のお話らしいので「ほんとかどーか」という疑問はあるし、大洪水や大陸消失と聞くと「ノアの方舟やアトランティスみたいな、前世の伝説が混ざっただけでは?」とも思うのだが、これも有識者によれば「亜神ならやりかねない」とのことである。亜神こわ……(三秒ぶり二度目)
クロード様が声をひそめる。
「後学のためにうかがいます。瘴気の兵器利用がアウトっていうのは、今回の件でわかりましたけど――他にはどんなのがダメなんですか?」
「ええとね。魔獣を使った生物兵器、病気を蔓延させるウィルス兵器、広範囲に広がる毒ガス兵器あたりは問答無用でアウト。農産物を枯れさせて人為的に飢饉をひき起こす枯葉剤系の薬物もダメ。街道とかの狭い範囲の除草用なら、副作用がなければ見逃されたんだけど……敵国への散布目的で毒性が強いのを研究していたところは潰された。あと麻薬関係も、医療目的の少量生産ならかろうじてセーフなんだけど、大規模栽培して敵国にばら撒いたりすると畑も首謀者も焼かれる。それから人体実験系もだいたいアウトだけど、罪人を使った医薬品の治験ならセーフなこともある。このあたりは内容と程度にもよるかな。開発中の薬を病人に投与するのも、ある意味、人体実験的な要素があるけど……さすがにそんなのをどうこうする気はないし」
……投薬云々はともかく、こうして聞いてみると、やっぱり人類の悪辣さを再認識してしまうというか……生物兵器とかウィルス兵器とか麻薬による国力弱体化策とか、ほんとにろくでもねぇな!?
転生者が持ち込んだ知識もあるだろうが、人の狂気はだいたい似たようなところへ行き着く傾向にあるので、普通に現地民の発想でも起こり得る事態である。特に『瘴気の兵器利用』などはこちら独自の技術だ。
「世界が変わっても、人類がやることってだいたい似たような方向性になるんでしょうねぇ……あ、銃ってどうなんですか? オズワルド様が魔力を撃ち出すスナイパーライフルみたいなのを使ってましたけど、高価すぎて一般流通はしていないそうで……アレを量産するのは無理にしても、模造品や廉価版……あるいは、前世にあったような火薬式の銃などもアウト判定になるんですかね?」
俺の疑問に、ヘンリエッタ嬢は「あー」と悩ましげなお顔。
「そこがまた難しいところでね……魔道具の銃は必要な魔力量が膨大すぎて、使える人が少なくて、コスパも悪いから見逃されている感はある。火薬で弾丸を撃ち出すタイプの銃は、実現したらたぶんアウトなんだろうけど……ぶっちゃけこの世界、『火薬』が普及してないんだよね。
たとえば土木現場なら、ダイナマイトなんかより土や岩を思い通りに操れる地魔法のほうが安全で便利で融通も利くし、硝石は肥料や魔道具製作時の触媒としても使われるから他のことに使うのはもったいない、みたいな感覚もあるし……一番ヤバいのは、火薬って魔力に反応しやすいらしくて、こっちじゃまともに保管できない。自然界の魔力に反応しただけで、火気の有無とは無関係に『ぼっ!』って唐突に発火しちゃうから……使い道を考える以前に、『作った後、ちゃんと保管する』方法がまだ見つかってない。密封しようが冷凍しようが、人には読めないタイミングで普通に発火、もしくは爆発する」
「うわぁ……」と肉球を口元に添える猫を見て、スイール様も肩をすくめた。
「要するに木炭、硝石、硫黄は、前世の塩素系洗剤みたいに『混ぜるな危険』って扱い。昔は実験中の爆発事故がちょくちょくあったらしいけど、今は単純に、危険物として『混合禁止』って教本にも載ってるよ。混ぜようなんて考えるのは何も知らない素人か自殺志願者だけ。なんか、こう……知識チートしようとした前世持ちがハマりやすい罠になってる。だから爆弾とかも作れない」
……スイール様も身に覚えがありそうだな……? 古傷をえぐるのは趣味ではないので、猫はひっそりとバクダンおにぎりを差し出しておく。晩御飯前なので軽めにね。軽めに……軽いか?
でっかいおにぎりの登場にヘンリエッタ嬢は一瞬ぎょっとしたが、スイール様が当たり前のよーにパクパク食べ始めると「あ、これが平常運転なんだ……?」と空気を読んで流してくれた。順応性高くてえらい。
「なるほど。火薬を見かけないなー、とは思っていたのですが、道理で……あれ? でも『花火』はありますよね? アレどうやってるんです?」
スイール様がもっきゅもっきゅと白米を噛みながら器用に応じる。
「花火は魔道具だよ。風魔法を使って、ペットボトルロケットみたいな案配で打ち上げるんだけど……ペットボトルロケットと違って水は使わないし、風魔法で推力を付加できるから、術者の腕が良ければ七百メートルぐらいまで高さを稼げる。ばらまくのは火花じゃなくて、魔力に反応して光るように調整した薬品類。それを紙片や砂粒、泥団子なんかに染み込ませてある」
「中心部にも風魔法を仕込んでね、上空でうまく拡散するようにしてあるの。だから上空の風が強いと、うまく球状に広がらなくて、なんか変な形になったりもするけど」
ヘンリエッタ嬢の追加説明を聞いて、クロード様が「あ」と何かに思い至った。
「……そういえば『不帰の矢』の撃ち出し装置も、花火の打ち上げ装置を改良したものですよね? 花火の打ち上げ用の魔道具は、馬車で牽引するような大型のものですが……不帰の矢の場合、撃ち出す矢が花火より軽いとはいえ、装置を組み立て式にして持ち運びできるようにして、なおかつ魔導師以外でも扱えるようにしたのは凄い技術だと思います」
スイール様が視線を中空に据えた。
「あー、確かに言われてみれば……軽いものを放物線で撃ち出すのは割となんとかなるもんだけど、わざわざ専用の機械を用意したわけか。でも技術の無駄遣いって感じもするね? 私は実物を遠くからしか見てないんだけど、あの『不帰の矢』って普通の弓じゃ撃ち出せないモノ?」
聞きようによっては実も蓋もないその疑問に、ヘンリエッタ嬢は曖昧な頷きを返す。
「あれって風魔法でコーティングして、羽根で回転も加えることで飛距離を安定して稼ぐ仕組みなんだよ。だから普通の弓で射つと飛距離が安定しにくいし、ミスして自軍の近くにでも落としたらそれだけで部隊が壊滅する。弓の熟練者が専用の弓を使えばなんとかなるかもだけど、一般の弓兵には危なくて預けられない。要するに毒ガス兵器みたいなもんだから、部隊単位での運用を考えたら、どうしても『安全確実に遠くへ飛ばす』仕組みが必要だったんだろうね」
……つまり「ガチで実戦投入される寸前だった」わけで、もしもヘンリエッタ嬢が動かなければ、周辺国の国境付近は数年以内に地獄と化していたのだろう。あんなもん量産されたら亜神でも「フカー!」である。
転生者同士の和気藹々としつつも物騒な話題が一段落したところで、俺は本題に入った。
「えー……ところでですね。アロケイルの留学生達に関係して、ヘンリエッタ様にご相談がありまして……王族本人ではなく、その従者の家族を二名ほど、ホルト皇国側へ連れてきて保護したいのです。そのあたりの黙認と、あともし可能でしたら、私をアロケイルまで転移魔法で送っていただき、地理的な助言をいただけるとたいへん助かります!」
猫さんからのカワイイお願いに、ヘンリエッタ嬢は「ん」と軽く頷いた。
「それくらいならスイーツのお礼に付き合う。あ、でも私のことは表に出さないでね? 一応『魔王の剣』として、飴と鞭でいったら鞭役としてのイメージを大事にしてるから……舐められたり、『意外と話が通じる』なんて思われると、今後の活動に支障が出る。『交渉が通じる相手』っていう立ち位置は、他の家に任せてるから」
ラスタール家は傍若無人な悪党ムーブを大事にしている、ということか……最初に空から降りてきた時は実際にそんな印象だったので、これは納得できなくもない。
「……でも、リルフィ様を見た瞬間に化けの皮が剥がれましたよね……?」
猫が恐る恐る突っ込むと、ヘンリエッタ嬢は遠いお目々をして「リルフィ、いいよね……」などと仰ったので、俺もそのまま訳知り顔で「いい……」と乗っかった。同志として多くは語らぬ。
今のやりとりの元ネタがわからなかったのか、クロード様は「?」と不思議そうだったが、スイール様は呆れたように鼻で嗤った。
「バカやってないで、行くならさっさと行ってきたら? 他に誰か連れて行くの?」
「いえ、現地の状況がわかりませんし、今夜のところは私とヘンリエッタ様だけで動きます。スイール様とクロード様も、このままカルマレック邸にお送りしますね」
「あ。ちょっと待って。戸締まり確認してくる」
で、引越直後の魔導研究所の戸締まりを確かめ、再集合。
「……ふと思ったんですが、ここって泊まり込みの守衛さんとか管理人さんとか、いないんです?」
「急な話だったから、ちょうどいい人がいなくてねー……機密系の資料とかはまだないから、別にいなくてもいいんだけど、いっそ例のアロケイル三人組か、それともルークさんがこれから連れてくるイグナスの親族あたりを雇ってみる? 身元は私の立場で保証できるし、当座の住居にもなるし、働き口としても悪くないでしょ。楽な分、お給料は安いけど」
む。なかなか良さげなご提案である。
こちらの学園支部は学生の出入りを前提とするため、そもそもあんまり機密系の研究はやらない方針らしい。むしろ市場調査とか実用化前のテストとか、学生からの発想のすくい上げとか、それに伴う人材発掘を主目的とするのだろう。
そして『じんぶつずかん』を読んだところ、イグナス君の母君は平民の元メイドでお妾さんという立場。
現在は伯爵家から金銭的援助を受けつつ、平民として普通の民家に暮らしており、それなりに生活力はありそう。妹さんも「将来的には政略結婚の駒」として認識されているようだが、現時点での扱いは「貴族令嬢」などではなく、あくまで平民の隠し子(なかば公認)である。
……よそのご家庭の悪口とか言いたくないのだが、イグナス君の父君(伯爵)は悪い意味でいかにも貴族らしいムーブかましてんな……? 妻子も領民も大事にしつつ誠実に生きているうちのライゼー様とはえらい違いである。
お貴族様は「跡継ぎを確保しなきゃ!」「跡継ぎを支える兄弟親族や政略結婚用の駒も必要だし……!」という使命もあるので、ある程度、愛人とか妾の存在が推奨されてしまうという、前世近代との価値観相違はあるのだが――
それはそれとして「そういう建前を免罪符にして、適当に手ぇ出したろ!」みたいな人も割と多い。挙げ句、変な後継者争いが起きて毒殺やら暗殺やらで自滅したりもしているので、やはりまず優先するべきは「家庭円満」であろう。ルークさんもペットの立場でリーデルハイン家の平和にご協力できる現状を喜ばしく思う。
「働き口に関してはさすがに気が早いので、本人達に会ってから要望を聞いてみましょう。では、スイール様とクロード様には先にご帰宅いただくとして……猫魔法、キャットデリバリー!」
「にゃーん」
とりあえずスイール様とクロード様をそれぞれダンボール箱にいれて、カルマレック邸に発送!
……するとヘンリエッタ嬢が、びっくりしつつ口元を鉄扇で隠した。
「……今の、何? 黒猫がダンボール箱を一瞬で梱包してたよね……?」
「キャットデリバリーサービスです。地脈を利用してあらゆる荷物を迅速・安全・確実に配送してくれる、次世代のロジスティクスサービスとなります!」
「ロジ……えっ!? もしかして在庫管理とか倉庫管理とか業務の効率化までやってくれるの!?」
「はい! 必要とあらば!」
……ツッコミが前世感覚なんだよなぁ。
なお、キャットデリバリーサービスは現状、トマティ商会の業務ではなるべく使わないつもりだが、不測の事態や猫の手も借りたい状況下においては、出動をお願いする機会も出てくるだろう。日々の業務をコレで回す気は毛頭ないが、油断は禁物なのである。
ヘンリエッタ嬢は「ほえー」と感心しながら俺を見下ろした。
「今の猫さんが、つまり……噂になってる『猫の精霊』ってことか」
「そうですね。より正確には私の魔法なのです。猫魔法といいまして、あらゆる魔法を猫にイメージ変換することで、威力や精度を引き上げるとゆー……とはいえ所詮は猫さんなので、たまに自由気ままな行動もしますが、感覚的には同族というか分身というか……部下であり仲間であり私自身でもある、という感じでしょうか」
ヘンリエッタ嬢は「???」と少し混乱しているが、これ以上は突っ込まれたところで俺も「よくわかんない……」としか返せぬので……そういうものだと割り切って欲しい。
「分身作成能力……ってわけでもないのか。遠隔操作できる自立型ドローンみたいな感じ?」
「うーん? そこまで堅苦しい感じではないですねぇ。ほら、猫さんって増えるのも得意なので!」
「それは繁殖の話だよね? ……まぁいいや。それより今の猫さん、転移魔法を使ったっぽいけど、今のでアロケイルには行けないの?」
「私はアロケイルに行ったことがないので、いきなりキャットデリバリーを使うと精度が怪しいのです。着いた先が王都近郊のどこかならともかく、下手すると他の街や山の中だったりしそうなので……最初は現地を知っているヘンリエッタ様に頼りたく思います!」
行った先でウィンドキャットさんに頼れば対応はできるが、効率的な道案内はやっぱり欲しい。
「ああ、そういうことなら……あ、これから連れてくる人達にも自己紹介するの? それとも問答無用で連れてきて、そのまま従者とやらの前に放り出す感じ?」
「軽く説明はしますが、私は表に出ません。今回は代役(※ウィンドキャットさん)を出して、『猫の精霊』として対応するつもりです」
猫の精霊ムーブで人前に出る時は、ウィンドキャットさんに出てもらう。白くて翼もあって、俺(※亜神)よりだいぶ神聖感がある……
考えてみれば、コレも一種の変装というかコスプレみたいなものであろうか。ヘンリエッタ嬢も「素の自分より、ゲームに出てくる『白狐の柏葉』のほうが威圧感を出しやすい」と判断して、異世界でわざわざコスプレを続けていそうである。
……単なる趣味の延長? その可能性もある……
かくして俺は、会って早々に仲良くなった『純血の魔族』、ヘンリエッタ・レ・ラスタール嬢と共に、まだ見ぬアロケイル王国へと(日帰りの予定で)旅立つのであった。
・次の更新は約十日後(7/3ぐらい?)の予定です。八巻の加筆も進行中なので、しばらく不定期ですがご容赦を……!




