252・アロケイルの三人組
猫がナイブズ君達に目をつけてから、数日後。
早起きしたルークさんが、カルマレック邸の庭先でラジオ体操(※ラジオなし)をしていると、朝から来客があった。
「――ルーク様、おはようございます」
「おはようございます、ファルケさん! ずいぶん早いですねぇ」
お客は正弦教団のファルケさん! かつてはトゥリーダ様の上司だった、元・フロウガ将爵である。仲間に引き込んだ後でわかったことだが、実はヨルダ様の昔の知り合いでもあった。
自殺寸前だったところを猫が勢いで止めてしまい、その後はオズワルド氏に身柄を預けられるとゆー、なかなか数奇な運命を歩いておられる。だいたい猫のせい。
現在の彼は一応、正弦教団の一員として、『双子ちゃんの護衛』を役目としていた。「二十四時間張り付く!」というガチ警護ではなく、悪い交友関係やら詐欺やらを警戒する方向性なので……基本的には、「たまに様子を確認し、雇い主(双子ちゃんのおじーちゃん)に定期報告を送る」くらいの内容である。
そしてその任務も、双子ちゃんが猫のお友達になってしまったためにゆるゆるな難易度になってしまい、現在は割とお暇である。
なので猫も、たまーに学園の外側での、ちょっとしたお願い事をしているのだ。
「オズワルド様がアロケイルからこちらへ亡命させた貴族に、昨夜会って、事情を確認してきました。こちらがその報告書になります」
「ありがとうございます! 助かります!」
そう。例のナイブズ君と同郷の人に関してである! さっそくぺらぺらと中身を確認。
「オズワルド様がわざわざ助けた人達なんですよね? どんな感じでした?」
「はい。領地や兵の指揮権を持たない、官僚貴族の一家でした。僻地の侯爵家に文官として仕えていたようですが、侯爵本人は王都に住み、領地には親族の代官を派遣していたそうで……この侯爵が魔族の襲撃によって死亡した後、侯爵家の内部で跡目争いが発生し、どちらにも与せず逃亡したようです。当主夫妻の年齢は五十歳前後。三十代の息子夫婦と二十代の娘夫婦も一緒で、未成年の子供も二人いました。それから息子夫婦と娘夫婦の間にも赤ん坊が一人ずついて、これだけで十人――さらに行き場のなかったメイドが三人と、その娘までついてきましたので、全部で十四人ほどでしたね」
……オズワルド氏、面倒見いいな……?
魔族の転移魔法は便利だが、俺の宅配魔法と違い、「多人数の転移」には制限がある。ネルク王国とレッドワンドの野戦で見せた「竜巻を利用した大量転移魔法」は、本来なら魔族にすらできない芸当だったのだ。一応、「新開発の魔道具のテストも兼ねていた」みたいな言い訳は用意してある。
実際、大量に移動させるための、設置型の「門」という転移用魔道具ならすでにあるのだ。ただしこれは設置の手間がかかるのと、魔族にとっても貴重品なので、よほどのことがない限り基本的には門外不出とのことで……
つまり亡命者の一行に関しても、オズワルド氏が「一度にたくさん運ぶのは大変!」なので、「わざわざ何回かに分けて往復した!」ということである。
加えて彼らの荷物もあっただろうに、オズワルド氏は本当に面倒見が良い……一声かけてくれれば、うちのキャットデリバリーサービスでこっそり手伝ったものを!
「当主は堅物で、真面目そうな男でした。ルーク様の臣下の……ペズン・フレイマー伯爵を若くしたような印象です。文官系の官僚貴族だったので、軍とは縁遠く、秘密兵器扱いだった『不帰の矢』のことも知らず、それゆえにすんなり助命できたようですね」
ペズン伯爵は俺の臣下ではなく、ロレンス様の家臣だが……今はトマティ商会の相談役みたいなこともやってもらっているし、まぁ細かいことは良い。
「その方がこのホルト皇国でナイブズ様達に接触し、故郷の惨状を伝えた、と――あれ? 帰国を薦めたわけじゃないんですね」
報告書にはそう書いてある。
「はい。むしろ危険を知らせ、このままホルト皇国で生活の基盤を整えるべき、と進言したようです。イグナスという従者がそれに怒ったものの、トラッドリーという従者は理解を示したとのことで……臣下の意見が割れているようですから、ナイブズ様の悩みというのはそれかもしれません」
……『じんぶつずかん』を読んだら『まずは金銭的問題』って書いてあったけど、言わんとこ。
なお、俺はこちらの亡命貴族には会ったことがないので、そもそもじんぶつずかんに登録されていない。
「その亡命した貴族さんは、これから先、仕事のあてなどは……?」
「まとまった人数がいますので、新規の商会を任せてみようかという案が出ています。正弦教団で拠点を構えておきたい候補の都市がいくつかあるのですが、なかなか手が足りず、進出できていないので……各地の情報収集と連絡のための拠点、その維持管理要員ですね」
本当に面倒見いいな!? とはいえ、これは正弦教団側にとってもメリットのあるお話。
正弦教団は割と普通に裏組織であるからして、実務者として有能な「表向きの人材」を獲得するのには、それなりの苦労がありそう。
新たな支部ができれば諜報網が充実し、依頼者に対する窓口が増え、関係者が移動する際の宿泊拠点にもなる。いずれは孤児達の新たな就職先にもなるのだろう。
ネルク王国や旧レッドワンドにも、商会に偽装したそういう施設があった。見た目は普通の小規模商会で、扱う商材はその土地ごとに違うが――正弦教団の支部同士で売り物を融通しやすいため、仕入れ値を抑えつつ他国の品を輸入しやすいという利点もある。すなわち我がトマティ商会のライバルである。
……えっ。トマト様関連商品の販路拡大に貢献してくださるんですか!? じゃあ味方で!(肉球返し)
妄想はさておき、猫はファルケさんの報告書を読み進める。よくまとまっていて読みやすい……この人、正弦教団じゃなくてウチで採用しても良かったな……?
あの時期はまだナナセさん達も入社していなかったので、さすがに最初の採用者にするわけにはいかなかっただろうが、「読み書きができる」というだけでも有用なこの世の中において、ファルケさんの実務能力はかなり頼もしい。
「漠然とした感想で良いのですが……ぶっちゃけ、アロケイルの内乱って、ちゃんと収拾つきそうなんですかね? 周辺国からの侵攻で、国そのものがきれいに分割されて、国名ごと無くなって終わる感じだったりしません?」
ファルケさんは真顔。怖いくらいに真顔……
「はい。それがもっとも有り得る流れです。今回、アロケイルの王家は魔族を怒らせました。ナイブズ殿のような生き残りが他にいたとしても、もうその血筋を旗印として立てようとは、諸侯も思わないでしょう。イグナスという従者はその認識ができていませんが、そもそも彼らは『不帰の矢』の存在すら知らないと思われるので、これは仕方ないかもしれません。同様に、この事実を知らない貴族ならば王族を立てようとするかもしれませんが……それを実行した時点で、『王族の生き残りがいた』と気づかれ、魔族に潰されるかと存じます」
う、うむ……他人事ながら、けっこう詰んでて気の毒になってくるな……?
「つまり、国をまとめられる有力者がいません。人心を集める建前としての『王族の威光』すら使えない。まだトゥリーダ様のような傑物が隠れている可能性も否定はしませんが……オズワルド様やルーク様が介入するならいざ知らず、一人の指導者が自身の才覚でどうにかできるような事態ではありません。仮にもし、そんなことのできる人材が、亜神や魔族以外にいたとしたら……」
ファルケさんは、しばし押し黙った後――真顔のまま、こう告げた。
「それはカーゼルにおける救国の軍師キリシマや、サクリシアの山賊王シュトレインのように、『異なる世界』からやってきた真なる英雄ぐらいでしょうか」
その瞬間、猫はぱちくりと目をしばたたかせ――
『あ、向こうから来た人達って、そういう鉄火場へ優先的に放り込まれるんだ……?』と、我が身を棚に上げたなんともいえないモニョモニョ感を覚えた。
ファルケさんの発言は予測とか希望的観測ですらなく、「そんなことはそうそう起きない」という、諦めの意図であろうが……
今にして思うと、風精霊さんや落星熊さんがいる長閑な山へ、真っ先に俺を下ろしてくれた超越猫さんって……もしや、めっちゃ親切かつ良心的な素晴らしい人格者だったのでは?(今更の気づき)
これでもしも「内乱の真っ最中!」とか「戦争寸前!」とか「魔族の侵攻中!」みたいな場面へいきなり放り込まれていたら、俺は間違いなく「フギャーッ!」とキレていたはずである。
「あのー……そういう異世界からの英雄って、ちょくちょく現れるものなんですかね?」
「いえ。決して多くはないはずですが……しかし、我々にはない知識や価値観、あるいは能力を持っていることが多いので、『混乱の中で頭角を現しやすい』という特徴はあります。旧レッドワンドでも、建国の時期には『サイトウ』という別の世界から来た魔導師が活躍したという記録があります」
砂神宮の元・代官にして、今やトゥリーダ様の腹心として内政方面で活躍するダムジー・サイトウ氏……彼のご先祖様の話である。
レッドワンドの貴族は養子縁組ばかりなので、その正確な血統をさかのぼって調査するのはほぼ不可能なのだが、じんぶつずかんでは調べられるのだ。
「これは好奇心からうかがいますが……たとえば今のホルト皇国に、そういう『異世界からの転生者』って何人ぐらいいると思います? もちろん正確な数字はわからないはずなので、ファルケさんの『勘』で良いです」
俺は収穫したばかりの朝どれ新鮮トマト様を差し出しながら、そんな世間話を振ってみた。重ねて言うが、その「実数」を知りたいわけではない。
ファルケさんの、つまりこっちの世界の人々の肌感覚として、「どのくらいの割合で、そういう転生者が混ざると考えているのか」を、ちょっと確認しておきたかったのだ。
一時代に一人とかなのか、あるいは一つの国に数人とかなのか……
ファルケさんは「ありがとうございます」と丁寧にお辞儀してトマト様を受け取りつつ、しばし考え込んだ。
「……今のホルト皇国に、ということでしたら……一人もいない可能性もありつつ、十人前後いたとしても驚きません。だいたいの転生者は、自分がそうした存在であることを隠そうとしますから、なかなか発覚しないのです」
確かに!
クロード様もスイール様もそうだった。
転生者がその事実を隠すのは、「記憶が曖昧なのに根掘り葉掘り聞かれると鬱陶しい」とか「どうせ嘘と思われる」とか「そもそも『だからどうした』感が拭えない」とか……いろいろな理由があるのだろう。
何よりこの世界において、「自分は転生者だ」と主張する人間の大半が、単なる虚言癖や誇大妄想、詐欺師、頭のおかしい人間だったという嫌な前例が歴史上にちらほらあるため……その同類と思われるのが嫌で、本物の転生者ほどその事実を隠す傾向にあるらしい。
実は、俺が「異世界から来た先人だ!」と確信しているシンザキ様式のシンザキさんとか、ボクシング興行の仕掛け人でさえ――後世では『異世界からの転生者・転移者だったのでは?』と推測されているものの、当時の記録を見ると、本人達がそうした主張をした様子はないらしい。
むしろ「異なる世界から来た」と自ら公言していた軍師キリシマさんやサクリシア建国の王シュトレインさんは珍しい例なのである。
前者は「市井の人」、後者は「英雄」なので、つまり「一般市民に紛れた転生者は素性を隠しがちで、国を牛耳るレベルになると公表する」ともいえそうだ。
これは猫の勝手な推測だが、普通に暮らす分には『詐欺師!』とか言われるのを避けるために隠したほうが良くて、国の上層部までいくと逆に「同郷の仲間が欲しい!」という理由で公表し、相手からの接触を待ちたくなるのかもしれぬ。またシンザキさん達の場合、「見る人が見れば確実にわかる実績」を示すことで、わざわざ主張せずとも同郷の仲間が接触してくると踏んだのやもしれぬ。
ついでながら、スイール様みたいに「面倒事はやだ」とか「宮廷政治めんどい」みたいな性格だと、公開するデメリットのほうが大きそう。
あとは、嘘をついて近づいてくる者もいそうだが――前世持ちなら「贔屓のファミレスはどこ?」とか「トマト様の生産量日本一は何県?」みたいな質問をすれば一発で見破れる。ちなみにトマト様の生産量日本一は熊本県である。あの地の有名マスコットキャラであらせられる某黒い熊さんも、まるでトマト様のように赤々とした丸いほっぺをお持ちであり、トマト様への深い親愛の情がうかがえる。
ファルケさんは「それでは」と去っていったが、「早朝からお疲れ様です!」の意を込めて、トマト様と果物の詰め合わせを持って帰っていただいた。ご家族へのお土産である。
その後、いつものように朝ご飯を済ませ、通学するクラリス様達を見送った後。
俺はリルフィ様に抱っこされ、スイール様の研究室へ向かった。スイール様御本人はキャットシェルターで二度寝中である。甘やかしてんな?
職場見学というわけでもないのだが……実は今日、スイール様の研究室の「お引越し」があるのだ。
昨年末に、「スイール様がラズール学園に数年ほど移住する」と決まった際、「せっかくなので、スイール様の研究室を学園側にも用意しよう!」という話が出た。
で、空いていた賃貸物件の内装を、研究室用に整えるのに一~二ヶ月を要し、それがようやく終わったのが昨日。
これまでスイール様は、官庁街にある第一研究所と、学園内で一時的に借りた講師用の個室(※デスクワーク専用)を、都合に合わせて行き来していたのだが――講師用の個室は引き払い、今後は基本的に、こちらの「皇立魔導研究所・ラズール学園支部」をメインの職場とするようだ。
『元々、本部のほうが手狭になってきてたから、第二研究室を作ろうって話はあったんだよね。官庁街はちょうどいい空き物件がなかったから、延期になってたんだけど……学園側にいい物件があって良かったよ』
スイール様はそんなことを言っていたが……許可が降りた最大の理由は彼女の「通勤時間短縮」であり、やはり相当、厚遇されている。
スイール様はそもそも宮廷魔導師という重要なお立場なので……たとえば「往復の通勤時間が三時間+実働五時間」よりも「往復の通勤時間が一時間+実働七時間」という環境においたほうが、国家的には利が大きいのだ。
……なお、「通勤三時間+実働七時間!」とか言い出すと、睡眠時間の確保を至上命題とするスイール様は真面目に引退を考え出す。
ラズール学園への移住も、本音は「ごはんごはん」ながら、建前としては「魔族オズワルドへの配慮と、留学生達の警護」という職務上の理由があったため、関係者もだいぶ気を遣ってくれたのだろう。
今後の予定としては、「留学生達が帰国するまでは、スイール様はラズール学園支部側でメインの仕事をし、支部の立ち上げを支える」「留学生の帰国後は、スイール様は本部に戻り、支部のほうにはその時点での引き継ぎに適した人材をあてがう」という流れらしい。廃止にはせず、官学連携の研究拠点として活用していくようだ。
――この話をした時、双子ちゃんの瞳が「キラッ!」と輝いたので、たぶん将来の就職先の候補として目をつけたと思われる。
さて、そんなわけで今日は、荷物の搬入と設置があり――
猫魔法の猫さん達に手伝ってもらおうかとも思ったのだが、「さすがに人目が気になるからやめておこ?」とスイール様から辞退され、普通にアルバイトを雇って普通に作業してもらうことになった。
そしてその日雇いの中に、なんと例の三人組がいる。
「……まさかスイール・スイーズ様が主導する研究施設の引っ越しとは……ナイブズ、よくこんな仕事を見つけてきたな……?」と、感心した様子のトラッドリー君。
「いや、俺も今知ったんだけど……え? こういうのって学生使っていいのかな? 普通、内部の人員だけでやるんじゃ……」と、困惑したナイブズ君。
「ただの荷運びだろ? そんな単純作業にわざわざ魔導師を駆り出すのも無駄だし、こっちじゃ普通なんじゃないか?」と、むしろ納得顔のイグナス君。
信号機みたいな三人組は、引っ越しの荷物が到着するまでの待機時間に、魔導研究所の前で会話していた。
今日のアルバイトは他にも数人いるが、ルークさんが気にしてしまうのはこちらの三人である。
……事前にね? 学生課のソラネさんから聞いてはいたんですよ……「例のアロケイルの人達、魔導研究所引っ越しの荷物運びにバイト登録してましたよ」って……
三人とも体力のある若人だし、肉体労働系で拘束時間が短めでそこそこ条件の良いバイトだったので、飛びついてきたのは一応、想定内である。
なお今回、「スイール・スイーズ」の名前を出すと良からぬ思案を持った輩も来そうだったので、「研究室の引っ越し」という曖昧な文言だけで求人を出していた。
こういう日雇いはあくまで早い者勝ちなので、枠が埋まったら終わりだったのだが……これは縁があったということか。
とりあえず、お友達も含めて『じんぶつずかん』に登録できたのは俺にとって都合が良かった。
見たところ、ナイブズ君は調整型の苦労人、トラッドリー君は頭脳派の魔導師、イグナス君は体育会系の戦士といったところか。
バランスは悪くないが……むしろ役割分担が明確すぎて、お笑いトリオみたいな印象もないわけではないのだが、それぞれ適性に「B」のものを持っているので、間違いなく優秀な人材ではある。ナイブズ君は盾術、トラッドリー君は暗黒属性の魔法、イグナス君は槍術が得意なようだ。
まだ精査していないが、これといった厄ネタはなさそう? たとえば「酒癖が悪い!」とか「女たらし!」とか「ギャンブル依存症!」みたいな、目立つマイナスポイントは見当たらぬ。継承権の順位が低めとはいえ、王族とそのお供をする留学生だし、性格面で問題なさそうな人材を選んだものと思われる。
……ていうかコレ、アロケイルが周辺国への侵略を開始した後、「外交筋に向けた情報源」というか、侵略を正当化するためのスピーカーとして、この子らを使うつもりだったったぽいな……?
しかしそうなる前に、魔族によってあっさり国ごと断罪されてしまったので……彼らの立ち位置は今、まさに宙ぶらりんである。
遠い異国の地で孤立してしまった彼らはまだ混乱しており、その意見も割れている。
イグナス君は「はやく帰ろう!」、トラッドリー君は「ぜったい帰りたくない!」と言い、肝心のナイブズ君は「……あんまり帰りたくないけど、そもそも旅費すらないし、続報がもう少し届くまで保留」という……「他に選択肢がないだけ」とはいえ、そこそこ現実的な着地点といえよう。
いや、無茶な選択肢なら他にもあるんですよ……? 「踏み倒す前提で嘘ついて借金しよう!」とか、もっと酷いのだと「強盗!」みたいな非合法手段……しかし、それらを選択しないだけの理性はあるし、絶望してヤケを起こしたりもしていないので、充分に真っ当な子達である。
……あと帰りたがっているイグナス君の場合、「向こうに残っている友人・知人達の無事が心配」という理由もあるようだ。その気持ちもわかるのだが、魔族や亜神が関与しない限り、片道で半年かかってしまう距離なので……うん。
いざとなったら俺かオズワルド氏が送ってあげればいいのだが、果たしてどこまで関わったものか、悩み所である。もちろん要求を叶えるだけなら簡単なものの、送った先で内乱に巻き込まれて死なれてしまったら、それこそ寝覚めが悪い。
やがて第一魔導研究所からの荷馬車が到着し、引越し作業がはじまった。
まずは棚や机など、大きな家具類の搬入である。革手袋をつけたバイト君達が、えっほえっほと連携して慎重にこれを搬入していく。
その様子を二階の出窓から見下ろしていると、俺の背後にリルフィ様がやってきた。今日は引越し作業の手伝いのため、いつもとは違う三角頭巾にエプロン姿である。かわいい。
かよわいリルフィ様は大きな棚や机などは運べないので、細かな実験器具とか資料とか、あと水回りの整理などをされる予定だ。リーデルハイン領では香水や魔法水などを作っていた現役の職人でもあるため、作業場の整理に関しては意外にも手慣れている。
玄関先に着いた馬車から各部屋までは、日雇い組が荷を運び、荷解きや整理はリルフィ様やスイール様の部下達が対応する予定だ。
なお、所長のスイール様は眼下で「その荷物は厨房へ、そっちの棚は部屋Cへ」といった具合に指示役をしている。なにせ体格が小柄なので荷運びには向かぬし、御本人も「私がうろちょろしても邪魔なだけだから……」と自嘲しておられた。
猫も似たような立ち位置なので気持ちはわかる。こういう時、本来の俺は率先して体を動かしたいタイプなのだが、今日は人目があるのでそうもいかぬ……
そんな具合に地味にストレスを抱えていることに気づかれてしまったのか、リルフィ様が俺を抱き上げてモフってくれた。にゃーんにゃーん。
「あの三人、ですね……? ルークさんもご挨拶を?」
「まだ決めかねています。学内猫さんからの依頼は『元気づけてあげて』という感じだったので……学園内にちゃんと相談できる有力者がいれば、私がご挨拶するよりもずっと効果的な気もするのです。ですから今日のうちに、スイール様がそれとなく声をかけてくれるそうで」
スイール様は見た目が幼女ながら、精神面は意外としっかり教育者をされている。学校で講義を受け持つタイプの教育者ではなく、魔導研究所で後進の指導をするタイプの教育者……つまり集団的な指導よりも個別指導のほうが得意そう。
あの方、研究成果の横取りとか先輩後輩への嫉妬とかも絶対にしないし、意外と面倒見も良いので部下からの人望は厚いのだ。あと普通に、会話に謎の説得力がある……
リルフィ様も荷解きのお手伝いに向かったので、俺は猫らしくお昼寝……ではなく、じんぶつずかんによる情報収集と思案を進める。
あの三人組の猫力は、ナイブズ君が83、トラッドリー君が81、イグナス君が84である。
総じて高めであるが、思想的に一番死に急ぎそうなイグナス君がもっとも高いため、称号『奇跡の導き手』さんもここに反応した可能性がある。きっかけは学内猫さんの「相談に乗ったれ」というご指示であったが、この猫力の高さを見る限り、たぶん俺の称号も多少は影響している。
つまり助けるのは既定路線なのだが――問題は、「何をどうすれば助けたことになるのか」なのだ。
食料支援は当面、必要なさそう。これから春野菜がおいしくなる季節である。
経済支援は悩ましいが、お金を渡したからといって「よし帰ろう!」とはならぬだろうし、イグナス君の希望通りに即・帰国させるのは悪手だと猫にもわかる。
そしてアロケイル王家の滅亡はもう起きてしまったことなので、これに対して俺が今からできることはない。
内乱の鎮圧とか新たな体制作りへの協力は……できないこともなさそうだが、イグナス君はともかく、ナイブズ君の希望はおそらくそこにはないし、根本の原因が「王家のやらかし」なので――生き残った王族をその後釜に持っていくと、オズワルド氏やアーデリア様以外の魔族が「あ?」と悪い意味で反応しそうである。
これはむしろオズワルド氏に相談すべきかな……などと猫が思案していると、引越中の物件の前に、ものすごい勢いで馬が駆けてきた。乗っているのは伝令係と思しき軍服姿の兵士である。えらい慌ててんな?
「スイール様! スイール様はおられますか!」
「うん? 何か用?」
スイール様が研究所の玄関からひょっこりと顔を出すと、伝令の兵は馬から飛び降り、なかば転びながらその傍に駆け寄った。
「き、緊急の招集です! 陛下より、すぐに皇城へ来るようにとご命令が……」
兵がその台詞を言い終わるよりも早く――空から何者かが降ってきた。
鳥ではない。飛行機でもない。もちろんオズワルド氏やウィル君でもない! 引越し蕎麦の出前も頼んでいない!
金色のショートヘアと黒いヘアバンド。変型の巫女装束を思わせる、和風の着物と紅袴――
落下するような速さだったのに、着地はふわりと軽やかで、まともに音も立てていない。
目元は切れ長で端整な顔立ち、外見の年齢は十七、八歳程度に見えるが……容姿からして明らかな「強キャラ」である。絶対に見た目通りの年齢ではないし、オズワルド氏とかアーデリア様より明らかに「気配」がヤバい。
長い袖を翻して、黒い扇子で口元を隠し……彼女はくすりとも笑わずに、ひどく冷淡な声を紡いだ。
「道案内、ご苦労。お前はもういい。下がれ」
伝令の兵士が、ごく狭い範囲の突風によって道の端に吹き飛ばされた。
攻撃というより、「邪魔だから適当にどかしただけ」という印象だが、兵は尻餅をつきながら震えてその場に座り込んでしまう。当然立てない。明らかに生き物としての格が違いすぎる……
巫女さんの正面に立つスイール様も、冷や汗と共に頬を引きつらせた。出窓から見下ろす俺はフレーメン反応である。
猫さんの前に急に出てきて威圧とか、人類が一番やっちゃいけないやつでしょ! びっくりして腰を抜かす子だっているんですよ!(※俺)
「……スイール・スイーズ。皇には先程、話を通してきた。貴殿ほどの魔導師を、この程度の些事でいちいち呼びつけるのも億劫でな――こちらから出向くことにした。我は『純血の魔族』、ヘンリエッタ・レ・ラスタール。ラスタール家の当主にして魔王の剣」
ヘンリエッタ嬢は黒い扇子をパチリと畳み、その先端をスイール様に向けた。
「要求は一つ。こちらの学園に滞在しているアロケイルの王族、ナイブズなる者の身柄を引き渡せ。素直に協力するならば、他への被害は出さぬと約定する。抵抗するならばこちらも相応に戦うとしよう。返答や、いかに?」
猫は完全に白目。鏡を見るまでもなく、額周辺には漫符の縦線がいっぱい入っていることであろう……「まぞく……おそろしい子……!」みたいな感じに……
凍てつくような冷たい眼差しに、スイール様はしばし無言のまま、深く一礼を返し――
「……恐れながら、まずは詳しいお話をうかがいたく思います。引越中で散らかっておりますが、どうぞこちらへ」
……と、いかにも丁重な物腰で自然に魔族を応接室へ誘導した。
この状況でまず時間稼ぎとか、この偽装幼女、やっぱメンタルつええな!?




