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我輩は猫魔導師である! 〜キジトラ・ルークの快適ネコ生活〜  作者: 猫神信仰研究会


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251・王位継承権第二十二位


 ナイブズ・アロウ・ダイクーは、アロケイルの王族ではあるが、いわゆる「王子」ではない。


 王の従兄弟の三男というなんとも微妙な立ち位置で、将来的には適当な貴族の元へ婿養子にやられるか、あるいは子爵位あたりをもらって軍で士官をやるか、はたまた学業で身を立てて官僚への道を探るか――いずれにしても、「王位継承権第二十二位」ともなると、もはや「いざという時の予備」ですらなく、王位とは無縁の一生を送る予定だった。


 本人も父もすっかりそのつもりだったのだが……当代の王は少々、野心が過ぎた。


『ナイブズ。貴公はホルト皇国へ渡り、ラズール学園で軍学を学びつつ、ホルト皇国の内情を探れ。特に抱えている戦力を精査しろ。また他国の王侯貴族とも面識を得て、我が国への印象を稼ぎ、いざ事が起きれば正当性を主張するように』


 周辺国への侵攻を画策していた王は、親族であるナイブズを、留学生兼スパイ兼外交官としてホルト皇国へ送り出した。

 王族の中では継承権が低く、万が一の死亡事故などが起きてもたいした影響がなく、そして本人の人当たりが良く温厚だったことが決め手になった。たぶん「温厚すぎて、戦争そのものでは役に立たない。むしろ邪魔」と判断されたことも一因である。


 アロケイルとホルト皇国は距離が遠いため、両軍の主力が直接対峙するような事態はそうそう起きない。そこまで領土を広げるとなると当代では無理だし、王もそこまで夢想家ではない。


 しかし、「近隣国への援軍」ならば有り得るし……その逆に、「ホルト皇国との同盟、密約、共闘」といった戦略をとれれば、大陸東側からの余計な介入を防げる。侵攻がうまく進めば、将来的にはネルク王国あたりまで制圧できるかもしれないという欲目もあった。


 王の欲とは裏腹に、「そこまで期待するのはさすがに無理だろう」とナイブズはげんなりしたものだが、父からは「情報収集だけで充分」とも言われたし、他国への留学そのものにも興味はあった。


 さらに自分が本国へ送る情報の内容次第では、「王に開戦を躊躇させることもできるのでは」といった儚い望みもあり――昨年の夏前に、彼は二人の供だけを連れて国を出た。優先度の低い任務でもあり、あまり予算が下りなかったため、身分を隠しての貧乏旅だった。

 ただ人数が少なかった分、馬車や船の席もとりやすく、移動しやすい旅ではあった。


 供の二人は従者ではなく、年の近い昔なじみの友人である。

 子爵家の三男坊、知恵者で冷静なトラッドリー。髪は青い。

 伯爵家のめかけの子、気性は荒いが義理人情に厚いイグナス。髪は赤い。

 三人揃うと、ナイブズの髪が黄土色、トラッドリーが青、イグナスが赤で、統一感がまったくない。しかし仲は悪くない。


 王族とはいえ継承権二十二位のナイブズは、アロケイルでは肩身の狭い思いをしてきた。

 周辺の人間関係、政治情勢、経済力――さまざまな要因により、王族でありながら、領地持ちの伯爵家や子爵家よりも格下に扱われていた。


 その代わり、そこそこ自由な立場でもあったため――ナイブズは、友人のトラッドリーやイグナスと距離が近い。非公式な場では互いにくだけた言葉遣いになるし、時には口喧嘩さえする。


「だからな、ナイブズ! まず帰国しねぇことには何にもわかんねぇだろ! 王城が魔族にやられたんなら、お前の上にいた連中が全員死んだ可能性もある! そうなりゃお前が次期国王だ! 責任を果たすなら今だろう!」


 煮えきらぬナイブズに、イグナスが語気を荒らげれば――ナイブズを挟んだその反対側で、トラッドリーも反論する。


「黙れ、イグナス! そういうのを軽挙妄動というんだ。今から帰国したところで、到着は半年以上先になる。情報もない、資金もない、兵もいないのに、向こうで敵対勢力に捕らえられたら詰みだぞ? ナイブズの命なんざ別に惜しくもないが、俺はまだ死にたくないからな!」


 ……トラッドリーくんはだいぶひどいな?

 ナイブズは内心で「ハハッ……」と力なく笑ったが、トラッドリーも本気で言っているわけではない。議論に毒舌を混ぜるのは彼の癖だし、ツンデレみたいなものである。

 トラッドリーはいざとなれば暗殺者の刃に身を晒してでもナイブズを守るはずで、「帰国すべきではない」という意見も、まず何よりナイブズの安全を確保するためだった。


 一方、イグナスのほうは血気盛んで、「アロケイルで内乱勃発」と聞き、「ナイブズを王位につける好機!」とでも思ってしまったらしい。


 親友二人の平行線な議論を聞きながら、ナイブズは直売所で分けてもらった茶葉を使ってお茶を淹れる。グイルネ茶とかいう、まっっっっっずい薬草系のお茶で、健康には良いらしい。でもすごくまずい。


「落ち着けよ、二人とも……イグナスには悪いけど、まだ帰らない……っていうか、どうせ帰れない。そもそも旅費がない」


 イグナスが、ぐっと言葉に詰まった。


 そう。金がない。本当にない。

 ナイブズが直売所で手伝いをしているのもそのせいである。

 直売所で品出しや売り子を手伝ってもバイト代は発生しないが、収獲した野菜をそこそこの量、無料で分けてもらえるのだ。

 もちろん見た目の悪い品や売れ残りが中心になるが、男三人の食い扶持を確保する上で、これがなかなか馬鹿にできない。というより、現時点では生命線に近い。


 金がない理由は複数ある。


・ホルト皇国の物価が想定より高かった。

・ラズール学園の入学金と授業料が事前の情報より値上がりしていた。

・旅の途中で、非常時の換金用宝石類を盗まれた。


 ……最後の不祥事はともかく、前の二点はそもそもの情報不足が原因である。片道だけで半年もかかる遠方国家の最新情報を得るのは、決して容易なことではない。

 ホルト皇国は外交官を周辺国に派遣することで、比較的、効率的に情報を集めているが――アロケイルにはそうした仕組みすらなく、その意味でも今回の留学を通じて学ぶべきことは多かったのだ。


 しかし、本国で王家が滅亡、内乱まで発生中となれば、学んだ成果を待ち帰る先もなくなってしまった。


 現状、ナイブズ達は帰国するための旅費すら持ち合わせていないが、追加の支援は望めない。

 仮に王家が健在だった場合でも、連絡を出して支援が届くまでには一年かかるし、その連絡が無事に届くという保証もない。

 また、国さえ健在ならば借金をして食いつなぐ道もあったのだが、その国がなくなった今は、担保も信用もないために借金すらできない。


 アロケイル滅亡の報が世間に広まる前に借りてしまう――という手段もあるのだが、これは発覚した時に貸し剥がされるか、もしくはもっとヤバい事態に巻き込まれる。それこそ顔に傷のある怖いおじさん達によって、僻地の鉱山などに放り込まれかねない。

 この異国の地では、どのみち自らの才覚で稼がねば、もはや生きていくことすらできないのだ。


 三人は受ける講義の数を減らし、合間にそれぞれアルバイトをいれていく予定だが……

 このバランスについても意見が割れている。

 イグナスは「授業なんざ捨てて、とにかく働こう!」と言い、トラッドリーは「払った授業料を無駄にしないためにも、まず授業を優先するべき」と言い、ナイブズは「どっちかに偏ることなく、バランスよくやっていこう」と提案した。


 入学金や授業料の返金はできないかと学園側に相談もしたのだが……制度上はやはり難しいらしい。国交のある友好国ならばともかく、アロケイルとホルト皇国にはまだこれといったつながりがなく、外交的な特権もない。


 そうなると扱いは一般の学生と同様になり、基本的には「払った金は戻ってこない」「学生向けのローンならある」「ただし、他国からの留学生は借り逃げの危険性があるため、審査が厳しく限度額も少ない」とのことで――当面の生活費にはなるものの、帰国費用には足りなかった。


 ……まぁ、学内にいれば餓えることはないし貯金もできる。ホルト皇国はそこらで適当に種を植えても作物が育つほど土壌が豊かだし、直売所の手伝いをするだけで農産物を貰える。また、学生向けの日雇いの仕事もそれなりに多い。

 頭脳労働なら賢いトラッドリーが、肉体労働なら頑丈なイグナスが、客商売なら王族のくせに愛想のいいナイブズが対応できるので、旅費もいずれは貯まるだろう。


 とはいえ、「早急に稼ぐ」となると難しい。

 亡命してきた貴族は魔族オズワルドに助けられたようだが、王族のナイブズは仲介すら頼めない。魔族にとっては、アロケイルの王族が例外なく「抹殺対象」となっている可能性があるため、素性をさらしたくない。

 

 国へ帰ってどこぞの勢力に与すればどうせバレるだろうが――イグナスはこの可能性を軽視しており、「殺す気ならとっくに殺されている」、あるいは「向こうがその気なら、どこに逃げようがいずれ殺される」と割り切っており、「その時は一緒に死んでやる」と真顔で言い切った。

 

 トラッドリーは重苦しい溜息を返し、「逃げられるうちは逃げておいたほうがいい」「数年おとなしくしておけば、そのまま見逃してもらえる可能性だってあるだろう」と、ここでも意見が分かれた。


 ナイブズはまだ死にたくないのでトラッドリー寄りの意見なのだが、逃げれば生き残れるかというとそうとも限らず……むしろ聖女トゥリーダのように、侠気おとこぎを見せて魔族に気に入られたほうが生存できるのでは、という見方もある。

 また、イグナスぐらいに覚悟が決まっていたほうが、逆に「せいぜい足掻いてみろ!」とかおもしろがられて見逃してもらえそうな気もする。


 結局のところ、何が正解かなど人の身にはわからぬのだ。その場その場での最適解が地獄に通じていることなど珍しくもないし、逆に馬鹿げた愚行によって未来が拓けてしまうこともある。

 で、どうせ最後にはみんな死ぬ。事故か寿命か病気か自殺か殺害か、状況に違いはあれど、生まれてきた者は例外なくみんな死ぬ。


 純血の魔族とか亜神とか、そういった上位存在の寿命はどれだけあるのか怪しいが……しかし彼らとて、「いつか」は消えるのだろう。

 実際、歴史上に幾人も存在したはずの「亜神」は、いつの間にか人の世から消えてしまっている。隠遁しているだけなのか、神話に語られるように別の世界へ旅立ったのか、それとも単純に死んだのか――諸説あるし見解も分かれているが、おそらく永遠の存在ではない。神とて死ぬのだ。


 そして……アロケイルに残っていた父や兄達も、おそらくもう死んでしまった。母は二十年前、ナイブズを生んですぐに亡くなってしまったため、今回の事件とは関係なく鬼籍に入っている。


 父や兄達の死については、哀しいし、寂しいとも思う。


 だが、大号泣して悲嘆に暮れるほど身近な存在ではなかったのも事実で……三男のナイブズは兄達よりもぞんざいに扱われていたし、その兄達も早々に士官学校へ入りそのまま軍属となったため、かなり疎遠だった。

 いじめられたり嫌がらせをされた記憶はないが、一緒に遊んだ記憶もない。正直にいえば、顔もよく憶えていない。兄達と最後に会ったのは六年くらい前だったと思う。

 つまり士官学校で共に寮生活をしてきたトラッドリーやイグナスのほうが、よほど「家族」のような感覚がある。


 その二人に、ナイブズは改めて語りかけた。


「兎にも角にも、まずは先立つもの――金を稼ごう。帰るにしても旅費が、このまま学ぶにしても滞在費が必要だ。それからイグナスも授業は受けてくれ。国へ帰るにしても手ぶらじゃ意味がないし、こちらで暮らす場合でも就職のための知識、技能は必須になる。たぶん働いているうちに、アロケイルの追加情報もこっちへ伝わってくるはずだ。焦る気持ちはわかるが……今は動けないし、動くつもりもない」


 まっっっっっずい薬草茶を二人分、テーブルに差し出しつつ、ナイブズは親友であり兄弟分でもある彼らを交互に見つめた。


 トラッドリーが真顔で頷き、イグナスも不満顔ながら頷く。「とにかく金がない」のは共通認識である。


 貧すれば鈍するとはよく言ったもので――本国でのうのうと暮らしていた頃にはわかっていなかったことだが、金銭的な余裕とは「選択肢の担保」なのだ。


 当座の生活費があれば、落ち着いて考える時間を作れる。

 将来食っていけるだけの貯蓄があれば、好きなことをしていられる。

 商売を起こせるだけの金があれば、才覚次第でもっと儲けることもできる。


 もっと短絡的に、酒を飲む、美味いものを食う、異性に貢ぐといった「選択肢」も有り得るが、いずれにしても金銭の有無によって行動の幅は大きく変わる。


 親友達はまずい薬草茶に口をつけ、小声でぼやいた。


「……しかし、もうちょっと……こう……なんとかならねぇのか、これ……? いくら栄養があるって言ってもさあ……」

「……絶対に飲めないわけでもない……かといって決して飲みたいわけでもない……実に絶妙なラインを攻めてくる……」


 この茶の不味さについては、二人の意見も一致するらしい。

 ナイブズ自身もまったく同感ながら、コクのあるえぐみとキレのある青臭さに、ただただ閉口するばかりだった。


 §


「えっ。グイルネ茶ってこっちにもあるの?」


 嫁・姑・孫・猫の揃ったお茶会にて――我々は「お茶」の話題で盛り上がっていた。

 美味しい麦茶(ホット)のおかわりを淹れながら、エルシウルさんが困ったように微笑む。


「ええ、レッドワンドにはなかったのですが……こちらの平地にはけっこう生えていまして、キルシュ先生が『試しに』と淹れてくれました。あの……すごいですね、あれは」

「だー。にゃー」


 ルシーナちゃんが俺の尻尾をにぎにぎする中、メルーサ博士も力なく笑う。


「あれはねぇ……本当、すごいよねぇ……皇都では悪いことした時のお仕置きとか罰ゲームで飲まされるんだけど、栄養価は本当に高くて……しかも結石とか脂肪肝をふせいでくれるすごいお茶でもあるの。好きで飲む人はほとんどいないと思うけど」


 と、お二人は盛り上がっているのだが、猫のルークさんはその茶を知らぬ。

「にゃー。だー。ぶー」

 反撃としてルシーナちゃんのほっぺを肉球でふにふにしつつ、俺は首を傾げた。


「そのお茶、私は聞いたことがないですねぇ。平地に生えているとのことですが……ご近所に群生地とかあったんですか?」


 俺が問うと、エルシウルさんは「うーん……」と少しだけ口ごもった。


「群生地というか……もう本当に、『道端のそのへんに生えている草』ですね……こちらでは雑草扱いのようで、煎じて飲む習慣そのものがないみたいです。患者さん達も知りませんでしたし、とにかくまずいので、『わざわざ煎じて飲もう』とは誰も思わなかったんでしょう。でも、薬効は確かにあるようなんです」


 ふむ。同種の植物であっても、地域によってその扱い方が違うという話か。


「ルーク様も気になるようでしたら、先生に頼めば淹れてくれると思いますが……おすすめはしません。本当に、その……『草』とか『土』っていう印象の味なので」


「それはそれで気になりますねぇ。私の場合、コピーキャットでいろいろ複製できますし、後学のためにも試しておきたいところです!」


 毒ではないようだし、薬の材料としても有望そうだ。

 俺はペーパーパウチ量産のために、食用ではないとある水草も少しだけかじってみたことがある……一応、テイスティキャットさんに毒性の検査はしてもらったが、毒性こそなかったものの、味覚的にはしょぼん顔であった……グイルネ茶というのもまあまあヤバそうで楽しみ……ゲフンゲフン、興味深い。


 猫のぬくもりでルシーナちゃんがうとうとし始めたので、俺はちっちゃな毛布をかけ直し、ベビーベッドをよじ登って外へ出る。

 するとメルーサ博士がとてとてと近づき、俺を抱え上げた。


「ふふっ、ルークちゃんは子守もできて偉いねぇ?」


「にゃーん」


 褒められた! ……しかしおむつ交換とかはしていないし、たまにふらりとやってきて添い寝して去っていくだけの猫さんムーブなので、これを子守と言っていいのかどうか……

 それでもエルシウルさんはにっこにこである。


「ええ、いつも本当に助かっています。ルシーナもよく懐いているので、ルーク様がいらっしゃった日はご機嫌ですし……おやつや食材なども提供していただけるので、その日は買い物や家事を休めるのがありがたくて」


 む。そんな効果が。確かに主婦業には休みがないと聞く。猫のちょっとしたサポートでその分の休憩時間をとれているなら、それは望外の喜びである。


「……ただ、ルーク様は本当にいつもお忙しそうなので……ルーク様ご自身は、ちゃんと休めていますか?」


 ククク……半月前の俺なら視線を逸らして「……まぁ……それなりには……」とか嘘をついたであろうが、今日の俺は違う!


「大丈夫です! トマティ商会の業務を社員の皆様で回せるようになりましたし、メテオラの環境も落ち着いてきましたので、これからはお昼寝の時間もとれるようになっていきそうです!」


 クラリス様達もカルマレック邸での集団生活に慣れ、家事の分担なども進んでいる。メイドのサーシャさんが主力ではあるが、魔導師のマリーンさんや騎士のマリーシアさんも働き者だし、リルフィ様やスイール様も魔法でサポートしてくれる。


 クラリス様やロレンス様もちょっとしたお手伝いならできるし、クロード様も前世持ちだけあって、掃除とか軽作業には支障がない。

 みんなを見守るピタちゃんも、畑の雑草処理(※間食)のエキスパートであるし、生活環境は良好である。


 家事一切ができないペズン伯爵まで、みんなが家事をしているのを見て「自分も何か……」なんて言い出したが……ペズン伯爵には余暇を使って「トマティ商会」と「リーデルハイン領」への税務指導やら法整備関係の助言をいただいているので、実は何気に一番働いておられる。


 リーデルハイン領は迷宮の発見とトマティ商会の成長により、これから先、『単なる田舎の僻地』ではなくなっていく。特に「不動産関係の法整備はしっかり見直したほうがいい」と、以前に士官学校のラン様からもご心配いただいた。

 ペズン伯爵はこの方面の有識者であり――領地経営に多忙なライゼー様の助言役として、みんなが講義に出ている昼間は、リーデルハイン領へわざわざ出向いていただいているのだ。


 それから偽装メイドのアイシャさんも、宮廷魔導師ルーシャン様の弟子としての業務があるため、夜以外はあいかわらず不在がち。ちょくちょく燃え尽きているので、こちらもむしろいたわって差し上げたい。

 なんかね……将来的に宮廷魔導師の任を引き継ぐ関係で、上のほうのお貴族様や他部署の官僚との会談や交渉に日々駆り出されているみたいなんですよね……おいたわしや。


 そんなこんなで日々、充実しつつも、猫は意外と自分の時間をとれるようになってきた。

 トマト様販促ソングの収録とか、メテオラからトマティ商会の社宅へ移住する人達のお引越しとか、スケジュールの決まった業務もあるが、一時期の忙しさからは解放されている。

 猫はようやく……ようやく安心して、トマト様のお世話に邁進できる環境を整えつつあるのだ!


 ……いつもやってること? それはまぁそうなんですがー。


 ついでなのでエルシウルさんもラズール学園での昼食にお誘いし、ルシーナちゃんともども、ソラネさんと顔合わせをしていただくことにした。

 旦那のキルシュ先生も午前の診療をさばき切ったので、この後に来る患者さんには午後まで待ってもらうことにして、少し早めのお昼休みをとる。微妙に時差があるため、ラズール学園が正午の頃、ネルク王国はまだ午前中なのだ。


 兄に対してはなかなか辛辣だったソラネさんだが、美人のお嫁さんと姪に対しては「不束ふつつかな兄をどうかよろしくお願いします!」「赤ちゃんかわいー!」とデレッデレであり、お昼ごはんに用意したバロメソースのスパゲッティや、完熟トマト様のカプレーゼもたいへん喜んでいただけた。


 メルーサ博士もソラネさんも、「トマト様」の逸話はトゥリーダ様の公開生放送で聞いていたものの、実物を見て味わうのは初めて。

 感涙に咽び泣きトマト様への忠誠を誓ってくれるはずだったが、「わー、おいしい!」「へー、これがトマト様ですか」ぐらいの反応であった。想定と違うがまぁ良い。お目々はちゃんとキラキラしているし、いずれ信仰に結びつくのは時間の問題であろう。トマト様は道であり、真理であり、命である。


 ……そして昼食後、デザートにご用意したストロベリーパフェ(コップサイズ)に「なんですかこれ!?」と泣くほど感動されてしまったのだが……そっちで泣いちゃうのか……やっぱ砂糖の威力怖えな……


 俺の後から来るかもしれない転生者さん、転移者さん達のためにも、いずれは世界に砂糖も解き放ちたいとは思っているのだが、奪い合いと経済戦争を防ぐ算段をまだ思いつかない。

 気候風土が合うだけの地域にそのままばらまくと、厄ネタになる未来しか見えぬのだ……トマティ商会が力をつけてきたら、いずれは道も見えるのではないか――と期待はしているが、商材としてのインパクトはまさしく最終兵器クラスである。


 弱小国の経済作物にすると周辺国から侵略されたり植民地化されそう、強国に提供すると儲けすぎて暴走しそう、中堅国でも他国からの謀略にさらされて戦争になるか、あるいは強国路線へ舵を切りそう……ということで、一般レベルで普及するまでに、結構な地獄が表出しそうな予感がある。割と悩ましい。


 感涙しながらパフェを食べていたソラネさんが、不意に「あっ」と居住まいを正した。


「す、すみません! お見苦しいところを……あの、実は食後にお話ししようと思っていたことがありまして……今朝の、アロケイルの王族の件なのですが……」


 お。どうやら早速、学生課の資料をチェックしてくれたらしい。

 今朝のことを知らぬクラリス様達は「何の話かな?」と首を傾げているが、後で俺から話せば良いので、とりあえずそのまま聞いてくださっている。


「ナイブズ・アロウ・ダイクー様。王位継承権は第二十二位、今の王様の従兄弟の、その第三子とのことです。現実的には王位が転がり込むようなお立場ではないので、官僚か士官としての勉強のため、ラズール学園へ留学してきたみたいですね。それこそ学生外交の役割を期待されているのかもしれません。お供も二人しかいなくて、子爵家の三男と……もう一人は立場としては平民なんですが、一応、伯爵家の縁者みたいです。どちらも単なる従者ではなく、学生として入学しています」


 ここまでは、秘匿ひとくすべき個人情報とかではない。

 さすがに他の学生が自由に見られる資料ではなかろうが、職員ならなるべく把握しておいたほうがいいことだし、要するに「貴人の公式情報」というやつ。

 うまい例えを思いつかぬが、職員専用ウィ◯ペディアに載っている著名人情報みたいなものである。


「それと……これは正規の職員さんから聞いたのですが、何日か前に、『退学して国に帰る場合、入学金と授業料の返金はできないか』と、学生課に相談があったらしいです。返金制度は原則的に存在しないので、その場では難しいとご説明したようなんですが……まともな国交がない国とはいえ、相手が王族ですから、事情を確認するために、近いうちに学園長が面談する方向でスケジュールを調整中と聞きました。場合によっては、書類上は『学園長のポケットマネーを貸す』という体裁を整えて、帰国費用を捻出する可能性も有り得るみたいです」


 むぅ……

 猫は唸ってしまった。

 この「場合によっては」というのはあくまで厚意だろうし、ソラネさんや職員さんの予想に過ぎないのだが……皇都では全然、話題にすらなっていないが、マードック学園長のような上位の王侯貴族は「アロケイル王国滅亡」の話をもう知っている。


 ソラネさんをはじめ、一般大衆にこの報はまだ届いていないし、仮に新聞沙汰になったところで「まぞくはこわいねぇー」「おっかないねぇー」で流されてしまう程度の些事である。

 ちょっと距離が遠すぎるし、情報の即時性がないので、「半年前に滅亡したんだってー」「へー」ぐらいの扱いにならざるを得ないのだ……所詮は他人事である。


 国境を接するレッドワンドが滅亡した時さえ、皇都ではそんなに話題になっていなかった。

 魔族絡みということで貴族や官僚は注視していたし、レッドトマトという後釜がもう決まっていたからこそ、混乱が起きなかった面もあるのだが――皇都の民衆がこの報に注目したのは、トゥリーダ様が実際に外交に出向いて、皇国議会で演説をし、それが新聞に載ってからである。

 それでもまだ「ちょっとしたニュース」どまりだったのが、先日の公開生放送の猫ちゃん大騒ぎでようやく「どかん!」と情報が爆発的に広がった。やはりインパクトは大事である。


 電話も電信も、インターネットもスマホもないこの世界において、「他国の情報」とは人々にとってそれぐらいに縁遠いものなのだ。僻地に行くと、「アロケイル滅亡の第一報が伝わるのは五年後」とか、さらにひどいと「そもそも情報が入ってこない」みたいな状況になるのだろう。


 で、何が言いたいかといえば――

 マードック学園長はむしろ、面談でナイブズ君達の帰国を止めるつもりだろう。せっかく運良く拾った命を、あたら散らすこともあるまい、という理屈である。

 だが、もしもナイブズ君達が「それでも絶対に国へ帰りたい!」「生き残るあてもある!」と主張するようなら、便宜をはかってくれるかもしれない。


 彼らには今、相談できる相手すらいない。遠い異国の地では信頼できる知人も少ないだろう。心配してくれるのは学内猫さんぐらいである。


 ……しかし、猫の加護はつよい。一国の王とか救国の聖女様とかが真顔になるぐらいにはつよい。もはやつよつよすぎて行使をためらうレベル……


 かくして猫は、アロケイル出身のナイブズ君とそのお供二名に、ひっそりと目をつけたのであった。


つい昨日、会報七号刊行記念SSを投稿したばかりなので、珍しく2日連続の更新でした。

そしてツイッター(X)のほうでは、なんと三國先生が刊行記念のアイシャさん&キジトライラストを……! ありがとうございます! ぜひ今のうちにご確認ください。


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― 新着の感想 ―
グイルネ茶って、そんなに薬効が高いのなら粉末にして粉薬として飲めば良いのでは? それか薬効成分を抽出するとか
サトウキビは茎を売ってたりするから、齧る機会はあったんだろうけど、流石に甜菜を齧った機会はないだろうな。 甜菜、伝言ゲームぽいあれで作れないのかな? サトウキビは作れる環境が限られるから、争いの元にな…
南方貴族に砂糖(サトウキビ)の生産を任せて政治バランスをとるかな? いや、東西貴族が黙っちゃいないか・・・・ んー、砂糖の流通厳しいな・・・・
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