245・騎士と忍の剣術勝負
学生課にて『第六修練場・使用許可証』を得たクロード・リーデルハインは、「妻」のサーシャ・リーデルハインを伴い、ラズール学園の一隅をのろのろと歩いていた。
二人が婚約者やカップルではなく「既婚者」であるという噂は、同じ講義を受けている学生達の間にはもう広まっている。
年が近くて家名が同じ、その上で兄妹・姉弟ではなく、容姿も似ておらず――となれば、自ずとそういう解釈が成り立つし、二人も特に隠してはいない。
この年で学生結婚をしているケースはラズール学園でも珍しいが、皆無というわけでもないし、クロード達の場合は「他国からの留学生」という事情もあり、「向こうではそれが普通なのかも」と納得されてしまっている。
……いや、普通ではない。断じて普通ではないし、変な誤解が定着するのも困る。
困るがしかし、ずっと相思相愛だった幼馴染と、晴れて堂々と「夫婦」として振る舞えること自体は大変うれしく、その道筋をロードローラーで整備してくれた飼い猫にも妹にも母にも感謝している。
それから士官学校の学祭で一芝居打ってくれた親友のランドール、許可をくれた義父のヨルダ、サーシャの母親、それからもちろん父のライゼーにも感謝はしている。
いろんな人々に感謝はしつつ、それはそれとして……
自らを取り巻く現状に、彼は困惑していた。
たまに周辺からひそひそと声が聞こえる。
(あちらが噂の……?)
(うわ、ほんとにすごい美人! 雰囲気が違う……!)
(まさにクールビューティ……あれで拳闘まで強いってほんと?)
(あ、旦那さんは普通っぽいね……? かわいい系?)
――なにはともあれ、サーシャが割と目立つ。そのついでに自分も見られている。
いつものメイド服なら「ああ、メイドか」と思われるだけなのだろうが、ラズール学園の制服を着てしまうと、持ち前の高貴さ(※無表情ともいう)が余計に際立つのだ。
制服というのは皆が似たような格好になるからこそ、服装以外の本人が持つ資質――つまりは地顔の良さや姿勢、立ち居振る舞いを強調する効果を生む。
逆にクロードのようなタイプは制服を着るだけで周囲に埋没できてありがたい……はずなのだが、今はサーシャの添え物として目立ってしまっていた。
「……クロード様、猫背になっています」
「あ。うん……はい」
素で応じた後に、返事をし直す。
隣で囁いたサーシャは、そのまま自然な動きでクロードと腕を組んだ。
「一緒に歩けば姿勢が崩れてもすぐに修正できる」という理屈で始まった習慣なのだが、「いや、その理屈はおかしい」と反論したクロードの意見は黙殺され、まるで仲睦まじい恋人同士のように歩く日々が常態化しつつある。
ラズール学園の校風として、腕を組んで歩くカップルそのものは決して珍しくないのだが、前世日本人のクロードには「学校でコレはまずいのでは?」という懸念が抜けない。もっとも、一つの都市ほどに広い学園だし、システム的には大学に近い場所なので……前世の常識・良識の類は、ここではあまり信用できないし役にも立たない。
……ついでに言うと、腕を組んでいるのに「しなだれかかる」とか「寄りかかる」という雰囲気ではなく、サーシャの姿勢が凛としすぎていて「連行されている」感が強い。「ちょっと派出所まで」と容疑者を連れていく警官の趣すらある。
そしてやはり、当然のごとく周囲から見られている。
(はわぁ……)
(つよつよご令嬢と気弱で優しい平民の不器用な恋愛概念だ……)
(あんたね……その感想、ぜったいよそで言っちゃダメよ?)
わかる。クロード自身も真ん中の子とほぼ同じ感想を持ってしまっている。
「……サーシャ、目立つの苦手じゃなかったっけ……?」
「苦手ですが、こうしておかないと――いずれクロード様に手出しする者が出てきそうですから」
むしろ「見せつけやがって」みたいな感じに不良から喧嘩を売られそうな気もしたが……貴族相手にそれをやらかす輩は普通に退学になるので、これはクロードの杞憂かもしれない。
ちなみにクロードは「手出しする者」を「喧嘩」「カツアゲ」「因縁」系の意味と解釈したが、サーシャの想定は「泥棒猫」のほうである。相性が良くとも、こうした多少の食い違いは起きる。
「ひゅーひゅー。お二人さん見せつけてくれるじゃねーかー、です」
「……なんだっけ、そのセリフ。古典演劇だよね? あー、タイトル思い出せない……」
不良の代わりとばかりに絡んできたのは、待ち合わせ場所にいたマズルカとポルカだった。ネルク王国からの留学生マリーン、さらに友人のオーガスも一緒にいる。
マズルカの妙に勘の鋭い言動はいつものことなので、もう慣れた。別に読心術などではなく、彼女は相手の心理を推し量る能力がやけに高いらしい。あくまで推測なので、たまに見当外れでわけのわからないことも言うが、クロードに関しては「すごく顔に出やすくてわかりやすい」とのことだった。年下に遊ばれている感がある。
マズルカへのツッコミに思い悩むポルカへ、マリーンが横から助言した。
「本当に古典演劇? 私は今のセリフ、『クロム島のスパイ』で読んだ記憶があるけど」
「それだ! おじーちゃんの本だった!」
「まだまだですね、ポルカ。ちなみにこのセリフを言った悪党は、実は悪党じゃなくて味方のスパイだったんです。セリフも合言葉で、これに対する正しい返答は『もしかして……兄さん!?』だったはずなんですが、主人公が記憶喪失だったせいで答えられず、ここからルビーの神像を巡る泥沼の愛憎劇に発展します。そして犯人は猫でした」
「あれ? そんな話だっけ?」
「やめてやめて、それっぽい嘘つかないで。途中から別のお話混ざってる。変なエピソード憶えさせないで」
双子とじゃれあい頭を抱えるマリーンを見て、隣のオーガスが苦笑を浮かべた。
「道理で心当たりがないと思った……あ、クロード、結局、弓の試技で何をやるかは決めたのか? 九分割の的なんて今から用意できないぞ」
「うーん……あんまり難しいのは無理だけど、一応は……あ、オーガスも手伝ってくれるかな?」
「ああ。何をすればいい?」
道すがら相談しつつ、講師のアークフォートを迎えに行く。修練場までは少し距離があるため、馬車を借りる予定だった。
アークフォートがいなければ移動にもルークに頼るところだが、あの老人は『猫の精霊』こそ目撃したものの、宅配魔法やウィンドキャットについては知らないし、ルークもまだ自己紹介をしていない。
講師室の前では、すでにアークフォートが準備を終え、馬車の御者席でくつろいでいた。
荷台には弓が四本と、矢が数十本ほども積まれている。準備万端である。たぶん相当、楽しみにしていたのだろう。
「アークフォート先生、修練場の使用許可証をもらってきました。すぐに行きますか?」
「ええ、もちろん。さぁ、皆さんも乗ってください」
「先生、御者なら私が」
オーガスが交代を申し出たが、老齢の講師は笑顔で手綱を握る。
「いえいえ。たまには私も手綱をとりたいのですよ。若い頃はよく乗っていましたからね」
アークフォートは上機嫌で馬車を出発させる。
ポルカとマズルカはお行儀よく座り、マリーンとオーガス、サーシャとクロードも荷台に乗った。
さすがに六人も乗ると手狭だが、そのうち四人は女子だし、クロードもオーガスも大柄ではない。御者のアークフォートも小柄とあって、二頭の馬は悠々と荷台を引き始めた。
出発してすぐに、サーシャが御者席のアークフォートへ一礼した。
「……ご挨拶が遅くなり、たいへん失礼をいたしました。サーシャ・リーデルハインと申します。祖父母と、それから赤ん坊だった頃の父が、かつてお世話になりまして……その節はありがとうございました」
前を見たまま、老人がにこやかに微笑んだ。
「なるほど、お嬢さんが……ヨルダリウス殿から聞いておりますよ。クロード君の奥方ですね。拳闘術をやられているとか」
「はい。母が若い頃、拳闘士をしていましたので、その影響です」
「ふむ。ネルク王国では拳闘が盛んだそうですね。達人にもなると、金属の鎧を素手で打ち抜くと聞きました」
「素手はさすがに誇張かと……体内魔力で骨の強化はできても、元が柔らかい皮膚や筋肉の強化には限界がありますので、おそらく拳が傷だらけになってしまいます。一撃だけ、決死の覚悟をもってすればできるかもしれませんが……もちろん、魔道具の篭手さえ装備すれば、そこまでの達人でなくとも鎧貫きは可能なはずです」
「ああ、拳闘士の篭手というのは、打撃力を増幅させるだけでなく、拳を守るためのものでしたか……なるほど、威力としてはやはり可能なのですね。いや、無知をさらしてお恥ずかしい」
こわいおはなししてる。
サーシャの強さはクロードも身をもって知っているが、彼女は速度と駆け引き重視で、打撃の威力にはあまりこだわっていない。むしろ拳闘術の動きを流用した短剣術を想定しているが、幸い、この技能が実戦で役立ったことはまだない。
「学園にも拳闘術の講義はありますが、戦闘術というより競技、運動の性質が強いですからな。物足りないとか、そういったことは……?」
「いえ、たいへん楽しいです。以前の私の練習相手は母とクロード様だけでしたので――こちらの講義ではポルカ様ともご一緒していますが、とても刺激になっています」
「サーシャさん、めっちゃ強いよ! 先生も『本場の人はやっぱり動きが違う』って絶賛してたし、向こうの技術もいろいろ教えてもらえて私も楽しいし!」
ポルカの元気な声に、アークフォートが肩を揺らして笑った。
「それはなによりですな。やはり鍛錬は楽しんでこそ身になるものです。嫌々ながらでも、人並み程度まではものになりましょうが――その先に突き抜けるのは、やはり楽しんだ者です。お二人は強くなられるでしょう」
クロードは内心でほっとした。そんな信条があるならば、無茶な特訓などを強いられる可能性は低い。雰囲気の怖さから恐れ慄いていたものの、教育者としては真っ当らしい。
マズルカが首を傾げた。
「鍛錬を楽しめないと、やはり一流にはなれませんか」
「そうですな。分野によって、多少の違いはあるかもしれませんが……しかし、その場合でも対応策はありますよ」
「ほう? 気になります」
「簡単です。『楽しくなるまでやり続ける』という……ほら、『ランナーズハイ』という言葉があるでしょう? 人間、適度に追い詰められると逆に楽しくなってくるものなんですよ。見極めは少々、難しいですし、本人のやる気を引き出すことが大前提ですが」
すごくこわいおはなししてる……やっぱりそっち系なのだろうか、この先生……
双子のコミュ力によって話は盛り上がり、クロードがひっそりと震えているうちに、馬車は第六修練場へついた。
ここは「修練場」とは名ばかりの、川沿いの広大な川原である。
周辺は休耕地ばかりだが、土手に沿って簡素な遊歩道が整備されており、所々にベンチも点在している。収穫物を運ぶ馬車もこの道を通るのだろうが、今は冬なのでとれる作物も少ないのか、人気はない。
先行していたクラリス達は、すでに土手を降りて川原側に設置されたベンチに座っていた。
飼い猫を抱っこした妹のクラリスをはじめ、王弟ロレンス、その護衛のマリーシア、案内役のベルディナと、後見人で家庭教師のペズン伯爵――
建前上、彼女達は「正門までヨルダを迎えに行っていた」という設定になっていた。
そして本日の主役たる、リーデルハイン騎士団・団長のヨルダリウス・グラントリム。
あとの二人はクロードの知らない女性だが、こちらがおそらく、ルークが拾ってきた『シノ・ビ』である。
クロードも一応、前世の記憶持ちではあるので、「忍者」というものに漠然とした固定観念はある。
手裏剣とか使うのだろうか。空蝉の術は無理だろうが、火遁や土遁なら火属性、地属性魔法で再現できるかもしれない。影分身も幻術系の魔法を使えばできる可能性はある。
……でもそれは「忍術」じゃなくて「魔法」だな? というツッコミが脳裏をかすめたが、そもそも忍術って創作からのイメージが強すぎて……実際の忍者はもっと現実的だし、カメラとガンマイクを構えてカチンコを鳴らしたりもしない。あの中忍三兄弟はルークから便利使いされすぎだと思う。本猫達は楽しそうだが……たぶん遊び感覚だな?
そうこうしているうちに挨拶が始まった。
「これはこれは、王弟のロレンス殿下までご一緒とは――皆様、お初にお目にかかります。ラズール学園弓術講師、アークフォート・ジバルにございます」
「ご丁寧にいたみいります。ネルク王国、王弟のロレンス・ネルク・レナードです。本日はよろしくお願いいたします」
学園の講師達は概ね、貴族の子弟相手にも分け隔てなく自然体なのだが、「王族」「皇族」との初対面の時だけは、さすがに態度が改まる。
校則上は「貴族の子弟も一生徒として扱う」ことが明文化されているし、それが伝統として根付いているが、他国の王族となると外交上の配慮も必要になる。そして自国の皇族に対しては、「亜神の子孫」という要素が大きい。さらに彼らの長命がその事実を補強している。
次いでクラリス達も順番に自己紹介をしたが、それににこにこと対応するアークフォートの存在感は孫を前にしたお爺ちゃんそのものであり、とても恐ろしい達人には見えない。
……いや、「恐ろしい」と思っているのがどうやらクロードとオーガス……あとはルークだけらしく、他の面々は皆、顔に騙されて「いい人そう」という感想を持っている。実際、悪い人物ではない。ただ単純にコワイだけである。
そして、ヨルダとアークフォートが向かい合う。
「アークフォート殿。来ていただいたことに感謝します」
「いえいえ、こちらこそ、お声がけいただきたいへん嬉しく思います。これからヨルダリウス殿の成長ぶりを拝見できると思うと、なにやら今の時点で感無量ですな」
どっちもたのしそう。
さらにもう一人、キラキラしている子がいる。
「相手役を務めさせていただきます、冒険者のフーリと申します」
この人、「カエデ」さんじゃなかったっけ? と思ったが、任務用の偽名だろう。ホルト皇国で「カエデ」という名は珍しいので、アークフォートの口から他所へ広がるのを避けるためと思われる。
アークフォートは彼女にも笑顔を向けつつ、その細い目を底光りさせた。
「ほう、冒険者……剣以外にも、何かお使いですかな?」
「体術も少しは使いますが……基本的には剣のみですね」
カエデもにこやかに返したが、絶対嘘である。ルークの話では、確かこの娘、投擲、弓、鉄鎖と様々な技能を習得しているらしい。なのにあんまり怖そうに見えず、外見はいかにも「優しそうなお姉さん」っぽいのがこわい。この空間、こわいひとばっかだな?
クロードは子犬のように怯えつつ、弓を手にした。
「えっと……それでは、前座ということでまずは自分から……」
ヨルダが「いやいや」とこれを制した。
「実はご到着までの間に、軽く準備運動を済ませたもので――ここから休憩を挟みたくないので、先にやらせていただいてもいいですかね?」
ガチモードである。これはもう「まて」ができないわんこである。ここ数年のヨルダが好敵手に餓えていたことは、クロードもなんとなく察していた。
審判には、ロレンスの護衛の女騎士、マリーシアが立つ。「間近で見たい」とのことで立候補してくれたらしい。
やや凸凹とした、あまり手入れの行き届いていない、だだっ広いだけの川原に――
二人の達人が木剣を構えて向き合った。
ヨルダは木剣を両手で握り、中段に構える。一対一であれば、防御にも攻撃にも融通が利くオーソドックスな構えである。
カエデのほうは……なんと二刀流である。
半身に構え、細身で少し長めの剣を左手に持ち、ヨルダに向けている。
後ろに自然体で流した右手には、短めの木剣――ナイフよりは少し長いが、こちらは鉈と同程度の手頃な大きさである。
「え。二刀流?」
驚いたクロードの隣で、カエデの連れの「アズサ」というシノ・ビが解説を加えた。
「厳密には『一刀一槍流』といいまして……今は長い木剣と短い木剣を用いていますが、本来は『左手に細身の刀、右手に投擲用の短い手槍』を使います。戦い方次第で左右を入れ替えることもありますが、今日は投擲禁止のルールなので……手槍を想定した短剣は防御用、もしくは隙を狙っての奇襲用になりますね。基本戦術としては、相手の斬撃をどちらかの武器でさばいて、それと同時にもう片方の武器でカウンター気味の攻撃をしかける、という流れになります」
クロードは唸る。
通常、槍は剣よりも長いはずだが、「投擲用」、それも競技用ではなく「戦闘用」のものとなると、「極端に短い槍」というのがたまにある。
槍で刃をつけるのは穂先だけなので、その他の材質や細工にもよるが、まず剣よりも安価で生産できる。
携帯性、量産性の面では「短い」というのも利点になるし、「狭い室内での戦闘」を想定すると、この短さが強みにすらなる。
……シノ・ビはおそらく、野戦よりも「暗殺」「潜入」「工作」系の任務が得意なはずで――そんな彼女らの武器として、「短い手槍」というのは使い勝手が良さそうだった。
飛距離では矢に劣るが、矢と違って片手で投げられるし、近接戦闘中に弦を斬られる心配もない。
しかし……一対一、しかも投擲禁止の模擬戦では、利点を活かしにくいようにも思う。
「片手で武器を扱うと、どうしても両手持ちに比べて、速度と威力に劣りがちと聞きますが……」
「劣りますね。しかし我々は『一撃必殺』を理想とはしません。まず手傷を負わせる、戦闘力を奪う、敵の戦意を挫く――そのためには、威力を落としてでも手数を増やしたい、という事情があります。シノ・ビは情報を持ち帰るのが第一の任務ですので、一対一の戦闘もなるべく回避しますし、多数に囲まれた場合にも包囲を砕いて逃げ延びることを優先します。今日は剣術勝負なので用意していませんが、実戦であれば口に礫を含んで、これを吹くことで相手の目を狙ったり、つま先にも刃を仕込んだり、あるいは設置型の罠を戦場に仕掛けたり――そういった小細工も使います」
ずいぶんとあけっぴろげに説明されてしまったが……
(あ。これ、僕のことを、将来の雇い主の一人だと勘違いしてる感じ……?)
おそらくルークが「自分はリーデルハイン子爵家のペットである」「トマティ商会はリーデルハイン子爵家と一心同体」「リーデルハイン子爵家の次期当主はクロード」的な説明をしたのだろう。
あの猫はちょっと説明が足りないというか、自分の存在感と影響力を低く見せるために、わざと曖昧にボカしたがるところがある。
そもそも猫だから「隠れたがる性分」といわれれば仕方ないのだが、アズサはその言を真に受けて、『将来の領主』たるクロードにも自分達の自己紹介をしておくべきと考えたのだろう。
ついでにこうしてクロードに話せば、隣にいるクラリスとルーク、サーシャ達にも解説が伝わる。あくまで小声なので、少し離れたアークフォート達にはおそらく聞きとれていない。
「はじめ!」
審判役の女騎士、マリーシアが合図を出すのにあわせて、両者が動き出す。
カエデはサイドステップで円を描きながら少しずつ近づく。
ヨルダはそれにあわせて向きを変えつつ、こちらも一歩ずつ距離を詰める。
両者が様子見することもなく積極的に接近を選んだため、あっという間に間合いは詰まり、剣先同士が届く距離となった。
そして、カンッ、と切っ先同士が触れた刹那――
ヨルダの木剣が地を叩き、カエデの短剣――手槍を想定した木剣の先端が、その一撃によって地にめり込まされていた。
審判役のマリーシアが戸惑っている。おそらく彼女には攻防の流れが見えていない。
「……お見事。これを潰しますか」
「ヒヤッとしたがね。しかし……投げられたら危うかった」
「御冗談を。その時は弾き飛ばしていたでしょう」
「弾き飛ばすとこっちの隙もでかくなる。そこに斬撃がきたら、さばけたかどうかわからんよ」
二人は物騒な笑顔で会話をかわしながら、再び油断なく構えた。どうやら「継続」ということで合意したらしい。
「……サーシャ、今、何がどうなったの?」
クラリスが問う。兄に聞かなかったのは、答えられなかった時に恥をかかせまいとする気遣いか……あるいは「サーシャのほうが確実」と判断したからかもしれない。
「……そうですね。互いの切っ先が触れた後、先に父が突きを放ちました。カエデ……フーリさんはそれを左手の長剣でいなして、カウンターとして、右手の短剣を手槍のように突きこんだのですが――父の突きがそのまま軌道を変化させて、これを叩き落とし、地面にめり込ませました。体勢が崩れていたのでフーリさんも追撃できず、また父のほうも無理攻めをせずに、両者一旦仕切り直し……という流れです」
やはりサーシャは動体視力が良い。
一方、クラリスに抱っこされた猫には何も見えていなかったようで、あんぐりと口を開け、しばらく呆けていた。気づいてすぐにキリッと顔を引き締め直したものの、猫なのに表情の変化がわかりやすすぎる。
手合わせを再開してすぐ、ヨルダとカエデは数合打ち合った。
今度の動きは皆にも見えている――が、その攻防が巧みすぎて、まるで打ち合わせ済の殺陣のように見えてしまう。
そしてはじめは「様子見」レベルだったその打ち合いが、十数秒後には目で追えない速さとなり、その直後にはわけのわからない領域へと突入した。
太刀筋が見えない――というより、歪んでいる。ボールペンを揺らしてくにゃくにゃに見せるような――アレは「ラバーペンシルイリュージョン」というらしいが、あんな感じで両者の木剣が時折、ヘビのようにのたうっている。何あれきもちわるい。
「……あの、ああいうの、初めて見たんですけど……なんですか、アレ?」
思わずアズサに問うと、彼女も困惑したように首を傾げた。
「私自身は武闘派ではないので、よくわからないんですが……彼女の太刀筋は、たまにああなります。振るった後にフェイントで跳ね上げてまた振るう、みたいなのを繰り返した時とか……あと、剣を引く腕のラインを保ちつつ、手首の角度だけで切っ先を調整した時とか……?」
「それ、手首が折れません……?」
「普通は鍛錬の過程で腱鞘炎になるか、スジそのものを痛めて剣術どころじゃなくなりますね。彼女は特殊です。何代か前の先祖に獣人がいるせいかも、と本人は言っていました」
そうした先祖返りのような事例はたまにある。
ヨルダやカエデの人間離れした動きをこうして直に見せつけられると、「ありそうな話」だと納得せざるを得ないし、むしろ「鍛錬すれば誰でもこの領域に到達できる!」とか言われたら「うそだぁ……」としか反応できない。そもそも身体能力の基礎が明らかに違う。
クロードの隣で、サーシャが不意に「……あれ……?」と訝しげな声を漏らした。
「サーシャ? 何か気になった?」
「……いえ、あの……もしかして、何度か、勝負がついてませんか……?」
乱撃は続いている。派手に木剣を撃ち合う音は今も続いているし、両者、とても楽しそうに跳ね回っている。
「え? だって……続いてるよ?」
「はい。ですから、あの……お互いに、有効打は『寸止め』どころか、当てる前に引いて『なかったこと』にして……そのまま模擬戦を継続するという――」
クロードは思わず試合から視線を逸らし、目元を覆った。
クラリスに抱えられたルークも「……うわぁ……」みたいな顔に転じている。猫が表情を出すな。
「……終わらせるのがもったいないから、合意の上で延々続けてる……ってこと……?」
「……そう見えます。審判のマリーシアさんも、止め時がわからなくて困ってますね――」
クロードの目ではもう剣筋を追いきれず、勝負が決まりかけた瞬間というのもよくわからないが……この上なく楽しそうな師の姿を見ていると、微笑ましさよりも先に軽い頭痛を覚えた。
――それからおよそ十数分後。
全身汗だくになった両者がようやく動きを止め、模擬戦は終わった。
クロードが今までに見たことがないほどに、ヨルダは上機嫌である。ご機嫌すぎて父が嫉妬しないか心配なくらいだが、騎士団長としての日々はそんなに退屈だったのかと少し同情してしまう。
「いやぁ……すごかった! 見事だった! 十勝十敗で、ほぼ引き分けってところかね?」
「私の計算ですと、こちらが七勝で、ヨルダ様が十一勝かと……残り二つは相打ちかと思います。たいへん良い修練をさせていただき、感謝いたします」
カエデのほうも感服しきった様子で、笑顔が眩しい。おめめもキラキラしてる。
ドッグランを存分に駆け回った後のジャーマンシェパードとボーダーコリーが、仲良く握手している――そんな幻覚を見ながら、クロードも力なくぺちぺちと拍手しておいた。他の面々もぱらぱらとこれに続いたが、ルークの拍手だけはクラリスが背後から封じる。猫が惰性で拍手をするな。
「しかし、剣術だけでこの腕前だと……魔法使用を有りにしたら、俺に勝ち目はないな?」
「いえ、魔法の使用には集中力が要りますし、隙も大きいので、距離を保った奇襲以外ではなかなか使い所が……今のような乱撃の中だと差し込む隙がありませんし、使おうとした瞬間に仕留められてしまいます。たとえ距離をとったところで、中途半端な魔法ではあっさり詰め寄られてしまうでしょうし――」
カエデは苦笑いをしつつ、アズサから渡されたタオルで汗を拭いた。
「どうだい? 少し休憩したら、もう一戦――」
「いいですね! ぜひ!」
応じたカエデの肩を、すかさずアズサの片手が掴む。
「――今日はもうだめですよ? 自重してくださいね?」
ヨルダの隣にも、いつの間にか娘のサーシャが立っていた。
「お父様。アークフォート先生もお暇ではありません。クロード様も控えております」
「はい……」
「はい……」
かたや後輩に、かたや娘にブレーキをかけられ、しょんぼりと連行された。「もっと走る!」とか駄々をこねない、おとなしいわんこである。
「それにしても、二刀……というか、片方を手槍にするのはおもしろいな。俺もやってみたい。暇を見て、俺やうちの騎士達にもコツを教えてくれないか?」
「いいですよ。ところで私も、私の一刀一槍を剣一本でどうやってさばいていたのか、戦っていてもよくわからなかったんですが……目線や足さばきのフェイントにも引っかかりませんでしたし、どうやって見抜いたのですか?」
「半分は勘だ。半分は……なんだろうな。来たら嫌な場所を狙ってくれたから、そこはわかりやすかったかもしれん」
「……その『来たら嫌な場所』への攻撃を剣一本で防げてしまうのが恐ろしいですね……本当に、良い勉強をさせていただきました」
カエデが深々と一礼し直し、ヨルダは気安く片手を振ってからアークフォートの元へ向かう。
いつも微笑を浮かべているアークフォートは、同じ笑みのまま――目元から、はらはらと涙をこぼしていた。
「……ヨルダリウス殿。よくぞ……よくぞ、そこまで鍛錬を積まれましたな。はじめの立ち姿にこそラダリオン様の面影を見たのですが、こと剣術に関しては、若き日の父君を超えられたように思います……素晴らしい技を見せていただきました」
「恐縮です。剣術だけは達者だと、親父にも認められました。ただ、残念ながら弓術はもう一つでして……いまやクロード様に負けております」
ヨルダがにやりと笑ってクロードを見た。
気安くハードルを上げるのはやめて欲しい。カタカタと震えながら、クロードは仕方なく矢筒を担ぎ、弓を手に取る。
「では、あの……正直、ヨルダ先生の立ち合いを見た後では、地味な試技になってしまいますが……」
サポート役のオーガスにも視線で促し、準備をはじめてもらう。
これから見せる技は、ほぼ宴会芸か一発芸か……いずれにしても戦場ではあまり役立ちそうにない技術であり、アークフォートには笑われてしまいそうな予感もある。
かといって、矢の威力にあまり自信がないクロードには、いわゆる「鎧貫き」のような派手な真似はできず……どうしても命中率や精度ぐらいしかアピールできない。
そしてクロード・リーデルハインは、士官学校での学祭に続き、自らの「弓術」を人目に晒した。




