244・学生課のエンカウント
その日、ラルゴ・クロムウェル伯爵は、悪友たるエレフィン・サイモン伯爵を伴い、ラズール学園を訪れた。
ラッカ家のソラネから「娘達に謝罪し、仲直りするように」と言われたせい……ではない。
謝る気はない。しかし現状、留学そのものはもう認めざるを得ない。学園に到着する前だったら止めようはあったが、学園の敷地内にいる学生は校則に守られており、その法と本人の意向を無視して退学させるとなると、伯爵家でもなかなか難しい。
そもそも学費を出しているのがラルゴではなく先代当主――つまり双子の祖父なので、これはもうどうにもならない。現実的ではない連れ戻しの手段ならいくつか思いつくが、それらは悪評につながる悪手ばかりで、利点がまったくない。
だから、娘達の留学については、もうなし崩し的に許可せざるを得ないのだが……それでも、謝る気はない。意地やプライドの問題ではなく、貴族として生まれた以上、政略結婚の類を受け入れるのは当たり前のことだとラルゴは考えている。
ただ、相手の年齢や容姿、性格などに関して、要望があるならばある程度は考慮するつもりだし、頭ごなしに「誰それと結婚しろ」などと命じる気はない。
ラルゴと前妻の結婚も政治的・経済的な都合が大きかったが、婚約を経て夫婦になった後はうまくやれていたし、そもそもクロムウェル家から見て「その価値がない相手」に娘達を嫁がせる気はない。
その意味では、ラルゴは留学そのものに反対していたというより、「学園で変な虫がつく」ことをより警戒していた。
ラズール学園は良くも悪くも校風が自由すぎる。貴族の令息・令嬢が平民と付き合って結婚してしまった――などという不祥事が、まるでロマンスのようにもてはやされる下世話な環境でもある。
――いや、今日は娘達のことはどうでもいい。
ラルゴがわざわざ悪友を伴ってラズール学園を訪れた理由は、学生課の外務窓口を通じて、『ネルク王国からの留学生』に面会の申請をするためだった。
噂によれば、留学生はネルク王国の王弟である。会ってもらえるかどうかは怪しいが――ホルト皇国とネルク王国は友好国であり、一伯爵家としても決して不自然な要望ではない。
もしも自分と同じような思惑の貴族が殺到しているならさすがに断られるだろうが、諸侯の目が「聖女トゥリーダ」に向いている今ならば、日程調整の余地があるかもしれない。また、向こうも「見聞を広めるために」留学しているはずだから、諸国交易の要たるクロム島に対しては、多少なりとも興味があるはずと思いたい。
そして、うまく対話に持ち込めたら……ネルク王国における「猫の精霊」の話も聞きたいし、できれば魔族オズワルドに関する情報も得たかった。
エレフィンがどこぞの高位貴族から仕入れてきた噂によれば、ネルク王国からの留学生は、『トマト様譲渡への礼』として、オズワルドの転移魔法でこの地に来た可能性が高い。その噂を裏付けるように、一行の中には「リーデルハイン子爵家」の人間がいる。
公開生放送の折、トゥリーダは「トマト様の原産地」としてリーデルハイン領の名を出したが、その地の貴族がラズール学園に留学していることは口にしなかった。
知らなかった――とは考えにくい。おそらく無用の混乱を避けるためだろうが、本気で隠すつもりなら、そもそも「原産地」について触れる必要もなかったはずで――まるで「トマト様のことは積極的に話したいが、留学生についてはなるべく伏せたい」といった、ジレンマがあったようにも思える。
(おそらく、皇族には話が通っているな……そういえばあの日、宮廷魔導師スイールが『他国の魔導師を内弟子にした』とも言っていたが――まさかそれが、『ネルク王国』からの留学生か?)
その場合、「留学生が内弟子になった」というのも建前で、実際には魔族オズワルドとの交流に配慮した「警護対象」という見方もできる。
スイールは「詮索したら殺す」(※意訳)とも言っていたが、この推測は腑に落ちるし理屈も通るような気がした。
もしも留学生達に会えたら、聞くべきことは山程ある。
「ネルク王国における、猫の精霊の行動とその影響」「魔族オズワルドとは親しいのか否か」「トマト様とはいかなる作物なのか」――
そして、「ネルク王国は、聖女トゥリーダと歩調を合わせるのか否か」を確認した上で、「今後のホルト皇国に何を期待するのか」「現状のサクリシアをどう思っているのか」などを聞き出したい。
ついでに、リーデルハイン子爵家の人間がいるならば――その地から手紙を寄越した「キルシュ・ラッカ」のことを知っている可能性もある。その場合、これも会話の糸口にできるだろう。
(……タイミングを考えると……むしろ留学生達が、ホルト皇国来訪のついでにラッカ家へ手紙を届けた可能性もあるか……?)
国境を越える個人の手紙など、まともに届くことのほうが珍しい。王侯貴族の親書ならば使者や専門の機関が命がけで運ぶが、民間人の手紙はそうしたシステムに便乗できない。
基本的には輸送費を払って交易商人に託し、その商人が移動した先でまた別の商人に託し――という委託を繰り返すため、その間に紛失、盗難、破損、水濡れといった事故が起きやすい。「預かった手紙を、野営の焚き付けとして間違って燃やしてしまった」などという展開は演劇のお約束にもなっている。悲劇において「届かなかった手紙」は定番のモチーフだし、ある古典喜劇では、それを誤魔化そうとして中身を想像してでっちあげた結果、とんでもない騒動に発展する。
「おい、ラルゴ。こっちだぞ」
悪友に声をかけられ、道を間違えかけていたラルゴは我に返った。
「ん? 学生課の場所、変わったのか?」
「ああ、五年ぐらい前に移転した。お前は滅多に来ないから知らんだろう」
エレフィンはフットワークが軽く、方々で人と会うのを苦にしない。学園にもちょくちょく来ているのだろう。
道案内を任せてついていくと、学生課の窓口で見知った顔に捕まった。
「あら、ラルゴおじさまとエレフィン様。ごきげんよう」
「ソラネ殿……」
滞在先の娘、ソラネ・ラッカが窓口にいる。
「な、なぜここに……?」
ソラネがにっこりと微笑み、胸元のプレートを示した。そこには「研修中」と書かれている。
「官僚育成課程では、現場の実務を学ぶために、窓口業務等の研修があるのです。本日は学生の呼び出しですか? ポルカ様とマズルカ様ですね?」
「いや、違う。違うからちょっと待ってください」
「娘達と仲直りする気になった」との勘違いを訂正し、ネルク王国留学生への書状を託そうとすると、ソラネは深々と溜息を吐いた。
「おじさまは甲斐性なしですねぇ……」
伯爵相手のこの暴言に、背後でエレフィンが噴き出す。
「ラッカ家のお嬢さんか? いや、大きくなられたな。前にお会いしたのは、確か……」
「六年ほど前ですね。皇族の特別講義に出席されたお二人を案内させていただきました。エレフィン様もおかわりなく、お元気そうでなによりです」
「ああ。今日はちょっと真面目な用事でな。ネルク王国からの留学生……面会申請は他にも来ているかね?」
貴人のみをまとめた学生名簿を確認しつつ、ソラネが頷いた。
「はい、三件ほどですね。申請の件数は申し上げられますが、申請者のお名前と面会の有無はお教えできません。規則ですので」
「心得ている。無理は言わんよ」
「まかり間違ってソラネ殿を威圧などしたら、後がおそろしい」
並の職員なら賄賂を渡せば抜けられそうな規則だが、ソラネ相手にそれは通じない。
ラルゴの皮肉にも涼やかな微笑で返し、ソラネは申請用の書類を取り出した。
「では、こちらの面会申請書類にご記入を」
中年男が二人揃って、壁際の筆記机に向かう。
午後の学生課はそこそこ人がいるものの、窓口も四つあるため、決して混雑はしていない。多くは何かの書類を提出するだけらしく、ラルゴ達を気にもとめず去っていく。
そんな中、背後で聞こえた声に、ラルゴ達は一瞬の緊張を強いられた。
「失礼します。留学生のクロード・リーデルハインです。昨日申請した、第六修練場の使用許可証を受け取りに来たのですが――」
「ああ、出てますよ。少々お待ちくださいね」
対応しているのはソラネではなく、別の男性職員だが……学生の名乗った家名が、まさに今、ラルゴにとって聞き捨てならないものだった。
思わず振り返ると、いかにも人の良さそうな顔立ちの銀髪の少年がいた。もちろん制服はラズール学園のもので、他の学生と代わり映えしない。顔そのものは整っているが、取り立てて「美形!」とか「オーラがある!」といったこともなく、「商家の三男坊あたりか?」といったのんびりとした雰囲気である。
むしろ隣に佇む、怜悧な黒髪の少女のほうが人目を引く。端然と背筋を伸ばし顎を引いた美しい立ち姿は、まさに高貴そのもので、一流の「騎士」や「戦士」にも通じる体幹の強さすら感じさせた。
「はい、こちらが許可証です。使用責任者はアークフォート先生で、使用目的は弓術の練習と外部ゲストによる剣術の模擬戦、と……間違いないですね?」
「はい。ありがとうございます」
「使用時間は二時間ですが、不便な場所で今日はブッキングもありませんし、少し遅れても大丈夫ですから」
「ご助言、助かります。それでは」
貴族らしからぬ腰の低さでぺこりと一礼し、クロードという少年がきびすを返す。黒髪の少女もそれに付き従い、こちらはメイドのように折り目正しい礼を残し、一言も発することなく静々と立ち去った。
「……エレフィン、どう思う?」
「……わからん。立ち位置は護衛のようだったが、雰囲気は妙に高貴で令嬢のようだし、歩き姿には達人の貫禄を感じた。俺達のことも視界の端で警戒していたぞ」
ラルゴにはあまりそうした機微がわからないが、賭場への出入りが多いエレフィンは人を観察する癖がついている。特に「強者」を見分けられないと身の危険に関わる。
こそこそ話しながら申請書類を仕上げ、ソラネの待つ窓口に戻すと、彼女はこほんと咳払いをした。
「第六修練場って、敷地の奥なのであんまり人も通らなくて、不便なので貸出の申請も滅多になくて……たまに申請があると利用目的が『バーベキュー』とかなんですけど、あそこでわざわざ弓の練習だなんて、珍しいですね?」
「ほう。そうなのですか」
ラルゴは適当に聞き流そうとしたが、ソラネはさらに言葉をつないだ。
「えっ!? そんな、困りますよ、ラルゴおじさま。私は研修中です。場所がわからないから、案内をして欲しいだなんて、そんな――いえ、そうまでおっしゃられるなら、休憩時間をいただけないか、ちょっと上司に聞いてきますね」
「え。あの。え?」
ラルゴが戸惑っている間にも、ソラネはそそくさと上司の元へ行ってしまった。
エレフィンが感心したように唸る。
「……やり手だな。あれは出世するぞ。物事の優先順位を理解している」
「おい、まさか弓の練習を覗きに行く気か?」
ラルゴは帰るつもりだったのだが、エレフィンとソラネは物見高い。
「貴様は運命の女神を袖にするタイプだよな……散歩中に偶然通りかかったふりをして、しばらく見学した後、堂々と挨拶をすればいいだろう」
「しかし、手土産も何もない」
「それこそ要らん。こちらから自己紹介をすれば、名ぐらいは名乗るだろうから、『リーデルハインとはもしや、トマト様の原産地の……?』とでも聞けばいい。領の特産品に興味を持たれて、嫌な顔はしないだろう」
「……なるほど。その時点で偽名を使われたりとぼけられたら、『我々と会うつもりはない』という意思表示にもなるか」
「悲観的だな。こっちの顔と名前を印象付けて、『面会を希望してきたのはあの貴族か、それなら改めて会ってみよう』と、相手に思わせるのが目的だぞ? 愛想よく……は、お前じゃ無理か……」
「舐めるなよ? 必要なら丸一日だって愛想笑いを続けてやる」
「お前は顔の造りが笑うのに不向きなんだよな……無理するな。俺が対応してやる」
だいぶ馬鹿にされている気がしたが、「人当たりの良さ」ではさすがにエレフィンのほうが分がある。
ソラネがそそくさと戻ってきた。
「お待たせしました。知り合いの伯爵お二人から道案内を要請されたと報告したら、快く抜けさせてくれました」
「……それは当然でしょうが、この場合、官僚の卵に無理を強いた私とエレフィンの横暴ぶりに、学生課からのヘイトが向きますな……」
ラルゴが漏らした皮肉に、ソラネからは虫も殺さぬ笑顔が返ってくる。
「ラルゴおじさまがうちに滞在していることは報告済みです。貴族とのコネを維持するのも官僚の心得ですから、むしろ褒められるべきですね」
この神経の図太さは、やはりラッカ家の家系である。
「……それにリーデルハイン領の学生とは、私も『自然な流れで』顔を合わせておきたいですから。兄の診療所は領主様の肝煎りだそうなので、そのご家族なら、兄とも顔見知りかもしれません」
こちらはこちらで聞きたいことがあったらしい。
かくしてラルゴ・クロムウェル伯爵は――
意図せずして、「実の娘達」との学園での再会フラグを立てるに至ったのだった。
§
どーも、猫です!
えー……
……うちのヨルダ様と忍者のカエデさんは、本来であれば、トゥリーダ様の公開生放送の際に、敵同士として一戦交えるところだったのだが……
あの時はいろいろテンパっていた俺の「卑怯忍法・猫隠し!」によって、カエデさん達がドラウダ山地へ宅配されて水入りとなった。忍法とゆーか神隠しみたいなもんである。
そして猫としてはそのまま、「じゃあ、そーゆーことで!」と流したかったのだが、一瞬でも対峙した当のお二人は、共に相手の実力が気になって仕方なかったらしい。
「手合わせに応じてもらえて感謝する、カエデ殿。今日はよろしく頼む」
「いえ、こちらこそ、お声がけいただき恐縮です。修行させていただきます」
その日の午後。
一足先に宅配魔法で合流したヨルダ様とカエデさんは、猫カフェでがっちりと握手をかわしていた。
それを観客として見守るのはライゼー様とウェルテル様である。あとオズワルド氏とペズン伯爵とピタちゃん、女性騎士のマリーシアさんもいる。
他の留学生組は最初から学園側にいるので、この後、貸してもらった修練場で合流する予定だ。
念のため、ライゼー様やオズワルド氏達には、このまま猫カフェからご観戦いただく。
そして皆様にお茶をご用意しながら、猫はもう一人の同行者に視線を向けた。
「えっと、アズサさんも一応、外に出ますよね?」
「はい。ご迷惑でなければそのつもりです」
追加の同行者はシノ・ビの対外折衝役、片腕が義手のアズサさんである。仲間を代表して付き添いで――とのことだったが、メインの目的はきっとカエデさんのストッパーだろう。「ぜひもう一戦!」みたいなことを言い出した際に、頭をひっぱたくツッコミ役だと思われる。でもうちのヨルダ様もそれ言いそうなタイプなんだよなぁ……
ともあれ「武力A&剣術A」同士の一対一の対戦となると、なかなか見られるものではない。
使用するのは木剣だが、まともにあたるととても痛いというか……要するに「鈍器」なので、当たりどころが悪いと普通に致命傷となる。お二人とも達人なので寸止めはできると思うが、はてさて。
「くれぐれも安全には気を使ってくださいね? 怪我をされると困ります」
「ルーク殿は心配性だなぁ……訓練なんていつもやってることだぞ」
ヨルダ様はそういうが、この手の達人同士の立ち合いが訓練レベルで済む気がしないのだ……!
「もちろん急所などは狙いませんし、木剣を落としたほうが負け、ということで良いですよね?」
カエデさんも気を使ってくれているので、まぁ……大丈夫か? フラグではない。戦っているうちに楽しくなってきたからって、だんだん無茶をし始める小学生みたいなことにはならない。どちらも大人、加減はわきまえている。
……はずである。
しかしどうにも不安を拭いきれない猫さんが、アズサさんのほうを見ると……彼女は真顔で、小さく頷いてくれた。
そのお顔には楷書体(イメージ)でこう書いてある。
『いざとなったら、私が止めます』と……
……なんか俺、この子とは心の底から仲良くなれそうな気がする……ッ!
いつも応援ありがとうございます!
書報系のサイトに出てましたが、サーガフォレスト版・猫魔導師の七巻が、5/15発売予定でほぼ確定したようです。
まだ一ヶ月以上先ですが、発売の際にはどうぞよしなに!
そして三國先生のコミック版・21話が、コミックポルカ・ピッコマ(前編は先行配信済なので、こちらは後編)で本日配信予定です。
王都への道中、トリウ伯爵領に立ち寄ったルーク達一行! アイシャさん登場回です。
ニコニコでも3/30(日)頃に掲載予定らしいので、こちらもぜひお楽しみにー
(※予定がズレたらすみません……!)→ ズレたみたいです、すみません……!




