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我輩は猫魔導師である! 〜キジトラ・ルークの快適ネコ生活〜  作者: 猫神信仰研究会


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238・南方の貴族、エレフィン・サイモン

一週休んで再開!


 ホルト皇国建国以来の歴史を持つサイモン伯爵家は、南方諸侯の象徴的存在と目されている。


 建国時に、南方の貴族は東西諸侯連合によって蹂躙され、当時の有力な家はほぼ潰された。

 その後釜として、東西諸侯は自身の親族を「新たな家の当主」に据えて南方へ送り込んだが、家臣団に関しては現地の雇用に頼らざるを得ず――同化政策の必要もあって、婚姻関係も特に規制されなかった。


 結果として、東西諸侯への恨みを醸成させる素地はそのまま残り、送り込まれた当主が寿命を迎えて世代交代が進むにつれて、各家は再び不満を溜め始める。

 東西諸侯が南方の冷遇を続けたために悪感情の改善はなされず、それどころか四十年前の『ブレルド・ペシュク侯爵』の暴走によってさらなる悪化を招いた。


 当主のブレルド侯爵がラダリオン・グラントリムの反乱によって殺害され、ペシュク家も爵位を下げられたことで多少のガス抜きはできたのだろうが――皇国議会での議決権に変化はなく、不利な税制と取引を強いられ続けている。


 サイモン伯爵家は、その不公正な状況に長く耐えてきた。耐え続けてきたのだ。

 親族が殺され、富を奪われ、東西諸侯だけが法に守られる状況で、息をひそめ、じっと耐えてきた。

 そして今、「当主」たる彼の前には二つの道がある。


 サクリシアの甘言に乗って、志を同じくする他の貴族と共に、ホルト皇国から離反するか。

 あるいはホルト皇国の管理下に留まり、東西諸侯の圧政に耐え続けるか。


 心情的には前者を選びたい。だが、肝心のサクリシアに出兵の準備が整っていない。あちらはあちらで意見が割れており、独裁国家でもないため全体的な動きが鈍い。

 動き始めたらそうそう止まらないのだろうが、動き始めるまでの個々人の政争……要するに足の引っ張り合いがすさまじく、国としての方針がなかなか定まらない。

 そもそもサクリシアの貴族は、それぞれが武力と財力を兼ね備えた独立領主としての性格が強い。国の方針よりも自身の商売を優先するところがあり――あの国では、国家とは「仕えるべき主君」ではなく、「他国に対抗するための、暫定的な寄り合い」にすぎないのだと聞いたことがある。ゆえに王家もなく、皇族もおらず、数年ごとに選出される「議長」が各貴族の調整役として機能している。

 さすがに国難に対しては一致団結するようだが、他国への侵攻となると、思惑が分裂しすぎて足並みを揃えにくいらしい。


 結局のところ――


(頼れるのは、己が才覚と運のみか……)


 エレフィン・サイモンには、そんな諦めにも似た開き直りがある。

 才覚や運に自信があるわけではない。そんなあやふやなものしか寄る辺のない身への自嘲が大半を占めている。


 レッドトマトの新元首、トゥリーダとの会談要望が通ったのは意外だったが……これも本来は西方に属するバルカン侯爵家が一番乗りになるはずだった。

 昨日の水蓮会の暴走……その標的がこの「バルカン侯爵家」だったため、トゥリーダの安全を考慮して、急遽、予定が変更されたのだ。


 代わりに選ばれたのが自分だったのは、単にスケジュールの都合だろう。他の有力貴族はそれぞれの面談時間を確保済みだろうし、昨日の今日で予定を空けられる貴族は、南方か北方の――しかも現時点で「皇都に来ている者」に限られる。

 北方の貴族は中央の政治に無関心だし、代役の候補者などほんの数人しかいなかったはずで、その中からたまたま自分が選ばれただけ――エレフィンはそう考えている。


 ブルトという、愛想は良いがいかつい騎士の案内で迎賓館の応接室に通された後は、盗聴を警戒して独り言も漏らさず、ただじっと「トゥリーダ・オルガーノ」の到着を待った。


(さて……今日は商売の話ぐらいしかできんな。新聞の記事を見た限り、決起のタイミングで支援してくれそうな野心家ではなかろうし……たとえばサクリシア側と手を結んで、ホルト皇国を挟撃してくれるような奴なら話もしやすいんだが――)


 そこまで期待する気はないが、せめて当面の商売には結びつけたい。


 サイモン伯爵家は一応、ホルト皇国内を回る『運河』の利用権を持っている。

 多額の利用料を国に――実質的には東西諸侯相手に収めているわけだが、これが利権としてはそこそこ強い。


 運河の利用に関しては、渋滞を避けるために全体の船の数が制限されており、それぞれの業者が持てる船の数も決まっている。東西諸侯へ多額の賄賂を効果的にばらまかない限り、新規の業者は参入すらできない。


 船を使った輸送は馬車よりも効率的で、なにより「冷蔵庫」を使える。大量の「水」が流れる川の上では、水属性の魔導師も能力を発揮しやすく、大きな荷室を効率的に冷やせるし、氷を作るための水は川からとれて、解けた後の排水も容易だった。

 

 サイモン伯爵家は建国当時にこの水運の権利を保証され、これまで不祥事らしい不祥事も起こさず、しかも東西諸侯への献金を欠かしていないため――この利用権を今も守れている。もしも難癖をつけられてこれを手放す羽目になると、おそらく没落するだろうし、過去にはそうして消えていった家も複数あった。

 

 この「運河の利用権」は、交易に限らず、政治的にも極めて大きな意味を持つ。


 地理上、レッドトマト商国とホルト皇国間の交易は、レッドトマトと国境を接する西方諸侯の利権になるだろう。

 だが、より南側にある「サクリシア」とレッドトマト商国が交易をするとなった場合――その荷は南方諸侯の領内、それも運河を通ることになる。


 レッドトマトとホルト皇国の国境線のうち、南側は険阻な山岳があるため交易路にはできず、最終的には西方諸侯の領地をいくつか通らざるを得ないが、賄賂をばらまく先が「そこ」だけで済むため、取引としての旨味は多い。


 運河の通行税は国が徴収しているが、おそらくレッドトマト相手にはしばらくの間、優遇措置をつけるだろう。『純血の魔族・オズワルド』の顔を立てるべく、皇家がすでにそうした交渉をしているのは間違いない。

 また、ホルト皇国の皇家としても「サクリシアとレッドトマトからの挟撃」は一番避けたい事態だろうから、可能な限りトゥリーダを味方にしておこうと便宜をはかるのも当然といえた。


 こうして状況を整理していくと、最大の問題は――


(……果たしてレッドトマトは、サクリシアに対してどう出るつもりなのか。対立か、友好か、不干渉か、せめて交易相手と見なしているのかどうか……今日はその意図を確認したいところだが、さて――)


 エレフィンは足音に気づいて椅子から立ち上がった。

 応接室の扉が開き、警護の兵を連れたトゥリーダ・オルガーノが入ってくる。

 青みがかった髪と凛とした顔立ちが、将官用の礼服によく映えている。皇国議会では背筋が震えるほどの圧とカリスマを感じたものだが、改めて間近で見ると雰囲気は柔和で、話しやすい印象の娘だった。


「お待たせしました、エレフィン伯爵。本日はご足労いただき、ありがとうございます」

「いえ、こちらこそ、会談のお時間をいただきありがとうございます。トゥリーダ様におかれましては、ご機嫌麗しく」


 国家元首が相手とはいえ、あくまで個別の会談なので挨拶は簡単に済ませる。


 トゥリーダの傍には、護衛役としてホルト皇国の宮廷魔導師、スイール・スイーズが従っていた。

 この迎賓館へ来る途中に外務省の役人からも聞かされていたが、彼女が同席する以上、会談の内容は皇族にも筒抜けとなる。あまり妙なことは言えない。

 そしてスイールの隣には、桃色の髪をポニーテールにした、物静かな雰囲気の美しい娘もいる。見知らぬ顔だが、魔導師風の衣装と立ち位置からして、スイールの部下だろう。スイールと彼女は席につかず、トゥリーダの後ろへ立つ。


 そしてもう一人――いかにも温厚な顔つきの、妙に人品の良い中年男が、トゥリーダの隣に座った。

 秘書には見えない。おそらく国の閣僚だろうが、トゥリーダが国家の顔たる「聖女」とするなら、こちらは「その裏で暗躍する悪い大人」のような、物騒な連想が浮かんでしまった。


 彼のことはトゥリーダが紹介してくれる。


「こちらは補佐役のパスカル・エンデイルです。実は、元々はホルト皇国の商人さんでして……我々が砂神宮に政府を立ち上げた時、交易関係のお仕事で滞在していらしたんですが、事務の人手不足を見かねて手伝ってくださいまして……そのまま、私の補佐役をしてもらっています。今回のホルト皇国との外交に関しても、基本的な仕切りは彼にお願いしました」


「はじめまして、エレフィン伯爵。お噂はかねがねうかがっております。伯爵の水運会社には、取引で何度もお世話になりました」


 ……ホルト皇国の関係者が、すでにレッドトマトの政権中枢に入り込んでいた――その事実を知らされ、エレフィンの四肢が強張った。それでも顔には動揺を出さない。


「なんと、ホルト皇国のご出身ですか。どちらの商会で?」


「ご存知ないかとは思いますが……エンハンス商会という、皇都にある小さな美術品の店です」


「……あ。そっちか」と、内心で納得する。

 あまり知られていないことだが、エンハンス商会は『正弦教団』の窓口であり、その幹部達は魔族オズワルドの信奉者で占められている。

「たまたま砂神宮に滞在していた」というのは世間体を整えるための嘘で、実際にはオズワルドが支援、あるいは監視のためにレッドトマトへ派遣した人材なのだろう。


 ……要するに彼は、「魔族オズワルドと直接つながった部下」である。皇家が派遣したスパイ、という線は薄れたが、下手をすると聖女以上に気を使うべき相手が出てきてしまった。


 念のため、エレフィンは彼らの背後に立つ二人の魔導師にも視線を向ける。


「さきほど、外務省の職員からも聞いてはいたのですが……宮廷魔導師としてご多忙なスイール様までご一緒とは驚きました。やはり昨日の一件ですかな?」


 スイールが無言で会釈し、トゥリーダが応じる。


「ええ、皇家の方々が、身辺警護の要員として派遣してくださったんです。私も一応、水属性の魔導師ですので、スイール様のご活躍には昔から憧れを持っていまして……こうしてこちらで御縁を得られて、たいへん光栄でした」


 ……えらく腰の低い国家元首もいたものだが、これはリップサービスか、それとも本音か……判断が難しい。

 とはいえ近隣諸国の魔導師ならば、「スイール・スイーズ」という存在にある種の憧憬しょうけいを抱くのはむしろ当然で、皇家も「そうなる」ようにプロパガンダを仕掛けた。

 スイールの場合、「皇家の直轄地たる、皇都ウォルテ」の出身者なので、余計に象徴として便利な立ち位置だったのだ。


 水精霊から祝福された存在を皇家が味方につけることは、各貴族へのアピールを兼ねた牽制にもなる。国政に無関心な北方諸侯でさえ「水精霊」に対する信仰は共有しており、スイールを粗略には扱えない。


 信仰心の薄いエレフィンは、スイールに対しても尊敬の念などは特に持ち合わせていないものの……警戒はしているし、侮る気も毛頭ない。

 彼女は魔導師として常人離れしている上に、頭が切れて政治的な嗅覚も備えている。東西の諸侯とも一定の距離を保って取り込まれないよう立ち回っているし、南北の諸侯を下に見ることもない。

 泰然と、粛々と、そして要事においては敢然と――彼女の活躍は贔屓目ひいきめを抜きにしても凄まじい。


「十数年前の水難事故では、当方の社員もスイール様に助けていただきました。当時のスイール様はまだラズール学園の学生で、私が直接、お礼を申し上げる機会がなかなかありませんでしたが……当時はありがとうございました」


 今日の彼女は警護役のようだが……まず、話に巻き込む。彼女がここにいるのは「内々の話」をさせないための皇家の差配だろうから、向こうがその気なら、せいぜい「皇家への伝令役」を務めてもらう。「こっちの商売の邪魔をするな」「邪魔をしそうな東西諸侯はそっちで抑えろ」ぐらいの意図は伝えて欲しい。


 会談は表向き、和やかに始まった。

 レッドトマトは交易事業を国家運営の柱にするとのことだったが、主な産品は鉱物で、これはホルト皇国の北部山地でも大量にとれる。

 また農業には不向きな土地なので、肝心の商材そのものがなさそうに思えたが、この点を問うと――


「独自の交易商品については、まだまだこれからですね。当分の間は、ネルク王国から輸入した品をこちらへ運ぶ中継役として、交易のノウハウを蓄積していきたいと思っています。その流れの中で独自商品の開発も進め、数年以内にはそれを両国へ輸出できるようになれればと――」


「ふむ……しかし失礼ながら、ネルク王国の産品というのも、あまり聞かないのですが……あちらも農業国でしょう? ホルト皇国向けの商材が何かあるのですか?」


 これもまた純粋な疑問である。交易は「需要と供給のバランス」から利益を生むもので、そもそも商材がなければ成立しない。

 友人のラルゴ・クロムウェルは「あの聖女は経済を理解している」などと持ち上げていたが、ただ理屈を知っているだけでは現実に対応できない。


 エレフィンのこの疑問に、トゥリーダは笑顔で即応した。


「もっとも有力なのは、トマト様の加工品ですね。オズワルド様がリーデルハイン子爵家から苗を譲っていただき、レッドトマトでも栽培中ですが……元の子爵領では、すでに複数の品種改良を進め、素晴らしい食味の加工品を生み出しています。オズワルド様が持ってきた試供品を私達も試食しましたが、あの美味はこちらの皆様にもきっと受け入れられるはずです」


 これについては、エレフィンも少しは情報を得ていた。


「ですが……トゥリーダ様は、その苗を皇家に渡したとか? であれば、いずれホルト皇国でも栽培が軌道に乗るかと思うのですが――」


 トゥリーダが意味深な微笑を浮かべた。


「これはまだ、あまり知られていない話ですが……『トマト様』には、生食に向いたものと、加工に向いたものがあるようです。レッドトマトに譲られた苗木は『生食用』のものでして、ホルト皇国へお渡ししたのもそれです。そしてネルク王国側には『加工用』の品種があり、これが輸出向けの商材となります。代用は可能らしいですが、風味の濃さが違うため、味の完全な再現は難しいとのことで……」


 エレフィンは得心した。貴重な新種であるはずの「トマト様」をやけに気前よく譲ったものだと思っていたが――口ぶりからして、生食用の品種はおそらく「長距離輸送」に向かないのだろう。それならどうせ交易の商材には不向きだし、相手国に譲り渡すことで「人々に存在を広める」効果を期待できる。


「もちろん生食用のトマト様もたいへん美味ですよ。また、煮込み料理などにもそのまま使えます。ただ……リーデルハイン子爵領の『トマティ商会』が売り出す加工品は、はっきり申し上げて格が違います。ネルク王国の王族の方々が試食して、そのあまりの美味しさに国策としての栽培を奨励し、通行税の減免を決めた程です。我々の交易事業がはじまれば、いずれこちらにも回ってくるでしょう。また――ネルク王国からは、それ以外にも様々な商材を回してもらえる予定です。たとえばこのような」


 トゥリーダが目配せをすると、後ろに控えていた桃色の髪の娘が、机上の箱から商品らしきものを取り出した。


「こちらは別の農作物を加工したものです。レッドトマトでも原料を輸入して、加工、販売する予定ですが……『干し芋』といいます」


「ん? じゃがいもを干したものですか?」


 芋と呼ばれる根菜は数多いが、ホルト皇国で「芋」といえば、まず「じゃがいも」である。

 だが、小皿に盛られたそれは色こそ芋っぽい黄土色ながら、妙に細長くて白いカビのような粉が付着していた。


「……残念ながら、カビが生えてしまったようですな」


「いえ、これは麦芽糖が結晶化したものだそうです。また、芋ではありますが、じゃがいもとはまったく別の種類で……こちらはネルク王国から原料を輸入し、レッドトマトで試験的に加工、乾燥させたものになります。つまり早期に実現できそうな交易品ですね」


 初めて見る食べ物であり、どうしたものかと戸惑っていると……

 トゥリーダがその「干し芋」を一切れつまみ、自らの口元に運んで噛みちぎった。


「普通にこのまま食べられます。もし抵抗がなければ、お一ついかがですか?」


「……いただきましょう」


 毒を盛られるほどの重要人物でもなし、エレフィンは勧められるままにその乾物を手に取った。

 色は違うが、外観としては干し肉に似た部分がある。そもそも乾物だから、おそらく製法に似通った要素があるのだろう。


 見様見真似で噛み千切ってみると――当然だが、干し肉よりはだいぶ柔らかい。そして白い粉末状の付着物は麦芽糖の結晶とのことだったが、その説明を裏付けるように、とても甘い。いわゆる果物とは別方向の、穏やかでじんわりとした、それでいて豊かな甘みである。

 ぐにっとした独特の歯ごたえからは靴底に使うゴムを連想したが、これはあくまで印象の話であって、さすがにゴムを食べたことはない。


「……なるほど、これはおもしろい。価格帯はどのあたりで?」


「生産量が少ないうちは高価にならざるを得ませんが、将来的には貴族向けではなく、庶民向けの商品になる予定です。作物自体がまだ試験栽培中なので、収穫量次第で値段も変動するはずですが……どうも極めて優秀な作物のようで、育てやすく収穫量も多めと聞いています」


 ――となると、そんな作物が世間に広がらず、今まで埋もれていた理由がよくわからない。


「もしやネルク王国には、トマト様やこの芋のような、我々のよく知らぬ農作物がまだあるのですか?」


「私はレッドトマトの人間ですので、そのあたりはなんとも」


 トゥリーダは困ったような笑顔で肩をすくめた。


 ……「嘘だ」とエレフィンは見当をつける。おそらく彼女は、まだ多くの商材を知っている。でなければ「交易による経済発展」に活路を見出すはずがない。


「収穫後の芋は長持ちします。そのため、ネルク王国からレッドトマト側にこれを運び、レッドトマトが加工を担当することで、それなりの付加価値をつけられます。また、これは芋を加工して『干す』手間が必要なのですが、レッドトマトの乾燥した環境がこれに適しているようで、かなり甘みの強い商品となりました。おそらくネルク王国やホルト皇国側で加工するよりも、短期間で、より美味しく仕上げられているはずです。それに加えて、密封、保存の技術もあわせて研究中ですね」


 改めて、エレフィンは思案する。何分にも未知の食べ物だけに、どの程度まで人々に受け入れられるかはわからない。だが……「甘い」ものは貴重である。

 この原料の芋は長持ちするという話だったし、果物と違って、もしかしたら通年での販売すら可能かもしれない。

 一つの品に頼った交易は「繁忙期」と「閑散期」が極端に分かれやすく、閑散期を埋める商材があるかどうかで、交易としての効率が大きく変わるものだが……仮に一つの商材であっても、販売できる期間が長ければこのデメリットは打ち消せる。


 さらに言えば――往路と復路で、それぞれの土地に必要な荷を積めるのが望ましい。


「ホルト皇国側からそちらへ輸出できるものは、やはり農作物でしょうか? それこそ、小麦や果物のような――」


「そうですね。実はスイール様とも、少し相談をしていまして――」


 話を促されたスイールが、眠たげな目で頷いた。

 

「南方の国々で栽培されている『米』を、私が主導してホルト皇国でも試験栽培することにしました。ホルト皇国ではあまり馴染みのない食材ですので、これをレッドトマトへの交易品として出荷しようと考えています。もちろん数年後の話にはなりますが……今、水田に適した平坦で水の豊かな土地を探しているところでして、輸送の際にはぜひ、エレフィン伯爵にもご協力いただけると助かります」


 ……もしや彼女は「監視役」とか「警護役」ではなく「商談相手」だったのか――そう疑ってしまうほど自然な流れで、スイールからも協力を要請されてしまった。


「米ですか。レッドトマトでは米を食べるのですか?」


「いえ、その存在すら知らない者が大半ですね。ですが、食べ方は伝えられますし――玄米の状態ならば保存性も良く、輸送にも耐える作物です。パンを作るよりは手間もかかりません。それにトマト様と一緒に煮込むとたいへん美味しいですよ。『トマト様リゾット』という料理です」


 もう間違いない。彼女達は相応の腹案を用意した上で、スイールまでも味方につけて今回の外交に臨んでいる。方針を決めたのは聖女か、パスカルか、魔族オズワルドか……あるいはこの三者の協議の結果か。

 いずれにしても、そこには緻密な計算と、獲物を狙う猫のようにしたたかな戦略が感じられた。


「もちろん、私達が交易品を運べるのは国境までです。そこから先はそちらの領分ですが……その先の売れ行きが良くないと、後が続きません。エレフィン伯爵と南方諸侯の皆様にも、両国の将来のために、ぜひご協力いただけると心強いです」


 トゥリーダは虫も殺さぬような顔をして堂々言い切った。


 ――この言葉はつまり、「それらの商品をどこの誰に売っても、こちらは関知しない」という意味である。より南側にある「サクリシア」を見据えた発言なのは明らかで、レッドトマトとしては、サクリシアとの交易にも興味を持っているのだろう。

 間にホルト皇国があるから直接の取引はできないが、エレフィンのような南方諸侯を通じて、経済的には関係を得たいと意志を示したのだ。


 もしも彼女達が「敵対」を選ぶようなら、話は単純だった。エレフィンは今まで通り、ホルト皇国に対して面従腹背を続け、レッドトマトとも付かず離れず、状況の推移を見守ればよかった。


 しかし、レッドトマトが交易を通じてサクリシアともつながるならば……サクリシア側で戦争に消極的な「内治派」との利害が一致してしまう可能性が高く、そうなれば南方諸侯を陰から支援する「拡大派」が良い顔をしない。


 自国の東西諸侯に積年の恨みを持つエレフィンとしては、このまますんなりとレッドトマト側につきたくはないが……南方の諸侯とて一枚岩ではなく、トゥリーダからこのような誘いを受ければ、流れに乗る者が少なからず出てくる。そして明確な流れが成立してしまえば、ホルト皇国の分断を煽るサクリシア拡大派の目論見も瓦解する。


 エレフィンは内心で頭を抱えていた。

 ――昨年以降、様々な状況の推移が早すぎて、「何かおかしなものが介入し、世界を引っ掻き回しつつある」ような感覚がずっと続いている。バロウズ・グロリアス大司教が加護を得ているという『猫の精霊』もまた、その一例かもしれない。


 長年、ぐだぐだと失敗国家への歩みを進めていたはずのレッドワンドが、いかに魔族の介入があったとはいえ、まさかこうも劇的かつスムーズな政権の転換を行い――さらに外交的な影響力まで発揮したことも想定外だった。

 エレフィンもまだ今の状況を完全には飲み込めていないが、皇国議会でのトゥリーダを見て、『この娘が起点だ』とは確信している。


 そのトゥリーダの補佐役たるパスカルが、思案するエレフィンに笑みを向けた。


「交易事業についてはまだ検討中の部分も多いですし、現時点で軽々な判断ができないのは当然です。我々も結論を急ぐつもりはありません。本日のところは思案のための材料を持ち帰っていただき、後は実務者レベルで追々……という流れになるでしょう。

 ところで……本日はせっかくご足労いただいたことですし、レクリエーションも兼ねて、このあたりでちょっとした『賭け』をいたしませんか?」


 エレフィンは首を傾げつつ、宮廷魔導師スイールをちらりと見た。

 自分の「ギャンブル好き」はそもそも有名なので、情報源は彼女なのだろうが……外交の場で「賭け」とは少々不謹慎だし、何を要求されるかが怖い。よもや金銭などを賭ける気はないだろうが、機密情報の漏洩や政治的判断を賭けの対象にされるのはおもしろくない。

 疑問を挟む前に、パスカルが説明を続けた。


「何、たいしたものは賭けません。こちらからは干し芋の詰め合わせを一箱。エレフィン伯爵からは……そうですな。賭けに負けた場合には、後日、南方特産の果実を一箱、いただきたく存じます。確かご領地ではオレンジの栽培が盛んでしたな?」


 エレフィンは戸惑った。その程度ならわざわざ賭けるまでもなく普通に贈呈できる。


「……もしかして、やたらと大きな箱を想定されておられるとか?」


 パスカルが笑った。


「まさかまさか。当方の品も、賭けていただく品も、手荷物程度の小箱で充分ですよ。あくまで相互の交流を深めるための、裏表のないゲームです。賭けの内容を詳しくご説明しましょう」


 パスカルに目配せをされて、桃色の髪の魔導師がテーブルに空の木箱を置いた。

 大きさは女性でも無理なく持てるサイズ――一辺が五十センチ程度の、小さな立方体である。


「今からトゥリーダ様とエレフィン様に、紙とペンをお渡しします。そしてトゥリーダ様に七桁の数字を書いていただいた後、この箱にしまいますので――エレフィン伯爵には、その数字を予想していただきたい」


「いや、無理です」


 エレフィンは思わず失笑した。いかにギャンブラーといえど分が悪すぎる。一千万分の一は賭けて良い確率ではない。

 パスカルが「いえいえ」と首を横に振った。


「続きがあります。七桁の数字のうち、桁と数が一つでも当たったら、エレフィン伯爵の勝ちといたしましょう。つまり『十分の一』を当てる、『七回のチャレンジ』ということですな。それでも我々のほうが有利ではありますが……このくらいならば、ギャンブラーたるエレフィン伯爵にはちょうど良いスパイスかと存じます」


 少し考えて――エレフィンは頷いた。


「よろしい。やりましょう」


 意図は読めないが、ここは相手の手の内を見るために応じておく。オレンジを一箱渡す程度なら安上がりな手土産だし、相手の狙いは「話題のタネ」を作ることかもしれない。


 そしてエレフィンが後ろを向いている間に、トゥリーダが紙へ数字を書き記し――パスカルがこれを木箱にいれ、蓋を閉じた。

 次にエレフィンが数字を書く。


「さて、七桁――さすがにゾロ目ではないでしょうな?」


 トゥリーダが楚々と微笑む。


「さて、どうでしょう? 運試しですから、心理戦には応じませんよ?」


 すっぱりと受け流されたエレフィンは、考えるのを切り上げて、思いつくままに七桁の数字を記した。


『0275891』


 ……相手が「012~」や「123~」とそのまま書いた場合を想定し、1桁目は0に、2桁目は2にしておいた。その上でゾロ目を警戒して、なるべく数字もバラけさせた。とにかく「一箇所だけ」の的中でいいのだ。3、4、6のゾロ目を書かれていたらどうしようもないが、七桁しかない以上、どうしてもあぶれる数字は出てくる。


(……賭けというのは口実で、もしや心理テストか?)


 ふとそんなことも思う。完全な運試しのようでありながら、エレフィンは相手の数字が単純なものだった場合を想定し、少しだけ予防線を張った。細かに分析すれば「保険を用意する性格」とでも思われるかもしれない。


「では、エレフィン伯爵。答え合わせです。箱を開け、中の紙を取り出していただけますか?」


 頷いて、木箱の蓋を取る。箱の中は何故かほんのりと暖かい。

 そして紙を取り出して、窓から差し込む陽光にさらした瞬間――


 エレフィンは、心臓が止まるかと思った。


『0275891』


 やや丸みを帯びた書き癖の数字が、そこに整然と並んでいる。

 目を見開く彼とは裏腹に、パスカルがぱちぱちといかにも軽く手を叩いた。


「いや、お見事。素晴らしいです。よもや七桁をそのまますべて的中させるとは……さすが稀代のギャンブラーと名高いエレフィン伯爵。おみそれいたしました」


 こんな褒め言葉に流されるほど、エレフィンはギャンブルを甘く見ていない。「当たるはずがない」ものが当たったのならば、それは偶然ではなく「イカサマ」である。


「お約束通り、干し芋の詰め合わせはお帰りの際に。冬ですのでしばらくはもちますが、数日以内にお召し上がりください。冷蔵庫があればそちらへ……」


 エレフィンはパスカルの説明を遮った。


「……手品ですね? どういうトリックです?」


 勝ちを譲られたのはわかるが――仕掛けがわからない。エレフィンは数字を書いてすぐに箱を開けた。紙を入れ替えるような隙はなかったし、テーブルの下にも誰もいない。ペンやメモ用紙はホルト皇国で流通しているごく一般的なもので、こちらにも細工の痕跡はない。

 頬をひきつらせて問うと、トゥリーダがにこやかに首を傾げた。


「手品ではないので、トリックというほどのものはありません。ただし――お気づきの通り、イカサマではあります」


 この言葉にエレフィンは総毛立った。

 もしも手品ならば、そのタネさえ割れれば、練習次第で他の者にもできるが……手品ではなく、なおかつ「イカサマ」だと明言するなら、それはつまり余人には真似できない類の「特殊能力」である。


 こうしたことができそうな能力は、咄嗟に思いつく範囲では三つ――


 まずは「思考の操作・誘導」。エレフィン本人に気づかせることなく特定の数字を選ばせた、という解釈だが、もちろんそんな感覚は一切なかった。


 第二に、選ぶ数字をあらかじめ把握しておく「未来予知」――そんな人知を超えた力が実在するとは思いたくないが、「聖女」ともなれば、神託のような形で未来を知れる可能性もある……かもしれない。


 あとは、紙を取り出したエレフィンへの「認識阻害」。紙に書かれた数字を誤認させたり、時間の感覚を狂わせてその間にすり替えるといった手段も一応は有り得る。これはこれで恐ろしい能力だが、前者二つに比べればだいぶマシだった。

 

 この中に正解があるか否かもわからない。しかし、もしも「そういうこと」のできる人材がこの場にいるのならば――彼女らと不用意に敵対するのは得策ではない。


 エレフィンとしては……「有り得ない」と思いつつも「未来視」が一番有り得そうに思っている。

 もしも本当にそんな能力を所持しているならば、トゥリーダの旧レッドワンドでの鮮やかな立ち回りにも説明がつくし、魔族のオズワルドでさえ興味を持つだろう。 

 仮に「ほんの少し先の未来」を見られる程度の能力だとしても、暗殺や事故を防いだりと有用性は高い。もっと先まで見通せるほど強い能力であれば、交誼を結んでおくだけで助力を期待できる。


 わざわざ「この力」を見せつけたということは、彼女らはエレフィンに対し、何らかの利用価値を見出したのだろう。今回の「賭け」の本質は数字当てではなく、「貴殿はレッドトマトに賭ける気があるのか否か」という問いかけだった。


 こうして力を見せられたのは「眼鏡にかなった」という意味でもあり、つまりは期待されている。選択権はこちらにあるが、エレフィンが断れば彼らは他の貴族と手を結ぶだけだろうし、これはまぎれもなく「与えられたチャンス」だった。


 その後の会談はやや上滑りしたものになったが、やがて予定時間が終了し、エレフィンは迎賓館を辞去した。

 賭けの景品として持たされた「干し芋」入りの小箱を見つめ――彼は馬車の中で、改めて考え込む。


(俺個人に、わざわざ勧誘されるほどの価値はない。レッドトマト側は、俺を通して他の南方諸侯も見ている。期待されている役割はそのための仲介役、連絡窓口といったところだろうが……共犯者が必要だな)


 エレフィンは友人こそ多いが、叛意はんいが露骨なために穏健派の貴族からは警戒されている。また、叛意を引っ込めた場合には、現時点での同志達に「裏切り者」などと思われかねない。

 ……他にも信用できる味方が要る。できれば口が上手くて慎重で、金回りの良い奴がいい。


 脳裏をよぎった顔の一つは、学生時代から縁のある旧知の男のものだった。

 少々頭でっかちの理屈屋で、運を軽視しすぎる悪癖はあるが――視点が鋭く、エレフィンよりも情報の分析力に長けている。


 彼の名は、ラルゴ・クロムウェル。

 クロムウェル伯爵家の現当主にして、サクリシアとの最前線に位置する『クロム島』の領主だった。


 §


・木箱の中・

ルーク(あ、竹猫さん、カメラもーちょいズームで……そうそう、そんな感じです。えーと、0…2…7…5…8…9…1……? なんだこの数列? ランダム? 素数ではないな? あ、蓋開けられる前に撤収せんと……キャットデリバリー!)

(にゃーん!)


※単なる猫のいたずらなので、トリックとかではないです。

 

 先週はお休みでたいへん失礼しました……m(_ _;)m

 おかげさまで会報七号(小説七巻)の加筆は無事脱稿しまして、気づけば明日はいよいよ三國先生のコミックス4巻発売日!

 ツイッターの一二三書房様公式アカウントからもすでにいろいろ告知が出ていますが、こちらでも改めて――


●コミックポルカでは第二十話が掲載中!

●コミックス4巻発売記念として、「コミックポルカ」「ニコニコ漫画」等で、1話~8話まで無料公開中!

●なんと京王線で車内広告(扉横?)も掲載中! 沿線の方は、もし見かけたら「わぁ……」と生暖かく見守ってあげてください。

●コミックス4巻購入者限定で1名様に特製アクリルボードが当たるキャンペーン実施! 詳しくはコミックス4巻のオビ折り返しにて。QRコードからアクセスして、オビに記載のキーワードを入力するタイプの抽選です。


●コミックス4巻の店舗特典は五種!(※先月の初報後、書泉様も追加)

 配布書店様の詳細は↓に。

https://hifumi.co.jp/lineup/9784824202307/

 イラストカードは、

・応援書店様&WonderGOO様>ウィル君&フレデリカちゃん&ルークさんの3ショット!

・GAMERS様>お昼寝ルークさん(+トマト様)とリルフィ様!

・書泉ブックマート様>クラリス様とルークさん! 猫の読み聞かせ!

・TSUTAYA様>猫の群れ! 石猫さんと風猫さんと探索猫さん達が大集合!

・メロンブックス様>トマト様大豊作! ファーマー・ルークさん!


●書泉ブックタワー秋葉原店様では、B0版巨大ポスターも店頭掲示予定! 複製原画の展示などもしていただけるそうです。


 ……一週空いただけで「急にどうした!?」レベルの告知量ですが、これで抜けはない……はず……?

 諸々、詳しくはXの一二三書房様公式情報をご確認ください。ついでにRTもしていただけるとたぶん担当氏が喜んでくれます。いつも(原稿が予定より遅れがちで)すまないねえ……


 あと4巻の巻末には、著者あとがきの代わりに掌編「ウィルヘルムと風精霊」も寄稿させていただいてます。こちらは5ページぐらいです。あわせてご査収ください。


 …………今日までに終わらせるつもりだった確定申告にはまだ手を付けてないです(ハイライトオフ)

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― 新着の感想 ―
ますます学名、作物名が「トマト様」になりそうな流れになってる。
箱を開けてみるまでは中に猫が居るか居ないかはわかりません。 これはシュレディンガーの猫の亜種! (なお猫は箱から勝手に出るので居るはずなに居なかったりします)
「7桁の数字」ってそういう意味だったんか…(FC2) 性癖暴露とかえっぐいわぁ
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