237・猫は新聞紙にのりがち
ラズール学園での、トゥリーダ様による公開生放送が大成功に終わった翌日。
皇都ウォルテの新聞社は一斉に速報紙を発行し――
その一面は、『猫』で埋め尽くされた。
………………知ってた。
薄々そうなるよーな気はしてた。
とにもかくにも例の猫騒動のインパクトが強すぎて、かわいらしい猫さんの大群が版木に彫られて印刷・量産され、一部は多色刷りで各紙の一面を彩っている。
サバトラ抜刀隊、ブチ猫航空隊、白猫聖騎士隊、黒猫魔導部隊、キャットデリバリー……みんなかわいー!(現実逃避)
ハチワレ砲術隊と茶トラ戦車隊、三毛猫衛生部隊、キジトラ親衛隊は出動していなかったため、新聞の一面を飾りそこねたが……写真ではなく版画な上、職人さんのアレンジも入っているので、ちょっと毛並みの怪しい子達もそこそこいる。刀持ってるのに白猫だったり、虎に乗ってるのに三毛猫だったり……
これらは記者が目撃したものをスケッチし、絵師がそれをちゃんとしたデザインにした後、版木職人に渡して……という手順を踏んでいるはずなので、伝言ゲームによる勘違いでも起きたのであろう。
ともあれ昨日の今日でもう刷れているということは、ほぼ徹夜で彫り上げて黎明には印刷機を回していたと思われる。すごいブラック労働の匂いがする!
ネルク王国でも数日遅れでこの手の報道はあったのだが、あの時は「公式発表」があるまで何がなんだか誰もわからず、報道のしようがなかった。発表の内容も割とフワッフワであった。
しかし今回はマードック学園長による現場での事情説明、トゥリーダ様の公開放送、貴族への襲撃、水蓮会の捕縛といったニュースソースが多かったため、速報の熱量が違う。記事として書けることも多いので、各社が対抗するように一斉に飛びついた。
……リルフィ様は即座に全紙(四種類)を十部ずつ購入なされた。
自分の保存用と鑑賞用、さらに将来の贈答用の予備を二部足して、四紙を四部ずつ確保。
それに加えてルーシャン様とアイシャさんへのお土産に三部ずつ。これはルーシャン様の個人所蔵用と魔導研究所用、王立図書館の史料用らしい。
あとはライゼー様に一部、メテオラ(主にソレッタちゃん)へ一部、トマティ商会の資料室に一部という感じである。
新聞四十部となると大荷物に思えるが、この速報紙は薄めのタブロイド判で八ページぐらいなので……それなりの量ではあるものの、ドン引きするほどではない。売店の人は「マジか」って顔してた。
売れ行きは好調なようで、学内の売店ではあっという間に売り切れて増刷分の二次出荷待ちとなり、皇都のほうでも行列ができているようである。みんなねこすきだよね(棒)
正直、「俺(猫)が目立ってどうすんだ!」感はあるのだが……そもそも猫さんは座布団というか敷物感覚で新聞紙に乗りがちな生き物であるが、記事として一面に載るのはちょっと解釈違いなんスよね……
猫が「ぐぬぬ」していると、ベルディナさんがこんな見解を。
「むしろ大成功ですよ! 猫の謎が多すぎて、全紙、肝心の中身はトゥリーダ様の生放送の書き起こしをメインに掲載しています。トゥリーダ様の記事だけだったら、政治に興味ある層しか買いませんから、こんな売れ方はしなかったでしょう。買えばみんな中を読みますし、猫で釣ってトゥリーダ様の広報をできたわけですから、これは想定以上の大成果です!」
なるほど。そういう考え方もある!
特に「レッドトマト商国の国名の由来」に関しては全紙がきちんと触れており、間接的にトマト様の宣伝までなされていた。
そのうちの一紙は「トマト様ってどんな作物?」という小さなコラム欄まで設けており――肝心の内容は「あくまで本紙の予想」という体裁なので、もう全然かすってもいないのだが、しかし読者の好奇心を煽る良い記事だ。
ちなみにその予想図は、「丸い」「赤い」「みずみずしい」「荒れ地にも良く根を張る」という伝聞のキーワードをあてはめただけなので……なんか「スモモ」か「プラム」みたいな果物が印刷されている。
こちらの世界、スモモはあるのかないのかよくわからんが、近縁と思しき植物は野山にも普通に自生しており、ネルク王国でも食材になっていた。だいぶ酸味が強いので、細切れにしてサラダにしたり、ペースト状にして肉料理などのソースに使ったりと、加工して食べられることが多い。
この予想図だと、トマト様もその近縁種と勘違いされそうだが……これは決して悪いことではない。
何故かといえば、このような勘違いは将来、ホルト皇国の民がトマト様の真の御姿を目にした時に「トマト様とはこのようなお姿だったのか!」と感動するための「前フリ」になるからである。
その新鮮な驚きは、きっと人々の話題の種となり、その先にあるトマト様の大いなる芽吹きを助けることであろう。
気を取り直した俺は焼き立ての猫パン(今朝焼き上がったばかりの猫型のチーズパン。昨日の騒動をたまたま目撃したパン職人さんが変なインスピレーションを受けたらしい)をむしゃりむしゃりと頬張った。若干の共食い感があるものの、人類だって人形焼きとか食べてますし……?
さて、学内の売店で新聞のまとめ買いという突発イベントはあったが、クラリス様達はそのまま授業へと向かい、俺はリルフィ様に抱っこされてトゥリーダ様の元へ。
なお、本日の宮廷魔導師スイール様のお仕事は、突発的に『トゥリーダ様の護衛』となった。これは昨日の襲撃を受けての緊急指示である。水蓮会の報復未遂&猫騒動は新聞沙汰となったが、同時にトゥリーダ様が襲われたことについては現場にいた者しか知らぬ。
ただ、その当事者の一人が皇族のマードック学園長だし、スイール様も現地にいたので……皇や皇弟には情報共有がされており、「しばらく通常業務は休んでいいから、トゥリーダ様の滞在中の警護を!」という話になった。
スイール様は個人としての強さ、対応力があるのに加え、トゥリーダ様と同じ女性で魔導師、しかも派閥的な政治から距離をおいている便利人材である。本人が要職についているためそこそこご多忙なのと、基本姿勢が朝寝坊さんで夜の寝付きも早いのがほんのちょっぴりウィークポイントであるが、睡眠を大事にするその姿勢は猫としても見習うべき点が多い。
……あと今はカルマレック邸で同居しているので、現場までキャットシェルターで寝かしたまま運べる。スイール様にもご好評のシステムである。寝起きにはリルフィ様の「おはようございます……」と猫の用意した朝ご飯もついてくる。割と甘やかしてんな?
というわけで今日は、直弟子たるリルフィ様も一緒に、トゥリーダ様の護衛をやる。元々知っている仲なので緊張はない。
そのトゥリーダ様達は昨夜、打ち上げの後はこっちのカルマレック邸に泊まったのだが、早朝のうちにキャットデリバリーで迎賓館にお送りした。ケーナインズが留守番(警備)役をしてくれたので、迎賓館側にはたぶん不在だったとバレてない。
で、合流。
「あ、ルーク様、今朝の新聞見ましたよ! 猫さん大人気ですねえ」
「いえ、すみません……今回はなるべくトゥリーダ様に一面を飾っていただきたかったのですが……」
スイール様の身支度をリルフィ様が手伝い、ついでに朝ご飯も済ませている間に、俺は一足先に迎賓館でトゥリーダ様とお茶をしていた。
「それこそ勘弁して欲しかったので、むしろ助かりました。あの状況で私が一面に載ったら――水蓮会の件で処罰を受ける貴族からのヘイトが、イメージ的に私のほうへ来そうじゃないですか? 『コイツがラズール学園でこんなイベントをやったせいだ!』とか言われて……」
「いえ、さすがにそれはないかと思いますが」
今回、水蓮会が「裏切り者」として標的にしていた貴族は、主に「バルカン侯爵家」と「ソロム伯爵家」の当主だったと供述がとれている。
この二家は特に水蓮会とズブズブで、けっこうな上納金を受け取っており、密輸や禁制品の売買などにも手を貸していたらしい。
基本的に、「証拠が残りそうな犯罪」の部分を水蓮会がやり、「もみ消し」とか「捜査機関の内部情報流出」などを貴族側が請け負うという、持ちつ持たれつの関係だったようだ。
ところが年末、例のペット誘拐騒ぎで裏帳簿が発覚すると、大半の貴族は政変の兆しを察知して態度を変え……特に関わりの深かったこの二家は、事情を知る親しい幹部の暗殺という裏切り行為にまで及んだ。
それにキレた末端が、死なば諸共の精神で昨日ぶっ放したわけだが……
水蓮会の憎悪はそもそも「自分達を切り捨てた貴族全体」にも向けられていたため、狙いとしては「貴賓席の大部分」に及んでおり、だいぶ巻き添えが発生しそうな状況ではあった。二家の当主に対しては明確な殺意があり、その他の貴族達に対しては未必の故意があった、というところか。
都市まるごとを地獄に変えかねない魔導王国製の『不帰の香箱』と違い、アロケイル王国が新規開発した『不帰の矢』は、効果範囲がせいぜい半径三十メートル前後。それも致死率が高いのは中心部の数メートルだけで、端にいくほど効果が薄れる代物だった。
つまりアロケイルは、「瘴気の圧縮・密閉技術」までは真似できなかったのだろう。その代わり量産性は上がり、前線で使いやすい形状にできたというメリットもあるようだが……いずれにせよ、この世界基準ではオーパーツじみた革新的兵器である。
さすがに貴賓席の外側まで被害が及ぶ可能性は低かったはずだが、標的の近くにいたバロウズ猊下とかポルカ・マズルカちゃん達のパパとかはだいぶ危なかった。
肝心のブツは発射装置も含めて猫さんが押収してしまったので、実はホルト皇国側に渡っていない。だいぶ厄ネタなので引き渡すつもりもない。『研究開発がバレたら魔族に消される』という意味で、兵器としての発想自体が危険なので、公にもされないだろう。
ただし、元から「不帰の香箱」を知っているような皇族と上位の貴族間では情報が共有されるようだ。「これはアロケイルの二の舞いはあかん」という警告の意味が強い。
この矢はオズワルド氏に預け、また活火山の火口にポイしてもらうことにした。活火山をゴミ捨て場などにしてはいかんのだが、こればかりは家庭ゴミや金属ゴミとして処分できるものでもないし……香箱と違って効果範囲が狭いので、どっかの空き地で不発弾処理するという手もあるが、そんなんで周辺のモグラやミミズに凶暴化されても反応に困るのでやっぱり火口で良い。
午前の会談前のひととき、トゥリーダ様はのんびりと俺を撫で回しながら、軽く嘆息した。
「昨日、シャムラーグにも言われたんですが……私、期待されると無理をしちゃうところがあるみたいで……割と見栄っ張りっていう自覚はあったんですが、昨日の放送は、ちょっと猫をかぶりすぎたかもしれません」
ふむ? 反省点などは特になかったと思うが……
「私の猫騒ぎはともかくとして、トゥリーダ様の放送は、百点満点で百五十点ぐらいの素晴らしい内容だったかと思いますが……あと、『見栄っ張り』っていう印象もないですよ? TPOがしっかりしてるな、とは思いますけど」
「てぃーぴーおう……? なんです?」
「あ。すみません、私が前にいた世界の言葉です。『時と場所と場面に応じて、適切な行動ができている』という意味ですね」
「なるほど……確かに、その場の空気を読むのは癖みたいなところがあります。読めているかどうかは微妙なんですが、『読もう』とはしているんですよ、実は」
後ろに控えていたシャムラーグさんが首を傾げた。
「あの……以前は『空気を読んだ』上で、上官に食って掛かったり平然と反論したりしてたんですか?」
「あ、あれは! あくまで怒った時だけよ! 日頃はちゃんと穏やかだったでしょ?」
「あー……トゥリーダ様の認識では、そういうことになってるんですね……」
シャムラーグさん、何か言いたそう。猫が見つめると、彼は苦笑いを見せた。
「レッドワンド時代のトゥリーダ様は、軍閥の中でも浮いていた、って話はしましたよね? 部下の使い捨てとか補給の軽視を許さないタイプで、一般の部下からは慕われていたけれど、選民意識の強い将官からは煙たがられていたっていう……なので、あれで『空気を読んでいた』なんて言われるのは違和感しかないというか――むしろ空気を読むのは苦手なタイプだと思っていました」
「……誤解があるようです。基本的に場の空気は大事にしますし、求められた役割はこなします。ただレッドワンドでは、将官の立場で見過ごせないレベルのことが多すぎて……!」
わかる。有翼人さん達の扱いとか、ほんと有り得なかったもの――
ゆえに滅んだともいえるが、トゥリーダ様とオズワルド氏のおかげで軟着陸に成功したので、苦労した甲斐はあったと思う。
「そういえば、残っている有翼人さん達の扱いってもう大丈夫なんですか? 支援物資は優先的にばら撒きましたけど、法律的な扱いとかは、こっちにはどうしようもないもので……」
「他の貴族と方針の共有はできました。元々、オズワルド様を怒らせた切っ掛けが、『無実の有翼人夫婦の捕縛』だったと知られていたので……そこはスムーズでしたね。今後は移動の自由を担保しつつ、集落側の整備を国主導で進めていきます。新しい国を象徴する変化でもあるので、パスカルさんも頑張ってくれてますよ。ただ、あまり優遇しすぎると逆に反動で反感が生まれるので――そこは様子を見ながら、じっくり進めていきます」
うむ。メテオラの皆様も同族の今後を心配していたので、良い報告ができそうである。
なお、『捕縛されていた無実の有翼人夫婦』というのは、リーデルハイン領で保護したキルシュ先生(学者で医師)とエルシウルさん(シャムラーグさんの妹)のことであり、お二人の間には第一子・ルシーナちゃん(猫が名付け親)が生まれている。
今回のホルト皇国への留学にあたって、キルシュ先生には「この機会に一度、里帰りしておきますか?」と聞いたのだが……「冬場は診療所を空けたくないのと……エルシウルにはもう少し休んで欲しいですし、ルシーナもまだ首がすわったばかりですので、もう少し後でも良いでしょうか?」とのことだったので、春か夏頃に一回、往復してもらうつもりである。
ルシーナちゃんは去年の夏頃に生まれたばかりなので、まだ一歳にもなっていない。それでも猫が顔を出すと「だー、だー」と甘えてくださるので、たぶん猫好きの良い子に育つと思う。トマト様のペーストも春ぐらいからかな……(※離乳食)
その代わり実家へのお手紙を預かったので、ファルケさんに頼んで届けてもらった。猫が届けても良かったのだが、ポストとかないので……対面で猫がおてがみを渡す「猫の郵便屋さん」はなかなかファンシーで良さそうなのだが、今やることではない。TPO大事。
その後、スイール様も「……おはよー……」と出てきて、トゥリーダ様の警護についた。目つきが眠そうなのはいつもの仕様なので問題ない。
「昨日の打ち上げ、ちょっと楽しすぎて食べすぎたよね……いやー……たぶん、今までの人生で一番楽しい時間だった……」
念のために申し上げておくが、特に派手なイベントやおもしろいエピソードがあったわけではない。コピーキャット飯を大量に用意しただけのよくあるパーティーである。
学生組やレッドトマト関係者に加え、ルーシャン様やリオレット陛下達、リスターナ子爵にバロウズ猊下、さらにはうちの社員さん達やキルシュ先生ご夫妻までお招きし、これだけの人数が集まったのならばいよいよ俺の一芸である腹踊りを! ……と思ったらクラリス様に「それはいいから」と止められた。ルークさんは賢いので主のご意向に従う。
……前にも止められた気がするのだが、もしや猫の腹踊りってあんまり需要がない……? 今後、一芸が必要になった時のために、やはりトマト様ダンスを開発しておくべきか……
思案する俺をよそに、スイール様が本日のスケジュール表を確認する。今朝方、外務省から届いたばかりの、ほっかほかの出来立てスケジュール表である。
「午前中はバルカン侯爵家との会談予定だったけど中止になって……その代わりに来るのが、南方のエレフィン・サイモン伯爵……あー。あのギャンブラーかぁ。えっ……いや、これ……マジで!? 外務省、正気!?」
スイール様が、寝起きとは思えぬ頓狂な声をあげた。我々はよく知らぬ人なのだが、そんなに意外な人選?
一応、トゥリーダ様が演説した時の皇国議会の出席者なので、『じんぶつずかん』にはもう登録されている。詳細はまだ読み込めていないが、割と有能そうな曲者である。
ポルカちゃんやマズルカちゃん、あとうちの社員のジャルガさんと同様の「褐色肌」で、ややタレ目気味の銀髪美形中年である。南方には褐色の人が多いらしい。
「なにか問題のある人なんです?」
「問題っていうか……多分こいつ、サクリシア側に通じていて……あ、だからか!」
俺の質問に答えつつ、スイール様は腑に落ちたように肩を落とした。
「……ええとね、色々、思うところはあるんだけど……簡単にいうと、今日の私の本当の役目は、『護衛』も兼ねた『監視』っぽい……もちろんトゥリーダ様の監視じゃなくて、トゥリーダ様に接触する貴族のほうの監視……むしろ牽制?」
……あー。護衛任務って、そういう……?
トゥリーダ様が「?」と首を傾げているので、パスカルさんが代わりに説明してくれた。
「ホルト皇国の政治情勢は現在、大きな変化のタイミングを迎えております。皇家の方針は、東西諸侯の専横を制し、南北諸侯の議会における発言力を高めること――それをしない限り、南方の貴族は不満を溜めた挙げ句、サクリシアと内通して内乱に発展しかねないという危機感を持っているのです。東西の諸侯の中には、『むしろ内乱を起こさせて、南方をもう一度、力ずくで制圧したい』という思想も蔓延しているのですが……この思いすら、サクリシアに誘導されている可能性が高い。サクリシアの内部にも、『拡大派』と呼ばれる他国への侵攻を是とするグループと、『内治派』と呼ばれる戦乱を嫌うグループがあり、あちらはあちらで面倒な駆け引きを続けております」
そこらへんは以前にもバロウズ猊下からの講義で聞いていたので、トゥリーダ様も頷く。
「今日の午前に会う予定だったバルカン侯爵家の当主は、西方貴族の有力者でしたが、水蓮会へのガサ入れによって不正の証拠を掴まれつつあり……さらに昨日の報復行為の標的となり、その犯人達が捕縛されたことで、より不利な追加の証言も得られるでしょう。もはや失脚は免れません。おそらく領地を減らされた上で伯爵家に格を落とされます。
そしてトゥリーダ様の最初の会談相手として代わりにねじ込まれたのが、南方のサイモン伯爵家――スケジュールの都合もあったのでしょうが、こちらはサクリシアと懇意で、いざとなれば内乱も辞さぬと目される人物です。皇家としては、この人物を改めてホルト皇国側につなぎとめたい。トゥリーダ様の会談相手として優遇することで、その意志を示したということでしょう」
パスカルさんの理路整然とした説明に頷いて、スイール様が肩をすくめた。
「……その上で、トゥリーダ様をサクリシア側へ引き込もうとする懸念もあるから、私を同行させて牽制もする――仮に『内々の話をしたいから』とか言われたら、外務省の職員は追い出されちゃうからね。でも『警護役』だけは残るのが当然だし、私自身が伯爵位を持ってる官僚貴族だから、同格の伯爵からの命令なんかに従う必要もない。この差配は皇弟のジュリアン様かな。あの人、こういう細かい調整が得意なんだよね……」
ちょっとハイライトさんが消えかけているが、過去になんかあったのかな……「知らないうちに皇弟殿下にうまく使われてた」とか、「自分の動きが想定外の効果を生んでいた」系のイベントでもあったのだろう。
お茶を淹れていたリルフィ様が、少し不思議そうなお顔をされた。
「あの……つまり、国にとっては不穏分子ということですよね……? そういう人は、むしろ失脚させられたりはしないのですか?」
「うーん……そもそも皇家は、南方諸侯に負い目があるんだよね……ホルト皇国成立の経緯については、バロウズ猊下からの講義で学んでもらったけど、要するに当時の皇家は東西諸侯の傀儡だったし、南方を食い物にする形で皇国を成立させちゃったから……その後も基本、歴史的に色々やらかしてるのは東西諸侯のほうだし、その被害者の南方の貴族を、特にたいした罪状もないままうっかり失脚とかさせると……たぶん、他の南方諸侯がキレて一斉に決起しそう」
こうした政治的分裂は大国のお約束みたいなものであり、たとえば独裁国家でさえ、後継争いのタイミングで国が割れたりする。
しかもこの南方諸侯の背後に別の大国、サクリシアがいるので……支援して混乱を煽るだろーなあ、というのも予測できる。
いろいろ理解したトゥリーダ様が困り顔に転じた。
「めんどくさいのは嫌ですねぇ……でも塩対応ってわけにもいきませんよね? そういう事情ならなおさら、利益を示してホルト皇国にとどまってもらわないと……ホルト皇国が荒れたら、うちも交易どころじゃなくなります」
パスカルさんが、ふとその目を底光りさせた。なんかこわい。
「……トゥリーダ様。実は国家間の交易において、『隣国の戦争』は大儲けにつながるチャンスになることが、往々にしてあります」
……あっ。その話しちゃうのかぁ……
前世知識を持つルークさんはそのあたりの実例をそこそこ知っている。だいたいろくでもねぇ事態とセットで、一部の人が大儲けできる仕組みがあることも理解している……
経済や交易にまだ疎いトゥリーダ様が首を傾げた。
「え? いや、だって……北の方のロゴール王国とか、内乱続きでまともに商売も成立しない状況だって聞いてますよ?」
「あそこはそもそも貧しい国ですし、国家として崩壊するところまで行ってしまうと、確かに交易どころではありません。しかしホルト皇国は、大量の富を蓄えた国です。今、ホルト皇国の南方で戦乱が起きた場合――穀倉地帯でもある南方で畑が荒れ、農作物が急激に値上がりします。足りない分は他国から輸入せざるを得ない。するとどうなるか――生産量に余裕のあるネルク王国の作物を、我々が輸送して転売する流れになるでしょう。ここで値を吊り上げれば、我が国は大儲けできます。さらに武器や防具用の鉱物資源も値上がりしますから、レッドトマトはその方面でも稼げる。隣接国家の弱体化と、流出する富の回収……国家の草創期において、これほど有利な状況はありません」
パスカルさんのそんな説明を聞きながら……トゥリーダ様は、まるで子供みたいにぶんむくれた。
「……パスカルさん、私がそれを聞いて考えを変えるとか、ほんの少しでも思いました? 論外です。他人の不幸を煽って付け入るような真似は絶対にしませんし、ルーク様に救っていただいた上でその行動を見てきた私が、そんな将来に禍根を残す真似をするわけがないでしょう。そもそもほんの一瞬、少しばかり儲かったところで、ルーク様に見限られたら大損です。なにより……飢餓の怖さを知る私が、飢餓を利用して金儲けだなんて、私自身が絶対に許せません。いくら心にもない試問だとしても悪趣味ですよ」
トゥリーダ様の言葉の途中から、パスカルさんは目元を緩め――最後には微笑を浮かべて、その場に膝をつき、恭しく頭を垂れた。
「……たいへん……たいへん、無礼をいたしました。トゥリーダ様はいつも私の助言を聞き入れてくださるもので、私の言葉ならそのまま受け入れてしまうのではと、少々、不安になりまして……しかし、今のお叱りを受けて、改めて感じ入りました。私はオズワルド様に忠誠を誓いつつ、陣営に加わった身ですが……今は貴方様にも、確かに忠誠を捧げております。良き主に巡り合わせていただいたことを、オズワルド様とルーク様に感謝せねばなりませんね」
トゥリーダ様がわたわたとパスカルさんに駆け寄り、頭を起こさせた。
「きゅ、急にどうしたんですか!? むしろお世話になってるのはこっちのほうですから! 私なんて所詮、お飾りで期間限定の国家元首なんですから、小娘扱いでいいんですよ。それにほら、ルーク様も農業実習でいつも口癖みたいに言ってたじゃないですか。『トマト様の覇道は人々の笑顔とともにあるべきだ』って……」
うむ。記憶にある……砂神宮に造成した巨大農場にて、代官のダムジーさんやその部下達に農業指導をしていた頃、俺は確かにそう啓蒙していた。
「それから、あと……『トマト様を信じる者は救われる』とか」
うむ。言った……これも厳然たる事実であり真理である。やはり信仰には対価があったほうが良い……日々の健康とか……血圧の低下とか……
シャムラーグさんが唸った。
「……俺が印象に残っているのはあれですかね……『天は猫の上にトマト様を作り、トマト様の上に太陽を作った』って――」
……言ったか? 言ったかもしれんな……これは太陽のほうが格上という意味ではなく、単純に位置関係の問題である。畑仕事中、下からトマト様を見上げると太陽が眩しいことがよくあった。
パスカルさんも毛づくろいする俺を見ながら呟いた。
「……私が聞いた中で、少々解釈に戸惑ったのは……『世界人類がトマト様でありますように』と……正直に申し上げて、今も意味をはかりかねております」
……言ったかなぁ!? たぶん言ってるんだろうなぁコレ!
あれか、うっかり徹夜明けで畑仕事とかしていた時かもしれぬ……農業に休みはないのでたまにはそういうこともある。後でクラリス様に「ちゃんと休んで」って怒られた。
スイール様の視線が心なしか冷たい。
「ルークさん……『トマト様と和解せよ』とか『トマト様はすべてを見ている』みたいな看板を領地に立てまくってない? 大丈夫?」
「やってないです! そこは大丈夫です!」
猫が必死に言い訳しながら毛づくろいをしていると、リルフィ様が俺を抱え込み、適度に揺らしながら耳元で囁いた。
「ふふっ……ルークさんの行動と言葉は……ちゃんとみんなに届いていますね」
うん。まぁ。あの……トマト様の布教が順調なのは喜ばしいのですが、寝言レベルの妄言で人類を惑わせるのは、さすがに本意ではないといいますか……世界人類をトマト様にしてどうすんだ、っていう……コピーキャットが動物には効かない仕様でほんとに良かったと思う亜神である。
猫が顔を洗って反省していると、扉にノックの音が響いた。気配からしてケーナインズのシィズさんか。
「失礼いたします、トゥリーダ様、皆様。エレフィン・サイモン伯爵がご到着されました。ブルトが応接室にご案内しています」
ケーナインズは護衛だけでなく簡単な接客案内までやってくれている。この迎賓館には外務省の職員さんも来てくれているのだが、防犯・警備上の理由により、トゥリーダ様の呼び出しや応接室への案内はこちらの人員でやることになっている。
なのでヨルダ様も、現在は正面玄関の警備をしてくださっている。さらにウェスティさんが二階を中心に、バーニィ君が一階を中心に巡回という配置。
それぞれに不可視の猫さん達がついている上、見えないのをいいことに屋敷中を我が物顔で練り歩いているので、実は見た目以上に警護は万全である。
もちろん迎賓館の外側にも監視要員を配しているのだが、今日はいいお天気なので日向ぼっこモードに突入している子達が多く、どこまで信用していいかちょっと怪しい……
「それじゃ、外交の時間ですね」
トゥリーダ様が気合いをいれて立ち上がったが、パスカルさんが「少々お待ちを」と呼び止めた。
「エレフィン伯爵との会談に関して、おそらく途中で私が口を挟みます。その先、しばらくの間――会話の流れを、こちらにお任せいただけますか?」
「はぁ。それはいいですけど……何の話をするんです?」
トゥリーダ様が問うと、パスカルさんはにっこりと優しく微笑んだ。やべぇ顔。
「我々に喧嘩を売ろうとしたサクリシアへの牽制も兼ねて――この機会にエレフィン伯爵を切り崩し、ホルト皇国の皇家に恩を売っておきます。それからルーク様にも、少々ご協力いただきたいことがありまして」
にゃーん?
そして提案された、パスカルさんのちょっとした悪巧みに……猫はぼふんと胸毛を叩き、「おまかせください!」と応じたのであった。
すみません! 小説七巻加筆作業の締切+確定申告の準備でどうしても首が回らず、ストックも尽きているため、来週(2/7)の更新は一回飛ばしてお休みになります。
年末から日程を騙し騙し頑張ってきたのですが、とうとう本格的に時間が足りなくなりました m(_ _;)m
再来週(2/14)にはなんとか……!




