228・聖女を迎えし皇国議会(後足)
その存在感に息を呑む議場の貴族達を、特に気に留める様子もなく――レッドトマトの初代国家元首、トゥリーダ・オルガーノは、淡々と挨拶の言葉を紡ぎ続けた。
「このたびは、ホルト皇国の歴史ある皇国議会にこうしてお招きいただき、たいへん光栄です。ご承知の方も多いかと思いますが、我がレッドトマト商国は、昨年の秋に成立したばかりのまだ幼い国家でして――」
彼女にあてがわれた演説の時間は、さほど長くない。
自国の紹介、成立の経緯、現状の説明、これからの方針、ホルト皇国に対する今の認識、今後の外交に関して望むこと――
そうした諸々をつぶさに語るほどの時間はなく、またそのための場でもない。
皇国議会における他国要人の「演説」とは、あくまで「顔見せ」「挨拶」の場であり、ここでは「大まかな説明」と「方向性」だけを示して、細かな部分は各関係機関や有力者と改めて話し合うことになる。
もちろん様々な方策が「一回の話し合い」だけですんなりと決まることは稀で、通常はこの後、数ヶ月から数年をかけて複数回の外交文書の交換が発生し、その流れの中で双方の協議を進め、検証や思考を重ねつつ折り合いをつけていく。
今回の来訪は、それらすべての「きっかけ」作り――いわば「スタートラインの設置」が目的であり、現時点ではまだゴールの位置すら確定していない。
むしろ国家間の外交は継続・調整・提案の繰り返しであり、停止や放置はあっても、基本的に「ゴール」はない。あるとすれば、それはどちらかの国が滅んだ時である。
「……我が国は今後、内政、特に農地開発を重点的に進めてまいります。またネルク王国側とも、農作物と鉱物を中心とした交易を開始する予定です。同様にホルト皇国側とも、相互に利益のある形で交易を始められれば幸いに思います」
この表明に、西側の諸侯が内心でほくそ笑む。
レッドトマトとの国境付近で領地を接するのは西側諸侯であり、当然、交易には彼らが関わる。通行税の優遇などをちらつかせれば、味方に引き込める可能性は高い。
南側の諸侯は思案する。
ネルク王国やレッドトマトの産品次第では――それをさらに他国へ輸出できるかもしれない。
そうなると内海で多くの国と接する南側にも交易へ介入する余地が生まれる。早急に状況を把握し、正しく算盤を弾かねばならない。
北側はあまり関心がないようで、東側は当面、座視するしかない。
ホルト皇国は広いものの、レッドトマトと国境線を接するのは西側諸侯のみ――南端には南側諸侯と接する領地もあるが、そこは未開の険阻な山岳地帯で、交易路としては使えない。切り立った断崖絶壁が幾重にも続いている。
必然――これから「交易」をしたいトゥリーダの外交日程において、この西側諸侯との関係構築は無視できない。
だから皇家も、「西側諸侯がレッドトマト商国と接近し、魔族オズワルドを味方につける」事態を警戒している。
皇国議会に集うのは「一つの国」に所属する貴族だが、思惑はそれぞれ違うし、利害関係もまるで一致していない。
ゆえにこの場での聖女トゥリーダは、「敵地に乗り込んだ、かつての敵国の元首」ではなく、「皆が欲しがる強力なカード」として見られている。
北方諸侯だけは距離をとるつもりだろうが、そんな彼らでさえ、『救国の聖女』が持つ理不尽なまでのカリスマには畏敬の念を抱きつつあった。
(……いや、これはさすがに、『精神魔法』の類じゃないのか……?)
議場入りした貴族達の中に、一人――
そんな感想を持った者がいた。
名をラルゴ・クロムウェル。
南方に属する貴族で、交易の要所・クロム島を領地とする伯爵家当主である。
魔法に対する造詣がさほど深いわけでもないのだが、娘二人が魔導師として優秀で――地元でも少々、騒ぎを起こしがちだったため、こんな感想が脳裏に浮かんだ。
もっとも、皇族の護衛として来ている宮廷魔導師スイールや、警護の魔導師達が何も反応していないところを見ると、やはり魔法ではないのだろう。
何かタネのある手品……たとえば特殊能力や称号の影響という線は捨て切れないが、それらを所持している時点でそもそも常人ではない。
どういう仕掛けがあるにせよ、トゥリーダ・オルガーノが只者でないことはもはや疑う余地もなく、ラルゴ・クロムウェルは対応の必要性を痛感してしまう。
(しかし、これは……どうしたものか)
ラルゴは今後の国際情勢を思案する。
ネルク王国は、「レッドワンド将国」という敵を失い、今後は内政に集中できるだろう。他の周辺国との関係は悪くなく、治世の内容にもよるが、よほどのポカをやらかさない限りは安定的な成長を見込める。
レッドトマト商国は伸びる。元が酷すぎたというのもあるが、魔族の支援まで受けている以上、トゥリーダが存命の間は大きく成長する可能性が高い。国の東西を挟むネルク王国とホルト皇国が、その成長を「支援せざるを得ない」という点も含めて、やはり魔族の存在は大きい。
肝心のホルト皇国はどうなるか。
遠い未来のことはさておき、直近十年前後を予測するならば、レッドトマトの成長に伴い、経済の活性化は期待できる。
レッドトマト商国やネルク王国が力をつけすぎると、将来的には厄介な敵となる可能性もあるが……これは百年後とか二百年後の話であり、ラルゴには関係がない。
自身に関係のある、近い未来の予測をするならば――
(南のサクリシアは、おもしろくなかろうな。しかしあいつらは性根が商人だ。見切りも損切りも早い。魔族絡みとなれば、しばらくは様子見に徹するだろうが……多少のちょっかいを出す輩は、いてもおかしくないか――)
交易国家サクリシアは、ラルゴの目から見ると、ホルト皇国以上に複雑怪奇な政治システムを持っている。
サクリシアには「王」がいない。「貴族」もいない。政治を行うのは「商人」であり、つまり「規模の大きな商会」が街を治め、そのまま貴族の役割を担っている。
基本的には「商会主」の交代によって代が進んでいき、血統はあまり重視されない。国としての方針は大商会の合議で決まり、その議長が他国で言うところの「王」に近いが、権限はそこまで強くなく、数年で強制的に交代となる。
世襲制の商会もあるが、これは「他に跡継ぎがいないから、仕方なく家族が継ぐ」といったケースが大半で……大商会になるほど内部での出世競争が激しくなり、「身内」というだけでは後継者になれない。
もちろん自身で商会を立ち上げることも可能で、つまりは誰でも、自身の才覚次第で「貴族」的な立ち位置へと至れる可能性がある。
弊害もあるようだが……国としては強い。国土ではホルト皇国のほうが上だが、サクリシアは内海だけでなく外海にも面しており、海洋貿易において大きな存在感を発揮している。
そして優秀な人材も多いのだが、同時に野心を持て余している輩がやたらと多い。似た傾向を持つラルゴ・クロムウェルとしては、多少の親近感こそあるものの、本心からは信用できない者ばかりだった。
その点、ホルト皇国の貴族は、玉石混交ながらだいぶわかりやすい。謀略も程度が知れているし、やることも、まぁ……大抵は常識の範囲内におさまる。それをぶち壊した貴族もかつてはいたが、昨今において、そこまでの危険人物は見当たらない。
むしろ今、もっとも「危険」な要素は、壇上でほがらかに挨拶を続ける美しい娘――「トゥリーダ・オルガーノ」だろう。
魔族の庇護を受けているのも厄介だし、レッドトマト商国の象徴的存在になりつつあるのも怖い。彼女はいわば「国祖」であり、これからますます神格化されていく。
付き合い方を間違えたくはない。
会談の要望は出してあるが……通るかどうかは微妙なところである。内海を通す交易に興味があれば接触してくるだろうが、クロムウェル伯爵家は政治的にどうしても微妙な立ち位置であり、警戒されるかもしれない。
偶然を装って会えるような相手でもない。接触できたところで信任を得るのは難しい。かといって、無視するには危険すぎる。
彼女は現在の「ホルト皇国」の情勢を左右しかねないキーパーソンであり、面識を得ておくだけでもメリットがある。
(まぁ、会ってもらえないことにはどうにもならんわけだが……)
壇上では、トゥリーダが締めの挨拶を始めていた。
「……最後になりますが、ラズール学園、マードック学園長のご厚意により、学園での公開放送をやらせていただけることになりました。明日の午前から昼過ぎにかけての予定です。レッドトマト商国の建国前後のお話などもゆっくりできるかと思いますので、興味をお持ちいただけましたら、ぜひおいでください。本日はご清聴、誠にありがとうございました」
最後に思わぬイベントを発表され、貴族達がわずかにどよめく。
ラルゴも皇族のしたたかさに内心で苦笑した。一般人の倍以上の寿命を持つだけあって、彼らは老獪である。
東西諸侯に会談の先手をとらせず、まず「トゥリーダ」に前提条件を設定させる――建国したばかりのレッドトマトにとってはありがたい機会だろうし、一つ一つの会談で同じ説明を繰り返す必要がなくなり、諸侯との会談を効率的にさばくのにも有用だった。
同時にこれは、諸侯の動きに対する牽制ともなる。
皇家はトゥリーダを国賓として扱い、厚遇すると態度で示した。今後の会談で諸侯が皇家の悪口を多少吹き込んでも、トゥリーダへの効果は薄いだろう。ラズール学園のような「場」を用意できるのも皇族だけなので、これは妙手といえる。
面会要望を出している貴族は当然、現地に行かざるを得ない。
ラルゴももちろん行くが――ラズール学園には今、彼の娘が二人いる。
領地から脱走したわがまま娘達だが実力は確かで、追っ手も跳ね返された。
親の意向で退学させたいのは山々だが、彼女らは「祖父」――つまりラルゴの父を後ろ盾にして入学しているし、学費もその祖父が払っているため、ラルゴにはどうしようもない。
またラズール学園は皇族の管理下にあるため貴族の力が及びにくく、「学ぶ気概」を持つ学生を守るための法整備がなされている。
一度、入学されてしまった以上、本人達の同意なく双子を連れ戻すのはラルゴでも難しい。しかも二人とも「魔導師」なので、国からも有為の人材と見なされる。
万雷の拍手に送られてトゥリーダが退出した後、議会も休憩時間に入った。
議場を出たタイミングで、南方に属する知人の伯爵がラルゴに声をかけてくる。
「よう、クロムウェルの。あれをどう見る?」
褐色の肌に銀髪、タレ目で無精髭の似合う伊達男――礼装も着崩しており、いかにも軽薄そうな見た目である。
エレフィン・サイモンという名のこの不良中年貴族は、ラズール学園時代のラルゴの同窓生だった。
一方のラルゴはまったく日焼けしていない青白い肌に整った礼服、常に背筋を伸ばしてしかめ面なため、外見的な印象は真逆と言っていい。
年齢は近く爵位も同じだが、「遊び人と銀行員」ぐらいに対照的な容姿である。
……が、これで性格が意外と合う。目つきの酷薄さも実は似ている。
聖女に対する印象を問われたラルゴは、鼻を鳴らして雑に応じた。
「トゥリーダ様か……ホルト皇国に生まれていたら、スイール様の次の宮廷魔導師になっていたかもしれんな。レッドワンドは魔導師優遇で、ただでさえ実力主義な側面があったが……あの聖女様は今後、『魔導師以外』の人材発掘と育成を急速に進めるだろう。レッドトマトはいずれ、第二のサクリシアになりかねん」
悪友、エレフィン伯爵は銀髪をかきあげ、驚いたように目を見開いた。
「こいつは大きく出たな。しかし、旧レッドワンドは水利が弱いぞ? 土地が痩せていてまともに農業ができるとは思えんが、そんな発展の余地があるかね?」
「だからこその『交易』路線への転換だ。あの娘、『水の代わりに金を流せば、国は潤う』と理解している」
ラルゴは声をひそめ、休憩所の隅にエレフィンを誘った。ここから先の話は、あまり他人に聞かれたくない。
二人は他貴族の喧騒から距離をおき、壁際のソファに陣取った。
「農作物はネルク王国側に有り余っている。金属資源やその他の交易による利益で食料を購入すれば、両国の発展の歯車が回る。ホルト皇国は、その流れから外される可能性もあったが……誰かが助言したのか、あるいは本人の案なのかはわからんが、きっちりと真正面から外交を求めてきた。これで我々はしばらく敵対できんし、その必要もなくなるから――結果、ホルト皇国も安定する」
「……つまり、サクリシアが南方に付け入る隙もなくなる、か。喜ばしいことだ」
エレフィンは笑顔で言ったが、目は笑っていない。
……彼は「サクリシア側に内通する貴族」である。東西諸侯の専横を嫌っており、もしもいざ乱が起きれば、サクリシアと共同歩調をとってホルト皇国に反旗を翻すはずだった。
もちろん『皇国議会』という場でそんな態度を表にするはずはなく、現在はきちんと演技をしている。
一方のラルゴは彼ほどの過激派ではない。
サクリシアが動くなら協力してもいいが、ホルト皇国が揺らがないならそれでも別にいい。状況に応じて臨機応変に動くつもりだし、そうしないと生き残れない最前線――むしろ孤立気味な立地でもある。
どう動いても死ぬ――つまり「詰み」の状態が恐ろしいため、今は態度を鮮明にしていないだけの話で、命綱も複数用意してある。
――とはいえ、掴まったら千切れそうな綱や既に腐り落ちていそうな綱もあるため、間違った綱を掴むと、そのまま落ちる羽目になる。
エレフィンの存在もまた、その命綱の一つなのだが……この男は、いざとなったら笑って綱を切るはずなので、たまに会った時ぐらいは利用価値を示しておかないと将来が怖い。
彼と話したい話題は他にもあった。
「ところで、水蓮会の裏帳簿の件……貴様のところは大丈夫だったのか?」
「うちは問題ないさ。少しは取引もあったが、あくまで表だけだった。禁制品やら脱税やらとも無縁だし、あそこは元々、東西諸侯との結びつきが強すぎる。君のところは……今の奥方が確か、西方のソロム伯爵家の出身だろう? 飛び火しているんじゃないか?」
さすがに知っていたらしい。
ポルカ・マズルカの死んだ母親ではなく、西方の貴族から嫁入りした若い後妻のことである。
「……それで呼び出された。正直、関わりたくないんだが、そうもいかん」
不機嫌を隠しもせずに応じると、エレフィンが肩を揺らして笑い出した。
「だからやめておけと言ったろう、あんな女。西方諸侯とのコネがそんなに欲しかったのか?」
「ああ、欲しかった。実際、儲けさせてもらったし、儲けさせてやった。だから後悔はしないし、必要な措置だったとも思っている。が……今回は運がなかった」
エレフィンが笑いを消し、真顔に転じる。
「……それだよ、ラルゴ。貴様には、才覚はあっても『運』が足りない。そこを自覚しておかないと、いずれ転ぶぞ?」
『賭博師』とも呼ばれるエレフィンは、昔から「運」を信奉している。特にカードゲームが好きで、戦績は勝ったり負けたりだが、大勝負になると目の色を変える。
「ラルゴ。貴様は運よりも確率や数字を重んじすぎる。それはそれで明確な長所だが、『ここぞ』って時の生死は運に左右されるものだ」
「はっ。運などという、不確実で実体のない物に命を預けろとでも?」
エレフィンは首を横に振った。
「そうじゃない。『運』という巡り合わせが、世の中にはある――そいつを無視しすぎるな、と言っている。お前好みの言い方をすれば、『不確定要素』の部分を、もっと多めに見積もっておけ、って話だ。実際、今の世の中、何が起きるかわからんぞ? 今回の魔族の来訪とレッドトマト商国の成立など、まさにその例だろうが」
エレフィンが言いたいのは、単純な「運の良し悪し」ではなく――人知が及ばない不確定の『何か』を想定しろ、という意味らしい。
それこそ馬鹿げている。
「無茶を言うな。予測できないものを予測しろとでも?」
「予測はしなくていい。ただ、お前でも『予測できない』事態があることを、まず前提においておけ、と言っている。あらゆる事態を想定するのも悪いことじゃないし、必要なことだろう。だが……『現実』は時に、それをあっさり超えてくる。さっきのトゥリーダ様を見て、俺はしみじみそう思ったよ。お隣の国にあんな英雄がいたなんて、お前、想定していたか?」
問われて言葉に詰まる。
ラルゴの予想では……レッドワンドではいずれ、フロウガ・トライトンあたりが王位を得るはずだった。
それが反乱によるものになるか、あるいは政治システム上の交代劇になるかの判断で迷いはしたが、よもや『魔族オズワルドの怒りを買って潰される』などとは想定していなかった。
他の想定としては、フロウガが暗殺される、あるいは刑死に追い込まれるなどのルートもあったが、いずれも外れている。
……ともあれまぁ、彼が退場したのは間違いない。その生死は不明ながら、死体が出てこないだけでもう死んでいるのだろう。
そのフロウガ・トライトンが今、どこぞの猫カフェでコーラを片手にポップコーンをキメていることなど、もちろん今のラルゴは知るよしもなかった。
もういくつ(三十日ぐらい)寝るとおしょうがつ……(ふるえごえ)




