223・聖女と大司教
レッドトマト商国の国家元首、トゥリーダ・オルガーノは、内心焦っていた。
さんざんお世話になった――現在進行形でお世話になり続けているいつもの猫様が急に連れてきた客は、「バロウズ・グロリアス」と名乗った。
神官としてはちょっと身なりがいい感じだったし、「司祭かな? まさか司教かな?」ぐらいに思っていたが……彼はホルト皇国の浄水教における「大司教」だという。
大司教。
大司教である。
宗教関係者の地位と貴族の爵位を単純に比べることはできないし、国ごとに違いも大きいが……腹心のパスカルから学んだところでは、
『ホルト皇国の場合、浄水教の司教の存在感は子爵級、大司教は伯爵か侯爵級と思っていただいて構いません』
とのことだった。
『もちろん領地は持っていませんし、世襲制でもありませんし、個人が動かせる範囲での経済力と軍事力なら、領主貴族とは比べるべくもありませんが……宗派全体での経済力と軍事力は決して軽視できませんので、影響力はなかなかのものです。国政にも参加しておりますし、近年は皇家とも密接な協力関係にあります』
ホルト皇国への訪問を間近に控えたトゥリーダにとって、これは猫からの外交面への支援といえる。ありがたいといえばありがたいのだが……もうちょっと、こう……いや、わがままは言うまい。
ともあれ重要人物には違いなく、非公式の急な会談とはいえ、きちんと対応する必要がある。
トゥリーダとしては、そのつもりだったのだが……
「……トゥリーダ様。ご立派に国家元首の任を果たされているようで、何よりでございます」
通された猫カフェには、かつての上官、フロウガ・トライトンまでいた。
トゥリーダを相手に、まるで商人のようにへりくだり、「今はファルケと名乗っております」と自己紹介された。
黒かった髪を脱色して銀に染めた上に、顔つきまで穏やかに変わっているが……
めっちゃ気まずい。
「……ど、どうも、お久しぶりです……ご家族は、その……お元気ですか……?」
フロウガの妻子も『行方不明』という扱いにしてオズワルドがこっそり逃がし、ホルト皇国で共に暮らしている。将爵だった頃のような贅沢はできていないはずだが、命が助かっただけマシだろう。
ファルケは恭しく頭を垂れた。
「は。あちらの水にも慣れまして、元気に暮らしております。不便はかけておりますが、娘などはかえってホルト皇国のほうが楽しいようで……」
そりゃそうだろうなぁ……と、トゥリーダは納得する。旧レッドワンドなど文化的後進国だし、王都ブラッドストーンにさえまともな娯楽がなかった。
トライトン将爵領も似たようなものだろうし、この砂神宮も同様である。
歴代の政権としては、国民が娯楽にうつつを抜かして生産力が落ちることを嫌ったのだろうが……
ホルト皇国やネルク王国を見ていると、演劇や拳闘といった娯楽を産業の柱とし、様々な技術の発展、普及に結びつけている。その積み重ねが国力の差を広げたのは間違いない。
特にクラリスやリルフィ、ウェルテル達と話していると文化の重要性を思い知る。亜神ルークにいたっては文字通り世界が違う。
さすがに、神々の世界と比べてどうこうとは言いにくいが……レッドトマト商国は、もっと文化を、技術を、そして人を育てる必要がある。いままでのレッドワンドがそれをやらなさすぎたせいで、まともな教師もいないのが心細いが……幸い、助言者にはルークが引き合わせてくれる。
今回の「バロウズ大司教」もおそらくはその一人になるのだろうし、ファルケと名を変えたフロウガもまた、今後は「正弦教団に属する商人」として、ホルト皇国側からレッドトマトの支援をしてくれるはずだった。
それぞれの自己紹介を簡単に済ませた後、やや政治色の強すぎる茶会が始まる。司会進行はもちろん猫である。
「いやー、バロウズ猊下の誤解が解けてほっとしました! 私は獣の身ではありますが、あんまり『弱肉強食!』というタイプではないので……むしろ『共存共栄』とか『農業推進』系の猫さんなので、そこは間違えないでくださいね」
愛想のいい猫に、ファルケがびみょーそうな視線を向けている……現場にいなかったとはいえ、元指揮官の彼は亜神の脅威に軍を一蹴された当事者だった。トゥリーダとしても内心、わずかばかりの同情を禁じ得ない。
「えーと……今日は、クラリス様達はご不在なんですね?」
改めて見渡せば大人ばかりで、トゥリーダよりも年下の出席者はリルフィだけである。いつもそのあたりで寝ている、でかいウサギのピタゴラス様すらいない。
「クラリス様達はラズール学園で授業中ですので! あとペズン伯爵とマリーシアさん、ピタちゃん達は、借家のほうでお留守番をしています」
猫がいつものように薪からお茶菓子を錬成していく。
今日のスイーツは「紅茶のティラミス」……トゥリーダは以前に差し入れでもらったことがある。濃厚な甘さと爽やかな紅茶の風味が実に良いバランスで、ますかるぽーねというすごいチーズが使われている。このチーズはそもそもの語源が「なんとすばらしい」という意味らしく、実際、味も舌触りも素晴らしい。
薪がスイーツへ変化する様を見たバロウズはあんぐりと口を開けていたが、この場の皆が普通に受け入れているためか、騒いだりはしない。わけがわからなすぎて言葉を失っているだけかもしれない。
今日の茶会の出席者は、ホルト皇国側から来たのがルークとリルフィ、魔族のオズワルド、宮廷魔導師のスイールとバロウズ大司教、そして元上司たるファルケ。
レッドトマト側からは、国家元首のトゥリーダ、護衛のシャムラーグ、腹心のパスカルが揃った。
多忙な官吏のダムジーは残念ながら近隣へ出かけており不在だが、それでもおっさん率が高い。
見た目の若いオズワルドはかろうじて美男子扱いしてもいいが、実年齢は二百歳を超えているし、パスカルは三十代半ばでファルケは四十代、バロウズ猊下は六十代、シャムラーグは二十代だがそこそこ老け顔である。
トゥリーダは今でこそ国家元首という立場だが、半年前までは貧乏子爵家の一当主だった。養子入りしてすぐに前当主が亡くなった……というか、その当主が死期を悟ったギリギリのタイミングで養子入りが間に合った、という状況だったため、家の家臣団を掌握する暇すらなかった。
この養子入りした先のオルガーノ子爵家が、トライトン将爵家の配下だったため、トゥリーダも選択の余地なくなし崩し的にその役割を受け継いだが――今は完全に立場が逆転している。
レッドワンドでも有数の大貴族だったトライトン将爵家は取り潰しとなり、領地も今は暫定的にトゥリーダの預かりとなっている。つまりは「国家元首の直轄地」という扱いで、この権限を利用し、フロウガの……ファルケの家族を、ホルト皇国へすんなりと逃がすこともできた。
実際の移動はオズワルドの転移魔法に頼ったが、それまでの安全の確保、混乱の阻止、書類上の処理など、やることはやった。
ファルケも家族から顛末を聞いているはずで……それもまた、気まずい要因の一つである。
一方、猫は平常運転だった。
「ささ、バロウズ猊下! こちらのスイーツはティラミスと言いまして、気分がアガって元気になれるお菓子なのです! あ、紅茶の風味は本来はないのですが、こちらのほうが精神が落ち着くかと思いまして!」
初めての神界スイーツを目にしてカタカタと震えるバロウズのカップに、猫がまるで寄り添うようにしてほうじ茶を注いでいる。
かえって「恐れ多い」などと思われてそうだが、ルークなりに距離を詰めようという心遣いは感じられる。バロウズもいずれ慣れるだろうし、トゥリーダはもう慣れた。
しきりに恐縮するバロウズに、ルークは腹を見せてモフりを要求している。猫アピールに余念がない。
リルフィもその隣でバロウズを気遣っているが、一方でスイールは我関せずとばかりにスイーツを頬張っており、追加で三個はいきそうな勢いである。あのマイペースぶりはうらやましい。
そしてトゥリーダの左右には、シャムラーグとパスカル――向かいにはファルケとオズワルドがいる。
きまずい。
話題を探そうと焦るトゥリーダの前で、ファルケが深々と頭を下げた。
「……今更ではありますが……トゥリーダ様。レッドワンドが崩壊する混乱の中で、妻子を守っていただき、ありがとうございました。直接、礼を申し上げる機会が遅くなりまして――」
「い、いえ! とんでもないです!」
かつての上官である。丁寧な言葉遣いで対応されるのも酷い違和感があるし、今でも威厳の差はひどい。
「あの、フロウ……ファルケさんのご家族に限らず、要人の保護はそんなに難しくはなかったんです。ルーク様のおかげで、大きな混乱が起きる前に物資が行き渡ったため、人々もこちらの指示には協力的でした。それから事態の推移もいきなりすぎて、『どうしたらいいのか』と、迷って動けなくなるタイプの混乱が広がっていたので……一応、デマの類も警戒していたんですが、パスカルさんがうまく対応してくれました」
パスカルが軽く頭を下げる。
「恐縮です。しかし、決め手はやはりオズワルド様の存在でした。なにせ『魔族絡み』という時点で、まともな人間ならば様子見に徹します」
オズワルドがくっくっと笑う。
「なんとも滑稽な話だ。しかし、ルーク殿の正体を隠す隠れ蓑という役割は、意外に悪くない。常識外れの飲食物といった実利もあるが……何より、退屈しないで済む。忙しすぎて目を回しているトゥリーダ達の前で不謹慎かもしれんが、最近は日々が楽しくてな。妙に充実感がある」
「……はぁ。猫がいると、生活に張り合いが出るって言いますからね……」
トゥリーダは苦笑いで応じ、改めてファルケに向き直った。
「とにかく、ご家族が無事だったのは私の手柄ではなく、主にルーク様とオズワルド様、パスカルさんの功績ですので……感謝もそちらへ向けてください」
そう告げると、オズワルドが頬杖をつき、呆れたように嘆息した。
「そうは言うがな、トゥリーダ。ルーク殿や私が動いたのはある意味、君のためだ。もちろん、こんな状況に巻き込んだ責任というものもあるし、そもそもこちらの都合で押し付けた役割でもあるが……それでも君は、与えられた今の役割をしっかりとこなしている。これは君の成果だと誇っていいし、ファルケからの感謝も君が受け取るべきものだぞ? もしも君が、国家元首の任から逃げていれば――状況は今より確実に悪化していた。君はよくやっているよ」
急に手放しで褒められて、トゥリーダは慌てた。
一連の会話を横で聞いていたルーク達も、この流れに加わる。
「オズワルド様のおっしゃる通りです! 現状、トゥリーダ様は私が期待していた以上の成果を出してくださっています。パスカルさんやダムジーさん達の助けももちろん大きいでしょうが、そうやって部下の力を引き出せるのも、トゥリーダ様の重要な資質なのです。ファルケさんも以前に言ってましたよね? トゥリーダ様を反乱軍に取り込まなかったのは、その求心力を警戒し、軍が分裂する危険性を排除するためだった、と――その判断には私も納得しています!」
トゥリーダは赤面して両手を胸の前で振る。
「やめてください! ルーク様からそんなに褒められると、また分不相応な称号がついちゃいそうで……! 最近、街を歩くと普通に『聖女様』『聖女様』って拝まれるんですよ!? 澄ました顔で手を振って応じるたびに、変な罪悪感が……!」
そんな弱音を吐くと、シャムラーグやリルフィが笑い出した。
大司教のバロウズも、驚きつつも目元を緩め、優しげな眼差しをトゥリーダに向けている。
「……なるほど。トゥリーダ様とは、このような御方でしたか……いや、ホルト皇国では『レッドワンドを滅ぼした女傑』という噂も流れていたもので、少々意外でしたが――ルーク様やオズワルド様が懇意にされている理由も、わかった気がいたします。ホルト皇国での滞在時には、私も陰ながらサポートをさせていただきますので、何か懸念がありましたらぜひご相談ください」
「えっ……あ、ありがとうございます……!」
今の自分の言動のどこに、彼からの信頼につながる要素があったのかはさっぱりわからないが、これはアレか。『亜神と魔族に振り回されるかわいそうな小娘』という印象によって、多少の同情を買えたのかもしれない。
当たり前のように三つ目のティラミスを食べ始めながら、スイールが微笑んだ。
「猫さんに好かれるのも立派な才能の一つだって、しみじみ思うよね。さて、バロウズ猊下。いろいろ、誤解は解けたと思うけど……まずは直近、トゥリーダ様の外交時に力を貸してくれる?」
「承りました。なに、『聖女』であればある意味、神殿側が守って当然の人材です。私の一存ではどうにもならぬこともありましょうが、ご用命には可能な限り、従うことをお約束いたします」
色良い返事に改めて感謝したが、バロウズの言葉にはまだ続きがあった。
「それから……トゥリーダ様の来訪の前に、お伝えしておかなければいけないことがあります。現在、皇国議会はいくつか混乱の種を抱えておりまして……トゥリーダ様がいらっしゃるタイミングでは、この政治的混乱がまだ続いていることでしょう。接近してくる貴族には、どうかお気をつけください」
トゥリーダは首を傾げた。
今は自国の内政に忙しく、ホルト皇国の最新情報はあまり得ていない。年末年始にルーク達から「ラズール学園がめっちゃ広かった!」みたいな話は聞いたが、政治的な混乱というのはほぼ初耳である。
「それはレッドトマトにも関係のあることですか? こちらとの外交に、反対する方々がいたりとか……」
「皆、オズワルド様を恐れていますので、明確に反対する者はいないでしょう。むしろレッドトマトに恩を売って、オズワルド様との仲介を願ったり、あるいは許しを乞う者がいるはずです」
「え? オズワルド様、ホルト皇国で何かしたんですか?」
トゥリーダが問うと、オズワルドは軽く肩をすくめた。
「私は何も。しかしルーク殿が、ペットの誘拐犯に怒ってな。犯人を捕まえて、ペット達を救出したんだが……その時の爆発事故に不可解な要素があったせいで、向こうの連中が『事件を解決したのは魔族ではないか』と誤解した。そして犯人の背後関係を調査する過程で、貴族も絡んだ反社会組織の裏帳簿が出てきて……これに関係していた連中が、『自分は魔族の怒りを買ったのではないか』と怯えている」
まるで他人事のような言い草だったが、実際、オズワルドにとっては他人事である。ルークのほうは「にゃーん」と必死に毛繕いをしており、やらかした自覚はあるらしい。
「つまり、私を通じてオズワルド様に接触したい人達がそこそこいる、ってことですか?」
「しかもスネに傷持つ連中だな。このまま捜査の裏付けが進むと失脚しかねない奴もいるようだから、一部は自棄になっているかもしれん」
「め、面倒事が起きぬよう、トゥリーダ様の身辺は私がしっかり守らせていただきます!」
猫が敬礼してきたので、どうやらガチらしい。
「……いえ、あの、それはありがたいですけど……えっ? それ、クラリス様達も大丈夫なんですか? 一部の貴族は、ネルク王国からの留学生組がオズワルド様の知り合いだって知っているんですよね?」
スイールが片手を挙げた。
「そっちは私が抑える。リルフィを内弟子にして留学生達の家で同居中、っていう状況に持っていったから……『変な真似をしたら宮廷魔導師がキレる』って、まともな貴族ならもう理解している。まともじゃない連中がちょっと不安だけど……それでも大義名分はこっちにあるから、クラリス様達については心配しなくていい」
次いで、オズワルドがトゥリーダを指さした。
「そんなわけで……目下の懸念は君達だ、トゥリーダ。公式、非公式問わず、貴族からの接触には気をつけろ。まぁ、最終的には私が出てもいいんだが……初手でそれをやると、利用できる連中も遠ざけることになりそうでな。それにホルト皇国国内で暴れると、魔族のサリール家が出てくる可能性もある……皇弟の結婚相手がそこの血縁者なんだ」
…………あまり嬉しくない情報をぶち込まれた気がする。
外交予定の雲行きが若干怪しくなってきたことに震えていると、バロウズ大司教が指を祈りの形に組んで微笑んだ。
「ご安心ください、トゥリーダ様。そのための私です。滞在中はなるべくお傍に控え、必要な助言をさせていただきましょう」
「バロウズ猊下!」
聖職者の心遣いに感動しつつ、トゥリーダはこの出会いに改めて感謝した。
……かくして『浄水教・大司教』からの後援を得た若き国家元首は、数日後、ホルト皇国へ旅立つこととなる。
移動は転移魔法で一瞬なため、旅支度はあっさりしたものだったが……その滞在の日々には、少々、波乱の予感があった。
先日、会報六号の記念SSで「ブリッジするルークさん」という一幕を書いたのですが、コミカライズの三國大和先生が、なんとその場面をXに投稿してくださったみたいで……!
感想欄からのお知らせも感謝です。
ヤフーのリアルタイム検索だと、「ルークさんのツイスターゲーム」という検索ワードで見られます。
めちゃめちゃかわいいので、まだ投稿から日が浅く見つけやすい今のうちにぜひご確認ください!
三國先生ありがとぉ……(T∀T)




