会報六号記念SS・番外編「猫のエクササイズ」
※こちらは会報六号の発売記念と、222話到達記念のショートストーリーです。
時間軸はサーガフォレスト版・書籍六巻の時期になります。
具体的には91話「さらば王都~」の直前ぐらい。王都滞在中、ロレンス様にご挨拶した後あたりです。ルーク達はまだ「古楽の迷宮」にも行っていません。
またWEB版と書籍版の違いとして「ユナとサーシャが拳闘の練習を経てお友達に」「王者ノエルにルークがご挨拶済み」などの点も踏まえた内容になっています。ご承知おきください。
ある日の午後、猫が回転寿司で豪遊する夢から目ざめると、目の前では見知った美少女二人が殴り合いをしていた。
……喧嘩ではない。拳闘の練習である。
えぇ……怖……
「……あ。ルークさんが起きました……」
「むしろこの状況でよく安眠できたよね……」
ここは拳闘の練習場。
俺はリルフィ様に抱っこされており、お隣にはクラリス様が。そしてベンチを寝台に、クラリス様のお膝を枕にして、ピタちゃんがすやっすやであった。すやっすや。もうほんとにすやっすや。完全に熟睡……
そしてリルフィ様のお隣には、座った状態でバカでっかいダンベルをゆっくり上げ下げする絶対王者ノエル先輩もいた。ダンベルカールというやつである。
「ふふっ、ルークさん、ほんとによく寝てたねー? ゴングの音でも全然起きないし。そんなに疲れてたの?」
上腕二頭筋と背筋をクッキリ浮かびあがらせるノエル先輩は、完全に強者の風格……外見は美少女なのに体型がアスリートで本質が益荒男である。ヨルダ様が「武器なしで戦ったら俺でも負ける」と言い切ったのは記憶に新しい。
目元を擦りながら、寝起きの猫は応じる。
「さほど疲れてはいないのですが、いろいろ一段落した反動で、気が抜けたのかもしれません……私、どのくらい寝てました?」
「えーとね。6ラウンドやって、十五分休憩して、いままた6ラウンド目で……」
「ルークは休憩時間が来る前に寝ちゃったから……四十分ぐらい寝てたのかな?」
つまりリング上のお二人は、休憩を挟みつつも一時間ほどスパーリングをやっている計算になる。
そこで対戦しているのは、うちのメイドのサーシャさんと拳闘士のユナさん。
つい昨日、クロスローズ工房で『王都から帰る前に、また一緒に練習していきませんか?』と誘われたため、こうしてペット同伴でお邪魔したわけなのだが……
サーシャさんがとても……本当にとても楽しそうだったので、あえて突っ込まなかったのだが、この方達は「友達と楽しく遊ぶ=ボクシングの練習」と勘違いしている節があるな……? ある意味、似た者同士なのは間違いない。彼氏が苦労人という変な共通項まである……
ちなみに現在、こちらの練習場にいるのは我々のみ。
午後からは他の練習生も来るようだが、午前は貸切にしてもらったようだ。
リング上でバチバチなお二人は「今のうちに思う存分!」というわけなのだが……そんな状況で、猫は居眠りをしてしまった。
いや、最初は元気に動くお二人を微笑ましく眺めていたものの……リングを蹴る、タンタンッというステップの小気味よい足音がちょーどいい環境音になってしまい、そこにリルフィ様の体温&撫で技能まで加われば猫は即オチであった。
リング上のユナさんとサーシャさんは、共に汗だくで呼吸も荒い。なのにとても楽しそうで、どっちも生き生きとしている……ユナさんはともかく、サーシャさんがあんなに楽しそうなのはびっくりだな?
「途中でノエル先輩と交代しなかったんです?」
「んー。今日はユナに譲ろうかな、って。一昨日の試合で、なんか掴めたみたいなんだよね。その確認も兼ねて、スパーしながら相談したがってたから――今日の私は完全にゴング係。そうはいっても、ラウンドの区切りもあってないようなもんだけどね」
なるほど。
確かにリングの上では、ラウンド中でもたまに足を止め、お互いに会話しながら姿勢を確認したり、打撃の軌道を見せ合ったりしている。さすがにずっと動きっぱなしではなかったらしい。
それでも大した運動量なのは間違いなく、広い練習場全体がなんとなく汗で湿っぽい。
砂時計が落ちきったところで、ノエル先輩がダンベルを置き、ゴングを鳴らした。
「はい、6ラウンド目、終わりー。おつかれさま!」
その合図で、リング上のお二人はもつれあうようにしてロープに倒れ込み……そのままずるずると揃って座り込んだ。
「……す、すみません、ユナさん。さすがに足が限界で……」
「あはは……実は私もです。無理させちゃってすみません」
互いの健闘を称え、グローブをはめたままの手で相手の肩を叩く。
殴り合いといってもマススパーなので、ガチで打撃を当てていたわけではない。今日の練習はステップワーク――足さばきや体重移動に重点を置いたものだったので、どちらも足は酷使しているが、体にパンチの痕などは一切ない。ガードに使った腕はちょっと赤くなっているが、その程度である。
ピタちゃんの頭をベンチ側にずらしてクラリス様が立ち上がり、ノエル先輩と一緒にリングサイドへ歩み寄る。リルフィ様も俺を抱えてその後に続いた。
「二人とも、お疲れ様。はい、お水」
「あっ……ありがとう、ございます――クラリス様」
「うわ、わざわざすみません。いただきます!」
クラリス様が水差しからコップへ水を注ぎ、二人へ差し出す。
でっかいグローブのせいで掴みにくそうだが、二人とも両手で挟むようにして、これをごくごくと一気に飲み干した。
水分補給は大事なのだが、試合中のインターバルにはあまり飲まない。口をゆすいだり、少しだけ飲み込むことはあるものの、一気に飲むとダメージを食らった時に吐く羽目になるとか……
もちろん試合終了後ならこの限りではない。そもそも大量の汗をかいているので、本当はポ◯リとか電解質系の飲み物を用意してさしあげたいが……アレはアレで糖分多いしなぁ。
なお、前世のボクシングでは体重を減らすために、時期によっては水すら制限されることがあったようだが――こちらの世界では、打撃力が体重よりも体内魔力の扱いによって左右されるため、細かな階級分けが存在していない。したがって減量という概念もない。
一応、男子のほうには「重量級」と「それ以外」の区別はあるのだが、体格差がさほど大きくない女子のほうにはそれすらなく――事実、現役の最強王者たるノエル先輩の身長は平均的である。
体が大きいほうがリーチも長く有利なはずだが、前世と違って、これは「他の要素でひっくり返せる差」なのだ。
二杯目の水を飲みながら息を整えて、お二人が反省会を始める。
「サーシャさんのステップワークは、やっぱりスタミナの消費が激しいですよね……でも、練習でやる分には足腰の鍛錬になりますし、試合中の奇襲としてはすごく使えます。タイミングは考えないといけませんし、私だとサーシャさんみたいに多用はできませんが――」
「いえ、私がこれを回避や防御にずっと使っているのは、そうしないとユナさんの圧力をさばけないからなので……必要に迫られての苦肉の策ですから、打たれ強くて一撃が重いユナさんなら、ピンポイントで使ったほうが確かに効果的だと思います。先日の試合でもお見事でした」
いつになく口数の多いメイドさんを見て、我が飼い主クラリス様も嬉しそう……これもう保護者の目線だな?
俺もリングの端で「ぐいーん」と伸びをしながら、会話に加わる。
「でも、サーシャさんのフットワークって、ノエル先輩には通じなかったんですよね?」
ノエル先輩が首を横に振った。
「や、それは私が追っかける側だった場合、手数をかければどうにか捕まえられるっていうだけの話で……奇襲に使われたら普通に怖いよ? 私だってずっと集中力が続くわけじゃないし、相手の選択肢が増えたらその分、対応に手間取るのは間違いないし。あと、サーシャさんのパンチは威力が弱めだから食らっても耐えられそうだけど、ユナにフェイント込みでクリティカルもらったらさすがに……ねぇ?」
「いいことを聞きました。頑張って練習します」
ユナさんが笑って気合いを入れ直す。
それでもまだまだ越えられない壁、ということは彼女も自覚しているのだろう。だが、「実力差が大きい」ことが、「自分の歩みを止める」理由にはならない。ユナさんはそれをよく知っている。
「しかし、お二人とも元気ですよねぇ……私なんてうっかり居眠りをしてしまいました」
猫が毛繕いをしながら苦笑すると、我が主、クラリス様が「フム」と唸った。
「……ルークはもしかして、運動不足気味じゃない? 体型は拾った時から変わってないと思うけど、ウィンドキャットに乗って移動することが増えたし、王都では私かリル姉様が抱っこすることが多いし……」
……それはルークさんが目を逸らしていた不都合な現実である。
実際、普通の猫さんと違い、荒ぶって真夜中の運動会をやらかすこともないし、最近はキャットタワーへの上り下りすらウィンドキャットさんに頼ることが多いし……
「……そうですね。リーデルハイン領では日々の農作業がありましたが、王都ではそういう作業もないですし……」
リルフィ様までちょっと心配そうなお声。猫の太り過ぎは不健康であるし、そもそもルークさん、猫にしては割とガタイが良い……手足は短いが頭がでかい。
「しかし、運動といいましても……二足歩行でウォーキングすると、びっくりされてしまいますしねえ」
猫の運動というと……猫じゃらしにじゃれつくとか、毛糸玉と戯れるとか、ぬいぐるみをギタギタにするとか、そういう感じだろうか?
「あ!」とノエル先輩が手を叩き合わせた。
「ルークさん、ちょっと待ってて。いいものとってくる!」
さては猫じゃらしか? 残念ながら、ルークさんにはあんまり狩猟本能がなくてですね……クラリス様やリルフィ様への猫アピールのために付き合うと、「明らかに動きが鈍い」という実感がある。お二人は優しいので何も言わない。
ノエル先輩は、すぐに更衣室から荷物を持ってきた。筒状に丸めた布で……ポスターではないな? 敷物?
「これね、遊び感覚でバランスや体幹を鍛える時に使うんだけど……」
ノエル先輩がリング上に広げたのは、赤青黄緑の、四色の丸を規則的に配したシート。
付属品として、ルーレットのよーな小物もある。盤面は右手・右足・左手・左足の四分割で、それぞれに区画が四色ずつ色分けされており――
ルークさんこれ知ってる……「ツイスターゲーム」だ……!
クラリス様とリルフィ様は初めて見たようで、不思議そうなお顔をしている。
「あれ? ルークさんはもしかして知ってる?」
「知ってはいますけど……いえ、あの……これ、猫には無理では?」
俺の手足の短さを舐めてはいけない。
ノエル先輩はニヤニヤ笑いで猫を抱えた。にゃーん。
「ルークさんは特別ルール! クラリス様と二人一組でいいよ。どっちかが指定の色を押さえられればOK。ルークさんだって、隣り合った色なら対応できるだろうし、猫なんだから体も柔らかいでしょ?」
ふむ……それだと猫さんが有利すぎる上に、たいした運動にはならぬ気もするのだが……しかしクラリス様が「興味しんしん」で目をキラキラさせているので、ペットとしてチャレンジせぬわけにはいくまい。飼い主の意向はすべてに優先される。
「手のひらと足の裏以外が接地したら負けなんですよね?」
「そうだけど、ルークさんの体毛は判定外にしてあげるね。私らも髪が触れたりはあるし……あと、対戦相手に押されて転んだ時もノーカウント。まずは私と、クラリス様、ルークさん組で対戦ね! リルフィ様はルーレット(※正式名称はスピナー)をお願いできますか?」
というわけで、このゲームを知らぬリーデルハイン勢に簡単なルールの説明。
ユナさんとサーシャさんはまだ休憩中なので、汗を拭きながら初戦は応援となった。
ノエル先輩対クラリス様+猫という変則的な三人戦となったが、立ち位置は三人戦の慣例に則り、ルークさんが上端中央、お二人が左右の端に陣取る。
ツイスターゲームは前世において、一家団欒の定番ゲームであったと同時に、ルール上、男女でも密着が起きやすいため、リア充どものパーティーゲームとしても一定の人気を博していた。
一方でプレイヤーが酔っ払った野郎どもしかいない悪夢のツイスターゲームという概念もあり、ルークさんがやったことがあるのはコレだけなのだが……今の俺は猫さんなので、女の子と遊んでいてもリア充というよりただのリア獣である。密着にしても、いつも抱っこしていただいてるから正直いまさら……
「ええと……最初は、右手を緑に、ですね」
リルフィ様の指示。
これは全員、問題なく届く。ただしクラリス様がぐっと体をひねる体勢になりそうだったため、クラリス様を温存して俺が右前足を緑の丸に置いた。
「次は……左足を赤に」
む。赤は俺から見て反対側である。右手を緑においてしまった以上、どう足掻いても絶対に届かない距離!
ゆえに、ここはクラリス様に頼る。
こんな感じでゲームは進んでいき――
数分後。
「ぐおお……! ふぐうぅぅっ!」
「……ルーク……猫がだしちゃいけない鳴き声になってるよ?」
「くっ……! クラリス様も粘りますね! 私、けっこうこれ得意なはずなんですけど!?」
……亜神と拳闘の絶対王者は、幼女相手に敗北の危機に瀕していた。
いや、俺とクラリス様はグループ戦なのだが! このまま進めば我々の勝ちといえるのだが!
それはそれとして俺個人がピンチである!
いつの間にか! 背面姿勢で! 猫がブリッジしてる!
「尻尾はノーカウントで良いです」というノエル先輩の慈悲により、尻尾を支えにしてどうにか耐えているのだが、割と限界である!
「えっと……次は、右手を赤にお願いします……」
「ほあ!?」
「マジですか!?」
猫とノエル先輩が悲鳴を上げる中、クラリス様は優雅な手つきで指示通りに動く。先程からスピナーの出目がクラリス様に有利すぎるのだ! 途中でちょっときつい体勢になることはあったものの、その少し後にだいたい楽になる出目を引くという奇跡が重なり、現状に至っている。
一方、俺のほうは届く範囲で頑張ってきたはずなのだが……気づいたら追い込まれていた。
いや、「同じ色のところに手足が置かれていた場合でも、再指定の場合は別の丸に移動しないといけない」とか「すでに誰かが手足を置いている丸には移動できない」とか、けっこう細かなルールもあってですね……?
そして我ら、飼い主と猫コンビを相手にして、明らかに不利なルールでここまで善戦したノエル先輩であったが……その命運は今、遂に尽きようとしていた。
「うああー! 無理ぃー!」
筋力的には耐えられても、関節の稼働限界はどうにもならぬ……
限界に達したノエル先輩の顔が、俺の腹にモフッとのしかかる。この期に及んで猫吸いを狙ったわけではあるまい……今のは明らかに不可抗力である。
俺も一緒に潰れて「むぎゅ」となったところで、勝者クラリス様がくすくすと微笑んだ。
「おつかれさま、ルーク。ノエルさんも、最後はルーレットの運が悪かったですね?」
「すごいですよ、クラリス様! ハンデつきのルールとはいえ、うちの絶対王者に勝っちゃうなんて!」
途中からハラハラと見守っていたユナさんが、興奮してクラリス様に抱きつきながら讃える。
サーシャさんも感心したように何度も頷きつつ、こちらはノエル先輩に手を貸して助け起こした。
しかしノエル先輩は、立つことなくそのままうずくまり、リングに額を押し付ける。
「うぅ……負けた……これが……これが敗北の味……ッ」
そんなおおげさな。
「……いや、あくまでツイスターゲームですからね? ちょくちょく負けてるんでしょう?」
リルフィ様に抱えてもらいながら俺が問うと、ユナさんとノエル先輩が顔を見合わせ――
「……私の知る限りでは……初めてですよね?」
「子どもの頃、お母さんには負けたことあるけど……ここ数年は無敗だったかな?」
……ガチ勢だったか。
かくしてクラリス様は、変則ルールながら絶対王者に(ツイスターゲームで)土をつけるという大金星をあげた。
その後、リルフィ様VSサーシャさんというやや無謀な一戦は、案の定、リルフィ様があっと言う間に敗北……
そして起きてきたピタちゃんと俺が組んで獣コンビでユナさんに立ち向かったのだが、ピタちゃんがウサギ状態だったためにいろいろ無理があり、こちらも敗北……というより、ピタちゃんに俺が押しつぶされて一緒に自滅した。こういうゲームはね……やっぱり獣には不向きですよね……
最終決戦はクラリス様、サーシャさん、ユナさんの三つ巴となったが、激戦のさなかに午後の練習生が来てしまい、残念ながらタイムアップでお開きとなった。
ユナさん達と別れて練習場を去り、我々は王都を歩く。ピタちゃんは目立つので先に猫カフェへ入ってもらった。
「ふふっ、楽しかったね、ルーク?」
ご機嫌なクラリス様を見られて、ペットは感無量である……
「……私は、運動不足を実感しました……」
……リルフィ様は、領地に戻ったら一緒にウォーキングとかはじめましょうか……? 飼い主のお散歩もまた、ペットの役目と言えなくもない。
サーシャさんはいつもの涼しいお顔で、
「今度はクロード様もお誘いしたいですね」
とのことであったが、たぶんそれは精神力への拷問と同義だからやめて差し上げて? せめて二人っきりの時とかにして?
その後、キャットシェルターの備品として、猫でも遊びやすいサイズに変更できるツイスターゲームが実装されたのは言うまでもない。
そこで繰り広げられる猫魔法の猫さん達と俺との名勝負の数々については……いずれまた、機会があれば紙幅を割くとしよう。
(※割きません)
「猫のツイスターゲームを見たかった」というだけの、そんなお話……(ΦωΦ)




