23・リルフィ先生の催眠授業 〜魔族編〜
「Oh……NiceBoat……」
「……? ボートが……お好きなのですか……?」
リルフィ様宅のテーブルに置かれていた、小さなボートの模型を見て……俺はつい、妙なことを口走ってしまった。
偶然だからね偶然。関係ないから。示唆とか暗喩とか予兆とかそういうんじゃないから!
リルフィ様はきょとんとされている。ほんとかわいい。再会系幼馴染かな?
「なんですか、この模型?」
「ああ……先程、お風呂工事の木工職人さんが、打ち合わせにいらして……浴槽は作ったことがないとのことでしたが、水に強い木材が必要なら、ボート用のものが使えるのではないかと……それで木材と防水塗装の見本として、こちらの模型を置いていかれました……子供用のおもちゃだそうです」
ほう。
簡素ながら帆が張ってあり、舵までついている。なかなか要所を押さえた模型だが、何より縦横の幅がほぼ黄金比、即ち長さ6:幅1になっているのがいい。件の木工職人さん、船大工の経験もあるのだろうか? 次来たらこっそり物陰から見ておこう。
「職人さんへの対応は、リルフィ様が?」
「…………………………いえ。ほとんど、クラリス様とサーシャが……」
聞くまでもなかったか……
……本題に入ろう。
「……魔族と魔王軍について……ですか?」
「はい。ちょっと精霊さんから小耳に挟んで……どういう人達なのかな、と」
リルフィ様はしばらく首を傾げた後、柔らかな胸元に俺を抱えた。
…………ルークさんは紳士である。
紳士はここで逃げ出すべきなのだが、逃げると、その……リルフィ様のハイライトさんが、容赦なくストライキを開始する……数回の経験に学んだ。
助平心が0ではないのが酷く心苦しいのだが、何よりまずハイライトさんの労働環境を守りたい一心で、ルークさんはこの状況を受け入れる――
そしてリルフィ様は、俺の喉や背中を柔らかく撫でながら、やけに楽しげに話し出した。
「……そうですね……私も、さほど詳しいわけではありませんが……魔王軍は、はるか西方に拠点を構える、魔族を中心とした勢力です……国家……というほどの規模ではないのですが……その戦力ゆえに、不可侵の存在として、近隣国では恐れられています……」
「見た目は人間と変わらないのですか?」
「……翼を生やしたり……爪を伸ばしたり……そういった変化は可能らしいですが、概ね、人型と言って良いかと思います……一説には……彼らは、数百年前に滅亡した、魔導王国の生き残りと言われていまして……」
リルフィ様の説明を要約すると、以下のようなものだった。
そもそもの「魔族」とは、その「滅亡した魔導王国」における、ある人体実験の被験者達だったらしい。
彼らが行っていた実験とは、「人工的に“亜神”を作り出す」こと――
不老不死に近い長い寿命を持ち、強大な魔力を駆使して様々な魔法を操る、神にも匹敵する存在、“亜神”――
結果的に、その実験は半分くらいまで成功した。成功してしまった。
そして、強大な力を得た被験者達は反乱を起こし――魔導王国をあっさりと滅亡させ、西方の僻地に拠点を設けた。
これが魔族、及び魔王軍の始まりである。
いわば「亜神のなり損ない」という扱いだが、それでも人間風情が敵う相手ではなく、近隣国は“不可侵”という策をとるしかなかった。
ちなみにこれは「相互不可侵」ではなく、魔族側は人間側の領地でいくらでも悪さをできる。しかし人間側は、「彼らを怒らせない」よう、何も手出しができないという状況だ。
「つまり、魔族も元は人間なんですね」
「はい……ですから、人との間に子供を作ることもできるそうです……ただし、子供を作ると……その子供が親の魔力を全て受け継ぎ、親は魔力を失ってしまうとか……この特性のせいで、強い魔族はその数を増やせません……」
このあたりはステラちゃんからも聞いた通りだ。
魔力を受け継いだ長子は“純血の魔族”と呼ばれ、この人々が魔王軍の中枢にいるらしい。
その数は定かでないが、多くても十数人程度――なるほど、微妙な数字である。
また、長子以外の子供も、親から魔力を受け継ぎはしないものの、自身の才としてそこそこの魔力を持って生まれるらしく、彼らも「魔族」の一員として扱われる。こちらも数は多くない。
「その、“あまり強くはない魔族”が火種になりやすく……彼らはつまり、純血の魔族の弟や妹、その親戚筋にあたります。ただの人間と勘違いした盗賊などが、彼らを傷つけたり、あるいは害した場合……その報復として、過去には街や国が吹き飛んだこともありました……」
ヒエッ。
なるほど、魔族の怒りを買うっていうのは、そういう事態か……
「また、魔王軍と取引をしている商人や、友好関係にある人間などもいまして……彼らに危害が及んだ場合にも、報復が行われる場合があります……」
「報復の規模はさておき――そういった理由で動くとなると、意外に義理堅いのでしょうか?」
「いえ、義理堅いと言っていいのかどうか……身内には甘いそうですが、他人に対しては冷酷で、近隣に対する略奪なども珍しくはないそうです……現地では天変地異のようなものと諦めて、逆らわずに受け入れているようですが……」
あー、そういう“魔王軍”らしい一面もちゃんとあるのか。
リルフィ様はやはり物知りである。知力Bは伊達ではない。
「だいたいわかりました。でも、そうした“近隣への報復”であれば……こちらまで戦火が飛び火する可能性は低そうですね」
リルフィ様が、ちょっとだけ困った顔をした。
「……それが……多くの魔族は“転移魔法”を使えます……地脈を通じて、世界中の様々な場所へ、瞬時に移動できる特殊な魔法です……魔族の報復は……決して近隣の国だけでなく、他国も含めた“人間社会”そのものに対して行われますので……」
悲報。ルークさん、手汗がすごい。
「…………つ、つまり……運が悪いと、ここでも巻き込まれる可能性が…………?」
「もちろん確率は低いのですが、有り得ることです……それと、魔族による被害には……もう一つ、とても厄介な問題があります……彼らは……滅ぼした場所の、“統治”をしません……腹いせのように破壊だけして、後はそのままです……」
俺は首を傾げる。それの何が厄介なのか、ちょっとよくわからない。
「それは……魔族の支配を受けずに済むのなら、むしろ良いことなのでは……?」
「……そう考える方もいます……ですが、実際には……その土地を巡って、今度は近隣の人間達が、領土争いを始める例が多いのです……」
……絶句した。
そりゃそーだ。
国際的な取り決めなんかもあんまりなさそうなこの世界、獲物と見れば食らいつくのが生き残るための定跡である。
防衛力の落ちた土地をかすめ取る、あるいは保護の名目で傘下に組み入れる、他国の土地ならば侵攻の足がかりにし、自国の領土なら早期に安定させる――そういった様々な思惑によって各所から投入される戦力が、結果として戦禍を拡大させる。
思わず眼を見開いてしまった俺を抱え直して、リルフィ様が耳元で囁いた。
「……魔族の侵攻――歴史を紐解けば、その本当の危険は、魔族が去った後に訪れるとさえ言えます……理由は様々です。周辺貴族の領地争いを経て、戦力の均衡が崩れ、他国からの侵略を招いたケースもあれば……穀倉地帯を失い、他国を侵略しなければ、もはや餓死するしかないという所まで国が追い込まれてしまった例もありました……小規模だったはずの乱が拡大し続け、その後の数年で国が崩壊したこともありますし……侵攻の影響、その全てを把握している人間など、誰もいないでしょう……」
リルフィ様の悩ましげな溜息が、頭の横を通り抜けた。
「魔族の侵攻は、泉に投げ込まれた石のように、周囲へ大きな波紋を広げてしまうのです……実のところ……このリーデルハイン家も、無関係ではありません。先々代……つまり私のひいお祖父様の代に、このネルク王国も魔族による襲撃を受けました。それで国力を落としたと同時に、他国からの侵攻を受け……この時の防衛戦で戦功を立てたひいお祖父様が、男爵の地位を授かりました……そしてその後のお祖父様の代で、別の功により陞爵して子爵となり、王からこの土地を授かったのです……」
ほう。ライゼー様はまだ三代目だったのか。
「……リーデルハイン家は、魔族のおかげで貴族になったようなもの……などと言っては誤解を招きますが、間接的にはそうなります……もしも魔族の侵攻がなければ、他国の侵攻も起きず、ひいお祖父様が手柄をたてる機会もなかったでしょうから……」
リルフィ様の口ぶりを聞く限り、新興の貴族は概ね、そうした混乱の中で武勲を立ててきたのだろう。
裏を返せば、それは――
「……魔族による戦乱を、“成り上がるチャンス”と捉えて、歓迎する者もいる……ということですか?」
「……自分が死ぬ可能性も含めて、そこまではっきり言い切れる方は少ないと思いますが……全くいないとは申せません……“隣の領地が襲われてくれれば”くらいに期待している貴族は、そこそこいるはずです……」
いやな話である。
俺はそういう漁夫の利みたいな話には飛びつきたくない。やるなら防衛戦だ。
たぶん、この家の開祖となったリルフィ様のひいお祖父様、つまりライゼー様のお祖父様も、そういう方だったんじゃなかろうか。だから国を守る防衛戦で奮戦し手柄を立て、結果、男爵の地位を賜ったのだ。
ちなみにこの世界における「男爵」の地位は「一番下の貴族」だが、感覚的には「町長」とか「村長」クラスと考えていい。
領地は持たず、公爵や伯爵、子爵の領内で一つの町や村を預かり、そこの長を務めるのが男爵である。もちろん全ての町長や村長が男爵というわけではなく、「男爵を長とする町や村」は、その近隣で一目置かれる中心的な存在となるらしい。
ライゼー様の領地はさほど広くないため、配下の男爵はいない。というか、子爵領に男爵がいる例自体が少なく、大概はもっと偉いお貴族様……公爵、侯爵、伯爵領にある町や村を治めている。
またそれとは別に、王都に住む男爵も多い。
彼らは町や村の長ではなく、政府の官僚として働いており、職としてはむしろこちらのほうが人気が高いとか。便利な都会に住めるし、子供を王都の士官学校などに通わせやすく、また上級貴族とのつながりも作りやすくなる。
この「上級貴族とのつながり」がとても大事で、運良く婚姻どうこうという話になれば一気に勝ち組だ。
ライゼー様はあまりそういうコネ重視のタイプではない。
仮にそういうタイプであれば、「クラリス様をどっかの大貴族様の嫁に!」みたいな画策をしていそうだが、むしろ「嫁になんて行かなくていい! 婿をとれ!」くらいの勢いである。
クラリス様かわいいからね仕方ないね。
……決して「娘を怒らせると将来(自分の老後)が怖そう」とか、そんな防衛本能が働いたわけではないだろう……ないと信じたい。
話が盛大にズレた。
つまり「男爵くらいの地位を狙う者」、また「男爵から上に行きたい貴族」などにとっては、戦乱は「好機」になってしまう。
俺ももし人間として転生していて、野心に溢れていて、しかも義侠心とかそういうのを色々持ち合わせていたら、「よっしゃ、一旗あげてやろう!」となっていたかもしれない。
しかしルークさんは猫。
惰眠を愛する紳士な猫である。
現在はリルフィ様の向上しつつある撫でスキルにめろめろであり、話を聞きながらゴロゴロと喉が鳴っている。
いかん……眠くなってきた……
暖かい……やらかい……いい匂いしかしない……加えてリルフィ様の囁くような、子守唄じみたウィスパーボイス……
しかし話を振った手前、まさかここで眠るわけには……
「……ふふっ……ルークさん、なんだか眠そうですね……? 少し、休みましょうか……」
リルフィ様が俺を抱えたまま、隣室へ移動する……
あっ。だめだ、これ。紳士にあるまじき状況へ持っていかれようとしている……
さっき泉の傍でさんざん寝たのに、まだ眠いとかどういうこと? 催眠? リルフィ様もしかして遂に催眠術マスターした?
「ちょっとだけ……お昼寝しましょうか……」
ぽすん、と揃ってベッドに沈む体。
いい感じにモフられるルークさん。
リルフィ様がそのご尊顔を俺の頭に押し付け、毛並みを堪能しておられる。
もふもふ……もふ……
……逃げられない!
なんかもう、魔族のこととかどーでもよくなってしまったわけだが、今日のこの情報収集は決して無駄ではなかった。
実はこの時――既に「魔族」の足音は、このリーデルハイン子爵領へ、刻一刻と近づいていたのである。
俺がその事実と直面するのは、まさにこの日の夜。
一の月が夜空の真ん中へ差し掛かり、お月見をしながら、ぼんやりと一杯やっていた時のことだった。