219・猫縁奇縁
オーガス・ペシュクにとって、ラズール学園での生活は、暗く淀んだものになるはずだった。
偏見や陰口にさらされ、友人もできず、領地経営に必要な知識をただ詰め込むだけの孤独な日々――少なくとも彼は、そうなる覚悟をした上で入学したはずだったのだ。
なのに、今。
「あはははっ! ほ、本当ですか? 焼き魚とオルゴールに反応して、猫達が踊りだしたって……」
「いやもう、同族の私のほうがびっくりしました! こう、後ろ足で立って前足をゆらゆらと振って――」
「ふふっ、ルークさんもリズムとって反応してたよね?」
「あの猫寄せの踊りは、クロム島に伝わる伝統芸能です。でも猫が一緒に踊り出すほどの踊り手は私達ぐらいですね」
「ちなみに二人一緒じゃないとああはならないよ! 一人ずつだと、猫さんが普通に寄ってくるだけ」
ポルカ、マズルカの双子は快活で話し上手だった。息の合った双子のボケとツッコミまで駆使し、その場の雰囲気を自然と和ませてしまう。これは猫も寄ってくる。
現に夕食後の今は、ルークの「同族」らしいぬいぐるみのような猫達がそこかしこにあらわれ、この場の面々に懐いていた。
オーガスの膝上にも、もちろんいる。名著『クロム島のスパイ』の挿絵にも出てくる、カーゼル王国の伝説的な諜報部隊、「シノ・ビ」とよく似た黒・緑・赤のそれぞれの衣装を身にまとった、三匹の猫である。
それぞれ「松猫・竹猫・梅猫」さんというらしい。
ルークの忠実な家臣とのことで、登場した時は片膝立ちだった。猫がそのポーズできるんだ……と、ちょっと動揺したのはここだけの話である。
夕食は、初めて見るものばかりで驚くほど美味だった。ネルク王国の郷土料理……ではなく、主にルークの故郷の料理だったらしい。
こちらの食事と共通するもの――揚げ芋とかパスタなどもあったが、味の決め手になっていた『トマト様ソース』『ケチャップ』『バロメソース』などはまったく未知の味で、甘酸っぱくて風味が濃く、活力が湧いてくる不思議な料理だった。
オーガスは特に「オムライス」というものが気に入った。
麦の胚乳部分に良く似た柔らかく粘り気のある穀物を、ケチャップで味付けし薄焼きの卵で包んだ美しい料理で――これをスプーンで切って口に入れた時には、思わず感嘆の声を漏らしたものである。
ルークは、これらの料理に使った『トマト様』という野菜をこの世界に広めたいらしい。
「そのためにホルト皇国へ来たのですか?」と聞けば「いえ、そういうわけではないんですけど……成り行きで……」と、遠い目をしていた。たぶんこの猫、巻き込まれ体質の苦労性である。親近感が少しわいた。
なにより、姿が『猫』というのがすばらしい。言動には猫らしからぬ部分が目立つものの、短い前足で器用に食器を扱う様は愛らしく、思わず見惚れてしまった。
料理はすべてこのルークが用意したとのことで、「調理までできるのか」と驚いたのだが、「……あー。いえ。料理をしたわけではなくて……お取り寄せ? みたいな?」と、曖昧にごまかされた。
クロードから詳しく聞けば、なんと薪や石などを食べ物に変化させられるとのことだが……横で聞いていたルークが肉球を振りつつ、『変化というより、召喚と言ったほうが近そうなんですよねぇ……』と首を傾げていたので、どうやら本猫も自分の能力をよくわかっていないらしい。ちょっと怖いが、猫はかわいいので何をしても許される。
だいたい猫の行動に謎が多いのは今に始まったことではない。オーガスと暮らしている猫達も、よく枕元に虫の死骸などを持ってくるので割と困っている。獲物を自慢しているのか、餌として持ってきてくれているのか、あるいは驚かせて反応を楽しんでいるのか……
いずれにしても、こちらのルークは獲物の代わりに人間用の食べ物を用意してくれるらしい。普通は「飼い主」が「ペット」の餌を調達するわけで、ペットと飼い主の立場が逆転していそうな気もする。
そのルークは今、飼い主クラリスの膝上に陣取り皆と談笑している。
オーガスも楽しい。楽しいがしかし、改めて見回すと――顔ぶれがすごい。
ネルク王国勢はまだわかる。王弟ロレンスを筆頭に、クロードの妹や奥さん、あとは護衛も兼ねていそうな魔導師や女騎士、引率の老いた伯爵……
重要人物が多いものの、「他国からの留学生一行」として違和感はない。
フィオット子爵家令嬢のベルディナ――ネルク王国担当の外交官の娘であり、彼女もこの場にいて不思議はない。
クロムウェル伯爵家の双子の令嬢にも驚いたが、自分も「友人」として招かれたので、こちらもわかる。
問題は二人。
『純血の魔族』、オズワルド・シ・バルジオ。
『当代最強』、宮廷魔導師のスイール・スイーズ。
この二人がいかにもリラックスした様子でこの場にいるのはおかしい。
特にスイールは満面の笑みで、美味しそうに自分用の白米(山盛り)をかっくらっていた。
オズワルドの部下のファルケとか、舌っ足らずの口調で喋るでかいウサギとか、他にも気になる要素はあるのだが、とにかくこの二人が雲の上の存在すぎる。
スイールは役職の都合上、伯爵位を得ている。オーガスも「伯爵家の嫡男」なので、格としてはそんなに違わないという見方も、できなくはないが……
かたや「皇家に重用され、公爵家・侯爵家からも丁重に扱われる宮廷魔導師」、かたや「子爵家、男爵家からも馬鹿にされる落ち目の伯爵家」であり、もはや爵位の云々を口にするのも馬鹿らしいほどの明確な差があった。
正直に言えば、夕食の場に同席するのさえ恐れ多い。
テーブルの上に用意されていた大量の料理が、あらかたなくなったところで――
猫がぽんぽんと肉球を叩き合わせた。
「さて、デザートの前に……オーガス様に、お伝えしておくべきことがあるのです。少々、めんどくさい偶然というか、我々にとってもびっくりな事実だったのですが――」
クロードが小さく挙手した。
「ルークさん。そこから先は、僕のほうから……」
「わかりました! それでは、おまかせします」
猫は頷き、「にゃーん」と鳴いてリルフィの膝上へ移動した。夕食の間は甲斐甲斐しくいろんな席を移動して会話を回していたが、本来はそこが定位置なのだろう。
クロードが真顔でオーガスのほうを向いた。
「さて、オーガス……僕らは昨日、一時間目の交易学初級の講義で、前後の席に座っていたよね? あの時、君が『ペシュク家の人間』だと、僕らは初めて知った」
「……ああ、憶えている。バルカン侯爵家の次男坊が絡んできた時かな……クロード達が振り返って、びっくりした顔でこっちを見ていたから……うちの悪名は他国にまで広まっているのかと、改めて凹んだよ」
つい苦笑いを浮かべてしまう。
かつての当主、ブレルド・ペシュク侯爵は、子孫がそういう扱いをされるだけのことをやらかしたし、血縁者の業を背負うのは貴族の宿命である。オーガスにとって、そのブレルド・ペシュクは「祖父の伯父」という遠い関係だが、親族には違いない。
そして今のペシュク家は、他の貴族から「ああはなるまい」という反面教師のような見方をされている。
クロードが首を横に振った。
「実は、そういう理由で驚いたわけじゃないんだ。ペシュク家について僕らが知ったのはつい最近で……まさか初回の講義で近くに座るとは思っていなくて、あまりの偶然にびっくりした。手っ取り早く言うと……僕らは、ペシュク家に対して反乱を起こした騎士、ラダリオン・グラントリムの関係者なんだ」
オーガスは硬直した。
その言葉の意味を咄嗟には理解できない。
クロードは淡々と話し続ける。
「ペシュク家の人間が入学してくると聞いて、僕らが一番警戒したのは、『素性を知られたら、騒ぎになるかもしれない』っていう点だった。その時は君の人となりを知らなかったし、たぶん『グラントリム』のことを恨んでいると思っていたから……だから、接触は避けるつもりだったんだ。けれど、弓術の講義で君の腕前を見て、考えが変わった。その後で話してみて、昔の親戚がどうあれ、君個人が信頼に値する人間だってことにも確信がもてた。だから……全部、話すことにしたんだ」
クロードがサーシャの肩を軽く押した。それにあわせて、彼女が楚々と会釈をする。
「オーガス様。私の旧姓は『グラントリム』と申します。ラダリオン・グラントリムは私の祖父です。反乱の際に瀕死の重傷を負ったものの、仲間の手引きでネルク王国へ亡命し――十年ほど前に、疫病で亡くなりました」
オーガスはまだ、何も言えない。
四十年前の『英雄』である「ラダリオン」の顔を、オーガスは知らない。当時はまだ生まれてすらいないし、面影などももちろんわからない。
クロードの妻たるサーシャは、怜悧な顔立ちの落ち着いた美少女で、少なくとも『勇猛』という印象ではなかったが……ラズール学園の制服姿もあいまって、そこらの貴族令嬢よりも高貴な気配を漂わせていた。
そんな彼女が『ラダリオンの孫』として世間に知られたら、おそらく大騒ぎになる。ラダリオン生存説の裏付けであり生き証人である以上、その真偽を巡っておかしな争いに巻き込まれかねない。
呼吸すら忘れたオーガスの背を、隣のクロードが軽く撫でた。
「……ごめん、オーガス。突然でびっくりしたと思うけど……今の僕らは所詮、他国の人間だし、四十年前の反乱についても、最近になって知ったばかりだ。サーシャの家名についても、他の人にはなるべく知られたくない。変な目立ち方をしたり、政治的に利用されたりしても困るし――でも、これから交誼を深めていく上で、君に黙ったままなのは不誠実だと思った。僕らが最初の授業直前に『ペシュク家』と聞いて驚いたのは、そういう事情だ」
「それは……その……なんていったらいいか……」
ラダリオンが生存していた、という事実も驚きだし、その子孫がネルク王国にいて、しかも子爵家嫡子の妻として、ホルト皇国へ留学してきたという巡り合わせが信じがたい。
あまりに想定外すぎて、自分がどういう反応をすべきなのかさえ、オーガスにはよくわからなかった。
その時、まるで助け舟を出すように、猫が肉球を掲げた。
「まぁまぁ、オーガス様! 混乱されるのもわかりますが、あんまり深く考えなくていいですよ! クロード様とオーガス様の出会いはあくまで偶然でしたし、仲良くなれたのはお互いの気が合ったからです。結果、今日のお話をするに至りましたが、もしも仲良くなれていなかったら、この事実も明かされなかったはずなので……要するに、『友人として、念のために厄介な秘密を共有した』ぐらいの感覚でぜひ!」
この猫の存在もまた混乱の一因ではあるが、今のオーガスにとってはむしろ、喋る猫よりもサーシャの血筋のほうが衝撃だったので……この助言は助かる。
猫のルークに続いて、サーシャが小さく控えめに挙手をした。
「……あの……少し、よろしいですか?」
性格としては、あまり積極的に口を開くタイプではなさそうだったが――今のこの場において、彼女は当事者である。
皆の視線を集めた彼女は、わずかにたじろいだものの、そのまま凛とした声で話し出した。
「……ブレルド・ペシュク侯爵という方の実像を、私は知りませんが……話を聞いた印象では、その後始末を任されたオーガス様達も、ある意味で被害者なのではないかと感じています。また当人は私の祖父達が倒したようですが、それが『反乱』という形だった以上――いくらその後に英雄視されていたとしても、法的にはこちらもスネに傷を持つ身です」
「そんなことはない」と思わず言いかけたオーガスを、クロードが身振りで制した。
サーシャの話はまだ終わっていない。
「……そして何より、もしもその一件がなければ……私の祖父母がネルク王国へ亡命することもなく、つまり私の父と母とが出会うこともなく、当然、私が生まれることもなく――もちろん父がリーデルハイン家へ仕官することもありえませんでした。僭越ながら、オーガス様も――もしもブレルド・ペシュク侯爵が健在であったなら、御両親が伯爵家を継ぐこともなく、その縁組も変わっていたでしょうし、お生まれにすらなっていなかったはずです。そう考えると、私が当時のことに対する遺恨や怒りを持つ理由はまったくありませんし……むしろお互いに、『今こうして、ここにいられる』ことを、喜んでも良いのでは――という気がしています」
囁くような声音でそう言って――
彼女は隣のクロードと手を握った。その端正な顔立ちに浮いた柔らかな微笑は、まるで絵物語に出てくる美姫のようで、たちまちクロードが赤面して息を呑む。
「……少なくとも私は……今、こうしてクロード様のそばにいられることに、感謝していますから」
人前で突然に惚気られたクロードは真っ赤である。
新婚夫婦だとは聞いていたが、オーガスは状況も忘れてつい噴き出した。
「……ははっ……ごちそうさまです。確かに、サーシャ様の仰る通りかもしれません――先祖の罪は否定できませんが、それに引きずられて今をないがしろにするようでは、家の再興どころか自分の人生すら望めない……」
宮廷魔導師のスイールが、同意するように肩をすくめた。
「だいたいね。罪を犯した当人が贖罪を続けるならいざ知らず……その当時、まだ生まれてすらいなかった君が、そこまで深く気に病むべきことじゃないよ」
食後の茶をすすりつつ、彼女はオーガスに流し目を送る。
「家単位で過去の罪がついて回るのはしょうがない。でも個人レベルでは、『昔そういうことがあった』ことを認識して『同じ過ちをもうしない』ってだけで充分。その上で無関係な君個人を責め立てる連中がいたとしたら、そんなのは手軽に叩けそうな理由に乗っかってるだけの、見せかけの正義に酔ったクズどもだから無視していい。残念ながら割と多いんだけどね、そういう連中」
口調は軽いが、舌鋒は鋭い。
この若さで宮廷魔導師をやっているスイールの人生は順風満帆に見えるが、そうは言っても、足を引っ張る輩がいなかったはずはない。
彼女なりにいろいろと乗り越えてきたであろうことは確かで、この助言もありがたく心に留めておく。
話が一段落したと見て、猫がぽふぽふと肉球を叩き合わせた。見るからに上機嫌である。
「さて! それではそろそろ、今夜のデザートを用意いたしましょう。本日のメニューは『プリン・アラモード』。ほろ苦くも甘いプリンを主役に、色とりどりのフルーツをてんこ盛りにしつつ、生クリームとソフトクリームを添えた華やかなスイーツです。この留学先でできた新たな友人を交え、たくさんの仲間がこの場に集えた喜びを記念して――誠心誠意、錬成させていただきます!」
猫はオーガス達の目の前で、空中に穴を空けた。
「は?」と動揺する間もなく、すぐそばに現れた執事風の猫が、穴の中から大きな袋を取り出す。
傾けられたその袋から食器に注がれたのは、大量の、白い粉末状の……おそらくは「塩」だった。
器に山盛りにされた塩の山は、猫が軽く手をかざしただけで、見たこともない美しい菓子へと変貌した。
盛り付けられたフルーツも、オレンジとりんご、ベリーの類ぐらいはわかるが……明らかに知らないものが多い。
唐突に見せられた猫の手品に唖然としていると、ルークの仲間(?)の猫達によって、菓子の盛られた皿がそれぞれの前に配膳されてきた。
ポルカとマズルカが目をきらきらさせる。
「わぁ! これもおいしそう!」
「ルークさんはいろんなお菓子を出せるとのことでしたが……参考までに、何種類ほど?」
「んー? 数えたことがないのでわからないですが……細かなバリエーションの違いも含めると、ケーキだけで百や二百は超えてきそうです。忘れているものもあるので、思い出すのがちょっと大変なぐらいですねぇ……駄菓子とかお手軽な菓子類も含めると、それこそ四桁の大台にのる可能性も……」
「そんなに!?」
「一日一種類ずつ食べても、数年はかかると!?」
ルークが考え込む様子は冗談に見えない。クラリスやリルフィ達にも驚いた様子はなく、たぶんこの言は真実なのだろう。
「味つけが違うだけ、という例も含めてですよ? ピタちゃんの好きなソフトクリームだけでも結構な種類があります。他にせんべい類で数十種類、和菓子で数十種類、スナックで数十種類、ゼリーで数十種類、チョコレート菓子で数十種類、飴やグミで数十種類、コンビニスイーツにアイスにお土産系の銘菓に酒のつまみに手作り系……ついでにこちらのプリン・アラモードも、店ごとに味やフルーツが違いました。そういう違いまで含めると、やっぱり千種類は超えてきそうですね」
よくわからない単語もあったが、いずれにしてもルークは大層な美食家らしい。
他の面々に倣って、オーガスも『プリン』という黄色っぽい菓子をスプーンですくう。
口に運べば、初めて経験するほどの濃厚な甘みが舌の上で溶けた。
驚いて思わずむせると、膝上にいたシノ・ビ姿の猫三匹が、オーガスの背を撫でたり胸を叩いたり頭を撫でたりとそれぞれに動き出す。猫にしては気遣いができる。
猫を撫でるのではなく、猫達に撫でられるという少しだけ珍しい経験をしながら、オーガスはまた笑った。
クロードが気を利かせて水を差し出す。
「大丈夫か、オーガス? 食べ慣れない食感だから、飲み込みそこねたんだろ?」
「というより、甘くて美味しすぎてびっくりしただけ……いや、もう大丈夫。ありがとう」
受け取ったコップの水をありがたく飲む。
その水は、心の渇いてひび割れた部分にまで優しく染み込むようで――オーガスはつい、嬉しくて泣きそうになってしまった。
§
ルークさんの自己紹介を兼ねた夕食会はつつがなく終わり、オーガス君や双子ちゃん達をそれぞれの住まいへお送りした後――
俺は改めて、クロード様と話し合う時間を作った。他の面々は、それぞれのお部屋で既におやすみ中である。
「オーガス様はこのまま味方になってくれそうですね。ところで今日の昼間、弓術のアークフォート先生という人も見てきました。正直、クロード様が何をそんなに怖がっているのかはよくわかんないんですけど、弓の腕前はすごそうな人でしたね」
さっきまでとはうってかわって、クロード様は浮かぬ顔である。
「……うーん。それはまぁ、ルークさんから見たら、戦力的にはあくまで『人間』の範疇でしょうから、そんなに怖くないのかもしれませんが……なんていうか、『自分の得意分野』での、明確な格上感がすごいというか……」
「いやぁ……ぶっちゃけ、弓の腕もクロード様のほうが上っぽいですよ? 若い頃はどうだったかわかりませんが、アークフォート先生はもう結構なお年ですし、筋力も落ちてきているはずですから」
「体力的にはそうかもしれませんが、気構えが違いすぎます。あの人はたぶん、『戦場』を知っている人なので……それも、かなりの修羅場をくぐり抜けていそうな迫力があるんですよね――」
そんなもんか? 猫にはよくわからぬ。怖いというなら悪霊状態だったカルマレック氏のほうがよほど……
「あ! それとリルフィ様と一緒にいた時に、学園長のマードック氏とも接触しました。彼は学生時代に、カルマレックさんの教えを受けていたそうで……我々がこのお屋敷を改装したことも知っていましたね。いずれクロード様達のほうにも接触してくるかもしれません」
この件はちゃんと伝えておく必要がある。話の内容をかいつまんでご説明すると、クロード様は若干、遠い目になってしまった。
「……なんですかね。留学期間中は、学業以外では割とのんびり、だらっとした感じで過ごすつもりだったんですが……ルークさん。順調に『なにか』のフラグを立てている気がしませんか……?」
「…………決して認めたくはないのですが、同感ですねぇ……」
これもまた、転生者同士の共鳴であろうか……危機意識を共有できる仲間がいるのは喜ばしいが、こういう悪い予感はあまり当たってほしくない。
俺はクロード様とともに、温かいほうじ茶を味わう。
「でもとりあえず、危険な爆弾の解体はある程度、できていると思うんですよ。不帰の香箱とか、グラントリムとペシュク家の因縁とか……スイール様も味方に引き入れましたし、オーガス君や双子ちゃんのようなこっちでの良きお友達もできましたし、順調は順調ですよね?」
「……そうですね。ただ、好事魔多し、とも言いますから……こういう時が一番、油断しちゃいけないな、とも感じています。さっきオズワルド様とも少し話したんですが、政治のほうが少しきな臭いとか?」
それな。
「ええ。留学生とその付き添いたる我々には、本来、関係ないはずなのですが……レッドトマトとの外交、トゥリーダ様の訪問予定などが絡んでくるので、ちょっと警戒しています。でもクラリス様やクロード様達には、このまま充実した学園生活を送っていただきたいですね」
クロード様が心配げに俺の喉元を撫でた。
「手伝えることがあったらちゃんと言ってくださいね? ルークさんはだいたいのことを一匹で解決できちゃいますけど、外向けの顔が必要な事態もあるかもしれませんし――なにより、クラリスやリル姉様も、ルークさんの過労を心配しています」
飼い主から「働き過ぎ」を心配されるペットの猫さん……トマト様の覇道のためとはいえ、あまり良いことではあるまい。
しかしトマティ商会のほうは社員の皆さんが頑張ってくれているのでとても助かっている。年末年始で業務内容や今後の方針の整理、理解も進み、作業員となる有翼人さん達の受け入れ態勢も整った。
現在は工場用のマニュアル製作をお願いしており、俺はちょくちょく顔を出して確認したり修正したり逆に質問したりという日々である。琥珀売却益のおかげでお給金の心配をしなくて良いのも大変ありがたい。
「まぁ、去年の夏から秋にかけてが、異常に忙しすぎただけなので……最近はお昼寝の時間も確保できてますし、突発的な事態が起きない限りは問題ないかと思います」
……人、これを「フラグ」という。
クロード様も「なにかのフラグが立っている気がする」と仰ったばかりだが、水面下で起きている事態というのは、やはり個人では把握しにくい。
そしてその穴を埋めてくれるのが、いわゆる正弦教団のような裏組織なのである。
「念のため、明日はファルケさんやオズワルド様に同行して、ホルト皇国の現在の政治情勢について、基礎的な知識を仕入れてこようと思います。トゥリーダ様のサポートにもなるはずですし……それとクロード様達のほうにも、オズワルド様の影響力を目当てに接触してくる高位の貴族がいるかもしれません。外交的な意味では仲良くしておいたほうがいいので、邪険にするのも難しいとは思いますが……」
「ええ、気をつけておきます。幸い、ベルディナさんにポルカ嬢、マズルカ嬢、オーガスと、助言役は充分に揃っていますし、心強いですよ」
こういう時にもっとも警戒すべきは腹黒美少女によるハニートラップなのだが、新婚ほやほやのクロード様にはこれも通じぬ。さっきもサーシャさんが少しいちゃついただけで真っ赤になってたし、この点は俺も心配していない。これはフラグではなく「信頼」である。
猫が「おやすみなさーい」と告げてクロード様の寝室を出ると、その直後、室内から別のドアを叩くノック音が響いた。
「……あの、クロード様。お話は終わりましたか?」
ドア越しに聞こえたのはサーシャさんのお声。猫が出ていくまで待っていてくれたのだろう。
盗み聞きをするほど野暮ではないので、俺はすたすたと廊下を歩み去る。
ちなみに現在、冬なので……いかに温暖なホルト皇国でも、夜はちょっと寒かったりする。
そしてこれは決して意図したことではないのだが、クロード様のお部屋は何故か暖房が少し弱く、他の方々の寝室より心持ち、ほんの少し、誤差程度にちょっぴり寒い。設計ミスかな?(すっとぼけ)
……昨年、「僕の部屋だけ、なんか寒くないですか?」とクロード様に問われた時、猫は「気のせいでは?」と返したのだが、決して他意はない。ないったらない。人肌でちょうどよくなる具合にわざわざ調整したとかそんな事実はない。
仮にあったとしてもすべてはクラリス様やウェルテル様のご指示であり、猫は悪くない(責任転嫁)
一方、サーシャさんのお部屋の暖房は通常仕様なので、彼女は別に寒くないはずなのだが……「暖房の利きがいまいちで、クロード様が寒い思いをしているみたいです」とはお伝えしておいた。
優しいサーシャさんはそれですべてを察してくれた。逆に「お心遣い恐縮です……」とまで言われてしまったが、ルークさん所詮は猫なのでなんのことだかよくわかんない。
というわけで、夜になるとサーシャさんが暖を提供するべくクロード様の寝床に潜り込むのもごく自然な流れであり、決して良からぬ策謀の結果ではない。だって誰も損してない。
サーシャさんは童心に戻って安眠できるし、クロード様は人肌で暖をとれるし、ウェルテル様はあらあらうふふでクラリス様は「あの二人は、周囲がお膳立てしないとなかなか進まないから……」と達観していらした。我が主……いくらリーデルハイン家の将来がかかった問題とはいえ、割と身も蓋もないですよね……?
クロード様の理性は現在進行系でゴリゴリ削られている可能性もあるが、サーシャさん相手のそれはもうちょいごっそり削っておいたほうが良いぐらいなので、どうかつよくいきてほしいものである(棒読み)
いつも応援ありがとうございます!
感想欄からお知らせいただいたのですが、ニコニコ漫画のほうでコミック版・猫魔導師の第十話(前後編)+第十一話の計三話が更新されていたそうで……!
なぜか原作者まで、コメント欄と一緒に「生きとったんかワレ!?」と動揺しましたが、10/21までの期間限定だそうですので、ニコニコのアカウントをお持ちの方はぜひー。
今後の更新については確認していないのでわかりませんが、コミックポルカの他作品もまとめて更新されているようなので、たぶん更新再開するのかな……と。ちょっといろいろ不明ですが、コメ欄が楽しいので再開は嬉しい限りです。
それから10/15発売予定の小説六巻も、いよいよ表紙が出て通販サイトなどでは予約が始まっているようです。店舗特典等はたぶんないはずですので、ご都合の良いサイトor本屋さんでご購入いただければこれ幸い――むしろこっちに記念SSとかを投下したいのですが、ちょっと多忙で間に合うかどうか……!
発売日まではまだ二週間ほどありますが、ぜひお楽しみにー。




