216・ゆるき猫好きの集い
超越猫さんが以前に言っていた。
「猫力とは、猫への好意や忠誠心を数値化したものである」と――
そんなものか、と当時は聞き流したのだが、「それは果たして相対的に評価できるものなのか?」とか「数字の高低と本人の感覚との間に齟齬があるのでは?」とか、深く考えると気になることが多い。
いろいろ考えた末の推論としては、「個々人の猫力は超越的な存在により数値化され計測されているが、その上で『実際に本人が猫にどう対応するか』などは、数値とは別のそれぞれの性格、思想信条によって大きく変化する」という……
わかりやすくいえば、たとえばルーシャン様、リルフィ様、ソレッタちゃんの三名はそれぞれ猫力が90オーバーであるが、皆様の俺に対する実際の対応とか温度感には違いがある、というお話である。
ルーシャン様は信仰、リルフィ様は親愛、ソレッタちゃんは信頼……若干、信仰も入っているかもしれぬが、まぁとりあえず、みんな「猫好き」ではあるものの、その感情の出力が違うのだ。
ルーシャン様は俺と会う前から「猫」という種そのものを神聖視し、私費で保護施設の運営をしたりと、「猫様の下僕」的なムーブをしていた。猫様ガチ勢である。こわい。
リルフィ様は香水作りの影響か、一般の猫さん達からは微妙に避けられてしまっていたようだが、それがかえって強い憧れの感情を育ててしまったのか、単純に「猫大好き」「だけど相手にされない……」という悪循環に陥っていらした。
そこに俺が「どうも!」と現れたわけで、まぁ、なんちゅーか……今にして思うと当時のルークさんは、心の隙間に付け入る悪徳飛び込み営業みたいな手口だったな……?
そしてソレッタちゃんは「猫そのもの」というより、「集落を助けてくれた猫地蔵様のなかま」っぽい俺個人に対して、興味と信頼を持ってくれている。
まぁ、世間の猫さんはそもそもかわいいので、普通の猫さんも大好きではあるのだろうが、それはそれとして特に俺個人……個獣に懐いてくれている。猫ではあるが、方向性としては「近所の頼れるお兄ちゃん」的なポジションであろうか……幼女に抱っこされて運ばれるお兄ちゃん……? 事案では……?
こうして整理してみると、「猫力90以上」とはいえ、実際の猫に対する関わり方はそれぞれ違うのがお分かりいただけたと思う。
ルーシャン様は推しに全力で貢ぐタイプ、リルフィ様は普通の猫相手にはちょっと遠慮しちゃうタイプ、ソレッタちゃんはこちらを信用して懐いてきてくれるタイプ。
で、オーガス君の場合はどうなのか。
「そういえば学園の敷地内で、猫をちょくちょく見かけるのですが……オーガス様は、猫はお好きですか?」
一時限目の講義の後。
休憩時間にクラリス様がふった何気ない世間話へ、彼はそつのない微笑で応じた。
「ええ、人並みには……特別好きというわけではありませんが」
猫力90が人並みであってたまるか(真顔)
しかし『じんぶつずかん』を見ていないクラリス様とかクロード様達は「へー、そうなんだー」ぐらいに流しておられる。ツッコミたい! 今すぐツッコミたい! その子すげぇ猫かぶってるって! ルーシャン様に匹敵する猫マニアだって!
「猫はネズミを狩ってくれますから、実家ではそれなりの数を飼育していました。こちらにも三匹だけ、連れてきています」
三匹「だけ」という言い回しに若干のヤバさを漂わせているのだが、オーガス君の穏やかな口調と柔らかな笑顔にみんなごまかされている……そこ、突っ込むところだからね? 三匹という数字に対する正しい認識は、三匹「も」であって、三匹「だけ」ではないからね?
だいたい学内猫がいるんだから、ネズミ捕りが目的ならわざわざ実家から連れてくる必要ねぇだろ! っていう……
ここで猫飼いのベルディナさんも会話に加わった。
「うちにもエルマっていうかわいい三毛猫がいるんですよ。まだ二歳なので、やんちゃな盛りで……朝とかよく、私のほっぺをぺしぺし叩いてきますね。『餌の時間だぞ』って」
「ルークはあんまりそういうことしないかなぁ……」
クラリス様がそう呟いたが、ルークさんはね……おなか空いたらコピーキャットだし、お屋敷の料理人、ヘイゼルさんの朝ご飯もちゃんと待てる賢い子だし……こういう「猫あるある」をあまりご提供できないあたりが、俺のペットとして未熟な点である。猛省すべきであろう。
でもクラリス様の安らかな寝顔とかは慈しむべきものなので、無遠慮に起こすのはちょっと……はい。
ポルカ、マズルカの双子ちゃんが顔を見合わせる。
「でもルークさん、めっちゃかわいいよね!」
「そうですね。しかもモフり放題、吸い放題で、肉球も好きなだけ触らせてくれる……まさに神のごとき猫さんです」
神ですからね(ドヤ顔)
なお、ポルカちゃんとマズルカちゃんはオーガス君に自己紹介された際、「えっ!?」と反応したものの……どちらも基本的に良い子なので、当初の偏見を捨て「よろしく!」とご挨拶できていた。
クロード様も疑似ハーレム状態(不可抗力)が緩和されて嬉しそう……同年代で同性の友人というのは、やはり貴重である。
オーガス君が楽しげに微笑む。
「なんだか猫好きの集まりみたいになってしまいましたね。私もいずれ、そのルークさんに会ってみたいものです」
クロード様相手にはお互いに気安いタメ口なのだが、淑女達に対しては丁寧な口調になる。彼はやはり伯爵家の紳士である。
改めて見渡せば、現状のメンバーはなかなか豪華だ。
王弟ロレンス様、リーデルハイン子爵家次期当主のクロード様は、いずれ「国王ロレンス陛下」と「リーデルハイン伯爵家嫡子」になる。
サーシャさんは伯爵家の奥様だし、クラリス様はまだ将来を決めておられぬが、『亜神の飼い主』というお立場だ。
留学生として同行しているマリーンさんも子爵家令嬢だし、ポルカちゃんとマズルカちゃんもクロムウェル伯爵家令嬢、ガイド役のベルディナさんまで子爵家令嬢で、将来はネルク王国担当の外交官……
みんな気安いが、実は周囲から注目されてもおかしくない程度にはセレブなグループなのである。
とはいえ、まぁ……クロムウェル伯爵家は「金持ちだが僻地の曲者」、ペシュク伯爵家にいたっては「零落したかつての侯爵家で、最近流行った演劇のせいで評判が最悪」という、ちょっと難しいおうちではあるのだが……
ついでに我々、ネルク王国勢も、ホルト皇国では一応、「友好国」として知られているものの、別に強国とか主要交易国とかではないので、一般的には存在感が薄い。間にレッドトマト(旧レッドワンド)を挟んでいるのもあって、距離的にもちょっと遠い。
ともあれ、他の生徒から好奇の視線はたまに飛んでくる。
今のところは好意とか嫌悪とかではなく、あくまで「興味本位」の視線なのが救いだが……オーガス君一人だけだったら、ちょっと大変だっただろう。
彼一人が無言でそこにいたら憶測でいろいろ勝手なことを言われてしまうだろうが、クロード様達と和やかに穏やかに楽しげに会話をしていることで、「あれ? 割と普通の人?」という印象が強くなる。
変な噂が独り歩きを始める前の段階でクロード様が彼に声をかけたのは、結果的には良いタイミングであった。今の一行の和気藹々とした様子を学生達に見せれば、第一印象も悪くはあるまい。少なくとも「横暴!」「わがまま!」「問題児!」感はゼロである。
この先、仮になんかあってもクロード様の主人公補正がなんとかしてくれるやろ(ぶん投げ)
「それにしても、クロードのところもわざわざ領地から猫を連れてきたのか。飼い始めてどれくらい?」
「あー……まだ一年経ってないかな……僕は士官学校に行っていたから、当初は知らなかったんだけど、クラリスがうちの敷地で拾ったんだ。それで飼いはじめたっていうか、お世話になってるっていうか……」
「……ん? 『お世話になってる』じゃなくて、『世話をしている』だろ? ペットなんだから」
「……ああ、間違えた。とにかく、猫が嫌いじゃないなら良かったよ。こっちのメンバーは、なんていうか……猫好きが多くて」
「そうなのか。まぁ、そもそも猫が嫌いって人は珍しいよね。特に農業国だと、多かれ少なかれ、猫には世話になってるはずだから……あ、だから『お世話になってる』って言ったのか! 確かにそうだ。ペットとはいえ、むしろネズミ捕りやなんかではこっちがお世話になっている立場だね。それに、寒い時期とかはしっかりあたためてくれるし」
……うっすら見えてきたぜ……ヤバい本音がよ……!
こちらのオーガス君、おそらく世間体を気にして、過激思想(※猫)については対外的に伏せている状態だと思われる。
『じんぶつずかん』を読み込んだところ、ご実家で飼っている猫の数はなんと三十三匹。
多頭飼育で崩壊しているわけではなく、きちんと管理し、見分けもついている状態であり、なおかつ猫専用の運動場やら内庭やらもちゃんと整備されているようだ。
そもそも「一軒の家」で三十三匹ではなく、本邸、牧場、酒蔵、同敷地内の親族の家などをまとめた上での数字であり、そう考えると有り得ない数字では……リーデルハイン子爵家の猫? 俺一匹だけですけど何か?
……まぁ、うちにはセシルさん達、猟犬もいるし、ピタちゃんもいますし……
ともあれペシュク伯爵家の場合、元いた領地を没収されて引っ越して来た際に、新しいお屋敷の建築予定地付近にいた野良猫どもを追い出さず、そのまま保護したのが縁だった模様。
そういう事情なら……まぁ……わからんでもないが……
にこにこと話を聞いていたロレンス様も会話を振る。
「オーガス様の飼っている猫達のお名前は、なんというのですか?」
「こちらに連れてきているのは、エリザベート、ザカリア、ヨハネの三匹ですね」
思ったより仰々しい名前きたな!? もう名前聞いただけで「あ、これは大事にされてるわ」ってわかるやつ……
とはいえクラリス様に名付けていただいた「ルーク」のほうが、可愛くて呼びやすくてエレガントな良いお名前だがな!(ペット的対抗心)
その後も楽しげな猫トークで盛り上がる皆様を尻目に、俺はウィンドキャットさんにまたがったまま校舎を出て、人目につかないところからキャットシェルターへ移動した。
室内ではリルフィ様が、スイール様から預かった研究資料を読んでおられる。そしてピタちゃんがそのお膝を枕にしている。あの……重くないですか……? うちの従者がすみません……
ピタちゃんはすんすんと鼻をひくつかせつつ、俺を振り返った。
「あ。ルークさま。おかえりー」
「はーい。ただいまー」
俺も慣れた足取りでピタちゃんの背中に乗っかり、そのモフみに身を任せた。
リルフィ様が資料を置き、俺の喉元を撫でる。
「おかえりなさい、ルークさん……竹猫さんからの映像で、教室の様子を少し見ていましたが……オーガス様は、素直そうな子でしたね……?」
「はい! 私も後で、自己紹介する方向で考えています。ただ……彼からは、かなりの猫好きの波動を感じました。それこそルーシャン様といい勝負になりそうなほどの……」
リルフィ様は不思議そうなお顔。
「そうなのですか……? 『猫は人並みに好き』ともおっしゃっていましたが……」
「リルフィ様は、自分がどの程度の猫好きだとお考えですか?」
「それは、まぁ……『人並み』かと……?」
猫好きはみんな、「自分は普通程度の猫好き」だと思っている……そんなもんである。
「まぁ……リルフィ様とも近いレベルだとお考えください。オーガス様はどうやら、ご実家でもたくさんの猫を飼っているようです。これは推測ですが……家の事情で貴族の友人ができにくく、幼少期のそんな寂しさを埋めてくれたのが、飼い猫達だったのではないかと――」
両親も揃って、それこそ祖父母の代から猫好きだったようなので、英才教育の賜物とも言える。
リルフィ様は納得顔で頷かれた。
「それでは……確認が済んだようでしたら、お屋敷に戻りますか?」
「いえ。ついでに射場のほうへ行って、『アークフォート』という弓の講師についても確認してきます。その後、学内を少し散歩してみようかと……リルフィ様もご一緒に、少し歩きませんか?」
運動不足はよろしくないので、そうお誘いしてみる。リルフィ様は学生ではないが、クラリス様、ロレンス様達の『警護要員』としての身分証を発行してもらったため、敷地内はもちろん校舎の中まで自由に歩けるのだ。
入学手続きはしていないのでさすがに講義は受けられないが、実はスイール様の内弟子になったので……その立場を使えば見学くらいは容易である。
なお、スイール様の現在の肩書きは「宮廷魔導師」と「特別講師」……講義を受け持っていないのに特別講師である。ほぼ名誉教授みたいな感覚?
「お散歩、ですか……そうですね。お天気も良いですし――」
リルフィ様にはこの調子で、少しずつお外に慣れていただきたい。ある意味、リハビリみたいなものである。
その前に射場へ向かうと、学生さん達が元気に弓を引いていた。
離れた位置にある複数の射場で、それぞれ複数の講師達が監督をしている。目的のアークフォート氏を探すのがめんどくさかったので、サーチキャットさん達に「このあたりでお年寄りの講師を探して!」と指示し、待つことしばし。
(にゃーん)
連絡が来たと思ったら、そこは射場ではなく弓術講師の控室であった。
山小屋のような雰囲気の木造家屋だが、生活空間ではない。人数分の机とか椅子、あとは倉庫や更衣室、トイレなどがあるぐらいで、仮眠室などはなさそう。
待機中の講師は四人ほどで、それぞれなにやら書類仕事をしている。
件の『アークフォート』氏はその中の一人であり……俺はこっそり『じんぶつずかん』を広げた。
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■ アークフォート・ジバル(65)人間・オス
体力D 武力B
知力B 魔力D
統率C 精神B
猫力47
■適性■
弓術A 矢師A 集中A 馬術B
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メガネをかけた、いかにも温厚そうで小柄な老人……クロード様はひどく怯えていらしたが、別に怖くはないな? 俺の感覚も一般生徒に近いということか。
クロード様の勘……というより相性問題かもしれぬが、いざ能力を見れば「なるほど」と納得してしまう。
ご高齢のためか、体力は平均レベル。それでも弓術適性が高いためか、武力Bを維持している。
矢師Aというのは……つまり矢を作る職人さん? 射つだけでなく、矢も自分で作れるのか。
猫力は平均的というか、このぐらいなら「取り立てて好きでもないが、別に嫌いでもない」というライン。あえて俺からのご挨拶はしなくてよかろう。
グラントリム家との関係などは、また後日、精査するとして……
「アークフォート先生、ちょっとよろしいですか?」
同僚の若い講師が、このアークフォート氏に声をかけた。
「はい。なんでしょう?」
「さっき、新聞部から取材の依頼が来てまして……弓術関連ではなく、ラズール学園の昔の話を聞きたいそうです。どうします?」
「はて、昔の話……私はここの卒業生ではないので、講師として着任後のことしか知りませんよ? まあ、それでも三十年近く経ってはいますが……」
「充分に古株じゃないですか。明言はしていませんでしたが、目当てはスイール様の学生時代の情報かもしれませんね」
「ああ、なるほど……しかし彼女、弓術はとっていなかったはずですよ。確か棍術のルナール先生と懇意だったような――」
「ほら、だからそういう情報が欲しいんですよ、きっと。スイール様は噂話が先行してしまって、どこまで本当だかわからない逸話が多すぎますし……あわよくばスイール様と面識のある講師をつかまえて、そこから本人への取材をとりつけたいとか、そんな思惑でしょう」
「えぇ……困りましたな。余計なことを言うと先方にご迷惑がかかりそうだ。その取材依頼、断れますか?」
「問題ないと思いますよ。向こうも手当たり次第に声をかけて、誰か話してくれたら儲けもの、ぐらいの感覚でしょう。断りの返答をしておきますね」
……ふむ。思わぬところで思わぬ情報を入手した。
スイール様は有名人なので、ある程度の好奇の視線は仕方ない。とはいえ、新聞部とやらには警戒が必要か。あとでスイール様にもお知らせしておこう。
さすがにカルマレック邸まで突撃してくることはなかろうが……庭先でうちの子達(警護班)が花札とかやってる光景なんて見られたら、ちょっと、あの……ね?
この間は丸いどんぐりと棒っきれで野球やってたが、よく見たらインフィールドフライとかボークとか申告敬遠とかビデオ判定の概念まであって、なんか、こう……最近の猫(魔法)すげぇな、って……近いうちにナイター設備とかできてそう……
アークフォート氏は書類仕事に戻ったので、俺も講師室を後にする。
適当なところでリルフィ様にもキャットシェルターから出てきてもらい、冬にしてはうららかな日差しの下、のんびりとおさんぽ――まぁ、俺は抱っこされているわけですが、これはリルフィ様の「負荷」としての業務を果たしているだけなので、気にしてはいけない。
俺が元気に二足歩行すると学生さん達にびっくりされるし、四足歩行だとお手々(※前足)が汚れてしまうし……あとリルフィ様が楽しそうなので……はい。
なお、ピタちゃんは「もうすこしねます」とのことで、そのままお部屋に待機。さすがは師匠……
「学園の敷地内とはいえ、知らない土地を歩くなんて怖いはずなのに……ルークさんが一緒だと、安心感がありますね……」
「光栄です! もしも不埒な輩が現れようものなら、この爪にかけてお守りいたします!」
とまぁ、格好はつけてみたが、所詮は猫なのでだいぶ微笑ましい。リルフィ様もくすくすと花のように笑っておられる……尊い……
「ところで……さきほどの、弓術の先生というのは……どのような方だったのですか?」
「まだよくわかりませんが、危険人物とかではなさそうです。弓の腕は良さそうなので、クロード様の良き師になってくれそうですね」
「あの……サーシャの祖父の、戦友だった方なのですよね? サーシャとも引き合わせますか?」
そこですよねー……
クロード様が戦友の孫弟子で、サーシャさんは戦友の実の孫、ということになる。
会わせたら喜ぶだろうし、特に問題が起きるとは思えぬので、流れに任せればよかろう。
「サーシャさん次第ですかねぇ……念のため、後でヨルダ様にも聞いてきます。亡きラダリオン様から、何か言伝とか預かっているかもしれません。私としては……少なくとも止める理由はないです」
むしろ懸念材料は……実はオーガス君とアークフォート先生の関係性である。
アークフォート氏が当時の「反乱」にどう関わったかを読み解くには、これから『じんぶつずかん』を精査する必要があるが……たぶんオーガス君への印象は「かつての敵の親族」であろう。
その事実を、彼がどう捉えているのか。
ルークさんとしてはそっちのほうが気にかかる。当時まだ生まれてすらいないオーガス君に八つ当たりなどはしないだろうが、ペシュク家の家名を継ぐ者に対して、複雑な感情はあってもおかしくない。
さらっと見たところでは――
『現在のペシュク伯爵家に対して含むところはないが、ラダリオン・グラントリムと縁のあるクロードと、ペシュク家の嫡子たるオーガスとが、今の時代に同じ弓術の講義を受講している現状に対しては、奇妙な運命のめぐり合わせを感じている』
……まぁ、そんなところであろう。
なお、オーガス君のほうはアークフォート先生の正体に気づいている。
おうちには反乱前後の詳細な記録が残っており、かつてのラダリオンの部下に「アークフォートというやべー弓使いがいた」ことも把握している。年齢的にも「……あっ」と気づいてしまった。
単なる同名の可能性も考慮はしているのだろうが……名前、年齢、弓術という共通要素は無視できぬ。
このアークフォート氏、騎士団の記録に名が残るほどに優秀な兵だったようだが、ラダリオン様が反乱を起こす直前に騎士団を解雇されており、反乱そのものには加わっていない。ゆえに罪に問われることもなかった。
……ラダリオン様はどうやら、当時「新婚」だったまだ若いアークフォート氏を慮って、巻き込まないようにと逃がしたようだ。
アークフォート氏は反乱後にそれを知り、重体だったラダリオン様をどうにか保護……逃亡中に生まれた赤ん坊のヨルダ様も連れて、ネルク王国への亡命を支援したという流れである。
ちなみにこの亡命には、ネルク王国担当の当時の外交官、「フィオット子爵家」の先代当主も関わっており……数年後、幼少期のリスターナ子爵も、父親に連れられてネルク王国への赴任に同行した際、ラダリオン様やその奥様と顔をあわせ挨拶をした。
ゆえにネルク王国の士官学校・学祭で、ヨルダ様とサーシャさんを見た時、そこにラダリオン様や奥方の面影を見て……さらに家名が「グラントリム」だと聞いて、出自を確信したのだ。
その数日後に、どっかの猫さんが「こんにちは、神です!」ってやったせいで、インパクトが薄れてしまったわけだが……
さて、リルフィ様に抱っこされてしばらくお散歩をした後、沿道のベンチでごろごろにゃーにゃーと戯れていると……
我々の隣に、コートを着込んだ大柄な男性がそっと座り込んだ。
ハンチング帽を目深にかぶり、一見すると不審者である。年は四十かそこらで、学生ではなさそうだし、かといって講師にも見えぬ……
ラズール学園は都市機能を持っているため、学生以外にもいろんな人がいるのだが……こういう「何の仕事をしているかわからない」系の不審者は珍しい。
俺はとっさに『じんぶつずかん』を広げ――
「えっ」と動揺させられた。
リルフィ様にお伝えする前に、その男が低い声で話しかけてくる。
「あー……失礼。お嬢さん、制服ではないから、学生ではないね? かといって、講師にしては若すぎる。もし違ったら恐縮なんだが……留学生のご家族かな?」
「……は、はい……そうです……」
知らない相手に名乗るのも危険、かといって無視するのも失礼とあって、リルフィ様は曖昧な感じに応じた。
この返答を受けて、見るからに体育会系のおっさんはさらに踏み込んだ問いを重ねる。
「……もしや、ネルク王国からの?」
「…………は、はい」
身元がバレていることに驚くリルフィ様。
不審者が慌てて帽子をとり、軽く会釈をよこした。
「名乗りもせずに失礼した。このラズール学園の学園長、マードック・ホルト・マーズだ。よもやこんなところで、ネルク王国の方に会えるとは……機会があれば、ぜひ一度、話をさせていただきたいと思っていた」
入学式の時、スピーカー越しに聞いたバリトンボイスが控えめに響く。
リルフィ様はびっくりして口元を覆い、猫は白目を剥いた。
クラリス様やロレンス様達がいる時ならともかく!
どうしてリルフィ様が一人のタイミングで、こんな政治的にめんどくさそうな相手と遭遇してしまうの……?
いっそ俺が喋ってしまえば解決なのだが、そういうわけにもいかぬ。
唐突に訪れたこの試練に対し……我が師リルフィ様は戸惑いながらも訥々と、学園長(※皇族)との会話に応じ始めたのであった――




