210・猫と皇族の会食
ラズール学園入学式祭り(猫の主観)はテンポよく進んでいき、あっという間に終了の時刻を迎えつつあった。
楽しい時間は過ぎるのもはやい……
クロード様が弓の射的でヤバい精度を見せつけたり、オズワルド氏が金魚すくいで無双したり、サーシャさんが投げナイフの的当てで優勝したりと、イベントもそこそこあった。ところでオズワルド氏はなんでそんなにちょっと怪しい親戚のおじさんムーブが得意なの?
さらに備え付けのおたよりボックスにクラリス様が投函した『ペットと一緒に入れない施設とかはありますか? ちなみに猫です』という質問が放送中に読まれたりもした。クラリスさま……ありがとぉ……
結論としては「食堂とか施療院みたいに衛生管理の必要な施設と、ペットにとっての危険が予想される区域はアウト」「ただし食堂でもテラス席までならOK」「あと猫なら緩いけど、ペットの種類次第では学内で飼えないこともあるから注意」というアドバイスをもらえた。
一部の研究室なんかもダメなようだが、思っていたより自由度は高そうな……まぁ、普通に学内猫もいるしな? ペット可の学生寮まであるようで、俺も悪目立ちしなくて済みそうである。
ちなみに飼えないペットというのは、虎とか熊とかライオン的な、人間を襲う猛獣系……サファリパークじゃないんだから当たり前である。落星熊さんとか放し飼いにしたらそこそこ人気出そうだがダメである。
余談だが先日、メテオラの外で伐採をしていた有翼人さんが、呪詛鷹に襲われたらしいのだが……なんと通りがかった落星熊さんが助けてくれたらしい。あのレッパンども、信仰の対象として着実にステップアップしている……
ともあれ、そんな感じで思いがけず楽しい休日のような入学式になってしまったが――夕方の終了時刻が近づいてきたところで、ちょっとした問題が起きた。
『そろそろ帰ろうかー』なんて話し合う我々の傍に近づいてきたのは、一組の御夫婦。
鳥っぽいお面で顔を隠していたが、ルークさんはその正体にすぐ気付いた。だってすぐ後ろで、護衛役の米に飢えた合法ロリ様が困惑しているんだもの……
人がまばらになってきた会場の隅で、御夫婦は我々の正面に立ち、深々と一礼した。
「皆様、はじめまして。オズワルド様も年末ぶりですね? ヴァネッサと申します」
「……その夫のジュリアンです。急にお声がけをして申し訳ない……ご挨拶をさせていただくなら、このタイミングしかないかと思いまして」
「ごめんなさいね? オズワルド様が特別扱いしている方々なんて珍しいものだから、どうしても興味があって……もしよかったら、晩ごはんとかご一緒にいかがかしら?」
皇族からのお忍びでのお誘いに、思わず白目を剥く猫……
ポルカちゃんが「えっ。えっ。なんで、なんでスイール様が……!?」と動揺する中で、マズルカちゃんがそっと妹の口を塞ぐ。答え合わせ終わってんなコレ? 我々の中に「スイール様の弟子」がいると、もうマズルカちゃんは気づいていそう。
ロレンス様やクラリス様達が慌てて返礼、名乗って挨拶をした後で、オズワルド氏が苦笑いとともに頭を掻いた。
「あー……実家からの指示かね? 私の友人を確認しておけ、とか」
魔族から皇家に嫁入りしたというヴァネッサ様が、くすくすと微笑む。
「いいえ、私の好奇心です。先日のオズワルド様が、珍しくとても……本当に、とても楽しそうにしていらしたので……一緒にいるのはどんな子達なのかな、って。ラズール学園の生徒になるなら私達の後輩ですし、ネルク王国との外交も大事ですし?」
後者の理由はとってつけたようなもの。
ホルト皇国において、ネルク王国は決して存在感の大きな国ではない。
ネルク王国側から見ると明確な強国だが、ホルト皇国側から見ると周辺にいっぱいある中堅国家の一つ、という認識だし、国境も接していないから交易もそんなに……
もちろん他国を経由した文化の流入はあるし、ネルク王国側が建国期にホルト皇国の制度・法律を参考にしたという事情もあって、関係性はそこそこ深いのだが……そういった文化的、歴史的つながりはともかく、実際の経済的、政治的な関係性は薄めである。せいぜいレッドワンド対策で足並みを揃えていたぐらい。
留学生の行き来も滅多にないので、我々は久々の実例……そういう意味では、ヴァネッサ様の言った通り「大事」な外交の機会かもしれない。さして重要ではないけど希少性はある、みたいな?
ジュリアン様も再び頭を下げた。
「妻のわがままにつきあわせてしまって申し訳ない。他の用事があるなら諦めますし、そもそも急なことでしたから、断っていただいても問題ありません。ただ、ホルト皇国側の現状というか、政治的な注意点についても、少しだけお耳にいれておきたいことがあり……いかがでしょう?」
クロード様やアイシャさんが俺を見たが、俺はペットの猫さんなので……政治とか外交の最適解はよくわからぬ……
レッドトマト商国の政治・外交については、トゥリーダ様へのサポートとして少し手伝っているが、ネルク王国&ホルト皇国の話となると、この場ではロレンス様の判断に従うしかない。
そして十一歳そこそこ(※昨年のうちに誕生日を迎えました)の少年にそれを求めるのもちょっとアレなので、ここは引率の年長者、ペズン・フレイマー伯爵に頼ろう。
というわけで、俺からこっそりメッセージを飛ばす。内容は「おまかせします!」というぶん投げである。ごめん。
「……高名な皇弟殿下とその奥方様からそんなお誘いをいただけるとは、たいへん光栄です。ぜひ同席させていただきます」
まぁ、任せはしたが想定通りである。断る理由がないし、こちらはこれから留学でお世話になる立場だ。猫が自己紹介するかどうかは別問題であるが、じんぶつずかんはチェックしとこ。
……おっと、猫力たけぇな?
§
ヴァネッサ様とジュリアン様に案内されて、我々一行は学園内の商業区にあるいい感じのレストランへ入った。
外交官の子女たるベルディナさんはもちろん、ポルカちゃんとマズルカちゃん、さらに「商人」のファルケさんまで一緒である。
ベルディナさんと双子ちゃんは遠慮しようとしたが、俺が引き止めた。ホルト皇国側で信頼できる人材はまだ少ないので、ちょっとここは同席して欲しい……皇族こわい……
ファルケさんについては、オズワルド氏が「自分の新しい部下」と紹介したことで、ご夫妻からの見る目が変わった。つまり正弦教団の関係者、と認識されている。
また双子ちゃんに対しては「先輩のお孫さん!?」という反応で……この双子のお祖父ちゃんと皇弟夫妻は、ラズール学園で先輩後輩の関係だったらしい。王侯貴族のほとんどがここに通うらしいから、年齢が近いならそういうことも普通にあるだろう。
そして通された先は、明らかに貴族専用と思しき大きめの個室……ペットOK? レストランだとテラス席までしかダメなはずでは? あ、ここはいいの? 特別室? よっしゃ。
猫用ディナーは丁重に(クラリス様が)お断りして、俺はリルフィ様のお膝で丸くなる。テーブルの天板より下になるので、ここならバレずにつまみ食いをさせてもらえそう。ちょっと食べればコピーキャットで後日再現可能だ。
「ずいぶんとおとなしい猫ちゃんね? それにすごく賢そう!」
ヴァネッサ様にも改めてそう褒めていただいたが、ルークさん、おとなしさには自信がある。特に権力者とかの前では尻尾を丸めて「にゃーん」としか言わなくなる……
リオレット陛下とかはだいぶ気安い兄ちゃんなので大丈夫だが、ホルト皇国の皇族はなんか、こう……長命なのも影響してそうだが、隠せぬ権力者オーラがある……こういうのに触れちゃうと、ネルク王国はやっぱり田舎扱いなんだな、って……
ヴァネッサ様は、キラキラの銀髪を頭の後ろでまとめている。フレンチツイストヘアー、いわゆる「夜会巻き」というやつだが、実はこっちに来てから知った単語である。前世でそんな知識は持ち合わせていなかった……しかしフランスがないのに「フレンチ」って言葉があるのは不思議だな?
お顔立ちのほうは優しげな雰囲気で、肌艶は若いのだが存在感がお婆ちゃんという不思議な人である。魔族(の親戚)なので、見た目が三十歳で実年齢が六十三歳、将来の寿命がたぶん二百歳前後という話だが……精神年齢は実年齢準拠っぽい?
旦那のジュリアン様は剣士系で、奥様よりも少し年下らしいが、見た目はほぼ同年代といっていい。髪は茶色、オールバックで、「筋骨隆々!」というよりは「細身の筋肉質」という感じ。うちのライゼー様よりも線が細く見えるが、なよっちくはない。得意な武器が細剣らしいので、スピードを生かして刺突を行う系の剣士である。
なお、政治的な立ち回りはあまり得意ではないようだが、立場上、そうも言っていられずこっそり胃痛を抱えているタイプ……兄のレイノルド皇との仲は良好で、陰に日向に補佐をしているという人材だ。王(皇)族で兄と仲の良い弟という意味では、リオレット陛下&ロレンス様の関係とも重なるところがある。
ついでに、「魔族が皇家に嫁入りする」というのはなかなか難しい要素をはらんでいるはずなのだが――こちらのヴァネッサ様の場合、『純血の魔族』ではないし、それに加えて「ラズール学園の卒業生」という要素が大きかったのだろう。
それでも「魔族の親戚です!」と公言はしておらず、民衆はそのことを知らない。正体を知っているのは皇族&高位貴族のごく一部で……彼女が六十代にしてこの若さを保っている点についても、「実は皇家から分かれた血筋だったらしい」という情報操作によって理由付けされている。
つまり公式には、ホルト皇国の皇族に魔族なんていない! ――という建前を忘れてはならない。建前って大事。
……そんな人が他国からの留学生の前で、「オズワルド様、どうもー♪」的なムーブをかますのはどうかと思うのだが……
まぁ、仮に我々が漏らしたところで「公式情報」のほうが強いし、本人が否定すればそれまでのお話。
しかも「魔族を怒らせると粛清される」というオマケがついてくるので、まぁ……普通は知ったところでちゃんと黙っておく。
高貴な晩餐会が始まるかと身構えていたが、運ばれてきたのは割と普通の大皿料理が複数。
……あっ。これスイール様への配慮か? 「好きなだけ食え」っていう……
あと我々が緊張しないように、という気遣いもあると思われる。ピタちゃんもある程度のテーブルマナーはこなせるようになってきたが、まだたどたどしいところもあるので助かる。
会話を聞かれたくなかったので、店員さんの給仕は断って退出してもらい、スイール様が当たり前のように盛り付け係をやろうとしたが……ここでリルフィ様とマリーンさん、サーシャさんが慌てて立ち上がり、その役を受け持った。
……もう一人、我々の中にメイドっぽい人(※別の宮廷魔導師の弟子)がいたような気がするのだが……気のせいか? 悠然と座ってんな?
「あ、みんなはいいよ? 私がやるから」
「い、いえ、スイール様にやっていただくなんて恐れ多いです……!」
「こういうのって弟子がやるものですし――!」
「あの、私はそもそもメイドですので……」
そんな微笑ましいやり取りはあったが、とりあえずスイール様は笑って席に戻った。
リルフィ様(達)が給仕に立ったので、椅子に残された俺は座面に立ち、テーブルに前足と顎を載せ猫アピールに勤しむ。
ご夫妻がそんな俺を見てにこにこ。
「ほんとにかわいい猫ちゃんね! お名前は?」
「ルークといいます。とても人懐っこくて優しい子です」
隣のクラリス様が俺の頭を撫でてくださる。にゃーん。
ところで俺が猫らしく鳴くと、クロード様とかアイシャさんがなんかすごく微妙な顔になるんですよね……スイール様のポーカーフェイスを見習っていただきたい。
さて、食事。
今回の会食は極めて私的、かつ緩いものなので、テーブルマナーとかは無視して、ざっくばらんに進める方針である。学生向けの店だし、内装の雰囲気も形式ばっていない。
こちらで一般的な味付けの肉野菜炒めをフォークで食べながら、ヴァネッサ様が優しく微笑んだ。
「ここ、私とジュリアンが学生時代にもよく来ていた老舗なの。学割もきくし、農作物での現物払いもOKだし、いろんな学生が利用していて……私も昔、だいぶお世話になったわぁ」
懐かしそうに目元を緩め、思い出を語る。さっきの公開生放送でも、店名は伏せていたがそんな感じの話題が出ていた気がする。
ホルト皇国の印象はどうかとか、環境に不便はないかとか、そんな諸々の他愛もない話をしながら、会食の場は和やかに進み――
大皿を下げてデザートのキャロットケーキとカフェが出て来たタイミングで、ジュリアン氏が申し訳なげに腰をあげた。
「さて……オズワルド様、ちょっとよろしいですか? 実は内密の話がございまして……」
上機嫌だったオズワルド氏が首を傾げる。
「ん? 他の者達には聞かせにくい話か?」
「そういうわけでもないのですが、少々、込み入った話です。他の方々にお伝えするかどうかも、オズワルド様にご判断いただければと……」
ふむ……?
事情がよくわからぬまま、とりあえずオズワルド氏には、ジュリアン様と一緒に隣室へ移動してもらった。デザートのキャロットケーキをちゃんと持っていくあたり、やっぱり甘党ですよね……?
で、もちろん竹猫さんにもついていってもらい、リルフィ様にモフられながら、俺もお二人の会話を盗聴したのだが……
その中身を整理すると、こんな感じであった。
・昨年末、皇都で奇妙な爆発事故があった。外務省職員の娘(※ベルディナさん)が目撃者として巻き込まれ、複数のペット誘拐犯が捕縛された。
・その誘拐犯達の取り調べから、ペットの密売に関わっていた反社会勢力にガサ入れが入り、その他の罪までもが暴かれ、組織と癒着していた一部の官僚と貴族が政治的に失脚しそうな情勢。
・政治的に追い詰められたその人らが、一発逆転を狙ってオズワルド氏や正弦教団にすり寄ってくる可能性がある。
・そいつらに協力しないで! お願い!
・あと仮にそいつらと敵対する場合でも、まずは法的になんとかするから、どうか皇国内では暴れないでください!
……というお話。
もうちょっと丁寧かつオブラートにくるんだ物言いだったが、要約するとそういうことである。魔族の激怒は周辺にも被害が発生しがちなので、先に予防線を張りに来たな……?
また、オズワルド氏と我ら留学生組の関係についても、ごく一部の貴族から漏れる可能性があり……そうなると、「なんらかの利益狙いの接触」をしてくる学生もいるかもしれず、改めて身辺には注意して欲しいとのことであった。
「……先ほど、クロムウェル伯爵家のご令嬢方がもう友人になっていると知り、たいへん驚きました。失礼ですが、あのご令嬢達とはどういった御縁で?」
あー……猫がね……ちょっと見つかっちゃったんですよね……
まさか本当のことを言うわけにもいかず、おずおずと問うジュリアン様に、オズワルド氏は軽く鼻を鳴らして応じた。
「クロムウェル伯爵家は元々、正弦教団の学内警備契約の顧客だ。さっき紹介した部下のファルケが警護についていたんだが……それとは無関係に、クラリス殿のペットの猫を通じて仲良くなったらしい。私と顔を合わせたのは今日が初めてだし、正体についても何も知らんだろう。その政治的混乱とやらには……まさかクロムウェル伯爵家も関わっているのか?」
「……現時点ではまだ確たることは言えませんが、今後、巻き込まれる可能性はあります。失脚しそうな貴族の中に、クロムウェル伯爵家と縁戚関係にある伯爵家が混ざっていまして……たとえば助力を求められた時に、それを拒めるかどうか……」
うーん……
ホルト皇国の政治情勢は複雑怪奇、と、事前に聞かされてはいた。ネルク王国にも正妃様の派閥とか貴族同士の仲の良し悪しとか多少はあったが、猫が青ざめるほどの政争とか陰謀劇みたいなものはなかった……と、思う。
が、ホルト皇国は露骨な足の引っ張り合いとか派閥の対立とかがもうちょっと激しいらしく――たとえば内乱とまではいかないが、国内で貴族の私兵同士が「死人の出る模擬戦」をやらかすこともたまにあるとか。
この模擬戦は非常に実戦的で、武器防具は本物、戦力に制限はなく、勝った側が負けた側に賠償金を請求できたりと、まるで本物の戦……ゲフンゲフン。
……一応、民間人への略奪禁止、放火の禁止、捕虜の虐待禁止、国王軍からの停戦命令には必ず従うなど、細かなルールはあるし、わずらわしい事前の手続きも必要なようだが――それに伴って、他国との戦争も起きていないのにたまに貴族の家が増えたり減ったりするようである。怖。
擁護するわけではないが、これは国としての防衛力・警戒感を維持するための一つの政策なのかもしれぬ……
気軽に他国へ戦争をふっかけると大変なことになるので……国内でより実戦的な訓練を継続し、優秀な士官の発掘・育成を常に進め、さらに「膿」になってしまった悪辣な貴族を力ずくで排除する免疫的な効果もありそうだ。
もちろん悪辣な側が暴走して、よりマズい方向に向かう可能性もある劇薬なのだが……「そういう制度がある」ことで、悪政を省みる抑止力になれば、という思いもあるのだろう。あったらいいな。
でもってそんな制度があるせいで、失脚しそうな貴族が「いざとなったら派閥間で内戦やったるで!(※建前は模擬戦)」みたいなヤケクソに走る可能性を排除できず……こちらの真面目そうな皇弟殿下が、派閥間の調整に奔走しているというクソみたいな状況である。めんどくせぇ国だな!?
まぁ、旧レッドワンドさんのように周辺諸国へ迷惑を広げないだけマシなのだが、結局のところ、ジュリアン様が恐れているのは「オズワルド氏の暴発」のようだ。
だからそのご機嫌を損ねないよう、現時点では曖昧な物言いしかできない。
「クロムウェル伯爵家の当主は慎重派だと聞いています。先代の当主も私とヴァネッサの先輩で顔見知りなので、そうそうおかしな事態にはならないと信じたいのですが……もう二十年以上会っていないので、その……」
あー……まぁ、歳月は人を変えるからね……
オズワルド氏が、胃痛を抱えていそうな皇弟ジュリアン様の肩をぽんぽんと叩いた。
「くくっ……君は意外に苦労人のようだな? そう心配せずとも、君やヴァネッサ嬢に迷惑はかけんし、ホルト皇国側の政治の動きに私は干渉しない。まあ……もしも知り合いに理不尽な冤罪でもかけられれば、また話は別なんだが……」
レッドワンド将国はソレが原因で滅んだことになっているので、ジュリアン様はちょっとだけ頬を引きつらせてしまったが……あれ実は猫の仕業なので、そんなに怯えなくとも良い。
「ポルカ嬢とマズルカ嬢の周辺については、こちらでも様子を見ておく。妙な心づもりで接触してくる貴族がいるようなら対応を考えるし、そちらにも知らせよう。幸い、スイールがこちらについてくれたから……彼女ならば、連絡要員として支障はあるまい?」
「はい、そうですね。彼女にも後日、改めて状況を話しておくつもりです。スイールは政治的な争いからは距離をおいているので、彼女が皆様のサポート役を買って出てくれたのは好都合でした」
お二人のそんな密談が終わったところで、夕食会も終わり――我々も解散することにあいなった。
ポルカちゃんとマズルカちゃんは学生寮へ帰り、その帰路をファルケさんと黒猫魔導部隊が見届ける。
皇弟夫妻はスイール様に警護されて城へ戻り、スイール様宅配用のキャットデリバリーサービスもこっそりつけた。
入学式の案内を務めてくれたベルディナさんは一人で帰るつもりだったようだが、夜道は危ないので宅配魔法でご自宅まで配送。
そして我々も宅配魔法を使っても良かったのだが……「夜道をのんびり歩いてみたい」というロレンス様のリクエストにお応えして、みんなでちょっとだけ歩くことになった。
「また今度、みんなでお茶会とかしましょうねぇ。約束よ?」
と、ヴァネッサ様は上機嫌で帰っていかれたが……特に孫のような年齢で素直なクラリス様、ロレンス様のことをいたく気に入ってしまったようで、帰り際、みんなにもお手製の飴ちゃんを一個ずつくれた。
……からいも飴っぽいなコレ?
前世のからいも飴は、麦芽とさつまいもを煮詰めて作る素朴なお菓子であったが、こちらには「さつまいも」がないはずなので……別の農産品を使っていると思われる。色はちょっと黒っぽく、匂いにも漢方系のやや怪しい雰囲気があった。
コピーキャットで増やせるので、リルフィ様の分をいただいて俺が先に舐めてみると、からころからころと軽い舌触り……いわゆる優しい甘さであり、ちょっとぼやけた味わいながら、うっすらと柑橘系の香りもある。
「……うーん。原料に想像がつかない感じですねぇ」
さっそくコピーキャットで複製した飴をリルフィ様に差し出しつつ、俺は首をかしげてしまう。
猫からもらった飴を舐め始めたリルフィ様が、くすりと微笑んだ。
「これは乾燥オレンジの粉末で風味をつけていますね……他にも何種類かのハーブが入っていますが、メインの素材はホルト皇国で広く普及しているパルマー芋と麦芽糖でしょうか……ルークさんが栽培している『サツマイモ』に近い植物です……」
ふむ。パルマー芋ならば、俺もこっちの市場で購入したのを食べたことがある。じゃがいもよりほんのり甘めで、「ちょっと粉っぽいな?」ぐらいに思っていたのだが、こちらの世界の固有種だ。
サツマイモとは全然違い、どちらかというとタロイモ……つまりサトイモ系の亜種のような気がするが、あれも頑張れば飴に加工できるのか……?
その技術が普及していないのは、手間やコストがかかりすぎるのか、あるいは『魔族』の秘匿技術なのか……もしくはヴァネッサ様が趣味で個人的に開発したものかもしれぬ。
これは俺自身がトマティ商会を立ち上げて実感していることでもあるが、この世界、商会を立ち上げて商品を開発・量産し、商売を軌道に乗せるまでのハードルがまぁまぁ高い。
費用、経費的な問題ももちろんあるし、製造拠点の確保や設備投資などにおいても、その性能・利便性が前世の工場などには及ばず、それでいて手間が多くて割高になりがちなのだ。
そこに「物流の難しさ」「領地ごとの通行税」まで立ちはだかってくるため、どうしても商売が町単位で完結しがち。
トマティ商会も、ルーシャン様の後援や元商人たるライゼー様からの助言がなければ、こんなに迅速な立ち上げは不可能であった。
皇族に嫁入りしたヴァネッサ様が商売などという面倒事に関わる必要性は薄く、ゆえにこの製菓技術も普及していない……と考えるべきか。
リルフィ様に抱っこされたまま考え込む俺を、オズワルド氏がチラリと横目で見た。
「……それで、ルーク殿。現実逃避をしている時に野暮かもしれんが……『例の爆発事故』がきっかけで、政財界に結構な影響が出ているらしいぞ?」
にゃーん。にゃーん。にゃにゃにゃにゃーん(いたいけな猫さんのふり)
……アレは不可抗力である! あんな外道の犯罪を許せるわけがない!
……しかしまぁ、事後処理は完全にぶん投げたので、その影響がどこへどう飛び火したかなどは把握していない。い、意外とおおごとになってたんスね……?
「……犯人を捕まえておいて言う事でもないんですが、量刑としては割と軽犯罪というか、あんまり重罪にならないヤツじゃないですか……なんでそんな流れになったんですかね?」
「ふむ。正弦教団内の報告書を覗いた印象だが……現場の瓦礫が片付いていたり、犯人達以外に負傷者がいなかったり、爆発規模の割にいろいろ不自然な点が多かっただろう? ホルト皇国の捜査機関もバカじゃないから、いろいろヤバい可能性を想定したらしい。たとえば、捕まえたペットの中に魔獣、聖獣の類がいたんじゃないかとか……魔獣を皇都に持ちこんだなら大問題だし、聖獣や神獣に手を出していたならさらにまずいことになる。それで本気を出して調べ回ったら、上部組織の他の犯罪と、有力貴族との関係までもが判明して大問題に――という流れだな」
あー……なるほど。ペット誘拐じゃなくて「聖獣の略取」とか「魔獣の密輸」とか、そっち系のもっと危ない犯罪を疑ったのか……
オズワルド氏が肩をすくめる。
「実際には神獣どころか『亜神』の怒りを買ったわけだから、最悪の想定すら軽々と飛び越えているんだが……この国の連中は、ルーク殿の気性が穏やかで良かったと天に感謝するべきだな。この上、ルーク殿が何かをする必要は特にないとは思うが、それでも気になるかね?」
「いえ。司法の手に委ねます」
意訳すると「めんどい。かかわらんとこ……」である。
「我々は結局、この国ではよそ者ですから。レッドワンドのように立て直しが必要な状況でもないですし、なるべく不干渉でいきましょう」
俺のそんな判断に頷きながらも、オズワルド氏は夜空を仰いで嘆息した。
「方針は理解した。しかし、断言してもいい――ルーク殿はおそらく、理不尽を見過ごすことはできんだろう。外向きの人形が必要になったら私を頼れ。他の連中よりは上手く状況をさばいてやる」
オズワルド氏……! なんてこころづよい……感動して目をうるませていると、背後でアイシャさんとマリーンさんの魔導師コンビがひそひそ話をしていた。
「……アイシャ、あの対応が、ルーク様が言っていた『ツンデレ』っていう古典芸能……?」
「違う違う。あれはツンがないからただデレてるだけ。ツンデレっていうのは、もっとこう……表面上は罵詈雑言なんだけど、言葉とは逆の感情がにじみ出る感じ」
「……私、外見的にそういう感じらしいんだけど、どうやったらそれできるかな?」
「あのね、習って覚えるものじゃないから。あとマリーンには向いてないから。ルーク様も会話のタネにしただけで、別にそれを求めているわけじゃないから」
「……でも、ルーク様だけじゃなくてスイール様とか、さっきヴァネッサ様にも言われたの。『ツンデレがすごく似合いそうでかわいい!』って……褒め言葉だったみたいなんだけど、私にはよくわからない概念で……っ!」
向学心の旺盛なマリーンさんは悔しげであるが、そこはわからないままでいい……亜神とか皇族からの雑音とか無視して……(反省)
マリーンさんは、その瞳にいかにもツンデレっぽい勝ち気な強い光を宿し、ツンデレ感の欠片もない前向きな言葉を紡ぐ。
「あとラズール学園では、それがスマートにできると学生や講師陣から一目おかれるんだって。ヴァネッサ様が言ってたわ。『ツンデレ研究学会』っていう歴史の古い老舗サークルもあるとか……」
………………この学校、ほんとうにだいじょうぶ……?
ちょっとクラリス様達の留学を早まったかもしれぬといまさら不安になったが、カリキュラムとか授業のほうはちゃんと高度な内容らしいので……ま、まぁ、たぶん大丈夫だろう……
なお、後日判明することであるが。
俺の知っているオタク文化としての「ツンデレ」と、かつての転生者がこの世界に持ち込んでその後、長い歴史を積み重ねてきた「古典芸能・ツンデレ」概念との間には、だいぶ認識の齟齬があった。
手っ取り早くいえば、こちらの人々が言う「ツンデレ」とは、前世で言うところの「貴種流離譚」とか「異種婚姻譚」、「異郷訪問譚」といった神話・民話的類型の一つであり、割とちゃんとした研究対象で……件のサークルも、神話と民話のツンデレ研究を軸とした真面目な学術的探求の場であり、俺のイメージするオタサーの類ではなかった。
ごめん。勘違いしてごめん……っ。でも転生直後の人なら誰でも勘違いすると思うッ!
「オタクグッズも千年経ったら文化財」ということであろう。
このように、歳月は人ばかりでなく、物の価値、概念すらも変えてしまうのだ……




