203・スイールは決意した。
スイールは決意した。
必ず、かの有智高才の猫と仲良くならねばならぬと心に決めた。
スイールには獣心がわからぬ。スイールはホルト皇国の宮廷魔導師である。魔導を学び、日夜職務に励んできた。けれども食欲に対しては、人一倍に素直であった。
「……というわけで、オズワルド様への対策、及び留学生達の護衛、サポート役として、私は官舎を出て、ネルク王国の留学生達と寝食を共にしたいと考えています」
邪智暴虐とはまるで縁のない賢皇・レイノルドに対し、某メロス氏ほどの熱量をもってそう直訴した結果――
『……いや、宮廷魔導師が、何もそこまでしなくても……?』と、困惑とともに止められはした。
しかし、スイールは退かなかった。
「純血の魔族を怒らせれば国が滅ぶ」
「すなわち、あの留学生達の無事とその安全な生活を確保することは、国家にとって最優先事項となる」
「相応の警護は必要だが、魔族の関与を公にはできないし、下手な人材には警護すら任せられない」
「自分ならば一人でもそこそこ強い上に、魔族のことを知っていて、さらに学園内でも顔が利く」
何も「ずっと」という話ではない。
ネルク王国の留学生達が帰国するまでの、ほんの数年間。
その数年間、官舎ではなく、学園内の賃貸物件に起居し、そこから宮廷魔導師としての公務もこなす、という提案である。
そして最終的には、「水精霊様からも『そのように』との託宣を賜った」――というのが決め手になった。
これは嘘ではないのだが、実際には気の抜けるようなのんびりした声で『仲良くねー?』と言われただけなので、ちょっと盛ったかもしれない。でも断じて嘘ではない。嘘じゃないもん。
幸い、禁じ手となる駄々っ子モードを発動するには至らず、むしろなぜか「……君にも苦労をかける……」などと、逆に感動されながら許可を貰ったが――スイールは今、「ごはんごはん」としか考えていないので、皇の感謝はテキトーにスルーした。なんか特別手当も出るらしい。もらえるものはもらっておく。ちょろ。
その後、外務省と学園側にも手を回し、王命を盾に内諾を取り付けた。まぁ、予算や追加の業務が発生するタイプの指示ではないし、スイールが王から受けた特務ともなれば、詳細不明でもそうそうツッコミはされない。
前世には「知らぬが仏」とか「言わぬが花」という言葉もあったが、ホルト皇国の人達はだいたい、その精神を本能的に理解している。政争とか陰謀とか歴史上にもいろいろあったからねしかたないね。
そしてスイールは、諸々の根回しを終えた後、意気揚々と、ルーク達が滞在するホテルに向かった。
すでに夕刻が近い。
すなわち「ばんごはん」の時間である。狙ってなかったと言えば嘘になる。
するとホテルの前の公園で、二人の子供がブランコに乗っていた。
銀髪の賢そうな美少女と、黒髪の賢そうな美少年……着ているものからして、まず間違いなく「貴族」である。
周囲には警護役と思われる女性が四人もついており、こちらも一見して只者ではない。
(一番強いのは、足のふっとい魔導師かな……? 水精霊様の加護を感じる――もしかして称号持ち? 二番目は凛々しい女騎士……に見せかけて、むしろショートカットのメイドさんか。なんか体術やってるよね、アレ……で、三番目が金髪の女騎士で、一番弱いのは、あっちのいかにもツンデレっぽい目つきの……でも、あの子もたぶん魔導師だな? となると、見た目の印象だけじゃ強さを判断しにくいか)
いずれにしても全員、『警護役』になれる程度の技量を備えている。
つまりブランコに乗っている二人の子供は要人であり――
(あれがネルク王国の王弟ロレンス様と、リーデルハイン子爵家のクラリス様って子か)
そう見当をつける。楽しそうに遊んでいるのを邪魔する気もないし、違っていたら気まずいので声はかけない。
そんな感じによそ見をしながら歩いていると、ホテルの正面玄関で、うっかり人とぶつかりそうになった。
「おっと、失礼」
実際にぶつかりはしない。お互いに気づいて、安全な距離で立ち止まる。
身長が低いスイールは相手からどうしても見えにくい。今は変装目的で外套のフードをおろしているため、なおさらである。
「あ」
猫の声が聞こえた。
見上げれば、エロゲみたいに鮮やかな桃色の髪をポニーテールにした絶世の美少女が、驚いた顔で立ちすくんでいる。
その豊かな胸に埋もれた猫が目を見開いてこっちを見ているが、お前ちょっとそこかわれ。いくら神でもやっていいことと悪いことがあるぞ。
……いや、別に同性愛とかではないのだが、それはそれとしてちょっと美少女すぎる。生き物としての格の違いを感じるほどかわいい。こっちの世界、そもそも割と美形が多いのだが、みんなそれに慣れている気配があり……この子の場合、こっちではさほど目立たないのだろうが、前世の美的感覚ですごいかわいい。猫、お前ぜったい外見に一目惚れして懐いただろ?
内心でのそんなツッコミを覆い隠し、スイールは泰然と会釈した。
「はじめまして。そこの猫さんに先日、朝ご飯をおごってもらった、宮廷魔導師のスイール・スイーズです。すっごくおいしかったです。ありがとーございました」
あの朝ご飯の美味しさがまだ精神に刻みつけられており、とりあえず今日の晩ごはんもおごってもらう予定である。ごはんごはん。カツ丼とか食いたいな? カレーライスやハヤシライスでもいい。米だ。まず米をよこせ。
スイールの脳内で猫が稲作を始める中、眼の前の娘が慌てて頭を下げ返した。
「は、はじめましてっ……! お目にかかれて光栄ですっ……! あの、リーデルハイン子爵家の親族で、リルフィと申します……」
「ん。猫さんから聞いてる。水精霊様からの祝福も貰ってる魔導師の子だよね? よろしく」
握手のために手を差し出すと、リルフィは慌てた様子で猫をぎゅっと抱え直し、自由にした右手でこれに応じた。
スイールは素早く、その人柄に見当をつける。
(素直で礼儀正しい。でも緊張しがちで人見知り。自己評価が低めで、状況に流されがち……なるほど、水精霊様が好きそうな子だ)
分析のヒントは、表情、目線、立ち方、動作、声質、魔力の気配、手の握り方など、多岐にわたる。
背が低めのスイールに対応するように腰を少し落としているあたり、相手に合わせる心遣いも感じられる。が、待たせないようにという焦りからか、動作がごちゃついてしまい優美さに欠ける。気弱で優しいが、精神にはあまり余裕がない。目先のことでいっぱいいっぱいになりがちな……ともすれば、自分で自分を追い詰めてしまうタイプに見える。
(あー、これは……ちょっと面倒見てあげたくなるなぁ……)
ルークの思いが、少しだけわかった気もする。
学生時代、自己主張のお化けとか承認欲求の怪物とか陰口と批判しかできない無能とか、そういった面倒くさい連中を適当になぎ倒してきたスイールにしてみれば、「むやみに人と敵対しない精神性」という時点で花丸をあげたい。しかも美少女。美少女である。二回でも三回でも言う。
「ルッキズムはクソ」とスイールは思っているが、これは「思想性」がクソなだけであって、美人は普通に好きである。そりゃそうだ、だって美しいんだもの。
あとまぁ、性格は顔、表情にでやすい。
人相学は外れることもあるものの、傾向の分析としてはおもしろいし、特に「目つき」には敵意や好意といった感情が見えやすい。
眼の前のリルフィという娘は、スイールに対し、明らかな好意――それも尊敬に近い感情を持っているように見えた。
(……んー? ホルト皇国が流した私の『当代最強』っていうプロパガンダ、ネルク王国まで伝わってる感じか、コレ……? いや、まさかなぁ……あ、でもこの子も貴族か。だったら本とか外交筋から伝わっていても……うーん?)
まぁ、それはどうでも良い。大事なのは米である。
「今日はちょっと、ルークさんに大事な話があって来たんだ。あと、飼い主の皆さんと留学生の方々にもご挨拶したくて。ついでに晩ごはんおごって」
「えぇ……?」
流れるようなタカリに猫がやや困惑の顔を見せたが、ごはんを出すあの魔法は食費がかからないはずである。金を払えと言われたら普通に言い値で支払う用意はある。
リルフィが猫の耳元に囁いた。
「あの、ルークさん……水精霊様とも、そのようにお約束をされたと聞いていますが……? スイール様には、なるべくお食事を提供すると……」
やはり味方。この子は味方。
スイールはリルフィに対する好感度を一つ引き上げた。
「あぁ、はい……確かにしましたけど、思った以上に来るのが早かったなぁ、と……まぁ、立ち話もなんですし、お部屋のほうへどうぞ。我々も皇都の書店から帰ってきたばかりでして。あ、クラリス様達も呼びますね」
ルークがブランコで遊んでいる少年少女をちらりと見たが、スイールは首を横に振る。
「楽しそうだし、もう少し後でいい。あと、今日は私もこのホテルに泊まらせてもらうから、時間も充分にある」
猫が不思議そうな顔をした。
「えっと……内々の話というか、何か秘密の話がある感じです?」
「そういうのじゃなくて。うちの陛下がオズワルド様と会った時に、『ネルク王国からの留学生の方々に、快適な滞在をお約束する』って言ったんだよ。その警護とサポート役に、事情を知ってる私が立候補したっていう話」
簡潔にスパッと説明すると、リルフィと猫が揃って目を見開いた。
「えっ……!? 宮廷魔導師のスイール様が、わざわざそのような……!?」
「メシのためにそこまで!?」
ルークの理解が早い。やはりこやつも同類か。
「もちろん皆の許可がもらえれば、って話だから、その相談に来た。ただ……できれば受け入れてほしいかなぁ。ごはんのこともだけど、真面目な話、やっぱりオズワルド様の存在がね……魔族と知っていて近づいてくる人、知らずに近づいてくる人、その両方に違う意味での警戒と対応が必要だから、抑止力として私を置いておくのはオススメ」
スイール・スイーズの名は、この国では誰もが知っている。
厄介な貴族からの接触を遮る盾にもなれるし、逆にルーク達の側から接触したい者がいれば、そちらへ連絡をつけることもできる。
学園側との折衝役としても問題ないはずで、ルーク達にはおそらくメリットしかない。
「そ、それはさすがに私の一存では決めかねますので、飼い主のクラリス様ともご相談する必要があります……!」
亜神が幼女に気を使ってる。ウケる。
……まぁ、スイールとしても手ぶらで世話になる気はない。様々なメリットについては、これからじっくり説明するつもりである。
さしあたって、まずは一つ。
「それとリルフィ、留学期間中だけでいいから、私の弟子になる気ない? 水精霊様の祝福を得ている時点で身内みたいなもんだし、魔導師として教えられることはいろいろ多いと思う」
「ええっ!?」
この提案にリルフィが目をしばたたかせる。
一方、ルークは何故か焦った顔に転じた。
「そ、それはまさか、引き抜きを前提にした……?」
「や、それは考えてないから安心して。そっちの希望とかあれば検討するけど、ルークさんの傍ほど居心地は良くないと思うんで、オススメもしない――ただ、貴方に何かやりたいことがあるなら、そのための手助けはできると思うし……もしもやりたいことが特にないなら、それを探す手伝いもできる。
あとぶっちゃけ、他の貴族連中からの引き抜き工作をシャットアウトするのに、『私の弟子』っていう肩書きはかなり強い。ま、留学期間中の防波堤みたいなもんだと思ってもらえれば」
水属性の魔導師――それも水精霊の祝福持ちとなれば、ホルト皇国では間違いなく厚遇される。皇族だけでなく、有力諸侯もその存在を知れば目の色を変えるだろう。
その時、これが魔族絡みの案件だと知らない者などは、少々無茶な勧誘をしかねず――これを未然に防ぐには、「スイールの弟子」という盾が極めて有効だった。
もしも何かやらかされたら、スイールが出向いて「うちの弟子に何しとんじゃワレ」と威圧できる――その口実になる。
弟子の安全を守るのは師匠の役目であり、師匠の食生活を守るのは弟子の役目である。「この子を味方にできればルークのごはんが食べ放題になる」と、賢いスイールは早々に気づいてしまったのだ。ねこしっているか。すいーるはわりといろいろなものをたべる。もちろんすいーつもたべる。
この説明に納得してくれたのか、ルークはフレーメン反応をしつつも何度か頷き、とりあえず続きは部屋で話すことになった。
「あ、晩ごはんのリクエストっていい?」
「……承りますけど、私が食べたことないものは無理ですよ……?」
「あの……ルークさんがよく出してくれる品を、覚え書きにまとめていますので……もしよろしければ、そちらをご覧になりますか……?」
この弟子(予定)、有能である。スイールは上機嫌で「ありがとう」と頷き、リルフィに微笑みかけた。
この国の人々の前ではクールキャラで通っているが、ルークにはもういろいろバレているので、その関係者にもサービスしやすい。どうせメシ時になれば仮面は剥がれる。
そして宮廷魔導師スイールは、ほぼ計画通りに前世食堂キジトラ亭の常連客になる権利を手に入れたのであった。
ちょろ。




