21・猫と至福の時間
ウェルテル様へのお薬引き渡しについては、ヨルダ様と騎士団、使用人の皆様へ一任できることとなった。
2、3日に一回の食料差し入れ、そこに時折、一週間分のお薬を混ぜるだけなので、さして難しい話ではない。
俺はたまにコピーキャットでその分の薬を合成して渡すだけである。
白く小さな錠剤……ということで、どう錬成したものかと少し迷ったのだが、ブッシュドノエル>砂糖>錠剤で普通にイケた。砂糖の魔力……! とは少し違うが、白い粉末というのはいろいろな物質に変換できそうで便利である。小麦粉とか片栗粉とかうま味調味料とか。
また複数の抗生物質が紛らわしくならないように、ヨルダ様が専用の薬瓶+薬箱まで用意してくれた。
そもそも「魔法薬」(嘘だけど)というのは高価なものらしく、販売時にはけっこうな包装がされるらしい。木箱どころでなく、金属製で鍵付きの箱とかそんなレベル。
ライゼー子爵にはさすがに詳しい説明をしたが、薬の効果が出るまでは、ぬか喜びを避けるためにクラリス様には内緒にした。「自分だけ知らなかった」とかだと疎外感を招くため、演技のできないリルフィ様にも内緒にした。サーシャさんとか使用人の方々も言うに及ばない。
要するにこれは、俺とヨルダ様とライゼー様、三人だけの秘密である。
そしてウェルテル様に対しては、ライゼー様からの手紙で「手に入りにくい魔法薬を、特別に譲ってもらっているから、口外はしないで欲しい」と口止めをした。
うむ。万全であろう。
あとは俺に万が一のことが起きてもお薬の供給が滞らないように、ストックを瓶に入れて常備。
これは古くなってもコピーキャットで錬成し直せばいいだけなので、無駄にはならない。そもそも錠剤とゆーのは、よほど変な保管をしない限り、そこそこ長持ちしてくれるものである。
能力の仕様上、個別包装まで再現できないのはちょっと残念だが。
ともあれ、懸念事項に次々と目処がついてきた。
トマト様の覇道については、ルークさん自らが技術指導の地位を獲得した。
ホールトマト、ミートソース、トマトジュースにドライトマト……まずは畑の拡張と収穫の安定を待たねばならないが、ここから先の未来はきっと明るい。
幸い、料理人のご夫妻も協力的である。ルークさん、前世の頃から老人ウケは良い。
お風呂建設については、クラリス様とリルフィ様にお任せして大丈夫だろう。俺の役割は水をお湯に変えて、日々、綺麗に浄化するだけだ。楽勝楽勝。
そしてクラリス様のお母様、ウェルテル様は、たぶん快方に向かう。
よし!!!
昼寝だ。
ウェルテル様とお会いした数日後。
俺は具合の良い昼寝場所を探し求め、敷地内を彷徨っていた。
クラリス様の寝室やリルフィ様のお部屋は素晴らしく快適なのだが、寝場所はいくつあっても困らない。
あと……なんかこう、いい匂いすぎて落ち着かない。「俺みたいなケダモノがこのお部屋にいたらいかんのではないか」と罪悪感が湧いてくる。
ついでに昨日、リルフィ様のお部屋の隅で寝ていたら、いつの間にか寝台で添い寝されていてびびった。すげぇびびった。
どこのとは言わないが谷間から抜け出すのに四苦八苦し、これは紳士として良くないと自省した次第である。
まずやってきたのは犬舎。
(ルーク様! よくぞおいでくださいました!)
猟犬のセシルさんにお出迎えいただいた。
毛布のよーなお犬様達がいっぱいいるので、ここは暖かい。暖かいのだが……ちょっと暑そう。
いや、温度の話だけでなく、扱いが……
……王様扱いが、ちょっと重い!
様子見と会話だけして早々に辞去し、次に向かったのは兵舎。視察のよーな順路だが、あくまで昼寝場所の探索である。
ここには、お屋敷を警護する騎士団の人達が交代で詰めている。が、スルー。
……「男の近くはやだ!」みたいな理由ではなく、ヨルダ様の部下の方達であり、敷地内では頻繁に訓練をされているのだ。
その苦行を横目に昼寝というのは、いささか悪趣味というか……いくら猫の身とはいえ、なんか申し訳ないのでパス。
そしてその兵舎の向こう側に――
本日の昼寝場所の最有力候補、“泉”がある。
そう、リーデルハイン邸にはなんと泉がある。わざわざ作ったものではなく、天然の泉だ。こんこんと湧き出ている。
周囲には木々がいー感じに茂り、ここを源泉とした小川も流れている。
水量は多くないが、水はとても綺麗で、この付近に来ると涼感も素晴らしい。
あとの問題は寝床か。
猫なので木の上……は、ムカデさんとかと出会いそうで怖い。ルークさんムカデこわい。しかもこっちのムカデすげーでかい。
ちょうど良さげな岩場でもあれば話は早かったのだが、そうしたものも見当たらない。
なので一応、今日は策を立ててきた。
先日、ヨルダ様を驚かせてしまった“猫魔法”――あれは本来、こういう時のために使うものではないのか!
「いでよ、ストーンキャット!」
にゃーん、と元気な鳴き声が響き渡り、猫の手ぐらいのサイズの小石が、大きな大きな岩の猫へと変化した。
色合い的にはロシアンブルーに近いのだが、顔がでかい。やたらでかい。あと四肢が短くて、どちらかとゆーとマンチカンに近い形状であるが、サイズ的には重量感たっぷりである。熊かと疑うレベル。
つまりとても安定感が良さそう。
「……じゃ、一緒にお昼寝しよっか」
「にゃー」
岩石猫さんがその場でごろりと丸くなる。でかい図体に似ず、声は子猫のように可愛らしい。
愛い奴、愛い奴。
俺はその上によじ登り、背中にあるいい感じの窪みへ身を置いた。
うーむ……………………馴染む。
岩肌の滑らかな、それでいて適度にざらっとしたこの感触。
申し分のない安定感に加え、陽光を吸ってほのかな温もりすら感じられる。
そこへ流れてくるのは涼しいそよ風と、小川のせせらぎ、小鳥のさえずり……
俺は眼を細めて、この至福の時間に身を委ねた。
ああ、平和だなぁ……
……コレよ、コレ。これぞ猫の正しい生活だ。
木漏れ日の下、心地よい午後の微睡みに埋没し、転生した喜びを改めて噛み締める。
惰眠ってすごいよね……こんなお手軽に幸福を実感できるんだもの……
それから、一時間ほど過ぎた頃だったろうか。
あまりの快適さゆえに割とがっつりめに寝てしまった俺は、変な夢を見た。
(あの……すみません……そこの……猫? さん?)
「……あ、はい。猫です」
夢うつつに、声というよりは意思で返事をした。
相手が誰だかはよくわからんが、おどおどとした女の子っぽい声である。リルフィ様よりは幼いが、クラリス様よりは年上かな? という感じ。十四〜五歳くらいか?
(……あの……そこで、何を……?)
「何って……お昼寝ですが……」
(えっ…………だ、だって、その……寝ている、岩の、猫……あの……魔力の密度が……神獣並というか、ちょっと異常なんですけれど……?)
ストーンキャットさんが怖いらしい。こんなにかわいいのに!(岩だけど)
(そんな化け……そんな戦力をわざわざ召喚しておいて、やることが“お昼寝”って……そんなわけ……!)
「あー……いえ、戦わせるために呼んだわけではなく、寝るのにちょうどいい岩場が欲しかっただけなので……」
(岩場!? そんなの召喚できるなら、岩場くらいもっと簡単に作れるでしょ!? ほ、本当のことを言ってください! “この泉を接収しに来た!”とか“破壊して俺の住処にする!”とか“暴れまわる前のちょっとした一休みだ……”とか!)
……なんだこの展開。
「えええ……いえ、本当にただ寝てただけなので、特に何かする気はないですが……お嬢さん、どちら様ですか?」
どうやら夢ではない。
大欠伸とともにぐしぐしと眼を擦り、俺はストーンキャットの上に身を起こした。
周囲に人の気配はない。
が、“人以外”の気配ならある。
草木の気配、水の気配……虫の気配は意図的に除外し、残るは……
「……あれ? 精霊さん?」
そう。山でお会いした風の精霊さん。あれによく似た、いわゆる霊的な存在の気配を感じた。幽霊さんなら怯えるところだが、そういうおどろおどろしい感じではない。
――もしかして惰眠が瞑想にでもつながって、感覚が研ぎ澄まされたのだろうか……
やがて泉の水面、その中央付近に、半透明の女の子が姿を見せた。
あ。かわいい。耳が少しとんがり気味で、どことなくファンタジーのエルフっぽい。
(……は、はい……この泉に棲む、泉の下位精霊です……ステラと申します……)
……この違和感はなんだろう。
風の精霊さんは割と「余裕たっぷり」というか、小さいけれど物怖じしない雰囲気だった。
しかしこっちの泉の精霊さんは、なんか、こう……人間サイズなのに、やたらとおどおどしている。「下位精霊」ともいっていたし、ちょっと違う存在なのだろーか。
「……山にいた風の精霊さんとは、なんだか雰囲気が違いますねぇ」
(風の精霊……? あっ!! “風精霊の祝福”がある……! えっ!? 猫さん、祝福を得られた方なんですか!?)
称号の話か……えっ。それ見えるの?
「風の精霊さんは、命を助けていただいた恩人です。お知り合いですか?」
(し、知り合いというか……あの、上位精霊と下位精霊の違いってわかります……?)
……ルークさんよくわかんない。
困り顔が伝わったのか、ステラさん……というよりステラちゃんは、やや顔を赤くして喋りだした。
(あのですね。上位精霊というのは、自然界の法則を司る存在で、個の概念が薄く、この世界を覆うものです。この星がなくならない限りは存在し続けますし、死という概念もありません。たとえば……猫さんがお会いした風の精霊は、遠く離れた異国にも当然います。そちらの精霊も、本質的につながった同じ存在なので、猫さんのことを知っているわけです)
あー。なんかそんなこと言ってた。気がする。
(でも私達のような下位の精霊は、物や場所へ個別に宿ります。なので、個として存在し、依代が破壊されると消滅してしまいます……また他の泉にも、私のような精霊が棲んでいたり棲んでいなかったりしますけれど、そちらの精霊さんと私は面識がありませんし、情報も共有していません。人にはあまり見分けがつかないみたいですけれど、同じ“精霊”と言っても、上位と下位では在り方がまるで違うんです。上位精霊は、なんていうか……神様? で、下位は人間って感じですね)
だいたい理解できた。
あれだ、風の精霊さんからは若干の超越者的ムーブを感じたのだが、こちらのステラちゃんはリルフィ様やクラリス様に近い、とゆーことか。
「貴重な情報、ありがとうございます。では、改めて……はじめまして。つい最近、こちらのお屋敷で飼っていただくことになりました、ペットのルークと申します。よろしくお見知りおきのほどを――」
(はぁ。これはご丁寧に……ペット!? えっ!? ペット!?)
ステラちゃんがカタカタと震えだす。
(えっ。なんですか。ここ、知らない間に魔王とか邪神とかの拠点になってたんですか!? ペット!? 貴方が!? 貴方をペットにできる存在って、そんなの……あっ! もしかして、神様が月からいよいよ降臨されたとか!?)
怯えたり期待に満ちた眼差しを向けたりと忙しい。あと、あのやたらでっかい“一の月”ってやっぱりそーゆー……
俺は肉球を向けて首を横に振った。
「いえいえ。飼い主のクラリス様は普通の……とゆーか、貴族のかわいらしい女の子です」
ついでに賢くて尊いです。
ステラちゃんはしばし硬直――
(くらりす……えっ。たまにこの泉に来るあの子供ですか? いえ、だってあの子、いわゆる普通の人間ですよね? 私の存在にすら気づいていませんよ?)
「まぁ……そうですね」
“普通”よりはだいぶかわいいしお金持ちの勝ち組でもあるが、身体的にはまぁ、要するに“普通の人間”の範囲内である。
「でも、自分はあくまで猫ですので、人間様に飼っていただくのは当然と思いますが……」
(……………………その発想がもう“猫”じゃないですよぅ……猫さん達って、基本的に人間のことを“下僕”だと思ってるじゃないですか……上下関係、間違えてません……?)
――前世にて。我が社の裏に住んでいた野良猫様(ふてぶてしい)の日々の挙動を見るに、薄々そんな気はしてた。
超越猫さんも「人間ごとき」とか言ってたし、ヒエラルキーって立ち位置によって変わるよね……
「だって、飼われる立場って楽じゃないですか……特に御主人様が優しくてかわいくて尊かったら、そりゃもう家畜の安寧万々歳でしょう」
(………………志っ! 志が低い!? そんなバケモノ召喚&使役できるほどの能力があって!? 上位精霊からの祝福まで受けた立場で!? なりたいもの、何にでもなれるでしょ!? 王様とか魔王とか!)
……ステラちゃんに呆れられてしまった。
なんだよう。いいじゃないかよう。ルークさん忙しいの嫌なんだよぅ…………