20・猫の薬もさじ加減
道中、ヨルダ様に声をかけてくる知り合いが何人かいた。
飲み友達、騎士団の部下、馴染みの商人、娘のサーシャさんのお友達……
皆、「その猫は?」と必ず聞いてきたが、俺は「にゃーん」で誤魔化し、ヨルダ様は「クラリス様のペットなんだが、妙に懐かれた」「とりあえず町を見物させている」と、こちらも適当に誤魔化した。
ヨルダ様の猫力(初期値)は54。
さっきこっそり“じんぶつずかん”で確認したら、この短期間で73まで上がっていた。わぁお。
それ娘さんの数値(70)より高いっスよ?
さて。
目当てのおうちは、町を通り過ぎて農地に差し掛かり、そこから脇道に逸れたえらく不便そうな場所に建っていた。
ごく普通の一軒家、平屋である。
ただし、道中見てきた他の家よりも厳重な柵がきちんと張られており、庭先には井戸と家庭菜園もあった。
「このあたりは治安がいいから、女の、しかも病人の一人暮らしもできるが……他の領地では、“領主の妻がこんな生活を”などとは考えられん話だからな。ウェルテル様が特別なだけだ。いざとなればなかなかお強いし――」
「お強い? もしかして、ウェルテル様って剣士とか魔導師なんですか?」
「ああ、魔導師のほうだ。属性は風で、気流を操り、自身の体や荷物を少し軽くしたり……また、風で飛ばせる程度の軽いものなら、手を使わずに動かしたりもできる。他にも矢の命中精度を上げる、敵を突風で押しとどめる、目潰しの霧で相手を覆う――そういった初歩的な風魔法を使えたはずだ」
なるほど。護身用には充分だろう。
「では、ヨルダ様はこちらでお待ちください。私はただの猫として、ちょっと迷い込んだふりをしてきます」
四足歩行モードで、ヨルダ様の腕から飛び降りる。
「便利だなぁ……密偵にもってこいだ」
「性格的には向いていないので、それはちょっと……」
死して屍拾う者なしの精神は、俺にはちょっと重すぎる!
「姿を一目見るだけなので、声などはかけません。すぐに戻ります」
「なんだ、本当に見るだけでいいのか? なら、寝室の窓に小石でも投げるといい。何事かと外を覗かれるはずだ」
なるほど、そんな手が。
悪ガキのよーな手口だが、使わせていただくとしよう。
猫のふりをして庭へ入り込んだ俺は、まず寝室の窓を探した。そもそもさして大きな家ではない。
平屋だし、居間と台所っぽい場所は遠目にもすぐわかったので、消去法で寝室を特定した。
そしてちょうどいい小石が見当たらなかったので、落ちていた木の実を拾う。
どんぐり……ではないな。何の実だかよくわからないが、大きさは似たようなものだ。軽くて、振るとカラカラ音がする。
ひょいっと放り投げて、すぐさま四足歩行に戻る。
かつん、と窓ガラスが鳴った後、しばらくしてそこから、きれーな女の人が顔を出した。
「……あら? 猫ちゃん?」
「なーう」
俺は鳴いてみせる。
少しやつれているが、クラリス様とよく似たお顔立ちだ。この人がウェルテル様で間違いない。
「ふふっ……かわいいお客様ね。ゆっくりしていきなさい」
優しい声で呟いて、ウェルテル様はベッドに戻られた。
たったそれだけの接触を経て、俺は庭を出る。
そして、家の外に身をひそめていたヨルダ様と再び合流――
「……本当に早かったな。声は聞こえていたが……何か意味があったのか?」
「はぁ。今日は本当に、お顔を拝見しただけです。意外にお元気そうで安心しました」
ヨルダ様が頷いた。
「発作が起きていない時はな。病状が進むと、激しく咳き込み血を吐くこともある。厄介な病だよ」
「神聖魔法とかではどうにかならないんでしょうか? 回復とか……」
「難しい。神聖魔法による回復は、概ね人間が本来持つ治癒力を活性化させる術式なんだが……病にかかっている人間に使うと、病の元まで活性化してしまい、かえって重篤になる例が多い。単純な傷口を塞ぐには便利だが、リスクもある」
病原菌までヒャッハーしちゃうわけか……
猫魔法でなんとかできる可能性もあるが、ストーンキャットさんの想定外の威力に青ざめたばかりだし、クラリス様の大切な母君でいきなり人体実験をするのは、さすがにちょっと怖い。それは最後の手段であろう。
「十数年前に流行った疫病というのも、同じ病ですか?」
「いや、それとは別物だ。あの時の疫病は“ペトラ熱”といって、進行が早く、あっという間に高熱が出て死に至る病だった。ウェルテル様の病は“肺火症”といって、進行は比較的に緩やかなんだが、有効な薬がまるでない。昔からよくある病だが、療養によって治る者も稀にいる。まぁ……大半は助からん」
……うーむ。いよいよ、心当たりが……?
ということで、俺は“じんぶつずかん”を開いた。
この本はヨルダ様には見えない。実体もないから触れない。
ヨルダ様の腕に抱えられてお屋敷へ戻りながら……俺は内心でウェルテル様に謝りつつ、プライバシーの侵害を開始する。
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■ ウェルテル・リーデルハイン(36)人間・メス
体力F 武力F
知力B 魔力C
統率C 精神B
猫力68
■適性■
歌唱B 風属性C 家事C
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やはり体力は最低ライン、ほぼ寝たきりだ。
そして問題はこの後。次以降のページ!
そこには、アカシックレコードから抜粋された彼女の「生い立ち」が長々と記されている。
生まれた実家の話、幼少期のイベント、ライゼー様との出会い、長男クロード様の誕生、長女クラリス様の誕生……
そして、もっとも重要な「現在の状況」。
そこにはこう記されていた。
“二年前の冬、【結核】に感染。発作を経て自らを隔離し、町外れに放置されていた実家の別邸へ移住。病の進行は止まらず、体調の悪化と発作に怯える日々を過ごす。”
………………ビンゴ。
ビンゴォォォォー!!
ルークさん、思わず笑ってしまった。
人様の病気に関して「笑う」など、後にも先にもこれっきりかもしれない。
アカシック接続とつながる「じんぶつずかん」は、俺にわかる言葉で表記されている。
この世界で「肺火症」と呼ばれる病、その正体は、やはりというか案の定、「結核」だ!
ここでルークさんの過去について触れよう。
あれは中学生の頃。
クラスで結核の集団感染が起きた。
終わり。
…………もうお気づきであろう。
俺は「結核になったことがある」。そしてその後の数ヶ月に渡って、「複数の抗生物質を飲み続け治療をした」!
その記憶は俺の体に残っており……すなわち、おそらくは「コピーキャット」で薬を再現できる。
“じんぶつずかん”を病気の特定に使えるかどうかは賭けであったし、それが俺の知らない病気だったらやはりどうしようもなかったが、運命はここで俺に好機を与えてくれた。
不気味に笑い出した俺を見下ろし、ヨルダ様が怪訝な顔をする。
「……ど、どうした、ルーク殿? なにやら邪悪だぞ?」
「失礼しました。でも邪悪ではないです。ええと……いま、魔法で解析したところ……ウェルテル様のご病気は、私の世界でもポピュラーなものでした。つまり……偶然にも、よく効きそうな薬をご用意できそうです」
「何だって!?」
ヨルダ様、つい大声が!
人がいないところで良かった。
「では、やはり……治せるのか!?」
「まだわかりません。ただ、その薬というのが……最低でも六ヶ月間、毎日少しずつ飲み続ける必要があるのです。薬そのものは私の能力で用意できるのですが、飲み続けていただかないと効果がなく……また、途中で“治った”と思って薬を飲むのをやめてしまうと、かえって悪化する危険性もあります。確実に飲み続けていただくためには、どうすれば良いかと……かなり信頼のおける相手から受け取った薬でないと、飲んではいただけないでしょうし……」
見ず知らずの猫が持ってきた薬とか、さすがに怖すぎる……
これはちょっとした難題かと思ったが、ヨルダ様は事も無げに自身を指差した。
「それこそ俺とライゼーの出番だろう。“世話になった商家のツテで、肺火症によく効く貴重な魔法薬が手に入った”とでも言えばいいさ。それで問題あるか?」
「ないです!」
信頼できる味方は作っておくものである。
薬が効いているかどうかも“じんぶつずかん”で見ればいい。
効けば近日中に「薬が効いて快方に向かう」とでも表記が出るだろうし、効かなければその旨が表示されるだろう。その上、薬をちゃんと飲んでいるかどうかまで把握できる。
この“じんぶつずかん”、想像以上にかなり使える!
コピーキャットも便利だし、戦力としては猫魔法のほうが上なのだろうが、こと「情報力」において、この“じんぶつずかん”は一つの完成形かもしれない。
リアルタイムで病気の特定&病状の判断ができて、薬の効果まで判定できるとか、全国のお医者さん垂涎の逸品である。
――少し先の話ではあるが、もう結果から書いてしまおう。
この日から、約半年後。
ウェルテル様の御病気は見事に快癒し、皆の笑顔と共に、お屋敷へ戻られることとなる。
その頃にはまた、ルークさんは別件で忙しくなっていたりもするのだが……
まぁ、そのあたりの事情については、これからじっくりお話を進めていくとしよう。