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我輩は猫魔導師である! 〜キジトラ・ルークの快適ネコ生活〜  作者: 猫神信仰研究会


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189・外務官僚の苦悩


 ホルト皇国の外務官僚、ヒッチャー・ブラッドリー伯爵は、執務机の上で頭を抱えていた。

 齢五十八、そろそろ定年退職の時期も見えてきた今になって、対応に困る案件が唐突に降ってきた。

 ……いや、誰も悪くない。

 部下のリスターナ・フィオット子爵はちゃんと職務を完遂し、あの(・・)純血の魔族、オズワルド・シ・バルジオを怒らせることなく、丁重にここまで連れてきた。


 次は上司たる自分の番なのだが……まぁ胃が痛い。キリキリしてきた。


 リスターナからの報告書は、ややこしい経緯を実にうまくまとめてくれていた。


 彼からはつい先日、『ネルク王国における状況の変化を見届けるため、帰国が遅れる』との連絡が届いたばかりだった。

 ネルク王国からホルト皇国までは、手紙を送るだけでもおよそ半年ほどはかかる。想定外の事故や不手際、盗難などにより未着になるケースもあるため、機密情報の類はもちろんうかつに書けない。そういった機密文書を運ぶには、費用と手間をかけて専門の人員を手配する必要がある。

 

 リスターナから先日届いた手紙は、機密情報こそなかったが、つまり半年前のものであり――直近の経緯については、まだホルト皇国側にも伝わっていなかった。


 そしてリスターナは帰国と同時に、手ずからその報告書を「緊急」として提出してきた。


 その内容がひどい。

 いや、内容自体はよくまとまっているのだが、短期間に想定外の変事が起きすぎている。


・ネルク王国における第二王子と第三王子の王位継承争いは、両者の和解により未然に防がれ、第二王子リオレットが即位。


・それとは無関係に、王都の上空で精霊同士の喧嘩が発生したものの、宮廷魔導師ルーシャンを庇護する『猫の精霊』がこれに勝利。経緯の詳細は不明ながら被害はなし。


・レッドワンド将国で内乱が発生。軍が糧食確保のためにネルク王国へ侵攻するも、その動きに不快感を示した純血の魔族、オズワルド・シ・バルジオに一蹴されて遁走。結果、砂神宮を拠点として、なし崩し的にレッドトマト商国が成立した模様。


 ここまでは諜報局からの報告を裏付ける内容で、ヒッチャーもすでに把握していた。

 そしてこの先が、最新の動向である。


・レッドワンドの軍勢を一蹴したオズワルドは、そのままネルク王国軍指揮官のアルドノール・クラッツ侯爵に接触。自身がレッドトマト商国を支援している旨を告げ、両国間での交易開始を提案。その折に、天幕の中にあった『トマト様』なる新種の野菜に興味を示し、この実の所有者であったライゼー・リーデルハイン子爵に苗、もしくは種の譲渡を願う。ライゼー子爵はこれを快諾。


・王弟ロレンスより、当方に『ホルト皇国への留学』に関する打診あり。ネルク王国側で調整の結果、リーデルハイン子爵家嫡子(ちゃくし)のクロード・リーデルハインを中心とした同行者が選定される。その上で、魔族オズワルドが『トマト様への返礼』として、一行を転移魔法にて往復させる旨を提案。留学手続きのため、当方もその恩恵にあずかった。


 ……流れは理解した。

 不自然な部分は特にない。

 つまりこれは「魔族と友好関係にある王侯貴族の留学を、ホルト皇国が迎え入れる」というだけの簡単な話である。


 そう、簡単な話なのだ。障害はないし、むしろ喜ぶべきことでもある。

 ……が、現場レベルで、彼らと直接、対話する立場になると――

 その責務の重さに、身が……むしろ胃が引き締まる。


 万が一、その留学生達に失礼を働いたら。

 万が一、魔族のオズワルドを怒らせたら――


 自分一人の命で事が済めばいいほうで、場合によっては街ごとなくなりかねない。


 あまり待たせるのも非礼とあって、ヒッチャーはどうにか席を立つ。

 厄介な話を持ち込んだ部下、リスターナ子爵への恨み言は……ないわけでもないが、おそらくは彼も被害者であり、流れを見ても彼にはどうにもできない案件だった。


 むしろここまで冷静に対処してきたのならば、それ自体が大きな功績と言ってよい。ここから先の責任は、上司たる自分も背負わねばならない。


 ヒッチャーの上にもまだ侯爵、公爵級の上司はいるが――彼らは生来の貴族であるため、ヘタに話を持っていくと嫌なこじれ方をしそうな気がする。

 あくまで自分がこの件の最高責任者になる必要があるし、こと「友好国からの留学」に関する案件ならば、自分の職権の範囲だけでも処理できる。


 気合を入れ直して、来賓用の応接室に向かうと――


 なんか、猫がいた。

 

 §


 ロレンス様のお膝の上に陣取り、左右からリルフィ様とクラリス様にモフっていただくルークさん。

 にゃーん。にゃーん。にゃあああーーん。

 控えめに言って天国か?


 適当に悶えていると、アイシャさん(メイド姿)から冷めたツッコミが入った。


「……この猫さん、ぜんぜん緊張してないですねぇ……」

「え。アイシャは緊張してるの?」


 驚いたように問いかけたのは、偽装ツンデレ(風評被害)のマリーンさん。


「それはもちろん。だってホルト皇国っていったら当代最強で名高いスイール・スイーズ様のお膝元だよ? お師匠様からも、『もしお会いする機会があったら、くれぐれも失礼のないように』って言われたでしょ?」


「でも、亜神のルーク様相手にすら物怖ものおじしないアイシャが、人間の魔導師相手に緊張するとは思えないんだけど」


 それな。


 いや、アイシャさんのその特性は俺から見てもむしろ好ましいのだが、それはそれとしてこの子は心臓に毛が生えているタイプの強キャラである。いまや一国の王たるリオレット陛下ですらド正論でボッコボコにできる稀有な人材だ。狂犬かな?


 マリーンさんの説得力しかない指摘に、リルフィ様がくすりと微笑む。尊……


「ルークさんは優しい猫さんですから、緊張しなくても大丈夫ですが……スイール様のお名前を聞くと、私も緊張します。でも確かに、アイシャ様が萎縮いしゅくする姿は想像がつかないですね……」


「あー、リルフィ様までひどいです! こう見えてもめっちゃ緊張してますよ? 緊張しすぎて、いつもよりおなかも空いてる感じがしますし」


 緊張してねぇわコイツ(断言)

 この場でおなかがぐるぐる鳴っても困るので、軽食代わりのクッキーをそっとご提供しつつ、俺はアイシャさんに視線を向ける。


「さっき朝ごはん食べたばっかりですよね? あれだと量が少なかったですか?」


 アイシャさんはクッキーをサクサクしつつ、軽く肩をすくめた。


「朝ごはんは適正量でしたね。冗談抜きで、私って緊張するとおなかが空くんですよ。お師匠様いわく、『緊張によって魔力の放出量とか消費量が増えて、代謝たいしゃが上がってるんじゃないか』って。なんかこう、魔力が必要以上にみなぎる感じがするんです」


「……それは緊張とゆーか、『臨戦態勢』というヤツですねぇ」


 すなわち試合前のファイターである。ナチュラルに強キャラぶりを見せつけてくるアイシャさんに、クロード様が苦笑いを向けた。


「僕の師匠のヨルダ先生もそんな感じのことを言ってました。ヨルダ先生は魔導師ではないですが、緊張に由来する闘争心で体内魔力が活性化するのかもしれません。実際、適度な緊張によって集中力が増し、攻撃の威力や精度が上がるらしいです」


「ははぁ。その反動でおなかが空く、と――つまりアイシャさんは今、敵襲とかを警戒してる感じですか?」


 俺が首を傾げると、リルフィ様越しにアイシャさんの指が我が喉元へ伸びてきた。ごろごろ。


「そこまで神経質なことは言いませんけど、初めての土地ですから用心は必要だと思っています。逆にルーク様は、ちょっと緩みすぎじゃないです? ……いえ、ルーク様の御力があればいくら油断しても大丈夫そうな気はしますが、それでもほら、急に馬車がつっこんでくるみたいな不慮ふりょの事故だって有り得ますし」


 ふむ……確かに『ホルト皇国への留学!』という楽しげなイベントを前に、俺も少々浮かれていたやもしれぬ。

 ここは我々にとって未知の土地だ。いくら「ネルク王国より治安がいい」という評価があったとしても、それは「絶対に何も起きない」という保証にはならぬ。

 クラリス様、ロレンス様の安全を守るためにも、改めて気を引き締めねばなるまい――


 というわけでアイシャさんの助言に従い、こっそり護衛の猫さん達を召喚。

 サバトラ抜刀隊はちょくちょくポカをするので、今回は黒猫魔導部隊である。彼らは攻撃、防御、警戒など、状況に応じて各種の魔法を行使できるので、いろいろな物事に対しカバーできる範囲が広い。


 火力では茶トラ戦車隊とハチワレ砲術隊に劣り、機動力ではブチ猫航空隊に、防御の硬さでは白猫聖騎士隊に、近接戦闘力ではサバトラ抜刀隊に負けてしまうものの……「魔力障壁による広範囲の防御」は黒猫魔導部隊の専売特許であるし、その他の火力・機動力・防御力においても、まんべんなくある程度のことができてしまうエリート魔導師部隊なのだ。

 正直、「弱点らしい弱点」がない。「他の部隊のほうが強い」部分はあるのだが、総合力ではピカイチである。むしろ俺が気づいていない潜在能力もありそう……怖……

 ……なお、事務仕事はできない。どうして……?


 素早く展開を終えたところで、応接室にノックの音が響いた。


「失礼いたします。外務省外交政策局、局長のヒッチャー・ブラッドリーでございます」


 ……田舎の王弟と子爵家令嬢相手にえらい丁寧だな? と一瞬思ったが、これは明らかに「オズワルド氏」を意識した対応であろう。魔族怖いよね……わかる……慣れると意外に普通なのだが、戦力的に脅威なのは間違いない。


 入ってきたヒッチャーさんは、なんだか胃が痛そうな顔をした、背の低い白髪のおじさんであった。

 あと少しでお爺ちゃん、というお年頃か? 『じんぶつずかん』によると五十八歳らしい。猫力は20……俺はあんまり絡まないほうがいいな?


 猫嫌いというか、子供の頃、猫さんに噛まれたり引っ掻かれたりして以来、単純に恐怖心を持っておられるようである。同族がごめん。でも所詮は獣ですし?

 俺を見て一瞬、ビクッとしたものの、それ以上は態度にださない。


 なお、事前にリスターナ子爵からも、ある程度の個人情報を得ている。この人は生まれつきの貴族ではなく、官僚として出世し、現在は一代限りの伯爵様。うちのペズン伯爵と似たよーなお立場だ。


 メインの留学生であるロレンス様が、率先して席を立ち、握手を求めた。


「はじめまして、ヒッチャー伯爵。ネルク王国の王弟、ロレンス・ネルク・レナードです。このたびは急な来訪となってしまい、たいへん申し訳ありません。オズワルド様に転移魔法で送っていただいたもので、文書をお送りする余裕がなく、このような形となりまして」


「いえいえ、ようこそホルト皇国へおいでくださいました。歓迎いたします。これからリスターナ子爵の報告書を精査しますが、来年度からの入学をご希望とのことでしたので、滞在の許可は数日中に、入学の案内は年明けにご用意できるかと思います」


 これも当初の予定通り。制度の上では、他国の王侯貴族は希望すれば即日でも入学可能らしいが……もう年末が近いので、いきなり期末考査とか受けるわけにもいかぬ。現実的ではない。


 この顔合わせは「即日、到着の挨拶をした」「ホルト皇国側もこれに対応した」という事実を作るためのもので、これにより「転移魔法による入国ではあるが、外交官も同行しており、不法入国ではない」と公式に証明しておく意味がある。

 

 改めてそれぞれが自己紹介をしていく中、オズワルド氏が名乗ったタイミングで、ヒッチャー伯爵の冷や汗が増えた。

 ここで猫が「どーも!」とやって場を和ませてさしあげたいのは山々だが、猫力が低いので逆効果であろう……おのが無力を恥じるばかりである。


 しかしそもそも、最近のオズワルド氏は機嫌が良い。


「そう緊張しなくていい。私は長期滞在するわけではないし、たまに様子を見に来る程度だ。クラリス殿もロレンス殿も、接してみれば実に利発で、私としても将来を楽しみにしていてな。そちらにも手間をかけるが、よろしく頼む」


「は、は、はいっ! 承りましてございますっ!」


 ちょっと言葉遣いがおかしくなってそうな気もするが、緊張は伝わる。トマト様食べる……? GABAたっぷりだから自律神経を整えてリラックスできるよ……?(営業活動)


 しかしこの場で俺が喋るわけにはいかぬ。目の前で苦しむ人を助けられぬ無力な猫さんを許して欲しい。己が無力を(略)

 でもちょっと場を和ませたいので、わざと舌をしまい忘れてみたりはする。にゃーん。


 その後に続いた自己紹介で、ヒッチャー伯爵が反応したのはリルフィ様の時。


「ほう。水属性の魔導師様……学園への入学予定はなしとのことですが、研究室やプロジェクトの見学などはご希望されますか?」


「い、いえ、今はまだ、何も……まずはこちらの環境に慣れてから、いろいろ検討したいと思います……私はあくまで、クラリス様の警護役というか、世話係のような立場ですので」


 水属性の魔導師さんは、ホルト皇国で厚遇される。しかも今のリルフィ様は「水精霊の祝福」と「亜神の加護」持ちであり、実は魔導師としてトップクラスの人材。これがバレると一騒動起きそうなので、魔光鏡による魔力鑑定には今後も要注意である。クラリス様とロレンス様も、入学時の魔力鑑定は留学生の特権で免除してもらう予定だ。


 マリーンさんは「魔導師」としての入学になるため、おそらく受ける羽目になるが……彼女にはまだ俺からの称号がついていないので、たぶん問題ない。


 ヒッチャー伯爵が頷く。


「わかりました。リスターナ子爵に引き続きサポートを任せますので、なんなりと……それから、こちらからのガイドなどは必要ですか? 最初の一ヶ月程度はつけたほうがよろしいかとも存じますが、手配が必要であれば……」


 これはクラリス様が即座に断る。


「いえ、お心遣いだけ、ありがたくいただきます。ガイドについては、オズワルド様から知り合いをご紹介いただけることになっていまして……」


 あっ、とヒッチャー伯爵が青ざめた。

 たぶんこの人ぐらいの上級官僚になると、「正弦教団とオズワルド氏が水面下でつながっている」ことを知っている……そしてホルト皇国にはその支部があり、当然、そこの人員をオズワルド氏は好きに使える。


「さ、左様でしたか。それではガイドの手配はいたしませんので、もし後日、必要になったら、リスターナ子爵までご連絡ください」


 ハンカチで冷や汗を拭きながら、ヒッチャー伯爵がちらりと俺を見た。おとなしくしてますよ?(無害アピール)


「……それと、追加で一点。ペットの猫をお連れのようですので……首輪に……あ、いえ、そちらの腕輪のほうでも良いのですが、迷子対策として、連絡先を記載しておくことをお勧めいたします。また、たいへんお恥ずかしい話ですが、誘拐したペットを別の飼い主に売り払う類の犯罪が、この皇都で少し前から起きておりまして……飼い主同士が所有権を争って、裁判に発展したケースもありました。どうかくれぐれも目を離さずに。屋外に出る時は、猫であっても首輪とリードなどをつけたほうがよろしいかもしれません」


 ……猫は苦手っぽいけど、ちゃんと注意してくれるいい人だな?

 まぁ、外国要人のペットが行方不明とかになったらだいぶ面倒なはずなので、懸念はわかる。まさかこのかわいい猫さんが道に迷っても普通に帰れる宅配魔法の達人とは気づくまい。


 ついでにもう一点。

 今の情報は、猫の逆鱗げきりんならぬ逆毛さかげに触れた。

 

(…………狩れ)

(にゃーん)


 一瞬でブチギレた猫の指示を受けて、不可視の黒猫魔導部隊&サーチキャットの皆様が一斉に皇都各所へ散っていく。


 許さぬ……飼い主とペットの絆を裂く愚か者どもを、ルークさんは決して許さぬ……!


 おそらく誘拐したペットをケージなどに閉じ込め、ペットショップに流すルートが存在するものと思われる。

 そんなに実入りのいい悪事ではなさそうだし、やらかしている犯人は数人、せいぜい数グループ程度であろう。


 さほど間をおかずに、どこか遠くで「ちゅどーん」とコミカルな爆発音がした。

 

「……おや? 何事ですかな……」


 ヒッチャー伯爵が窓辺に寄るが、ここからでは特に何も見えない。

 俺は素知らぬ顔で毛繕い。


 この日、三人組のペット誘拐犯が、突然の謎の爆発事故によって、髪をアフロにされつつ捕縛された。

 誘拐されたペット達のケージは何故かこの爆発に巻き込まれておらず、通行人や周辺家屋への被害も一切なかったという。

 不思議なこともあったもんである(棒)


ヒッチャーさんはこの後、もうそんなに出てきません。猫力が低いので出番にもデバフが…

来週は黒猫魔導部隊のお話です。

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― 新着の感想 ―
(…………狩れ) しばらくしたら、「猫の尾を踏む」とか格言が出てきそう。主に信者さんから。
やってることはすごい高度だしとんでもないんだけど、見た目と効果音がなぁ… クラリス様とかにあとで苦言を言われない?
↓ サバトラ隊なら、身体にはキズひとつ付けず、 身ぐるみ剥ぐような精神的ダメージ強そうな攻撃で済ませるやもしれませんよ。
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