187・ホルト皇国の魔導師
「東方諸国」とまとめて呼ばれるこの地域一帯において、もっとも広く、もっとも強く、もっとも栄えている国――それが「ホルト皇国」である。
周辺国からのその評価は、決して間違ってはいない。
国力は随一で治安も良く、農工業と経済も安定しており、「飢餓がない国」とまで羨まれる。
その栄華の源泉は『浄水宮』。
この神代の迷宮からは、魔力を帯びた大量の水が湧出するため、これを擁する皇都ウォルテは巨大な湖を囲むような形で広がっている。
湖は上から見下ろすとほぼ円形。
そこから八方向に大河が伸び、豊穣を約束する水が周囲の国土へと広がっていく。
浄水宮はこの湖の中心にあるため、皇都からは船で行くしかない。
民間人の立ち入りは禁止されており、皇族と許可を得た一部の貴族、官僚、神官、その護衛達ぐらいしか神殿のある島には踏み込めないが、入ったところで、そこに何があるというわけでもなく――ここはただの『大量の水が湧き出す神殿を擁する小島』である。
財宝の類はもちろんないし、魔獣なども一切出てこない。
一般的に「島」とは、「水底から続く山の、その頂上付近」である。
浮島などはまた別だが、浄水宮はまさに「山の頂上」であり、この頂上以外の周辺部がほぼ完全に水没した結果、水深の深い巨大な湖が形成された。
地形としては「周囲の大地が深くえぐれ、その中心部には大量の湧き水を山頂から噴き出す山がある」ようなもので――つまりは「自然には有り得ない」地形となっている。
普通の山は、断層の隆起や噴火によるマグマの流出によって形成される。マグマは冷えて固まって岩となり、これが流れながら堆積することで裾野が形成されていく。
マグマが岩を形成するのに対して、「水」は土砂を流して逆に侵食を促す。
一般的な湖は、周囲の山々から水が流れこんで溜まるか、あるいは湖底から水が湧くことで形成される。
しかし、この浄水宮は――山頂にありながら、マグマではなく、ただの「水」を吐き出し続けている。火口の代わりに水口があるのだ。
山頂以外からの湧水ももちろんあるのだろうが、この浄水宮のある島が、溢れる大量の水に侵食されず残っているのがまず不自然な話で、ホルト皇国の地質学者達も、この謎をいまだに解明できていない。
『……えー。そんな考え込むような話じゃないよぉ? あのね、大昔はここって火口だったの。だけどなんかの天変地異でマグマのルートが変わって、かわりに大量の水が出てくるようになった、ってだけ。ここは岩盤が強固だったから水でも削れなくて……あと当時の亜神が、今の皇都があるあたりを隆起させたりして、全体的に大きな湖にしたの。『ダム』? っていう地形? らしいよ?』
今日も可愛い水精霊様とのそんな雑談中に――ホルト皇国の宮廷魔導師、スイール・スイーズは「ほへー」とアホ面をさらす。
「あー、ダムだったんですか、ここの湖……地形っていうか施設ですけど……その工事をやった亜神さんって、たぶん私と同郷ですねぇ。ビーラダー様じゃないんですよね? 名前とか憶えてます?」
『知らなーい。てゆーか、忘れちゃった。地ーちゃんと仲いい子だった気がする』
「さいですか」
スイールは適当に流す。元々、そんなに気になっていたわけでもなく、「そういえば浄水宮って変な地形だな?」と、なんとなく思っていただけである。
「今の話、昔の宮廷魔導師さんとかにはしなかったんですか?」
『前の宮廷魔導師さん、私と話せなかったしぃ……その前の人はむさ苦しかったし、もっと昔の人達はあんまそういうの気にしない人達だったかなぁ……てゆーか、スイールちゃんが特別なだけだよぉ? 私とおしゃべりできる人ってそもそも少ないし、気が合う人ってなるともっと少ないんだから』
「えへへ。光栄っすねー」
ミニチュアサイズの椅子に楚々と座った小さな友人に、スイールはにへら、と相好を崩した。
この椅子はスイールが水精霊のために作った。ついでに小さなテーブルもある。
どちらも人間用のテーブルの上に置いてあるため――はたから見れば、ドールハウス用のミニチュア家具を前に、スイールがニヤニヤと独り言を言っている状況だった。
しかしこの場に他人の目と耳はないため、異常者扱いされる心配はない。
宮廷魔導師、スイール・スイーズ、二十八歳。
彼女は前世の記憶を持つ転生者である。
浄水宮の奥にあるこの『精霊の間』は、水精霊の祝福を受けた者が精霊と会話できる特別な空間となっており、皇の許しを得た者しか入室できない。
広さはちょっとした体育館ほど。
四方の壁は水に濡れた岩で構成され、壁際を巡る水路には常に水が流れ続けている。
地下ではないが、窓は一つもない。それでいて室内は、随所に吊るされた魔道具の照明によって昼間のように明るい。
床には磨き抜かれた青く平たい石が敷き詰められ、唯一の出入り口は頑丈な金属製の扉で閉ざされている。
この『精霊の間』は、浄水宮に最初からあったものではない。
ホルト皇国が水精霊を信仰するにあたって、水精霊にとって居心地の良い空間を模索した結果の産物であり、部屋全体が一種の魔道具となっている。
亜神ビーラダーが製作したダンジョンにある『精霊の祭壇』をモデルにしているが、つまりはその劣化版と言って良い。そして水精霊に特化した作りなので、地・火・風の精霊とは交信ができない。
やや中途半端な施設ではあるが……それでもスイールにとって、ここは素の自分をさらけ出せる貴重な場所だった。
テーブルの上で、水精霊がにこにこと笑う。
『スイールちゃんは最近どお? なんかおもしろいことあった?』
「なんもないですねぇ……いえ、平和でいいんですけど。前にも言いましたけど、私、前にいた世界では普通のOL……ちっちゃな商会の事務員だったんですよ。そこが割とブラックな環境だったんで、こっちのほうがだいぶ気楽ですねー。テレビとかネットとかないのは退屈だし、不便なことも多いですけど、どんだけ朝寝坊しても許される上に、いまや上げ膳据え膳……ほんと、水精霊様々です」
『あはは。スイールちゃん、自堕落ぅー』
「自堕落て……お仕事はちゃんとしてますよ? でもまぁ、自分のペースでお仕事させてもらえるのっていいなぁ、と……こうして空き時間に、水精霊様とのお茶会をのんびりできるくらいの余裕もありますし」
『あれ? この時間も一応、お仕事ってことになってるんでしょ?』
「まぁ、神託やら祈りがどーのこーのって建前にはなってますけど……今の私にとっては単なる癒やしの時間です。水精霊様のほうは、なんかおもしろいことありました?」
水精霊は自身の青い長髪をくるくると指でいじりながら、くすりと笑った。
『ふふ、あったよぉ。風ちゃんにお友達を紹介してもらったんだけど、それがなんと新顔の亜神さんでね? しかもその気になったら、この世界を簡単に滅ぼせちゃうレベルのすっごい子だったの』
「………………………………は?」
さらりとぶっこまれた想定外の「神託」に、スイールは真顔に転じた。
水の上位精霊は、正確には「神」ではない。が、ホルト皇国では信仰の対象となっているため、ほぼ神と同様に扱われるし、その言葉は「神託」である。
「……ちょっっっっっっと待ってください、水精霊様? 新顔の亜神? 聞いてないんですけど? なんですかソレ?」
『んー。こっちに来てから、まだ一年も経ってないらしくてね? ビーちゃんと同郷っぽいこと言ってたから、もしかしたらスイールちゃんとも同郷かも』
「え。日本出身って言ってました?」
『そこまで深くは聞いてないけどぉ。風ちゃんなら知ってるかも?』
「ええー……」
やっべぇな、とスイールは青ざめる。
このご時世、過度な力を持って世界の垣根を越えてくる連中なんぞろくなものじゃない、という確信がある。偏見である。
男ならチートを駆使してハーレム形成、女なら乙女ゲームーブで逆ハー形成が基本だろうが、そういう個人の欲望を満足させる程度で済むなら全然マシなほうで――「世界を滅ぼせるレベルの亜神」となると、もう嫌な予感しかしない。
なお逆ハーについては、スイール自身もちょっと迷った時期はあったのだが――「よく考えたら私、異性とか彼氏とか恋愛沙汰とかそんな好きじゃねぇわ」と早めに気づいて自粛した。義務感でやることでもない。
そもそもめんどくさいのはきらいである。対人関係つらい。お外出たくない。叶うことならお布団の中でぬくぬくと生きていきたい。
……割と幼い頃からそう考えていたはずなのに、気づいたら宮廷魔導師になっていた。お給料はいいし仕事も思っていたより楽だから「まぁこれはこれで」と喜んではいる。
そもそも彼女は、チートと呼べるほどの能力は持ち合わせていない。
生まれつき魔導師としての才は持っていたが、それはあくまで『一般人よりちょっとすごい』レベルなので、魔族とか神獣とか亜神とかが出てきたら尻尾を巻いて逃げるしかない。もちろん尻尾も生えていない。平凡な凡人である。
そんな凡人が「亜神が出た」などと聞かされて、平静でいられるはずもない。
「あ、あのぉ……その亜神様って、どこの国にいます……?」
『あー。ごめん! 私もお友達になっちゃったから、詳しいことは言えないんだぁ。でも「いる」のは間違いないから、スイールちゃんも知らない人とか怪しい人とはケンカしないほうがいいよ? どこでどうつながるかわかんないし』
「そんなの気をつけようがないです! ヒント! せめてヒントください!」
水精霊が「んー」と考え込む。かわいらしいが、ちょっと意地悪をされている気がしないでもない。
『……まー、スイールちゃんもお友達だしなー……その亜神さんに、スイールちゃんのこと教えてもいい? そしたら仲介してあげる』
「うっ……」
……正直にいえば、怖いから関わりたくない。会いたくない。平民の立場から運にも恵まれてテンポよく出世して、せっかく得た理想的な今の平穏を乱さないで欲しい。
水精霊は、そんなスイールの内心を完全に見透かしたように微笑んだ。
『たぶん、会っておいたほうがいいよぉ? これから亜神絡みで何かあったら、ホルト皇国の人はどうせスイールちゃんに対応を振ってくるだろうから……事前に対策しておくのと、何もわからない状態でいきなりヤバい状況にぶっこまれるのと、どっちがいい?』
「ご紹介のほど、なにとぞよろしくお願い致します」
素直にその場で土下座した。
ともあれ風精霊からの祝福を受けているなら、とりあえず『邪悪』な存在ではない……と思う。だったらいいな、くらいの希望的観測ではあるが、風精霊は確か、割と常識的で面倒見のいい上位精霊という話だった気がする。会ったことはない。
「……あの、参考までにうかがいますけど……その亜神様って、どんな感じの人ですか?」
恐る恐る問うと――水精霊は、にへらっと笑った。
『怖くないよぉ? 狂乱した純血の魔族をあっさり返り討ちにできて、ダンジョンのボスを一撃で塵も残さず焼き払える程度』
「怖っ」
まったく安心できない神託をさらに放り込まれ、スイールは震えた。
『あとねー。なんか世界征服もしたいみたい。(耕地)侵略がどうとか言ってた』
「完全に危険人物じゃないですかやだー!」
これ絶対、傲岸不遜な俺様系厄介転生者だ――と、スイールは確信してしまう。
動揺しまくる彼女を眺める水精霊は、いつも通りに、とても楽しそうな笑顔ではあった。
§
宮廷魔導師スイール・スイーズを守る護衛の騎士達は、浄水宮には入らず、小島の波止場でその帰還を待っていた。
スイールが水精霊に祈りを捧げる間、何人たりとも神殿に立ち入ることは許されない。これは皇からの厳命である。
上位精霊は人の気配に敏感で、不特定多数の雑多な思念を嫌うと言われている。
地水火風の四精霊は、世界のどこにでもあまねく存在しているはずだが、人の多い場所には出てこない。
浄水宮へむやみに近づくのは祈りを邪魔する行為であり、騎士達にとっては大罪といえた。
スイールの祈りは長い。
先代の宮廷魔導師は五分程度で戻ってくることが多かったが、スイールは短くても一時間、長い時には三時間ほども精霊の間に籠もることがある。
待たされる側にとっては少々苦痛でもあるが、その信心深さには敬意を抱かざるを得ない。また、「スイールはこの祈りを通じて神託を得ている」という噂もある。
この日の祈りは二時間ほどで終わった。
波止場で思い思いにくつろいでいた騎士達は、見張りが鳴らした笛に呼応して、戻ってきたスイールを直立不動で出迎える。
スイール・スイーズの冷ややかなまでに凛とした顔には、どことなく、疲労の色が混ざっていた。
それでも彼女は、いつも通りに感情のこもらない、厳かでぶっきらぼうな声を騎士達に向ける。
「ご苦労。城へ戻る。船を出せ」
「はっ!」
分隊長が敬礼し、他の騎士達もスイールを囲みながら船へ移る。
護衛の騎士達はいるものの――戦力としては、この場ではスイールが最強である。騎士ごときの守りなど彼女は必要としないが、そこは慣例というものがある。
そもそも「水の上」において、水属性の魔導師は無類の強さを発揮する。周囲の水はすべてが彼女の武器になるし、スイール一人ならば湖面を滑るように移動できるため、実は船すら必要ない。
この湖の上であれば、たとえ一国の軍隊を相手にしても、彼女は無双できるだろう。
小船に乗り込んだスイールは、操舵手の後ろに立ったまま水面を見つめた。
話しかける恐れ知らずはいない。
かつては「鉄面皮」などと陰口を叩く者もいたが――宮廷魔導師の地位にのぼりつめ、当代最強の魔導師であることを証明した彼女に、面と向かって逆らう者はもはやいない。
まとう雰囲気こそ冷たいが、そっとしておけば温厚で無害な人柄だとも知られている。弟子達によれば意外と面倒見もいいらしい。
浄水宮への行き来に使われるこの船は、定員十名ほどの魔導船である。
動力は魔道具の回転機構とスクリューで、風の影響を無視して好きなように湖面を移動できる。動かすには魔導師の魔力が必要だが、これはスイールがいるので問題ない。
彼女は風の通る場所のほうが好きらしく、いつも船室は使わない。
今日も涼やかな目で穏やかな湖面をじっと見据え、何かの思考にふけっている。
その口から珍しく、分隊長に向けた問いが漏れた。
「唐突な問いですまないが――ホルト皇国に、最後に亜神が顕現したのは、公式には何年前だったかな?」
「は? え、えぇと……史書にある限りでは、二百年ほど前だったかと存じます」
これはあくまで「公式には」という話である。機密文書の類までは、分隊長の立場では把握していない。
一方、そういったものを読めるスイールは、公式情報と機密情報が頭の中でごっちゃになってしまい、あえて自分などに確認を求めたのだろうと分隊長は推測した。
「そうか。二百年なら……クレイン長老ならば、当時のことを知っているかもしれないな」
分隊長の立場では何とも応じられない。
ホルト皇国の皇族は常人よりも長命である。
それは彼らが「亜神の子孫」だからであり、外部から婿入り、嫁入りした者は別として、始祖の系譜に連なる者ならば二百歳前後まで生きる例がざらにある。
今の皇族の中で最高齢となる長老のクレインは、御年二百二十歳。
皇位には一度もついていないが、官僚として複数の皇を支えてきた重鎮であり、政務から退き隠居した今でも影響力を持っている。
平民から見ればもはや雲の上の人物だが――宮廷魔導師のスイールならば、望めば彼と直接対話ができる。
スイールからの珍しい問いかけに反応して、分隊長はつい、余計な詮索をしてしまった。
「もしや水精霊様から、亜神に関係する神託があったのですか?」
「……ん? ……いや、そういうわけではない。私の個人的な研究の話だ。分野としては考古学か神学だな」
「そうでしたか。これは失礼を」
分隊長は見当外れの勘違いを恥じた。
――彼にもう少しだけ観察眼があれば、スイールのわずかな動揺を見破れたかもしれない。
スイール・スイーズは、ホルト皇国の宮廷魔導師である。
当代最強と謳われ、他国にまでその名を知られる彼女は、いくつもの「実績」を持っている。
幼い頃には、運河での水難事故において多くの人々を救い。
学生時代には、数々の研究成果を出した上で、水精霊からの祝福を得て。
魔導師として宮廷に就職した後も、模擬戦闘や事故対応、暗殺の阻止などで名をあげ続け、あっという間に宮廷魔導師へと出世した。
先代の宮廷魔導師の引退時期と重なっていた上に、『水精霊の祝福』を得た者が他にいなかったため、この抜擢はすんなりと受け入れられた。
――その陰で、派閥の力関係や思惑による様々な政治的駆け引きがあったことは、分隊長の立場では知るよしもない。
いまやスイールはホルト皇国の至宝であり――より正確には、「至宝」として機能するよう、皇族や貴族、神官達によって祭り上げられた存在であり、その意図をもって対外的に『当代最強』と喧伝されている。
そして、そんなスイールの『本当の姿』を知る者は――宮廷にも、軍にも、官僚にも神官にも、誰一人として存在しないのだった。
確定申告の時期なのでいつもより短い……事務仕事をしてくれる猫が欲しい……(敗北宣言)
それはそれとして三國先生の「我輩は猫魔導師である」コミック3巻、おかげさまで無事に発売中です!
WEBに未掲載の描き下ろしもたっぷりですので、ぜひご一読ください。今回もルークさんがわちゃわちゃしていてすばらしいです。
あとオビでもちらりと触れていますが、LINEスタンプの第二弾も決定!
あとがきで庶務が触れていたセシルさん(犬)のスタンプも採用していただきましたひゃっほう。
こちらは2/22の猫の日前後に配信予定だそうです。お楽しみに!




