19・猫のお見舞い
「さて、俺のほうの話は済んだ。ルーク殿の用件をうかがおうか」
そうだった。本題はこっち。ストーンキャットのインパクトにうっかり持っていかれるところであった。
「はい。実は、ライゼー子爵の奥方様、クラリス様の御母上について……療養中とうかがったのですが、一度、お会いしてみたいのです。ただ、ライゼー様はお忙しい方ですし、クラリス様には病が伝染ると危険ですし……何より、案内を頼むと、その……期待をさせてしまっても、申し訳ないので……」
「ふむ? 期待?」
ヨルダ様が首を傾げた。ちょっと言葉が足りなかったか。
「たとえば、俺なら病気を治せるかも、みたいな?」
「ああ、なるほど……まさか、治せるのか?」
これが難しい問いである……
「たぶん無理、と申し上げておきます。でも、もしも奥方様の患っている病が、俺の世界にもあった病気と同じものなら……可能性は0ではないです。とはいえ、クラリス様を期待させてしまうほどの確率ではないので――」
「なるほど。それで部外者の俺に声をかけたか。いい判断だ。しかし、リルフィ様ではだめだったのか?」
「リルフィ様は嘘のつけない方です。特にクラリス様に対しては……」
「ああ、うん。確かに演技はヘタだ」
身も蓋もねえ。せっかくボカしたのに。
「つまり、奥方の……ウェルテル様の療養場所に、ルーク殿を案内すればいいわけか」
「お願いできますか」
「造作もない」
ヨルダ様にはすっかり信用していただけたようだ。奥方はウェルテル様というお名前らしい。
「ただ、治す手段を知りたいな。奥方様に危険があるようなら……」
「ですから、たぶん治せません。期待はしないでください。ただ……万が一ということもありますから、せめて確認したいのです。我が飼い主たるクラリス様のために」
ヨルダ様が立ち上がり、俺を腕に乗せてくれた。
「手段については愚問だったな。貴殿に害意があろうはずもない。この屋敷から町まで、徒歩で二十分。そこからウェルテル様のお住まいまでは、更に三十分といったところだ。クラリス様達に病をうつさぬようにと、ウェルテル様はご自身で隔離を望まれた。俺も場所は知っているが、おそらく会ってはくれないぞ。扉を開けてくれんのだ」
「どうやって生活をされているのです?」
「町の者やうちの使用人が、週に二、三度のペースで食料や生活用品、洗濯物などを届けている。その時も手渡しではなく、玄関先に置いておくという徹底ぶりだ」
「住み込みの使用人などはいないのですか?」
「いない。まぁ、元々……ウェルテル様は商家の御出身だから、家事は一通りこなせる。ライゼーが子爵位を継ぐ前に結婚した方だから、生まれも育ちも平民だ。裕福な商家の娘さんだったから、そこそこ金持ちではあったがね」
ふーむ……つまり、立ったり歩いたり、あと食事とかも一人でできているわけか。
思ったより悪い状態ではないのかもしれない。
さて、出かける前に、クラリス様とリルフィ様へご挨拶。
お二人はリルフィ様の研究室にて、製作予定のお風呂の見取り図を描いていらした。
「クラリス様、リルフィ様。ちょっとヨルダ様と一緒に、町でお昼を食べてきます。午後には戻りますので!」
「私も行く」
クラリス様が席を立とうとしたが、俺の背後でヨルダ様が苦笑を漏らした。
「いやぁ、子爵家の御令嬢をお連れするような場所では……馴染みの飯屋の話をしたところ、ルーク殿も興味があるとのことで。ただ、その……非常に“辛い”食い物なので……」
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
クラリス様、すとんと椅子に座り直し、ふりふりと手を振った。
そーか……クラリス様、辛いのダメか……俺は割と平気なので、うっかり勧めないようにしよう。
リルフィ様も悲しそうなお顔をされている。
「私も、辛いものはちょっと苦手で……あと、町に出るのもあまり……」
わかる。この方はお外に出してはいけない。悪い虫が大量に寄ってくる。監禁せな。
「あれ? でもたまに、冷蔵倉庫へ氷を作りに行かれるんですよね?」
「その時は、召使いの方々や……護衛の方もついてきてくれます……」
「リルフィ様ほどの優秀な魔導師は、誘拐の危険すらあるからな。さすがに領主の家族へ手を出す馬鹿は滅多にいないだろうが、あまり屋敷から出ないのは当然だ」
あー。やっぱり魔導師ってそこまで貴重なのか……
「そうでしたか。じゃあ代わりに、甘いもの置いていきますね」
手近な薪を手に取ってお皿へ載せ、ブッシュ・ド・ノエル>ティラミスへと変化させた。
ケーキ再現の初手として、薪>ブッシュ・ド・ノエルはあまりに鉄板すぎる。ソシャゲなら運営が気づいた時点で規制されそうな便利さだ。
「わぁ……!」
「これは……また見たことのないお菓子が……!」
たちまち女子二人が眼を輝かせるのを横目に、俺とヨルダ様はすたこらさっさとその場を後にした。
のんびりと敷地を歩きながら、ヨルダ様が改めて呆れたように言う。
「……すごいな、あの力。昨夜は野菜を変化させていたが、薪も食い物に変えられるのか」
「元が薪だと、初見のライゼー様にはさすがに抵抗があるかと思いまして」
使っているうちにふと思ったことだが、アカシック接続を使用したコピーキャットって、“薪を変化させる”というより、“薪を生贄にしてケーキを召喚する”みたいな感覚かもしれない。
なんというか、ケーキの情報を再現する前に、薪の情報を“向こう”へ送っている気がする。
こういうのを感じ取れるようになったのも使用回数を重ねてきたからだが、もし仮に“コピーキャット”も熟練度次第で進化していく能力だとしたら――いや、いま考えるよーなことではないか。
ただ、最初は不思議で不思議で仕方なかったこの力も、意外に「理屈が通っている」ような気がしてきてしまった。
最初の「植物の種」は、どこから生まれたのか。
「急にどうした」と言われそうだが、疑問に思ったことはないだろうか。
つまり「卵が先かニワトリが先か」というアレである。
生物学やら植物学的には「アミノ酸がー」とか「ミトコンドリアがー」とか、いろいろ難しい話がありそうだが、そもそも原始の「有機物」が「植物」と「動物」へ進化し、さらにそれが分化して様々な種類へ広がっていったという事実――“アカシックレコード”とやらには、たぶんそれらのデータが蓄積されている。
何が言いたいかというと、猫も、人も、トマト様も、砂糖も、ブッシュ・ド・ノエルも、薪も、恐竜も三葉虫もアノマロカリスも、「すべて」の元を辿ると、「地球へ落ちた隕石に付着していた、ただの有機物」とか、あるいは「深海から発生した何らかの化学合成生物」とか、そういう何かであった可能性が出てくる。
その場合、それらを相互に変換できたとしても、特に不思議は……というのはあまりに暴論なのだが、「アカシック接続」で、「元が一つの存在」から分化したデータを、「俺自身」を媒介にして抽出するというのは、なんだか理に適った仕組みのような気がしてしまうのだ。
さて、ヨルダ様に抱えられて歩くリーデルハイン邸の敷地は、改めて見ると広大だった。
特に柵などはなく、町との境界には自然の小川を利用しているらしい。
裏は山地であり、領主の館が町の外周部にある――というのは防衛的にどうなのかと一瞬思ったが、町側にも別に防壁などがあるわけではないため、まぁ防衛力的には変わらんのだろう。
むしろ常駐の警備兵がいる館を山側に配することで、山から迷い込んでくる獣を食い止めている、という見方もできる。
広々とした牧草地を抜けて、ごく短い橋を渡ると、その先には多くの民家が立ち並び始めた。
大通りはレンガで舗装されている。けっこう大きめな町だ。
山の斜面から見えなかったのが不思議だが、地形の起伏でちょうど隠れていたっぽい。リーデルハイン邸の敷地が広すぎるのも理由の一つではある。
「町までずいぶんと距離がありましたが……広い敷地ですねぇ」
「そうか? 気にしたこともなかったが……田舎の子爵家ともなれば、こんなものだろう。例えば町が戦火で焼けた時には、この内側へ領民を一時的に住まわせる必要も出てくる。それから、他の領地から来る遠征軍や守備隊の一時の滞在場所としても、ある程度の広さの空き地が必要だ。活用する機会などほとんどないが、これらの確保は地方領主の義務として法で定まっている」
なるほど、そういう理由があってのことか。
「あとはまあ、盗賊対策もあるのかな。遮蔽物のないこの広い敷地を突っ切れば、どうしたって目立つ。ルーク殿は山から降りてきてクラリス様に見つかったそうだが、山側から来る命知らずの侵入者などそうはいない。軍隊でさえ、落星熊に遭遇した時点で壊滅するのが関の山だ」
まだ見ぬ落星熊さんマジパネェ。遭遇したくはないけどちょっとだけ見てみたい。
辿り着いた町は「活気がある!」というほど栄えてはいなかったが、要するに普通の町だった。
人口は定かでないが、商店は道沿いにそこそこあって、ちらほらと人も歩いている。
過疎化した日本の地方都市よりは活力があるものの、喧騒とまではいえない、というところ。つまりは適度にのどかだ。
あと……「冒険者」とか「傭兵」っぽい人がまるでいない。すべて平民。疑う余地もなく完全に平民。
町であまり喋るのはまずいと思い、俺はごく小声でヨルダ様に問いかけた。
「あの、冒険者とか魔物退治をする人とか、そういう人たちのギルドとか……そういうのはないんですか?」
ヨルダ様が肩をすくめた。
「こんな田舎の子爵領には、さすがになぁ……伯爵領の領都になら、冒険者ギルドの支部もある。あとは近くにダンジョンでもない限り、ああいう連中は集まらんよ」
ここにはなくても、この世界にはあった! しかもダンジョン!? それで充分、胸躍る情報である。
「あるんですか! いやー、楽しみです!」
「いや? だからないぞ? 話聞いてたか?」
うっかり噛み合わない応答をしてしまった。
「あ、いえ、そうではなくて、“そういった機関がこの世界にもあるんだ”という意味です。この町にないのは理解しました」
「ああ、そういうことか。そういえばルーク殿は、この世界の常識に疎いんだったな……俺の父親も冒険者あがりだぞ? 隊商の警護なんかは、冒険者のいい働き口なんだ。そこで腕を見込まれて、商人の専属の護衛になるやつもいる。うちの親父はそうやって冒険者から足抜けして所帯を持って、ライゼーが養子に行った商家で雇われていた。あいつが子爵家を継ぐきっかけになった、例の疫病が流行った時に亡くなったがね」
なるほど……「足抜け」とまで言うからには、やはり冒険者というのは過酷というか、実入りの少ないお仕事っぽい。
「好きでやっている」というよりは「他の選択肢があまりない」人が、糊口をしのぐ目的でやる感じなのかな。
そんな流れでこっそりと世間話をしながら、俺達一人と一匹は、クラリス様のお母様の住まいへ向かっていった。