18・猫と隊商の守護騎士
お風呂の設計はクラリス様達にお任せして……
翌日、俺はもう一つの気になっていたことを、ヨルダ様に聞いてみることにした。
リーデルハイン邸の敷地内にも警護要員のための兵舎はあるが、騎士団のメインの宿舎、及びそれぞれの自宅は町にある。
ヨルダ様がお屋敷に出勤してきたタイミングで、俺はそっと彼の足元へ駆け寄った。
「ヨルダ様、おはようございます」
「おう、ルーク殿か。おはよう。今日はクラリス様と一緒ではないんだな」
ヨルダ様、ライゼー子爵のことは「ライゼー」と呼び捨てにするくせに、クラリス様とリルフィ様にはちゃんと様をつけている。
ペットの俺にもわざわざ「殿」なんてつけるくらいだし、意外と丁寧な人なのかもしれない。
つまりは、ライゼー様が「特別」なのだろう。
あるいはライゼー様が子爵家を継いだ時、「お前だけは、今後も変わらず呼び捨てにしてくれ」とでも本人から頼まれたんじゃなかろうか。どうもそんな気がしてならない。
「ヨルダ様、今日はお忙しいのですか?」
「そうでもない。部下どもに稽古でもつけてやろうかと思ったんだが……」
ヨルダ様、ここでニヤリと笑った。
「悪巧みに巻き込む気か?」
「とんでもありません。ちょっとクラリス様やライゼー様には、お聞きしにくいことがありまして……」
それならリルフィ様に……とも思ったのだが、俺が「亜神」だと知っているリルフィ様にもちょっとバレたくない。
「いいだろう。俺も君に興味がある。話を聞いてやるから、俺の質問にも答えてくれるか?」
「もちろんです。答えられることであれば」
ヨルダ様はこの世界に来て初めて出会った「武力A」の達人である。交誼を深めておいて損はない。
俺とヨルダ様は人目を避けて、敷地の外れのほうにある小川のほとりに座り込んだ。
ここは山から流れる川とつながった支流であり、清らかな水がさやさやと流れている。水深はごく浅く、一番深そうなところでもせいぜい大人の足首ぐらいまでだ。魚は小魚程度しかいないので、釣りにはちょっと向かないスポット。
ヨルダ様は精悍な顔を水面に向けながら、ぽつりと呟いた。
「単刀直入に聞く。君、俺より強いだろう?」
いきなり何いってんだこのおっさん。
こちとら体力武力Dだぞ? ヨルダ様は文句なしのA、適性も剣、槍、弓と、まさに戦士の趣である。
何をどう勘違いしたのやら……
困惑し呆れつつ、俺は即座に否定した。
「いや、あの、ヨルダ様……私、猫ですよ? 力なんて子供以下ですし、まともに武器を持ったことすらないです。強いわけがないでしょう」
「もちろん“魔法を使えば”という話だ。俺も、多少は腕に覚えがある。向き合えば、相手の力量をある程度は推し量れるつもりだ。ルーク殿、君は……一種の“化け物”か、あるいは“神々”に近い存在だと感じた。ただ神様に会ったことがあるというだけでなく、もはや“その身内”なんじゃないのか?」
ぎくり。
この人、もしや鑑定眼でも持ってるんだろうか……じんぶつずかんにそんな記載はなかったが。
「……神獣か、使徒か、あるいは高名な魔導師が猫の姿にでも変えられたのか、事情まではわからん。が、どんなに抑えても、尋常じゃない圧力をビリビリと感じる。昨夜、初めて会った時……正直に言って、俺は君が怖かったよ。あの場でもしも闘いになったら、絶対にライゼー達を守りきれんという確信があったからな」
……にゃーん。
こんなかわいい……かどうかはちょっと自信ないが、普通の猫を前にして、このおっさんは何を言っているのだろうか……
「うーーーーーーーーーん……いえ、それはやっぱり、ヨルダ様の勘違いだと思いますけど……あの、昨日お見せした魔法も、おいしいものを食べられるとゆーだけのものですし……?」
ヨルダ様が眉をひそめた。あ。機嫌悪い。これ怒らせちゃった……?
「どう判断したものかな……まず、俺は君を敵に回したくない。それだけははっきりしている。その上で、君が実力を隠したいなら……まぁ、仕方がない。ただ、ライゼーの周辺を守る者として、その力の一端はせめて知っておきたい。どうだろう? 今から少し、魔法を使って見せてくれないか。たとえば……」
ヨルダ様が、近くに転がっていた石を拾った。
「今からこの石を遠くに投げる。それをめがけて……系統はなんでもいい、魔法を使ってみせて欲しい。得意なのは炎か? 氷か? それとも風系統か?」
……………………猫系統……かな?
ちょうどいい機会だ。超越者さんが言っていた「猫魔法」、ここで試してみるのもいいかもしれない。
「わ、わかりました。あの、失敗してもがっかりしないでくださいね……? 隠してるとかそーゆーんじゃなくて、こちらの世界に来たばかりで、本当に何もわかっていないだけなので……!」
むしろ練習したいので、一週間くらい後にしてくれるとありがたいのですが……
「よし。では投げるぞ?」
「あ! ちょ、ちょっと待ってください! カウントダウンお願いします! 10から!」
「わかった。10、9、8……」
猫魔法、猫魔法……ええと、猫の形になるようにイメージして――炎は、火事になったら怖いからダメ。雷……は、音がうるさかったらご迷惑になりそう。風だとどうなる? 石の軌道を変えるだけとか? 地味だ! 氷……無難ではあるが、氷の塊を投げても小石にあたる気がしない……
あ! 別に壊す必要はないのか! 「何か魔法を使え」っていうだけの話だし! じゃあ、えーと……これだ!
「……2、1……投げるぞ!」
ヨルダ様が拳大の石を、斜め上方へ放り投げた。
俺は咄嗟に思いついた“猫”のイメージを付加した魔法を発動させる。
「猫魔法、ストーンキャット!」
――にゃーん、と、空から可愛らしい鳴き声が響いた。
ヨルダ様が放り投げた石が、空中でみるみるうちに形と大きさを変え、下へと落ちてくる。
くるくるくるりと回転し、どすっと着地したそのお姿は……
「い……岩でできた猫……だと……!?」
ヨルダ様びっくり。
俺も一緒にびっくり。
いやアレ、「猫」と呼んでいいのかどうか……
とりあえず、大きさが熊並みである。ヨルダ様が投げたのはもちろん小石だから、明らかに巨大化している。
ただしシルエットは丸っこい猫そのもので、胴体に対し頭がでかい。つまり頭だけなら熊よりでかい。怖い。
形状だけならファンシーな分、その大きさと重そうな岩の質感がとても怖い。
「にゃっ!」
その巨体で疾風の如く駆けてきたストーンキャットが、ヨルダ様めがけて前足を振り下ろした。
「くっ!?」
腰の剣を抜き放ちつつ、辛うじてこれをかわすヨルダ様。
前足が空振りした先で、足元の土が地響きを伴い大きくえぐれる。
「こ、このっ!」
ヨルダ様の返した斬撃は、「がきん!」と簡単に弾かれた。
岩に剣は通じない。とゆーか、仮に切れたとしても全身が岩だからまともなダメージにならないのでは……?
「ふぎゃー!」
続いて岩石猫の右フック!
ヨルダ様の構えていた剣が、ぱきんと折れた!
「なっ……!」
呆然とするヨルダ様……わ、割と良さそうな剣だった……え。あれ、俺が弁償しないとダメなのでは!?
「と、止まれっ! 元の石に戻れっ!」
ちょっと驚きすぎて、もっと早くに出すべきだった指示が遅れてしまった。
「にゃーん!」
なんだか楽しげな鳴き声を残して……
岩石猫は、元の拳程度の小さな石へと戻った。
後には静寂――
剣を折られたヨルダ様は、跳び退いた地点で呆然としていた。
……やっぱあの剣、凄い高かったのでは…………?
土下座? 土下座でごまかせる? ルークさん土下座得意よ?
「ヨ、ヨルダ様、あの……!」
「ルーク殿……」
ヨルダ様が膝をつき――俺に向かって、深々と頭を垂れた。
「……試すような真似をして申し訳ない! 俺が浅はかだった。よもや、よもやこれほどのものとは……」
……折れた剣のことで動揺していたわけではなかった模様。
「……貴殿ほどの使い手がその気になれば、こんな田舎貴族の領地など、いかようにもできるはず……それをしないという時点で、貴殿に害意がないことを察するべきだった。無礼を詫びる。どうか……どうか、許していただけないだろうか」
声が真面目すぎて違和感しかない! ヨルダ様ってもっと豪快系のキャラでは!? 立ち位置的に!
「い、いえ! あの、こちらこそすみません! あんなのが出てくるとはちょっと想定外で! あの、普通にですね!? 石をかわいい猫に変えて、ちょっとだけじゃれつかせて、何も害がないことをアピールしようとしたんですが……!」
そう。
あの岩石猫さん、実はヨルダ様を“襲った”わけではなく、ただ“じゃれついた”だけなのである……
それであの威力と迫力っておかしいだろ……
「こ、こちらの世界での魔法の使い勝手に、まだ慣れていなくて、不安定なのです! ですから、あの、その……剣、折ってしまってごめんなさいっ!」
ヨルダ様が、柄だけになってしまった自身の剣を改めて見つめた。
「剣……? ああ……そうか。折れたな……いや、しかし……ルーク殿。この剣は、“パドゥール鉱”という鉱物でできている」
「は、はい……高価なものなんですか……?」
「いいや、値段はまぁ、さほど安くはないが高くもない。ただの消耗品だ」
よかった……“思い出の品”とか“親父の形見”とか言われたら本当にもうどうしようかと思った……
「このパドゥール鉱でできた剣は特殊な魔力加工がされていて、強い衝撃を受けると、折れる前にしなって“曲がる”んだ。ぐにゃりと、それこそ針金のようにな。武器としては柔らかすぎて強度に欠けるが、軽くて加工しやすく、抜剣も早いから咄嗟の護身用として普及している。戦地に持っていけるような頑丈さはないが、つまり曲がりやすくて折れにくい。そんな剣を一撃で叩き折るなど……落星熊にもできぬ芸当だ。単に力が強いだけではなく、打撃に魔力を乗せていなければこうはならん……」
……時に一匹で騎士団を壊滅させるとゆー、まだ見ぬ落星熊さん……
今のストーンキャットは、それより強そうというお墨付きをいただいた。
バケモノじゃねーか。
ヨルダ様はその場に座り込み、自身の額を二度三度と叩いた。
「……俺はどうにも馬鹿でいかん……俺ごときが試していい相手ではなかったな。しかしルーク殿、この屋敷の警護役として、改めて問いたい。貴殿は何者だ? 何を目的としてここにきた? これから何をしようとしている?」
懸念はわかる。
だから俺も正直に答えるしかない。
「異世界から来た、ただの猫としか言えません……立場も何も持ち合わせていませんし、目的も特には……強いていえば、“呑気に昼寝をしながら、なるべく楽に暮らしたい”とは思っていますが……今後については、とりあえずはトマト様を栽培して食生活の充実を図りつつ、お風呂を作ってゆったり過ごそうかと――」
――ヨルダ様、しばらくぽかんとした後で、急に吹き出した。
「そうか……いや、そうか、そういうことか。失礼した。そうだな。能力があるからといって、その力を十全に活かす必要は特にないわけだ。“賢人は足るを知る”と言うが……ルーク殿は、平穏無事を愛する者なのだな。納得した」
「それはそうです。なにせただの猫ですから」
俺はヨルダ様と顔を見合わせ、互いに笑いあった。
この人とは、なんか上手くやっていけそうな気がする――そんな実感を、いま俺は確かに得たのだった。