170・ルーシャン先生のホルト皇国講座
「ホルト皇国について教えて♪」と、宮廷魔導師ルーシャン様に猫がお願いをしたら、快く引き受けてくださった。
この方が猫さんからのお願いを断れないのは周知の事実である。「ルーク様と大事な話があるから」と、嬉々として弟子達に仕事を丸投げし、アイシャさんから恨めしげな視線を向けられながら、「ひゃっほう! 書類仕事から抜け出す口実ができた!」と言わんばかりの勢いで食いついてきた。
……とりあえずお弟子さん達には、スイーツの差し入れをしておいた。ごめんちょっと上司借ります……
ちなみにルーシャン様達がお忙しいのは、主に「琥珀」をどう流通させるかとか、価格を破壊しない適正量の算定とか、魔導閥内部の調整とか……日々の業務にプラスして降ってきた、それらの雑務に困惑しているせいである。
そもそもこの琥珀、そう大量に流通するものではない。壊れにくいので、古い魔導具からもきちんと回収して再利用するくらいに希少な品だ。
ネルク王国では慣例的に、その流通は魔導閥の利権と認められてきたため……ここに『新規の迷宮』から大量の琥珀が流れ込むと、おそらく大混乱に陥る。
王立魔導研究所は現在、その混乱を防ぐための政策作り、法整備嘆願の下準備におおわらわなのだ……たびたびごめん。
とはいえ琥珀の産地発見自体はとても喜ばしいので、苦労のし甲斐はある……と思う。
さて、キャットシェルターにお招きしたルーシャン様は、ノリノリで講義を始めてくれた。
聴講者は俺とクラリス様、リルフィ様、ウェルテル様、ピタちゃん。サーシャさんはメイド業務のために街で買い出し、クロード様はそのお手伝いである。ちゃんと仲良くお買い物できてえらい(猫目線)
「さて、ルーク様もご存知の通り、ホルト皇国は文化、資源、軍事の各分野において、近隣諸国でもっとも発展している強国です。その発展の礎とも言えるのが、皇都の中心部にある神代の迷宮、『浄水宮』――レッドトマト商国の『砂神宮』と同じようなものです。ただし、産出されるのは鉱物資源ではなく、微量の魔力を含んだ大量の水ですな。この水は作物の成長に有益で、湧水量は多すぎて測定不能……この浄水宮を中心として巨大な湖が形成されており、この水が国土へ川となって広がることで、皇都に近い地域ほど豊作が約束されております。近隣国では、『ホルト皇国の民は飢餓を知らない』とまで言われますが、おそらく誇張ではないでしょう。周辺国はホルト皇国から農作物を輸入する立場ですので、もうこの時点で力関係が定まっております」
ルークさんはすかさず挙手。
「ルーシャン先生、質問があります! そんなに農業に強い国なのに、レッドワンドと取引をしてこなかったのはなぜでしょう?」
向こうで『今後は交易で経済を発展させる』という方針がパスカルさんから出た時、『隣接するホルト皇国では鉱物資源にも不自由していないため、買い叩かれる』という話は聞いた。
その時は「そんなもんかー」と聞き流したのだが、今の話を聞く限り、ホルト皇国では農作物が余っているはず――
別に「飢餓に苦しむ隣国に支援をしろ」とまでは言わぬ。
隣国を援助する国は滅びる、なんて格言もあるし、レッドワンドさんは実際ちょっとアレな国だった。
だが、「高値で農産物を売りつけられる、すぐ隣の国」をあえて無視していたのには、それなりの理由があるはずなのだ。政府が禁止でもしていない限り、耳ざとい商人が飛びつくと思われる。
ルーシャン様はちょっと難しいお顔に転じた。
「理由は……いくつかあります。まず第一に、レッドワンド将国が成立する前、あの地域一帯はほぼ無政府状態でして、少数の部族同士が縄張り争いをしていたのです。その時期、国境にいた部族は、ホルト皇国側へよく略奪に行っていたようで……レッドワンドの建国以前から、ホルト皇国側ではこれを問題視し、小競り合いを続けていました。これは国同士の戦いではなく、まるっきり蛮族への対応ですな。その蛮族達が『レッドワンド』という国を作ったからといって、それで和解や取引ができるとは考えなかったのでしょう。実際……レッドワンドはその後、ご覧の有様に成り果てました」
歴史的な嫌悪感か……なるほど、そういういざこざは根が深そうである。
「それから第二の理由として、ホルト皇国とネルク王国との交誼があげられます。両国の関係は、歴史的にも良好でして……『レッドワンドへの食料支援・輸出』とは、つまり『ネルク王国と敵対する国への支援・交易』ということになりますから、これを是としなかった点は、我々としても感謝すべきところでしょうな」
うーーーーん……そうきたか!
ルークさんは唸ってしまう。
これはマズい。明らかにマズい。
レッドワンドは、ホルト皇国とネルク王国にとって共通の敵だった。
それが滅び、魔族からの要請があったせいとはいえ、ネルク王国は「レッドトマト商国」との交易路を拓くと決めた。
ホルト皇国からしてみれば、まるで「同盟国が敵と手を結んだ」ようにも見えるわけで、これは非っっっっ常にマズい……
もちろんネルク王国とホルト皇国に『同盟』関係はなく、あくまで友好国というだけなのだが……ホルト皇国のほうが国力は上なため、政府筋から「なに勝手に話すすめとんねん」という感情が出てきても不思議はない。
しかもその背景に、リスターナ子爵が懸念するような「魔族の属国化」があった場合、外交の舵取りは一層難しくなるわけで……
……そういえばメテオラでの茶会の折、リオレット陛下もトゥリーダ様に、「ホルト皇国へ早急に使者を送ったほうがいい」と助言していた。
あれも「誤解される前に対応する必要がある」と見越しての発言だったわけだが、今のルーシャン様のお話を踏まえると、さらに重みが出てくる……
つまりレッドトマトにもホルト皇国との国交をひらいてもらわねば、誤解が加速してしまう。
ルークさんが考え込む中、リルフィ様も小さく挙手。
「……あの、ルーシャン様……私からも質問を良いでしょうか? 現状、ホルト皇国がこちらを警戒しているのは、詳しい状況がまだ伝わっていないせいと、事態に魔族のオズワルド様やアーデリア様が絡んでいるから、疑心暗鬼に陥っているせいですよね……? つまり両国からきちんと事情の説明をして、今後も外交を密にしていけば、いずれ解ける誤解とも思うのですが――」
「まさにその通りです。そしてその要となるのが、ルーク様も注目されているリスターナ子爵ですな。外交文書だけでは、両国から口裏をあわせた虚偽の内容を掴まされることもありえますので……こうしたケースでは、自国の外交官が現地で得た情報が極めて重要な意味を持ちます。彼が我が国での滞在期間を延長しているのも、その重要性をはっきりと自覚しているがゆえです。リスターナ子爵が事態の推移を見守らず、一刻も早く帰国してしまうような人物でなかったことは、我々にとってもホルト皇国にとっても僥倖でした」
俺は頷きながらルーシャン様を見上げる。
「その件でもご相談がありまして……できればウィルヘルム様かルーシャン様にリスターナ子爵と接触してもらい、世間話みたいな流れで、魔族側の事情説明をしていただけるとありがたいのですが……あの、つまり、『魔族にこちらの国を支配するつもりはなく、じきに立ち去る予定』と、明言してもらったり……」
「必要でしょうな……しかしその説明は、私からでは少々不自然ですので、ウィルヘルム様のほうがよろしいでしょう。魔族関係のことは我々にとって機密扱いですので、私が話すと、向こうも『なぜ漏らしたのか』と奇異に思うはずです。しかし話すのが魔族本人であれば、『この程度のこと』と笑って話せる内容でもありますので……なにせ、肝心のその内容がアーデリア様の恋バナです」
ルーシャン様が、苦笑いとともにちょっとおちゃめなことを言う。
接触役はやはりウィル君で確定か!
そして改めて、講義の続きが始まった。
「先程、申し上げた通り、ホルト皇国は『浄水宮』によって成り立つ国家ですので、水属性の魔導師が特に厚遇されており、また国教としても水の上位精霊様を信仰しております。我が国の聖教会などは芸能と興行が中心で、あまり政治的な勢力ではありませんが――ホルト皇国の浄水教は、宮廷の政治にも深く食い込んでおり、大司教などは貴族として扱われ、国政の会議などにも参加しているようです」
……へぇ……水ちゃんを信仰する国かぁ…………
やべぇ国だ!(確信)
……い、いや、別に水ちゃんに他意があるわけではない! 風精霊様のお友達だし、四大元素の上位精霊様達は、この世界を支える大切なシステムを構成しておられる。彼女達がいればこそダンジョンの環境も守られているし、自然界もいい感じに続いているのだ。
……でもなぁ……水ちゃんはなぁ……アレぜってぇやべぇ子なんだよなぁ……(偏見)
一体どんな教義なのか、聞き出すのが怖い……猫と熊を信仰しているメテオラよりだいぶやべぇのは間違いないと思われる。
「政治と宗教が密に結びついている点は、我が国と大きく異なる要素ですが、弊害も多そうです。互いに利用し牽制しあう関係で、このあたりのややこしさが宮廷の複雑な権力構造へとつながり、『ホルト皇国の政治は複雑にして怪奇』と、他国では評されております。一方で、大司教などは『平民から立身して、政治に参加できる可能性がある唯一の道』でもありますので、教団には信仰心よりも政治的な野心をもった人材が集まりやすい、という側面もあるようです」
確かに弊害は多そうだが……それでも、「平民の地位からの参政手段がある」という点はおもしろいかもしれぬ。
おそらく貴族の暴走を防ぐ役割を担っていると思われる。あるいは宗教側の暴走を貴族が抑えている可能性もあるが……これは時代と情勢に応じて、どっちも必要であろう。民主主義ではないが、変則的な二大政党制、もしくは二院制に近い状態なのではないかと推測する。
「……あれ? ということは、ホルト皇国の皇様ってもしかして、教皇様も兼ねてたりします?」
「ご明察です。ホルト皇国の皇家は、水精霊様の友人だった亜神の子孫だと言われておりますな。それを裏付けるように、皇家の血筋は庶民よりも寿命が長く――だいたい二百歳前後まで生きるとか。そのため他国の王家よりも代替わりが少なく、在位の期間も長く、この権力基盤の強さもホルト皇国の強みとなっております」
……にひゃくさい……
魔族というイレギュラーも含めて、この世界の人達は割と寿命にばらつきがある。流行り病などで早死にする人も多い一方で、町でもたまに百歳前後のご隠居を見かけたりするのだが……前世の倍はちょっとすげぇな?
ついでに「魔導師は割と長生きする例が多い」らしいのだが、これは「貴重な魔導師だから大事に扱われる」「厚遇される=栄養状態が良い」という事情も影響しているはずなので、魔力の有無が寿命に直結しているかどーかは諸説あるところらしい。もちろん早死にする魔導師も普通にいるので、あくまで「傾向」の話である。
……てゆーかこっちでは猫さんも大事にされれば三十歳とか四十歳まで生きるっぽいので、肉体的にも環境的にもやはりいろいろ違うのだろう。それでも「普通の人間なのに二百歳」はこっちでも基本的に珍しいはずなので、ホルト皇国の皇族にはやっぱりなんかある、というお話である。
「亜神の子孫というのは有り得そうですが、そもそも亜神って子供とか作れるモノなんです?」
ルークさんの素朴な疑問に、ルーシャン様は困ったお顔――
「わかりません。個体差もあるかもしれませんし、そもそも亜神の例自体が少ないのと、記録にもあてにならないものが多く……たとえば純血の魔族のように、子をなすためには不老不死を捨てる覚悟が必要だったりと、そういった制限はあるかもしれません。またホルト皇国にしても、皇家の記録として『亜神の子孫である』という話にはなっていますが、もしかしたら『神獣の子孫』かもしれませんし、一族だけに延命長寿の秘薬などを用いている可能性もあるわけです。あるいは……上位存在からの『加護』や『祝福』の影響もありえますな。称号の影響には不確定の要素が多く、確たることは言えないのですが、これらが長寿につながる例もありそうです」
俺はちらりとクラリス様、リルフィ様を見る。お二方は少しだけ驚いた感じだが、逆に納得したような感じでもある……
「言われてみれば……ルークを飼いはじめてから、ずっと体調も良いですし、ちょっと熱を出す程度のこともなくなりました」
「……私も、あの……以前と比べて、いろいろなことに、前向きになれた気がします……ルークさんがいてくれると、夜もぐっすり眠れるようになりました……」
わかる。身近にペットがいる生活は充実感につながるのだ。飼い主としての自覚、責任感が身体へもたらすプラシボ効果もあるだろう。
あと猫撫でてるとストレス減るよね、っていう……
……コレだと亜神からの称号効果はあんま関係ねぇな? ほぼ猫効果だな? ついでに「栄養状態の増進」とかが原因だった場合には、それこそトマト様の効果だな?
「お二人やリーデルハイン家の皆様の今後を見ることで、ルーク様からの称号の影響も徐々に見えてくるでしょう。私とアイシャも先日、『亜神の信頼』という称号をいただきましたが、まるで生まれ変わったかのように、世界が輝いて見えました」
ルーシャン様もそれ、『大好きな猫さんから称号もらった!』からだよね……? そもそもこの方も、『地精霊の祝福』『魔剣の鍛冶師』『猫の守護者』という三種の称号もちだったので、そこに俺由来の称号が追加で入ったところでいまさら別に……ねぇ?
あとルークさん称号バラマキすぎ問題にもつながるが、人数が多い分、効果も弱いとは思うんスよ。たぶん。きっと。これで『猫魔法の猫さん達が守ってくれる!』以上の効果があったらやべぇっていうか……
なおちょっと前に気づいたことだが、俺が「守らねばならぬ……!」と思った人には「亜神の加護」がつき、俺が「この人は仲間!(※トマト様の覇道に関わる労働力)」と思った人には「亜神の信頼」がつくっぽい。言わんとこ。
例外は我が飼い主・クラリス様で、称号、『亜神の飼い主』をお持ちである。これこそ効果がわからぬが……まぁ、悪い影響はたぶんなかろう。
日々すこやかにご成長されているし、拾っていただいた頃より身長も伸びた。まだまだお子様であるのも事実だが、子供の成長はあっという間である。俺の成長は全然である。英検だけは勝手に昇級した……
その後もしばらくルーシャン様から貴重なお話をうかがい、『ホルト皇国はおおむね洗練されているし先進国だけど、宮廷の権力争いとかは普通にあるし、水ちゃんを信仰しているやべぇ国である』という共通認識を得たところで解散となった。
ホルト皇国の歴史とかも学んだが、なんかかつてはあの地域に四つの小国家があって、東西が同盟して南を制圧し、残った北側が後から降伏・合流してホルト皇国が成立したとかなんとか……
その名残で、宮廷では今も東西諸侯の結びつきが強く、南は冷遇、北は微妙に蚊帳の外みたいな関係が常態化しているらしい。
ちなみにリスターナ子爵のような外交官は領地を持っておらず、皇都の官僚的な貴族、もしくは貴族待遇の官僚として存在している。他国にこんな長期滞在してたら自分とこの領地経営なんてできるわけがないので、まぁこれは当然か。
したがって東西南北の軋轢からも一定の距離を保てているようだが、そもそも「外交」が職務なので、内政をどうこうできる立場でもない。
それでいて、彼からの『報告』はホルト皇国の外交方針を左右する重要情報であるため、権力とは別の意味で影響力を持っている。
その人を懐柔、籠絡するための、猫の暗躍がこれから始まるのだ……!
というわけで、初手。
「うぃーるへーるむさま♪ あっそびーましょ♪」
「……アイシャさんみたいな出方をされましたね」
ルーシャン様がお帰りになった直後、俺はお城にあるウィル君の執務室へ顔を出した。
――そう、『執務室』である。
別に王家の家臣とかではないのだが、王位を継いだばかりで多忙極まるリオレット陛下を見かねて秘書のように雑務をこなしているうちに、ウィル君はとうとう城内に書類仕事用の個室を得てしまったのだ……
一応、「王妃候補であるアーデリア様の弟」という立場で、ほぼ貴族みたいな扱いを受けてはいたのだが、いまやすっかり事務方の一人である。
キミ、社畜の素質あるね? ウチ(※トマティ商会)来ない?
……とはいえ、いま引き抜くのはさすがに極悪すぎるので自重。
お仕事を増やしてしまうのは恐縮だったのだが、リスターナ外交官とホルト皇国について説明すると、納得顔で請け合ってくださった。
詳しいお話をするために、とりあえずキャットシェルターへ移動!
皆様との挨拶を済ませ、ウィル君は久々のよく冷えた乳酸菌飲料に喉を潤しながら微笑んだ。
「実は私も、近いうちにリスターナ子爵と接触する必要があると考えていました。つい先日、リオレット陛下とも似たような相談をしたのですが、ルーク様のご意向を確認してからのほうが良かろうという結論になりまして……」
「なんと、そうでしたか! では、お願いできますか?」
ウィル君は涼やかに頷く。
「えぇ、承ります。ただ、姉と陛下の恋愛関係を暴露するわけですが、どうやって自然な流れで会話を切り出したものかと、少々困っていまして……いきなり押しかけて『今回の件は魔族の属国云々ではなく、陛下はいずれコルトーナ家へ婿入りします』などと告げるのも不自然でしょう? また婿入りの件はまだ機密扱いですので、他国の外交官へ漏らしていいものかどうか……接触の必要があることは理解しているのですが、実際にどういう話をするか、決めかねているのです」
うーむ。確かに難しいところである。下手なことを言うと余計な誤解を招きそうだし、リスターナ子爵は割と悲観的とゆーか、物事を悪い方に予測する癖がついていそうなので……
猫も考え込んでしまったが、ウィル君の言葉には続きがあった。
「一応……自然に会う口実がないこともないのですが、それはそれで別の問題があるというか……ルーク様。実はつい先日、王弟のロレンス様から、陛下への手紙が届きまして」
ロレンス様から? リオレット陛下に? 季節のあいさつとか?
「内容は主にただの近況報告だったのですが……雑談として『このまま数年が経って治世が落ち着いた頃、もしも許されるなら、ホルト皇国へ留学してみたい』といった一節があったのです。自分がこのままネルク王国にいては、また火種になりかねないとでも危惧された可能性もありますが……純粋な向学心、好奇心の発露かもしれず、義兄上もどう反応したものかと悩んでおられます」
ほう? ロレンス様がそのような希望を……これは初耳である。
「ホルト皇国では、各国から王侯貴族の留学生を積極的に受け入れています。これを『各国から差し出された人質』と見る向きもないわけではないのですが、むしろ『学生外交』といったほうが近いでしょう。若い世代、それも権力者層からの相互理解を進めておいて、将来の両国の国益へつなげる――そういう意図の元に成立している制度です。ネルク王国からは、あまり行った実例がないようですが……」
「あれ? さっきルーシャン様からのご講義で、ネルク王国とホルト皇国は友好国だと聞いたのですが……」
それなのに留学実績、あんまりないの?
「単純に距離の問題でしょうね。ネルク王国からホルト皇国へ向かう場合、最短ルートはレッドワンドの東西を直線的に横断する道です。当然、今までそんな道は使えませんでしたから、周辺国を大きく迂回しなければならず――費用も時間もかかりすぎる上に、治安の悪い地域もあって危険な旅ですから、それこそ外交官くらいしか行き来はなかったようです」
あー。下手したら片道半年って話だったもんなぁ……
レッドトマト商国との交易路が順調に稼働し始めれば、行き来はもっと簡単になるだろうが――いずれにしても、ロレンス様なら俺が宅配魔法でお送りすることも可能なので旅路については問題ない。
となると、陛下の懸念は現地での安全と……
「……あれ? 数年後? あっ……『今』じゃなくて、『数年後』ということは……」
「……はい。陛下の退陣予定と重なりそうなのです。むしろ行っていただくなら『今』のほうが都合は良いのですが……」
あー……えーと……うん。
我が主、クラリス様がかくんと首を傾げた。
「あの……ロレンス様は、いま十歳ですよね……? 今すぐではなく、来年、再来年からだとしてもまだ十一歳か十二歳……そのお年での留学って、有り得るのでしょうか?」
ウィル君が微笑む。
「ああ、そこは問題ないのです。ホルト皇国の留学制度は最低八歳からで想定されていますので、ロレンス様のお年であれば大丈夫です。政治的な事情……たとえば体の良い亡命や人身保護の目的であれば、もっと幼い年からでも留学が可能なくらい、融通の利く制度でもあります。特に留学の場合、学校とは別の研究機関への所属や、特例的な研修制度などでも対応可能ですので、門戸は非常に広いのです」
ほほう。じゃあ猫用の学校とかもあります? あ、それはない? はい。
「ただしクラリス様がご懸念の通り、幼すぎるのは事実ですので……ロレンス様のお年だと、『御学友』として、複数の貴族の子女が帯同する流れになるでしょうね。学内での警護役も兼ねます。また目付役として、そこそこの貴族も帯同するのですが……これに関しては、ロレンス様の家庭教師であるペズン・フレイマー伯爵が適任かと思いますので、あまり心配はしていません。ちょっとご高齢なので、旅の不安はありますが……」
ルークさんも(一方的に)知っている人である。悪い人ではないし、そろそろ自己紹介しておいて、宅配魔法でみんなまとめてお送りしたほうが良かろう。
「ペズン伯爵なら、私もそろそろ自己紹介したほうがいいかなー、と思ってました。ロレンス様を毎回、お茶会へ連れ出しているもので、いずれは不審に思われそうなので……正体をバラして、宅配魔法で一緒にお届けできます。ただ、ご学友のほうは……」
「えぇ、難題です。先の内乱寸前の騒動を貴族は知っていますから、政治的に微妙な立場であるロレンス様に、わざわざ他国までついていきたいという希望者はあまりいないでしょう。そもそも『留学』となると、かなりの費用がかかります。ある程度は国費を投入するとはいえ、ご存知の通り、ネルク王国の財政は先代陛下のせいで火の車ですし、帯同者や護衛達のホルト皇国での全生活費まで賄うとなると、なかなか……しかも国内の雇用につながる金ではなく、ホルト皇国へそのまま流れてしまう財貨ですから……」
……なんかホルト皇国では、この留学制度が商売の一種になってそうだな……考えすぎか?
我が喉元を撫でていたクラリス様の手が、その時、不自然に止まった。
何? もっとがっつり撫でてくださって良いのですよ?(ごろごろ)
「……あの、ウィルヘルム様。つかぬことをうかがいますが……その帯同する学友というのは、田舎の子爵家に属する私のような者でも可能なのでしょうか――?」
その囁くような、呟くような静かな問いは――
閑静な猫カフェに、少なからぬ波紋を引き起こしたのだった。
会報四号……もとい小説版の猫魔導師四巻、おかげさまで無事に発売中のようです。
今回は約一年ぶりの新刊ということで内心戦々恐々としていたのですが、改めてご支援ありがとうございます!
それと渡瀬草一郎名義のほうのお仕事ですが、先日もお知らせした「ソードアート・オンライン IF 公式小説アンソロジー」(川原礫先生監修・11/10発売予定)の特典情報が、公式ツイッターで発表されたようです。
店舗ごとに特典が違うのですが、自分の担当した「クローバーズ・リグレットのSSつきクリアファイル」は「メロンブックス様」での配布となります。
数量限定ですので、気になった方はぜひご予約いただければと!
……ところで特典SSのタイトルが「名探偵コヨミ・ケチャップの呼び声」なのですが、トマト様は関係ないです。ほんとに全然関係ないです。むしろ書き上げた後で「あ」と気づいたレベル……深層心理にひきずられるって、つまりこういう……?




