164・招かれざるアレ
秋は収穫の季節である。
果物も農作物もたくさんとれるし、これから来る冬に向けて、野生の獣達も「食い溜め」という形で冬支度をする。
ネルク王国の場合、平地では冬眠が必要なほど寒くなるわけではないが、そうは言っても冬よりは秋のほうが食べ物が潤沢なわけで、魔獣のみなさんもこの季節は割とヒャッハーしている。
………………いや、「なんか飛んでんな?」とは思ったんスよ……「鳥かな?」って。
でも猫さんは油断していた。女子高生どもにチヤホヤされ、リルフィ様のお胸に抱かれ、ポテトパンケーキに舌鼓を打ち、クロード様達の妙技に酔いしれ、お祭り楽しいな、キャッキャウフフと油断しきっていた……
気づいた時には、トンボみたいな翅の生えた、でかくて黒い「ヘビ」みたいな化け物が空から降ってきて――
クロード様が射抜くはずだった九分割の的を、「ぐしゃっ」とその巨体で押しつぶした。
「フシャーッ!?」
思わず毛を逆立てて唸った俺の鳴き声は、それを遥かに上回る観客勢の悲鳴によってかき消される。
『ギブルスネークだ! 観客は即時避難! 警備隊を呼べ!』
解説席から、クァドラズという伯爵様が素早く指示を飛ばす。
アレが噂のギブルスネーク!?
夜空を横切っている姿を遠目に見かけたことはあるのだが、間近で見たのは初めてだ。
なんともけったいな生き物である。
蛇にしては寸胴で短めというか……顔は完全に蛇なのだが、体長のバランスはむしろトカゲに近い? でも足はない。そして体の側面から、トンボにも似た六対の半透明な翅が生えている。
大きさは落星熊や象さんより少し小さいくらい。
蛇の形状なので、質量としてはだいぶ下と思われるが……迫力がヤバい。
王都の近郊では、こやつによってたまに仔牛が襲われたりするらしい。
ヨルダ様いわく、
『目が悪い上に着地が不器用でな……狙ったところには着地できんらしい。動きもそんなに速くないが、風魔法を駆使して飛び上がったり、強風を叩きつけてきたりはする。あと、鱗は硬いんだが、喉の下あたりにちょっとした隙間があって、その先に心臓がある。ここを貫けば即死だ。ライゼーもそのやり方で仕留めた』
と、以前にダンジョン探索中の雑談で教えてもらった。ロレンス様が目をキラキラさせて聞いていたものである。
空から落ちるように降ってきたこの奇天烈な魔獣に対し――
即座に猫魔法を使うべきなのだが、人目が多すぎる。そしてどの子に頼むか考える暇もなく、事態は既に動いていた。
クロード様が特に慌てる様子もなく、す――と弓の弦を引き絞り……
放たれた矢は、威嚇のために口を開けようとしたギブルスネークの顎の下、喉のあたりへズブリと吸い込まれた。
そこはまさに、ヨルダ様が言っていた「急所」である。
ギブルスネークは一瞬、彫像のように静止し――
そのまま糸が切れたように、芝生の上へ倒れ伏した。
ビクン、ビクンとわずかに跳ねたが、それもすぐに収まる。
「……ギ、ギブルスネークを……」
「……弓で……仕留め、た……?」
誰かが呆然と呟いた。
猫も呆然と目を見開く。フレーメン反応である。
次いで湧き上がった歓声は筆舌に尽くし難く、泰然としていたクロード様はここで初めて「ビクッ!」と反応し、顔を引きつらせて逃げ出した。どこへ? あ、試技のお仲間さん達のところか……人混みに紛れたいのだろう。でももう無理だと思う。みんなからバンバン背中叩かれてる……
動揺を隠せないアナウンスが流れる。
『え、えー……ギブルスネークの死亡が確認されるまで、死体には近づかないようにお願いします……って、いや、一撃……? え? え? あの、クァドラズ伯爵、ギブルスネークって、一本の矢で殺せるような魔物なんでしょうか……?』
『……いや、普通は無理ですな……しかし、実際にできてしまった以上は認めざるを得ない――ギブルスネークは心臓の上だけ鱗の密度が薄くなっていまして、ちょうど矢の当たったあたりがその急所です。あそこを撃たれると……たとえば、鈍器で殴られた場合にも気絶することが多い。ただし急所の範囲はごくわずかですし、角度がつけば矢は弾かれますので、普通は刺さりません。まさに絶妙でした。気絶しているだけ、という可能性もまだありますので、本当に近づかないでくださいね』
……蛇の心臓は生息地によってその位置が変わると、前世で聞いたことがある。
樹上棲の蛇だと頭に近い喉のあたり、地上棲の蛇だとそれよりも少し下、水棲の蛇だとさらに下で、胴体の中央付近に近づいていくとか……
こちらのギブルスネークさんは、その意味では樹上棲タイプに近いのだろう。
普通に空飛んでるからこの分類ともちょっと合わないが、前世にそんな蛇はいなかった。木の上から滑空するヤツならいた。トビヘビといって、百メートルぐらい飛んだ例もあるとか……しかし、ソレとも違って普通に大空を飛ぶタイプの魔獣である。
――後にわかったことだが、今年、王都近郊のとある山でギブルスネークが大発生しており、数日前から騎士団がそれの討伐に当たっていたらしい。
で、その騒ぎで巣から逃げ出した個体がたまたま王都上空に飛んできて――というのが、今回の顛末であった。
かくして親子二代にわたって王都のギブルスネークを退治した英雄クロード・リーデルハイン様が爆誕したわけであるが、学祭は大騒ぎで試技は中止。
そもそもこの試技のために製作した一点ものである「九分割の的」が、魔物の下敷きになり粉砕されてしまったため、継続不可になってしまった。
……まぁ、観客はもっとヤバいものを目撃してしまい、興奮冷めやらず。
ギブルスネークの死体を確認したところ、「ちゃんと死んでいる」とのことで、死体の処理のために人員を呼んだり、騒ぎを聞きつけた野次馬が群がってきたりと、しばらく混乱が続いた。
「……さっきのアレ、ルークが何かしたわけじゃないんだよね?」
「今回は本当に何もしていないです。何とかしなきゃ! と思っている間に、クロード様が仕留めてしまったので……」
クラリス様からのそんな問いに、俺は困惑顔のまま応じた。
ウェルテル様もニコニコとして我々の頭を撫でる。
「びっくりしたわねー……クラリスは怖くなかった?」
「怖くなる前に終わっちゃったから。ルークはすごい顔してた」
ルークさんビビリですし。でかい蛇とかちょー怖いですし。
あとリルフィ様も、いきなりすぎてよくわかってなかったようで、「?」と固まっているうちにクロード様の矢が当たっていた。
ピタちゃんは「あ、えさ」と一言呟いただけだったが……まさか大森林でアレ食ってたの……? あと人間の姿で野性の片鱗を見せられると若干心臓に悪い。
一方、サーシャさんはあと少しで無手のまま飛び出す寸前であった。武闘派メイドェ……
意外だったのはヨルダ様で、即応する様子もなく、泰然と見守っていた。
「ヨルダ様は、クロード様が仕留めるって予想していたんですか?」
「いや? 当たれば御の字とは思ったが、一発だけ撃って、外したら撤退するだろうと……俺も槍を持ってきていないし、どうせルーク殿が対応してくれると思ったからな」
……いやまぁ、対応はしますけど! 猫魔法ならたぶん余裕ですけど!
「そこまで信頼されても困ります……私も割とうかつなところがあるのでー」
「そうは言っても、ストーンキャットあたりを呼んでもらったほうが、俺がわざわざ走るよりよほど速いしなぁ……まぁ、ギブルスネークは奇襲が一番怖いから、ある程度の距離を確保できていたら大丈夫だ。アレがクロード様の真上に降ってきたら、さすがにアウトだったよ。的の上で良かった」
それはそう。クロード様がご無事で何よりである。
とんでもない目立ち方をしたことにはちょっと驚いたが、慢心するタイプでもないし、悪いことではあるまい。
……むしろ本人、お貴族様達に囲まれて、自分がやらかしたことに気づき、若干青ざめているようにも見える。ライゼー様も喜んだらいいのか恐縮したらいいのか、迷った末にひきつった愛想笑いをしている。親子……
「あの様子だと、二人ともとうぶん逃してもらえないわ。それにしても……王都も物騒ね。ギブルスネークなんて、そう頻繁に街へ出てくる魔獣じゃないのに」
ウェルテル様のつぶやきに、リルフィ様が小声で応じる。
「ギブルスネークは、周期的に個体数が増えて凶暴化するそうですね……十年ほどおとなしくなって、五年ほどよく暴れて、また十年ほどおとなしくなる、という流れで――」
ふむ? どっかで聞いたよーな話である。
「あのー、リルフィ様……それってもしかして、未発見のダンジョンとかの影響では……?」
「いえ、たぶんそうではなく……山でギブルスネークが好んで食べる『セグイの実』という木の実があるのですが……この実には、五年実ると十年ぐらい不作になるという変な習性がありまして……これに、蛇などを興奮させる作用があるそうです」
あー。植物の豊作、不作が生態系に影響を与えるとゆー意味では、いかにも自然界でありそうな事例だ。柿の木なんかも一年ごとに豊作と不作を繰り返すと聞く。隔年結果とゆーそうだが、複数年にまたがる事例もあるのか――連作障害的な事象かもしれぬが、それだと豊作が五年も続く理屈がわからんし、何か別の仕組みがあるのだろう。
学生さん達にも手伝ってもらい、ギブルスネークの死体を、平べったい板状の低い連結式台車にどうにか引き上げ――馬にひかせて今度こそドナドナ。
あの獲物は倒したクロード様に所有権があるようだが、どう考えても「いえ、要らないです」となるのがわかりきっているので、この先は標本か肉か……しかしガチの蛇と違って空を飛ぶ機能を保持しているせいか、可食部が少なく、美味しくもないらしい。残念である。
一応、皮や鱗は工芸品の材料になるようだ。
その代金も希望すればもらえるそうだが、かつてのライゼー様は辞退した。
その時の個体は王立魔導研究所で標本になったそうなので、そもそも商品的な利益も発生していない。それ以外のお褒めの言葉と手間賃みたいな報奨金はちゃんともらったらしい。
これは遠慮したとゆーより他貴族のやっかみが怖かったせいらしいが、今回はどうなるのかな……
運ばれていく大蛇の死体を見送りながら、俺は改めて「にゃーん」と毛づくろい。さっきびっくりしたせいで毛が逆立ってしまった。今日は学祭、身だしなみには気を使わねばならぬ。
クラリス様がそんな俺の背を撫でた。
「さて、どうしようか。兄様やお父様と合流する?」
「そうですねー。我々を口実にして離脱できるかもですし、助け舟を出しましょうか……」
クロード様とライゼー様は、まだお貴族様と学生さん達に囲まれている……あそこへ行くのは気が進まぬが、なんか「タスケテ」と呼ばれている気もする……
「……失礼。少々よろしいですかな? リーデルハイン子爵家の、ご親族の方々とうかがいまして――ぜひご挨拶をさせていただければと」
不意に我々へ声をかけてきたのは、ライゼー様と近いお年頃と思しき中年男性。いや、ちょっと年上だろうか?
髪色はオレンジっぽくて、顔立ちは柔和な印象だ。笑顔が優しく、人を警戒させないタイプの……つまり、要注意な人物である。こういう態度の人は「天然の善人」か、「意図的にそう見せている食わせ者」のどちらかである。
「私はホルト皇国の外交官、リスターナ・フィオットと申します。先程、ライゼー子爵にもご挨拶をさせていただいたのですが、ご子息のクロード様の妙技に驚きまして……いや、素晴らしいご子息ですな。弓術の盛んなホルト皇国でも、あれほどの腕前を持つ方は珍しい。とんでもない乱入はありましたが、その退治も含めて、実にお見事でした」
この人か!
つい先日、「対レッドワンド戦の詳しい顛末を聞きたいから、現地にいた武官を紹介して欲しい」と、侯爵様に申し入れをした外交官……
近いうちにライゼー様が出向いて説明する予定だったのだが、先方から先に接触してきた。本番前の軽い挨拶、といったところであろう。
息子を褒められたウェルテル様は、穏やかに微笑み会釈。
「お褒めいただき、ありがとうございます。高名なフィオット家の方にそこまで言っていただけるとは恐縮ですわ。ライゼーの妻のウェルテルと申します。こちらは娘と姪と……ああ、そうそう。クロードに弓を教えたのは、こちらの騎士団長、ヨルダリウス様ですの」
「は。しかし、私の腕などたかが知れております。クロード様の弓術は、ひとえに御自身の才覚によるものです」
丁寧な言葉遣いのヨルダ様、ちょっとめずらしい……いつもはライゼー様相手にもタメ口だし。
リスターナ氏はヨルダ様の巨躯を見上げ、ほう、と驚いたような顔をした。
「…………失礼ですが……以前にどこかで……?」
「いえ、初対面です。まぁ、珍しくもない顔ですので」
そんなワケはない。こんな偉丈夫がそこらにいてたまるか。
しかしリスターナ氏は、まだ釈然としない顔である。
「ヨルダリウス殿は、弓の修行をどちらで……?」
「父とその仲間達から、見様見真似で学びました。我流もいいところです」
「なんと。いや、しかし、クロード様の腕前と姿勢からは、確固たる鍛錬の成果を感じましたな。私も下手なりに弓を使うもので、あの若さであの境地に至っている方がいたことに、心底驚いたのです」
じんぶつずかんー。
……いろいろ優秀だし、魔導師としての「火属性C」適性まで備えているのだが、肝心の弓術適性はC……たぶんそんなに上手くはねぇな……?
いや、しかし「普通よりは上」という評価であり、お貴族様としては充分だろう。クロード様とかヨルダ様がおかしいだけである。俺なんて弓を構えることすらできぬ。にくきう。
そして、ざっと確認したところ――
このリスターナ氏、現時点で悪意とか敵意はない。
ただしヤバいことに、「魔族」のことを知っている――新国王・リオレット陛下の恋人が『純血の魔族』、アーデリア様であることにも気づいていて、しかし魔族側に配慮して「気づかぬふり」を続け、誰にも言わず黙っている最中とゆー……
えええええ……
先日のオズワルド氏による戦争介入にも、思うところがいろいろとあるようだ。コルトーナ家とバルジオ家が和解した可能性……? ホルト皇国の外交では、そういうのが重要情報であるらしい。
ホルト皇国側に報告するか否かも迷い中とのことで、これもしかして、早々に仲間に引き込んでおいたほうがいい人材なのでは……?
亜神が事情を説明して「黙っておいてね♪」とお願いするべきか?
後でライゼー様にも相談したいが、また扱いに困る人が出てきたな……
これで悪人だったら「にゃーん」(婉曲表現)で済ますのだが、なまじいい人っぽいので余計に困る……やめて。ネルク王国に単身赴任中で本国に愛する妻子がいるとかそういう追加情報加えないで……私費で困窮している亡命者を保護とか……あああ、もぉ……
……まぁ、この場ではただの猫のふりを続けるしかない。これみよがしにあくびとかしちゃう。
ヨルダ様とリスターナ氏との間では弓談義が続く。
「弓術では才能が物を言う、それはその通りです。しかしながら、適正な指導がなければその才能が開花しないのもまた事実――たとえ我流としても、お父上は確かな腕前の持ち主なのでしょうな。失礼ですが、ヨルダリウス殿の家名をおうかがいしても?」
「元はただの傭兵ですよ。グラントリムと申します」
リスターナ氏がぴくりと震えた。
「傭兵……グラントリム……お父上の名は、もしや……あ、いえ。記憶違いでした」
なんだ今の? 確認しようと一瞬思ったけど、慌てて思いとどまった、という感じである。
まるで確認することにデメリットでもあるかのような……もしくは確認するまでもなく確信に至ったかのような……
「ご両親はご健在ですか?」
「いえ、十年ほど前に流行り病で亡くなりました。私はその前後に、縁あってリーデルハイン家へ仕官しましてね」
「……そうでしたか。いや、これは配慮が足りず、申し訳ありません」
そのままお別れの挨拶を二言三言かわして、リスターナ氏は優雅に貴賓席へ戻っていった。
別れ際、サーシャさんのほうをちらりと見て、なにやら一方的に納得したような顔だったが……
じーんーぶーつーずーかーんー(やや甲高い声)
……リスターナ氏の一連の心の動きを精査した俺は、そこに書かれていた事実を、そっと胸のうちにしまった。
リスターナ氏が「明かすべきではない」と咄嗟に判断した。その思いを尊重する。このまま墓の下まで持っていく。
……と、これだけでは気になるだろうから大雑把に言うと、まぁアレっスよ……よくある……ヨルダ様のご両親は、ホルト皇国の出身で――とある貴族の横暴に反旗を翻し、その貴族を殺して瀕死の重傷を負ったらしい。
本国ではその時に死んだと思われていたが、実は仲間の手で秘密裏に出国させられていて、リハビリ後、経歴を偽装して他国で傭兵稼業に――というやつ。
リスターナ氏はまだ幼い頃に、若き日のヨルダ様の父君と母君を見かけたことがあったらしい。その印象が、今のヨルダ様や彼らの孫娘にあたるサーシャさんと重なったのだろう。
グラントリムという家名を変えなかったのはどういう事情かな……あるいは一時的に変えて、死亡説が確定したあたりで元に戻したのかもしれぬ。
ネルク王国の片田舎で隊商の護衛とかやってる分には、もう知り合いに会うこともないと判断したのか、家名に愛着があったのか、あるいは――『自分は必要なことをやった。あとは運命に委ねる』みたいな開き直りか。
今となっては何もわからぬし、当の本人達はもう疫病で亡くなっているわけで、まさに今更な話である。
大事なことは、その血を受け継いだヨルダ様やサーシャさんが、このネルク王国でしっかりと真っ当に生きているという事実だけだ。
――このことを、この場で口にしなかった。
この一点をもって、俺はこの「リスターナ・フィオット」という他国の外交官に、ある程度の信頼感と、そこそこ強めの親近感を抱いた次第である。
いつも応援ありがとうございます!
先週末に公式から告知が出たのですが、以前、川原礫先生の「ソードアート・オンライン」のスピンオフで、「クローバーズ・リグレット」というシリーズを書かせてもらっていまして……
これの読み切り短編が、11月発売予定の「ソードアート・オンラインIF 公式小説アンソロジー」に掲載予定です。
猫はそんなにたくさん出てきませんが(※出てこないとは言っていない)、ご興味を持っていただけましたらぜひー。
……ところで今日から9月らしいので、もう秋と言っても過言ではないはず……(何故か下がらない温度計を見ながら)




