表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
我輩は猫魔導師である! 〜キジトラ・ルークの快適ネコ生活〜  作者: 猫神信仰研究会


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

168/285

163・秋天の神弓


『王立士官学校に、尋常ならざる弓の使い手がいる』


 ホルト皇国の外交官、リスターナ・フィオットにその噂を教えてくれたのは、シンザキという知り合いの商人だった。


『士官学校の技術課程に通っているうちの娘が、弓の試技への参加を認められまして。それでこの夏の間、朝練で、班長になった後輩の指導を受けていたようなのですが……その少年というのが、とんでもない腕の持ち主でしてな。リーデルハイン子爵家の嫡子らしいのですが、遠距離からの曲射でも正確に的を射抜き、学生が天高く放り投げた円盤にまで矢を当て、まるで物語に出てくる「神弓しんきゅう」のようだと評判です』


 リーデルハイン家といえば、ギブルスネーク退治で勇名を馳せたライゼー子爵の家である。

 確か槍の名手だと聞いているが、息子は弓のほうが得意らしい。


 ネルク王国では拳闘兵に頼る期間が長かったせいか、弓兵の地位が歴史的にあまり高くないようだが――ホルト皇国では、むしろ戦場の花形は弓兵とされ、貴族にもたしなむ者が多い。


 このあたりの価値観は結局、国の歴史と戦史に左右されるのだろう。


 ネルク王国の場合、拳闘兵→槍兵→剣兵→弓兵という順位で、特殊技能となる少数の魔法兵は別枠。

 先日、滅亡したレッドワンド将国の場合、魔法兵=貴族になることが多く、それ以下はどんぐりの背比べだが、金属鎧を身に着けた剣兵が多かったと聞く。

 ネルク王国はこの剣兵に対抗するために、拳闘兵を有効に使った。

 体内魔力を込めた彼らの打撃は、金属鎧を凹ませたり衝撃を透過させたり、あるいは首や関節を叩き折るという形で敵兵をほふる。

 威力を減衰させるグローブの代わりに、威力を増幅させる魔導具の篭手を装備すれば、拳闘士は近接戦闘において最強の威力を発揮する。


 一方、矢ではどうしても金属鎧に対する貫通力が足りない。

 体内魔力は、武器に伝達させると著しく効果が落ちるため、矢に魔力をまとわせるといった技能は魔導師の領分になってしまう。

 装甲が充実した対レッドワンド戦において、弓兵は歴史的に不利だったのだ。


 そしてホルト皇国で弓兵が流行ったのには、物語の影響が大きい。

 皇国の草創期に流行した、ある英雄を主人公とした架空の物語――その主人公が弓を使っていたため、というのが定説である。


 流行れば扱う人間が多くなり、扱う人間が増えればその分野は発展する。

 ネルク王国の拳闘兵が強いのも、「拳闘士」という職業の地位が社会的に高く認められ、それに憧れて鍛錬する者が多いためであり、実際、他国の拳闘兵などはそれほど強くない。


 そして、ごく稀に――

 突然変異のように、冷遇されてきた各分野の「達人」が現れることもある。

 もしも噂話が真実であれば、クロード・リーデルハインという学生はその希少例らしい。


(……しかしまぁ、ホルト皇国の優秀な弓兵と比べれば、おそらくは及第点といったところだろうな……)


 噂話には総じて尾ひれがつきやすい。士官学校という閉鎖的な環境、軍閥で武名を馳せる子爵の息子、ネルク王国ではあまり発展していない『弓術』の使い手――

 これらの要素が積み重なって、過大評価につながった可能性は大いにある。世界は広いのだ。


 だからリスターナは、商人からふられたこの世間話を笑顔で聞き流しつつ――公務の一環として、士官学校の学祭へ「ゲスト」として参加した。


 貴賓席に集った軍閥の貴族達の間で、やや肩身の狭い思いをしつつ、しかし持ち前のコミュニケーション能力と話術を駆使し、目立たぬように、でしゃばらぬように、それでいて印象を残せる程度に会話をしていると――


「皆様、ライゼー・リーデルハイン子爵がご到着されました」


 美しい娘の涼やかな美声に、貴賓席の一同が一斉に反応した。

 真っ先に立ち上がったのは、寄親よりおやのトリウ・ラドラ伯爵である。


「おお、ライゼー子爵! よくきてくれた。先日のレッドワンド戦では遠路ご苦労だった。向こうの事情で戦闘にこそならなかったが、ご活躍だったようだね」

「いえ、滅相もありません。末席を汚しただけの身ですが、戦死者もなくなによりでした」


 老齢のトリウ伯爵と壮年のライゼー子爵、この二人が並ぶと親子のような年齢差がある。


 さらに格上のアルドノール侯爵までもが立ち上がり、親密そうに握手をした。


「よくきたな、ライゼー子爵。実はさっきもその話をしていたところでね。あのトマト様という野菜、来年度からそちらの特産品として売り出すのだろう? 瓶詰めで貰ったバロメソースも素晴らしく美味だった。あれは売れるぞ」


「は、恐縮です。ただ、商売そのものはトマティ商会の管轄でして……私のほうには税くらいしか入らないのです。そもそも何もない田舎ですから、領内の雇用につながれば御の字といったところでして……」


 声ははきはきとして通りが良い。へりくだった物言いだが、佇まいは堂々としていかにも武人らしく、ちょっとした覇気すら感じた。


(……なるほど、これは……雰囲気がある)


 武人、軍人の類はそれなりに見てきたが、まず姿勢が違う。体幹の強靭さが明らかに他の貴族達より上であり、彼が実戦派の武官だと一目でわかった。


 そのライゼー子爵に注がれる眼差しは様々で、やや微妙な嫉妬をはらむものもないわけではなさそうだが、全体としては概ね好意的と言っていい。

 この場にいる貴族は、軍閥の中でもそれなりに結束した者達のはずで、内部での分裂は起きにくいだろうとも察する。


 アルドノール侯爵が手を叩いた。


「ああ、そうだ。この機会に紹介しておこう。リスターナ子爵、ぜひこちらへ」


 呼ばれてから立ち上がり、リスターナは深々と一礼した。


「お初にお目にかかります、ライゼー子爵。ホルト皇国の外交官、フィオット子爵家当主のリスターナと申します。ご勇名はかねがねうかがっております」


 ライゼーが驚いたように、一瞬だけ口をつぐんだ。


「これは、ご丁寧にいたみいります。ライゼー・リーデルハインです。こちらこそ、リスターナ子爵のお名前はかねがね――まさか学祭の試技でお目にかかれるとは驚きました」


「懇意にしている商家のお嬢様が、弓の試技に参加されると聞き、お邪魔しまして――ご子息、クロード様のご指導も素晴らしいものだったと聞き及んでおります。今日はその妙技を楽しみにしております」


「……は、ははっ……お見苦しくない内容であれば良いのですが……」


 息子を褒められるのは慣れていないらしい。声に若干の動揺が見える。

 厳格な武人ではあっても一介の父親に違いなく、リスターナとしてはむしろこの動揺に親近感をもった。


 そうこうしているうちに、生徒達が現れ、貴族の挨拶が終わり、試技が始まった。


 初撃は全員が的に当て、「おお」とどよめきが上がった。

 リスターナも周囲にならいつつ、内心では「そんなものか」とうっすら感じてしまう。

 ホルト皇国の士官学校であれば、的には当たって当然。外せば恥である。

 見たところ、ギリギリで的の端に当たったという生徒も複数いた。


 件のクロードという少年は――

 さすがというべきか、ど真ん中を射抜いている。


 ライゼー子爵の周囲でも会話が弾む。


「ご子息はさすが、良い腕前ですな。一貫して姿勢がぶれない。的に当たった後も実に端然として、明鏡止水の境地を思わせます……」

「いえ、あれは緊張して表情が固まっているのでしょう……」


 どこぞの貴族から褒められて恐縮しきっている姿は、元の凛々しさとのギャップでなにやら可笑しい。


 やがて鐘の音を合図に、第二射、第三射と続き――


「……今年の学生は……優秀ですな? 誰も的を外しません……」

「きょ、距離が近いわけではないですよね?」

「……練習中は、もっと遠い的を狙っていたそうですよ。本番はむしろ近くなるから簡単だ、という理屈のようですが……」


 傍で聞いていたリスターナは、ふむと唸る。

 例年はもっと外れる――つまり、講師や教導の方法が今年は変わったのだろう。

 それがクロードという学生の影響だとしたら、得られた成果はこの士官学校に残っていくはずで、この効果は小さくない。


 訳知り顔の貴族がつぶやく。


「クロード殿の教導は、少々変わっているそうで……『弓を射る』前に、そのための『正しい姿勢』を模索することからはじめ、それが可能になるように、個々人の状態に応じて必要な筋肉や関節を効果的に鍛えていくと……回りくどいようですが、体の基礎が弓の仕組みに適応できていなければ、いくら矢を射ても上達しにくいと言われたそうです。その鍛え方というのが、指の関節や手首の柔軟性、肩の開き方やら背筋の使い方やら、実に細かく適切だそうで――」


「おや? お詳しいですな?」


「こちらの弓術の教官は私の遠い親戚でして。『今年は教官より遥かにレベルの高い生徒がいる』と、しきりに驚いておりました」


 リスターナは唸る。

 ホルト皇国の弓術には、「静」と「動」の二つの教えがある。

「静」、つまり「動かない的を正確に射抜く」弓術と、「動」、つまり「動き回る敵を射る」、もしくは「自分が移動しながら射る」弓術とでは、必要とされる構えや体の使い方もまるで異なる――といった内容だが、いま聞いたクロードの教導は、その「静」の修養と通じる部分が多い。


 この二種を混同して「弓術」と一括りにしている国も多いが、ホルト皇国においては両者は明確に区別され、修行方法も異なる。

 それぞれを極めていけば両者の道は自然に重なっていく――という教えもあるが、修行の糸口としてはまず「静」から始め、上達するにしたがって「動」の技術を身に着けていくのが常道とされていた。


 ネルク王国にはこうした方法論が根付いていないようだが、一学生が自力で至る指導法とも思えない。

 彼の「師」が誰なのか、少し気になった。


 順調に、計十回の弓術試技が終わる。

 ――参加者十名が、すべての矢を、的の内側に収めた。


 前代未聞の結果だったらしく、最後の矢が突き立った後、周囲から一際大きな歓声が上がる。

 終盤は貴賓席の貴族達も声すらなく、固唾かたずを飲んで見守るばかりだった。


 件のクロードという学生に至っては、すべてど真ん中――的の穴は中心にしか空いていない。重なった衝撃で穴は広がり、その向こうの藁俵がわずかに覗いている。ズレは拳一つ分すらない。


 ――リスターナも認識を改めた。

 これは本物としか言えない。


 ざわめきが収まらない中、ライゼー子爵に他の貴族達が声をかける。


「いや、ご子息は素晴らしい腕前だな! 父が槍の名手で、息子は弓の名手とは――」

「しかも他の学生達の教導まで――この快挙はその成果でしょう。学校史に残りますぞ?」

「い、いえ、そのような……いや、まさかここまで上達しているとは私も思わず――この王立士官学校での、教員の皆様方の教導の賜物でしょう。驚きました……」


 ライゼーはしきりに恐縮している。上位の侯爵や伯爵達から手放しで称賛されては無理もない。もはや嬉しいのを通り越して胃が痛いのではないかと同情してしまう。

 ライゼーとは年も近い。リスターナも本国へ戻れば同じ「子爵」の立場であり、より上位の伯爵、侯爵、公爵達との関係には神経を使っている。


 小休憩の間に、的が見慣れぬものへと変更され、アナウンスが入る。


『続いて、弓術試技の班長、クロード・リーデルハインによる個人技をご覧いただきます。披露する技は「ナインハント」――九分割された正方形の的を、表記された数字の順番通りに射抜いていくという、たいへん難度の高い技術となります』


 ……リスターナは、耳を疑った。

 これこそできるわけがない。

 的の中央に当て続けるのももちろん難しい技術ではあるが、一度でも成功した後は、同じ動きを繰り返せばいい。風向きの変化なども影響はするが、今日のような穏やかな天気であればこれは無視できる。


 しかし、細かく分割された的を数字の順番通りに射抜くとなると――「ほんの少しずつ」微調整を繰り返していく必要がある。

 弓術における「手元の微調整」は、的の付近では大きなズレとなる。

 たかが学生にできる技ではなく、おそらくは失敗を前提としたお遊びの企画なのだろうが――


 弓術にあまり詳しくなさそうなネルク王国の貴族達は、これがどれだけ常軌を逸した企画なのか、おそらく理解できていない。

「あれだけ的確に中心を射抜き続けたのだから」とでも思っているのだろうが、「的の中心を射抜き続ける」技術と「その周囲へ微妙に矢をずらしていく」技術とでは、系統が違うのだ。


 いや、左右にずらすのはどうにかなる。本人の立ち位置を、その分だけほんの少しずらせばいい。

 上下の打ち分けが鬼門で、ほんの少しでも矢を上向きにすれば的の上へ、下に向ければ的の下へ抜けていく。膝を落としたり、両足の位置を少し替えて上下の調整をするという手もあるが、これも姿勢が崩れる。

 わずかな違いが距離によって増幅され、的へ届く頃には致命的なズレに――


『まずは一番! 実に九分の一以下の的を、難なく撃ち抜きました!』

『……当たり前のように当たりますなぁ。所作に気負いも緊張も感じられません。極めて集中しているのに、同時に脱力もできている――あの年にして、もはや達人の貫禄すら漂わせています。父君のライゼー子爵とは、私も戦場でくつわを並べた仲ですが、あまりご子息の話をされないので……ここまでの才の持ち主とは、私も知りませんでした』


 絶賛である。間違いなく他人事なのに、なぜか胃のあたりが「きゅっ」となる。恥ではないが、共感性羞恥と似たようなものかもしれない。


『続いて二番も成功! え、速くないですか? あまり狙いを定めているように見えませんね?』

『あれはもう感覚で射ってますね。といっても狙いを定めていないわけではなく、常人には不可能なほどの、ごく短時間でそれを済ませているんです。彼にとって、矢は指先の延長とほとんど変わらないのかもしれません』

『的を指差すような感覚で射抜いていると? そんなことが可能なんですか? あ、もう三番です!』

『ぜひ本人に聞いてみたいですな。この試技の成功を見届けた後で……しかし、本当に淡々と当てますねぇ。ライゼー子爵のギブルスネーク退治を思い出します。あの時も衛兵から借りた槍を使い一瞬で仕留め、名乗りもせずに颯爽と立ち去ったそうですから』


 解説をしているクァドラズという伯爵は、なかなかリップサービスの上手い男らしい。アルドノール侯爵の腹心だと記憶しているが、どちらかというと寡黙な印象だったため、このように流暢に喋っているのを聞くと少々意外な感じがする。

 

 四番、五番、六番と、カウントダウンさながらに成功が続き――観客の誰もが「これはいける」と確信しつつあった。


 ――結果を言えば、クロードの発案によるこの「ナインハント」の試技は失敗に終わる。

 ただしそれは本人のせいではなく、ましてや名声を落とす類のものでもなく――


 会場にいた誰もが意表を突かれる形で、『それ』は起きた。


なお、クロードの指導法は弓道由来ではなくヨルダ様からの受け売りな模様……


ところで残暑っていつからでしたっけ……?(遠い目)

相変わらずの暑さが続きますが、皆様ご自愛ください(´・ω・`)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
実況席解説役の伯爵、実は楽しんでいるでしょ。 だって学祭。 学祭だと身分気にせずにはしゃげるタイプ?
[気になる点] 〉美しい娘の涼やかな美声 もしかしてもしかしなくても、こちらはラン様のお声ですか? 声まで完璧な美少女なの?さすがラン様。 ラン様の婚約話が気になりすぎるので、機会があったらどこかで…
[一言] クロードさまの株価がぐんぐん上昇してますが(読者は予想済み)、リスターナ子爵が師匠を気にしてますし前話のクロードさまの独白で前振りが有りますし。 ひょっとしてグラントリム家って貴種流離譚的な…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ