157・茶会への誘い
トゥリーダ様が「国家元首」になってくれた数日後。
レッドワンドの現国王、ケルノス氏から、「助命嘆願」「降伏」「王権の移譲」を申し出る書状が届いた。
使者が出発してからこちらへ到着するまでには結構な時間がかかるので、どうやら反乱軍潰走の噂が届いた直後あたりに速攻で決断したようである。
もうちょい抵抗するかとも思ったのだが……下手に抵抗しても暗殺されるか王都を巻き添えに潰されるかのほぼ二択なので、これは理性的に判断した結果であろう。むしろ見事な英断と褒めたい。
降伏するなら命まではとらない旨も通達してあったし、官僚達からの説得もあったとは思われる。
「この段階での恭順ならば、諸侯の手前、苛烈な処分はできません。爵位を伯爵あたりまで落とした上で、王になる前の領地へと戻し、そのままゆるりと一地方領主におさまっていただきましょう」
というパスカルさんの提案にも特に反対意見はなく、すんなり助命が決まった。
この国の国王陛下はあんまり優秀な感じではなく、特に善行などもしてなさそうだが……結局のところ「派閥の傀儡」という感じで、現時点では重めの罪状が見当たらなかったのも事実である。
ネルク王国にいろいろ仕掛けてきたのもフロウガ将爵のほうだったし。
そのフロウガ将爵であるが、オズワルド氏に連れられて『賢樹ダンケルガ』の元へ行った。場所がコルトーナ家の領地の近くとゆーことで、弟子のウィル君にも同行してもらった。
……結果、いい感じに思い出話に花が咲き、案の定、このままオズワルド氏の預かりとなった。知ってた。
『……フロウガ当人はえらくドライなことを言っていたが、ダンケルガのほうはしっかり憶えていたし、友人の一人という認識だったぞ。人間と長命種では、時間の感覚そのものが違うから……フロウガにとっては「遠い昔の思い出」でも、ダンケルガにとっては「つい先日のこと」だったんだろう。まぁ、仮に死なせたところで、大きな影響はなかっただろうが……ダンケルガに貸しを作れたのは大きい。ルーク殿の名は出していないが、いずれ何かあったら、事情を話して力になってもらうといい』
とのことである。
……正直、ちょっと会ってみたい気はするのだ……ウィル君のお師匠様だし、たぶんとんでもない物知りだろうし、「自我をもつ樹」なんていうファンタジーな存在には一見の価値がある。
今は多忙なので後回しにせざるを得ないが、いずれそのうち!
で、肝心のフロウガ将爵の今後の扱いは、
『正弦教団のホルト皇国支部で、パスカルが抜けた穴を埋めてもらおうと思っている。しばらくは見習いで試用期間になるが、密偵の使い方を知っているのは強みだ。預からせてもらえるか?』
ということで、トゥリーダ様からもご許可をいただいた。
なお、対外的には「魔族に囚われ、その後は生死不明」である。
……これは猫の勘だが、正弦教団にはそんな感じの「貴様は死んだはずでは!?」的人材がそこそこいそう。
そんな感じで「レッドワンド将国」から「レッドトマト商国」へのスムーズな政権移譲が見えてきたところで――
俺は満を持して、少し人数の多い「お茶会」を企画することにした。
§
「ロレンス様は、『無血革命』という概念をご存知ですか」
家庭教師、ペズン・フレイマー伯爵から向けられた問いに、ネルク王国・王弟、ロレンス・ネルク・レナードは控えめに頷いた。
「はい。失敗した政変を反乱、成功した政変を革命と呼び、特に『戦争状態を起こさず、兵を含めた関係者に流血沙汰がないまま成功した政変』を、『無血革命』と呼ぶ――そのように、カルディス男爵から学びました。この世界の歴史上でこれが為されたのは、我々が把握している限りでは、たったの二回とも聞いています」
ペズン伯爵は老いた眼差しを和ませ、ゆっくりと頷く。
「左様です。隣国、レッドワンドの現状は、その三度目の例になるかもしれませんな。王都から来た報告書を読む限りでは、第三勢力として成立した『レッドトマト商国』には、すでに諸侯からの支持が集まりつつあるとか。こちらへ侵攻してきた反乱軍も魔族によって潰走し、さらにその魔族の仲介で我が国との交易が始まりそうです。この交易について、ロレンス様はどのようにお考えですか?」
「良い話だと思います。我が国で足りていない鉱物資源を、余っている食料と交換できるわけですから、双方にとって利があります。ただ……周辺国は嫌がるでしょうね。ネルク王国の国力が増し、レッドワンド……いえ、レッドトマトも安定するとなれば、我が国にとっては東側の憂いがなくなります。その結果、西側と南側に戦力を向けるのでは――と警戒されそうですから、誤解を招かぬよう、より外交に力をいれる必要があるでしょう」
北側のロゴール王国は、内乱続きで他国との外交どころではない。またネルク王国との国境沿いには巨大な湖もあるため、互いに行き来がしにくい。隣接している割には、歴史的に縁の薄い国である。
そして西側と南側の国境は、三つの国と接している。
ネルク王国よりも強大ではなく、かといって弱小でもなく――戦になれば双方が浅くない傷を負う、と、互いに認識しあっている。
ネルク王国を含めた四国の関係は、これまで絶妙なバランスを保ってきたが――それは「レッドワンド将国」という、厄介なマイナス要因が影響してきた結果でもある。
ネルク王国にとって長く悩みの種だったレッドワンドが、今後は友好国、交易相手国になり、鉱物資源の慢性的な不足も緩和、もしくは解消される――
するとどうなるか。
ネルク王国はよほどの悪政をやらかさない限り、これからしばらくは工業的にも安定した発展を続け、周辺諸国よりも国力が上がる。警戒されないわけがない。
その発展をもしも「脅威」とみなされた場合には、周辺国がネルク王国を仮想敵とし、結束していく可能性まで考慮しなければならない。
あらゆる問題の「解決」は、新たな問題の「発生」と表裏一体なのだ。
ロレンスは、あくまで淡々と事実を指摘し続ける。
「外交を密にする上で、ホルト皇国の動きも気になります。この周辺一帯において、もっとも強大なホルト皇国……その地位を脅かす可能性があると思われたら、厄介なことになりそうです。おそらくこれからの我が国の外交は、今までとは次元の違う慎重さが必要になるでしょう。今の体制ではいずれ問題が起きそうですし、外交関係の人員強化を兄上に進言したいところですが……」
ロレンスは言葉を区切った。
……ちょうどいい人選を、思いつかない。
外交関係はこれまで、寡妃ラライナに忠実な閥が取り仕切ってきた。先の王位継承権を巡る騒動で、明確に失脚したのは母のラライナと自分だけ――派閥そのものはまだ壊れていないが、中心になるべきラライナの不在によって、かつてのまとまりは失われている。
そして残念なことに、現状の職務だけならいざしらず、これから先の難しい舵取りを調整できるほど優秀な者は、派閥の中に見当たらない。
――他派閥の人材にまで目を向ければ、いることはいる。
しかしそうした有為の人材を引き抜くとなると、また別の弊害が出てくる。
たとえば、ロレンスの脳裏に浮かんだある貴族。
名を「ライゼー・リーデルハイン」という。
正式な発表は来年になるが、彼の領地の近隣にて、先日、新規の迷宮が発見された。
いずれその功績によって伯爵へ陞爵する予定だが、彼などは思考が深く慎重で、いざという時には身を守れる程度の武芸の心得まである。軍閥が手放さないだろうし、本人も嫌がりそうだが、外交官に向いた人材だとは思う。
さらに輪をかけてなんでもできる人材……もとい獣材もいるのだが、こちらは臣下ですらなく、むしろ目上の存在である。昨今のあらゆる騒動の中心におり、優秀さは実証済みなのだが、本猫が表舞台に立ちたがらない。
……立ったら立ったで大騒動になるし、僻地でトマト様の栽培に勤しむどころではなくなるだろうから、その選択はおそらく正しい。
ともあれ、『周辺国との外交を強化すべき』というロレンスの見解を受けて、ペズン伯爵は満足気に頷いた。
「卓見です。やはりロレンス様には、物事の流れが見えておられる。もっとも気を使うべきは、やはりレッドワンドの向こう側、ホルト皇国ですな。我が国にとっては友好国ですが、レッドワンドが脅威でなくなった今、ホルト皇国は『ネルク王国とレッドトマト商国の同盟』を警戒するでしょう。周辺国のうち、もしも一国でもその同盟に加担すれば、その三国の兵の数はホルト皇国を上回ります。もちろん我々にそんな野心はありませんが、今後の外交では、『ホルト皇国に無用の疑念を抱かせない』ための立ち回りが必要になるでしょう。場合によっては……ロレンス様の御身にも、影響が出るやもしれません」
「私に?」
ペズン伯爵の懸念がわからず、ロレンスは首をかしげた。
今の彼は気楽で充実した学びの日々を送っているが、世間的には都落ちも同然の身で、一部の貴族からは「幽閉」などと曲解されている。
ホルト皇国との外交に関連して、そんな自分に何か影響があるとはとても思えない。
ペズン伯爵は、「ほぼ有り得ないという前提でお話しいたしますが」と、前置きをした。
「ホルト皇国は学問の進んだ地です。希望があれば周辺国から王侯貴族の留学も受け入れており、この学生達は『非公式の外交官』のように扱われます。ネルク王国に対する誤解を防ぐ意味で……人質とまでは申しませんが、相互理解の名目で、王家、公爵家、侯爵家あたりの子女を、あの地に留学させる――そういう政治的手段もある、ということです。もちろん素行の良くない人材を送れば国際問題になりますので、仮に実行するとしても、その人選は難航するでしょうが……ロレンス様は、お立場も、年齢も、そして才覚も、すべての条件を不足なく満たしておいでです。もしもロレンス様が強くご希望されるようであれば、陛下もご一考くださるかもしれません」
「予備」の王族の使い道としては、物語で良く見かける流れではある。
異国にも興味はあるし、許されるならばもちろん行ってみたい。またロレンスが強く願えば、兄王リオレットも許してくれそうな気はする。
――しかし、「自分の立場で、それを願うべきか否か」という、根本的な問題もある。
誰にも言っていないが、ロレンスはこの地で、母のラライナが悪巧みをしないようにと「監視」していた。
実の母であるラライナのことを、ロレンスはまっっったく信用していない。
彼女にも美点はある。
ヒステリックに叫んだりはしないし、いつも儚げで、優しげで、外見だけは人畜無害に見える。
演技ではない。実際に気弱な性格ではあるのだ。
ただ、貴族・王族としての歪んだ責任感に囚われており、「自分がいなければこの国はもたない」と、本気で考えている節がある。
……以前に茶会の席でも、亜神ルークとそんな会話をした。
ルークは猫の顔に苦笑いを浮かべ、しばらく唸った。
『……実はラライナ様の感覚も、そんなに間違ってはいないのです。あの、亡くなったお父上のことを悪く言いたくはないのですが……先代陛下の執政はちょっとひどかったみたいで、外交、内政、税務など、かなりの分野でラライナ様が先代陛下の代わりに、貴族への対応をされていたと聞きました。たぶんその当時は、本当にラライナ様がいないと国が成り立たない状態だったのだと思います。だからこそ、ラライナ様を中心とした派閥も結束が強くなり、先日のような王位争いに発展したのでしょう」
その後は『ロレンス様が動いてくれなかったら、たぶん大変なことになっていたのです』と、猫に拝まれ感謝された。神ならどうとでもできただろうが、関係者に死人が出なかったことは喜ばしい。とはいえ亜神が人間を拝むのはどうかと思う。
ペズン伯爵の講義が終わり、午後はロレンスの希望通り、自由時間となった。
午後は一人で本を読みたい――という建前だが、実際にはルーク達との茶会である。
しかも今日は特別な会合で、ロレンス以外にもゲストが多い。
「ロレンス様、こんにちは! お迎えにあがりました!」
ロレンスの寝室、そのベッドの上へ唐突に現れた「だんぼーる」なる茶色い紙箱から、ルークがいつものようにひょいっと顔を出す。
「宅配魔法」という転移魔法の亜種らしいが――魔族の転移魔法よりもおそらく性能が高い。本人が同行せずとも、第三者や物資だけを強制的に送りつけることも可能らしい。
『とはいえ、私が送付先をきちんとイメージして指定する必要はあるので……正確な地図の把握は必須ですし、地図だけだとどうしても数キロから数十キロ単位の誤差がでます。現地がどういう場所なのか、その風景や建物の位置関係などを事前に知っていないと、たとえばこんな感じに「ロレンス様のベッドの上に」みたいな正確な送り方はできません』
ルークは以前、そんな具合に謙遜していたが、そもそも転移魔法自体が普通の魔導師には行使不可能である。それを猫の散歩感覚で使っているルークが異常なだけで、姿はかわいい猫さんでも、中身はやはり「亜神」なのだと実感できた。
ロレンスはその亜神を膝に載せ、わずかに頭を下げる。
「すみません、ルーク様。いま、マリーシアが大慌てで着替えていますので、少しだけお待ちいただけますか?」
「え? 今日はただのお茶会みたいなものですし、普段着で大丈夫ですが――」
「察してあげてください。さすがに『国王陛下』と『隣国の国家元首』が同席する場で、警護役の騎士が普段着というわけにはいかないでしょう。マリーシアは生真面目ですから」
ルークにとっては『いつもの慣れた面々』であっても、ロレンスの警護役を務めるこの娘は平民出身である。
ロレンスの師である「カルディス男爵」の孫娘だが、彼の男爵位は役人用の一代限りのもので、後継者もいないし男爵家の出自でもない。今日の茶会の錚々たるメンバーを聞いて、緊張するなと言うほうが無理だった。
ルークはゴロゴロと喉を鳴らす。
「ケーナインズのブルトさん達や有翼人の皆さんも現地にいますし、席なんて果樹園の休憩所なので、本当に緊張するような会ではないんですが……あ、ベルト周りはゆるくしておくようにお伝えください。おいしいものがたくさん出てきます」
デリカシーよりも食い気を優先したルークの言い様に、ロレンスは噴き出してしまう。
「後で伝えます。それより……このタイミングでのお茶会ということは、レッドトマト商国への支援は一段落したのですね?」
「はい! おかげさまで飢饉への対応も落ち着きまして、今冬はもう大丈夫そうです。リオレット陛下にも今日、報告する予定ですが、レッドワンドの国王からも王権移譲の申し出がありまして……まぁ、共和制に移行するので『王権』は廃止になりますが、大きな混乱の芽はほぼなくなったと認識しています」
ルークのそんな言葉に、「王弟」たるロレンスは少しだけ困惑を覚える。
「ルーク様は、『王権』というものを歪んだ概念として捉えておいでですか?」
「そうでもないです。リオレット陛下やロレンス様に対しては、もちろん含むところなどありません。政治のシステムは時代に応じて変遷していくものですし、歴史やお国柄、国民性、文化的背景を踏まえた向き不向きというものも当然あります。また、今のネルク王国に関して懸念はありませんが、これから先、いずれ暴君とかが出てくる可能性も否定はできません。『これが政治のあるべき姿』みたいな思い込みは危険ですし、万全な政治システムとか、猫にはよくわかんないのです」
この曖昧な回答に、ロレンスはこの猫の思慮深さを察する。
「ただ、為政者としてのトゥリーダ様には期待しています。個人の資質で皆を導くタイプではありませんし、決断力とか判断力も周囲に補ってもらう必要はありますが、あの方には何よりも大事な『誠意』があります。自らの利益を当たり前のように無視して、人々の安寧をまず第一に考えられる、得難い資質です。滅びゆくレッドワンドにとって最大の幸運は、今の時期に、あの人があの地にいたことだと思います」
絶賛である。
亜神ルークにこうまで評価される人材ならば、ロレンスもぜひ会ってみたい。
「ネルク王国とレッドトマト商国は、うまくやっていけそうですか?」
「少なくとも当代は大丈夫でしょう。その先は為政者次第です。結局のところ――政治とは『人』が導くものですから、良くも悪くも人次第です。システムはもちろん重要ですが、そのシステムも『人』に依存します。もっとも恐れるべきは人材の枯渇ですね」
ロレンスは改めて、猫の言葉を胸に刻む。
寝室にノックの音が響いた。
「ロレンス様、ルーク様、遅くなりまして申し訳ありません。支度が整いました」
堅苦しい軍服に着替えた護衛のマリーシアが、申し訳なさそうに合流する。隣室からでも、ロレンス達の会話は聞こえていたのだろう。
いかにも騎士らしいマリーシアの正装に目を細め、ルークは「よっこらせ」と膝から降りる。ロレンスとしては若干、名残惜しい。
「いえいえ、ほんの数分でしたから。それではメテオラに向かいましょう!」
ルークが元気よく前足を掲げると、作業着を着た二匹の黒猫が「ニャーン」と鳴きながら登場した。
そしてすかさず、頭から「だんぼーる」という箱を被せられ――
一瞬の暗転を経て、ロレンスの体は、遠く離れたドラウダ山地の集落へと運ばれていた。




