16・鹿肉おいしいです
その日の夕刻、ライゼー子爵が旅先から屋敷に帰ってきた。
「何か変わったことはなかったか」
「ルーク様がずっと眠っていました」
という、サーシャさんとのやりとりはあったようだが、「猫ならほとんどの時間を寝て過ごすのは当たり前だろう」と、お笑いになったそうである。
うん。丸々七日も昏睡状態だったとはまさか思わないよね……
そして夕食の席で、初めて会う人がいた。
「ルーク、こちらは私の古くからの友人で、今はうちの騎士団長を務めている“ヨルダリウス・グラントリム”だ。今回の旅の間も、私の護衛として同行してくれていた」
「ヨルダでいい。よろしくな、猫殿」
ニヤリと片目を瞑って気さくにご挨拶してくれたのは、黒髪のがっちりとした偉丈夫だった。
日焼けした精悍な面立ちには、歴戦の強者感が漂っている。ライゼー様がインテリナイスミドルだとすれば、こちらはワイルドナイスミドルだ。舌噛みそう。
「よろしくお願いいたします、ヨルダ様。クラリス様のペット、ルークです。お噂はかねがね……」
こちらも一礼してご挨拶を返すと、ヨルダ様は目を丸くして、その後に大声で笑い出した。
「ライゼー、まじかよ! こいつはすごい、本当に喋ったぞ! しかも理知的な声だ! ……いや、失礼、失礼。信じていなかったわけじゃないんだが、話に聞くのと実際に見るのとでは、やはり大違いでな。ルーク殿、気を悪くしないでくれ」
「あ、はい。むしろお心遣い恐縮です」
……子爵様を呼び捨て……?
昔からの友人とのことだが、やはりこの世界、貴族の階級はあまり絶対的なものではなさそうである。より上の伯爵や侯爵だとまた話は違う、なんて可能性もあるけど。
豪快な雰囲気に気圧されつつ、俺はそっと“じんぶつずかん”を広げた。他の人には見えないから、ちょっと視線が泳いでいるようにしか思われないだろう。
さて、この領地の騎士団長、ヨルダ様の能力値は……
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■ ヨルダリウス・グラントリム(39)人間・オス
体力A 武力A
知力C 魔力D
統率B 精神B
猫力54
■適性■
剣術A 槍術A 馬術B 弓術B 生存術B
■称号■
・隊商の守護騎士
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A!!
Aがきた!!
すなわち「達人」である。しかも俺以外では初めて見る“称号”まで持っている。「まじかよ」とはこちらの台詞だ。
メイドのサーシャさんも十五歳とは思えぬ有能ステータスだったし、その父親ならさぞかし……という期待はあったが、これはライゼー様が重用するのも納得の逸材である。
ささっと一瞬で「じんぶつずかん」を閉じ、俺は改めてヨルダ様を見上げた。
意識して見ればなるほど、立ち居振る舞いに隙がない……と、思う。や、別に隙を察知するような眼力は持ち合わせてないけど、それでもなんかこう「あ、このひとつよそう!」くらいはわかる。
「いずれ家内にも引き合わせたいな。うちの家内は猫好きなんだ。町で織物の工房をやっているから、もし行く機会があったら、顔を出してやってくれ」
「はい。ぜひご挨拶させていただきます。ところで……ライゼー様とはかなり親しげなご様子ですが、もしや御学友だったとか……?」
ライゼー子爵が苦笑いをして、掌をぱたぱたと打ち振った。
「いやいや。私は商家へ養子に出されていたから、士官学校などにも行っていない。ヨルダは昔、隊商の護衛として雇っていたんだが、あまりに腕が立つものだから、私が子爵位を継いだ時に士官として引き抜いた。疫病のせいで壊滅状態だった当時の騎士団を立て直してくれた功労者で、年は近いが私の武芸の師でもある」
あ。ライゼー様の槍術B、弓術Cってこの人の影響か!
「ついでに言うと、商家にいた頃に義兄弟の盃をかわした仲でね。あの頃はまさか、自分が子爵家を継ぐ羽目になるなどとは思ってもいなかったが……」
「俺だってびっくりだ。“これで将来は商家の用心棒として、のんびり気ままに過ごせる”とか油断していたら、何の因果か今や激務の騎士団長だぜ。ま、おかげで“喋る猫”なんていう面白い知り合いもできたし、文句はないがね」
呵々と笑うヨルダ様には、なんというか、人を惹きつける雰囲気があった。
豪快だけれど粗野ではなく、上品ではないけれど下卑たところは一切ない。
ライゼー様もこういう人材は手放したくないだろーなー……引き抜いたのは大英断だったのだろう。
さて、ライゼー様の帰還祝いも兼ねているのか、夕食は先日よりも豪華だった。
特に鹿肉のローストは絶品であり、今夜はヨルダ様の好みとゆーことで、特別に醤油を使った味付けがなされていた。ルークさんもこれには大興奮である。
食事中はあまり喋らないのがマナーということで静かにいただいたが、どうやらあまりに眼がキラキラキラキラキラッキラッしていたらしく、メイドのサーシャさんがそっとおかわりを出してくれた。ちょーおいしかった。
コピーキャットの能力で「知っている味」なら再現可能とはいえ、こうして新たな味に触れられる喜び、またきちんとした食事が出てくるという嬉しさに、改めて感謝するばかりである。
そして食後。
ヨルダ様も交えて、しばしご歓談の時間となった。
まずはライゼー様が、姿勢を正してテーブルに向き直る。
「トリウ伯爵領での諸々の商談は、万事滞りなかったが……改めて、このリーデルハイン子爵領の“特産品の弱さ”を思い知った。伯爵領には陶芸の町ガレコや、織物の町ルダイなど、専門性の高い商材を職人達に切磋琢磨させる環境が整備されている。さすがにあちらと比べてどうこうとまでは言いにくいが……我が領地でも、何か特色のある輸出品を作り出したい。リルフィの香水と魔法水は高級品だし、生産量も需要も限られるから、ここはやはり領民達に生産可能で、隊商を組んで王都あたりに運べる農産品や加工品を検討したいところだが……」
トマト様の出番である!!
「ライゼー様、それでしたらぜひ、先日のトマト様を候補にいれていただけないでしょうか。もちろん安全性を確認してからになりますが、あれは栽培も容易で収穫量も多く、また加工にも適した素晴らしい食材です!」
俺が何故、こうもトマト様を推すのか。
もちろん餓えから救ってもらった恩義もあるのだが、トマト様が普及してくれると、料理のバリエーションが一気に広がるのだ。
ケチャップ、ミートソース、トマト系の煮込み料理にはじまり、オムライスやドリア、ブイヤベース、トマトリゾットにミネストローネ……とかく「風味の濃さ」という点において、トマト様は他のお野菜とは一線を画す。具材に留まらず「調味料」としても活用できる個性の強いお野菜なのである。
こちらの世界でそれらが民間に普及すれば、新たな料理すら生まれるかもしれない。
そもそもの植生が違うため、晩御飯にも俺の知らないお野菜がいくつか出てきたが、それらとトマト様を組み合わせた際の可能性にも計り知れないものがある。
…………これまでの言動で概ねお察しいただけたと思う。ルークさん、そもそも割と食いしん坊である。
前世では酒、女、煙草、ギャンブル、いずれともあまり縁がなかったが、その分、食費は割と凄かった。
酒>付き合いで少し。私生活では酒を買う金があったら食材を買う。
女>モテない。むなしい。
煙草>味覚が鈍るのは論外。
ギャンブル>賞味期限切れの食材であたる(※食中毒)かどーかのギャンブルなら少しやった。あと競馬はお付き合いで少し。
という塩梅で、そんな俺に与えられた“コピーキャット”の能力は、まさに猫に鰹節である。超越者さん、この点に関しては本当に良い仕事をしてくれた。事前に説明があったらもっと良かった。
一方、ライゼー子爵は思案顔である。
「実はな、ルーク。使用人達からも、それを勧められたんだ。私が旅をしていた間、少量ずつではあるが、毒味をかねて試してくれたらしい。評価は上々、ぜひ活用すべきだとね。しかしあの野菜に関して、我々は完全に素人だ。栽培にしろ調理にしろ、君の意見に頼るしかない。手間をかけてしまうが……技術指導を頼めるかね?」
「喜んで!」
ひゃっほう!
はしゃぐ俺の隣でヨルダ様が首を傾げた。
「トマト様ねぇ……レッドバルーンの変異種のようだが、なんでそんな植物が、ここの畑に急にできたんだろうな。しかも結構な量を収穫できたんだろう? 新しい実もつけているのか?」
「そのようだ。熟している実はもう残り少ないだろうが、新たに緑色の小さな実が次々とついているらしい」
ほう?
つまり俺の「コピーキャット」は、「レッドバルーンの実」を「トマト様の実」に変えたというより、「レッドバルーンの木」そのものを「トマト様の木」に変えてしまったのか……
もちろん、トマトの木……というか、茎とか根とかは食べたことがないわけだが、遺伝子的にはつながった存在であろうし、「トマトの実」を解析済なら、「トマトの木」も解析したことになるのかもしれない。
そもそも薪をブッシュ・ド・ノエルに変えるよーなチート能力であれば、その程度は余裕か?
となると、「胡椒の木」も容易に実現できる可能性が出てきた。気候風土の問題で、ここで育つかどうかはちょっと怪しいが……
あと、一部の果物は種から発芽させ実をつけるまでに数年かかったりするため、早期の量産のために「挿し木」というワザを使うのだが、そうした手間すら省けるかもしれない。
やりすぎて他のお貴族様から目をつけられないように、注意する必要はあるが……しかしライゼー様にまで真実を隠しておくのは、ちょっと都合が悪そうだ。
もうクラリス様やリルフィ様にはバレちゃってるし、ライゼー様も気を使って問い詰めないだけで、薄々感づいている気がする。
だって俺に技術指導を依頼した時、「あえて事情は聞かないけど」って雰囲気がバリバリだった。
……これはやっぱり、きちんと話しておくべきだろう。
実はライゼー様ご帰還の前に、既にそう思って、リルフィ様とクラリス様にも相談しておいた。
お二人からは「ルーク(さん)の判断で」と丸投げしていただいた。
隠し事は時に誤解を生む。誤解を恐れるなら、大事な相手にはきちんと話をしておけ――これは亡くなった爺ちゃんの言葉である。
この時は言われた通り、「爺ちゃんから勝手に借りた釣り竿を折った」とバラしたら怒られた。りふじん。
「ライゼー様。実は、私の“魔法”について、折り入ってお話があります。私自身にもまだ知識が足りないため、ややこしいお話になってしまうのですが……」
「ふむ? 聞こう」
俺は慎重に、言葉を選ぶ。
「ありがとうございます。まず、これは信じていただけないと思い、ずっと黙っていたことなのですが……世界の垣根を越えた時、自分は“神様”と思われる存在とお会いしました」
ライゼー子爵がきょとんと瞬きをした。
……まあ、猫がいきなり「神は実在した!」的なことを言い出したら、そりゃ正気を疑う。俺だって疑う。
しかしこの世界では、神様の実在自体は疑問視されていないらしいから、珍しい例ではあっても有り得ない話ではない。もちろん発言者の信用度によって、「嘘か真か」という疑いは残る。
「その時にですね。慣れない環境で大変だろうと同情していただいたのか、いくつか特殊な力を賜っていたようなんです。先日の時点では、こちらの世界へ来たばかりだったため、自分の能力についてもまるで把握していなかったのですが……リルフィ様の“魔力鑑定”で、自分も初めてその存在を知りました。ただそれでも詳細が不明だったため、ここ数日、眠っている間にもう一度、神様と会ってきまして……詳しい話をうかがってきました」
ライゼー子爵、頭痛をこらえるようにこめかみを押さえてしまった。
「いや待て。ちょっと待ってくれ、ルーク。“神様”というのは、そんな気軽にお会いできる存在なのか?」
「あー……いえ、ちょっと省略しすぎました。厳密には、神様の一人というか、窓口業務を担当されている方です」
「窓口業務」
「あと、人間にとっての神様ではなく、猫の姿をした猫の神様です」
「猫の神様」
「交代勤務制らしいので、次に行ったら別の方がいるかもしれませんが……」
「交代勤務制」
気になった単語を繰り返すだけになってしまわれたが、ルークさん嘘は言ってない。文句は超越者さん側にお願いしたい。
「……よくわからんが……ええと、つまり、ルーク。君の正体は“神の使徒”だということか?」
「断じて違います。そういう誤解を受けたくないから黙っていたとゆー面もありますが、たとえば“王様に会ったことがある”からといって、即“王様の家来”にはならないですよね? それに使徒なら神様の命令を受けて動くものだと思いますが、俺が言われたのは“楽しい猫ライフを!”くらいなもので、基本放置です」
俺を抱きかかえたクラリス様が、ぽつりと耳元で囁いた。
「……あのね、ルーク……それ、“自分は神様に仕える者ではない”、だけど“親切にしてもらった”――つまり“神様の友達だ”って言っているのと、ほぼおんなじ意味だからね……?」
……………………………………くらりすさまかしこい。
実情はもうちょっとお役所仕事的というかアレな対応だったが、しかし単純化した話を聞かされた側は、そう受け取っても仕方ない。
「そ、そういうのとはまた違いますから! ええと、あの……そう! 実験動物! 俺がこの世界で能力をどう使うかとか、人々がどう反応するかとか、そういうのを見たいのかもしれません!」
自分で自分を実験動物扱いするのはとても抵抗があるのだが、しかしライゼー様の誤解を解くためには致し方ない。
ここでヨルダ様が助け舟をだしてくれた。
「で、その神様から授かった能力というのが、例のトマト様と関係あるわけか」
「は、はい。あの、いただいた能力というのは、俺が前の世界で食べていたもの……植物とかお菓子とか料理とかですね。それらを、こちらの世界でも再現できるとゆーものでした」
ライゼー子爵が眼を剥いた。
「いくつか制限があり、見た目が近かったり、素材に共通点があったり、名前の由来に関わりがあったり、そういうつながりのある素材が最初に必要なので、無制限というわけにはいかないんですが……件のトマト様は、俺がレッドバルーンの実をトマト様と見間違えたせいで、変化してしまったようなんです。元々、近縁の種だったため、変化が容易だったのかもしれません」
ヨルダ様の眉間にもシワが寄った。
「…………なあ、ルーク殿。こんなことを言って、気を悪くしないでほしいんだが……世間一般では、そうした奇跡の力を“神の御業”というんだぜ」
……知ってる。
だがしかし、断じて俺は神などではない。ただの猫である。
こういうタイミングで「新世界の神になる!」みたいなことを言える強メンタルの人ってすごいよね……ルークさんにはぜったい無理だわ……
「神様からもらった力ではありますが、私はただの猫です……とりあえず、“餓えないように”という目的の能力だと思われるので、あまり乱用する気はないのですが、論より証拠ということで……実例をお見せします。素材として、何かないですかね? 食べられるものがいいです」
その方が連想しやすい。
たとえばお皿とか渡されても「これと似た食べ物……?」と悩んでしまうし、たぶん皿のほうが高価だからもったいない。変化させた元の物質はなくなってしまうのだ。
薪は……ここにはないし、四十近いおじさま方にブッシュ・ド・ノエルは重いだろう。
あとぶっちゃけ、「庭の土からチョコレート」とか作れそうなのだが、目の前で変化したそれを「食え」と言われてもなかなか抵抗があるだろうし、やはり最初にお見せするのは食材から変化したものが無難と思われる。
「サーシャ、台所に行って、調理前の適当な食材を……そうだな、一籠程度、見繕って持ってきてくれ」
「あ、ついでに空のお皿もお願いします! 食器は出せないので」
ライゼー様の指示と俺の要望を受けて、サーシャさんはいそいそと食堂を出ていった。