138・レッドワンドの動向調査・初動編
ライゼー様から国王陛下に宛てた機密文書を、キャットデリバリーで送った数分後。
どこからともなく襲い来る、謎のリア充の波動に尻尾を逆立たせていると――
「ルーク様、レッドワンドの動きを確認するため、リオレット陛下のご指示により、しばらくご一緒させていただきます」
わざわざウィル君が来てくれた!
「やー、なんだかすみません。お忙しくなかったですか?」
「いえ、ことが隣国からの侵攻となると、放置したほうが陛下は忙しくなってしまうでしょうから」
正論である。
レッドワンド将国の内乱と、こちら側への侵攻準備――
オズワルド氏から得たその一報については、今朝早くに、ライゼー様にもすぐご報告させていただいた。
といっても、「詳しいことはこれから調べる」という程度の内容だったのだが……現地でもう兵が集まりつつあるのなら、敵の侵攻は一週間後くらいには始まりそうである。
なお、レッドワンドの王様の「じんぶつずかん」情報も見てはいるのだが……こちらはまだ反乱軍の蜂起を把握していないっぽい。
オズワルド氏のほうが耳が早かったのは、正弦教団の優秀さと転移魔法のおかげか。
そしてどうやら反乱軍のほうが、先にネルク王国への侵攻を画策中らしい。
――そう、「反乱軍」のほうなのだ。
その意味では、「レッドワンド将国の侵攻」ではなく……「レッドワンド将国の王を倒そうとする、反抗勢力の侵攻」であり、勢力図がややこしい。
その反乱軍が狙っているのは、ネルク王国の「領地の制圧」とか「恒常的な支配」とかではなく、もう単純に「穀物の略奪」である。
野菜泥棒ならぬ穀物強盗、もちろんトマト様を一個二個盗むというレベルではなく、規模がヤバい。
とにかく糧食が不足しているため、まずこれを強奪し――その後はネルク王国ではなく、レッドワンドの王都へ向けて進軍予定という、ちょっとすげぇ戦略である。別に褒めてはいない。「アホかな?」って思ってる。
ただ、まぁ……こちらの世界の軍隊の移動速度とかを考えると、間違った方向に合理的ではあり、看過はできぬがちょっと唸らされたのも事実だ。
通常状態でネルク王国がこの奇襲を受けた場合、大部隊が到着する頃にはもう糧食は強奪済であり、件の反乱軍はレッドワンド国内に戻って自国を進軍中、という流れになる。
国境付近を守るネルク王国の兵達が遅滞戦闘を狙ったとしても、広い穀倉地帯のすべてを防御するのは現実的に無理。
ちょうどこの時期は、現地で小麦の収穫が終わりかけの頃で――
すなわち、倉庫には収穫直後の小麦が大量に積まれているタイミングである。
遠くから侵攻してきて、兵にのんびり収穫をさせるよりは、現地の人達が苦労して収穫した小麦を横から強奪したほうが効率が良い、という狙いであろう。殺すぞ(農耕民族の怒り)
……かわいいペットの偽装が剥がれてつい荒ぶってしまったが、リーデルハイン領でトマト様のお世話をしているうちに、ルークさんもすっかり農耕の誇りに目覚めてしまった。農産物を荒らす非道な輩に容赦などできぬ……! 野菜泥棒? 万死に値する(自己批判)
以上が、オズワルド氏からの情報と『じんぶつずかん』から得られた当座の分析であるが――反乱軍側の人材をまだ見ていないため、こちらに対して『じんぶつずかん』が使えない。
今日はこれからレッドワンドに移動し、姿を隠していろんな立場の人達を見てくる予定である。
で、そのための地理情報その他の助言を求める先は、うちの農耕系有翼人、シャムラーグさんと、第一子誕生でいろいろ大変そうなキルシュ先生だ。
ウィル君を伴って診療所に出向くと、ちょうど患者さんはいない時間帯であった。そもそも人口少ないからね……
ウィル君とキルシュ先生はもうとっくに顔見知りであるが、ルシーナちゃんが生まれたのはほんの数日前であり、ルークさんが名前をつけたのもつい昨日。
ウィル君とルシーナちゃんとは、これが初顔合わせとなる。
ベビーベッドですやすや眠るルシーナちゃんを見て、ウィル君が微笑んだ。
「キルシュ先生、このたびはご長女の生誕、おめでとうございます。母子ともに健康とのことでなによりです」
「ありがとうございます、ウィルヘルム様。恐れ多くも、ルーク様より『ルシーナ』という素晴らしき名を賜りました」
恐れ多くないです。ペットの猫です。
さておき、俺も昨日ぶりにルシーナちゃんの顔を覗き込む。かわわ。
「ルシーナちゃんの様子はどうですか? 夜泣きとか大変じゃないです?」
「あまり泣かない子のようですが……エルシウルは授乳があるので、大変かもしれません。それ以外の時間はなるべく私が見るようにしていますが、診察や往診もあるので不安もありまして……でも、シィズさんが手伝いを申し出てくれましたので、近く頼らせてもらうことになりそうです」
ルシーナちゃんのかわいさに撃ち抜かれたのであろう……ケーナインズの魔導師、シィズさんはカワイイものが大好きである。
なお、ハズキさんのほうはクラッツ侯爵領の領都オルケストへ戻り、いよいよ演奏家としての道を歩み始めた。
休日になるとちょくちょく宅配魔法で合流してお茶会とかしているが、今はひたすら練習の日々とのこと。
ハズキさんが有名になったら、いずれはトマト様の広告塔をやっていただく予定であり、これで広告塔の候補は王都の拳闘士ユナさんとオルケストの演奏家ハズキさん――スポーツ系と音楽系の二分野をガッチリ抑えた。ククク……深慮遠謀。
拳闘士のユナさんは既に有名人なので、広告塔としては即効性が高い。来年中にもお願いできるであろう。
ハズキさんのほうは数年後に期待であるが、こちらは『聖教会』へつながる人脈としても期待できる。善き哉。
だが、当面の問題は『レッドワンド将国』だ。
戦争案件よりトマト様案件に集中したいのは山々だが、世情が荒れては元も子もない。時には戦争が商機になるのも事実だが、そこで金儲けをするほどルークさんはすさんでもいない。
我々の話し声を聞きつけて、奥の部屋からシャムラーグさんも出てきた。
「ルーク様、ウィルヘルム様、ちょうどいいタイミングでした。ご依頼の報告書、まとまったところですぜ」
「助かります!」
今朝早く、農作業に出ようとしていたシャムラーグさんを呼び止めて、俺はある書類の作成を依頼した。
彼が知る範囲の、レッドワンド将国の有力貴族の人名、特徴、それらをまとめた相関図――
これから調査を行う上での、最初の参考資料である。
あくまで簡素なものだが、取っ掛かりはコレで良い。この資料を頼りに現地へ飛んで、該当する人物を探し出し、俺がこの目で見てしまえば――あとは『じんぶつずかん』さんの独壇場である。
できたばかりの資料を読む俺を見て、キルシュ先生が問いを発した。
「ルーク様は、戦争を止めたい――という解釈でよろしいですか?」
「んーーーー……少し違います。国同士の争いには、正直に言って関わりたくないのです。ただ、略奪によって殺される人々を見過ごすという選択肢は、ちょっと……何もできない身であれば逃げますが、猫魔法の猫さん達がいる以上、多少は力になれるはずなので――とはいえ身バレも怖いので、大っぴらには力を使いたくないという複雑な思いもありまして、『さて、どう立ち回ったものか』と考え込んでいる次第です」
つまり、対策はほとんど白紙である。
「特に今回は、レッドワンドをとっちめて済む話でもないんですよね……戦争が起きなかった場合でも、旱魃の影響を引きずるレッドワンドでは、今年の冬に大量の餓死者が発生しそうです。国の失策も大いにあるにせよ、それは一般の人達のせいではないので――かといって、ネルク王国の農家の方々に害が及ぶのも困りますし……」
――本当に、面倒な事態になった。
俺はレッドワンド上層部の政治体制とか方向性とか気質とか、そういう部分には言いたいことが山程あるのだが、たとえば有翼人の方々のように、ただその地に生まれて暮らしているだけの人達に対しては、別に恨みがあるわけでもなんでもない。
なのに戦争や飢饉となると後者の人達が苦しんで、やらかした側の連中はだいたいお咎めなしである……
これが革命レベルまで進めば断頭台送りになるのだろうが、「血縁ではなく、魔力の有無と政治力で次の王が決まる」というレッドワンドでは、現役の王が倒れると別の地方から次の王が湧いて出る仕組みであり、似たような体制がダラダラと続くばかりで大きく変わりにくい。
つまり、政治システムの限界と疲弊が来ている。おそらくレッドワンドはこの先、小規模な内乱と他国への迷惑な侵攻を繰り返しつつ、ロゴール王国とやらのようにグダグダになっていくのだろう。そのうちどっかのタイミングで覇王とかが出現するかもしれないが、それはそれで困る。
国の変化は、「内側からの力」か「外側からの力」、そのどちらか、もしくは双方によって起きる。
内側からの変化とは、政治改革や技術革新、人々の意識の変化など、平和的な形で進むこともあれば、暗殺や反乱、あるいは天変地異といった過激な事象によっても起き得る。
外側からの変化は、平和的な手段であれば他国との交易や親善といった外交、文化交流――そして過激な方向であれば、戦争、侵略ということになる。
細かなことをいえばもっといろいろあるし、内外含めた「世界規模の気象の変化」みたいな有無を言わせぬ展開も有り得るが、それは今回の議題にはならない。
ともあれ、この迷惑なレッドワンド将国を「変化」させる――
これは今後のために必要な措置だとして、「どう変化させるか」が大問題である。
ネルク王国としては、迷惑な暴力国家のまま安定させるわけにはいかぬ。
現地で暮らす人々を思えば、内乱で荒れ続ける不毛の大地にするわけにもいかぬ。
ネルク王国との併合も不可。貧富の差もあるし文化・気質の違いも大きいし、将来に向けての禍根、火種にしかならぬだろう。
メテオラの有翼人さん達は少人数で、しかも山奥への移住だったからどうにかなったが、それでさえ「昔から住んでましたよ?」的な偽装工作を経ている。
レッドワンドの鉱物資源は美味しそうだが、まともに治められる気がしないし、ネルク王国がそれを取り込んで強くなりすぎると、周辺国からも警戒されそうだ。
そうして選びたくない選択肢をどんどん削っていくと、残ったのは――
「……シャムラーグさん。この『トゥリーダ子爵』という方について、詳しいお話をうかがえますか?」
俺が目をつけた人材は、爵位としてはライゼー様と同レベルの――まだ若い、とある女性のお貴族様であった。
§
オルガーノ子爵家の若き女当主、トゥリーダ・オルガーノは、帰省した自領で『反乱軍蜂起』の一報を知り、途方に暮れていた。
まだ二十二歳の彼女に、この難局に際しての政治的な立ち回りなど出来ようはずもない。
そもそも彼女は、オルガーノ子爵家に養子として入った身である。
――これは彼女に限った話ではなく、レッドワンドにおける「貴族」は、他国とはその在り方が大きく異なる。
この国における貴族とは、即ち「魔導師」のことである。
魔法の才がなければ貴族の爵位を継ぐことは許されず、血縁の有無や性別はまったく問題視されない。
だから魔導学校を優秀な成績で卒業すると、跡継ぎのいない貴族の家から、養子縁組の話が次々にやってくる。
トゥリーダも、そうして四年前にオルガーノ子爵家へ養子に入った。
ついでにそこの長男と結婚するはずだったのだが、この長男は実際に会う前に病死してしまい、あっさりと話は流れている。トゥリーダが既に養子入りしていたため、オルガーノ子爵家は後継者不在で取り潰しになるところを危うく逃れた。
レッドワンドではこうした事例が珍しくない。ゆえに貴族の親類関係も希薄で、血統はとうに意味をなさぬものとなり、たった一代の変化で何もかもが変わってしまう。
トゥリーダ自身はこの仕組みに慣れきっており、何も不思議には思っていないが、見る者が見れば、このシステムは「会社」の仕組みを反映させたものだと看破したかもしれない。
爵位という「屋号」、もしくは「会社名」を、代々、よそから来た「魔導師」が継承しながら守っていく――これはまさに、「会社の社長の代替わり」と似ている。
一時的に血統が守られる例もないわけではないが、それは「たまたま家族に魔導師が生まれた」などの偶発的な流れに拠るところが大きく、多数派ではない。
そもそも国王ですら、各有力貴族の当主となった「魔導師」の中から選ばれている有様であり、「脈々と続く王家の血統」という概念は完全に無視されている。
血統軽視、魔導師重視。これがレッドワンド将国の建国以来の方針であり――この国を混乱させる原因ともなってきた。
権力が固定化されるのも問題だが、まったく安定しないのもそれはそれで問題が起きやすい。
保身のため、あるいは成り上がりのために陰謀・策謀を巡らせる余地が大きく、これが常態化した結果、互いに足を引っ張り合い、国の発展を阻害して内輪揉めを繰り返すだけの国になってしまった。
状況が悪化してどうにもならなくなると、他国――主にネルク王国への侵攻でその場をごまかし、そのまま王は権力を失って刑死する展開がお約束になりつつある。
どうしてそんな愚行が繰り返されるのかといえば、一部の貴族がそれを「権力闘争の一環」として容認しているからで、「他人の失敗は自分が成り上がる好機」「相手を失敗させるように立ち回る」という精神性がすっかり根付いてしまっている。
国としては末期と言っていい。
周辺国が侵略行為に消極的なこと。
険阻な山岳が防壁となっていること。
国民に学がなく、革命などが起きにくいこと。
そもそもこの国に侵略するほどの価値がないこと――
それらの事情によって滅んでいないだけの話で、トゥリーダ子爵はもう、この国に対して絶望している。
かといって、他国に亡命する伝手も気概もなく、とりあえず生活には困らない「子爵」という立場に居座り、流されるままに流されてきた。
その挙げ句が「今」だ。
トゥリーダ・オルガーノは執務机に突っ伏し、そのまま額を軽く打ち付ける。
王に大義はない。
反乱軍にも大義はない。
民衆にも大義はなく、もちろん自分自身にもそんなものは欠片もない。
反乱軍を率いるのは、フロウガ将爵。
本来はトゥリーダの上官にあたる大貴族だが、自分は決起に誘われていない。「敵」、もしくは「信用できない」「役に立たない」とみなされたのだろう。
いや、先代のオルガーノ子爵がフロウガ将爵の派閥に加わっていたのは確かだが、トゥリーダは四年前にその後釜に入り込んだだけであり、そもそも身内とは思われていなかったように感じる。
力もないのに正論を振りかざす、小生意気で部下の統率すらできない無能指揮官――それが、トゥリーダに対する周囲の評価だった。
ことに、派閥内での力関係が上だった参謀格のドレッド・ゴウル子爵との仲は最悪である。性格的な相性の問題もあるが、セクハラの返礼として反射的に殴り返したのがマズかった。ほぼ無意識の動作だったが、それゆえにクリティカルヒットになってしまった。
……まぁ、それはいい。別に後悔もしていない。
問題は、この後のオルガーノ子爵家の舵取りである。
今、彼女の立場は難しい。両陣営から「敵」と思われつつある。
国王軍からすれば、「反乱軍を率いるフロウガ将爵の部下」なので、当然、敵になる。
反乱軍からすれば、「反乱軍に誘わなかった元身内」なのだが、ドレッド子爵は彼女を明確に嫌っており、この機に潰す気満々だと思われる。
国王軍に合流すれば、フロウガ将爵からの間者と疑われ、最前線で使い潰される。
反乱軍に頭を下げたところで、扱いは似たようなものだろう。ドレッド子爵の性格ならば、むしろ身内に対する「見せしめ」として、より苛烈な扱いをしてきそうだった。
そして両者に与さず傍観すれば、戦後に取り潰しとなる。
(……取り潰しで……いいかぁ)
このオルガーノ子爵家に、それほどの恩も愛着もない。
そんな人間を「当主」にしてしまう現行のレッドワンドのシステムは、やはりだいぶ頭がおかしい。
ただ、子爵家が取り潰された後には「トゥリーダの処刑」が待っているはずで、内乱が続いている間に他国へ脱出するのが唯一の生存ルートとなる。ほぼ詰んでいる。
――自身の未来が真っっっっっっっっ暗なことに改めて思い至り、トゥリーダ・オルガーノ子爵は机への頭突きをやめた。今までずっと続けていた。
「……さて。死のうかな……」
唯一の生存ルートも過酷すぎるとあって、トゥリーダはあっさり開き直った。
国境を越えるまでに、餓死するか野盗に殺されるか魔獣に殺されるか、ほぼ三択である。越えたところで他国に知り合いもいない。そういう状況で諦めずに生き抜けるだけのバイタリティが自分にないことは、彼女自身が一番よく知っていた。
――生まれた時からずっと一緒にいた飼い猫のラケルが、つい一ヶ月前に老衰で大往生を遂げてしまったことも影響している。日々が寂しいし、心にぽっかりと穴が空いてしまった。
もはや「死にたくない」という思いより、「こんな人生、やってられるか」という虚無感のほうが強い。
次の人生はそれこそ猫にでも生まれ変わって、のんべんだらりと日がな一日、日向ぼっこでもして暮らしたい。野生の猫は餌の確保が大変らしいので、できれば貴族の飼い猫などがいい。それも、レッドワンド将国以外の。この国はもういい。
魔導学校の実習で作った秘蔵の毒薬を探そうと、トゥリーダは立ち上がる。
その時――
「にゃーん」
……窓の向こうから、かつての飼い猫のものとよく似た、かわいらしい鳴き声が聞こえた。




