134・猫と多忙な日々
自分で言うのもアレなのだが――
ここしばらく、俺は働き詰めであった。
王都出張からリーデルハイン領へと戻って、「さぁ、自堕落怠惰な日々を送るぞ!」と決意したのも束の間、ロレンス様をともなっての『古楽の迷宮』踏破、ケーナインズ救出、カブソンさんとの出会い、トマト様の畑の拡張、宅配魔法の修得、ドラウダ山地での『禁樹の迷宮』発見、落星熊さんとの交渉、山道の道路工事、古代クマ遺跡の建設、禁樹の迷宮の調査とボス退治、トマト様の畑の拡張(今夏二度目)、有翼人さん達の保護と移住、その受け入れに関する領内の制度設計――
これらに加えて、新設するペーパーパウチ工房の設計打ち合わせ、日々のお風呂の湯温管理、ピタちゃんのソフトクリーム製造やお嬢様方へのスイーツご提供、トマト様の畑拡張(今夏三度目)といった業務もあった。
少なくともここ一~二ヶ月に関して、俺は世界一よく働いた猫さんだったのではなかろうか――?
……労働……労働のよろこび……(ハイライトオフ)
とはいえ、お仕事の内容自体に文句はない。ぜんぶ自分から始めたことだし、クマ遺跡の造営とか道路工事とか、成果がきっちりと目に見えて楽しかった。
特に、渇水で苦しんでいた有翼人の皆様を救出できた点は喜ばしい。珍しく自分を褒めたい瞬間であった。
そんな感じで日夜、真面目に働き続けたルークさんであったが――
働いた甲斐あって、今夏は慶事も多かった。
なんといっても、トマト様が大豊作!
大きくて真っ赤な完熟トマト様が、毎日のよーに大量にとれた。
気候が安定していたのも理由の一つだろうが、こちらの土質、魔力、精霊などの諸々の影響が良い方向に作用したようで、それはもう美味しいトマト様がたくさん実った。
町で配っても生食では消費が追いつかず、かといってペーパーパウチ工房はまだできていないので、町の業者さんにも協力してもらい、とりあえず「こちらの技術で再現したミートソース」を瓶詰めにしてみた。
普通のトマトソースにしなかったのは、そもそもトマト様の調理法が普及していないため、加熱するだけでそのまま食べられるモノのほうが良かろうという判断。
長期保管の実験用でもあり、コレを市販する予定はまだないのだが、お世話になっている方々には試供品としてお送りした。
ライゼー様からは、軍閥の上司であるトリウ伯爵やアルドノール侯爵、その庇護下にあるロレンス様などに。
俺からは、リオレット陛下やオズワルド氏、ウィル君(ご実家含む)、王都で知り合った皆様などに。
もちろん共同経営者になってくれるルーシャン様のところには、アイシャさんが孤児院に持っていく分も含めて、まとまった数をお送りした。本当に大豊作だったのだ。
さて、このミートソース……
実は「ミート」を使っていない。つまり偽物である。
ミートソースの開発には、料理人のヘイゼルさんロミナさんご夫妻に多大なるご協力をいただいたのだが、ここに先日、神官のハズキさんが加わり、ちょっとしたアイディアをもらった。
「挽き肉の代わりに、『バロメ』の実を用いてはどうでしょう? 肉としての風味には少し劣りますが、より安価になりますし、加工の手間も軽減できて、栄養的にも申し分ありません。こちらの地域にはないようですが、ルーク様のお力があれば栽培も容易かと」
言われて思い出した。
この「バロメの実」という疑似肉、もしくは代用肉は、俺もオルケストの喫茶店みたいなお店で食べたことがある。ガレットの具材として載っていた。
オルケストでは大量に採れるとのことだったが、ハズキさんからの情報によると「気候的にはドラウダ山地でも問題ないはず」「ブドウのような低木にびっしりと実がつく」「他の料理にも使いやすい」とのお話で、リーデルハイン領でも試験的に導入が決定。
ミートソースの大量生産に向けて、環境負荷やコストの高い挽き肉の調達はちょっと難題だったので、俺はすかさずこの案に飛びついた。
さっそくコピーキャットで再現したバロメの木からは、大豆によく似た丸い実が大量にとれた。ただし実のつき方は大豆とは違い、まさにブドウ――房にびっしりと、丸い実がつくのである。デラウェアみたいな感じだ。
もっともブドウと違って非常に硬いので、生食は不可。また、収穫直後は調理してもえぐみが強いのだが、天日に一ヶ月ほどさらすと良い感じになるらしい。
他、胡椒などはないままだが、こちらの世界独自のハーブや調味料なども使い、かなり高水準のミート……否、『トマト様のバロメソース』が誕生した。
さらに、高級食材である『黒帽子キノコ』を具材に混ぜた『トマト様の黒帽子ソース』も開発。こちらは富裕層向けの高価格帯商品となる。お貴族様にはこっちを買っていただこう。
これらを武器として、来年以降、王都の市場へ殴り込みだ!
……ペーパーパウチ工房の稼働にはもうちょっとかかる……
そして次の慶事。
キルシュ先生、エルシウルさんご夫妻の家に、元気な女の子が生まれた。
有翼人の母親から生まれたため、もちろん有翼人。
さっそくクラリス様やリルフィ様、サーシャさん、ピタちゃんと一緒にお祝いに出向くことに!
ご自宅の寝台に座ったエルシウルさん。
おくるみを着てその腕に抱かれているのは、すやすやと眠る、生まれたばかりのちいさないのち……
かーわーいーいー!
純白の翼を持つ愛らしい赤ん坊は、まさに天使のよう……!
……いや、翼はおくるみの内側なので、首元にちらりとしか見えてませんけど。
しかし顔が良い。両親ともに美形なので当然のように顔が良い。地味系な伯父さん(※シャムラーグさん)とはぜんぜん似ていない。
興味津々なクラリス様に向けて、エルシウルさんが我が子をそっと差し出した。
「クラリス様も、ぜひ抱っこしてあげてください」
「いいの? わぁ……ちっちゃい……かわいい……」
クラリス様は慎重に赤ん坊を抱える。万が一の落下に備えて、床に膝をついたリルフィ様がそっと横からサポート。おやさしい。ピタちゃんも自らクッションになるべく、するりと下へ回り込んだ。この子も意外と気遣いができる子である。
そして俺も、ベッドの端から赤ちゃんの顔を覗き込み、肉球でほっぺを撫でてみた。わぁ。すっべすべー。
「はー、かわいい……エルシウルさん、改めておめでとうございます! 元気に大きく育ってほしいですね」
「ありがとうございます、ルーク様……貴方様が救ってくださった命です」
頭を下げるエルシウルさんは、幸せそうに微笑みながらも、わずかに涙目であった。
猫は戸惑う。
「収容所からお救いした件ですか? あれはシャムラーグさんのためでもあったので、お気になさらず!」
キルシュ先生が俺の前にひざまずいた。
「いえ、その後のことも含めてです。ルーク様は、我々どころか同胞達にまで、こうして安住の地をくださいました。たいへん恐れ多いお願いではあるのですが……もしルーク様さえよろしければ、この子に名前をつけてやっていただけませんか?」
猫が名付け親……!? それは割と前代未聞の事態ではなかろうか?
エルシウルさんも身を乗り出す。
「私からも、ぜひお願いします。有翼人には、親以外の誰かに名をつけてもらうと元気に育つという風習がありまして――私のエルシウルという名も当時の村長からもらったものです。兄のシャムラーグも、里に来ていた行商人から名をつけてもらったと――」
そういう文化かー。
うがった見方をしてしまうと、親が早死にしかねない過酷な環境下において、「親が死んだ後には、名付け親に味方になってもらおう」という思惑が働いた風習なのでは……とも推測できる。前世の歴史上にも、そういう風習を持つ地域がけっこうあったはず。
クラリス様が赤ん坊をエルシウルさんに返し、代わりに俺を抱え上げた。
「ルーク、いいんじゃない? 変な名前にならないように相談しながら、考えてあげたら?」
「クラリス様……」
思えば俺の「ルーク」という名は、クラリス様につけていただいたものである。良き名をいただいた。今度は俺が、キルシュ先生達のお子様に名をつけるのか――
口元に肉球を添え、じっくりと考え込む。
「名前……名前ですか……」
相手はかわいい女の子である。タマとかミケというわけにはいかぬし、間違ってもピタゴラスとかソクラテスとかつけるわけにもいかぬ。いや、ピタちゃんは本当にどういうネーミング? 前世の偉人と何か関係あるの? ないの? ただの偶然?
じっと考えた末、脳裏に浮かんだ名は――
「キルシュ先生とエルシウルさん……お二人とも、お名前に『ル』と『シ』の音が入っていますね。お二人の娘さんですから、『ルシーナ』という名前などはいかがでしょうか?」
歴史上に同名の悪人とかがいたら別のお名前をご提案するつもりだが、響きとしては良いのではなかろうか? 俺の「ルー」も混ざっているが、これはわざとではない。きれいな響きにしようとした結果である。
エルシウルさんとキルシュ先生は顔を見合わせ、笑顔で頷きあった。
「素晴らしい名前だと思います。ぜひ!」
「ルシーナ……ルシーナ・ラッカ……はい、本当に良い名です。ホルト皇国風でもあり、有翼人風でもあり――ルーク様、ありがとうございます。この子はきっと、猫好きの良い子に育つでしょう」
猫好きはどーでも良いが、健康にすくすくと育って欲しいものである。
ルシーナちゃんがふと目を開けた。いかん、起こしてしまったか?
ちょうど真正面にいた俺と視線が合い、びっくりしたよーに眼を見開いてしまう。
「……だー?」
まだ言葉にもならない声を発して、彼女はちっちゃなおててを持ち上げる。
その様子があまりにもかわいらしくて、俺もつい、目元を緩めて彼女のほっぺをまた肉球で撫でた。
「ルシーナちゃん、トマト様をたくさん食べて、元気に育ってね!」
「あー?」
ルシーナちゃんはよくわかっていない様子だったが、俺の前脚に触れるとそのふかふかとした感触が気に入ったのか、きゃっきゃと喜んでくれた。推せる。
……後日、判明することであるが、ルシーナちゃんにはこの時、早くも称号『亜神の加護』がついた……ついてしまったらしい。
俺のほうにはまったく自覚がなかったのだが、称号の査定ゆるくない? バラマキすぎでは?
まぁ、「神様に名前をつけてもらった」という事実のみを考慮すると、有り得ない事態ではないのだが……あとこれ、そもそもどういう効果があるの?
「亜神の加護」っていう字面はすごそうだけど、実質は「猫の加護」である。野良猫に懐かれるぐらいの効果しかないのではあるまいか……?
ともあれ、慶事の二つ目はこんな感じであった。
そして三つ目。
エルシウルさんのお宅で赤ちゃんを見せていただいた帰り道、クラリス様はちょっとだけ元気がなかった。
態度はいつもと変わらぬ様子だったが、飼い猫であるルークさんにはわかる。
赤ちゃんとその母親――その姿を間近に見て、会えないお母様のことを思い出してしまったのだろう。
しかし――そんな日々も、もう終わりである。
「ただいま……」
「クラリス! おかえりなさい!」
お屋敷に戻ったクラリス様を、玄関先で出迎えたのは――
「……えっ……お母……様……?」
「ああっ! ちょっと見ない間に、こんなに大きくなって……!」
歓喜の声もあらわに最愛の娘へと抱きつく、クラリス様をそのまま成長させたような、優しげな風貌の美女――
彼女の名は、ウェルテル・リーデルハイン。
ライゼー様の奥方にして、クラリス様、クロード様の母君であった。




