129・ダンジョン調査隊、山へ
夏の盛り。
ラドラ伯爵家によって編成された「ダンジョン調査隊」は、山地ならではの強い日差しに体力を削られながら、秘境ドラウダ山地の奥深くへと踏み入った。
調査隊のリーダーは、トリウ・ラドラ伯爵に仕える壮年の騎士、フォーグラス。彼は三人の部下を連れている。
さらに、冒険者ギルドからの調査同行者が四人。
これはリーデルハイン家から指名されたパーティーで、ケーナインズと名乗っている。地図の作成を得意とする彼らは、ダンジョンまでの経路の確認、及びその入り口付近を調査し、報告書をまとめて国とギルドに報告する役目を負っていた。
加えて、リーデルハイン子爵家の騎士団長、ヨルダリウス・グラントリムとその部下二名も山道の道案内につき、総勢十一名という大所帯となっている。
装備と糧食を積んだ馬車を一台使っているが、「徒歩での所要時間」を確認するために、御者と魔導師の女性だけを馬車に乗せ、フォーグラスを含めて他の面々は徒歩で進む。
早朝にリーデルハイン領の町を出発し、小休憩を挟みながらも一日歩き続け――夕刻になったところで、彼らは少し平らな野営地へと辿り着いた。
天幕の設営を部下達に任せ、横倒しになった丸太をベンチのかわりにし、まずは一息つく。
「やれやれ……どうにか間に合ったか。この深い山の中を、徒歩で二日とは……まだ一日目だってのに、もう嫌になってきた。若い連中はともかく、俺には堪えるよ」
「おいおい、フォーグラス。まだ老け込む年でもないだろう。お前は年を気にする前に少し痩せろ」
リーデルハイン騎士団の団長ヨルダとは、十年来の知り合いである。互いに虚勢とは無縁の武人肌でもあり、気安い間柄だった。
夕食の準備をしながら笑うヨルダは、疲れた様子もなく平然としている。体格でいえばヨルダのほうが長身だが、フォーグラスのほうが横幅は広い。
無駄に太っているつもりはなく、父も祖父もこんな体型だったため、これはもう遺伝であろう。
得意とする戦法も体重を生かした力任せの突撃であり、彼の重さは武器にもなっている。
――が、さすがに山道の移動は少々つらかった。
「明日は俺が御者をやらせてもらうかな……ところで、ヨルダ。この野営地も、やはりリーデルハイン騎士団が整備したのか?」
少々不自然なほどに木々がひらけており、山中の広場といった趣がある。
足元の土は程よく踏み固められ、焚き火の跡も見える。おそらくは道の工事をする間、休憩地点として活用していたのだろう。
「ん。まぁ、自然の地形をうまく利用できた。すぐそこに沢があるから、水も確保しやすいし……いずれはここに山小屋を建てる予定だが、さすがに国かギルドからの補助金が欲しいな」
「ははっ、そりゃそうだ。道の整備だけでもたいした出費だったろう。ここまでの道中も、急拵えの山道とは思えんすばらしい精度だった」
予想していたよりもはるかに状態の良い道に、今日のフォーグラスは驚かされた。
山の中だけにもちろん傾斜はあるが、馬車が通りやすいように丁寧に均され、土もしっかりと固められていた。
道幅も充分だし、周囲の木々もちょうどよく道の部分を空けてくれているように見えたほどである。
「道の整備は……まぁ、うちの騎士団が中心になってやったから、出費はそんなでもないんだ。あと、町に住んでいる魔導師殿にも協力してもらった。本職は医者なんだが、地属性の魔導師で、土木工事にも知見があって――それから、当家のリルフィ様からも貴重な魔法水をご提供いただき、また魔法による支援をいただいた」
「ほう、地属性の魔導師……以前はいなかっただろう? 本職が医者ということは、仕官したわけじゃなくて移住者か?」
リーデルハイン領は僻地の田舎である。魔導師ならば良い雇用先がいくらでもあるはずで、わざわざ移住してくるなどかなりの物好きに思える。
「いろいろ事情のある人でな。奥方が有翼人で……直接、聞いたわけじゃないが、もしかしたらその奥方が、ドラウダ山地の出身者だったのかもしれん。対外的には集落の存在を隠してきたんだろうが、こっそり外へ出た者もいたんだろう」
「ふむ……排他的な集落なのか? 人を寄せ付けないとか……」
「いや、住民はかなり友好的だ。技術水準も高い。特に彫刻に関しては、職人級の人材が何人もいる。翼を隠せば普通の人間と変わらんから、今までも隠れて行き来していた者がいたんじゃないかな……まぁ、リーデルハイン家も今の領地に居着いてまだ年月が浅いから、それ以前のことはわからんよ」
リーデルハイン子爵家は新興貴族である。トリウ伯爵は現当主のライゼーを重用しているが、国内での家格は決して高くないし、経済的にも目立つ存在ではない。
が、近隣でダンジョンが見つかったとなれば、今後はいろいろと変化があるはずだった。
「しかしその地属性の魔導師殿、相当な腕だな? さっき通ってきた道も……馬車が登れる程度の傾斜に整えた上で、土が流れないよう砂利を敷き、左右には簡易な排水溝まで備えてあった。いったい何年がかりの工事だったのだ?」
「…………………………そのあたりは魔導師殿は関係なく、俺がこっちに仕官する前からあったものだ。なんともいえん」
「ふむ? それにしては、工事の跡が新しそうに見えたが」
夕食の準備を手伝っていた冒険者が、苦笑いとともに会話に割り込んだ。
「おそらく、今日のためにリーデルハイン騎士団で清掃をされたのでしょう? ところどころに補修の跡もあるようでしたし、魔導師殿が活躍したのもそちらの補修作業だと思われます。道の大筋は元からあったものの、獣を警戒して誰も立ち入らなかったと――ライゼー子爵からは、そんな話をうかがいました」
ブルトという名のこの冒険者は、リーデルハイン家と懇意らしい。ちょっとした依頼を幾度かこなした縁があり、今回の調査依頼でもわざわざ指名をしてもらったとのことだった。
年は三十代前半、冒険者としては中堅どころと言っていい。
「ああ、なるほど。それで新しく見えたのか。いや、炎天下に清掃作業とは、お手数だったな?」
「いやぁ……ははは」
乾いた笑いが返ってきた。夏の盛りに大変だっただろうにと、少し同情してしまう。
部下の騎士が微笑をこぼした。
「そういえば、ところどころの石に残っていた猫の肉球のマーク……妙にかわいらしい印象でしたが、あれも騎士団の方々が?」
目印のように置かれた路傍の石に、これみよがしに肉球の跡が残っていたのだ。
塗料による印ではなく、凹凸がついた彫刻だった。どういう目的かもよくわからなかったが、おそらくは正しい分岐を示す目印か、あるいは里までの距離を示す暗号だったのだろう。なんらかの規則性がありそうな気配はあった。
「……いや、それも前からあったものだ。有翼人の集落では猫と落星熊を信仰しているから、その影響だろう」
「えらくかわいらしい信仰だな……落星熊はさすがにおそろしいが、ヨルダは実物を見たことはあるのか?」
フォーグラスの問いに、ヨルダはまた微妙な笑みを寄越した。
「ああ。戦闘力と巨体は伝承通りと思うが、性格は……だいぶ印象が違ったな。怒らせると極めて危険らしいが、こちらから敵意を見せない限りは存外におとなしい。有翼人達にとっては森の守り神だそうで、実際によく懐いている」
「懐いている? 熊を餌付けでもしているのか?」
「そもそも彼らにとっては信仰の対象だからな。農作物の一部を捧げているとは聞いた。こいつは勝手な想像だが、伝承にある『落星熊に壊滅させられた騎士団』ってのは、よほど餓えている時に遭遇したか、あるいは熊にケンカを売って返り討ちにされただけなんじゃないかと推測している」
「ふむ……だとすると、ダンジョンを訪れる冒険者にも、手出ししないよう通達したほうがいいな? リーデルハイン領が中継地になるはずだから、そちらでも告知の手段を検討してもらえると……ありが……た……い」
フォーグラスは、不自然に言葉を途切れさせた。
彼の視界に見えたのは、木々の向こうからこちらをうかがう、黒く巨大な獣の影――
周囲の部下達がびくりと立ちすくみ、剣の柄に手をかける。
焚き火の傍に立ち上がったヨルダが、その動きを手で制した。
「それは抜くな。連中は殺気に敏感だが、こっちから仕掛けない限りは見逃してくれる」
「お、おう……あれが……」
「ああ、落星熊――まだ若い個体だな」
そのままのっしのっしと近づいてきた獣は、全体的に茶と黒の毛で覆われていたが、鼻と口、頬のあたりの毛はくっきりと白い。
黒目がちな眼はつぶらで、愛らしくも見えるが――なにせ巨体である。優に3メートルはある。
その落星熊は、フォーグラス達から離れた野営地の端で立ち上がり――
短い両前足を掲げて万歳をした後、何事もなかったかのように別方向へのんびりと歩み去った。
後に残された騎士達は、ぽかんとそれを見送る。
「……ヨルダ。今のは……威嚇、か……?」
「……威嚇を兼ねた挨拶の一種……らしい。有翼人の仲間と思われたのかもな」
フォーグラスは冷や汗を拭う。
「恐ろしい獣だったが……しかし、たしかに荘厳な気配を感じた。なるほど、有翼人が彼らを聖獣として敬うというのも、わかる気がするな」
「えっ…………ま、まぁ、そうだな……見方によっては……荘厳かもしれんな……」
ヨルダは少々、歯切れが悪い。
振り返れば、何故かブルト達も微妙な顔をしている。
「冒険者組はあまり驚いていないようだが、君らももう遭遇経験があったのか?」
「ええ。我々はしばらく前から町に滞在していましたので、こちらの山道にも何度か入りました。その時に、ちょうど今みたいな感じで――やはり襲っては来なかったですね」
この場で唯一の女性である魔導師のシィズも、頬を緩めている。
「確かに大きさは怖いですけど、見た目は本当にかわいいですよね。普通の熊と違って、野性味が薄いというか……食性は雑食ですが、どちらかというと植物がメインみたいですし、有翼人の里では、慣れた人にはおなかを見せて撫でさせてくれるらしいですよ」
「……むう……あの巨体にそこまで懐かれるのも、逆に怖いな……それで襲われたりしないのか?」
「おなかいっぱいの時は大丈夫らしいです。そうでない時は……さすがに近づかないほうがいいでしょうね。距離感は大事だと思います」
そもそも人と落星熊とでは、生き物としての格が違う。
魔獣――いや、信仰の対象ならば聖獣だが、魔獣とはただの獣ではなく、「魔力を持った獣」である。
さすがに魔法まで使うことは稀だが、一流の拳闘士のように肉体強化をする例が多く、その膂力は恐ろしい。
パンとチーズ、木の実だけの簡易な夕食の間、同行する冒険者のウェスティが、熊以外の脅威についても触れる。
「落星熊はともかく、現状、この経路でもっとも警戒すべきなのは灰頭狼っすね。小型の狼ですが、だいたい十匹前後の群れで狩りをします。こっちの人数が多ければ警戒して襲ってこないんですが……三~四人程度だと獲物とみなされます。落星熊と違って完全に肉食ですし、冒険者にとっては厄介ですよ」
彼は狩人らしい。弓の腕はまだ見ていないが、動植物に関する知識が豊富で、獣の習性・生態などにも詳しそうだった。
「ほう? それは、普通の……あー、つまり、街道筋に出るような、普通の狼よりも強いのか?」
「個体としてはそんなに強くないですが、地の利が向こうにある上に、夜行性で数が多いんすよ。建物を壊すような力はないんで、こいつらへの対策って意味でも、野営地には早めに山小屋を建てたいっすね」
「なるほどな……毒虫や蛇への対策にもなるし、そもそも冬になったら山地での野宿は厳しい。このあたり、真冬には雪も積もるんだよな? 今のうちに工事を始めて冬に間に合わせるか、春を待って工事を始めるか……ヨルダ、そっちの方針はどうなってる?」
「さすがに春からだな。ダンジョン発見の公示も、可能ならその時期まで伸ばしたほうがいいかもしれん。その間に有翼人の集落での受け入れ体制を整えてもらうつもりだ」
ヨルダの言葉を受けて、フォーグラスは同席する「冒険者」達へ視線を移す。
戦士のブルト、魔導師のシィズ、狩人のウェスティ、剣士のバーニィ――彼らが作成する「報告書」が、冒険者ギルドの決定に大きく影響を与える。その意味では、なるべく心証は良くしておきたい。
その日の夜営では他の獣からの襲撃を受けることもなく、翌日――
調査隊はなだらかな斜面を越え、「有翼人の集落」を見下ろせる位置に到着した。
そして眼下に広がった光景に、フォーグラスは目を疑う。
「……話には聞いていたが、よもや、これほどのものとは……」
集落は想像以上に大きかった。
住民は三百人前後と聞いていたが、大部分は居住区ではなく、畑や果樹園といった農業用の区画らしい。
それがはっきりとわかるのは、集落の全体が、緩やかなカーブを描く深めの堀に囲まれているためだった。
集落を巡る堀は、前脚を掲げ威嚇のポーズをとった落星熊を象っている。堀の左右は石畳を敷き詰めた広めの歩道になっており、野生動物の侵入を防ぐためか、それなりの高さが確保されていた。
山中にこの規模で平らなスペースを作り出すだけでも大工事になるはずだが、さらにそこへ落星熊の地上絵を描き出すとなれば、彼らの測量技術も恐るべき水準と言って良い。
「単なる僻地の集落ではないぞ、これは……まさか、神代の遺跡か?」
「その可能性はある。今、暮らしている有翼人達の伝承によれば、彼らは亜神によってこの地に導かれたらしい。時代ははっきりしないが、今いる長老はもちろん、その祖父母世代ですら当時のことを知らなかったそうだから……少なくとも二百年以上は経っているだろうな。そこから先、どれほど時代を遡るのかはさっぱりわからん」
つづら折りに整備された坂道を下って、一行は集落へと向かう。
馬車のための坂道を横切る形で、徒歩用の勾配がきつい石段まで用意されている。こんな山奥の集落に、どうしてこんな道が――と戸惑っていると、ヨルダが小声で耳打ちした。
「この道は、集落から山側へ、農産物を運ぶために整備したものらしい。彼らは落星熊を信仰しているから、その熊への貢物として、果物などを山側へ運ぶ。そのための聖なる道なんだそうだ。冒険者や旅人の使用許可はもらったが、儀礼で使う時だけは通行止めをさせて欲しいと言っていた」
「ああ、なるほど。我々にとっては集落へ続く下り坂だが、集落から見れば神聖な山へと続く上り坂になるのか――」
少々過剰ではないかと思わなくもないが、納得はした。
集落への入り口は、堀に石橋が架けられており、その向こうに頑丈そうな木製の門がある。
ほとんど砦のような威容だが、門を抜けた先には広々とした小麦畑が広がっており、少し先には果樹園も見えた。
「…………たった三百人前後で、この規模の集落を維持してきたのか……」
「……ん。んー……昔はもっといたんだろうな。ほら、うちの領地でも、十年前にペトラ熱の大流行があったばかりだし……」
「あったな……あの時はラドラ伯爵領も痛い目を見たから、推測はできるが……」
農作業中の有翼人達は、背中の翼をさらした簡易な装束をまとっていた。フォーグラス達に笑顔で手を振ってくれる者もいる。
背中の翼以外は、ネルク王国の民と比べて特に大きな違いがあるようには見えない。
フォーグラス達のすぐ傍を、有翼人の子供達が駆けていった。
太った猫のぬいぐるみを抱えた少女がフォーグラスとぶつかりそうになり、彼は慌てて、転ばぬように横から支える。
「おっと、危ないぞ、お嬢ちゃん。気をつけてな?」
少女はこくんと頷き、そのまま友人達の後を追って走り去る。
同行する冒険者の青年、バーニィが、そんなフォーグラスを見て眼を細めた。
「フォーグラスさんって、子供相手だと声が優しくなりますね。もしかして、娘さんとかいます?」
「おお、いるぞ。もう十六だが、子供の頃はそりゃあもうかわいくて……俺に似なくて良かったと、しみじみ思っている」
からからと笑い、彼は有翼人の子供達の後ろ姿を見送る。
彼らの元気で自然な笑顔は、この集落が良い場所なのだろうと確信させてくれた。
冒険者の滞在で集落の環境が変わらぬよう、よくよく考えなければいけないし、だからこその懸念もある。
「しかし、ぱっと見た様子だと……農作業をしているのは、女子供が多いな? 男は狩りにでも出ているのか?」
「木材加工や鍛冶場のほうに人員が流れているのもあるが、有翼人はもともと、種族的に女のほうが多く生まれやすいそうだ。そんなに大きな差ではないようだが……」
「ほう? そういえば、確か……有翼人の翼は母親からの遺伝だったか? 母親が有翼人ならば、父親が普通の人間であっても子供は翼を持って生まれる。逆に、父親が有翼人で母親が普通の人間だった場合には、翼はできないと――その認識で合っていたか?」
「え。詳しいな……? いや、俺はよく知らんが……フォーグラス、お前、なんでそんなことを知っているんだ?」
フォーグラスはヨルダの肩を強めに叩く。
「山地に有翼人の集落が見つかったと聞いて、ちゃんと勉強したんだ。所詮は書物からのにわか知識だが……今度、貸してやるから、お前も読んでおけ。というか、本を読む習慣をつけろ。これからリーデルハイン家は大変だぞ? 山地の大部分は国有のままだろうが、この集落と道に関しては、おそらくリーデルハイン家の所領に加えられる。飛び地としての管理になるが、近隣にダンジョンがあるとなれば……領地替えはさすがに有り得ないから、将来的には陞爵が検討されるだろう。『ダンジョン発見の功績をもって、伯爵に叙する』ってところか」
「えっ」
まさかその可能性を失念していたのか、ヨルダの声が珍しく裏返った。
フォーグラスは頬を引きつらせる。
「おい、マジか……いや、さすがに想定済みだろ? ライゼー子爵はわかってるよな? うちのトリウ伯爵も、『リーデルハイン家もいよいよ同格か』なんて、ちょっと感慨深げだったぜ」
「い、いや……まったく、まったく考えてなかった……ライゼーも想定外だと思う。そもそもダンジョンは国有財産なんだし、その発見が陞爵につながるなんて事例、聞いたこともないぞ?」
「あたりまえだ。希少なダンジョンがそうポンポン見つかってたまるか。これまでは、クラッツ侯爵領にあるのが国内唯一のダンジョンだったんだ。二つ目が子爵領となると、領地替えでの横取りを企む奴が出てこないとも限らない。国王陛下がそんなのを許すとは思えんが、混乱を避ける手っ取り早い防衛手段が陞爵だ。もしもリーデルハイン家が後ろ盾のない貴族だったら、領地替えで済む話だったが……軍閥の一員で、ラドラ伯爵家の寄子だからな。下手に領地替えをさせると、軍閥とクラッツ侯爵家の面子をも潰すことになる。だから有り得ない。一応、伯爵家ともなれば、バカな手出しをできる奴がぐんと減るし――トリウ伯爵はもうそのつもりで、今回の調査結果を待ってから軍閥での根回しを進める方針だぞ」
ヨルダがこころなしか、青ざめている。
「いやいやいやいや……ちょ、ちょっと待て。本当に待ってくれ。俺はな? 気楽に過ごしたいからってことで、『まぁ子爵家の騎士団くらいなら』ってことで仕官したんだ。伯爵家の騎士団長なんて話になったら……」
「お前はそういう奴だよな……安心しろ。一、二年のうちの話じゃなくて、今から根回しを始めて、実際の叙勲は三、四年後くらいだろう。その頃にはお前も、うちのシュービル騎士団長と同格の伯爵家騎士団長だぞ。喜べ」
「冗談じゃないぞ!? いや、冗談だよな?」
「……なんで冗談だと思えるんだ……田舎に引きこもっていると、この程度の感覚すら鈍くなるのか? ライゼー子爵にもちゃんと伝えておけよ。それから……子爵家から伯爵家になるとな。儀礼的な面倒事や政治的な厄介事が増えるぞ、ヨルダリウス殿」
ヨルダが一番嫌がりそうなことを告げて、ぽんと肩を叩いておく。脅す気はないが、心構えは必要である。
幸い、剣の技量でいえば、ヨルダは伯爵家の騎士団長としても恥ずかしくない。
……だが、戦が少ない時代の騎士団長に求められるのは「戦闘の強さ」よりも「政治的な強かさ」であり、友として少々の不安はある。
「まあ、リーデルハイン家は大丈夫だろう。別にトリウ伯爵との交誼が終わるわけでもないし、むしろ同志として今後も力をつけて欲しい。派閥としても、身内の陞爵は発言力の強化や負担の軽減につながるからありがたい」
うちの跡継ぎのランドール様もまだ若すぎるしな、と、内心で続ける。
トリウ伯爵はもう高齢であり、孫のランドールは士官学校の学生である。このランドールが一人前になるまで、トリウ伯爵の寿命がもつとは限らず、その場合にはライゼーに後見人を頼みたい。
その時、ライゼーが子爵のままよりも伯爵であった方が都合が良いのは確かで、トリウ伯爵は今回のダンジョン発見を、政治的にも「ライゼー子爵の大きな功績」として活用するつもりでいる。
ヨルダと懇意なフォーグラスが調査を任されたのもそうした意図があってのことだし、提出する報告書はリーデルハイン家を絶賛する内容になると、派遣される前から決まっていた。
しかし――
(わざわざ持ち上げるまでもなく、これは見たものをそのまま報告するだけで充分そうだな……)
道路の整備状況、山地の状況把握、現地の有翼人との信頼関係構築、冒険者を雇っての先行調査――
やはり、ライゼー子爵は手際にそつがない。ダンジョン発見という初めての事態に対しても、的確に対応できている。
――その大半を為したのが実はライゼーではなく、その「飼い猫」だという衝撃の事実を知らぬまま、フォーグラスは山中ののどかな田園を歩いていくのだった。
今年一年、諸々ありがとうございました!
2022年は小説の2巻3巻刊行に加え、初となるコミック版の刊行も叶い、おかげさまでたいへん良い一年でした。
来年もがんばっていきますので、引き続き楽しんでいただけましたら幸いです(^^)
それでは皆様、良いお年を!
《追記》
漫画版・猫魔導師、八話の後編が、ピッコマとコミックポルカにて掲載されました!
うっかり来週だと勘違い……すみません(汗)
作者も大☆興☆奮のお風呂回です。だいぶキャッキャウフフしてます(猫が)
毛並みがぺったりとして体型が細くなっていないのは仕様です。ルークさんが太っているせいではないです。全属性耐性さんが水に対してお仕事している結果です。ほんとうです。
ぜひご査収くださいー。




