126・有翼人の里
レッドワンド将国の僻地に存在する有翼人の村は、その年、大規模な旱魃からの大凶作に見舞われていた。
雨が降るべき時期に降らず、井戸は涸れ、畑はひび割れてぼろぼろと崩れた。
家畜は痩せ細って倒れ、備蓄の食料がほぼ底を尽き、水瓶が完全に干上がったその日――
里の有翼人達は、悲壮な覚悟を固めつつあった。
「……捕縛されるのを覚悟で、村を捨てて……よそへ行くしかないだろう。せめて、水さえあれば――」
「だが、どこへ行くんだ……? ここらはどこも荒れ地だ。どこもかしこも同じだろ。水さえあれば、つったって、その水がもうどこにも……」
「移動中にも死者が出るだろうし、移動できない者もいるし、そもそも――行くあてがない」
崖の岩を削るようにして作られた石窟――
そこに集った村の年長者とまとめ役、計八人の会合の席は暗い。
収容所のほうがまだましだ、と言い出す者までいたが、それで命が助かると確約されるわけではない。飢饉にでもなれば真っ先に切り捨てられ、身動きできぬまま餓死するしかなくなる。
そもそも三百人規模の集落で逃亡などしたら、収容所に入れられるまでもなく村へ戻されるだけで、その後にはやはり餓死が待っている。
餓死を免れたとしても、反乱とみなされれば処刑、働き手は過酷な強制労働へ連れて行かれるし、年若い娘達を待つ境遇はさらにおぞましい。この地の有翼人達に、人権などといった概念はない。
村長のワイスは、痩せ細った肩を落とす。
「……ここはそもそも、人が生きていけるような土地じゃない……俺らの祖先が戦に負け、この地に押し込められた時点で……一族の命運は、尽きていたんだろう……」
彼ら有翼人は、元からレッドワンドの国民だったわけではない。国らしい国をもたぬまま、数百年にわたって、山地の少数民族として細々と暮らしてきたが――二百年ほど前、侵略してきたレッドワンドとの紛争に敗北し、隷属を強いられた。
それ以降の有翼人は、居住地を制限され、自由を失った。
今いる場所も、かつての有翼人のテリトリーの一隅ではあったが――主たる生活空間だった豊かな土地からは完全に締め出され、不毛の僻地へと押し込められた。
もっとも、今年の旱魃はかつてのテリトリーにも広く及んでおり、援助はまったく期待できない。そもそもレッドワンドの大半は荒れた山岳地帯で、決して豊かな土壌ではない。
周辺国が誰も見向きもしなかったからこそ、空いていた土地をレッドワンドが楽に併合していった――つまりは、それだけの話である。
数十年前にも、有翼人の集落が一つ、圧政に耐えかねて山賊と化した。
しかしその彼らも、結局は討伐されて散り散りになり――かつて集落のあった場所はただの廃墟となっている。
いよいよ命運が尽きた――そんな村長の言葉に、もはや反論も上がらない。そんなことは皆、とうに思い知っている。
村長のワイスは、苦渋の決断をくだした。
「……俺は村に残る。動けぬ者も、村に置いていけ。動ける者は、散り散りに……どこでもいい。他の集落に行くあてがある者はそちらへ。あるいは町に潜むか、国境を越えるか、どうにかして逃げ延びて欲しい。いずれも難しいだろうが……」
「……それぞれ好きなようにしろ、ってことか?」
壮年の村人が確認のために問う。
ワイスは頷き、目頭を押さえた。もはや涙も出ない。
迫る死を想像して、誰も何も言えず、俯いていると――
岩屋の外から、若い男の怒声が聞こえた。
「どういうことだ、カラトー! この有様は何だ!? 何があった!?」
「お、落ち着け、シャムラーグ! 旱魃だ……井戸が干上がって、遠くの泉も涸れちまって……作物もぜんぶ……」
「くそっ! 死者は!?」
「ま、まだ出ていないが……それよりお前、兵役はどうした……? まさか、脱走……」
「俺のことは後で説明する。まず村長に会わせろ。寄合所だな?」
騒々しい足音の後。
数年前に村から徴兵されていった青年、シャムラーグ・バルズが、寄合所に踏み込んできた。
村を出た時よりもだいぶ血色のいい顔色をしていたが、そんな彼の突然の帰郷に、村人達はみな驚いている。
「なんだ、みんな揃っているのか。ちょうどいい。村長! バルズのシャムラーグ、ただいま帰参した。早速だが、皆に大事な話がある」
「シャムラーグ……何も、こんな時に戻ってこなくても……」
村人の一人が顔を覆った。
餓死が決まった村に、餓死する若者が一人増えただけ――この時は、誰もがそう思っていた。
「ああ、相変わらず辛気くさい……すみません、ルーク様。どうも想定外の状況のようで――」
「いえいえ、急にお邪魔したのはこちらですから。はぁー……崖の石を削って住居にしているのですね。これはまた、気の遠くなるような……わぁ。彫刻まで……器用……」
やや高めの、少年のような声がした。
声の出どころはシャムラーグの背負袋……袋の口からは一匹の猫が頭を出し、物珍しそうに周囲を眺めている。
村長のワイスは戸惑った。
「……シャムラーグ……? 客人もいるのか? 姿が見えんが……」
「あ! これはご挨拶が遅れて失礼しました!」
袋からよじよじと這い出した猫が、シャムラーグの肩から腕を伝い、ぼてっと足元に着地した。
そして、のんびりと二本足で立ち上がり――
肉球を掲げ――
にこやかに――
「私、とある子爵家でペット兼トマト様の栽培技術指導員をしております、亜神のルークと申します! 本日は有翼人の皆様にお願いがあって、シャムラーグさんにこちらまで案内をしていただきました! 会合の最中だったようで恐縮ですが、少しだけお時間をいただけますか?」
――言動と絵面からの情報量が多すぎた。突っ込み所しか見当たらない。
唖然として何も言えない沈黙を「肯定」と受け取ったのか、猫は元気に喋り続ける。
「諸事情ありまして、こちらのシャムラーグさんには現在、私の農園で働いてもらっています。それからつい先日、キルシュ先生と奥様の身柄もこちらで保護させていただきました。いまお呼びしますね」
軽快にジャンプした猫が、何もない空間に爪で縦線を引いた。
猫の顔をかたどった看板を揺らしながら、そこに木製の扉が現れる。
「キルシュ先生ー、着きました! お願いします!」
「……ルーク様、もう少し威厳を……いえ、僭越でした。皆さん、おひさしぶりです」
何もない空間にできた扉から姿を見せたのは、ついこの間までこの集落で生活していた物好きな他国の学者だった。
何かの容疑で妻ともども兵に連れて行かれてしまい、その安否を案じていたが――どうやら無事だったらしい。
しかし、再会を喜ぶよりも先に状況の異様さが気になってしまう。
「キ、キルシュ先生……?」
「本物か……? え? どっから出てきた……?」
「お、落ち着け、お前ら! おそらく、幻術の一種……」
「いえ、本物です。エルシウルは身重なので、町のほうに残してきましたが――こちらの猫、ルーク様こそが、私が探し求め、皆様がこの地で信仰していた、『猫の姿の亜神』です。私と義兄さんはこの方に窮地を救われ、忠誠を誓い、臣下に加えていただきました」
「そんなんじゃないです。有為の人材としてスカウトしただけです」
猫はてしてしとキルシュの足を叩いていたが――里の有翼人達は、そのシルエットに驚愕していた。
有翼人の里には「猫地蔵」と呼ばれる、猫の神様を象った神像がいくつかある。
猫にしては少々太り気味で、頭がでかく、眼が大きく、手足が短い。ずんぐりとした容姿は愛らしく、ゆるい信仰の対象として日々の生活の中で拝まれてきたが――
シャムラーグが連れてきた二足歩行する「猫」は、まさにその猫地蔵と瓜二つだった。
寄合に参加している村人の中には、もう現時点で涙目になって拝み始めている者までいる。
「猫神様……本物の……猫神様じゃ……」
長老格の先代村長が呟くと、寄合所にいた者達は自然と姿勢を正し、猫に体を向けて座り直した。
シャムラーグの身に何があったのかはわからない。
だが、キルシュはどこかの収容所に監禁されていたはずである。それを救い出し、こうして連れてきたとなれば――超常の存在には違いない。
少なくとも神獣以上――いや、本人が名乗り、キルシュが保証した通り、「亜神」なのだろう。
さらにキルシュの背後の扉から、神々しい気配をまとった身なりのいい銀髪の幼女と、桃色の長髪を束ねた魔導師風の若い娘も現れた。笑顔がやけに子供っぽい緑色の髪の娘も続いたが、この人物は……人間かどうか、やや疑わしい。何故か獣じみた気配を感じる。
そして銀髪の幼女は一座を見回し、優しげなその外見には不似合いな、少しばかり険しい声を紡いだ。
「……ルーク、まずは雑炊か何か、おなかに負担をかけない食べ物を、みんなに出してあげて。話をするなら、その後がいいと思う」
「あっ……そ、それもそうですね、クラリス様! 仰せのままに!」
亜神の猫が、ビシッと敬礼をキメた。
猫の亜神を従える幼女――つまり彼女は、女神であろうか。
有翼人達はいよいよ目を見開き、この状況に慄いた。
「キ、キルシュ先生……これは……あの……」
「まずは腹拵えを先にしましょう。まさか旱魃とは、私も想定していませんでした。ルーク様、準備をお願いします。私とここにいる彼らで、村人達を広場に集めますので――義兄さんは、村長に経緯の説明を」
「えっ……説明はお前のほうが良くないか……?」
「有翼人のことは有翼人が決めるべきです。義兄さんはこの地で生まれ育った身でしょう。余所者の私よりも、貴方の言葉のほうが村長には響くはずです」
村長のワイスとしては、正直に言えば、シャムラーグよりも頭のいいキルシュから話を聞きたかったが……しかし、話が長くなりがちな学者よりは、情報が足りずとも要点をかいつまんでくれるシャムラーグのほうが、最初の説明には適役かもしれない。
ワイスは困惑しつつ、キルシュの指示に従って外へ出ていく面々を見送る。猫のルークもワイスに肉球を振りながら、ぽてぽてと外へ歩いていった。
「あー……どこから話したもんか……村長。とりあえず、あったことを順番に話す。質問は後回しにして、まずは聞くだけ聞いてくれ」
「……お、おう……」
頷きつつも、ワイスには一つだけ、どうしても先に聞いておきたいことがあった。
「……いや、すまん。話の前に一つだけ、先に確認させてもらっていいか……?」
「ん? 何をだ?」
「…………これ、今際の際に見ている夢じゃないよな……?」
シャムラーグは、村長たるワイスの細い肩を軽く叩き……「気持ちはわかる」と、同意してくれた。
§
有翼人の里の広場にて。
俺は炊き出しの準備を進めていた。
もちろん『コピーキャット』の利用が前提となるが、問題はメニューである。現時点では、いつものようなおいしいごはんを用意するわけにはいかない。
皆様は、「リフィーディング症候群」という言葉を聞いたことがあるだろうか?
長期の飢餓状態から急に栄養のあるものを摂取すると、体がびっくりして突然死に至ることがある――という、厄介な症状である。
戦争もののエピソードでは籠城戦などにおいて割とよく聞く事例なのだが、出てくる症状が心不全とか致死性不整脈とか意識障害とか溶血性貧血とか敗血症とか臓器異常とか、ガチで洒落にならぬのだ。
念のために『じんぶつずかん』で確認したところ、こちらの里の方々は低栄養状態ではあったが、食料はギリギリでまだ尽きておらず、脱水も命に関わるレベルではなさそう。
しかし、あと数日遅れていたらたぶんヤバかった……
一応、件のリフィーディング症候群を警戒すべき状態にまではまだ至っていないと判断はしたが、それでも胃腸は弱っているはずなので、まずは薄めのスープ系で様子を見つつ、『じんぶつずかん』を経過観察に用いながら、ゆっくりと慎重に栄養補給をしていく必要がある――というのが、本日のルークさんの方針である。
そもそも「異世界の有翼人」ということで、前世の人類と同じような体質だとする根拠もないのだが……用心に越したことはなかろう。
以上のことを、まずはクラリス様達に簡単にお伝えする。「弱った体にいきなり通常の食事を与えるのは危険なので、まずはスープなどで体を慣らし、数日かけて徐々に日常食へと戻していきます」と申し上げると、すぐにご納得いただけた。
なんでも「籠城戦の心得」的な書物にも、そういうことがちゃんと書いてあるらしい。
クラリス様も軍閥の貴族の子女であり、日々のお勉強でそういう書物にきちんと触れていらした。さすがは我が主。しかし九歳の読み物として、それはいささか……いや、貴族の英才教育では普通なのか……?
「三百人分の食器はさすがにないので、器は皆さんに持ってきてもらいましょう。あとは大きい鍋が欲しいですね……まとめて作ったほうが、効率よく配給できますので」
「あの……水はどうしましょう……?」
リルフィ様がおずおずと問う。
水魔法で水や氷を作り出すには、周囲の空気にある程度の湿度がないと厳しい。旱魃の最中とあって、この地はカラッカラである。キャットシェルターやストレージキャットには備蓄もあるが、さすがに三百人分となると心許ない。
しかし、ルークさんに抜かりはない。
「水は岩から作れますのでご安心を! 梅猫さん、このあたりの手頃な岩を、レンガくらいの大きさにカットしてください!」
「ニャッ!」
飛び出したのは忍者剣豪、梅猫さん! しぱぱぱぱっ、っと、その刀が目にも止まらぬスピードで閃き、崖の一隅が細切れにカットされた。
ガラガラと落ちた石はやや多孔質で、見た目よりも軽い。
今回はこれを素材とする。
錬成の手順は「石→岩塩→塩→海水→野菜スープ」である。
海水はもちろん水にもできる。岩石から汁物への変化はこの手順でだいたいイケる。「海水」をそのまま飲んだ記憶はないのだが、まぁ海で泳げば多少は……あと、釣りはよくやってたし、おさかなさん経由で成分摂取した分も含まれているのかもしれぬ。
追加で、胃腸の負担にならない程度の、小さくて柔らかめのパンもご用意。これはスープにひたして食べるのもよかろう。
こちらの錬成は「レンガサイズの石→食パン(色と形が似てるから)→各種のパン」というお手軽さ。コピーキャットさんのぶっ壊れ仕様は今日も健在である。かつては超越猫さんの実装ミスを疑ったものだが、こういう非常時にはたいへん助かる。
そうこうしているうちに、キルシュ先生が里の方々に指示をして、大きめの鍋や食器類を用意してくれた。
炊き出しの準備完了である!
有翼人の方々も、おっかなびっくり広場へ集まりはじめた。
誘導と説明はキルシュ先生にお任せし、俺は鍋の管理。
梅猫さんが切り分けたレンガサイズの石を、ピタちゃんが鍋にいれてくれる。
俺がそれをコピーキャットで野菜スープに錬成し、クラリス様とリルフィ様がこれを器にすくって並べ、里の皆様が順番にそれを手に取っていく。量が減ると石を追加してまた錬成、という流れ。
パンは並べておいてご自由にお取りください、である。
しかし、今日は様子見だけのつもりだったので人手が足りぬ。こんなことならアイシャさんやサーシャさん、ウィル君やケーナインズの皆様にもついてきてもらえばよかった……とか思っていたら、我々の要領を見て、里の女性が手伝いを申し出てくれた。ありがたい。
小さな集落でみんな顔見知りなためか、我先にと割り込むような人はおらず、むしろ子供を優先して譲り合っている感じ。列整理の猫さんとかを出す必要はなさそうだ。
「いきなりがっつくと、体がびっくりしてしまいます! おかわりはいくらでも用意できますので、焦らずに、ゆっくりと、少しずつ、時間をかけて召し上がってくださいね」
集まった有翼人の方々に、俺は愛想よく声をかける。
なんかスープを食べながら感極まって泣いてる人もいるのだが、時折、「ねこがみさま……」とか「ねこじぞうさま……」みたいな声も聞こえてくる……あと器を受け取る前に俺を拝んでいく人がやたら多いのだが……
不本意ながら亜神ではあるが、地蔵ではない。
あ? 体型が近い? うるせぇ毛玉ぶつけんぞ。
……あまりに感謝されすぎて、ちょっと照れ隠しに内心で獰猛アピールをしたルークさんであったが、どうもレッドワンドの有翼人の方々というのは、俺の想像以上に過酷な環境に置かれていたらしい……
旱魃はさすがに本年限りの特殊事情であろうが、乾ききった土の様子を見る限り、もともと水を確保しやすい土地ではなさそう。
俺はこの集落の位置すら知らなかったため、まずは宅配魔法でレッドワンドの首都ブラッドストーンまで送ってもらい、そこからはウィンドキャットさんに乗って、同乗したシャムラーグさんの道案内でここまで飛んで来たのだが……
見下ろした道中は険阻な岩山が続き、川もほとんど見当たらなかった。
湖や池っぽい地形はいくらかあったのだが、集落に近づくにつれて目に見えて干上がっていき――このあたりはもうカラッカラである。むしろ今までどうやって生活していたのか……?
しかも今の彼らには「移住」の自由すら認められていないという。これはちょっと放置したくない。
村長さんにはこれから、改めてお話をさせていただくが……俺の中ではもう結論が出ていた。
あとはどう説得するか、そして彼らがどう判断するか。
とはいえ、おなかが空いていてはきちんとしたお話もできぬ。
冷静な判断をしていただくためにも、まずはなにより「腹ごしらえ」!
テンポよく、ただの岩をスープとパンに変えていきながら……「この流れなら、デザートはトマト様だな!」と、内心で目論むルークさんなのであった。