119・転移魔法のお勉強 ~導入編~
その日の午後。
我々はケーナインズのハズキさんから、「黒帽子キノコ」の調理法、及び保管法に関するレクチャーをみっちりと受けた。
生徒は俺と、リーデルハイン邸の料理人ご夫妻。
さらにクラリス様とリルフィ様、サーシャさん、あと他のメイドさんも数名。こちらは生徒というより見学者である。
アイシャさんはウィル君の転移魔法に頼り、諸々の報告のために、一時的に王都のお城へと戻った。ウィル君も、ついでにお姉さんと陛下の様子を確認してくるとのこと。夜にはまたリーデルハイン領へ戻ってくる予定である。
ウィル君はその往復の後、さらにご実家にも顔を出してまたこちらへ戻ってくるとのことであったが、出向先を頻繁に往復するサラリーマンみたいなスケジュールになってきたな……過労にならぬよう、いたわって差し上げたい。
そしてブルトさん、シィズさん、バーニィ君は一足先に町へと戻った。
近所の商店や地理の確認、日用品の調達、ウェスティ氏の看護と、一応やるべきことはある。
彼らはこれから、冒険者の立場でリーデルハイン領の助言役になってくれる。町の現状把握はその第一歩であり、案内役にはなんとヨルダ様が立候補してくれた。
さて、ハズキさんによる黒帽子キノコの講習は、実に有意義な内容であった。
黒帽子キノコは一応、生でも食べられるが、加熱したほうが味と食感はよくなる。ただし加熱しすぎると香りが飛びやすい……ということで、火の通し加減が難しい食材であった。
少し炙って香りを引き立たせたり、切り方によって食感に違いを出したり、細かく刻んでソースに混ぜたり、使い方はいろいろある様子。
見た目はトリュフ系なのだが、味は全然違うし、松茸のような使い道もできそうである。茶碗蒸しなどの和食にも合いそう。
この異世界食材は、今後もぜひ新しいメニューの開発に使っていきたいものである。
ご近所で迷宮が発見された以上、もしかしたらこのリーデルハイン領も、将来は黒帽子キノコの出荷元になるかもしれぬのだ。
そして晩ごはんには、黒帽子キノコのクリームパスタをいただいた。ちょーおいしかった。
濃厚なクリームパスタに黒帽子キノコの芳醇な香りが加わり、シンプルながらも実に奥行きの深い味わいとなっている。薄切りベーコンのように使った干し肉も、旨味と歯応えがあって美味しい。これは前世ごはんと比しても完成度の高い一品である。「ダンジョンでとれるキノコはおいしい」という貴重な情報をくれたピタちゃんも大満足であった。
……胡椒は追加でほんの少し使った。やっぱ胡椒すげぇわ……風味がピシッと引き締まる。
可能なら、どこかに胡椒の産地を確保したいのだが――とりあえず、リーデルハイン領では気候的に無理だった。
実験畑の一隅にコピーキャットで変化させた木を植えてはみたのだが、シャムラーグさんによると「元気がない」「枯れつつある」「これは暖かい地域の木だと思う」とのことで、やはり熱帯との気温差は埋めがたい。なお、枯れてしまいそうだったので柚子の木に変化させたら元気になった。
……コピーキャットさんはやっぱり挙動がバグ技なんだよなぁ……これを「仕様通り」と放置している超越猫さんは俺に一体何をさせたいのか、気にはなっているのだが、なんか何も考えてなさそーな気もする……
ともあれ、美味しいキノコディナーを無事に堪能できてご満悦のルークさんは、食休みの後、機嫌よく露天風呂に浸かっていた。
壁を隔てた人間用のお風呂から、アイシャさんの高い声が響く。
「やー、自宅にお風呂があるってすごいですね! かなりの贅沢ですよ、これは!」
これに応じるのは、同時に入浴中のリルフィ様とクラリス様。
「ルークさんのおかげです……設計も、私達だけでは難しかったので……ルークさんが要点をまとめてくれたんです……」
「それを清書したのはリル姉様だけどね。ルークは体が小さいから、文房具を扱うのが大変なの。ね、ルーク?」
問いかけられて、俺は壁越しに笑う。
「それは仕方ありません。そもそも猫用の文房具なんてどこにもないですから」
「あ、それは今、お師匠様がルーク様のために作ってますよ! とりあえず、ルーク様のサイズでも扱いやすいペンとメモ帳、定規、あと椅子と机も設計しているので、近日中に完成すると思います」
…………たいへんありがたいし嬉しいのだが、猫がデスクワークをする前提で話が進んでいるな……?
屋外のタライ的な湯船(兼ボイラー)に浸かった俺は、満天の星々を見上げながら、ぐでーーーーっと両足+尻尾を伸ばす。
実に良い湯加減……コピーキャットで水をお湯に変換しているわけだが、同時に浄水もおこなっているため、抜け毛が浮くこともない。お湯は常にサラッサラの一番風呂である。
浴室のほうでは、リルフィ様、クラリス様、アイシャさんに加え、メイドのサーシャさんも一緒になって、女子会的な会話が続いている。
「アイシャ様は……しばらくは、このままリーデルハイン領に滞在を……?」
「その予定です。さすがに『国内二つ目の迷宮発見!』となると、誰かこっちにいたほうがいいと陛下のご指示で――実はお師匠様と任務の奪い合いになったんですけど、宮廷魔導師が城を長期にわたって留守にするのは論外ってことで、無理やり押し切りました!」
アイシャさんは俺に代わって、陛下やルーシャン様に重要な報告をしてきてくれた。『古楽の迷宮』での経緯や、ドラウダ山地の新規迷宮について。それから……
「あ、ルーク様! ご懸念の件について、お師匠様と陛下からの返答なんですけど、ダンジョン発見の第一報は、やっぱり公式にはライゼー子爵からトリウ伯爵に書簡を送るのがいいだろうって言ってました。お師匠様が考えてくれたシナリオは『去年、山で訓練していた手勢の騎士団が、偶然にも怪しげな遺跡を見つけた』『それを知ったライゼー子爵が簡単な調査を行い、迷宮かもしれないと認識』『これをトリウ伯爵に報告』っていう流れです。報告のタイミングはお任せしますが、道の整備は先にやっちゃったほうがいいでしょうね。調査隊が来た後にあまり大きく地形が変わると不自然に思われるはずなので、明日から頑張って片付けちゃいましょう」
「わかりました! ライゼー様にもそうお伝えしておきます!」
迷宮の存在を国が知る――その手順というか、流れも違和感のないように整えておく必要がある。これを怠ると軍閥でのライゼー様のお立場が悪くなってしまう。
浴室からクラリス様の声が響く。
「……そのシナリオだと……迷宮発見の功労者が、お父様とうちの騎士団になるけれど、ルークはそれでいいの?」
「もちろんです! 迷宮周辺はリーデルハイン家の管理下においてもらったほうが、私にとっても都合が良いので、迷宮発見の功をもって、ライゼー様にその管理権を得ていただきます」
迷宮そのものの所有権は国のものだが、周辺環境の管理は領主の義務であり、同時に利権でもある。ドラウダ山地の場合、そもそも国有地なので、ライゼー様の領地ではないのだが、「最寄りの領主」であることは間違いない。さらに「発見者」ともなれば、その周囲の管理権を得るのは至極当然の流れといえよう。
……という感じに、ルーシャン様や陛下からも後押しをしていただく。他の高位貴族からの横槍を防ぐための工作である。
続いて、リルフィ様のささやくような美声。
「……迷宮の発見者は……歴史に名が残ります……ルークさんの手柄を横取りするみたいで、叔父様は嫌がるかもしれませんね……」
確かに、ライゼー様は他人の功績に乗っかるのは嫌がるだろう。しかし同時に、目的のためには清濁併せ飲むだけの器量も備えておられる。
「あはははは。その程度はすぱっと受け流していただかなければ困ります。ライゼー様にはこの先、『迷宮の発見者』などという小さな功績がかすむほどの、素晴らしい功績を残していただくのですから――そう、『トマト様の父』という、人類史に残る大いなる偉業を!」
「……それこそルークが名乗ってね? トマト様を輸出する会社の社長になるんでしょ?」
「……叔父様は……あまりそういう呼び名が似合う方ではないような……?」
「……旦那様は、それに関しては首を横に振るものと思います」
「ルーク様、それ、『軍閥の貴族』としてはちょっと……農業閥の貴族ならまだいいんですけど……」
……おや? すこぶる反応が悪いな……? もしや皆様はまだ、トマト様の下僕たる栄誉を理解できていない……? 啓蒙が足りてない? トマト様フルコースとかトマト様懐石とかトマト様スターゲイジーパイとか考案しないとダメ?
釈然としないままにたらい風呂から上がり、ぶるるるるっと身を震わせて水を切っていると、芝生の向こうからウィル君が歩いてきた。
「あ、ウィルヘルム様! おかえりなさいませ」
ついそんな風に声をかけてしまったが、ウィル君の実家は魔族コルトーナ家の領地であり、ここではない。
うっかりミスを笑ってごまかす俺に、ウィル君は苦笑いを返して、すぐ隣に座った。
ルークさん専用の屋外の湯船(※ボイラー)、その左右にはベンチ的な空間が併設されている。
湯上がりの猫がぐでっと寝っ転がることを想定して設けたくつろぎスペースであるが、ここは人が座るのにもちょうどいい。
また高さが湯船の縁とほぼ同じなので、適当な飲食物を置いておくのにも便利。
作ってくれた職人さん的には、用途のわからぬ謎空間だったかもしれぬが、ルークさんは大変便利に活用させていただいている。
やはり次世代のユニバーサルデザインは猫が基準。前世でもそうだった(暴論)
「ルーク様は、ちょうど風呂あがりですか?」
「はい! さっきまでケーナインズの方々にもお風呂をご提供していたもので、そろそろ肉球がふやけてきてしまいまして」
と、これは猫ジョークである。ウィル君に見せつけた我がぷにぷにの肉球は、少しも弾力を失っていない。
俺はストレージからコップを取り出し、ウィル君に飲み物をご用意した。
「ご実家の様子はいかがでしたか?」
「問題ありません。姉の婚約に関する親族への根回しは、両親が進めてくれるようです。一年後か、二年後か、そのあたりのタイミングで、陛下にも両親に会っていただこうとは思っていますが――魔族の時間の流れは、人よりも穏やかですから」
俺はおずおずと問いかける。
「……そういえば以前、『魔王軍の侵攻が云々』というお噂を、とある精霊さんからうかがったのですが……それの影響でバタついていたりとかは……?」
「ご存知でしたか……秋頃にでも、西の方で国が一つか二つ、滅びるかもしれません。ネルク王国にはさして影響はないかと思います」
……うーむ。魔族側の事情というのはよくわからぬが……それは果たして、看過して良いことなのかどうか。
ウィル君が俺にそっと耳打ち……
「……ここだけの話ですが、以前、ネルク王国への侵攻の話も確かにありました」
「ふえっ!?」
「ご安心ください。こちらではルーク様とリオレット陛下が、魔族の友好者に設定されましたので、侵攻の対象からは外れています」
俺はまんまるおめめでウィル君を見上げる。
「もしかして……ウィルヘルム様が尽力してくださったのですか……!?」
「妹の恩人がいる地です。なにより……魔族より格上の亜神様がこの地にある以上、是が非でも止めます。もちろん、魔族でルーク様のことをまともに知っているのは、私と姉上、妹のフレデリカ、あとはオズワルド様だけです。両親や魔王様に対しては、『転移用魔道具の事故で行方不明になっていたフレデリカを、リーデルハイン家に仕える魔導師が捜索し救ってくれた』という報告をしています」
……なんたることか。こんなところでも、『奇跡の導き手』さんが大仕事を……!
「……つかぬことを伺いますが、ネルク王国が侵攻先の候補になっていた理由とか、聞いても良いです……?」
「…………他家の話ですが、ルーレットで決めたようです。あの……一応、王族の質を勘案して、問題のない国は除外した上で、ルーレットの番号に割り振っていたようですが……先代のハルフール陛下は、その……あまり、評判がよろしくなかったので」
……ついでに皇太子様(故人)も微妙だったみたいだしな……
数年後の話にはなるが、ロレンス様にはぜひ、良き王になっていただきたい。
こちらのセンシティブな話題とは無関係に、お風呂場からは女性陣の楽しそうな声が聞こえる。
「そういえば、ピタゴラス様がいませんけど、お風呂嫌いだったりします?」
「……ピタゴラス様は……外の、たらい風呂のほうがお好きみたいです……あの、うさぎの姿での話ですが……」
「こっちの湯船だと、湯気がこもってうっとうしいんだって」
「へぇー。じゃあ、ピタゴラス様だけはルーク様と混浴できるんですねぇ」
「………………あっ………………」
……おや? はやくもちょっぴり湯冷めしたかな?
ついでに、湯気の雰囲気から湯温がほんの少しだけ下がったよーな気もするし、コピーキャットで追い焚きしておこう。やはりお風呂は四十一度~四十二度が適温である。四十三度までいくとちょっと熱い。
「向こうは賑やかですねぇ」
「はぁ……姉上がいなくてよかったと思います。姉は、その――こういう場ではテンションが振り切れてしまい、本当にうるさいので……」
と、苦笑するウィル君。
壁が薄いから仕方ないとはいえ、盗み聞きのようで体裁が悪いのだろう。
しかし、「外と会話できるようにしたい」とはクラリス様とリルフィ様両方のご要望でもあったし、湯加減が俺の「コピーキャット」頼りなので、ヘタに防音性能を高めてしまうと不便なのである。音声制御のボイラーに、浴室からの声が届かないというのはちょっとどころでなく問題がある。
また技術の限界、コストの都合という世知辛い理由も――
本気で防音をしたかったら二重壁とか方法はあるはずだが、風呂場でそれをやると湿気の問題が出てくる。また、壁を単純に厚くするとコスト面で「ただの小屋」どころではなくなるし、風通しも考慮しないとあっという間にカビだらけになってしまう。
……最悪、「カビをコピーキャットで何かの食材に変えてしまう」という方法で、簡単に清掃は可能なのだが――それを前提にするのはちょっとどうか。あえて茨の道へ進むこともなかろう。
「まぁ、あちらはあちら、こちらはこちらということで。それにしても、今回の迷宮攻略ではウィルヘルム様にご助力をいただけて、本当に助かりました! やっぱり転移魔法というのはすごいものですね」
「お役に立てたのなら幸いです。ただ私としては、ルーク様のウィンドキャットやキャットシェルターのほうが、よほど現実離れした魔法なのですが――」
ウィル君はそんなことを言ったが、猫魔法は確かにちょっと……使ってる俺自身がたまに困惑している。
特にハイパーネコ粒子砲はだいぶアレだったが、ちょっとだけ「スッ」としてしまった自分の中の破壊衝動が怖い……猫さんは、ほら……トイレットペーパーとか、ズタボロにするの大好きだから……(狩猟本能)
夜風で涼みながら、俺は傍らのウィル君を改めて見つめた。
「それでですね。明日からドラウダ山地の道路整備をするにあたって、この期間を使って、私もいよいよ『転移魔法』の修行をはじめたいと思いまして! 先日からたびたびお願いしておりましたが、ぜひ今夜から、ウィルヘルム様にご講義をお願いしたいのです!」
ウィル君がにっこり。この笑顔、推せりゅ……
「はい、お任せください」
「よろしくお願いします!」
緊急避難の手段は、やはり複数確保しておきたい。あと、そもそも移動の時短に便利すぎる。
浴室から、ざばっという水音とともにアイシャさんの声がした。
「あっ! ルーク様、それ私も参加したいです! 習得は無理だってわかってますが、単純に知識として興味があります」
勢いよく手を挙げたな? 姿は見えぬがルークさんは賢いのでわかる。鏡像認知もできる。
「……あ、あの、私も……差しつかえなければ、同席させていただけますか……?」
と、こちらはリルフィ様。水音は聞こえぬが、おずおずと小さくお手々を挙げているのがわかる。リルフィ様は無意識にそういうあざといことをする。そのお姿を想像するだけでルークさんの知能が下がる。鏡像認知……? 水面に映るこの間抜け面は知らない子ですね……
「ウィルヘルム様、どうでしょうか? もし、門外不出の秘密とかがあるようでしたら配慮しますが……」
「いえ、問題ありません。西側の高名な魔導師ならば知っている程度の話ですし、理屈がわかっても、魔族以外に真似できるものではないので……亜神のルーク様ならばいけるのでは、とも思っていますが、これも確証はありません」
ウィル君からはあっさりとご承諾いただけた。
魔族でも、たとえばウィル君の妹のフレデリカちゃんなどは、第四子ということで魔族としての特性が弱まっており、転移魔法を使えない。
アーデリア様によれば、第三子のウィル君が転移魔法を使えているというのも、割とすごいことらしい。
つまり――『転移魔法』の使い手は、純血の魔族十人程度と第二子~第三子までということで……あ、存命ならその両親とか祖父母のどちらかも含むのか? いずれにしても、多く見積もっても世界で二十人~五十人程度と思われる。
俺のような『亜神』が他にもいるとしたら、もう少し増える可能性もあるが、それでも三桁には届くまい。
あとは……迷宮の管理者のカワウソ、カブソンさんはどうなのか?
彼の場合、『転移魔法』そのものは使えない。ただし、亜神ビーラダー様が各地の迷宮に作り上げたシステムを活用することで、それぞれの迷宮間、及び迷宮内を転移できる。
より正確には、カブソンさんの場合は「ビーラダー様が遺した、迷宮を移動するための魔道具」を使っているのだ。魔道具といっても迷宮の管理システムと一体化しているっぽいし、外部にはたぶん持ち出せない。
そしてこれも亜神絡みの品であり、やっぱりウィル君が以前に言っていた通り、「転移魔法は亜神(と魔族)専用のスキル」「転移魔法を再現できる魔道具も、基本的には魔族か亜神が作ったもの」という認識なのだろう。
湯上がりの体をウィル君にタオルで拭いてもらいながら、俺は講義に備え、「今夜の夜食はどうしようかな」と思案を巡らせるのであった。