12・真夜中の猫
晩ごはんとお風呂が終わり、夜も更けてきた。
山を降りてきて早々、充実した一日になってしまったが、今夜はこれで終わり! ……というわけにはいかなかった。
寝る場所をどうするか。
・ルークさんの意見
「毛布一枚お借りできれば、廊下の隅あたりで丸くなって寝ます」
・クラリス様の意見
「いっしょに寝る。私は飼い主」
・ライゼー様の意見
「……(こんな怪しい獣を)さすがに娘と寝かせるわけには……」
・リルフィ様の意見
「ルークさんには、魔導師としての才能があります……夜はこちらの離れでお預かりして、修行なり学習なりができればと……」
む。これは願ってもないお誘い。
結局、クラリス様が寝つくまでお側に控えておいて、その後はリルフィ様のところで魔法のお勉強、寝る場所はまぁ、猫なんだし日毎夜毎に好きにしたら良いのではなかろうか、ということになった。そもそも夜行性のはずだし、明日以降は昼寝の機会も確保したいし。
なお、これもリルフィ様のお口添えである。
……「種族・亜神」が効きまくった模様。
クラリス様は冷静そうに見えても意外とはしゃいでいたらしく、ベッドに入ってすぐに眠ってしまわれた。
俺はそろりそろりと忍び足で寝室を出る。猫の本気の忍び足すげぇ。ほんとに音しねぇ。
リルフィ様のいる離れには、昼間もお邪魔した。
そこでおかしな能力の名称やら称号やらを俺も初めて知ったわけだが、魔導師でもあるリルフィ様は、おそらくそれらをもっと詳しく調べたいのだろう。
俺自身も自分の能力は把握しておきたいから渡りに船である。
「リルフィ様、こんばんはー」
ドアノッカー……には手が届かないので、爪を使ってカッカッとドアを叩いた。
少し経ってドアが開くと、あのお美しいリルフィ様のお姿が……
……あられもない、お姿が…………
「……あ、ルークさん……どうぞ、お入りください……」
……ニット素材のいわゆるスポーツブラ的なもの+短パンという、とんでもない軽装でお出迎えいただいた。
白い肌が眩しい。腹筋がきれい。ふとももつやっつや……
ルークさん何も見なかった。
ルークさんは紳士。
ルークさんは猫。
煩悩には負けない。
たゆんにも負けない。
負けた場合には再戦を誓う。
たとえそれが、如何なる絶望的な戦いであろうとも……!
「……あの? ルークさん……? 中へ、どうぞ……?」
「ひゃ、ひゃいっ。しつれいしまひゅ!」
噛んだ。
……いやまあ、こちとら猫である。
リルフィ様のこの無防備さは、まぎれもなく「猫扱い」していただいているとゆー証明でもあるし、ぶっちゃけ今の俺になにか不埒な真似ができるはずもないのだが、しかしそれでもなんとゆーかこう……
心臓に悪い。ばっくんばっくん言ってる。
「あ、あのー。リルフィ様……寒くないですか? 上着か何か、着られたほうが……」
「お心遣い、ありがとうございます……でも私、体温が高めで、暑がりなもので……そもそも魔導師は、体内を魔力が循環しているため、体温が高くなりがちなのです……」
あ。ゲームの魔導師キャラに薄着が多いのって、まさかそんな感じの理由? ……いや違うアレはただ単に大人の事情、マーケティングの都合か。
「私は水属性の魔法を使えますから、どうしても暑い時には、魔法で自分の体を冷やせるのですが……火属性の魔法しか使えない方などは、大変ご苦労されているとも聞きます……酷い方になると、自らの熱にあてられて寝たきりになってしまう例もあるとか。そうならないように、魔導師はまず、自身の魔力と体温を制御する方法を学びます。ルークさんは……そのあたりのことは、もうご存知ですか?」
「いえ。全然まったく知らないです」
暑さ寒さについては、山中行軍の間も含めて、概ね快適な状態が続いている。
久々のお風呂は温かくて超気持ちよかったし、夜風などはちょっと「肌寒いかな」と感じないでもないのだが、少なくとも「体温が高くて暑い!」とか「寒くて寒くて凍えそう!」みたいな感じはまだ経験していなかった。
猫の毛皮効果かとばかり思っていたが、これにももしや「全属性耐性」が影響してたりするのだろーか。
とりあえずリルフィ様のおうちのテーブル上に香箱座りをさせていただいて、俺達は本日のお勉強を始めた。
「ルークさんの場合、才を得ているのは属性魔法などではなく、“猫魔法”という、私の知らない系統の魔法でした。そのため、私の知識がそのまま当てはまるとは到底思えません。ルークさんからのご質問には可能な限りお答えしますが、“わからない”という答えが多くなることは、どうかご承知ください……」
「はい。で、魔力を制御する方法というのは?」
丸くて柔らかそうなのに圧迫感マシマシの強烈なアレから必死に眼を逸らし、俺はなけなしの演技力を駆使して平静を装う。
一方のリルフィ様は若干おどおどと、それでいて何やら楽しげに講義を続ける。いかがわしいおねショタマンガに出てくる家庭教師のおねーさんかな?
「体温の調節程度なら、無意識にできる方もいますが……まずは瞑想によって、魔力の流れを感知するのが第一歩とされています。そこから先の制御については、地水火風の属性ごとに、あるいは流派などによって、少し違いがありまして……一例になりますが、地属性なら自身の体が岩のように硬くなるイメージ、水属性なら体内を川が流れるイメージ、火属性なら燃え盛る命の炎、風属性なら意識が風に溶けて拡散するように……といった具合に、精神的な修養を行うのですが……ただ……」
「……はい。各種属性ならいざしらず、“猫魔法”じゃ、何をどうイメージしたらいいかわかんないですよね……」
リルフィ様が申し訳なげに頷いた。
「もちろん、私がただ単に物を知らないだけかもしれません……王都の高名な魔導師などに聞けば、あるいは……」
……望み薄だなー。
むしろ人間よりそこらの猫さんに聞いたほうがいいんじゃねーか、って気さえする。
その後、リルフィ様と一緒に、“コピーキャット”の実験が始まった。
いろいろ試して得られた結論としては、やはりコレは「連想ゲーム」のような仕組みで、なおかつ「俺が飲食したことのあるもの」のみ再現できる能力らしい。
連想のルールは「色、形、名前や由来」などかなり融通が利くようで、少し手順と手間をかければ、知っているものはほぼ再現できるんじゃなかろうか、という実感を得た。
例えば薪をブッシュ・ド・ノエルに変えた後、これをケーキつながりで「ショートケーキ」に変化させ、さらにこのショートケーキを「白いもの」つながりでバニラアイス>たきたてごはん>砂糖などにも変化させられた。
砂糖からは>塩>小麦粉と変化させ、さらに「小麦粉でつくるもの」の連想から食パン、さらに「食パンといえばバターだろ!」ということで挑戦したバター化にまで成功した。無茶苦茶である。
ただし「バター>トマト様」みたいな、突拍子もない変化は何故か無理だった。
この場合、バター>ミルク>いちごミルク>苺>トマト、といった具合に、少し段階を踏む必要がある。いやまぁ、コレが成立しちゃう時点でほとんど意味のない制約ではあるんだけど……
薪>ブッシュ・ド・ノエルの時点で大概だったが、つまりこれはもう、工夫次第でほぼ「なんでもあり」といっていい。後は思いつくかどーかの問題だ。
とはいえ、「俺が飲食したことのないもの」はどうにもならないようなので、木彫りの熊とか鉄の棒とかはやっぱり作れない。「いや鉄分とってるし!」とか思わないでもないが、そーいうのはダメらしい。
当然、銃器とか車両もダメである。そこまで無双はさせてくれない。
頑張って前世で軽トラくらい食っておくべきだったか……猫の体じゃ運転できんけど。
あと器もでてこないので、うっかり葡萄をワインとかに錬成すると周囲にぶちまけて酷いことになりそうだ。お部屋を汚さないよーに気をつける必要がある。
そんな楽しい実験が一段落したところで、リルフィ様が呆然と呟いた。
「……ルークさんは……本当に“神様”なんですね……」
「しつこいようですが、神様ではないです。とゆーかむしろ、神様のいたずらとか戯れの産物であろうと思います……」
超越者さん、ぜったいおもしろがって能力くれたよね、コレ……
「あの……ルークさんは何故、この地に降臨なされたのですか? もっとこう……神殿とか、王都とか、降臨にふさわしい場所があったのではないかとも思うのですが……」
降臨て。
「だから私はただの野良猫です。こちらの領地へお邪魔したのも本当に偶然で、強いて言えばたまたま知り合った風の精霊さんのお導きですね。あの出会いがなかったら、能力にも気づかないまま、山中で野垂れ死んでいたと思います」
リルフィ様が不思議そうな顔をした。
「そういえば、称号の中にも“風精霊の祝福”とありましたが……えっと……本当に、精霊と会話を……?」
「はい。強めの魔力がある人には見えるそーで、運良く助けてもらいました! 三日も道案内をしていただいて、本当に命の恩人です。リルフィ様もお知り合いだったりします? 風の精霊さん」
リルフィ様がぶんぶんと首を横に振りつつ、わたわたと両手を動かした。振動でお胸がぶるんぶるん……なんかもうこの子、人前に出したら危ない気がしてきた……大事に閉じ込めとかないと! ……監禁系ヤンデレはこうして生まれるのか。
「まさかそんな! 上位精霊とお話できる魔導師なんて、ごくごく一握りです。たとえば今ご存命の方だと、私が知っている範囲では三人しか……宮廷魔導師のルーシャン様、その愛弟子のアイシャ様、後は……他国の方ですが、現在最強の魔導師と名高いホルト皇国のスイール様とか……」
当たり前だがいずれも存じ上げない。
「他にもいるはずですが、他国の情報はあまり入ってこないので、私が名前を知っている方だとこのくらいで……もちろん、どなたともお会いしたことはありません。精霊と話ができる人材なんて、各国に数人ずつ、いるかいないかだと思います。その気になれば、すぐにも王宮で厚遇してもらえます」
思った以上にレアだった。
……あ、あれー? 風の精霊さん、結構フランクだったし、面倒見も良くて人慣れ(猫慣れ?)た感じだったけど……アレって割と珍しい体験だった可能性が?
「ですから、ルーク様……ルークさんの称号にあった、“風精霊の祝福”にも驚きました。“風の精霊に導かれて旅をする”というのは“気ままに旅をする”という意味合いのありふれた慣用句なので、叔父様もその意味で受け取ったのだろうと思いますが……まさか、本物の精霊に会われていたなんて……知ったらきっと、びっくりされると思います」
慣用句! それは盲点!
……リルフィ様のお目々がキラキラしてるけど、そんな貴重な存在に山歩きの案内をさせてしまったルークさんは、割と今、恐縮気味である。今度会えたらもっとちゃんとお礼言っておこう……
実験終了後、深夜でおねむのリルフィ様がちゃんとベッドに入るのを見届けてから、俺は庭先へ出た。
改めて――良い一日であった。
精霊さんとの山歩きも、今にして思えばそれはそれで楽しかったのだが、なんというか「人の中に帰ってこられた」感がやはり嬉しい。猫としてだけど。
第二の人生ならぬ第一の猫生、まずまず順調な感じでスタートできたのではないかと思う。
(なんだかんだいって……やっぱり超越者さんは、いろいろいい感じにやってくれたんだろーなー……)
細かな部分で問い質したいことがないわけではないが、ここまで便利な能力やらお膳立てをしていただいた上で、文句などを言うのはあまりに恩知らずというものである。
遠いお空のどこかにいそうな超越者さん達に向けて、俺はひっそりと肉球をあわせ、感謝の念を送った。
――でも、それがいけなかった。