113・冒険者達の事情
迷宮の奥にて全滅しかけた冒険者パーティー、『ケーナインズ』のリーダーであるブルトは、救出された翌日、拠点の安宿で仲間達と向き合っていた。
彼らの顔色はいずれも冴えない。
同郷の腐れ縁、女魔導師シィズ。
生真面目な若手の剣士バーニィ。
この領都オルケストで知り合った神官見習いのハズキ――
最後の一人、狩人ウェスティは、回復魔法で一命を取り留めたばかりで、今も昏々と眠っている。いつも軽口で場を和ませる彼が別室で寝ているため、場の空気は自然と重くなる。
昨夜は疲労困憊で泥のように眠ってしまい、一夜明けてようやく、「自分達が生きている」ことに実感がわき始めた。
「……改めて言うが、今回の件。他言無用と念を押されている。幸い、一番口の軽いウェスティは、そもそも状況を把握していないはずだ。奴には『通りすがりのパーティーがバイオラ達を片付けてくれた』とだけ教える。それ以上のことは教えなくていい」
宮廷魔導師の弟子筆頭、アイシャ・アクエリアの名を出さないように、という意味である。
一同も緊張の面持ちで頷きつつ、シィズがそっと手をあげた。
「……私も別に、人に話す気はないんだけど……私達が助かったのって、たぶん『転移魔法』のおかげよね……? つまり……アイシャ様か、その連れにいた大男が『魔族』だったってこと……?」
ブルトは口の前に人差し指をおいた。
アイシャが求めていたのは、こうした推論を含めての「口止め」であろう。事実がどうであれ、これ以上は口にしないほうがいい。
魔族との関わりは公にはできないだろうし、本人が魔族だとすれば……いや、この可能性はさすがに低い。魔族は成長速度が人間とは違うと聞く。ブルトはアイシャのことをよく知らないが、近くにいる者達は気づくだろう。
ハズキも頷きながら、所在なげな視線を床へ向ける。
「私も、人に言う気はありませんが……その前に、どこからどこまでが現実で、どこからが夢なのか、記憶が曖昧です。確認なのですが、バイオラ達を倒したのは『岩でできた大きな猫』でしたよね?」
あの魔獣。
いや、聖獣かもしれないが、アレが最大の謎である。
ダンジョン奥からの素早い帰還には、一応、『転移魔法』という理由を推測できる。眠らされていたため確証はないが、それ以外の方法を考えにくい。
だが、あの恐ろしい獣……
あれは理外の存在である。
バイオラとチエラをただの一撃であっさりと粉砕した、あの化け物じみた強さの獣は、いったい何だったのか。
表皮は岩のようだった。というより、もはや岩そのものだった。
四肢は太く短く、頭は巨大で、らんらんと見開かれた目もけっこうな大きさだったと思う。
牙は……どうだっただろうか。あったかもしれないが、なかったかもしれない。
お手本のように整った香箱座りをしていたから、猫に近い生き物だろうとは思うが――
「ああ……おそろしい獣だった」
「かわいい猫さんでしたね――」
……ん?
ほぼ同時に紡がれた感想は、微妙に食い違っていた。
ハズキは不思議そうに首を傾げている。
「ブルトさん、岩っぽい大きい猫さんの話です」
「ああ、うん。あの怪物な」
「怪物……えっ? とても可愛い猫さんでしたが……」
真顔である。
冗談を言っている様子はない。
しばしの沈黙の後、剣士のバーニィが生真面目に応じた。
「もしも明るいところで見れば……あるいは……?」
「まぁ……その可能性はあるけどさ」
ブルトも正直に言えば、あの時は混乱の極みにあった。助けてもらったのは事実だし、あまり恐れるのも失礼かもしれない。
女魔導師のシィズが、ハズキの頭をそっと撫でる。
「ハズキはそもそも猫好きなんでしょう? 私も好きだからわかるけど……ブルトはダメなのよ。彼、犬派なの」
「別に猫も嫌いじゃないぞ。子供の頃に犬を飼っていたってだけの話だ」
実際のところ、犬猫の類はどちらも好きなつもりである。
さすがに某宮廷魔導師ほどの域には達していないが――
「……あっ。もしかしてあれも……猫の精霊か!?」
ブルトはふと思い至った。
春の祝祭の最終日――
王都上空で、精霊同士の喧嘩騒ぎが起きた。
この件に関して、王家からは次のように発表されている。
宮廷魔導師、ルーシャン・ワーズワースの客として滞在していた魔導師の娘が、古い魔道具に封印されていた悪しき精霊に憑依されてしまい、王都で暴れそうになった。
しかし、ルーシャンを守護する『猫の精霊』が、この危機を察して悪しき精霊に立ち向かい、王都を守った――
ほとんど御伽話だが、目撃者の数が尋常でない。
祭り見物のため王都に滞在していたブルト達を含め、当日、王都にいた人々のほとんどが、どこからともなく現れた大量の猫達を目撃した。
本物の猫よりも簡素で丸っこく、まるで絵や置物のような存在感だったが、より可愛らしさが強調されていたようにも思う。
ハズキだけは神官としての日々の業務があり、領都へ残ったため、これを見逃した。
「ルーシャン・ワーズワース様を守護する『猫の精霊』が、その弟子にあたるアイシャ様のことも守護していた。そして俺達は、迷宮でそのおこぼれにあずかった――みたいな流れか?」
ブルトの推論に、シィズが納得顔で頷いた。
「……有り得ると思う。アイシャ様がわざわざ迷宮に来ていた理由も謎だし、いろいろと秘密がありそうね。ともあれ、私達は運が良かった。命を助けてもらった以上、せめて約束は守りましょう。ハズキもそれでいいわね? 今回の件は、今後一切、他言しないこと」
「わかっています。私も見習いとはいえ、神に仕える身。約束は守りますし、そもそも……説法よりも演奏が好きで神官になったくらい、喋るのが苦手ですから」
そんなことを言う割に、声音は澄んでいて聞きやすい。ただ、少し抑揚には欠ける。
十七歳の神官見習い、ハズキ・シベールは「ケーナインズ」に所属してはいるが、正式メンバーとは言い難い。また、臨時の戦力でもない。
彼女自身も冒険者として生計を立てるつもりはなく、あくまで聖教会の神官見習いという立場のまま、一時的に同行している。
彼女の目的は、『古楽の迷宮』からたまに回収できる「楽器」にある。
聖教会に属する演奏者には、努力や技術だけでは越えがたい壁があり、「自分専用の魔道具の楽器」を所持しているか否かで待遇や活動の場が大きく変わってしまう。
良家の子女であれば金に物を言わせて仲介業者から購入できるが、平民出身のハズキにそんな財力はない。
貴族のパトロンを得る――という手段もあるにはあるが、これはこれで気苦労が増えるだろうし、なにより愛人や妾のように扱われる例もある。
そんな貴族ばかりではないにせよ、そうした事例が真っ先に連想される程度には、よくある話なのだ。
ただしこれは、「貴族が弱みに付け込んだ結果」ではなく「神官側が贅沢や権力を求めた結果」である場合がほとんどで、余所者のブルトにしてみればどっちもどっちである。
もちろん、彼の目の前にいる神官見習いのハズキは、そうした精神性の持ち主ではない。
魔道具の楽器を商人から買うほどの金銭的余裕はない。
また、貴族のパトロンにも頼りたくない。
魔道具の楽器を受け継がせてくれそうな、都合の良い師や親類縁者もいない。
ならばどうするか――
「自ら迷宮に入り、楽器の獲得を目指す」
ハズキはその道を選び、ケーナインズにこうして一時加入した。
土地柄、この方法を選ぶ神官はそこそこ多く、けっこうな数のパーティーに、若い神官が一人か二人は混ざっている。
聖教会側も心得たもので、パーティー内に神官がいる場合には、飲食が割引価格になったり優先的に仕事や情報を回されたりと、ちょっとした優遇措置がある。
特に馬鹿にならないのが、「聖教会と提携している宿や賃貸住宅を、神官の割引価格で利用できる」という特典で、これはリーダーのブルトとしても経費の節約面で大いに助かっていた。
魔道具の楽器を欲する神官と冒険者との間に結ばれる約束――あるいは契約は、概ね以下のような内容となる。
1・パーティーに加わった神官は、メンバーと同様の雑事をこなす。
2・楽器の入手に至った場合、その所有権は神官が得る。その代わり、それ以外の財宝や資源の所有権を神官は放棄する。
3・楽器の入手後もパーティーが各種の特典を受けられるよう、神官はその籍をパーティーに置いておく。この名義貸しによって得られる利益を以て、「楽器」発見の報酬分とする。
これは聖教会側にも「自身の勢力下に良い楽器を集めやすい」というメリットがあり、各地の演奏会での収益にもつながっている。
特に人気のある歌手や演奏者は、かつて信仰の対象となっていた神々の偶像にちなんで「アイドル」などとも呼ばれるが、この国の聖教会は要するに、「音楽によって民心を集める興行主」なのだった。
なお、『アイドル』の語源には諸説あり、異世界から来た何者かが命名した、という伝承もあるにはある。
他、神聖魔法による治癒や医術も活動の柱となっているが、こちらは教義の正当性・説得力を担保する目的が強く、収益はさほどでもない。
かつて医療関係で暴利を貪っていた他国のとある宗派が、亜神の怒りを買って完膚なきまでに叩き潰されたことがある。神の名を騙って悪事を為すのは自殺行為だと、まともな宗教関係者ならば歴史から学んでいる。
ブルトは宗教とは無縁だが、『亜神の怒り』がどれほど恐ろしいものなのかはよく知っていた。
彼とシィズ、ウェスティは、そもそもネルク王国の民ではない。
彼らの祖国である「ロゴール王国」は、かつて亜神の怒りを買ったせいで大混乱に陥り、その余波で今も延々と内乱が続いている。
いや、亜神のせいではない。
混乱のきっかけ、最後のひと押しが「亜神」によってなされたというだけで、そもそもろくでもない国だった。亜神が去った後も延々と立て直しができていない事実が、それを証明している。
滅んでいないのが不思議なほどだが、これは単に「周辺国が好戦的ではなかった」「侵略したくなるほどの価値がなかった」「そもそも火中の栗など誰も拾いたがらない」という後ろ向きな事情によるもので、ロゴール王国がうまく立ち回ったわけではない。
ロゴールの現状を簡潔に記せば、正統な王家の血筋はもう絶えている。
複数の有力諸侯が合従連衡を繰り返した末、情勢が複雑化し過ぎて、当事者達ですら敵味方の判別に戸惑い、もはや内乱の「落とし所」を見失っている。
それでも昨今、クオル公爵なる有力貴族がクーデターに成功し、最悪の状態は脱した可能性がある――という噂も入手したが、ブルトはまったく期待していないし、いまさら戻るつもりもない。
王国正規の騎士団員だったブルト。
魔導部隊の俊英だったシィズ。
弓兵部隊にいた友人のウェスティ――
それぞれがそれぞれの理由を抱えて、国を捨てた。
このパーティーはつまり、亡命者の集まりである。
剣士のバーニィだけは旅の途中で加わった仲間で、詳しい生い立ちは知らないが、むやみに過去を詮索しないのも冒険者のマナーだった。
だからブルト達も、自分達の過去をハズキには話していない。
ハズキが椅子に座り直し、姿勢を正した。
「それで、あの……皆さんは、これから……?」
いかにも聞きにくそうな、曖昧な問い。その意図をブルトは正確に汲み取る。
「そう心配せずとも、別に怖じ気づいちゃいないさ。強がりじゃなくてな。もちろん怖かったし、命の危険も感じたが、この稼業をやめる程じゃない。ウェスティには後で確認するが、奴も図太いから、どうせ転職はしないだろう」
迷宮の怖さを思い知って、ブルト達は冒険者から足を洗うのではないか――ハズキはそう懸念したのだろう。
だが、初めて死にかけた駆け出しの初心者でもあるまいに、あの程度で逃げ出すつもりはない。
シィズが嘆息する。
「私達より、ハズキはどう? 怖くなったなら、諦めるのも一つの選択よ。私達が楽器を調達したら、格安で譲ってあげてもいいんだし……」
「いえ。『迷宮で得られた楽器と演奏者との間には、強い縁が生まれる』と、昔から申します。私は自分の足でパートナーを探したいのです」
見た目とは裏腹に、なかなか剛毅である。あんな目にあった直後なら、普通は「もう二度と行きたくない」と応じそうなものだった。
バーニィが眉をひそめる。
「俺達はそれが仕事だからともかく……ハズキは神官で演奏者だろう? 安全策をとってもいいと思う」
「いえ。ご迷惑でなければ、引き続きよろしくお願いします」
深々と頭を下げる神官の娘に、ブルトは苦笑を送った。
「わかった。そのかわり、ウェスティが復帰するまでは日帰りの探索しかできない。あと、迷宮の外での依頼――薬草の採取とか臨時雇いとか、そういうのも受けることになる。俺らにも日々の生活があるからな」
「はい。それはもちろんです。私も働きます」
ハズキは神官だが、平民の出身だけに金銭感覚はまともで常識もわきまえている。料理や清掃などの生活力もあるし、なにより信頼に足る性格の持ち主だった。戦闘力は低くとも、仲間として不満はない。
その時、安宿の階下にある酒場から、他の冒険者の声が聞こえた。
「おーい! 一時封鎖だ! 『古楽の迷宮』が構造変化の準備に入ったってよ!」
「封鎖だ、封鎖! 祝杯だ!」
ブルトは驚いた。
迷宮の一時封鎖は「内部の構造変化」が始まる合図である。
迷宮の入り口に「一時封鎖」を知らせる石碑がせり上がり、以降の侵入は冒険者ギルドによって規制される。
そして、内部に残っている冒険者達が全員、外に出た段階で、出入り口が岩に閉ざされ、迷宮の構造変化が始まる。
仕組みは定かでないが、内部に人間が残っている限り、変化は始まらない。人命を守るために精霊が関与しているとの説が有力だが、人という不浄な存在が変化の邪魔になるという説もあるし、実際のところはよくわからない。
迷宮が封鎖されると、周囲では断続的な微震が数日間にわたって続き――その後に、内部構造の一新された迷宮が生まれる。
地図を新しく作り直す必要はあるが、同時に財宝や資源も一新されるため、構造変化の直後は一種のボーナスタイムと言っていい。
だから迷宮が一時封鎖されると、冒険者達は慣例として祝杯をあげる。
しかし、今のブルト達にとっては少しタイミングが悪い。
「マジか……前の構造変化から、まだ半年くらいしか経っていないだろう。隠し通路の先はマッピングだって終わっていないのに、さすがに早すぎないか?」
「酔っ払いの戯言かもね。でも、本当だとしたら……」
「……ああ。チャンスではあるが――」
ブルトは考え込む。
迷宮の封鎖期間は定まっていない。『古楽の迷宮』における過去の事例でも、最短で三日程度、最長で一ヶ月程度と日数に幅はあるが、おおむね一週間前後とは言われる。
「シィズ。ウェスティの復帰は間に合うと思うか?」
「日程と本人次第でしょ。傷口は完全に塞がっているから、課題は体力の回復と……あと、何日か寝たきりになる反動で筋力も落ちるはずだし、血もだいぶ失っているから……十日後くらいなら、いつも通りに戻ってるかしら?」
「あ、あの、無理はしない方針で――」
ウェスティはハズキを庇って魔物に斬られた。庇われたハズキの反応としてこれは自然だし、もちろん無理をさせる気はないのだが、おそらくウェスティ自身がじっとしていられない。
彼は基本的にお祭り騒ぎも儲け話も大好きであり、「構造変化した直後の迷宮」を前にして寝ていられる性分ではない。そもそもブルトとシィズを冒険者の道に誘ったのもウェスティである。「一攫千金」という言葉に弱いのだ。
そして、ハズキの「楽器」を入手する上でも、これは滅多にない好機となる。
初日は冒険者が殺到するため、侵入順を決める抽選も行われる。地図製作の実績を持つケーナインズには少しばかりの優遇措置もあり、この機会を捨てるのはあまりに惜しい。
「ウェスティの復帰が間に合わない場合には……他のパーティーと連携させてもらって、踏み込むことも検討しよう。構造変化の直後は稼ぎ時だし、浅い階層でも楽器が手に入る可能性が高い」
ハズキが欲しがっている楽器は「バイオリン」である。また、笛も多少は使える。
苦手な楽器が手に入った場合も、売って資金に変えるか、あるいは「他のパーティーや商人との交換」という手段が使えるため、無駄にはならない。
ブルトはゆっくりと立ち上がった。
「じゃ、俺はギルドに顔を出してくる。迷宮が封鎖されたとなると、しばらくはその他の依頼の奪い合いだ。どうせろくなのがないとは思うが、一応、早いもの勝ちだからな」
もっとも、他のパーティーの面々は、今日あたりは祝杯で酒場に入り浸るはずである。ブルトのように真面目で計画性のある人間は、そもそもあまり冒険者などにならない。実際、ウェスティからの誘いがなければ、ブルトがこの道を選択することはなかったと思う。
(隊商の警備、商人の護衛、魔獣退治……そのあたりで当面の生活費を稼いだ後は、どこかで農業でもするつもりだったんだがなぁ……)
ネルク王国へ辿り着いて最初に驚いたのは、土が豊かで水が豊富なことだった。
ロゴール王国も、悲観するほど土地が痩せていたわけではなかったが、ネルク王国は「質の良い土」が本当にどこにでもある。
その代わり、鉱山に乏しいという弱点もあるが――鉱物は、金にはなってもそのままは食えない。ブルトとしては、食料を確保しやすい環境のほうが断然嬉しい。
が、冒険者稼業も始めてみれば存外にやり甲斐があり、贅沢はできないにしても、能力さえあればそれなりの収入は確保できる。
そもそもブルト達のパーティーには貴重な『魔導師』がいるため、他のパーティーよりもかなり有利な立場にある。
……逆にいえば、魔導師シィズ個人に関しては、冒険者など辞めて魔導師としての職を探したほうが、もっと楽ができるはずなのだが――彼女は付き合いが良い。
やがてブルトは、領都の中心近くに建つ冒険者ギルドへ到着する。
煉瓦造りの三階建て、一見すると商館のようだが、出入りするのが冒険者ばかりであり、有り体にいえば客層のガラが悪い。もっとも、それなりに目つきの悪いブルトも人のことはいえない。
依頼書の掲示板を眺めていると、複数の足音が階段を降りてきた。
先導するのは冒険者ギルドの支部長、後に続くのは――
「いやぁ、まさかあのバイオラ、チエラを、アイシャ様が倒してくださったとは……試練の間の仕組みについては注意喚起を行っているのですが、新米のパーティーが、恐慌をきたして逃げ出したらしいと報告を受けまして……討伐依頼をだそうとした矢先に、今朝、迷宮が構造変化の準備に入ってしまったので、どうしたものかと検討していたのです」
「お役に立ててなによりです。構造変化後も同じような場所に居残る魔物もいますし、ダンジョン開放直後に地下一階でバイオラと遭遇なんて、あまりに危険ですからね。で、そのやらかした新米パーティーに対しては……」
「はい。再講習と、一年間は迷宮への進入禁止措置が課されます。まぁ……よほど恐ろしかったようで、このまま辞めてしまうかもしれませんが……何分にも、向き不向きの大きい稼業ですからな」
「そうですね。命あっての物種です」
宮廷魔導師の弟子筆頭、アイシャ・アクエリアは、澄ました顔で愛想よく応じている。迷宮内で見た時と比べて明らかに猫をかぶっており、支部長も相好を崩していた。
しかし、そんなアイシャにブルトが抱いた印象は、「アレは猛獣」というものである。
誤解を恐れずに吐露すれば、ミニスカートから覗く太腿が魔導師の太さではない。
もちろん色香がどうこうといった話ではなく、筋肉の付き方が「戦士として」理想的であり、アレは「ダッシュからの一撃必殺」を得意とする戦士や剣士、もしくは拳闘士の体型だった。少なくとも「世間一般の魔導師」とは、戦闘スタイルからして違うはずである。
ブルトは慌てて視線を掲示板に戻し、その場で硬直した。
彼女達の存在については、知らないふりをする――そういう約束で助けてもらった。間違っても声などをかけるわけにはいかない。
しかし、こういう時に限って――第三者が余計なことをする。
アイシャ達を連れて二階の応接室から降りてきた支部長は、ブルトに駆け寄ってきた。
「おう、ブルト! ちょうどいいところにいた。アイシャ様、こちら、『ケーナインズ』リーダーのブルトといいます」
紹介しなくていい。
そんな心の声が支部長に届くはずもなく、ブルトは背に冷や汗をかく。
「お前ら、よくダンジョンで『黒帽子』を採取してくるよな? あれ、どこの店に卸してるんだ?」
黒帽子とは、ダンジョンの奥でたまに取れる高級キノコである。
名前の通り黒くて丸く、大きいものは「頭」ほどの大きさにもなるため、帽子などと呼ばれる。が、そこまで巨大化すると中身がスカスカになる上、風味もなくなってしまうため、食用には適さない。拳大より少し小さめの物が至高とされる。
生態には謎が多く、単なる地下洞窟などには発生しないため、迷宮限定の高級食材、あるいは薬の材料としても高値で取引されていた。
ブルトのパーティーでは、神官のハズキが妙にこれと相性が良く、「あっちのほうにありそうな気がします」と言われて行ってみれば本当にある、といった日々が常態化していた。
「く、黒帽子キノコか……? ええと、卸し先は複数あるが、高値で買ってくれるのは……」
アイシャの後ろに控えていた巨漢が、笑って首を横に振った。
「ああ、いやいや。すまん、取引先を横取りする気はないんだ。黒帽子の『調理法』とか『保管法』とか、そういう一般常識を教えてくれる料理人に心当たりがないかな、と……やはりこういうのは、現場で扱う料理人に聞くのが一番だしな。しかし、素人がいきなり押しかけるわけにもいかんから、そういう知り合いがいたらぜひ紹介して欲しい。多少の報酬は出そう」
……どうやら、気が変わって口封じに殺されるわけではないらしい。そもそも声をかけてきたのは支部長である。もしかしたらアイシャ達は、迷宮で偶然助けただけのブルトの顔など、そもそも憶えて――
微笑を湛えるアイシャの眼が、猛獣の光を放っていた。
――あ、詰んでる。
「この依頼は断れない試練なのだ」と、ブルトが諦めるまでにかかった時間は、ほんの一秒にも満たなかった。




