11・猫の行水
さて、お屋敷の料理人、ヘイゼルさんとロミナさんは、そこそこいいお年のご夫婦だった。
離れに住み込みで働いており、息子さんは別の町で料理人をやっていて、娘さん二人は商家に嫁ぎ、既に孫もいるとか。
幸いにも猫派であり、喋る俺を珍しがって、とても友好的に接していただいた。
なんというか、雰囲気が「貴族の家の料理人」というより「田舎のお爺ちゃん、お婆ちゃん」である。
まずは美味しいスープのお礼を言って、それからこの世界での調味料や食材について、貴重なお話をうかがった。
まず、塩は庶民も日常的に使っている。何はなくともまずは塩! ということで、塩さえあれば料理は割とどうにかなる、という認識らしい。海に面した領地ではこれが大きな収益源となっており、輸出も盛んだとか。
生憎とリーデルハイン子爵領は内陸の領地であり、海がないために塩は輸入頼りである。
砂糖は……ない。
マジかよ。ブッシュ・ド・ノエルとか完全にオーパーツだったのか……
麦芽糖、いわゆる水飴はあるのだが、基本的にはお菓子用であり、日々の料理に使うには勿体ないとか。
ちょっとびっくりしたのは、「あまづら」があるとのこと。
蔦の樹液から採取する甘味料だっけ? 具体的に何の植物だったのかはよく知らんけど、古文の授業とかで出てきた気がする。
翻訳で近い表現になっているだけで、厳密には別物なのだろうが、とりあえず「蔦からとった樹液を煮詰めてシロップにする」という点では近いものだと思われる。
これは山持ちの貴族様なら、手間はかかるけど容易に入手可能らしい。ただしあくまで少量。
いや、原料は簡単に採取できても、煮詰める過程でどうしても少量になってしまうのだ、こういうものは。
したがって市場などにはあまり出回らない。
そして、「蜂蜜」。
これが大問題で、蜂蜜自体は存在するのだが、「毒」が混ざっており、飢饉などよほどの困窮時でもなければ人間は口にしないとのこと。要するに「死を覚悟して食う」レベルのものだ。
聞けばこちらの世界の蜜蜂は結構な毒を持っており、集めた蜜に自らの毒を混ぜてしまう習性があるとか。
それらの毒は蜂には無害だが、人には……ということで、こちらもなかなか難しい。領地によっては法律で採取が禁止されているとのこと。
そりゃ、いくら甘くておいしいからといって毒物を市場に流されては大問題である。
というわけで、甘味の代表格はなんといっても果物!
それから果物の果肉と果汁を利用したジャム。砂糖がないので麦芽糖で作っており、これらはちょっと高級品のようだが、庶民でもお祝いの時とかに買える程度には流通している。
話を聞きながら唸ってしまった。
たぶんこの地域一帯には、サトウキビがない。甜菜はわからんが、とりあえず砂糖の製造法が確立されていない。
実はルークさん、サトウキビをそのままかじったことがあるので、もしかしたら再現はできるかもしれない。
が……サトウキビの量産は、さすがにちょっと影響でかすぎる気がする……
悔しいが、砂糖の魔力はトマト様のそれを上回りかねない。アレは一種の戦略物資的なモノであり、扱いを間違えるとガチで戦争が起きる。
そもそも砂糖が世界に広がった背景には、植民地での過酷な奴隷労働があったりと、あの界隈には甘くない話がてんこもりなのだ。
しかも熱帯、亜熱帯の植物であるため、このあたりでの栽培は難しいと思われる。
甜菜糖ならいけそうだが……
よし! (今はまだ)やめとこう!
後ろ向きに決断したところで、別の作物の話題に移る。
……胡椒もなかった。輸入云々どころか、存在を知られていない。
いや、胡椒は欲しい……胡椒はほしいよ、塩と胡椒は味付けの救世主やん……
酢……というか、ワインビネガーは普通にある。ただし使用量はあまり多くないようだ。
マヨネーズもある。作り置きはしておらず、使うたびに卵・酢・油を調合している……とゆーか、ワインビネガーの主な用途がマヨネーズ作成らしい。
トマト様がない世界であるからして、ケチャップはもちろんない。
唐辛子はあるのだがこちらも使用量はあまり多くなく、他の香辛料系がほとんどないため、ウスターソースなどもない。
とにかく「まず塩が第一!」というポジション。
あとは俺の知らない調味料がいくつかあり、こちらについては今後、色々と教えてもらおう。
というわけで概ね予想通りだったわけだが、逆に驚きもあった。
「これは知っているかなぁ……塩漬けにした大豆を発酵させた、ショーユソースだ」
料理人のお爺ちゃんが差し出したのは、壺に満たされた懐かしき香りの黒い液体――
醤油あるやん!?
コピーキャットでいくらでも再現可能とはいえ、これは嬉しい驚きである。
俺以外にも向こうから来た人がいるっぽかったし、ちょっとした希望は持っていたのだが、まさかそのまんまの醤油が出てくるとは思わなかった。
こちらでは野菜や肉を焼いたり炒めたりする時に使うらしい。生魚は食べないようなので、刺し身につけるという習慣はないようだが、味もちゃんとした醤油だった。
「これは俺の国にもあったもので、大好物です! 味噌はないんですか?」
味噌もあった。けど、なんでも匂いの強い下々の調味料という扱いらしく、お貴族様はあまり食べないらしい。健康食なのに勿体ない!
醤油もどちらかというと一般向けの調味料というイメージで、お貴族様の食卓にはあまり並ばないそうな。この二つはもっぱら、使用人の皆様の賄いに使っているという。
俺もこっち食べたい……
改めて考察するに。
マヨネーズや醤油については、俺の前にやってきた(猫の姿ではない)異世界人によって製法がもたらされた可能性が高い。ネーミングまで同じなのはさすがに偶然ではなかろう。
しかし、その人らは「コピーキャット」の能力なんて持っておらず、トマト様がなかったためケチャップは作れず、胡椒なども作れなかった。サトウキビも同様である。
――俺、猫の姿ではあるが、能力的にはかなりめちゃくちゃな優遇をされているのでは……? 超越者さん、調整間違えてない? 大丈夫? 実装ミスで後から能力没収とか勘弁っスよ?
とはいえ、その能力に見合うような大それた真似をする気はあんまない。これから始まるトマト様の覇道を見守りたい思いはあるが、“獣の王”とかはさすがに持ち腐れになりそう。
そんな感じで料理人ご夫妻からいろいろ楽しいお話をうかがっていたら、食後のクラリス様がお迎えにきてくれた。
「サーシャ、お湯をわかして」
「はい、ただいま」
何をするのかと思ったら、お風呂がないから行水をするらしい。
さすがに覗くわけにはいかないので、どっか行こうとしたら捕まった。
「私は後で。まずルークを洗うから」
俺用のお湯でしたか。
そんなことでサーシャさんやクラリス様のお手を煩わせるのは恐縮だったので、俺はぶんぶんと首を振った。
「適当な大きさのたらいと水をいただければ、自分でお湯にできます。体も自分で洗えますので、体を拭くためのタオルか手ぬぐいだけ、お借りできればと!」
「え? でも……その背丈では、竈は使えないでしょう」
「竈は使わないです。水さえあれば、魔法?っぽい力でお湯にできます」
さっきはただの水を熱い紅茶に変化させられた。水をお湯に変える程度はわけないだろう。
サーシャさん達は眼を丸くしていたが、クラリス様は納得して、庭先にたらいと水を用意してくれた。
おふろおふろ。ルークさんおふろすき。
幸い猫なので、たらいを湯船代わりにして全身浸かることができる。
猫は概ね風呂嫌いらしいが、こちとら生粋の元日本人、一日の疲れは風呂で溶かすものと弁えている。
ただし猫の体はあまり汗腺が発達していないため、熱いお湯は苦手だ。
そのあたりはぬかりなくぬるめにしておき、クラリス様や使用人の方々が見守る前で、ざんぶと一っ風呂!
浅くて大きめのたらいだったため、手足を伸ばしてだらんと身を横たえる。
ふぃー……生き返るぅー……
露天である。
見上げれば満天の星々。
夜風も心地良い……
思えば遠くへ来たもんだ……
あまりの心地よさに目を細め、つい無意識にゴロゴロと喉を鳴らしてしまった。
「…………あ。割と長風呂なので、放置しておいてください。上がったら、たらいは片付けておきます」
「…………なんかおもしろいから、このまま見てる」
クラリス様は近くにしゃがみこんでしまった。
サーシャさんもそんなお嬢様を一人にはできず……というか、こちらも俺をじっと観察している。
そんなに珍しいか、猫の風呂。
シャンプーとかせっけんは食べたことなかったので「コピーキャット」でも錬成できないが、お湯に浸かるだけでもだいぶさっぱりした。
「石鹸……使いますか?」
とは聞かれたが、なんか毛先がゴワゴワになりそうな気がしたから丁重に辞退した。ていうか人間様用の石鹸をペットごときに使わせるのはマズいのではないか。
あと「汚れたお湯」を「きれいなお湯」に変化させるとゆーステキな小技までも使える俺には、あんまり必要ない。
たらいの中でちゃぷちゃぷと優雅なお風呂タイムを楽しんだ後、湯上がりの俺はクラリス様達から離れて、「ぶるるるるっ!」と全身を震わせた。
なかなかの勢いで水しぶきが周囲に飛び散り、ほぼ水気の切れた体を、用意してもらった手ぬぐいでのんびりと拭いていく。
「いいお湯でしたー。ありがとうございました!」
丁寧にお礼を言う湯上がりの猫一匹。
サーシャさんは何か言いたげだったが、ぐっと言葉を飲み込み、たらいをしまってくれた。
自分で片付けるとは言ったが、重いものや大きいものを運ぶのはやはりちょっと苦手である。怠け者だからではない。人間だって浴槽を抱えるのはなかなか大変であろうし、今の俺は腕(前足)も短く指は肉球である。
たらいの場合はどうにか転がして運べそうだが、人間様にお任せできればそのほうがありがたい。
そしてクラリス様が、何やら思案げに可愛いおててを顎へ添えた。
「…………ねぇ、ルーク。そんな簡単にお湯を沸かせるなら……もしかして、大きな入れ物を用意すれば、私でもルークみたいにお湯につかれる?」
さすがはクラリス様。なかなか良いところにお気づきだ。
お風呂を沸かすというのは本来、大変な労力を伴う。
ただ湯船があればいいというものではなく、大量の水と燃料を効率的に活用し、ちょうどいい温度を保たねばならない。口で言うのは容易いが、天然の温泉でも湧いていればともかく、水道もガスもない世界でこれを実現するのはかなりめんどくさい。
が。
一番厄介な「温度管理」が一切必要ないなら、話は別だ。
水を貯めるだけでお風呂完成! となれば、困難度はぐぐぐっと下がる。
おまけにコピーキャットによる浄水機能つき。うん、もしも路頭に迷ったら銭湯を開こう。きっと大儲けできる!
「水を貯める場所さえあれば、どこでもお風呂にできると思います。クラリス様には心当たりがお有りですか?」
クラリス様が小さく頷いた。
「棺桶」
「却下です」
縁起でもねぇ! しかし発想自体はさほど間違ってない。クラリス様かしこい。
「ライゼー様にお願いして、ちゃんとした湯船を作ってもらいましょう。簡単なものなら、さほど手間ではないと思います」
要は水の漏れない大きな箱であればいい。今回は特殊な機構も必要ない。一応、水を抜くための栓をつけたり、あとは簡単な排水路も整備したいところだが、そのあたりは別途相談だろうか。
ヒノキ風呂とかは……憧れるけど、メンテも大変そうだしさすがに無理だろーな。
耐久性のある木材の調達が難しいようなら、レンガや石を使うという手もある。FRPの防水塗装とかはあるわけないが、魔法を使った特殊な防水処理ならあるかもしれない。
何はともあれ、こっちのことはこっちの技術にまず相談だ。
それと一応、設置場所の目星もつけておこう。
クラリス様が使用するとなれば露天というわけにはいかないし、周囲からも見られないようにしないと。これもライゼー様に相談である。
なんだか微妙にやりたいことが増えてきた気がするが、やはり定住地があるというのは素晴らしい。山中を彷徨っていた昨夜までとは雲泥の差だ。
ほかほかふわふわになった俺は、再びクラリス様に抱えられ、今日から我が家となるお屋敷へ運ばれていった。




