106・迷宮の管理者
「ところで、カブソンさんとビーラダー様ってどういうご関係だったのですか?」
リルフィ様が振る猫じゃらしにバタバタとじゃれつきながら、俺は質問を紡いだ。
……ちゃうねん。
わざとではない。本能的に、こう……抗えぬのだ。
猫じゃらしを「スンッ……」と無視できる猫さんも前世には多かったが、俺はまだ猫として未熟であり、本能に抵抗する術を知らぬ。
テレビのクイズ番組に反応して、つい脳内で答えを考えてしまうような……そんな感じで自然に、ほぼ無意識にじゃれついてしまう。
無力な俺を見下ろすカブソンさんは、この奇行をまったく気にしていないようで、そのまま普通に答えてくださった。「猫だからしゃーない」とご理解いただけてそう。
『私はかつて、一介の幼いカワウソでした。しかし、悪辣な猟師の仕掛けた非道な罠にかかり、衰弱していたところを――ダンジョン製作の旅をしていたビーラダー様に助けていただき、そのまま同行を許されたのです。そして天寿を全うした後は、精霊となってお手伝いを続け、現在は瘴気浄化システ厶の管理者としてここにおります』
……もとからカワウソ……か。『どうぶつずかん』のほうに載っていたのは、やはりそういう事情であった。
そんなんカワイイに決まってるじゃないですか……しかも精霊になってまで飼い主に忠義を尽くすとか、まさにペットの鑑……!
カブソンさんは、俺ごとき新米ペット風情が対抗心を抱いて良い相手ではなかった。
むしろ彼は師。ペット道の師……!
しかしこうなると、アラヤさんの正体がちょっと気になる。
「えーと。さっきのアラヤさんもカワウソだったんですか?」
『いえ、彼女は元冒険者ですな。ダンジョンで命を落としたものの、心正しきゆえにそのまま魂を救われ、精霊化したのです』
なるほど。あちらは元人間か……まぁ、精霊さんにしてはちょっと……庶民的な感じだったしな……?
というか、アラヤさんはカブソンさんというカワウソな上司がいるのに、猫が喋っただけであんなに動揺していたの? 大丈夫? SAN値低すぎない?
そしてSAN値といえば、さっきのホラーな魔物達……
瘴気からの産物という話であったが、あれはあれでやっぱり気になる。
あの二体は、『どうぶつずかん』にも『じんぶつずかん』にも載っていなかったのだ。すなわちステータスを見ることが出来ぬ。ヨルダ様が圧勝していたから、おそらく武力はB程度だと思うのだが――
『ルーク様は、他にも何か気になっていることが多そうですな?』
「はい、あの……さっき我々が戦ったバイオラ、チエラも、瘴気から生まれた魔物というお話でしたが、どうしてあんな厄介な姿なのかな、と。腕がいっぱいある時点で強いですし、もうちょっと弱そーな姿にはできなかったのかなー、とか?」
『魔物の姿に関しては、ビーラダー様も戸惑っておられましたな。濃い瘴気が土塊などに宿った際、自然とああいった姿になってしまうのです。多くの魔物は、この世界における神話、民話、伝承などに出てくる魔物と似たような形状となります。理由は推測の域を出ませんが……ビーラダー様は、この星に住む人々の悪夢や恐怖、畏怖の念などが影響しているのではないかと仰っていました』
ふむ?
とゆーことは……あのバイオラさんとかチエラさんが登場する民話があるとゆー話?
疑問に思って我が師・リルフィ様を見上げると、か細い声で。
「……バイオラは、悪魔が宿った呪いのバイオリンを象徴する魔物ですね……チエラはそこから派生した類似の民話で……どちらも、音楽家にまつわる類型的な怪談です……」
「バイオリンがうまくなりたかった演奏者が、悪魔と契約して、代償として腕を取られちゃうお話。チェロのほうは、腕を取られなかった代わりに、頭が牛になっちゃうの」
クラリス様もご存知だった様子。
んー……デマから生まれた都市伝説的なモノか? いや、この場合はむしろ作者不詳の創作怪談か。
カブソンさんが深く頷いた。
『ダンジョンごとに、あるいは地域ごとに、出てくる魔物の形状は大きく変わります。傾向として、海の近くでは蟹やウニなどの水生生物を模したものが多かったり、山奥では熊や狼などの獣型が多くなるようですな。古楽の迷宮の場合は、「楽器」にまつわる魔物が目立ちますが……あれはおそらく、最寄りの都市・オルケストからの影響でしょう。裏を返せば――瘴気とは、近隣に住む人々の恐怖や無意識を糧にして、その姿を変えるもの……と、言えるかもしれません。しかし、このあたりはまだまだ推測ばかりで、確たることは我々にもわからぬのです』
メモをとりながら、アイシャさんが唸る。
「……私は、逆だと思っていました。ダンジョンに出る魔物が、近隣の人々の話のネタになっているものだとばかり――」
『相乗効果もあるでしょう。ダンジョンから戻った冒険者が魔物の恐怖を語ることで、人々の意識により深く根付くといった流れです。いつだったか、おもしろい実験をした魔族がいました。自ら物語を書いて、創作した魔物の存在を流布し――ダンジョンにそれが現れるか否かを検証したのです。出現までに五十年ほどかかったようですが、出てきましたよ。それがバイオラから派生した「チエラ」ですな』
牛頭のほうはそういう由来か! すでに検証済の話だったとは……
『各地の迷宮は、亜神ビーラダー様が作り上げた瘴気の浄化システムです。しかし、クラムクラムと瘴気の関係は謎が多く、ビーラダー様自身もその仕組みを完全には把握できておりませんでした。たとえるならば、「太陽が眩しいから、とりあえず日傘を差した」「でも、太陽がどうして眩しいのかはよくわからない」――そんな具合の、当座の苦肉の策であると、御本人は仰っていましたな』
ひらたん……きっといろいろ、苦労して頑張ったんだろうな……
それまで無言で俺をモフモフしていたリルフィ様が、ふと、何か難しそうなお顔で問いを発した。
「……あの……もしかして、『ドラウダ山地』にも、未発見のダンジョンがあったりしませんか……?」
ドラウダ山地。
それはリーデルハイン領に隣接する、広大な未開拓の山地である。転生直後、俺が放り出された場所だ。
落星熊なる凶暴な魔獣が出没するため、道すら作ることができず、農地開拓などもってのほか。そもそもライゼー様の領地ではなく、単なる国有地である。
広大でありながら危険すぎて村や街を作ることもできないため、貴族の領地にするにはいささか不向きな土地であり、むしろ「開拓できたらご褒美に加増!」みたいなところ。
過去には実際、どこかのお貴族様が開拓を志して兵を出したこともあったらしいが、魔獣に返り討ちにされてしまった。
その家は兵を失った挙げ句、その直後に起きたレッドワンド将国からの侵攻にも出兵できず、面目を失ってお取り潰し――逆に戦功をたてたリーデルハイン家(当時は男爵)が、陞爵して領地を得たという流れである。
そんな流れがあったものだから、リーデルハイン家の家訓としても「ドラウダ山地には手出しをしない」という方針であるらしい。
カブソンさんは、空中に地図の映像を広げた。
『ドラウダ山地……ああ、手つかずのダンジョンが一つありますな。挑戦者は0、人跡未踏の地です。古楽の迷宮をはじめ、周辺諸国のダンジョンがまともに機能しておりますので、瘴気の影響も限定的ではありますが……それでも瘴気が漏れているのは事実ですので、近隣の魔物はよその地方よりも厄介でしょう』
……あるのか。そうか……
……えっ? まさか落星熊さんにご挨拶しにいく流れ……? いや、行かないよ? 念のために位置ぐらいは把握しておきたいが、それはむしろ「間違って近寄らないよーに」という……いかん。ヨルダ様の眼がちょっとだけ底光りしておられる……
これは闘争心ではなく警戒心であろう。リーデルハイン騎士団団長のヨルダ様は、領地の防衛を自らの責務とされている。ダンジョンの役割を知った今、こんな話題に無関心でいられるはずもない。
あとまぁ……ドラウダ山地は国有地であり、リーデルハイン領の外側ではあるのだが、ここにダンジョンがあって「さて、最寄りの町は?」となった時。
今まで「田舎の僻地」だったリーデルハイン領は、「ダンジョンへの中継拠点」、位置によっては「最寄りの町」になる可能性が出てくる。そうなると領内の経済にも影響してくるだろうし、ぶっちゃけ一子爵家の手には余る事態だ。
なにせネルク王国内で確認されているダンジョンは「古楽の迷宮」だけ。「2つ目発見!」となれば、冒険者達も貴族達も放置はできまい。
クラリス様が思案しながら、リルフィ様の横顔を見上げた。
「……リル姉様。どうして、ドラウダ山地にダンジョンがあるかもって思ったの?」
俺の懸念とは少し視点がちがっていた。我が主は目の付け所が鋭い。
リルフィ様はいつものように少し辿々しく、しかし耳に心地よい囁くような声でこれに応じる。
「……落星熊をはじめ、他の土地より強い魔獣がいることと……もう一つ、過去に起きた『ペトラ熱』の流行です。ペトラ熱は、記録によれば……数百年前には、もっと発生頻度の高い疫病のはずでした……でも、ここ二百年前後で各地の発生例が減り……それでもいくつかの地域では、まるで風土病のようにたまに発生するという状況だったので――カブソン様。もしや、あのペトラ熱もまた……瘴気からもたらされる疫病なのではありませんか……?」
カブソンさんはしばらく思案顔。
『……私は研究者ではありませんので、申し訳ないのですが、確たることはわかりません……しかし、可能性としては充分に有り得る話です。単純に瘴気を浴びただけでは、一時的な体調不良程度ならいざしらず、致死性の病にまで至ることはまずありえません。しかしその一方で、たとえば瘴気の影響を受けたなんらかの魔獣から、疫病の元となる菌が大量に放出され、それが人を介して広がるといった事故は起き得るでしょう。魔獣の死骸によって土や水が汚染されたケースも、過去には確かにありました』
……それもまた、人類が定期的に数を減らしてきた理由の一つか。
カブソンさんは続けてまぶたを伏せる。
『ペトラ熱という疫病の発生頻度が、ビーラダー様のダンジョン稼働に伴って世界の各地で減り……その上で、ダンジョンが未発見の地域においては今も時折発生しているというのなら、瘴気との関連性を疑うのは自然な流れです。実際にどうなのか、検証するのはなかなか難しい話ではありますが……』
俺をモフるリルフィ様の手が止まっている。
その美しい双眸からは光が喪われ――思考はおそらく、過去に亡くなったご両親や友人達に向いているのだろう。
十数年前、リーデルハイン領を襲った『ペトラ熱』の悲劇。
ライゼー様もこの時に親族のほとんどを亡くし、養子に出されていた商家から呼び戻され、子爵家を継ぐ流れとなった。
そして貴重な魔導師としての才を持っていたリルフィ様は、隔離・保護されて幼少期を過ごし、その影響で今も人見知りが激しい。
かの疫病の原因が、もしもダンジョンから漏れる瘴気にあるのだとしたら。
そして迷宮の継続的な攻略が、クラリス様をはじめ、リーデルハイン領に住む皆々様の健康に寄与できるのだとしたら。
――『医者いらず』の称号を持つトマト様、その忠実なる下僕である俺も、一肌……いや、一毛皮脱ぐ必要があるやもしれぬ。
ルークさんは紛うことなきチキンであるが、チキンであるがゆえに、飼い主とご家族を疫病で失うなどという事態にはとうてい耐えられそうにない。
ダンジョンを攻略し、周辺環境を整えることでその危険性を少しでも減らせるならば、迷う必要はなかろう。
「――カブソンさん、ドラウダ山地にあるダンジョンの、正確な位置を教えていただけますか?」
『はい。目印などがないので、少々わかりにくいかと思いますが……このあたりですな。入り口は地下へと続く石造りの階段ですが、場所が場所ですので、周辺は木々に覆われているはずです』
地図に示された地点は、リーデルハイン領から、おそらく徒歩で二、三日の距離であろうか。
ただし道がないため、ウインドキャットさんで空から探すか、サーチキャットさんにがっつり捜索してもらう必要がありそう。
アイシャさんも、手元の魔光鏡に表示させたネルク王国の地図へ、その位置情報を書き込んでいた。ルートさえ開拓できれば、国の支援も期待できそうである。
その地図を何度も確認しながら、アイシャさんがぽつり。
「……お師匠様の隠居先、いよいよ固まってきそうですね……新たなダンジョン発見となると、私も調査の戦力として出向させてもらえそうですし……ルーク様、もちろんお手伝いしますからね!」
……心強いけど、お目々が$なんですよね……
まぁ、ダンジョンは国家的財産である。また攻略によってドラウダ山地に棲息する魔獣から凶暴性が薄れれば、道や町も作れるかもしれないし、あらたな交易路すらできるかもしれない。そうなればトマト様の輸出にも好影響を及ぼしてくれると信じよう。
とはいえ、あくまで第一の目的は「貿易」ではなく「防疫」。
過去のつらい記憶のせいで落ち込んでしまったリルフィ様を元気づけようと、俺はそっと紅茶風味のマカロンを差し出した。
トマト様じゃないんかい、と突っ込まれそうだが、トマト様は日々のお食事でご提供しているため、こういうタイミングではあんまり特別感が……うん。やはり気分転換にはスイーツである。
リルフィ様が不思議そうに首を傾げた。
「ルークさん……?」
「リルフィ様、大丈夫です。この件は、このルークめにお任せください! 世のペットに恥じぬ働きをお約束いたします!」
肉球を掲げて宣言する俺を見て、クラリス様とサーシャさんがなんとも微妙な顔をされていた。
「……クラリス様。いつも思うのですが、ルーク様の世間一般のペットに対する感覚って、ちょっとおかしくないですか……?」
「……神様の世界ではペットもみんな神獣だろうし、あれが普通なのかも」
……だいぶ誤解されてそうだが、そもそもルークさんにはペットとしての経験値が圧倒的に不足しているため、すべてのペットは我が師も同然である。
たとえば寝姿一つとっても、俺にはペットとしての自覚が足りぬ。丸まって寝ついたはずが、夜中にへそ天でボリボリと腹を掻きながら「……トマト様100グラムに含まれるβカロテンは……とうもろこし1キロ分……」みたいな寝言を漏らしていると我が主から聞かされた時、思わず「そのとうもろこしは芯を含むのか否か?」と真顔で考え込んでしまった。
ちなみにβカロテンの総量ではカボチャやにんじんのほうが圧倒的に格上なので、トマト様には申し訳ないが、やはり日々のメニューはバランスを重視すべきである。人はトマト様のみにて生くるものにあらず。そしてたぶん世のペットはこんな寝言を言わない。反省。
「ではカブソンさん、我々はそろそろ、精霊の祭壇に向かいます。元の場所に戻していただけますか?」
『ああ、いえ、祭壇まで直接、私がご案内いたしましょう。どうせ試練の間を抜けてすぐの場所ですが、その――また魔力測定器が壊れてしまうと、修理が無駄になってしまうので……』
さーせん!
……ルーレット台は現在、アラヤさんが鋭意修理中のはずである……
ロレンス様がわずかに首を傾げた。
「良いのですか? 試練を経た者のみが、迷宮の奥へ進む資格を得られるものと聞いていたのですが……」
『いえ、特に資格などは必要ないのですよ。あの試練というのは、未熟な冒険者が、力が足りぬままにうっかり深層へ入り込み、無為に命を散らすことがないよう、安全のために設けたものです。あの程度の試練を越えられぬようでは、深層の魔物には太刀打ちできませんので』
え。
いやでも、試練の内容が……魔物が出てくるヤツはともかく、なんかカラオケとか模型作りとか変な出目もあると聞きましたけど?
「あのー。でも、戦闘力とは関係ない試練もけっこうあるんですよね……?」
『それは戦闘目的でなく、別の理由で深層へ行く必要がある方々への救済措置ですな。ただし複数回の試練で、戦闘系の試練を一切引かないというのは、とんでもなく低い確率です。また、いくつかの試練においては、試練での製作物を他のダンジョンでの報奨品に回すこともあります。歌や演奏は勤務している下位精霊達への慰安目的という面もありますし、優れた演奏は録音して、迷宮内で流したり……いずれにしても、ビーラダー様の深慮の賜物といえるでしょう』
……この世界では『遊び心』のことを『深慮』と言うらしい……あるいは翻訳の不具合だろうか。
俺のジト目とビミョーな反応に、カブソンさんは苦笑い。
『試練については、挑戦する冒険者のモチベーションの管理など、心理面も踏まえた様々な事情もありまして……ただ一つ言えることは、一度や二度の失敗で諦めず、何度も挑戦することを是としている仕組みです。今回は運がなかった、次回こそはきっと――そんな割り切りと熱意と試行錯誤こそが、迷宮の攻略を成し遂げるための重要な資質だと、ビーラダー様は仰っていました。あと……試練の間に置かれた魔力測定器には、今回のように、「亜神」様の来訪を把握できるという利点もあります。私もこうしてルーク様にお会いできたことは幸運でした』
カブソンさんが「よっこらしょ」と畳から立ち上がった。
『精霊の祭壇についても、少しご説明しておきましょう。上位精霊様には、各地のダンジョンの維持管理において、ご協力をお願いしております。人々が酸欠などを起こさぬための空気の管理に加え、落盤や浸水、火災を防ぐ工夫、気温の調整、瘴気の増減の監視――細かな部分は我々の仕事なのですが、精霊の祭壇は、そのための制御室というか、上位精霊の方々との交信の場として機能しておりまして……冒険者の方々にとっては、あわよくば「祝福」などの称号を得られる貴重な場所なのでしょうが、我々にとってはあくまで迷宮の管理に関わる重要な施設です。では、ご案内いたしましょう』
「はい! よろしくお願いします!」
社会科見学よろしく、我々はてちてちと歩く大カワウソさんの後ろにぞろぞろ付き従い、奇妙な和室を後にしたのであった。
いつも応援ありがとうございます!
8/10発売の小説三巻+コミックス一巻の表紙が、一二三書房様のサイトで公開されました。
小説三巻は王都観光中のルークさん御一行、コミックスは赤くて高貴なあの御方(夏野菜)をメインに、たいへんいい感じ(※語彙)な出来栄えとなっています。
発売日までまだちょっと日がありますが、店頭でお見かけの際にはぜひ(ΦωΦ)ノシ
……それはそれとして、猛暑すぎてグダグダな日々……皆様も熱中症にはお気をつけて……




