101・古楽の迷宮・探索
中級冒険者チーム、『ケーナインズ』は、古楽の迷宮・第四層にて、壊滅の危機を迎えていた。
「ブルトさん! シィズ姐さんはもう魔力切れで動けない!」
「わかってる! 死ぬ気で押し返せ、バーニィ! ハズキ、ウェスティの怪我は――」
「駄目です! 血が止まりません! 意識も……!」
五人の冒険者は、迷宮の袋小路に追い詰められていた。
正面には、脱出路を塞ぐ六腕の魔物が二体――
黒いドレスをまとい、バイオリンを演奏しながら、残る四本の腕で細身の剣を操る『バイオラ』。
ずんぐりとした礼装の大男で、巨大なチェロを抱えるように弾きながら、二本の大槌を振り回す『チエラ』。
どちらも六腕以外は、かろうじて人のようなシルエットを保っているが、貴婦人バイオラの頭は女悪魔を象った石像である。大男チエラの頭も同じく石像で、こちらは牛だった。
この二体は、生殖によって増える類の『生物』ではない。
土人形と同じく、ダンジョンの「瘴気」が生み出した怪物であり、いわば実体を持った悪霊といっていい。
石像の首さえはねれば物理攻撃で倒すことも可能だが、痛覚がなく、筋肉や骨も持たないため、体の各部位への攻撃はほとんどダメージにならない。腕などは、たとえ切り落としたところで、しばらくすると再生してしまう。
(くそっ! なんでこんな高位のバケモノが、こんな階に……!)
バイオラが振るう四本の剣をかろうじて盾でしのぎながら、リーダーのブルトは内心で毒づいた。
剣技と呼べるほど洗練された動きではなく、がむしゃらに振り回しているだけであり、なればこそ剣が四本でもどうにかさばける。しかし、反撃をいれるほどの余裕はない。
このバイオラとチエラは、本来ならば「試練」を越えた先の、最下層に現れるはずの魔物だった。
この地下四階も決して浅い階とはいえないが、まだ試練の間を越えていない。こんな階でのバイオラ目撃例はほとんどなく、つまり彼らが調査していた『隠し通路』が、特殊な環境だったのだろう。それこそ深層へ至るショートカットの通路だったのかもしれない。
ケーナインズの一行は、三日前から、未踏区画の地図を作成するため、この古楽の迷宮に潜っていた。
亜神ビーラダーによって世界各地に作られたダンジョンは、不定期に内部構造が変化してしまう。
そのたびに新たな財宝が追加され、採掘・採集の場所が変化し、新たな地図を作成する必要に迫られる。
浅い階層や探索しやすい経路に関しては、ギルドの職員が自ら地図作成を行うが、しかし枝分かれした経路や深い階層に関してはそうもいかない。
結果、地図の作成は、彼らのような中堅冒険者の良い小遣い稼ぎになっているのだが……ごくごく稀に、こうしたトラブルが起きてしまう。
リーダーの戦士ブルト。
妖艶な女魔導師シィズ。
抜け目ない狩人ウェスティ。
熱血漢の剣士バーニィ。
うら若き神官ハズキ。
今日が命日になるのなら、それぞれの享年は三十一歳、二十六歳、二十八歳、二十四歳、十七歳となる。
一番若い神官のハズキは、まだパーティーに加わってたったの二週間足らずで、運が悪いとしかいいようがない。
このハズキを庇って、狩人ウェスティはモンスター・バイオラの斬撃を受けてしまい、重傷を負った。
今は前衛のブルトとバーニィが必死に二体の魔物を足止めしているが、補助に攻撃に防御にと後衛で奮戦していた魔導師シィズの魔力が尽き、血を流しすぎたウェスティが意識を失い、形勢は圧倒的に不利となった。
二体の魔物はバイオリンとチェロの優雅な演奏を続けながら、他の腕を駆使して器用に襲ってくる。
「いぎっ……!?」
モンスター・チエラが振り回した大槌の一撃で、バーニィが大きく弾き飛ばされた。鎧はまだ機能しているが、体力の限界が近い。
バーニィが立つまでの時間を稼ごうと、ブルトは無理をおして二体を同時に相手取る。
盾を押し付けてバイオラを足止めしつつ、チエラの首めがけて刺突を放つが、相手にも自身の弱点を守る程度の知恵はある。
牛頭の大男・チエラは身をかがめてこれをかわすと、下から槌を振り上げた。
これに剣先が当たってしまい、ブルトの腕は大きく弾かれ、無防備に胴をさらす。
バイオラを抑えている盾も今は戻せない。少しでも盾を引けば即座に殺される。
そして彼の目の前に、チエラが持つもう一本の大槌が迫った。
(やられる……っ!)
ブルトが死を直感した刹那――
怪物達の背後から飛びかかってきた『何か』が、チエラの巨体を「どすん!」と力任せに弾き飛ばした。
「フギャーッ!」
まるで喧嘩中の猫のような鳴き声を響かせ、新たな脅威が現れる。
「なんだ、こいつはっ……!?」
それは見たことのない魔獣だった。
全身が岩でできている。大きさは熊のようだが、頭と眼が異様に大きく、四肢は短い。
ずんぐりとした重量感あふれる巨体は、六腕の牛男・チエラをまるでおもちゃのように破壊し、その頭を通路の壁にめり込ませた。
岩の化け物は、次いでその太く短い腕を一閃させ、バイオラの頭を一撃で刎ね飛ばす。
バイオラ側も、剣を使って一応の防御を試みた様子ではあったが、これは熊の一撃を小枝で防ぐのに等しい。力の差があまりに圧倒的すぎる。
「はは……は……」
ブルトは頬を引きつらせ、絶望の笑みを浮かべた。
――この魔物は、自分達があれだけ苦戦していたバイオラとチエラを、ただの一瞬で力任せに葬り去った。
どう策を練ったところで、もはや勝てるわけがない。
背後からも、絶望の気配が伝わってくる。
(……すまん、みんな……先に逝く)
後ろに控えた仲間達を振り返ることなく――
ブルトは盾を構え直した。
目の前に現れた岩の化け物は、次の一撃で、傷ついた盾ごとブルトの身をへし折るだろう。あるいは叩き潰されるかもしれないが、いずれにしても命はない。
化け物はまるで猫のような動きで、ブルト達をぐるりと見回し……
「にゃーん」
……甘えるように鳴いて、豪腕を隠すようにその場へ座り込んだ。
見事な香箱座りである。
ケーナインズの面々は動けない。
リーダーのブルトは呆気にとられて。
魔導師のシィズは魔力切れで苦しそうに。
剣士のバーニィは壁際に座り込んだまま。
神官のハズキは戸惑いを隠せず。
そして、狩人のウェスティは意識不明の重体である。ハズキは神官だが、回復魔法を使えないため、傷口への応急処置しかできていない。
対応に戸惑っていると、通路の奥から駆けてくる複数の足音が響いた。
「……もう終わってるみたいだぞ、アイシャ殿」
「……バイオラとチエラって、ここでは割と上位の魔物なんですけど……まあ、そうですよね……」
気が抜けたようなその会話は、壮年の男と若い娘のものだった。
ブルト達の前まで、二人が駆けてくる。
倒れたウェスティとその周囲の血溜まりを見て、壮年の男が眉をひそめた。
「負傷者がいるのか。深手か?」
「あ、ああ。あんた達は……? あ、いや、その前に……この岩の化け物は、あんた達の仲間なのか……?」
太った猫のような岩の魔獣は、登場時の勢いが嘘だったかのように今はおとなしい。
アイシャと呼ばれていた若い娘が、小さく一礼した。
「私は宮廷魔導師ルーシャンの弟子、アイシャと申します。こちらの岩の猫さんを含めて、他の方々の素性については、どうか詮索なきように。我々とここで会ったことについても他言無用です。その約束さえ守っていただけるなら、皆様を地上まで送り届けます」
ブルトの背後で、魔導師のシィズが息を呑んだ。
「ルーシャン様の弟子の、アイシャ様って……あのアイシャ様ですか!? えっ? どうしてこんなところに……!?」
宮廷魔導師の弟子、アイシャ・アクエリアといえば、若き天才魔導師として世間に名を知られている。
アイシャがにっこりと微笑んだ。目だけは笑っていない。
「詮索は不要と申し上げました。私が名乗ったのは、『どうせ後でバレるから』ですが、他の方々については、本当に何も聞かないでください。あと、これから起きることについても絶対に誰にも言わないでください。約束できます?」
その視線から殺気すら感じ、ブルトは慌てて頷いた。
「す、する! します! 約束させていただきます!」
アイシャの隣で、巨漢が苦笑いを見せる。
「アイシャ殿、脅しすぎでは?」
「冒険者って時点で油断できないんです。とりあえず怪我人の様子を――あっ……」
狩人ウェスティの姿を見て、アイシャも悟ったらしい。
バイオラに斬りつけられた彼の傷は深い。担架などを用意して慎重に運んだとしても、地上までは絶対にもたないだろう。すでに意識はなく、回復魔法を使える者もこの場には――
「あっ……アイシャ様! アイシャ様なら、もしや回復魔法を!?」
魔導師のシィズが声をあげた。
アイシャはすっと視線を脇に逸らす。
「……あー……すみません。私、神聖系の適性がなくてですね……うーん……えーと……はい。ごめんなさい」
「にゃーう」
不意に猫の鳴き声が聞こえた。
近くで香箱座りをした岩の猫ではない。アイシャの同行者の巨漢、その背中側――背に負ったデイパックの中から、一匹のキジトラ猫が顔を出していた。
妙に愛嬌のある顔立ちをしているが、いたって普通の猫である。少々、太り気味ではあるかもしれない。
アイシャがしばし考え込む様子を見せた。
「……………………はい。わかりました。まぁ、リルフィ様にはちょうどいい実践練習になりそうですが……」
それは独り言のようだったが、あるいは眼には見えない精霊とでも話をしていたのかもしれない。
「……えー。それでは皆さんには、ちょっとの間、眠っていただきます。全員、無事に迷宮の入り口までちゃんと運びますので、今は抵抗せずに寝ちゃってくださいね」
アイシャの手元から、黒い霧状の魔力が溢れ出した。
激戦の直後で疲労困憊のブルト達は、彼女が使った「眠り」の魔法に抵抗できない。
意識を手放す寸前に彼が見た「夢」は、デイパックから飛び降りたキジトラ猫が何もない空間を爪で切り裂き、そこに木製の「扉」を出現させる不可思議な光景だった。
§
古楽の迷宮を三時間ほど進んだ頃。
「そろそろロレンス様もお疲れでしょう」
とゆーことで、ロレンス様とマリーシアさんにはキャットシェルターへ入っていただき、我々はウィンドキャットさんにまたがって、少しスピードアップをした。
ヨルダ様とアイシャさんには、怖いので一緒にいていただく。ルークさんは割とチキンである。
ヨルダ様、実は高所恐怖症なのだが、低いところを飛ぶ分には問題なく、ウィンドキャットさんの乗り心地にはご満足いただけたようである。
アイシャさんは「速っ! 楽っ! ルーク様、これすごい快適じゃないですか! 最初から乗せてくださいよ!」と、ちょー楽しそうであった。
ロレンス様にもいずれお楽しみいただく予定だが、最初はダンジョン内より大空を飛ばせて差し上げたい。
スピードアップした我々は、あっという間に地下四階まで到達した。
そして俺は安全確保のため、こっそりと迷宮内にまんべんなく『サーチキャット』を飛ばし――
やべぇ魔物に追い詰められていた、冒険者一行を発見した。
「猫魔法、ストーンキャット!」
ストーンキャットは遠隔発動が可能である。この魔法は、ヨルダ様が上空に放り投げた小石を猫さんに変えたのがきっかけであった。
ストーンキャットさんは間一髪のところで、魔物二匹をぶん殴って吹き飛ばし、冒険者一行を救ったのだが――
「……で、どうします?」
アイシャさんの魔法で眠ってしまった冒険者の五人組を前に、俺は『じんぶつずかん』をパラパラとめくる。
能力はBとかC主体だが、とりあえず悪人ではない。むしろ好感のもてるいい人達である。
リーダーっぽい盾の人は仲間を見捨てず、最後まで敵を防ごうとしていて侠気もあったし、若い剣士さんは自身の未熟を知りつつ果敢に立ち向かった。
魔導師の女性も仲間を守るために魔力の限界まで頑張っていたし、神官のお嬢さんはちょっとパニクっていたが、自分を庇ってくれた狩人さんを必死に助けようとしていた。
そもそも袋小路で逃亡手段がなかったせいもあるが、「自分だけ助かろう!」みたいな人がいなかったのはポイント高い。
特にリーダーと剣士さんあたりは、足の遅い仲間が襲われている隙に走って逃げる、みたいな策も不可能ではなかったはずだ。ルークさん、こういうひとたちすき。
「とりあえず全員、こちらのキャットシェルターに運んでください。でもってリルフィ様、ちょっと来ていただけますか?」
「は、はい……」
扉の向こう側から、待機していたリルフィ様がおずおずと現れる。ダンジョンの中でもなんて麗しい……
狩人さんの怪我は、猫魔法で『三毛猫衛生部隊』を召喚すれば、おそらく何の問題もなく治せる。しかし今回は、リルフィ様の練習台になっていただこう。
「さっそく、こちらの人の怪我なのですが――」
「はい。試してみますね……」
リルフィ様は、気絶したままの狩人さんの傍に膝をつき、その傷口へ手をかざした。
回復系の魔法は「神聖」属性である。
リーデルハイン家の親族たるリルフィ様は、神聖属性の適性を持ちながら、おうちの都合で今まで回復魔法の勉強ができなかった。
リーデルハイン家は軍閥なのだが、軍閥は教会閥との仲があまりよろしくない。
理由は複数あって、教会の私設軍である聖騎士部隊との対立とか、昔の戦争時にマズい作戦で教会所属の治癒士達を犠牲にしてしまったりとか、なんかいろいろあったよーである。
しかし、リルフィ様は先日、王都でルーシャン様達との交誼を結んだ際に、教会系とは別ルートから世に出た「信仰要素を無視して効率に振り切った神聖魔法の教本」を譲っていただいた。
これは「神聖魔法」を既得権とする教会系の人達にとっては、あまり歓迎できぬ書物らしく、国内ではほとんど流通していないという。
そもそも神聖適性を持つ人自体が少なく、その適性を持つ人のほとんどは庇護の手厚い教会系の進路に流れてしまうため、需要もそんなに多くないのだろう。
今こそ、これを使った学習、修行の成果を試す好機である!
リルフィ様が狩人さんの傷口にかざした手が、ぼんやりと淡い光をまとい――光の粒子が、傷口へ吸い込まれていく。
そのまま二分ほどで、血はすぐに止まった。
傷口はまだ完全にふさがっていないが、とりあえず太めの血管は修復できたっぽい。
その様子を観察していたアイシャさんが、ぱちぱちと手を叩いた。
「すごいです、リルフィ様! 完璧ですよ、完璧。もう回復魔法をマスターしたんですね!」
「そんな……まだまだ、初歩の初歩です……」
リルフィ様はご謙遜なさったが、これは素晴らしい進歩である!
今回は傷口が深めとはいえ一箇所だったが、回復魔法の腕が上がっていくと、全身の治癒ができたり、複数人を一度に治せたり、骨折ややけどのような難しい怪我の治療も可能になるらしい。
そしてリルフィ様は「初歩」などと仰ったが、適性がなければその初歩すら踏み出せぬ。リルフィ様は着実にスキルアップされている。
「でも、教本をお渡ししてから、まだ一ヶ月も経ってないですよね? それでもう回復魔法が使えるって……もしかして、称号の影響とかもあります? リルフィ様は『亜神の加護』をお持ちですよね?」
「はい……ルークさんの影響はかなり大きいと思います……水属性の魔法もびっくりするぐらい強化されたのを感じますし……」
……それはないと思うよ? スイーツや飲食物のご提供で栄養状態がよくなったとか、そういう話では?
そういえばトマト様に含まれるリコピンには、脳の働きを高め、海馬の細胞死を抑制する効果があると聞いたことがある。
リルフィ様の学習効果が高まったとすれば、それはおそらくトマト様のご加護であろう。収穫も順調であり、朝食にはほぼ必ず出てくる。
その後、皆様にはキャットシェルターにいていただき、ウィル君にだけ外へ出てきてもらった。
「というわけで、すみません。転移魔法でいったん、ダンジョンの入り口に戻ってから、この場所に戻れますかね?」
「問題ありません。地脈は通じているようですから」
魔族の転移魔法とは便利なものである……
俺はふと気になって聞いてみた。
「転移魔法って、魔族にしか使えないんですよね? 人間の魔導師が使えないのはどうしてでしょう?」
「ルーク様なら、こつを掴めば使えると思いますよ。転移魔法はもともと、『亜神』専用の能力だったそうです。我々魔族は、滅亡した魔導王国での実験を経て、『亜神の核』を引き継いだ一族ですから……これは単なる魔法ではなく、亜神の能力の一つなのだろうと、私の師が言っていました」
若干怖い情報がさらっと出てきた気もするが、魔族の成り立ちについては、俺もリルフィ様からの講義である程度は把握している。
このダンジョン探索が終わったら、やっぱり転移魔法の修行はしておくべきだろう。今回のような事態がまた起きないとも限らない。
そして我々一行は、ほんの一時だけ、ダンジョンの探索を中断し、冒険者さん達を入り口まで送り届けたのだった。