10・猫の晩ごはん
お犬様達との友好的接触を経て、俺は再びお屋敷へ戻された。
……長い一日であった。
トマト様を食してクラリスお嬢様に拾われ、ライゼー様との邂逅を経てトマト様を食し、薪から変化させたケーキも一口いただいた。
そして猟犬のセシルさん達と交誼を結び、少し休んで、気づけばもう晩ごはんの時間である。
食ってばっかやな。
ぶっちゃけ、「コピーキャット」のおかげで日本で食っていたものはあらかた再現できそうなので、食に対する危機感はもうほとんどないのだけれど、そうはいってもこちらの世界の晩ごはんは割と気になる。
猫であるからして、クラリス様達と一緒に食卓を囲むというわけにはいかないが、使用人の方々と同じものはいただいてみたい。こっちのものも食えば再現できるようになるかもしれないし、いろいろ試してみる必要がある。
……とか思ってたら、普通にライゼー様達と同じテーブルに席が用意された。子供用の高い椅子で。
え、何? なんで? 身分的にいいの? これ許されるの? 平民以下の野良猫っスよ?
「あの、私も一緒の食事っていいんですか?」
「クラリスの客人、という扱いだからな。リルフィからも“そうしたほうがいい”と、珍しく強めに主張された。君には魔導師としての希少な才もあると聞いたし、使用人達と同じようには扱えんよ」
何を当たり前のことを、とでも言いたげに、ライゼー子爵は苦笑いをしていた。
もしかしたら、こちらの世界ではそういう身分的な境界が割と緩いのかもしれない。使用人達のライゼー子爵に対する態度も、決して気安いわけではないが、丁寧さの中にも親近感がうかがえた。
なんというか、「貴族と使用人」というより、「上司と部下」的な距離感というか……
そうした部分には、地球の歴史とは違う、こちらならではの社会的な伝統とか宗教とかが影響している可能性が高い。やっぱりこの世界の一般常識は早めに身につけたほうが良さそうだ。後でリルフィ様に弟子入りをお願いしてみようかな……
子爵家の晩ごはんは、想像よりも質素だった。
薄味で具の少ない野菜スープ、固めのパンとチーズ、薄切りの獣肉が二枚、ヒヨコ豆っぽい豆の煮物。以上。
……俺は内心でほくそ笑む。
ククク……お貴族様でさえ、日常の食卓はこの状況――もはやトマト様無双は時間の問題である。あとの課題は収穫量だ。レッドバルーンを毎回変化させるのは面倒だし。
とはいえ、夕食は華美さはなくとも、しみじみと美味しかった。
なにせ山での餓えを経て数日ぶりの温かいスープである。塩気と野菜の出汁も利いていて、なんかもう泣けそうなくらい美味しい……というかまともな家庭料理なんて前世でも滅多に(以下略)
社交界の立食パーティーなどではまた話が別なのだろうが、日常の食事中はあまり会話をしないのがマナーとのことで、俺は静かに存分にこの晩ごはんを味わった。
スプーン、フォーク、ナイフを器用に操る猫が珍しかったのか、クラリス様とリルフィ様はほぼ俺をガン見で、ライゼー子爵もちらちらと俺の様子を気にしていたが、そのせいか「ごちそうさまでした」のご挨拶は俺が一番早かった。
すっかり空になったお皿を見て、ライゼー子爵が小声で呟く。
「……猫の体には少し量が多かったかもしれないと、料理人が気にしていたが……」
「いえ、ちょうどよかったです。たいへん美味でした」
さほど汚れてもいない口元をナプキンでそっと拭い、俺は子爵様の顔をうかがった。
「ライゼー様、私はこちらの流儀に疎いのですが、先に食事が終わった場合のマナーは、どのようにしたら良いでしょうか? 先に退席すべきなのか、それともこのまま待つべきか……」
「ああ、うちでは気にしなくていい。そのまま待っていてもいいし、退席も別に構わない。かつては“主人が退席するのを待つ”のが作法とされていたが、今それが守られるのは、特別な祭事や儀式の時だけだ」
「ありがとうございます。では、差し支えなければ退席させていただき、料理人の方にいろいろ教えを請えればと……今いただいた夕食の中にも、私の世界にはない食材がいくつか見受けられましたので、気になっていまして」
「ふむ。それなら厨房へ行ってくるといい。サーシャ、案内を頼む」
給仕として控えていた召使いのサーシャさんへ、ライゼー様が指示をした。
サーシャさんは丁寧なお辞儀で応じる。
こちらの召使いさん、見た目は割と大人びているのだが、年齢は十五歳とまだ若く、お屋敷に来てからも日が浅い新米さんらしい。十五歳にしては背が高めなせいもあって、てっきりリルフィ様と同じくらいの年齢かと思っていた。
ちなみにこの屋敷における要人達の年齢は、クラリス様が九歳、リルフィ様が十九歳、ライゼー子爵が三十八歳である。この場にはいないが、王都で寄宿舎つきの学校に通っているご長男、クラリス様の兄君は十五歳だそーな。
使用人のサーシャさんはこのご長男の幼馴染で、お父上はリーデルハイン騎士団の団長――早い話がコネ就職である。俺はネコ就職……ってごめんなさい聞かなかったことにして。
領主の屋敷の使用人というのは、花嫁修業としても定番の超人気職であり、基本的に求人などは出されない。人手が足りなくなれば、関係者の親族や知り合いがあっという間に紹介されてくる。
サーシャさんもその口で、半年前、結婚を機に退職した使用人の代わりにと、父親の騎士団長が連れてきたらしい。
ペットと使用人という立場の違いこそあるが、新参者同士、ちょっとした親近感がないでもない。
ついでに、リルフィ様ほどずば抜けた美貌ではないが、顔立ちは前世ならアイドルができそうなくらいかわいいし、何より「いかにも真人間!」というオーラが漂っている。こういう子は貴重である。
「それではルーク様、こちらへどうぞ」
サーシャさんに先導されて、俺はお屋敷の薄暗い廊下を歩きだした。
明かりはサーシャさんが手にしたランタンのみである。その光源は炎ではなく、魔力に反応して光る水晶のような石で、光の質としては白熱電球に近かった。
魔法の才能がなくても、こうした単純な魔道具ならばほとんど誰でも使えるらしい。ただし一応、例外的に使えない人もいる。
前の世界での感覚に照らせば、「自転車に乗れる」くらいのイメージなのかな? ちょっとだけ試させてもらったが、俺にも普通に使えた。
こうした「魔導師としての才能」をもたない人間にも使えるように作られた魔道具は、需要も大きく、価格もそれなりに高いとのこと。このランタンも貴族や商家では珍しくないが、一般家庭にまではあまり普及していないという。
まぁ、火を使ったただのランタンでも事足りるだろうしなー。
火事の心配がない、臭いがしない、という利点と価格とを天秤にかける感じか。
そして俺は、サーシャさんの足元をとてとてと歩きながら、彼女を見上げた。
「あの、サーシャさん。クラリス様みたいに、私のことは“ルーク”と呼び捨てでいいですよ。そもそもただのペットの猫ですし」
「はあ……しかし、“私のペット”ではなく“クラリス様のペット”ですので……やはり、呼び捨てにはできかねます」
真面目だなー。
「……あと、なんというか、こう……ルーク様って、中身は私より年上のような気が……?」
……ですよねー。
いや、そりゃそうだ。実際、俺のほうがかなり年上である。
むしろクラリス様とか、こんな怪しい猫をよく普通にペット扱いしてくれるものだと感心してしまう。将来は大物になりそう。
「でしたらまぁ、呼び方はおまかせします。何分にもこの世界の常識に疎いもので、今後ともご助言いただくことが多いかと思いますが……」
「はい。それはもうなんなりと。旦那様からも、便宜を図るようにと仰せつかっております」
当面、リルフィ様とサーシャさんが俺の教育係ってことでいいのかな。
ペットとはいえ、働かざる者なんとやらである。
昼寝くらいはさせてもらうとして、お手伝いをこなす程度の甲斐性は必要であろう。「畑の番は不要」とも言われてしまったが、「コピーキャット」を利用した品種改良や農産物の提案など、できることは多いはずである。
……半分以上は自分の食生活充実のためだが。
だって一人で美味しいもの食べるって罪悪感すごいですやん!
ここは共存共栄の精神で、皆々様の食卓にもおいしいものをお届けしたい。しかも新しい作物による農業が軌道にのれば、俺は一層の楽ができる。
そういえば前世での話だが、猫って穀物を荒らすネズミを狩るから、「豊穣の神様」として扱われることもあったらしい。
バステト様の御威光には及ぶべくもないが、俺もこの地で「トマト様の伝道師・ルーク」みたいなカッコイイ二つ名を目指してみたい。
……今の称号はまだ、「トマト(様)の下僕」であるが。