北海道人民共和国人民陸軍の97式中戦車
97式中戦車をテーマとした架空戦記です。
日本帝国陸軍が皇紀2597年(西暦1937年)に制式採用した97式中戦車チハ。
57ミリ砲に重量約15トンは採用当時は世界的な水準にありましたが、列強の戦車の怪物的な進化には取り残されしまい。
第二次世界大戦末期には「ブリキ缶に豆鉄砲」と呼ばれるようになっていました。
第二次世界大戦の日本帝国の敗北より97式中戦車は歴史から消え去る……はずでした。
第二次世界大戦末期、日本の北海道はソ連軍に占領され、戦後「北海道人民共和国」が建国されました。
もちろん、共産主義陣営の国家でした。
日本の本州・四国・九州はアメリカ軍に占領され、戦後「日本国」となりました。
こちらは資本主義陣営の国家でした。
北海道では、戦後も97式中戦車の製造が続きました。
それには理由があります。
日本帝国は第二次世界大戦末期にアメリカとの本土決戦に備えて、軍需工場の一部を北海道に疎開させていました。
それには97式中戦車の生産施設も含まれていました。
ソ連軍に北海道が占領された時にソ連に接収され、北海道人民共和国が建国された時に国営工場となりました。
北海道駐留ソ連軍は、日本国駐留のアメリカ軍に備えるために最新の兵器を保有していました。
それと同時に北海道人民共和国人民軍も警戒していました。
北海道人民軍の将兵はほとんどが第二次世界大戦末期にソ連軍が北海道・満州などで捕虜にして、シベリアで強制労働させていた元日本帝国陸軍の将兵であり、ソ連軍は反乱を怖れていました。
そのため北海道人民軍に最新の戦車は渡さず。
北海道人民陸軍は97式中戦車を製造し配備するしかなかったのです。
75ミリ砲の3式中戦車も製造可能だったのですが、ソ連軍はそれを許さなかったのです。
ソ連政府は国家の方針として、北海道人民共和国を「農業国」として食糧生産を重視したため、北海道の工業の発展は抑えられました。
具体例としては、北海道の鉄道は1980年代になっても蒸気機関車D51を製造しており、同年代の北海道の首都札幌では一般家庭にあるのは白黒テレビであり、カラーテレビがあるのは特権階級であり、北海道の地方の農村では村の集会所にラジオがあるだけというのも珍しくなかったのです。
ですが、戦後数年を除いては北海道は食糧不足になったことはなく、北海道国民の不満は少なかったのです。
1960年代には、増強される日本の自衛隊に備えて、北海道人民軍にも最新のソ連製戦車を渡すようになりましたが、北海道がソ連製戦車を製造することは許さなかったのです。
そのため北海道は唯一製造可能な国産戦車として1980年代にも97式中戦車を訓練用として少数ではありましたが製造していました。
北海道人民共和国と日本国は緊張状態にありましたが一度も交戦したことはなく、冷戦の終了とソ連の崩壊が明らかになった時に、北海道政府と日本国政府の間に「北海道の日本国への再合流」が交渉されるようになりました。
97式中戦車が最後の活躍をするようになったのは、そのソ連崩壊が原因でした。
ソ連崩壊が明らかになると、北海道駐留ソ連軍が北海道人民政府を武力制圧して、自らを特権階級とする新たな国家を建国しようとしたのです。
首都札幌の首相官邸などの官庁街をソ連軍が制圧しようとしました。
官庁街の道路は狭く、ソ連軍の戦車も歩兵戦闘車も通行不能でした。
ヘリコプターによる空挺部隊とトラック輸送の歩兵部隊で制圧は可能とソ連軍は考えていました。
ソ連軍の前に立ちふさがったのが97式中戦車だったのです。
官庁街の道は97式中戦車が通るには充分な広さがありました。
官庁街の道を狭くしたのは「暴動対策のため」と北海道人民軍はソ連軍に説明していましたが、ソ連軍が北海道人民軍を信用していなかったように、北海道人民軍もソ連軍を信用しておらず。
こういう時のために官庁街の道を狭くしていたのでした。
97式中戦車は完全に旧式化していましたが、防弾チョッキ程度の歩兵部隊には無敵で榴弾でソ連軍を殲滅しました。
もちろん、ソ連軍歩兵部隊は対戦車擲弾RPGを持っていましたが、官庁街の建物はトーチカとして使えるように頑丈に建てられており、それを盾として97式中戦車は活躍しました。
この作戦を指揮したのはシベリアに抑留された経験のある北海道人民軍の将軍で、シベリアで凍傷で指が数本失われた手を見ながら、こう言ったと伝えられています。
「大嫌いなソ連の連中に数十年頭を下げてきたが、ようやく、この手とシベリアで死んでいった仲間たちの仇が討てる。そして、我々は『日本』に帰国するのだ」
ソ連軍の撃退に成功し、北海道人民政府は「日本国への再合流」を表明しました。
北海道が日本国への再合流をした後、北海道人民軍は自衛隊に吸収され、日本製の最新戦車を装備するようになりました。
97式中戦車は現役ではなくなりましたが、走行可能な物が数両あり、札幌雪祭りなどのイベントに登場するのが定番になっています。
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