第二話 あいあむまじしゃんがーる
朝目が覚めて真っ先に思い浮かぶ。
下手な想像をするもんじゃない、と。
きっと悪い夢だったのだ。
箒に乗った女の子がガラスを突き破って入ってきて、気がつけば全裸になっていて抱きかかえて避難するなんて。夢でしかあり得ないし夢なのだと思わずにはいられない。というか夢でないと困るんだが。
「だが、現実は非情である」
「なにしてるのかな~。プーさん」
「おふくろ。いい加減に息子をプーさんって呼ぶのやめてくれない?」
「恵子ちゃん。私、初めてこんなにおいしいごはん食べました」
「おい。謎の少女。知らない間に居座ってるどころかオレの母親を名前で呼ばないでくれる?」
「もう。プーさんも恵子ちゃんって呼んでもいいんだよ~」
「誰が呼ぶかい!」
とりあえず、目の前の光景を整理してみる。光恵子。オレの母親。病弱で働けないけど家事はなんとかできる。でも、オレが手伝わなきゃって感じ。ちゃぶ台には母親お手製の朝食。ご飯の腕前は上から姉、オレ、母親だが食えないほどではない。
で、問題はここからだ。
「名前すら知らない謎の少女が勝手に居座り食事を採っている。そして、オレの母親を名前で呼んでいいる」
とどのつまり――
「寝取られですね。今流行りの」
「え~。恵子ちゃん、寝取られちゃうの~」
「息子の前でなんちゅう話しとんねん」
だめだ。これはダメだ。オレの母親はつい話を悪気なく八光年先まで吹き飛ばす癖があるが、これではまともな話ができん。
「ともかく、だ」
オレはどさりと座りながら切り出す。
「お前は何者なんだ。どうして人様の家に激突してきた。消える謎のコスプレ衣装をまといながら」
「それはもう、プーさん。この子が魔法少女だからだよ~」
「おふくろは黙っててくれないか」
「小学生のくせに生意気だぞ~。恵子ちゃんって呼んでくれたら許す~」
「はいはい、恵子ちゃん。いい子だから黙っててね」
「私の名前はフキと言います。魔法少女です。私はあるアイテムを探しています」
「はいはい。お前も黙っておこうね」
「信じてください」
「信じれるか!」
とりあえず。とりあえずもくそもないがとりあえず。もう付き合ってられないことだけははっきりとした。
「で、フキって言ったか。これからどうするんだ。家に帰るんだろ?」
「それなんですけど」
「だめだ」
「まだ何も言ってないじゃないですかっ!」
「若い男女が同じ屋根の下など正気ではない」
「本当はそんなこと微塵も思ってないですよね」
ちっ。何故バレた。
「まあ、いいじゃない。プーさん」
「その呼び方を改めるなら考えてやる」
「八光くん。お願い。フキちゃん、帰るところもなさそうなの」
そうやって母親は頭を下げた。
「やめろよ。頭なんて下げるなよ」
「恵子ちゃん、頑固だから。八光くんがいいよって言うまで頭を上げない」
なんちゅう羞恥プレイだよ。ったく。
「仕方がねえ。どうせ無駄に広い家なんだ。気が済めば出て行けよ。家出少女」
オレの母親は頭が悪い。難しいことなんて分かりはしないし、そんな母親をオレは始終馬鹿にしきっている。だが、そんな母親が真面目なことを言う時があった。母親にしては難しいことのはずで、だから、誰かの入れ知恵であることは確かなんだ。
「頭を下げるのなら、自分のためじゃなくて誰かのために下げなさい」
昔から。そうやってオレは育ってきた。
「いい言葉、なんですかね」
「さあな。オレにはわかんねえよ」
自称魔法少女の家出少女フキは小学校に登校するオレについてきている。なにか探し物があるようだ。
「見つけにくいものなんです。カバンの中も机の中も探したけれど見つかりませんでした」
「人の家の通帳を探してるんじゃないだろうな」
「あんなぼろっちい家に興味ないです」
「おい、居候。図に乗るな」
「かくいう私の国も似たようなものデシタ。戦争はなくなりましたが、争いは無くならず。親のない子だって多かったデスヨ……」
「胡散臭いわ」
実はと言うとオレはこのフキという少女を測りかねていた。出会いの衝撃もあったが、なにより、なんというか、奥底がのぞけないようななんかそんな感じとしか言えないものがこの少女の中にはあった。
まあ、オレには関係ない。そう思うことにした。
何かが起こると、それも突然起こられると頭の整理が追い付かない。
体の奥底を震わせるほどの轟音と、体を吹き飛ばさんほどの突風。そして、瞳を赤く染めるほどの炎。
「ちょっと。アンタたち。なにをぼさっとしてるの。早く逃げなさい」
「美羽子さん……」
オレは声をかけてきた高校生の名前を呟くのが精いっぱいだった。
「何が起こってる」
「そんなの知らないわ。それより、早く逃げなさい」
美羽子さんの言葉でオレは正気を取り戻す。
「美羽子さんはどうするんだよ」
「まだアンタみたいにぼさっとしてるヤツがいるかもしれないじゃない」
「爆発したんだぞ!? 正気かよ!」
「至って正気だけど」
「死ぬかもしれないんぞ」
「そうね。いっぱいいっぱい死んじゃうわね。今のままだったら」
オレの目は大きく開いた。
美羽子さんはその場で動けないオレとは正反対で、大声で逃げるよう声をかけている。
「怖くないのかよ」
自分が死ぬかもしれないのに誰かのことを心配するなんて間違っている。
「怖くないのかよ!」
「あら。まだいたの。おしっこでもちびったのかしら」
「ガキ扱いするなよ」
「怖くなんてないわよ」
「そんな風には見えない」
「要は、わたしも生きて帰ればいいだけ」
「どうしてそんなに勇気があるんだよ」
「わたしはアンタよりガキなんでしょ」
何故だろうか。自分をガキだと美羽子さんは言っている。なのに、負けた気分になってしまうのは。
今まで驚くほど静かだったフキは未だ続く爆発の中へと突然駆け出した。
「おい! フキ! どこいく気だ! そっちは――」
フキはオレの声を無視しやがった。いや。オレの声なんて本当に聞こえていないみたいだった。
「フキ……?」
「どうしたんだ。美羽子さん」
「いいえ。なんでもないわ。なんとなくどこか遠くで聞いたことのあるような名前だった気がするから」
美羽子さんは大きく舌打ちをする。
「待ちなさい! そこのガキ!」
美羽子さんもフキを追って爆発へと身を投げ出す。
オレはただ一人、独り残されてしまった。
どうすればいいか、だなんて分かりきっている。オレには命を懸けて誰かを助ける意味がない。かたや、姉の友人。かたや、昨日知り合ってしまったばかりの不法侵入者。
「オレは自分の命が一番大事なんだ。あいつらとは違う」
「別に逃げるのは恥じゃない。そうだろう?」
「あんたまで。どうして来るのよ」
美羽子さんにオレは怒鳴られる。
「オレだって、怖くないわけじゃない」
むしろすっげー怖えよ。今すぐにでも体が硬くなって止まってしまいそうだ。
「で? あの変態は?」
「あそこよ」
美羽子さんの示す先にフキの小さな背中が見える。そして、もう一人。フキの先には誰かがいる。
「高校生、か?」
あまり信じたくはないものの、高校生かもしれない。長い黒髪の高校生が深い紫色の衣装を身に纏っている。魔法少女のごとき。
この年でコスプレたあ、どうなんでしょう。それも、よりによって魔法少女って。
「コスプレイヤーなる職業? もございますことですし」
「なにかしら。あなたの中でのわたしは変態のようね」
フキの先のコスプレイヤーはイラついた口調で言った。
「わたしも好き好んでこんな格好をしてるんじゃないの」
じゃあ、脱げばいいやないかーい。ファッションチックに見せるためか衣装にところどころごちゃごちゃしたアクセサリーをつけている。
ぶちっ。
「なんで美羽子さんがキレてるの!?」
オレのすぐ近くで怒りを滾らせる音がして、つい言葉を発してしまった。
「何故かしら。でも、何故かとってもわたしをバカにされた気分」
「美羽子さんってもしかして――」
美羽子さんは突然勢いよくオレの胸倉をつかみ上げるとそのままオレをアスファルトに転がした。その直後、オレと美羽子さんがいた場所に殺人級の風が吹き抜けた。
「美羽子、さん?」
オレと美羽子さんがいたはずの場所は、一瞬にして何もかもが消え去っていた。唯一残っているのが砂のように舞い落ちる灰のようなものだった。
「そんな。美羽子さんが」
「死んでないわよ」
突如背後から声が聞こえて首を向けると、五体満足の美羽子さんが立っていた。
「さっきのは」
「まるで魔法でしょう?」
コスプレイヤーが嬉しそうに言った。
「あいつがさっきの攻撃をしてきた。結果はあんたも見た通りよ」
「まさか、な」
ありえない。ありえないんだ。どうみたってただのコスプレイヤーじゃないか。信じられない。
「で、そこに突っ立ってるお嬢さんは何の用かしら」
コスプレイヤーの言葉でオレはフキがずっと立ったままであったのに気づく。その様子は背中を見るだけではわからないが、震えていたり立ちすくんでいたりといった風ではなかった。目の前の出来事が予想通りであったというような。この理解不能な状況に慣れてしまっているというような。
「別に私はあなたが何をしようと興味がありません。ですが、私の探し物のためにあなたが必要です」
フキはどこからかハンバーガーサイズのおもちゃを取り出す。魔法少女が変身するアイテムのようなそれを。
「タイムコンパクト!」
声高らかに叫び、左手に持ったコンパクトへ、右手に持った時計のゼンマイのようなものを挿す。
「フキー、セット。タイムゴーズオン!」
ゼンマイを回し、フキの体は光の玉に覆われて見えなくなる。
何が起こっているのか理解できない最中、オレはコスプレイヤーの左肩あたりをじっと見ていた。コスプレイヤーの右肩には電光掲示板のように文字が流れていた。アルファベットでMIWAと書かれてあった。
光が収まるとフキはオレと初めて会った時の、魔法少女のような衣装を身に纏っていた。
「れでぃーすえーんじぇんとるめーん! 只今からご覧いただきますのは、世にも珍しき魔法少女とA・魔法少女との戦いです!」
とあるまほうしょうじょのものがたり
おんなのこがめをさますと、おとうさんとおかあさんがどこにもいません。
おとうさんとおかあさんのかわりにせいねんがいました。
おんなのこのおとうさんとおかあさんはまほうしょうじょのしゅぎょうのためにとおくにいってもらっている。
きみはこれからまほうしょうじょになってもらう。
ぬいぐるみのようなようせいさんがてーぶるにすわっていておんなのこにいいました。でも、おんなのこはまほうしょうじょになるつもりはありませんでした。
おんなのこががっこうにつくと、せいねんがせんせいになっていました。
ほうかご、おんなのこのおともだちがおおきなむしにおそわれていました。
おともだちはちかづいてきたおんなのこをまもろうとしました。
そして――
たおされてしまったのはちかくにいたせいねんでした。おんなのことそのおともだちのみがわりになったのです。
おおきなむしをたおせるのはまほうしょうじょだけです。
おんなのこはまほうしょうじょになってむしをたおしました。
絵本に書かれた物語は次のページに進むと消えてしまった。
新たなページには、まだ、物語は浮かび上がってこない。