性悪狐と壊れた農夫 6
「早く起きて下さいよ」
甘く、鈴を転がした声を聴き、男は目を覚ました。
「む……まだ朝にもなってないではないかね?」
「可愛い稲達が私達を待ってるんですよ? さあさあ起きた起きた!」
男は狐に無理矢理急かされる形で起きさせられた。
狐はフフンと鼻を鳴らし、今日も一日頑張るぞと気合を入れた。
前までは面倒な作業だと朝を起きるのがかったるいはずだった狐は少しずつ、今の暮らしに楽しみを覚え始めたのだ。
何故かと聞くと、正直自分が一番驚いているのだが育てた稲に愛着が湧き始めたのかも知れない。
後、この男の側にいるのが少し楽しいのだ。所々目を瞑れば、普通に良い友人として接してくれる。狐からすれば始めての友達だった。それに不思議と支えたい気持ちも芽生えた。恩ではなく、心からそう願い始めたのだ。
それに同じ百姓の知り合いもだんだん増えてきた。彼らは皆良い人で、昨日もお酒の席に誘われたものだ。無論自分は言ったが、男は家で眠っていた。
だが、時折自分の正体を知ると皆、掌を返すのだろうという恐怖もあった。その時は自分が全てを燃やし尽くすか、食えば良い話なのだと何度も自分に言い聞かせた。
「さあさあ、一日の始まりは朝ごはんからですよ!」
狐は笑顔を見せて、用意した朝食を男に差し出すのだった。
φ
「やあ、銀ちゃん。今日も頑張ってたね」
仕事の終わり、糸目の男が狐に向かって軽い笑みを見せた。
「ハハハ……最近、楽しさを覚えた気がするんです」
「そう、それなら良かったよ。君みたいな美しい人がいるだけで僕達男はやる気を出すからね」
糸目の男はそう馴れ馴れしく言ってくるが、信用ならない見た目と話し方のせいで誤解されているのだ。実際話をすると他人に思いやりがある良い人なのだと狐は気づいた。
「あ、そうそう。今日もみんなでお酒飲むらしいけど来る?」
「本当ですか!? あ、でも……」
狐は一瞬嬉しそうに顔を明るくしたが、隣の芙蓉をチラッと見た。
「私のことはいい、行って来なよ」
「いやそうじゃなくて……」
狐は人差し指同士ツンツンし始めた。
「芙蓉さんも……一緒に行きませんか?」
一瞬、笑みを作っていた男の顔が無表情になった。
「ん、私はいい。君だけで楽しんで来なよ」
狐はムッとして、顔を上げた。
「私は貴方とじゃないと楽しくないんですよ」
「昨日、あれだけ酔っ払って帰って来たのにかい?」
「今日は違う気分なんです」
「そうか……わかった。少しだけ考えておくよ」
「本当ですか!?」
狐の喜ぶ顔と同時に、糸目の男の目が軽く開いた。
「じゃあ約束ですよ! ちゃんと来てくださいね!」
狐は今までで最高の笑顔かも知れない表情を見せながら、男に抱きついた。
「私は一旦家に帰ってから向かうよ」
「本当ですよね? そう言って逃げるのはナシですから」
「ああわかったよ」
そう言ってやっと狐は男から離れた。
去っていく男に狐は手を振りながら、不思議そうに目を丸くしている糸目の男を見た。
「どうかしたんですか?」
「いや……ちょっと驚いてるんだ。彼が変わった気がして……いや戻ったって言う方が正しいかな」
糸目は口角を軽く上げ、安心した表情を浮かべた。
「君のおかげかもしれないな。僕からもお礼を言っておくよ」
「フフン、私の手にかかればあの人だって昔みたいに戻りますよ」
寧ろ助けられたのは自分の方だ。
男のお陰で私は今を楽しんで生きていられる。だがその事は恥ずかしくて言い出さなかった。
「さてさて、お酒が待ってますから早く行きましょう」
「そうだね」
狐は笑みを浮かべて道を歩いた。
ふとすれ違った白い髪の目つきの鋭い男が私を睨んでいた気がする。その男は老化で髪が白くなったのではないのが一目で分かるほど若々しく、目は狼のように鋭かった。
狐は振り向き、すれ違った男を見た。
だが男の姿は消えていた。狐は首を傾げ、気のせいかなと歩き始めた。
今日は男も一緒に酒を飲むんだ。これほど楽しみな事はない。
狐は有頂天になりながら踊るように歩き出し空を見上げた。
空は曇っていて、いつ雨が降り出すのかわからない不吉な色をしていた。
φ
男は泥で汚れた服を着替えていた。何故か狐は服が汚れないように作業を行う事が可能なので少し羨ましいと思った。
綺麗、とは程遠いが服を着替えて外に出ようとした。
だが男は戸に手を触れてないのに開いてしまった。
開いた先には白髪の男が立っていた。
「ん……? 何か用でも……?」
「貴様があの狐の男か」
白髪の男がそう言った瞬間、何か形を持った風に切られ、男の首から血が流れ出した。
痛みはない、体は自然と流れる血と一緒に力を失い、顔から床に倒れた。
「フハハハハハハハ!」
白髪の男が笑う。
芙蓉は口からも血が流れ出し、ああ、やっと死ねるのか。と恐怖より安堵の感情が湧いていた。
そうだ、自分は誰かに殺されるのを願っていた。
これでやっと家族の元に行ける。そう、やっと……
だが男が死ぬ間際に見た記憶は家族ではなく、銀妖の笑顔だった。
作り笑いではなく心から喜んでいる、あの笑顔は私には眩しかった。
約束を果たせない私を許してくれ。
男の意識は暗闇の中で途切れた。