性悪狐と壊れた農夫 3
「あーもうやだ! なんで私がこんなことを……」
狐は薄汚い鼠色の百姓の服を着せられて、男の農作業を手伝わされていた。
今は収穫の時期だといい、稲を刈り取る仕事を行なっているのだが、一向に終わる気がしなかった。
他の農民達と行っても本当に終わる気などしない、時折私を見にくる男達もいるので余計作業が捗らない。
寧ろ私がいない方が早く済むのではないか。とう問いかけても男は「働かざるもの食うべからず」と素っ気ない笑顔で言って私を着替えさせたのだ。
「そろそろ昼が来る、もう少し頑張るんだ」
隣の芙蓉という男はせっせっと鎌で刈り取っていくが、今の力がない私に力作業など面倒の極みであった。これが男の幸せへの一歩だと自分に言い聞かせ、狐は作業を開始した。
一晩眠り、狐はこう考えるようになった。
まず自分のやる事は男を知る事、境遇ではなく心情を理解する事だと。
ますます悪霊である自分が行なってる事を思うと自嘲気味になる、心とは本当に面倒なものなのだ。
「そろそろお腹も空いただろう、飯にしよう」
男がそう言い、他の人間も木陰に休んで食事を取っているところだった。
狐はやっと休めると田んぼから離れた影を作る木に背もたれ、男の隣に座った。
「はー……誰かさんのせいで身体中が痛いです」
「それは良かった良かった」
「よくないですよ」
「痛いのは生きてる証拠だよ」
「貴方がそれを言いますか」
狐は男の作った握り飯を食べ、竹の水筒の水を飲んだ。
すると何処からか足音が聞こえ始めた。
それは猛牛の軍勢と言わんばかりの巨大な音で、狐を取り囲むように百姓の男達がやって来たのだ。
ある者は一緒に食事を、ある者は狐に貢物、ある者は求婚まで迫って来たのだ。
やはり自分は美しい、芙蓉とかいうあの男の価値観がおかしいのだ。そう更に自信を取り戻し、愉悦に浸りかけたが、それでも多すぎる。
暑苦しいほど多過ぎた。
流石にこれを相手するのは疲れるので、適当に理由を口から言うが。
「すみません、私には隣の方に将来を誓い合った男性が……」
いなかった。
芙蓉の姿は綺麗さっぱりどこかに消え失せていたのだ。
狐は驚愕の表情を浮かべ立ち上がって周囲を見た。
いた、男は作業をまた始めていたのだ。
φ
「貴方のせいであそこから逃げるの大変だったんですよ?」
狐は夜、腹を空かせたので野菜を食べながら愚痴愚痴と男に文句を言った。
「ハハハ、それは災難だったね」
男は呑気に横になりながら笑い、それが余計に狐の苛立ちを倍増させた。
「もういいです、私も寝ます」
火を消し、不満気に狐も横になった。
「ああおやすみ」
狐は何も返さなかった。
明日もこれが続くのだろうか、そう思い目を瞑った。瞑った。瞑った。
寝れない。
「眠れないのかい?」
さっきから何度か寝る姿勢を変えてたのを気付かれたせいか男はそう言った。
「はい」
「まあそういう時もある、目を瞑れば自然と眠たくなるだろう」
男の素っ気ない返事、狐はまた暗闇の中、目を細めながら嫌な顔をした。なぜか知らんがこの男の性格が気に食わない。
ため息を吐き眠ろうとしたが、狐はふと悪知恵が働き、ニヤリと口元を浮かべた。
「ああそういえば今から運動でもしたら眠れそうですね」
そう言った瞬間、目にも留まらぬ早業で狐は男の上に乗り、無理矢理唇を奪った。
舌も絡ませたかも知れない、それくらい熱い口づけを男に与えたのだ。
「っぷは……どうです? 興奮して来ましたか?」
そう言って狐も服を脱ぎ、今回は酒が無くともここまでされれば興奮せぬ男などいないだろうと考え、この男の決意など所詮今日の一晩で崩れ去る砂の城に等しい。
狐は男の服の襟元に手を入れ、首元に舌舐めずりをしようとした。
男も笑っていた。だがその笑みは狂気、悲しみ、喜びが孕んでいて一言では表す事のできない歪んだ笑みだった。
「君と寝たら、私を殺してくれるのか……? 本当に私を殺してくれるのか?」
狐の動きは止まった。
にやついていた笑みは凍り、一瞬で不愉快極まりない表情へと変わった。
「一つ聞いてもいいですか?」
「ああ」
「どうしてそこまで自分を苦しめるんですか?」
男の笑みも止まった。
「いや違う、自分の怒りを向けれる相手が自分しかいなかっただけの話だよ」
「貴方の家族を殺した相手がいるでしょ」
「そう……だな……私もそう考えていた。だが復讐をしたせいで私は気持ちの抑えが効かなくなった。寧ろ殺さない方が良かった、一生相手を恨んで生きていける。それがどれだけ素晴らしい事か当時の私に言い聞かせたいよ」
「復讐が終わったのなら、普通に幸せに暮らそうという考えはないんですか?」
「それでは家族が浮かばれないだろう」
狐は頭にカッと血が上りそうになり、言葉の揺れ幅が強くなる。
「貴方の家族は、貴方を怨む人なんですか? そんな酷い人達だったんですか?」
少なくとも糸目の男が話した中ではそれを感じる要素など一切なかった。
「もう死んでいてわかる術もない」
「だったら怨む理由もありませんよね? だったら……!」
狐の声を遮るように、男は声を出す。
「私が自分を殺したい程怨んでるんだ、ただそれだけの話だ」
その言葉を言われ、狐は何も言えなくなった。
そして腹も立った。もう、男の望み通りこのまま殺してあげた方がいいのだろうか、男にとってはそれが一番の幸せにも思える。
だがそれが私の知りたがっている幸せなんだろうか、これはどうすればいい?
狐の中で色んな感情が混ざり合い、狐はフンっと鼻を鳴らして服を着た。そして横になって眠った。
男は何も言わなかった。