性悪狐と壊れた農夫 2
農民の元に訪問した美しき銀髪の女、実は男が救った化け狐であった。
彼女は美しき女を装い、男に肉や酒の娯楽を喜びを与えて最後は身体の交わり……そして男の魂を奪い取るのが女の作戦であった。
失敗しかけたが難なく男の家に入り込み、これから男に至極の安らぎ至福と死を与えてやろう。そうにやりと口元を歪めた女は順序よく話を進めようとした。
狐は名を銀妖と名乗った。そして男の名は芙蓉と言った。
「今夜は無理を聞いていただいてありがとうございます。これはせめてものお礼ですが……」
私はそう言って黒い着物の懐からキジの亡骸を取り出した。さっき狐の姿に戻って狩ってきたキジである。力がロクに戻っていないせいかかなり苦戦したが。
「このキジで肉料理を召し上がってください」
私は柔らかい笑みを見せ、男の喜ぶ顔を見ようとしたが男の反応は私の思っていたものとは違っていた。
「ああ、ご好意は有難いんだが私は肉はダメでね……」
そう言って男は申し訳なさそうに頭を掻いた。
「え……ご遠慮なさらずにお食べくださいよ。大丈夫です、毒など入っていませんから」
私が引きつった笑みをなんとか作りながら勧めるも、男は断固拒否をした。
「過去に肉には嫌な思い出があってね……君がもしそれを食したければ私が裁くが……」
本気で肉は嫌がってるようだった。なら仕方ない、次の作戦だ。
「ならお酒でもどうですか?」
私は着物の胸元から一つのひょうたんを取り出した。
「『娜圖米那』という高価な酒です、これで晩酌を……」
「別に私は宿泊代など取りゃあせんよ」
「いえいえ、これは感謝の気持ちですので」
食いついたな、狐はそう確信して心の底で笑いまくった。この男も人間だ、酒を飲ませて酔わせりゃあ欲が勝り私を襲う事だろう。
そう確信して小さな盃に酒を注いだ。
「では……」
「こんな高価なものいいのか?」
「はいはい、呑んでください呑んでください」
無理矢理男に盃を押し込み、狐を同時にそれを飲んだ。
ふぅ、一口口に含んだだけで旨味より喉を焼くような痛みが走る。人間は何故こんなものを喜び、味わうのだろうか。
私の計算では、このまま一時間程経てば奴も酔いが回る。そうその後が勝負なのだ。
それに人間と毒物に耐性のある化け狐では酔いの強さも段違いである。人間が先にダウンするのは明白であった。
Φ
「うう……目が……回る……」
狐の目の前の世界はぐるぐると回り、歪み、吐き気が襲ってくる。
何故この男はこんなに酒が強いのだ。五つほど酒を開けたのだぞ。
狐は陽炎のように歪みまくった男の姿を定まらない視点で見つめた。いや見ている方向に男がいるのかさえ怪しい。
「大丈夫か? もし気分が悪いのなら横になればいい」
ダメだ、このままでは完全に計画が破綻してしまう。
せめてこのまま押し倒し……
狐はフラつく体で着物をはだけさせ、男に近づいた。
胸元があらわになり、ゆらりゆらりと引きずり女のように近づいていった。
「これこれ服が脱げている、君のような女性が体を削る真似をするんじゃない」
男は面倒くさそうに頭を掻き、はだけた着物を元の位置に戻そうとしているが酔いが回りまくった狐には何一つ言葉など届いていなかった。
「えーと、どう言えばよかったんだっけ……ああもうどうでもいいです……何でもいいから抱いて……くだ……さ」
狐が最後まで言葉を言おうとした瞬間だった。酒が狐の身の全てを支配して眠りの道に誘われしまったのだ。
「かくん……」
そんな声を最後に、狐はスヤスヤと安らかな寝息を立て男の上で眠ってしまったのだ。
Φ
暖かい毛布から目を覚ました狐を襲ったのは重い二日酔いだった。
昨日は何があったのか記憶を辿るど、酒を飲み、男とまぐわう寸前で意識を飛ばしてしまった事を瞬時に理解した。
この男は何もかもが規格外だ、こんな男に恩を返せる訳がない。
さっさとこのまま命を吸ってしまえばいいのだが、化け狐の習性ゆえか一度貰った恩は返すまで納得出来ないのだ。
「この薬を飲むといい、酔いに効く」
なのにこの男はまた恩を乗っけようとしてくるのだ。
こんな所に居てられない、そう思った狐は即座に痛む頭を抑えながら男の家から逃げたのだった。
何なのだあの男は、狐は道を歩きながら不満気に男の事をぐちぐちとぼやいた。
もういい、他の人間を食って力を蓄えた後に男の命を貰ってやる。もう習性など知らん、そう決意しながら道を歩いていると芙蓉と同じ百姓の男とすれ違った。
その男は糸目で常に笑みを浮かべていそうな表情をしていたが、狐を見て両目を開けた。
狐はやはり自分が美しくない訳ではないなと、灰色の醜い姿をしていないのだなと自信を取り戻した。
「あの少しお話を伺ってもよろしいでしょうか?」
狐は糸目の男に話をふっかけ、糸目は緊張した素振りを見せながらも口からべらべらと言葉を放った。
「いやあこれは美しい人が僕に何か用でも?」
少し信用ならない雰囲気を持った男だったがすれ違った男がこいつなので仕方ない。
「貴方は芙蓉という方をご存知でしょうか?」
狐がそういうと糸目は少し固まった。常に浮かべていた笑みは消え、何か思いつめた表情をし始めた。
「君は芙蓉に興味でもあるのかい? 惚れたのなら辞めといた方がいい、彼は……もう昔の様には戻る気はないそうだ」
「昔? それはどういう?」
糸目はため息を吐き、頭を掻いた。
数十秒間言葉に戸惑ったようだが、狐の美貌に押され重い口を開いた。
「そうだな……僕は彼の友人だ。だから過去の彼も知っている、昔の彼は優しく、遊び、仕事をして、暖かい家族に恵まれていた」
「それが今と何の違いが?」
「…………ある日、芙蓉は倒れていた病人を家に招いたんだ。だけどその病人は実は病人ではなく、芙蓉が少し畑仕事で外に出た後、その男に芙蓉の家族は殺されたんだ、父、母、妹。みんな良い人だったよ」
狐はその言葉を聞き、少し表情が暗くなった。糸目も悔しそうに口を噛み締めながら話を続けた。
「彼はほんの親切心で、実際、彼を咎めようとする人なんていないだろうよ、だけど一人だけいたんだ。それは芙蓉、彼自身は自分を許せなかっんだろうね、彼は自分を責め、何度か自殺を繰り返すようになった。でもある日を境に彼は元に戻り、すぐ立ち直ったように振る舞うようになった。でも必要以上に人と関わらず、どこか他人との距離に壁を作るようにも僕には見えるね」
「そうですか……」
「ああ、最後に会った時、彼はこう言ってたよ。自分は幸せになっちゃいけないんだって」
幸せになっちゃいけない、その言葉が狐の中で何かが動いた。
そして過去の記憶が同時に頭の中で映り出したのだった、銀の姿をしている故に迫害され、居場所など無く、幸せなど望めない人生だったあの日々を。
今でも幸せが何なのか理解できる気はしない、それでも芙蓉という男に何処か感情移入している自分がいたのだ。
一通り話し終えた糸目の男は、何か考えるように思い詰める狐を見て不味い事でもしたかなと焦り出した。
「いえ……ありがとうございます。では私は」
軽く頭を下げ、私はさっき来た道を戻り始めた。
そして男の住む、貧しい家に戻ったのだった。
「おや、何か忘れ物でもしたのかい?」
男は首を軽く傾げた。
狐は覚悟を決めて、少し狐に戻る事にした。
それはそう人間の姿のまま頭に狐の耳を生やし、臀部には尻尾が生やしたのだった。
男は軽く目を丸くしたが、すぐさまに納得した素振りを見せ。
「そうかそうか、約束通り私を殺しに来てくれたのだな」
渇いた笑みを狐に見せた、狐も殺す気は確かに会った。だけどそれは今ではない。
「はい、ですがそれは今ではありません。貴方を幸せにしてから殺しましょう」
「私を殺してくれるのならいつでも良い、今からでも、明日でも、遠い未来でも、殺してくれれば満足だ」
男の言葉に迷いなど微塵も感じなかった。
それでも狐は複雑な心境を押し殺し、男の為より過去の自分の為に男を幸せにする事を誓ったのだった。
こうして、狐と男の同居が始まった。